良き世紀末を目指して 作:ミツバチ
時は少し遡る。
その日の夜、月が出ていた。
三日月。三月の初月。月齢にして八分の一。新月の翌日――薄っすらと笑うような白い弧が夜空に色濃く浮かんでいたその日の夜。惨劇は起こった。
場所は東京地下――『闘技場』。
俗にいう賭け試合が行われていた場所である。
その中央にはリングがあり、逃げ場を塞ぐ金網と鉄柵があり、それらを囲う形で観客席があつらえられた空間。まさしく名の通りの闘技場。そこでは夜毎に悪趣味な催しが行われていた。
リングに立つのは屈強な男。あるいは、華奢な女。
時には男同士でルール無用の殺し合いを繰り広げ、時には借金の形に連れてこられた何も知らない女を嬲り凌辱する。暴力に支配された、閉じた世界。社会から隔絶された理不尽が、不合理が、観客を熱狂させる一夜限りのショータイム。
それこそが闘技場。
帝都東京の暗部である。
ゴングが鳴る時、必ず誰かが死ぬ。
当然――その日の夜も、闘技場は死を孕んだ。懐胎し、出産した。とある男の手によって、無理やりに。
「―――紳士淑女の皆様方。初めまして」
リングに佇んでいるのは車椅子に座した赤いスーツの男だった。
顔面に血を零したような紅い仮面を着けた彼は、今宵この場に集った観客達に向けて演説を振り撒いている。
彼は当事者ではない。
彼が立つのはリングの中央。さりとて王者ではなく、挑戦者でもない。彼の役目は演出家。今夜この場に殺戮劇を用意する悪魔の道化師である。
「私は伯爵。私は錬金術師。私はスティーブン。今夜この場における催しは、私の主導の下に用意させて貰ったよ。さあ諸君、万雷の喝采のご用意を。彼を迎えるには生け贄が必要だ」
車椅子の男が告げると同時に、観客が湧く。
リングに颯爽と現れたのは無敗の男。獣狩りの斧を手にした屠殺者。この闘技場を幾度も血で染め上げ、観客に娯楽を提供してきた裸の王様だ。
―――殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!
野蛮を愛する者達のコールが反響する。
王者は声援に応え、両手を掲げ雄叫びを上げた。より一層、闘技場の空気が熱を帯びる。
その様子を満足げに観察してから、車椅子の男はおもむろに―――
「結構。では、
―――懐から、不吉な輝きを放つ石を取り出した。
彼は左手にそれを掲げ、右手の指を鳴らす。その瞬間――リングに魔法陣が出現した。
熱く滾っていた空気が一気に冷却される。
血が滲むようにして壇上に出現した、紅い六芒星の陣。北斗七星の傍に在るという死を告げる星の意匠を組み込んだソレは、怪しげな瘴気を発散して、この場に居合わせた全ての者の肌を粟立たせ魂を震わせた。
興奮ではなく――本能的な、恐怖によって。
「―――――魔人召喚」
車椅子の男が囁く。
その瞬間――リングに漆黒の雷が落ちた。
衝撃で地下全体が揺れ、薄闇の煙が波濤となって観客席に押し寄せる。
閃光と煙に視界が閉ざされ、観客席から悲鳴が上がった。人々の喚く声。しかしその性質は次第に歓声へと変わり、やがて最初以上の熱狂が場を支配する。
リングには一人の男が立っていた。
金の装飾が施された洒脱な碧い衣装に白いパンツスタイル。頭には上着と同色のハットを被り、左手には真紅のカポーテを。右手には片刃の西洋剣――『エスパーダ』を携えている。
誰もが一目で理解した。
闘牛士だ。
遠く海を隔てた南蛮国の戦士。その登場を、観客達は喝采で以って迎え入れる。
彼の顔は髑髏だったけれど。
そんなことを気にする者は誰もいなかった。
「ウオオォォォォオオオオオオオオオオ!」
突如、王者が吠えた。
彼は斧を振り上げて、髑髏の闘牛士に向かって肉薄する。
殺せ。殺せ。殺せ、殺せ、殺せ―――!
