芽吹「薬師氏典膳は何者かって?ただの幼馴染よ」 作:ቻンቻンቺቻቺቻ
──一切の反撃は考えず、逃げることだけに専念して!
過去の任務までにバーテックスと遭遇することはあった。
撤退しながら戦う苦しい戦いだって何度もあった。
任務の最中に負傷者が発生する事なんて山程あった。
──お前は俺に勝ったんだ。そして俺はお前に従うって約束した。だったら、お前の目標は俺の目標だ。犠牲ゼロにするんだろ? それを、俺もしずくも望んでいるんだ!
──弥勒さん!
──犠牲、ゼロに……するんでしょう……
しかし、大地を揺らすバーテックス、爆撃をするバーテックス、地中を潜航するバーテックス、その三体のバーテックスと同時に追い立てられながら完全に意識を喪失している重傷者を抱えながらの撤退戦。これほど迄の苛酷な状況は初めてだった。
──何やってるんだよお、メブうう! こんなところで死んじゃダメだよおおお!
苛酷だった、苛烈だった、なにもかもが紙一重に命を拾うギリギリの状況続きだった。
──人を舐めるな! 神の使いごときが、人間の邪魔をするなあああ!
それでも、私達は防人は誰も犠牲を出さずに灼熱の大地から帰還する事ができた。
神樹の種の回収は成功、任務は達成された。
だけど、今回も犠牲ゼロを達成できるかはまだわからない。任務の最中にシズクを庇って重傷を負った弥勒が危険な状態のまま目を覚ましてないからだ。
「弥勒さん、丸一日起きなかったね」
集中治療室のガラス越しに眠る弥勒を見ながら小さな負傷だらけの雀がいつもより張りの無い声で呟く。その言葉にスマホの時計を見てみると、たしかに昨日の任務を終えてから丁度丸一日が経過している事に気付いた。
「そうね」
「いっつもあんなにうるさいのに、身動きも無しであんなに静かに寝てると、なんか、こう……なんだろ……」
言葉にできないのか、したくないのか、表情ではありありと不安を示している雀が言葉を濁す。
気持ちはわからなくもない。でも、私達は回復を信じて祈り、待つしかなかった。
「…………」
ガラスの前に立って眠る弥勒を何も言わないまま見続けるしずく。自分も少なくない負傷を負っているのにも関わらずそうし続けているしずくの表情は、唇を横一文字に結んだ暗い表情。
不安、だけではないのだろう。もしかしたら、責任のようなものを感じているのかもしれない。
弥勒の負傷は窮地に陥ったシズクを助けるために負ったものだ、シズクがもっと強く在れるかは自分がどれだけ身体を鍛えられるかにかかっていると考えていたしずくは、シズクが追い詰められてしまった事に自分の肉体を鍛えきれていなかったからだと考えているのかもしれない。
「しずくも怪我は軽くないはずよ。心配なのは解るけど座ってなさい」
「……うん」
その場から移動する気配を見せないまま、どこか上の空な返事。
やはり、自分の責任だと思い詰めてしまっているのだろうか。それはそれとして、立ちっぱなしでは怪我で弱った体から更に体力を失くし、余計に怪我の治りを遅くしてしまうかもしれない。腰掛けていたベンチから一度立ち上がり、動く気配を見せないしずくの手を引いて私が座っていたベンチに座らせる。
「座ってなさい」
「……うん」
繰り返される「うん」の二文字にふと典膳を思い出す。あれも何か思考にのめり込んだり物事に集中し始めたら今のしずくのように何を言っても「うん」の二文字しか返さなくなる。こういう集中力は何かしらの才能がある人間に共通してしまうものなのだろうか。
しずくは体格の差によって生じる不利を埋める判断の速度と身体を動かすセンス、典膳は言わずもがな四国で一番と称されるほどの薬学知識。二人は分野が違えども間違いなく才能を持つ人間だ。
「典膳……」
意図した訳ではないが、口から小さな呟きが漏れる。
もしも、典膳がこの場にいたのならば弥勒事は無いはずだと私は信用している。
しかし、典膳はこの場にはいない。
「典膳くんがいたらなんとかしてくれたのかなぁ」
「無い物ねだりしても仕方ないわ。あっちもあっちで大変な状況らしいもの」
私の呟きを耳で拾ったのか、一度私に視線を寄越した雀も小さく呟く。
典膳は今、医者に対応できない何かで倒れたらしい両親を治療しているし、携帯電話も破損しているらしくて連絡する事もできない。どうあっても頼れる状況ではない。
「でも、やっぱりいてくれたらなぁって思わずにはいられないよ」
「……そうね」
きっと、防人の誰もが同じように思っているだろう。
防人で負傷した事の無い者はいない。全員が典膳の手当てを受けた事があり、全員が薬師としての典膳の頼もしさを知っている。
──生きてるのなら、誰が諦めようとも僕が治します。僕を信じて僕の薬を貴女に使わせてください
生きているのならば必ず治す。典膳はそう宣言して実際にそうしてみせる事を防人は誰もが知っている。
一向に目を覚まさないが弥勒は生きている。典膳ならばきっと、不安と重い空気に満ちたこの場を『僕を信じて、任せて下さい』の一言で安心させて、弥勒の意識も取り戻してくれると信じている。
しかし、それはここに典膳がいるのならばの話だ。今、ここに典膳はいない。
