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1:生涯
アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァは
バエル国で初めて起きた平等主義革命
『黒紙の決起』から始まった一連の内乱を平定し
ロマノヴァ朝を開いたバエル王国第50代国王
バエル王国三大公爵家ロマノヴァ家出身
父はロマノヴァ家当主ジャミトフ・ハイマン・ロマノヴァ
母はロマニ王妹○○・○○・ロマノヴァ
1-1:立志
ロマノヴァ公爵家には
10歳を超えたら親元を離れて暮らすべしという家訓によって
若い頃から親元から離すことで自律の精神を養う目的があったものの
目が届かなくなったことでアナスタシアは我儘な令嬢に育っていた
しかし14歳の頃、ミツナリ・イシダなる経歴不明の人物を招いたことから
本格的に動き出すこととなる
妻が亡くなって以来、無気力となり
政に興味を示していなかった父ジャミトフ公をミツナリと共に隠居させ、
全権委任状を得て改革に乗り出した
まず最初に領内で発生した一揆を
膠着状態で時間を稼いでいる間に改革を実行することによって
一揆側の理由をなくしつつ、屈したわけではないという姿勢をとり
犠牲を出さず統治に悪影響を及ぼさない鎮圧を行った
本格的な改革を進めるとともに
領内での人材発掘と反発していた反ミツナリ派門閥貴族を処罰するも
旗印のチハヤ=キサラギ子爵に逃亡を許してしまう
このことから家臣団に将が足りないことを痛感し
アスモデウスから下り在野となっていた名将セイヤ・イチジョウを
「三顧の礼」なる異国の皇帝の故事に準え迎えんとした
セイヤは先を見据え国を救わんとする志の高さから臣下となったと伝えられる
アナスタシアの喜びようは大きく、
死刑宣告が出されていた先の一揆主導者の大赦を出すほどであり
これをもって一揆は無血鎮圧として終結し、ますます彼女の名声は高まった
1-2:入学
15歳でミツナリと共にシリウス王立学園に入学する
学園において後に袂を分かつ時代の若き俊英たちとの交流が
後の飛躍の礎となった
1年次から生徒会選挙に出馬
風紀委員長(当時)ルルーシュ・ランペルージ、
生徒会副会長(当時)アスラン・ザラ次期公爵を下し、生徒会長へと就任
騒がしくも誰かの悩みを解決するためによく動き、
円満な生徒会運営をしていたという
ソロモン歴1192年6月1日
シリウス王立学園卒業式に革命軍首魁であったルルーシュが起こした
国王ロマニ・アーキマン・バエル、王太子ドラコ・マルフォイ・バエル殺害テロ
という『黒紙の決起』の狼煙を告げる事件によりバエル王国に戦乱が引き起こされた
臣下たちの手でいち早く脱出した後、
クーデターを起こした王都在住国軍が建国したバエル共和国、
『黒紙の決起』で王都シリウスを占拠した革命軍が建国したローライト共和国、
ロマニの第一王女にして末子、
ヤルミ・ニュウソクデ(仮)・バエル王女を擁立し、
ハルヒ・スズミヤ公爵を宰相とする正統バエル王国
ロマニの庶長子、クラウス・G・S・バエルを擁立する東部連合、
などの群雄が次々と立ち上がったこと
第三王子マクギリス・ファリド・バエルの名誉の戦死、
彼の婚約者であるメアリ・スチュアートの後追い自殺
これらの動乱の激動によりついに立ち上がる
1-3:東部併合戦
バエル共和国には協力して革命軍と共に戦うと誘い、双方の足止めをさせ、
僭王クラウスに婚姻を申し込み、おびき寄せて処刑すると
マクギリス王の遺命に従い戦乱を収めるという檄文を公表すると
東部連合への降伏勧告と侵攻を行った
その結果、先んじてデネブ・カイトス要塞で戦線を開いていたコーデリア伯爵家、
静観していたタケウチ侯爵家の二家は爵位と領土の安堵を条件に降伏
徹底抗戦を選択したニンテンドー辺境伯家、ヴィップデ侯爵家とは
コーデリア伯爵家とタケウチ侯爵家を組み込んだ軍で戦い両家を下した
「二通の手紙で三つの勢力を動かし、一つの首を掲げる」
後世の歴史家がこう表現したアナスタシアの初動は
大きく盤面を動かし、電撃戦を成功させて自らの優位を大きく確保することとなった
