眠気に襲われながらも何とか午後の授業を乗り越え、遂に終了のチャイムが鳴った。チャイムがなるや否や、クラスメイト達は立ち上がって各々が下校の準備を進める。
僕も同様に鞄に教科書を詰め込み、先程彩先輩と約束した通りに早々と集合場所である校門へと向かった。
「あれ、まだ誰も来てない‥‥‥。早く来すぎたかな?まあ、待ってれば誰か来るだろうけど」
誰かが来るまで暇を潰そうと鞄から携帯を取り出したその時、ストラップが転がるように落ちてしまった。慌てて駆け出し、拾おうとすると、同じく拾おうとした人と手が重なる。
「あ、す、すいません」
「いえ、何も謝る必要はありません。これは貴方の物なのですから」
ヒョイっと拾い僕の落とした物を返してくれたのは、少し緑みがかかった青色の髪をした女生徒。
一瞬何処かで見たような感覚を受けるが、ぼんやりとその記憶は浮かんでこない。
「あのー‥‥お名前は‥‥‥」
「失礼しました。私は氷川紗夜と申します。貴方は確か‥‥白鷺さんの弟さんでしたよね?」
「あ、はい、そうです。僕は白鷺一楓と言います」
「そうですか。貴方があの噂の弟さんですね」
「え、噂って‥‥‥‥姉が変な事でも言いましたか?」
「ああ、噂と言ってもただ白鷺さんから少々教えてもらっただけです。‥‥‥弟が居ると」
「そ、そうだったんですか。えっと‥‥氷川先輩。先程は拾っていただきありがとうございます」
「いえ、気にしないでください。それと、苗字ではなく名前で構いませんよ」
「分かりました。それでは紗夜先輩と呼ばせていただきますね」
「ええ、私も妹がいるのでそちらでお願いします。それでは、私はここで」
「はい、改めてありがとうございました」
そして、僕は紗夜先輩の後ろを姿を見送り、落としたストラップを鞄の中に戻した。
凄く礼儀正しい人だったな。品行方正な佇まいがそれを更に強く感じさせた。
そんな思いに耽ていると、漸く待っていた人物が校舎の方からやって来る。
「やっと来た‥‥‥」
「ごめんなさい、ちょっとホームルームが長引いちゃったわ」
そう言い、少し申し訳なさそうに表情を作る千聖姉さん。
あれ、見たところ千聖姉さん一人しかまだ来てない。同じ学年なのだからてっきり彩先輩と一緒に来るものだと思っていたのだけど。
「千聖姉さん、彩先輩とイヴさんは?」
「彩ちゃんは日直の仕事があって遅れるらしいから先に来たわ。イヴちゃんは用事があるから先にスタジオの方に向かったわよ」
「そうなんだ。てっきり彩先輩と一緒に来ると思ってたからちょっと驚いたよ」
「ふふっ、一楓は一人で寂しくなかったかしら?」
「は、はぁ?別に寂しいなんて思ってないから。僕はどちらかと言ったら一人でいる方が好きですし」
「あら、そうだったかしら。私の記憶では一楓が家で留守番をしてた時—————」
「す、ストップストップ!その話はやめてってば!しかもここ校門の前なんだからさ!」
そう、こんな会話をしてる場所も実は校門の前。何なら校舎は目の前だから、下校していく生徒達から此方は丸見えだ。何気に視線を集めているのも恥ずかしい‥‥‥。
「そうね。一楓を揶揄うのもここまでにして、一旦移動しましょうか」
「はぁ‥‥‥相変わらずドSな事で‥‥‥」
僕は溜息を一つ吐き、進んでいく姉の後ろをとぼとぼ歩いていく。
対して、軽快な足取りで歩を進める千聖姉さんが少し腹ただしい。
まあ、千聖姉さんらしいと言ったらそれまでなんだけどね。
「(‥‥‥そのストラップ、やっぱり大切に持っていたのね)」
鞄からはみ出ていた白色のベースのストラップを見て、千聖は弟の境遇を改めて不憫に思うのだった。
○
「あ、いっくん久し振り〜!」
「一楓さん、お久し振りです!元気にしていましたか?」
