「のうきん」の世界にやべー奴が現れたようです 作:Red October
天を廻りて戻り来よ
ここは、ブランデル王国東部にある「国境の街」。ティルス王国とブランデル王国の間の国境付近にある街である。
ある日の夕方(と言ってもほぼ陽が沈みかけており、太陽は地平線付近に最後の光を投げかけているだけである)、その街のある宿屋に、3人組の少女がチェックインした。
ブランデル王国のハンターパーティ「ワンダースリー」の3人、つまりマルセラ、モニカ、オリアーナである。3人は、隣国ティルス王国でハンターとして活動している旧友に会いに行っていたのだ。
「あれ?」
荷物を降ろしたその時、モニカがあることに気付いた。荷物として背負っていた鞄の表面に、何か黒い粉のようなものがうっすら付着している。
「どうしました?」
マルセラの質問に、モニカは自身の鞄を指差しながら答えた。
「何か、変な黒い粉みたいなのが鞄に付いているから、それが気になって……。いつの間に付いたんだろう……」
「あら、本当ですわね」
モニカの鞄に目をやったマルセラが、黒い粉を見つけて呟くように言った。
「私の鞄やマルセラさんの鞄にも、同じものが付いていますよ」
注意を
「少し光沢があるようにも見えます……何かを焼いた時に出る灰などとは違うようですね」
そう言うと、オリアーナはハンカチを顔の近くまで持っていき、その粉の匂いを嗅いでみる。
「……匂いはないですね。毒、とかいう訳でもなさそうですが……」
残念ながら、彼女にもこの黒い粉の正体が分からないようだ。
「何ですの、これ……」
眉を
「この粉、いつ頃から付いていたんでしょう。今朝、ティルス王国の王都を発った時にはこんなものは付いていなかったはずですが……」
そう、この黒い粉はいったいいつ付着したのかが疑問である。
「お昼の時点でも付着していませんでしたから、おそらく昼から夕方にかけての間に付着した、ということになりますわね」
そう言いながら、マルセラはモニカの衣服の背中側を払った。そこにも黒い粉が付いていたのだ。
「あ、衣服にも……」
マルセラの行動の意味に気付いて、モニカが声を上げる。
「背中に背負っていた鞄と、衣服の背中側に付いていた。ということは、私たちからみて後方、つまり東からこの粉が流れてきた、ということになりますね。そういえば今日、特にお昼以降は私たちの背中から風が吹き付けていました」
記憶をたどりつつオリアーナが意見を述べる。
「ということは……この粉は東側から風に乗って流れてきたようだ、ということになりますわね」
そう言った直後、マルセラは不意に何か不吉なものを感じた。
自分たちからみて東側、つまり風上には、ティルス王国の王都がある。そこでは、自分たちの最大の旧友たるアデル・フォン・アスカム……現在は身分を隠してマイルと名乗っている……が、ハンターとして活動しているのだ。
その王都の方角から流れてきたらしい、謎の黒い粉。これはいったい、何なのだろうか。
(何とも、嫌な予感を感じますわ……。アデルさん、どうかご無事でいてくださいまし……)
マルセラは心中密かに、アデル、もといマイルのことを案じていた。そして、それに気付かないモニカとオリアーナではなかった。
「ワンダースリー」の3人が、謎の黒い粉についての考察に明け暮れているその頃、ティルス王国の王都には
そう、この闇は夜の闇とは別種のものである。
そして、異様な闇に閉ざされたこの街の光景は、凄まじいものになっていた。今の状況を言葉で表現するとするなら、いったいどんな言葉が適切であろうか。候補は幾つかある。例えば「修羅場」とか「パニック」とか。
だが、その中から最も相応しい言葉を選ぶとするなら……おそらく答えは1つになるだろう。
「ああああああああああ!!」
闇の中、獣のような咆哮が響く。その方角を見れば、そこにいるのは獣などではなく、1人の少女。返り血に染まった長い銀髪を振り乱し、その手に持った剣を振るっている。その剣もまた、返り血で赤黒く染まっていた。
そして、その少女の様子はどこからどう見ても普通ではない。眼は見開かれているが、その目が赤い光を放っていたのだ。また、彼女の全身からはぞっとするほどの狂気が溢れている。