マクギリス王の後を継ぎ、バエル王国第50代国王を名乗ると
後背地であり皇后家となったスチュアート伯爵家が存在する
南東部を制するために一計を案じる
1-4:即位式
即位式を開き、出席するか否かで近隣諸侯に自らの陣営に臣従するかを問い
特に有力者たる南東部のアスモデウス降将ラオウ・カスミ伯爵に使者を送ったところ
即座に了承し、そのまま使者とともに暫定王都アルタルフに向かったという
ラオウ伯がいち早く臣従したため
以前はなんらかの密約を戦争前から水面下で行っていたのだろうとの見解が通説だったが
後に公開されたロマノヴァ家資料によると
突如ロマノヴァ家譜代ミコト・ミサカ男爵との面談を希望し
ロマノヴァ家臣団が大騒ぎとなり、急遽セッティングしたらしく
実際にはこのタイミングでなんらかの密約を交わしたと思われる
後に両者は婚姻を結んだことから
ロマノヴァ家中枢部への食い込みをラオウ側が望んだというのが有力な説
ラオウ伯不在時を預かっていたカスミ家家臣レイジ・ミツルギが
革命軍の蜂起を即座に鎮圧させると
その功績により旧ヴィップデ領の一部を与えたが
ミツルギ本人は生涯ラオウ伯の一家臣であると拒否
代わりにラオウ伯を通じ金品宝物を与えると共に
ミツルギを正式に代官に任じてラオウ領の統治を任せることとなる
この一連の動きにより怨敵であるクラウスへの対応が例外であり、
後から臣従したものでも功績があれば厚遇するという基本方針を対外的に示した
ソロモン歴1192年9月20日に即位式が行われ
マクギリスからアナスタシアへ正式に王位が引き継がれることとなった
1-5:革命軍の滅亡
1-5-1:第二次デネブ・カイトス要塞攻防戦
ロマノヴァ軍本隊は王都に進撃したが
革命軍が王都を放棄して東部に打って出るという策を打ったため
すぐさま救援へ向かうことを選択し東部へと向かった
バエル共和国は水面下で
正統バエル王国にローライト共和国北部を攻めさせる密約を交わし
この隙を撃って王都奪還を行った
ベリアル王国は革命軍以外の全てのバエル国内勢力から、
自分たちを正当と認めるよう求める使者が来ていたが静観の構えをとった
第二次デネブ・カイトス要塞攻防戦において
ロマノヴァ軍本隊到着まで距離があったため
リシテア伯、タケウチ侯爵親子、ラオウ伯、ローラ・スチュアート伯ら
ほぼ外様で構成されたロマノヴァ朝東部諸侯軍のみだったが
損害もなくこの難所を乗り越えた
ラオウ伯がいたため、専守防衛ではなく攻撃を織り交ぜ
革命軍にずるずると戦いを長引かせていたが
とうとう攻めきれず余裕のあるうちに撤退を選択
しかし、ラオウ伯が独断専行で追撃をしたところ
これを想定していた革命軍はあっさりと対処し返り討ちに遭い
同行していたミツルギの迅速な判断により即時撤退、
被害は最小限に抑えられた
論功行賞の場において武功にて罪を雪ぐとしたが
総大将でもないのに勝手な行動をした罰として
アナスタシアは両足の切り落としを命じた
武人として死ぬことを恐れたラオウは
即座に謝罪し神と父母に誓って再犯はしないと発言させ
暫く処分は保留となりアルタルフでの蟄居とした
これを奇貨として
侮る諸侯たちの引き締めとミツルギの参謀編入を
軍の消耗なしに達成した
1-5-2:イザール平原の戦い
ハルヒは旧ジェレミア領を2割しか取れなかったが
ジェレミア軍を足止めする結果となり
革命軍は野戦で最期の決戦をロマノヴァ軍本隊に挑んだ
敵の猛攻に合わせた逆撃をアナスタシア本人が采配し
革命軍も自分をも上回るものであったとイチジョウが評している
自らを騙していたルルーシュ、シンジ・マトウ元次期侯爵、ミコ・イイノら
学生出身革命軍幹部を捕らえ処刑するために諸侯に軽挙妄動を戒め
万一の負けも許さない完勝を将から兵士にまで周知させた
直前に野に下った何人かと戦死した者以外の革命軍幹部を全て捕縛、
革命軍参加者とその家族は軽い罪で許された
ソロモン歴1192年10月3日
イザール平原での敗北とアステローペ市の降伏で
革命軍ことローライト共和国は滅亡した
一方、スズミヤ軍と戦っていた
ジェレミア・ゴットバルト辺境伯はこの敗北を聞き
罪を大幅に減じ大赦を適応するとの条件で
スズミヤからの降伏に応じ
