芽吹「薬師氏典膳は何者かって?ただの幼馴染よ」 作:ቻンቻンቺቻቺቻ
ストロングゼロ……ヨシ!
そいつを初めて見た時の事はよく憶えている。
私がまだ片手の指で年齢を数えられる頃の天気に恵まれた休日、父が縁側に出て次の仕事で建てる予定の建物の模型を制作していた時だった。
──パパ、その子だれ?
いつの間にか庭に入り込んで父を、いや、父の手元と少しずつ確実に組み上げられていく模型を熱心に見ていた同い年くらいの男の子がそいつだった。
私の問い掛けに父は手を止めずに一瞬だけそいつを見て、表情を変えずに無愛想な口を開いたのも憶えている。
──三丁目の神社の子だ。
大人の足ならば歩いて行けるが子供が歩くには少し遠い場所にある神社、そこはこの日より数日ほど前に宮大工の父が建物の補修仕事で携わった場所だった。そんな場所からなぜ我が家を訪ねてきたのか、一人で来たのか、そもそも名前は、わからない事ばかりなので仕事の邪魔になってしまうかもと思いつつも父に聞いてみたが、父も何もわからないと無愛想に言っていた。
なので、本人に訊ねてみた。
──ひとりできたの?
──うん
──どうして?
──うん
──……あなた、おなまえは?
──うん
色々訊ねてみたがまるで話を聞いてはいなかった。何を聞いても父の淀みなく動き続ける手元と完成に近づいていく模型から視線を離さずにただ頷くだけ。
当時の私にはそれがそいつの並みとは言い難い集中力の結果とは解らず、ただ無視されているのだと感じて少し腹を立てたのも憶えている。
──ほぅ
私が少し腹立っているのとは反対に、いつもの無愛想に好奇の色を混ぜた父の瞳が私とそいつのやり取りを見ていたのは印象深かった。
なんなんだこの子は、どうしたものか、と、思考していたのはほんの一瞬。悪戯するでもなく邪魔をするでもなく、何をするでもなくただ父の手元と模型を見詰め続ける男の子。なにか悪い事をしてる訳ではないのだから放っておけばいいかと決めたのはすぐだった。
いつもよりなんとなく手の動きを遅くした父は自分の手元を見詰め、男の子も父の手元と模型を見詰め、私がその二人をぼんやりと見る。木を削る音や擦る音、時折吹くそよ風に庭の植木が葉を鳴らす音、言葉の無いまま時間がゆっくりと流れる。
父の造る模型が完成に近付いた頃、珍客のそいつとは別に近所の大人が張りつめた雰囲気で訪ねてきた。
──薬師神社さん所の子が行方不明だそうでして、楠さんはなにか目撃してはいませんか?
──ここにいますよ
──えっ? あっ、いた……
これは後から聞いた話だが、その日の朝、神社の境内にてお勤めをしていた人達や参拝に来ていた氏子達がほんの一瞬だけ眼を離した瞬間、本殿をぼんやりと眺めていたはずのあいつが煙のように姿を消してしまい、その場にいた人達が『神隠しか!』と大騒ぎしていたらしい。
今ではもう私は慣れきってしまったが、神出鬼没なあいつの脱走癖と放浪癖はこの頃から周囲の人達を驚かせて困らせていた。
──お家の人達が心配してたよ、帰ろう
──うん
大人を一瞥すらせずに頷いたそいつだったが、やはり、この時もただ頷いただけで大人が手を引いても動かなかった。
そんなそいつを見て無愛想を珍しい苦笑に変えた父、それまでのゆっくりと動かしていた手の速度をさ変えていつも以上に加速した事も印象深くてよく憶えている。
──完成だ
ほどなくして完成した模型、実際に建てる予定の物を精密に小型化した物。
それを見て、ようやくあいつは頷く以外の反応を示した。
──!
完成した模型と、無愛想に笑む父の顔のを何度も交互に見ながら明かりの点いた電球のように笑う。
──帰る
そして、満足そうな顔で帰宅宣言。呆気にとられる私や近所の大人を置き去りにあいつは軽快な足取りで駆け出して庭を飛び出していった。
──あっ、ちょっ、待って! ……って、もういない!