と見る間に、少女は手に持つ剣を思い切り振り下ろし、1人の男性の身体を縦に断ち切った。頭部をカチ割られた男性は、灰色の肉片と大量の血液を周囲に撒き散らし、足の力を失ってうつ伏せに倒れる。当然ながら、この男性は既に事切れていた。
そしてこの男性も、少女と同じような状態になっていた。農民だったらしい身なりのその男性は、畑を耕すのに使う農具を高々と振り上げ、少女の脳天にそれを振り下ろさんとしていたのである。
この少女こそ、マイルであった。明らかに正気を失っている。
では、いったい何があって彼女はこんなことになったのか。
それは、「赤き誓い」の面々が「ワンダースリー」の面々と別れた後、数刻が経過してからのことだった。
夕方になり、西側の空が茜色に染まり、各家庭では夕飯の支度に入ろうという頃、異変は唐突に起こった。不意に、王宮の方から急を知らせる鐘の音が響いた。それとほぼ同時に、空が真っ暗になったのである。
「何?」
「お城の方で、緊急事態の鐘が……!?」
宿屋の部屋で
そして、異常事態に気付いた。
「おかしい……まだ陽は沈んでいないはずなのに、もう真っ暗になってる……?」
メーヴィスの呟きに、ポーリンとマイルも窓辺に寄ってきた。
陽が沈むにはまだ少し時間があるはずなのだが、外はもう夜の帷が降りたかのように真っ暗になっている。しかも、通りを挟んだ向かい側の家並みすらも見えないほど、深い闇だった。
「何でしょう、これ……」
ポーリンが呟く。
その瞬間、
(!!!)
「ぐあっ……!」
マイルは唐突に、激しい頭痛に見舞われた。金属バットのフルスイングで頭を殴られたかのような電撃痛が走り、マイルの口から悲鳴が漏れる。
「「「マイル!?」」」
3人が慌てて駆け寄ってくる中、マイルは何かおぞましい感覚を感じていた。それは、頭蓋骨の内側から伝わってくる。まるで、脳が溶けて壊れていくかのようだ。
脳が壊れていくのではないか、と思えるほどの状況の中で、マイルの灰色の脳細胞は様々な可能性を……今起きているこの事象の原因が何であるかという推測を、必死にリストアップしていた。というのも、今王都を覆っている闇は日没による闇とは異なるものだ、と彼女は認識していたからだ。ならば、この黒い霧のようなものは、いったい何であろうか。
(くろいきり……ポケットに入るサイズのボールから出てくるモンスターのもの……じゃない。あれは視界を悪くして、わざの命中率を下げるだけのものだったはず。
火事の煙……焦げ臭い匂いがしないから、それも違う。ならば……もしかして!)
一瞬の時間の後、1つの答えが導き出された。そしてそれと同時に、マイルは自分たちに待ち構える未来を悟った。
(この黒いものの正体は……まさか、人や竜を狂わせるウイルス的なもの!? だとすれば……!)
こうして考えている間にも、頭痛はさらに激しくなっている。もう、一刻の猶予もない。
「皆さん……逃、ゲ……」
しかし、運命とはどれほど残酷なものなのだろうか……時間切れであった。
「がああああああああ!!!」
皆さん逃げて、と言いかけたマイルの喉から、凄絶な咆哮が迸る。
メーヴィス、レーナ、ポーリンの3人がぎょっとして固まった、その一瞬のことだった。
ずしゃあっ!
ランプの頼りなげな光によって照らし出された宿屋の部屋、その中を一筋の銀色の光が駆け抜けた。そしてそれと同時に、鈍い音が響く。
今の一瞬の間に、いったい何が起こったのか。その答えを求めようとしたレーナの五感が、あるものを捉える。
怒り声にも似た絶叫と、声にならない悲鳴。突然鼻に押し寄せてくる、
右の第10肋骨辺りから左肩までを一刀の下にバッサリやられ、真っ赤な噴水を噴き上げて仰向けに倒れるポーリンの姿。それと、狂ったような叫びを上げながら、血塗られた剣を振りかざすマイルの姿だった。
「……え?」
何が起きたのか、全く理解できずに固まるレーナ。いや、目の前で起きた光景自体は把握したのだが、脳がそれを受け付けない。
ポーリンは、明らかに殺されたのだ。それも、「この身体に赤い血が流れている限り、友情は不滅だ」と誓ったはずのマイルによって。
これはいったい、どういうことなのか。
しかし、それについて考える時間は、彼女には残されていなかった。
どしゅっ!