「日菜先輩、麻弥先輩こんにちは。特に問題なく元気ですよ」
場所は変わってスタジオのレッスン場。
日菜先輩と麻弥先輩は先に着いており、僕が入って来た途端直ぐに言葉をかけてくれた。相変わらず明るい日菜先輩と、元気な麻弥先輩といった変わらない二人を見て、少し口元が緩む。
「はいはい、一楓と久し振りに会って燥ぐのも分かるけど、早く楽器の準備をしてね」
「むぅ〜、つれないなぁ千聖ちゃんは」
「まあまあ、千聖さんの言う通りですし、折角一楓さんが見てくれていますから練習頑張りましょう?」
「うん、そうだね!いっくんに私がるんっ♪ってところを見せちゃおう!」
「はい、楽しみにしていますね。頑張ってください、日菜先輩。それと麻弥先輩も」
「勿論です!それではジブンはちょっと準備して来ますね」
「あ、私も〜」
そうして、日菜先輩と麻弥先輩は準備の為に退出していく。この場に残ったのは僕と千聖姉さんだけ。
千聖姉さんは少し呆れ顔をしながら、やれやれと息を吐く。
「日菜ちゃんも麻弥ちゃんも元気ね。一楓が来てくれたからだとは思うけど」
「そう?いっつもあんな感じなのかなと僕は思っていたけどね」
「いいえ。今の方がいつもより二人とも明るく見えるわよ。それほど一楓を信頼しているからこそだと思うわ」
「そう‥‥‥なのかな。そうだと嬉しいけど」
「ふふっ、心配しなくても大丈夫よ」
そう言い、千聖姉さんはギターケースから愛用しているクリーム色のベースを取り出す。前々から思っていたけど、本当に千聖姉さんに似合っているベースだと思う。我が姉ながら容姿自体は凄く整ってるし、髪も薄黄色の金髪。それと合わさるベースの色が更に透き通った美麗を感じさせる。
「‥‥‥一楓、一曲弾いてみないかしら」
「えっ‥‥‥?」
突如、姉からの申し出。
ベースを触るのなんていつ振りだろうか。それよりも、ベースを弾けるという期待が僕の心に強く響いた。
「‥‥‥い、良いの?」
僕は恐る恐る小さな声で言葉を発する。
それを千聖姉さんは、優しく、微笑みを混ぜながら返事を返した。
「ええ、勿論」
そうして、千聖姉さんは僕にベースを持たせる。
久し振りの重さ。弦の感触。何もかもが初めてを思い出させるような新鮮味を僕は体感した。
そして、僕は弦を弾く。
『〜〜〜〜♪』
思わず身体が震えた。そのメロディーを、ベース特有の低音を。自らの耳でそれを感じ、それからは自然と指が動く。
僕は、この時間を噛み締めるようにただ手を動かした。
『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪』
○
「‥‥‥うん、とても綺麗だったわ」
パチパチパチパチ、と拍手をしながら、千聖姉さんが感想を述べる。
「ありがと。‥‥‥久し振りに弾いたけど、やっぱり楽しいよ」
「ええ、凄く生き生きして見えたもの。あんな一楓は私も久し振りに見たわ」
千聖姉さんの表情は何処か嬉しそうで、まるで僕の演奏を心待ちにしていたかのように声音を弾ませる。
そんな千聖姉さんを見ると、自分も昂った感情を心に募らせた。
「‥‥‥だからこそ、私は言うわ」
一転、千聖姉さんの表情は真剣なものへと変わる。
そして、次に発せられる言葉は、また一つ、僕の人生の分岐点となる事を今の僕は知らない。
「一楓。また、
それは、再び輝きへの道を示してくれる物なのか。はたまた、更なる絶望を与える物なのか、定かではなかった。
一楓の呼称(パスパレ)
丸山彩→一楓君
白鷺千聖→一楓
氷川日菜→いっくん
若宮イヴ→イブキさん
大和麻弥→一楓さん
日菜の呼び方はブッキーといっくんで迷いましたが、ブッキーだと某駆逐艦になるので不採用。