あいつを捜しに来ていた大人が一拍遅れて追い掛けるも、わずか数秒遅れただけで完全に見失っていた。
あいつとの初対面はこんな感じで唐突な事ばかりだった。そして、この日以降も父が縁側で模型を組んでいるといつもどこからともなくあいつは唐突に現れるようになったのだ。もちろん、その度に近所の人達は『薬師神社の坊やが消えた』と騒ぎになっていた。まぁ、それも最初の数回だけでいつからかはあいつが脱走する度に誰かが真っ先に我が家を訪ねて来ては安心するようになっていた。
とにもかくにも、あいつは幼い頃から脱走と放浪の権化で、自由気ままな猫を人の形にしたような奴だった。
神出鬼没、自由奔放、何を考えてるのかまるでわからない。そう知っていた、知っていたけど毎回驚かされていた。
そして、今まさにまた驚かされている。
「あ、メヴキ発見!」
微妙に発音があやしい舌足らずな呼ばれ方、不意打ちで現れたあいつは何が楽しいのかニコニコと笑って猫のようなゆるい癖毛を揺らす。
「なんで貴方がここに?」
本来ならばこいつが此処にいるはずがない、いてはいけない。ここは防人隊の活動拠点であるゴールドタワーの居住階、大赦の関係者ではあるが、防人隊の関係者ではないはずのこいつがここに現れるのはあり得てはならないはずだった。
ここは部外者が入ってはいけない場所だ。脱走癖や放浪癖があるのは知っていたが、まさか侵入癖もあったのだろうか。と、考えたあたりで初対面の時もこいつは家の庭にいつの間にか侵入していたなと気付く。
「メヴキ確認、ヨシ!」
「この人メブの知り合い?」
私からの問い掛けは答えず、暢気に私を指差し確認するマイペースさによって急激な疲労感に襲われて言葉を失っていると、これから一緒に昼食を摂ろうとしていた雀が困惑しながら首を傾げた。
本当に何が楽しいのか指差ししたままニコニコと笑う視線と困惑と好奇心の半々な視線。どうにもめんどくさく感じる状況、それでも、まずはやらなければならない事がある。
「人に指をささない」
「ふぎいぃぃぃ……」
自由奔放すぎてしばしば行儀さえも忘れるこいつを叱りつけて頬をつねる。これがこの野良猫みたいなこいつに一番効く薬だ。
「! ……訓練一辺倒なメブにまさかの親しい異性!?」
困惑よりも好奇心の割合を大きく増やした雀の煩わしい視線が突き刺さる。
「これと? まさか。そういうのじゃないわよ」
「いふぁいぃぃぃ……」
「でもでも、ほっぺたにスキンシップなんかしちゃってとっても親しげに見えるよ! 違うんだったらむしろどんなに関係なのか余計に気になっちゃうよ!」
口やかましくさえずる雀の瞳にはもはや好奇心の色しか見えず、根掘り葉掘りと聞き出すつもりでいるのがありありと見て取れた。
非常に鬱陶しいがこれとの関係性を誤解されても面白くないし、隠すような関係でもない。
幼馴染。一言でいってしまえばそんなものだ。
しかし、なんとなくそう言う気になれなかった。
「宮大工をしているパパ……父のお弟子さん候補よ」
「…………ちぎれるぅ……」
「へー、メブのパパさんのお弟子さん候補なんだ。……そろそろ離してあげたら?」
「そうね」
うっかり口を滑らせた部分をわざわざ拾いながら頷く雀。たが、納得しきったとは言い難い表情が見て取れる。
「それで、メブ本人とはどんな関係なの?」
「ほっぺをチネリ合う仲」
「適当な事を言わない! ただの幼馴染よ!」
案の定追及を止めなかった雀にどう答えたものかと思案した一瞬、やや赤くなった頬を手で擦りながら口を挟む幼馴染。
散々つねった事はあるがその逆は無い。こんな形での誤解は心底勘弁して欲しいので早急に誤解しようの無い言葉で関係を白状しておいた。
「んでんで、えっと……メブの幼馴染さんは──」
「あっ、僕は
「──あっ、
「これは
「はい、これはメヴです」
『メヴ確認……ぃヨシ!』
二人がそろって私に指差し確認。鬱陶しくて溜め息が漏れ出る。
お調子者のきらいのある隊の仲間と自由人な幼馴染がこんなにも波長が合うとは思わなかった。この二人が邂逅するだけでまさかこんなにもめんどくさいとは。
「で、なんで貴方が此処に?」
「そうそう、私もそれを聞こうとしてたんだった」
恐らくではあるが、放っておいたら何処までも話を脱線させ続けるであろう二人がふざけているのを無視して訊ねる。すると、典膳がどこか間抜けな表情で思考した後に口を開いた。
「どこまで喋っていい事なんだろ?」
「守秘義務があるかもしれないって事は大赦の関わる何かで此処に来たって事ね。……なんとなくで侵入してきていたのなら捕まえて外に放り出さなきゃいけないところだったけど穏便に済みそうね」
「うん、大赦の霊的医療班で作った薬届けに来たので。あとついでに僕の作った虫除けのお香も。それと、更についでに資料棚の組み立ても手伝ったりとか、書類がいっぱい増えちゃって棚のスペースが足りなくなってたららしいので」