「!?」
不意に、目の前にマイルの顔が現れたかと思うと、硬い音を立てて、何か棒のようなものがレーナの胸に突き立った。それが何なのかを理解した瞬間、強烈な痛みがレーナの知覚野に押し寄せる。
「……!」
だがその直後、ゴリッという嫌な音を聞いたのが、レーナの最後の記憶となった。
「うるああああああああ!!」
鮮血の海に倒れ伏すレーナには一切構わず、奇声を上げながらマイルはメーヴィスに斬りかかる。仲間のうち2人をやられては、流石のメーヴィスも状況を直視せざるを得なかった。すぐさま剣を抜き、マイルの一撃を受け止めようとする。
ぎぃん!
打ち合ったのは、ただ一合。ただ一合だけで、メーヴィスの手から長剣が離れ、天井に突き刺さった。
元々メーヴィスは、女性だということもあって、単純な膂力に優れるわけではない。このため、創造主からの「転生特典」によって人とは思えないほどの膂力を持たされていたマイルの一撃は、捌き切ることが難しかったのだ。
しかもどういうわけか、マイルの膂力は通常では考えられないほどに強化されており、その一撃は非常に重くなっていたのだ。そのため、メーヴィスはただ一合で剣を弾き飛ばされたのである。
ずしゃあっ!
「がはっ!」
そして、マイルの行動速度も大幅に跳ね上がっていた。その結果、メーヴィスは短剣を抜く前にマイルに斬り伏せられてしまったのである。
「ああああああああああ!!!」
緋色の凶光を瞳に漲らせ、明らかに正気を失っているとしか思えぬ声を上げながら、マイルは部屋の窓ガラスを破って外へと飛び出した。ここは建物の2階だというのに、着地したマイルの身体には怪我1つない。
闇に閉ざされた通りを駆け出すマイル。既にあちこちで騒ぎが起きており、狂った人々同士が殺し合いを始めていた。マイルも、その混乱を構成する一欠片となる。
闇の中に、マイルの瞳から漏れた凶光が赤い残光となって走った。
そして今に至る、という訳である。
マイルは狂気のままに、周囲の人々を次々と殴打し、あるいは手にした剣で斬るか殴るかして斃していく。もはや理性など失われており、ナノマシンへの指令や魔法の使用もできなくなっていた。
だからこそ、普段の状態なら気付くだろうものにも彼女は気付かなかった。いや、彼女だけでなく、他の人々も誰1人気付かなかった。
闇に閉ざされた空に、黄金色に光る物が1つ浮かんでいる。その光は太陽や月の光の照り返しではなく、自ら放っているものだ。
光を放つそれは、一体のドラゴンらしきものであった。金色にも見える光を放つ純白の鱗と甲殻に身を包み、四肢の他に身体全体を覆い隠せそうなほど巨大な翼を備えている。その翼は独特の形状をしており、前縁部に巨大な爪があった。翼脚も非常に太く、おそらく地面に降ろして脚の1つとして使うことも可能だろう。
虹色にも見える輝きを放つ翼を広げ、空を舞うその姿は非常に神々しく、神かと錯覚してもおかしくないほど荘厳であった。だがよく見ると、このドラゴンは全身から黒い霧のようなものを大量に放出している。いや、よく見るとそれは霧ではなく、非常に微細な黒い粉のようなものである。それが大量に空気中を漂い、星や月の光さえ遮っていたのだ。
大気中を舞い、風に流されて動く大量の黒い粉と、それによって形成された闇。そしてその闇の中に浮かぶ、残酷なまでに美しい黄金の光。その光と闇の下で、人々は周囲にいる他の人間に見境なく襲いかかる。そして、同族同士で凄惨な殺し合いを繰り広げる。まるで、その光が災厄を引き起こしているかのように。
空すら覆い隠した黒い粉、その中を舞う黄金色のドラゴン。その真下で、人々は狂気に突き動かされたように、なおも殺し合いを続けていた。
このような状況を最も適切な単語で表現するとするなら、それはおそらく「バイオハザード」だろう。