領土と爵位を没収した上で改易処分で済まされた
1-6:レグルスの戦い
戦いの前にアナスタシアが希望し、ハルヒとの極秘会談が行われた
詳細は不明だが
フユコ女王がアスモデウス国内において有利になったことにより
現実的になったアスモデウス侵攻に備え
お互いの敗北時に領地安堵などの取り決めをしていたものと思われる
会談が終わると即座に決戦を決意したハルヒは
軍をカオス・アウストラリス要塞から出撃させ
アナスタシア率いるロマノヴァ勢32万とハルヒ率いるスズミヤ勢31万は
レグルス盆地にて激突した
序盤のスズミヤ軍の猛攻を耐えきりお互いにノーガードでの殴り合いの後、
プリンツ・オイゲン卿の攻撃をミツナリからの反撃という想定外により切り崩されるという
壮絶な戦いをロマノヴァ軍が制した
結果的にロマノヴァ軍十八番の横綱相撲の形で天下分け目の戦いに勝利することとなる
降伏したハルヒ公に
領土は安堵するが爵位は侯爵へ落とし、王位継承権も永久に剥奪するものとするという
ある程度力を残す沙汰を下し
また、擁立されていたヤルミ王女は敵対したとはいえマクギリスの実妹であるので
マクギリスの後継という建て前のロマノヴァ朝としても
粗略に扱うことはできず、王族として扱い
成人後は貴族の家に嫁入りさせ正式に王族から外された
1-7:共和国降伏とバエル平定
スズミヤを降伏させ侯爵に落とすなど必要最低限(もしくはそれ未満)で
戦後処理をひと段落させると、直ぐに王都シリウスを囲む四要塞に
それぞれ十万の兵を集め、バエル共和国の攻略に臨んだ
西側ラ・スパーハ要塞にはスズミヤ降将ミッターマイヤー、
北側アーク・トゥルス要塞はイチジョウ、東側デネブ・カイトス要塞はリシテア、
南側テグミン要塞からはラオウ、
汚名返上の機会を与えられたラオウはミツルギ以外の将も兵もロマノヴァから出し
お目付け役ミサカも付け暴走を封じる形であったことを追記しておく
万が一にもアスランの超魔法で捨身の自爆作戦に出た場合の保険として
アナスタシア自身は暫定首都アルタルフに残っていた
共和国の使者に降伏の際の条件として
国軍への復帰許可とそれなりの待遇を約束した
その代わりとしてザラ公爵家の取り潰し、今後永久にザラ家の再興を認めないこととされ
これにより爵位を永遠に失ったザラ家の超魔法:自爆は失伝となった
内乱における一貫した温情措置の一環だが
旧バエル王家同様の超魔法:魔法無効化を所持していないであろうロマノヴァ朝では
ザラ家の超魔法は管理しきれないためでもあったと推測されている
使者から降伏の条件を聞いたアスランはこれを了承
バエル共和国はロマノヴァ朝バエル王国に降伏し、短い歴史を終えた
多くの者はこれに従い、共に降伏したが
ザラ派のうち少数の過激派は共和国残党として地下へ潜ることとなる
ロマノヴァ朝は国内の敵対勢力を全て滅ぼし
ここにアナスタシアによって天下は統一された
多くの勢力が興った乱でありながら発生から僅か半年での早期平定であった
そしてソロモン歴1192年12月20日
最後の終戦処理として
革命軍首魁ルルーシュは火刑ののち、遺灰は埋葬ではなく海へ捨てられた
暫くして女帝アナスタシアと
勲功一位の功績により宰相となったミツナリとの成婚が発表され
披露宴は翌年の吉日に執り行われた
こうしてロマノヴァ朝の新たな支配体制は盤石のものとなる
2:人柄
年少期は我儘令嬢で有名であったがミツナリを迎えて以降
迷惑をかけるような行為はなりを潜め、
無邪気でありながらも周囲の人物に気を配るようになったという
以前の我儘で古くからの従者と見目麗しい従者の配置転換していたことを謝罪すると、
ほぼ全員が復職したという逸話があり
領地において非常に慕われていた人物であったようだ
この逸話からミツナリの諫言により
上に立つものとしての心構えを身に着けたとされる
ザリガニ釣りを好んでいたこと、
自身がモチーフになったメアリ作の漫画『ザリガニ令嬢と老いた亀成』から
学園では”ザリガニ令嬢”という愛称で親しまれた
王政府及び王族に対する失望から動き出したとされるが
戦時下でのあまりの変貌ぶりから他陣営に渡った人々からは
ミツナリやセイヤを始めとする臣下の入れ知恵、