「守秘義務をほのめかした直後に急に口が軽くなってる!」
雀が困惑しながらツッコミをしているが、そこそこ長い付き合いのある私としてはこの程度の自由さでは欠片も驚きの感情が沸いてこない。
「なんで貴方がここにいるのかは解ったけど、ここはあまり部外者がうろついていい場所じゃないわ」
「へー」
「軽いなぁ」
「大赦のお使いが終わったのなら長居せずに帰るべきよ、ここは女子寮みたいな側面もあるから見咎められても面白くないでしょう」
ここは防人隊の活動拠点、三十二人の中学生女子が寝泊まりする施設でもある。そんな場所に大赦の関係者とはいえ年頃の同じ男子が長居するのはあまり良いことではないだろう。
「お腹すいたので」
「は?」
「お腹がすいたので、ご飯です」
「は?」
「久しぶりにメヴキとご飯です」
「は?」
何が楽しいのかニコニコ顔の典膳。
たしかに今は昼時で健康的な生活をおくる者なら空腹を感じていてもおかしくはない。しかし、だからといって何故そうなるのか、色々と思考が飛んでしまっているとしか思えない。
「棚作りのお駄賃に食堂でのご飯です」
「……あぁ、そう」
たしかにここの食堂は防人隊以外にもゴールドタワーに詰めている大赦の職員も利用している、一応は大赦の関係者でここの職員から許可も得ているのならば問題は無いのだろう。
「メブにお昼を一緒に食べる親しい異性が……!」
「……長い付き合いがあるなら一緒に食事する機会くらいあるでしょ」
「そういうものなの? 私に幼馴染といえるような相手はいないからわからないなぁ」
激しい疲労感にのし掛かられながらもおののいている雀が変に騒がないうちになんて事無い事だと言い聞かせておく。
納得したのかしてないのか、小首を傾げる雀。
「メヴキと一緒のご飯は久しぶりなので楽しみです」
「ただ同じテーブルに座るだけなのに何がそんなに嬉しいのかしらね……」
本当になにがそんなに楽しくて嬉しいのか、小躍りしそうなほどにニコニコと笑う自由な幼馴染に溜め息を隠せなかった。
◆
"やりたい事"と"やるべき事"は違う。でも、私にとってその二つは同じ事だった。
勇者。私はそれをやりたくて、やるべきだと思っていた。
でも、私は勇者をできなかった。
私に勇者の素質があると知り、父や親戚の人達に送り出されたあの日から多くの事をなげうって自身を高めることに費やし、それこそ文字通り反吐を吐くほど努力を重ねた。
でも、私は勇者に選ばれなかった。
才が無かった訳では無いと思う。才が無かったとしてもそれを言い訳にするつもりも無い。私は全力を尽くして最後の最後まで選考に残り、そして、その座を逃した。
私は、私の"やりたい事"であり、私が自分に"やるべき事"だと決めた勇者になれなかった。
今でも何故私が勇者になれなかったのかわからない。
でも、できなくて、選ばれなくて、なれなかったからこそわかる事が一つだけある。
"やりたい事"も"やるべき事"も、どちらも不足無くやれている人間は毎日に鬱屈とした感情を持たないという事だ。
「──って事があって、熱中症対策に缶ビール用意してみました」
「わたくしはそういった面で物事を知っているとは言い難いのですが……真面目にお仕事なさってる最中の職人さんにお酒を振る舞うのはあまりよろしく無いのでは?」
「酒で手元狂わせながら適当な仕事させる気かってお師さんに怒られましたので」
「お仕事中にお酒は……よくない」
思わず頭を抱えてしまいそうになる馬鹿話を大真面目に語る典膳。食堂にて合流した防人仲間で丁寧な口調の
幼馴染、薬師氏典膳。小規模ではあるが由緒正しい神社の家系に産まれた一人息子。
"やるべき事"として神職を周囲に望まれ、本人は"やりたい事"として私の父のような宮大工を望む。そして、そのどちらにおいても恵まれた才を持つ。
そして、その才を十全に活かせるように陰ながら努力を積んでいる。
──これを一人で作ったのか
──うん、ダメなところを教えてほしいです
いつだったか、父の模型作りを見続けてしばらく経った頃に典膳が自分の作った模型の評価を父に求めた事がある。それは単純な形の小屋を模し、全体の形はどこか歪んでいて指で少し押せば簡単に揺れる、当時の私から見てもわかる程度にはあまりよろしくない出来の代物だった。
──具体的にいうならほぼ全部だ
無愛想な父も出来そのものに対しては言葉短かにそう評価していた。
そして、その後に無愛想ながらも面白そうに言葉を続けていた。
──接着剤を使わない組み立てか、俺の真似をしたのだろう。ずっと熱心に見ていたのはやっぱり技を盗もうとしていたのか
──ドロボウはしませんです
──そうか、盗みはしないか。なら盗まなくていいように少しだけ教わってみるか?