この日、ティルス王国は、突然舞い降りたたった一体のドラゴンらしき存在によって滅ぼされた。それも、一夜にして王都を陥落させられたのである。
なお、この惨劇を引き起こした黄金色のドラゴンはいったい何者なのかというと、少なくともこの世界に生息していたものではない。こいつは、例の邪神教団の男たちが行った「召喚の儀」によって異世界から召喚された存在なのだ。
召喚されたこのドラゴンは、その場でその恐るべき力を振るい、邪神教団の男たちを全滅させた。その後翼を広げて飛び立ち、そしてティルス王国の王都に舞い降りた、というわけだったのである。
夜が明ける頃には、語るにはあまりにも生々しく血腥い大事件となったこの異変は、ティルス王国の王都のみならず同国の東部国境付近を除いて国土全体に
ティルス王国でそんな大事件が起こっている頃、ブランデル王国東部国境の町の宿屋では、「ワンダースリー」の面々が寝込んでいた。3人とも顔が土気色になっている上に、妙なことに手や足に上手く力を入れられなくなっている。3人揃って同時にこのような状態になった、となると、何かの疾患に罹ったようだ。回復魔法も試してみたが、身体的倦怠感は消失するものの、それも一瞬だけで、すぐまた倦怠感が出てくる。
そして昼、太陽が南中する頃になると、ティルス王国では西部の一部地域を除くほぼ全土に黒い粉が広がり、それを吸い込んだ動物(人間含む)が次々に発狂し、身分や老若男女の別なく殺し合うおぞましい光景が広がっていた。法律も、文明も、食物連鎖システムですら崩壊し、全てが狂気と暴力によって支配されていた。
そしてその頃、ブランデル王国東部の国境の町で突然、暴動が発生した。……いや、「暴動」というのは貴族の領主やハンターギルドに対して報告が行われた際に使われた表現だ。実際は、ただの暴動ではない。
……そう、お察しの通り、ティルス王国で発生しているものと全く同じ事態が、ブランデル王国東部国境の町を襲ったのだ。その中心にいるのは、「ワンダースリー」の面々……のうちマルセラだけである。モニカとオリアーナ? 2人とも、一番最初に発狂したマルセラにやられて、あの世に叩き込まれました。
ギルドのハンターたちや貴族領軍の兵士たちは、協力して暴動の鎮圧に当たろうとした。しかし、上手く行かなかった。というのは、暴れ出した人々と正常な人々の区別はすぐにつけられたものの、暴れ出した人々は常識では考えられないほど身体能力が向上していたのである。剣で片足を切り落とされても、まるで痛みなど感じていないかのように地面を這ってでも襲いかかろうとする者もいたし、弓矢で心臓を抉られても倒れず向かってくる者もいた。明らかに致命傷となる攻撃であるにも関わらず、全く斃れない。
さらに、暴動を起こした者たちは、どういうわけか筋力がやたらと強化されていた。素手の力勝負で兵士に勝つ女性が出るほどである。彼らの体内でいったい何が起こっているのか。
悲劇はそれだけでは済まなかった。暴動を起こした者たちに噛まれたり、引っ掻かれたりした領軍の兵士やハンターが、急に暴れ出す事態まで起こったのである。暴動を鎮圧する側の人間が、暴動を助長する側へ回ったのだ。こうなってくると、暴動の鎮圧に向かった部隊は混乱し、そこに暴徒が一斉に群がってやられてしまう。こうして、貴族の領軍やハンターたちにも大きな被害が出てしまった。
そして、これは何も国境の町だけで発生したことではなかったのだ。あの黒い粉は風に乗ってティルス王国からブランデル王国へも流れ込み、それを吸い込んだ動物の狂暴化がブランデル王国東部で発生し始めていたのだ。しかもこれは、徐々に王国内へ拡散しつつある。
突然始まった流血と暴力の狂気は、ブランデル王国各地へと広がりつつあったのである。