隠していた野心の現れ、親しい人々が亡くなった憎悪によるもの、
別人との入れ替わりなどの諸説が当時から入り乱れたという
ミツナリと親しかったピー・タケウチ侯爵の私的日記の降伏直後の記述によれば
アナスタシアの変わりようをミツナリに問うたところ
「何も変わってはいない、主の願いは私利私欲によるもの」と答えた
このやりとりはいまだに考察されるミステリアスな題材となっている
3:功績・逸話
学生時代では明るく朗らかでありながら時折
未来を予見したかのような鋭さを窺わせるような発言をしたという
将来の片鱗を窺わせる記載が当時の文献にちらほらと確認されてる
戦略決定時には
大方針を示し部下の意見を取り入れつつも
自らの希望を叶える方策を決定した後にはすぐさま動き
とにかく行動と決断が早かった
そして、その采配は被害や流血を減らし国を富ませることに注がれており、
平時は臣民から”国太母”と慕われる徳のある主君、
戦時は敵対者から”氷の女帝”と恐れられる有能な独裁者、
二つの側面をもって国を永く運営し117歳という異例の存命期間の間、
アスモデウスの侵攻を防ぎ切ったという偉大なる功績を持つ
その手腕はいまだに彼女を超える統治者はいないと称えられる
3-1:国内関連
王位継承第二位マクギリスと自身が婚姻することを望まず
伯爵令嬢メアリを紹介したことから
王家を立てつつも距離をとり、自身は公爵としてバエル王国の立て直し
燻る火種を落ち着かせる構想が学園入学前からあったというのが現在の定説である
この婚約以外にも
婚姻により譜代など自らに近しい者と有力者、関係性が必要とされる家とを
結び付け関係性を強化することを得意としており
新体制での支配地盤をより強固なものとしていった
特にメアリの姉エリザベート・スチュアートと
ロマノヴァ家譜代シャア・アズナブルの婚姻は
政治的浮き駒となっていたスチュアート家の正式な取り込みと、
交渉担当であるシャアが先王の義兄となることでの業務円滑化という
二つの優良な結果を導いた
3-2:外交関連
3-2-1:ベリアル王国
ベリアル国訪問の際には偶然巻き込まれた王太女ペコリーヌ・ベリアル、庶子イオクの
姉弟骨肉の王位争いに心を痛め、穏便な解決に導いたとされる伝承が残っている
3-2-2:アスモデウス王国
当時はミツナリ個人の雇われ私立探偵であったユダが
アスモデウス国での諜報活動中に逮捕され雇用者の来訪を要求されると
ミツナリと共にアスモデウス国に向かい
王太女(当時)フユコ・マユズミ・アスモデウスの国境で出迎えに
絶句する周囲とは逆に動揺もせずに、
謝罪の宴に誘われるとそこでのフユコの数々の試しに対し見事な返しを行った
・濁ったスープや海藻を固めたらしい黒い紙状のもの、
見慣れぬ食器ハシが並ぶ異端の東方料理を喜んで食べる
・主君である自分を飛び越えた家臣ミツナリへの称賛に
嫉妬もせずにサワ・マウンテン・キャッスル(当時未建設)と彼を自らに過ぎたるものと誇る
・フユコの天下静謐への思想を物語の人物のようだと称え、
自らの天下への思想を尋ねられれば
まだ当主に就任しておらず勉強中であるため答えられないとして明言しなかった
この中でも天下静謐への問いは
戦乱時のアナスタシアの動向と合わせて考えると非常に示唆に富む内容である
4:創作物での扱い
最終的に婚姻した経歴不明のミツナリ・イシダの存在と
平時と戦時での劇的な変わりようから
創作物の題材としての人気が高く、様々な説が現代まで議論され、
中にはミツナリが超魔法などの手段で洗脳したという突飛な説も根強く存在している
以前の主流説だった野心からのバエル平定ではなく
動乱によりやむなく立ち上がった説が現在は有力
また、内乱平定の手際があまりにも鮮やかであるため
水面下での謀略が得意であったとされることも
・参考文献
『バエル王国列王記』
『ロマノヴァ家資料群』
『激動の革命を駆けた俊英たち』
『氷の女帝の真実』
『ザリガニ令嬢と老いた亀成』
『アスラン・ザラ旅行記録』
勝手ながら本スレ雑談やツイッターの意見を取り込んだり参考にさせてもらいながら
書き上げさせてもらいました
この場を借りて作者◆2sRGUbBO9j2n様及び皆様に感謝を述べさせていただきます