それが父にとって気まぐれだったのか、多くの人が認める父自身の技術を誰かに少しでも継承したいと思ったからなのか、それとも私にはわからないであろう"男同士で通じるナニか"というやつが父と典膳の間にできたからなのか。見ていただけの私にはわからなかった。
ただ、父は『あの熱意は半端者では持ち得ない才だ』と典膳を評し、技を盗もうと熱心な姿を快く思っていたのは確かだった。
熱意、一生懸命とも言い換えれるその姿勢、それこそが典膳の才なのだろう。熱意があるからこそ多くを学ぼうと励み、多くを学ぶからこそその多くが実になる。
神職関連の事についても熱意をもって励んでいるのだろう、ほんの僅かな空き時間をも利用して難しい顔をしながら古びた雰囲気の書物を熱心に読み込む姿を見る事は多かった。
──なにを読んでいるの?
──これはひでんの書、家につたわるいろいろが書いてあるです。とてもおもしろいので覚えますので
──これ……むずかしい字がたくさんね。読めるの?
──読めない字もそのまま覚えて読めるくらいあたま良くなったら内容をおもいだす予定です
──? ……?? 読めないのにおもしろいの?
──読めなくてもふいんきでわかるところもあるです
実際にそんな勉強方法で祝詞を暗記していたりしたのだから侮れない。どうにも首を傾げてしまうような勉強方法ではあるが、熱意と結果は本物だったはずだ。
──そう、でも歩きながら本を読むのは危ないからやめなさい
──いっぱい読みたいので! 仕方ないことなので! 読みま、あっ、ぬわー!
そういえば、あの時見事に転んで典膳と共に水溜まりへと落ちた秘伝の書とやらはどうなったのだろうか。由緒正しい神社の家系が伝える書物が一人の間抜けのせいで駄目になってたとしたらなかなかに悲惨な事なのではないだろうか。
間抜けな言動はともかくとして、目の前の事に対して常に熱心なこの幼馴染は過程の失敗はあれど常に良い結果を掴んでいる。いや、良い結果を掴むまで熱心に挑んでいるというのが正しいのだろう。
これは、普段の言動に隠れてしまいがちだがこの間抜けな幼馴染の唯一尊敬すべき面かもしれない。
負けてはいられない。
私は勇者の選考に落ちた、それは事実だ。だけど、それで金輪際勇者になれないと決まった訳ではない。
負けては、いられない。
「そういえばさ、薬師氏さんはメブの事を探してたみたいだけどよく見つけられたね。
「手当たり次第に『メヴキを捜してます』って聞いて回ったからすぐに見付けられました」
「は?」
手当たり次第? 防人隊も、大赦職員も、出会う全ての人に聞いて回ったという事なのだろうか。
「怪しまれたりしたけど僕は元気です」
「それは、まぁ、見知らぬ男性がここで人捜しなんてしてたら怪訝に思われましてよ」
「なので『大赦からきました、こういう仲です』って言ってこれを見せたらみんなニッコリしながら快く教えてくれた」
「っ!?」
言いながら、典膳が取り出したスマホの画面には幼い頃の私と典膳の姿。それだけならまだいいが、写っている格好が問題だった。
「七五三……?」
「メブにもこんなかわいくてちっちゃい時期が!?」
「華美にして可憐。素敵な衣装ですわね。けれども、弥勒家に伝わる衣装も引けをとってはいませんわよ!」
「これを会う人全員に見せながら歩いたって言うの!!?」
神主姿で無駄に誇らしげな典膳の横に並ぶ七五三衣装で無愛想な過去の自分、別に恥ずかしい行為をしていた訳ではないし恥ずかしい姿のはずでもないのに他者に見られるのが不思議と猛烈に羞恥心を覚えるそれを不特定多数の第三者に見せびらかされた事実に戦慄する。
「神官の家系で大赦の関係者だから不審者じゃないってわかる上に、メヴキとは氏子さんと
「なるほど、更に言うなれば幼馴染である事も証明できますわね。典膳さんは意外と賢いようですわ」