この血腥い「黒き狂気の変」の大本の舞台となったティルス王国王都。微細な黒い粒子が太陽を覆い隠し、昼だろうと夜のように暗くなったその街には、数多くの死体が片付けられることもなく、腐敗するに任せて放置されている。いや、あのドラゴンらしき存在のテリトリー内に斃れてしまっている以上、死体を回収したくともできない、という方が適切か。
それらの死体の中には、当然ながらあの銀髪の少女……マイルのものもあった。腐敗によって人間の身体の原形が失われつつあり、また特徴的な銀髪も艶が失われ色素が抜けかけているが、仰向けに倒れたその死体はマイルのものであることに変わりはない。
マイルはあの後、狂ったように暴れ続け……そして、力を使い果たしてこの地に
マイルは受けた傷を回復することもせず、無理矢理にでも力を振るうかのように、ただひたすらに暴れ回ったのだ。その結果として彼女は力尽き、この地に斃れ伏すこととなったのである。
陥落から約1ヶ月後、そのマイルの死体に変化が起きた。腐敗した皮膚の一部が突然、内側から大きく盛り上がったのだ。それだけなら、死体内部で発生した腐敗ガスの影響かとも考えられるが、盛り上がった部分は明らかに形や範囲を歪に広げつつある。何かが内側から死体を食い荒らしている、としか思えない。
やがて、死体の腹部が内側から破られ、あるものが姿を現した。全身を黒い鱗と甲殻で覆った、芋虫のような生物。全長は20㎝程度とかなり小さく、太いミミズのようにも見える。しかしよく見ると、そいつには短いながらも四肢がある。
暗闇の中、そいつはマイルの死体から這い出ると、あちこち這いずり始めるのだった。新たな食糧を求めるかのように。
そしてこれが、「黒き狂気の変」「黒死病」などと呼ばれる、全世界を席巻した恐怖の始まりであった。
召喚された黄金色のドラゴンは、黒い微細な物質を風に乗せて大量にばら撒き、また自らも翼を以て飛翔しながら世界各地にその姿を見せた。その結果、まだ医療体制もまともにないこの世界では、連日数百人単位の人間が身分の貴賎・老若男女を問わず死んでいく、という悪夢のような事態が発生。しかもこれは人間だけに留まらず、ゴブリンやコボルト、オーク、角ウサギのような魔物から、ごく普通の鳥や牛のような家畜、昆虫、
しかも、殺し合いを生き延びた者も、暴れ回った末に力を使い果たして死んでいくため、「黒死病」に罹った者はどう足掻こうが死ぬ運命を決定付けられる、という救いのない状態である。先に感染したマイルやマルセラも、例外ではなかったのだ。
また、マイルのような黒死病の犠牲者の死体から発生した芋虫めいた黒い生物は、「黒死病」による死体を食するうちに成長し、四肢と一対の翼を持つ竜の姿へと変わっていった。そう、首謀者兼実行犯であるあの金色のドラゴンと同じ姿になったのだ。……身体を覆う鱗や甲殻の色は黒いままである上に、角がないが。
それらの黒いドラゴンも、黄金色のドラゴンと同じく黒い物質を撒きながら世界各地を飛び回った。それによって、「黒死病」はますます拡散していく。
ティルス王国に黄金色のドラゴンが降り立ってから3年後。
ティルス王国は既に滅亡し、その王都は廃墟と成り果てていた。街のあちこちに転がっていた死体は、今やバクテリアやスカベンジャー(ゴーレムを統括している「シャカシャカ様」ではない。他の動物の死体を餌とする、アリやその他の昆虫・微生物のことである)によって分解され、骨くらいしか残っていない。建物は補修されることもなく、雨風に打たれ、崩れるに任せて放置されていた。
あの黄金色のドラゴンは、ティルス王国国土一帯に黒い微細な粉状の物質を撒き散らし、1ヶ月以上も王都に留まって大量の黒い粉を風に乗せて散布した後、いずこかへ飛び去った。そのためティルス王国の王都は、人々を含む全ての生物が死に絶え、小鳥の囀り1つ聞こえない死の都と化した姿を、白日の下に晒すことになったのである。
そんなある日、旧王都は突然、真っ昼間から闇に閉ざされた。まるでそこだけ夜になったかのように、建物の廃墟群は闇に覆われた。