王者の頭にあるのはその一念のみ。殺せ。殺さなければ。一刻、一秒でも早く。でなければ――自分が死ぬのだと。そう確信していたが故に。
だから先手を打った。
それは賢明な判断だったと言える。
もしもここで背を向けていれば、彼は王者の誇りという最低限の矜持すら喪失して無価値に死ぬことになっただろうから。
「このマタドールに向かってくるか。その意気はよし。―――手向けだ、苦しまずに死ぬがいい」
真紅のカポーテが翻り、エスパーダが閃く。
王者は一刀の下に切り伏せられた。
命じられるままに何人もの人間を殺してきた男の、実に呆気ない幕引きだった。
「さて―――」
敗者に一礼。
髑髏の闘牛士はエスパーダを血振るいし、己を見下ろす観客達を睥睨する。
暗い眼孔には闇が満ちている。死が渦巻いている。
「殺せ、殺せ、殺せ、殺せ――殺せ、か。その喝采が私を戦いに駆り立てる。いいだろう。今宵もまた、血の劇場の幕を上げん! 我が剣とカポーテに、諸君らの魂を刻もうぞ!」
宣言と同時、リングと客席とを隔てていた金網と鉄柵が弾け飛ぶ。
「私は魔人――マタドール! 舞台を飾り、散華せよ贄共!」
この瞬間、熱に浮かされた声は再び悲鳴に変わった。
けれどもそれは喝采。
死を司る者。死をもたらす者。死の擬人化たる者。人でも神でも悪魔でもない者。魔人と呼ばれる彼らにとって、それは紛れもなく死を謳う喝采だった。
斯くして舞台は幕を上げる。
それを観劇するのは車椅子の男。
紅い仮面を被った彼は、無言で目の前の死を観察していた。
―――それから後日―――
その日その場に居合わせなかった闘技場関係者が現場に入り、即座に然るべき機関に通報。
現場に遺体はなく、多数の人間が致命傷を負ったと思しき血痕のみ発見される。生存者はおろか犠牲者の骸すら、どこを探しても見つからなかった。
紛れもない大量殺戮の痕跡。
けれど――結局、この事件が表沙汰になることはなく。ヤタガラスの手によって、死者は失踪者として内々に処理された。
* * *
翌日――今日は金曜日。
学校での糞みたいな時間を耐え忍び、放課後に真莉愛や他の孤児院の子供達と一緒に下校する。
引率は六年生である俺と真莉愛の役目だ。
低学年の下級生が逸れたりしないよう気を配りつつ、帰路を行く。
今、GUMPは持っていない。
俺の学校での扱われ方を考えるに、もしも見つかったら絶対に面倒なことになる。悪魔を召喚して反撃なんて流石にできないし。……本音を言えば仕返ししてやりたいのは山々なんだが、それで小沢が変な方向に行っても困るので二の足を踏んでいるというのが実情だ。いや、あいつが本当にあのオザワなのかどうかまだ確証はないので微妙なんだが。
無論、モンキーレンチで殴るのは論外。そもそも孤児院暮らしで社会的立場の弱い俺が暴力沙汰を起こすのはちょっと不味い。
まあ、いたずらに藪を突つくような真似は控えるべきだろう。
どうせもうすぐ卒業式なのだ。中学に上がれば小沢ともオサラバできる。毒を食らわば皿まで、このまま適当に大人しく過ごしていよう。
孤児院に着くと、俺は早速自室に向かった。
ランドセルを片付けてから新しい上着を着込み、ショルダーポーチを肩に掛ける。そしてそそくさと孤児院を抜け出して、例のマンホールから地下水道に侵入した。
《SUMMON SYSTEM
SUMMON OK――GO》
ピクシーを召喚する。
「はあ、またここか。ねえサマナー、あたしにもその被り物つくってよ」
「流石にお前サイズのガスマスクは無理だ。ハンカチで我慢してくれ」
ズボンからハンカチを取り出し、布地を細く裂いてピクシーに渡す。彼女はそれを自分の顔に巻いた。
「まあ、少しはマシになったかな」
「そりゃよかった。さあ、行くぞ」
ダンジョン探索こと、マップ埋めの再開だ。
―――それから何度か戦闘を交えつつ、一時間ほど地下水道を歩き回った。
地下水道には所々鍵のかかった柵のようなものがあって、思っていたよりも行き止まりが多い。どうやら街か区ごとに仕切られているようだ。
そしてその間、初見の悪魔にも遭遇した。
地霊コダマに同じく地霊のカハク、それから妖魔イソラ。
当然、三体とも仲魔にすべく勧誘を行ったのだが……―――