「メブは何をそんなに慌ててるの、とってもかわいく写ってるじゃん」
「楠は小さな頃から楠の顔してる」
私の羞恥に理解を示す人も共感する人もいなかった。
どうにも言葉がでなくてただ額を押さえてしまった。
「夏祭りミニマムメヴキと一緒に写ってる写真と迷ったけど七五三のほうが説得力ありそうでした」
「へー、ちっちゃなメブの浴衣姿かわいいじゃん」
「小さな楠が綿飴片手に典膳のほっぺを引っ張ってる」
「こちらの写真では厳かな雰囲気より楽しげな空気の方が目立つようですから、 大赦の一員としてアピールするなら先ほどの写真の方がたしかに有効そうですわね」
「軽率に他人の写真を拡散しない!」
気恥ずかしさを誤魔化したい気持ちは否定できない。しかし、それはそれとして常識から外れた行為を注意するために隣の席に座る典膳の頬を引っ張る。
「ふぎいぃぃぃ……」
「楠と薬師氏、なかよし」
「わたくしとアルフレッド*2も気安い仲だとは自負してますけどこのような触れ合いはさすがにありませんわね」
「ほっぺをつねる執事がいたら見てみたいよ、いや、むしろ執事そのものっていうかアルフレッドさんとやらを見てみたいなぁ」
「……機会があるのならば会う事もきっとありますわ」
「盛り上がってますね皆さん、私もご一緒してもいいでしょうか?」
テーブルを囲む皆で好き勝手に口を開く中、不意の方向からの聞き慣れた声に振り向けば小柄で長い蜂蜜色の髪をした
「典膳先輩がこちらにいらっしゃるのは珍しいですね、お久しぶりです」
にこやかに微笑みながら私の摘まむ頬の先と眼を合わせる亜耶、明らかに親しみを抱いているであろう姿に二人には顔見知り以上の親交があると察して驚く。
摘まむ力の弛んだ指から典膳の頬がぷにゅんと抜けた。
「お久しぶり! おひさしぶり? そんなにおひさしぶりだったかな? 前会ったのいつだっけ?」
「えーと、夏の盛りに交流会で花火をした時なので二月くらい前ですね」
「二月! 久しぶりだね!」
「亜耶ちゃんと薬師氏さんって知り合いだったの?」
私だけではなくテーブルを囲んでいた全員が驚いてる中で朗らかに会話を続けながらそっと席から立った典膳が空いてる席を引き、亜耶も会釈しながら椅子にちょこ
んと座る。そして、話題の間隙に雀が疑問を抱えていた皆を代表するように首を小さく傾げながら問い掛けた。
「はい、神職交流会とかでお世話になってるんです」
「神職交流会?」
肯定の返事に含まれていた耳慣れない言葉に聞き返す雀。弥勒としずくもそれが気になったのか亜耶への注視を強める。
だが、私はそれよりも気になる事がある。
自然に動いていたから流してしまいかけたが、たった今、典膳が亜耶のために椅子を引いて座らせた事だ。
「はい、余り外に出る機会の無い巫女と大赦の外で勤める神職さん達とで交流して仲良くなりましょうっていう会です」
典膳が、自由奔放かつ言動もどこか幼稚な典膳が誰かのために椅子を引いた。粗暴な訳ではないが気配りや紳士的という言葉からは遠い存在であるはずの典膳が女子のために椅子を引いてあげた。
まさか、の思いが鎌首をもたげる。
「へー、そういうのがあるんだね」
私は典膳が誰かに対して今のようなわかりやすい気配りのある行動をしたのを見たことがない、私自身もされた記憶はない。典膳が今のような気配りをしたのは亜耶が唯一の可能性すらある。
そうだとするならば、典膳は亜耶にとってなんらかの特別な存在の可能性も出てくる。
まさか、の思いが膨らむ。
「色々な場所に行って色んな物事を見て聞いてをした典膳先輩のお話は私や他の巫女にとってとても新鮮に感じられる素敵なお話なので、皆は交流会で典膳先輩とお話するのを楽しみにしてるんですよ」
「典膳さんはお喋り上手なのですね」