いや、それはよく見ると闇ではなく、灰のような微細な黒い粉が大量に集まってできた闇だった。それが陽光すら遮り、闇を作り出しているのだ。
そこへ響く、羽ばたきの音。それは、黒い粉によって覆われた空から聞こえてきた。
やがて、闇を裂くようにして金色に光り輝くものが舞い降りてきた。地面に降り立ったそれは、外套を思わせる巨大な翼を背にはためかせ、頭部には天に向かって突き立つ2本の角を生やしたドラゴンだった。そう、あの「黒き狂気の変」を引き起こした黄金色のドラゴン……の子供が成熟し、各地の天を廻った末に生まれ故郷であるこの地に帰ってきたのである。
この他にも、あの異変の時に生まれた竜の子供の成熟体が各地に飛来。大量の黒い微細な粉を風に乗せてばら撒き、それによって周辺一帯の生態系は瞬く間に崩壊していった。病気が相手では、例え強大な軍事力を持つアルバーン帝国であろうとも敵わず、人々を含む動物や魔物は互いを殺し合い、各地を流血で染めていった。
そしてついにこの世界の国家、法は全て崩壊し、人々や動物は互いに殺し合いを繰り返した末に全滅した。世界全土が、黒い粉とそれによって起こる狂気に呑み込まれ、人々が築いた文明は崩壊した建物や荒れるに任せて放置された畑といった痕跡だけを残して、全て消え去ったのだった……。
「はっ!?」
目を開き、マイルはベッドの毛布を跳ね除けて飛び起きた。全身を嫌な汗がびっしりと伝っており、心拍数は普段の2倍くらいにまで跳ね上がり、息は完全に上がっている。
「はあっ……はあっ……」
息が上がったまま、マイルは慌てたように周囲を見渡した。そして自分が今いる場所がいつもの宿屋のいつもの部屋であること、周囲のベッドには「赤き誓い」の仲間がちゃんと寝ていることを確認し、「はあーーー……」とゆっくり息を吐く。
「夢か……良かった……。でも、ひどい夢……」
小さく呟き、マイルはアイテムボックスに手を突っ込んで着替えを取り出した。仲間たちを起こさないよう気を付けて、なるべく音を立てないようにして着替える。流石に全身汗だくの状態で寝る訳には行かない。
静かに着替え終えたマイルは、脱いだ衣服をアイテムボックスに突っ込んで再びベッドに寝転がった。まだ夜が明けるにはだいぶ時間がある、洗濯は明日すればいい。そう考えたのだ。
毛布を被り、目を閉じながら、マイルは考えるのだった。
(今の悪夢の内容は……小説のネタとしては使えないな……)
マイルが考えていたのは、「ミアマ・サトデイル」のペンネームで自身が書いている小説のことだった。今さっき見た悪夢の内容があまりにもリアルだったため、小説にするかどうか検討しようとしたのである。だが彼女は一瞬で、その考えをウチケシた。
ミアマ・サトデイルの小説は、基本的に空想系やコメディ系のものばかりだ。こんなホラー要素を前面に押し出した話は、作風に合わないだろう。
それに、ウイルスなどという概念がこの世界には存在しない。それをどうやって説明するか、考えるのも面倒だ。
結局、この悪夢の内容は「夢オチ」という形でマイルの脳裏に留められたのだった。
今回はif編ということで、章ナンバーは数学で虚数を意味する「i」と英単語の「if」「illness」の頭文字を引っ掛けて、「Case.i」となっています。
まさか、マイルが初っ端から正気を失い、パーティメンバーを次々と虐殺して尚も暴れ回った後に死ぬとは、誰に予想できたでしょうか。
今回現れた「ドラゴンらしき存在」ですが……今回は本文中のヒントが少なかったですね。ですので、ここで解説します。
今回現れた敵は、「
章タイトルと話タイトルがヒントになっています。
章タイトルは本来、シャガルマガラの進化前の姿たるゴア・マガラの狩猟クエスト名なのですが、今回の話の内容にぴったりだったので採用しました。話タイトルは、シャガルマガラの討伐クエスト名になっています。