「たくさんお金とMAGくれてありがと! それじゃ、バイバ~イ!」
「オマエ不吉。オレサマ、オマエノ仲魔ニナリタクナイ」
「仲魔になろうと思ったけんスど、なんかチミと一緒にいると運が悪いのがうつりそうッスね。今日はこの辺で退散させて貰うッスよ。行きたいね、イスタンブール」
「…………」
キレそう。
「短気は損気だよサマナー。まっ、早く切りかえて次に行こっ?」
ポン、とピクシーが肩を叩く。俺は黙って頷いた。
それから、俺は根気よく悪魔会話を続けた。
手持ちにあるものはなんでも貢いだ。宝石は持ってないからどうにもできないが、それでも誠心誠意な対応を心がけて話したし、お金やマグネタイトも多めに振舞った。
結果、惨敗。
……俺は激怒した。
彼の邪知暴虐の悪魔共を皆殺しにしなければならぬと決意した。
「―――選べ。ここで死ぬか、俺の仲魔になるか。今選べ。すぐ選べ。でなければ殺す」
「鬼! 鬼畜! 悪魔! 外道!」
「オレサマ、死ニタクナイ! グウ、オレサマ、オマエノ仲魔ニナル」
「仲魔になるッス! だから殺さないで欲しいッス! コンゴトモヨロシク!」
地霊コダマ、地霊カハク、妖魔イソラが仲魔になった。
「サマナーってさ、絶対CHAOSだよね」
「なにを言うピクシー。誰がどう見ても俺はNEUTRALじゃないか。十四代目の葛葉ライドウもよく使ってた勧誘方だ、なにも問題はない」
真顔でうそぶきつつ探索を続行する。
マップ埋めもそろそろ完了だ。他に目ぼしい悪魔もいないし、ボスっぽいのも見当たらない。どうやらこれ以上のイベントは起こりそうにない感じだ。
……と、なれば。
「明日は土曜で休みだし、平崎市に行ってみるか」
ショルダーポーチに入れているドリーカドモンのことを意識しつつ呟く。
造魔は貴重な戦力だ。なにせ召喚時に加え、実体化の維持にすらもマグネタイトを消費しない。そして悪魔と合体させればそれだけ強くなる。人間の相棒がいない俺にとって、心強い味方になるだろう。
まあ、ヴィクトルが平崎市にいなかったら詰むが。
そんなことを考えつつ、マップに残された最後の一マスを埋めるべく角を曲がる。すると、そこには一体のウィルオウィスプ――のようなもの――がいた。
悪魔……じゃない、か?
「おや、こんなところに子供が来るとは珍しい」
人語を解するとは。
ウィルオウィスプと同じく人魂の類だが、外道とか怨霊ではないらしい。
「私は闇ブローカー。デビルサマナー相手に特別な悪魔を売って生計を立てている者だ。どうやら君もサマナーらしい。どうだい? 悪魔、買っていかないかい? 今なら色んな壁を造れる悪魔がオススメだよ」
「……ふむ」
確か真・女神転生Ⅲにそういう輩がいたような気がする。彼らが売る悪魔は非常に高額だが、その一方でかなり便利な魔法や特技を覚えているのが特徴だ。買ってみるのもいいかもしれない。
「ちなみにおいくらで?」
「そうだね、十万マッカでどうだい?」
「高っ! ぼったくりじゃないの、ソレ!?」
「マッカか……」
目を剝くピクシーを他所に、渋面で呟く。
マッカとは魔ッ貨――魔界で流通している悪魔の貨幣だ。当然ながら俺は一マッカも持ち合わせていない。
「円での取引はやってないのか?」
「そうだな。円なら諸々の手数料込みで、ざっと一千万円ってところかな」
「よし、それなら手が届く。後日買いに来るから取っておいてくれないか」
「うそっ!? あるの、いっせんまんえんっ!!」
「ああ、問題ない」
驚くピクシーに頷きを返す。
教科書やノートを買うのは面倒だ。だって新調してもどうせ汚されるから。そんなことに一々金なんて使ってられない。だが今回は別だ。
俺はハッカー『グレムリン』。
今も隠し口座には多額の資産を貯めているし、資金繰りの手段にも事欠かない。汚い金なので表では使えないが、こういう場なら問題ないだろう。
「くく、面白い子だ。いいよ、分かった。他に客が来ても壁造りの悪魔は予約済みだと伝えよう。私はしばらくここにいるから、用意ができたらまたおいで」
「ああ、じゃあまた近い内に」
手を振って踵を返す。
またここに来る用事はできたが――これで地下水道のマップは完成だ。
いつでも感想お待ちしております!