私自身はそういった話には疎いと自覚しているが、防人隊の仲間が楽しげに恋愛の話をしているのが耳に入ることがある。同い年である典膳も彼女らと同じように恋愛に興味を持っていてそういった願望を抱えていてもおかしくはない。
どうにも稚気の強い人間ではあるが、典膳もいわゆる"思春期"とよばれる年齢なのだ。
まさか、亜耶に対して、愛らしい女子である亜耶に対して典膳は男子としてアプローチしているのだろうか。
「実はお喋り上手なエリートです」
「全然それっぽく見えないけど大赦の霊的医療班の関係者でもあるんだったっけ。医療関係者って表現するとホントにエリートっぽく見えてくる気がするような……しないような……」
「お喋り上手はなんとなくわかる、薬師氏は初対面なのに話しやすい……ニコニコしてるし背が小さいから威圧感無い」
「交流会のお話だけじゃなくて、巫女が修練を積む施設でちょっと困った事があったらいつも典膳先輩がすぐに解決してくれたりと、巫女の多くは典膳先輩にお世話になってるんです」
ゴールドタワーに招集される少し前くらいにも建て付けの悪くなった引戸を直してもらった。と、嬉しそうに語る亜耶。巫女は細腕のものばかりだから皆毎回その引戸を開けるのに苦労していたからとても助かったらしい。
「作るのはできないけど直すならそこそこ程度なので。お師さんの腕を見てればとても勉強になるので!」
「すごいんですよ、典膳先輩が
「器用ですわね」
父の仕事を見て盗んだのならば日曜大工に困る事は無いだろう。私にとってそれは驚きなんて無い当然の事だ。やはり、驚くべきは典膳と亜耶の距離感の近さだ。
仮に、典膳が本当に亜耶に対して恋愛的な意味で強い興味を抱いているのなら、もしかしたら意識して距離感縮めて自己アピールしているのだろうか。そして、対する亜耶もその距離感に忌避の気持ちを抱いているようには見えない。むしろ、好意的に見ている気配すらある。
「そういう訳で、巫女はみんな典膳先輩をとても頼りにしてるんです。私も小さな頃からそうですしね」
「頼りになる典膳、頼りになる典膳をよろしくおねがいします」
「急に選挙街宣!」
「小さな頃から……薬師氏と国土も幼馴染?」
「年に何度かしか会えてませんが、もしかしたらそう言う関係なのかもしれませんね」
楽しそうにふざける典膳と雀をよそに首をささやかに傾けたしずく。それに対して亜耶が曖昧な言葉ながらもハッキリとした口調で答える。
何故か、その言葉に私は典膳の見慣れない心配りな行動を見た瞬間よりも驚いてしまった。
「あっ、えぇと、"も"って事は典膳先輩と誰かも……?」
「メヴキとは五つの頃から付き合いがあるので、お師さんのお仕事を見せて貰う時はいつもメヴキが一緒ですので」
「えっ! それじゃあ何度かお話に聞いてたお師さんのお家の娘さんって!」
「メヴキです、楠さんちのお家のメヴキをよろしくおねがいします」
大きく眼を開けて驚く亜耶が私と典膳を何度も交互に見る。そして、私も驚きと困惑が冷めやまぬままつられて亜耶と典膳の間に視線を往復させる。
「私の幼馴染の幼馴染は私では無くて、私は知らないけど私ではない幼馴染は私を知っていて……?」
亜耶は多少知っていたようだが私はなにも知らなかった。なんだ、なにが、わからないのかがわからなくなってきた。
そういえば、典膳は昔から独特な感性によって発される不思議な事を言っては周囲を老若男女問わずに混乱させる事があったなと不意に思い出す。
たぶんだけど、典膳は周囲の知能を下げる電波を発している。
「あ、メブが混乱してる」
「どちらも幼馴染でよろしいのではなくて?」
雀の一言に軽い混乱を自覚したので一呼吸の間で思考を落ち着かせようと努める。そして、落ち着きを取り戻したはずの思考で最初に理解したのは、典膳が他者に私の事を話す時は"幼馴染"という言葉ではなくて"師の娘"という迂遠な表現を使っていたという事実だ。