また、本文中に「各地の天を廻った末に生まれ故郷であるこの地に帰ってきた」という表現がありますが、この「天を廻る」という部分の漢字はシャガルマガラの別名「天廻龍」から取っています。
シャガルマガラの持つ能力は、自身の身体から謎の黒い物質を放出し、それを駆使することで「狂竜症」という病気を伝染させることです。狂竜症は、シャガルマガラが出す黒い物質を体内に大量に取り込むか、または一定以上の量を取り込んだ状態である程度の時間が経過することで発症に至ります。感染すると、最初期は発熱や倦怠感、食欲不振といった風邪に似た症状(ただし呼吸器症状はない)が現れます。これらの初期症状が出ている頃、狂竜ウイルスは人間の大脳を破壊し、闘争本能を剥き出しにしていきます。その結果、感染者の筋力を強化(というより無理矢理引き出す感じ)し、同時に感染者の性格を凶暴化する性質があります。「バイオハザード」シリーズでいうT-ウィルスのようなものですね。
つまり、マイルが感じた「脳が溶けて壊れていくような感じ」は、あながち嘘ではなかったのです。それと「ワンダースリー」の面々が最初寝込んでいたのは、狂竜症の初期症状だった訳です。
また、狂竜症の発症には生物が有する魔力が関わっています。これは拙作独自の設定ですが、なんと魔力が高い生物ほど狂竜症の発症にかかる時間が短くなる、というものです。
この性質のせいで、マイルは一瞬で正気を失うことになりました。わかりやすくするため、少し計算してみましょう。
モ◯ハ◯世界の世界観をリアルに描いたノベル版や、各種の二次創作に目を通した結果、狂竜ウイルスに感染してから発症までにかかる時間は平均して1日程度(吸い込んだ狂竜ウイルスの量により差がある)と推測されます。これを元に考えると、「のうきん」世界における一般的なヒト種は、必ずその身体に魔力を宿していますから、モ◯ハ◯世界の人々と違って1日より短い時間、およそ20時間程度で発症に至ります。マイルは、「のうきん」世界の人間の6,800倍もの魔力がありますから、狂竜ウイルスへの感染から狂竜症の発症までにかかる時間は、「のうきん」世界の人間の6,800分の1です。20時間=1,200分=72,000秒 ですから、
72,000/6,800=10.588…
つまり、マイルが感染から発症に至るまでの時間は、たった10秒程度しかないのです。これでは、あの一瞬で発狂したのも当然ですね。
それと、おぞましいことに、シャガルマガラがばら撒く黒い物質は、なんとシャガルマガラの生殖細胞……早い話が「卵」そのものなのです。つまり、狂竜ウイルスに感染した生物はそのままシャガルマガラに寄生され、その感染者の死体を苗床にして新たな子供、すなわちゴア・マガラが誕生する、というとんでもない事態になるのです。本編ではそれをそのまま投入しました。
……もはやホラー小説と化している、という指摘は、甘んじてお受けします。
本文最後の方に「考えをウチケシた」という一文がありますが、この「ウチケシた」は誤字ではありません。モ◯ハ◯シリーズでは、狂竜症の進行を抑えるのに役立つアイテムが「ウチケシの実」と呼ばれる木の実なのです。それに引っ掛ける形で、召喚された存在を暗示したつもりでした。
また、「一夜にして首都を竜によって陥落させられ、国が滅亡する」という事象は、モ◯ハ◯世界におけるある伝説からネタを取りました。お気付きになった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
世界が滅亡する、って、こんな感じなんでしょうかね。
あと、コロナ禍のこの御時世にこんな話を投下するな、これじゃエイプリルフールじゃなくてエイプリルホラーだ、って? ぐうの音も出ないくらいの正論です、はい。