なにやら妙に腹立たしい。しかし、私もほんの少し前に"父の弟子"と表現していたのでお互い様かもしれない。
「何処まで話していいのかわからないからメヴキには大赦での事はあんまり話してなかったかも」
「なにやら人間関係がからまってるね」
「幼馴染に自分の知らないもう一人の幼馴染がいたのと、幼馴染がよく話題にしていた人物と既に友人だったという事ですわね」
「修羅場……?」
好き勝手な事を言いながらも三人も驚きの気配と状況を面白がっている気配を隠せていない。
「うん? ……うん、だいたいわかった」
「何がわかりましたの?」
「紹介します!」
「私は薬師氏が何を言ってるのかわからない」
面白がりながらも驚いていた空気が困惑一色に染まるが、その場全員の視線が集まった典膳はそれに構うこと無く言葉を続ける。
「こちら、国土さんちの亜耶です。神職仲間で妹分みたいなかわいい子です」
「妹、ですか……」
私を見ながらピンと伸ばした指で亜耶へと指差しする典膳。亜耶が嫌ではなさそうな微笑みを浮かべた。
亜耶への認識が妹分だという言葉が妙に安心感を覚える。これはきっと、典膳が亜耶と恋愛的な意味でお近づきになってしまった結果、典膳の自由さに亜耶が困らせられるという事は無いとわかったからだろう。
「こちら、楠さんちのメヴキです。お師さんの娘さんで五つの頃からの付き合いです。人生の半分以上の付き合いです」
満足そうに一度だけ頷いた典膳が亜耶に向き直り、今しがた私にそうして見せたように亜耶へと紹介する。
「えぇと、只今ご紹介にあずかりました、国土亜耶です。芽吹先輩、改めてよろしくおねがいします?」
「こちらこそよろしくおねがいします……?」
小さな体を丁寧に動かし、整った仕草で一礼する亜耶につられて礼を返す。
なにがなんだかよくわからない。
「なに、この……なんだろうこれ?」
「わからない」
「礼儀正しいのは良い事ですわ?」
私の頭がおかしくなってしまったのかと疑問に思えるほどなにがなんだかよくわからない。
しかし、解る事が一つだけある。
「人に指をささない」
「ふぎぃぃぃぃ……」
幼馴染の行儀の悪さを注意しなければならないという事だ。
『ふむ、とうとう解雇ですか?』
「言葉を選ばなければそうなりますわね」
『つまり子供同士の口約束で始まったなんちゃって主従関係を終わらせると?』
「そうなりますわね」
『ふむふむ、別に給料の発生しないただのお茶汲み係ってだけだったから別に構いやしませんがね、どうしてこんな急に?』
「弥勒家の娘が召使い相手に色恋沙汰なんて醜聞ですわ」
『む?』
「わたくしのアルフレッド、今から貴方とわたくしは主従ではなく対等という事ですの」
『むむむ?』
「わたくしのアルフレッド、ずっと、貴方をお慕いしていましたわ」
『む』
「従者ではなく、これからは伴侶としてわたくしと共にいていだけませんか……?」
『……勿論さ、愛しい夕海子。これからも君の傍にいるよ』
っていう過去も未来も無いし没落した家だとしても自らの血に誇りを持って堂々と気高く在る弥勒ただ1人のために紅茶の勉強を頑張ってお茶上手になったパーフェクト執事アルフレッドもいない、現実は非情なのだ。"弥勒夕海子は没落貴族である"略して"みゆぼ"。大事な事だから繰り返す、現実は非情なのだ。
安芸仮面「今日も来たのですか、薬の補充は昨日分でしばらくは足りるはずですが」
安芸仮面「私個人に届け物?」
ストロングゼロ
安芸仮面「…………??」
安芸仮面「今夜はこれを飲んでから寝ろと……?」
安芸仮面「天才と呼ばれる類い人物の考えは相変わらすよくわかりませんね」
安芸仮面は悲しくてツラい夢も光輝いているけど目が覚めた時に現実がツラくなる夢もみない深い眠りにつきました、久しぶりに良い目覚めだったようです。