だからこそ、私達は弥勒の回復を信じて祈るしかない。
「……いつだってあっという間にどんな事も手当てを済ませるのに、今回に限ってどうして手こずってるのかしらね」
呟きが重い沈黙の中に沈んで消える。
ただひたすらに祈る時間だけが続いていく。
今この時間ほど、典膳の手当てを求めたのは過去に無い。
◆
弥勒の意識を取り戻さないまま三日目。身動きさえない姿を何十時間も見続けていると、このまま目を覚ましてくれないのではないのだろうかという嫌な想像が心に重くのし掛かってくる。
「メブ、ずっと寝てないんでしょ、ちょっと顔色悪いよ」
「ちょっと程度なら大丈夫よ、こんなんでどうにかなるほどヤワな鍛え方してないわ。」
「弥勒さんが目を覚ますまで休まないつもり? 少しだけでも眠りなよ、弥勒さんが目を覚ましたらすぐにメブも起こすからさ」
「この通りベンチに座って休んでいるわ。それに、私が寝る代わりに弥勒さんが寝てるから問題無いわ」
「寝てないせいかメブがちょっとおかしくなってる」
人間はちゃんと寝ないと死んじゃうんだよ。と、とても困ったように言って仮眠をすすめてくる雀だが、私はここから離れる気は無い。私が今ここから離れたら、これまで犠牲ゼロを目指し続けていた精神が嘘になってしまう気がするからだ。
だから、ただひたすらに信じて祈り、待つ。
待って、待って、待ち続ける。
せめて栄養はもっとしっかりと摂って欲しいと雀が用意してくれたゼリー飲料を昼食代わりに胃へと流し込んでいると、ふと、弥勒を案じて回復を待つ防人達によって重くなっていた集中治療室前の空気がざわついたのを肌で感じた。
「え、薬師氏さん」
なんだ。と、考える前に誰かの驚く声。
思考するより早く、反射的に身体が跳ねるようにベンチから立ち上がって求めていた人物の姿を探して周囲を見回す。そして、幼い頃からよくよく見慣れた小柄な姿を廊下の先に見つけて思わず全身に力が籠る。
「典膳!」
「メブが握り潰して跳ねたゼリーが目に! 目にぃ!!」
「うわ、パイセンが大変だって聞いて駆けつけたら患者が増えてしまったようですね」
急にはしゃぎ始めた雀をそのままに典膳へと駆け寄り、狭い両肩を掴んで確保する。今この瞬間に得意の脱走癖と迷子癖を発揮させて何処かへ行かせないようにするために全力で握り続ける。
「痛たたたた。肩が潰れる、もう一人怪我人増えるぅぅ……」
「典膳! 弥勒さんを診て!」
「ふえぇん、ゼリーが目に沁みるぅ!」
「診る、診ますので放してぇ……肩外れるぅ……!」
診る。と、そう口にしたのならば典膳は確実に診て自分にできる最大の手当てを弥勒に施すだろう。典膳は自分の言葉を嘘にしないために迷子も脱走もそれまではしないはずだ。
言質を得たので典膳の肩から手を離す。そして、そこでようやく気付いたのだが、至近距離で覗く典膳の顔色がいつもより青白くて目元にも隈が浮いていた。
「典膳、あなた顔色悪いわよ」
「メヴキもけっこう悪いですので、パイセンの後でメヴキも診ます」
「ちょっと寝てないだけよ」
「丸三日寝てないのは……ちょっととは言わない」
「メヴキ、ちゃんと寝て」
「ひぃぃん、目を洗ってくる~」
私の言葉にの後にボソリとこぼしたしずくの呟きに典膳がとても渋い表情を見せて珍しく強い口調で私を嗜める典膳。その背後をなにやら元気な雀がふらふらと歩いて何処かへと消えていく。
「私は鍛えてるからあんまり問題無いわ。あなた自身はどうなのよ、医者の不養生は笑えないわよ」
「ちょっとだけとても頑張っただけですので問題無しです。修羅場の合間にきちんと仮眠をとってたので無敵です」
「とてもじゃないけど、無敵の顔色じゃない」
「ふっふっふっ、いやいや、今の僕は無敵ですので」
心配と困惑が入り乱れる声色のしずくの言葉に対し典膳が不敵な笑みを浮かべ、背負っていた小さなショルダーバッグへと手を入れたかと思えばすぐに何かを取り出した。
「疲れをごまかすドリンク~~!」
典膳の小さな手に握られている物は、コンビニやドラッグストアで見かけるやけに高い缶飲料。意表を突かれる意外な物を目の前に出された事で反応に少し困ってしまう。
「……私はそういうのを飲んだ事は無いけど、効果あるのかしら?」
「効果の体感は個人差がありますので」
「つまり?」
「僕にとっては糖分とカフェインの作用で頭をシャッキリとさせたような気分になります」
「気分?」
「健康的な睡眠と栄養の摂取をしてた方が元気になれますね。根本的な疲労回復の効果を実感した事はありませんので、今の僕は眠たいはずなのに眠気が何処かへと旅立った不思議な感覚に陥ってます。今の僕は絶好調にトランス状態になれますね」
「医者の不養生が窮まってるじゃないの、ちゃんと寝なさい」
「薬師氏もちょっとダメになってる」
今しがたまでは弥勒に対しての不安と心配で重い空気になっていたのだが、典膳の発言により別の意味で不安の重い空気が集中治療室前に満ち始める。
弥勒を診ると典膳は言ってくれたが、この状態の典膳に人を診療させて良いのだろうか。不安しかない、大丈夫なのだろうか。
「トランスしてる僕の霊的医療は素面の時よりモリモリですので」
「何がモリモリなのよ」
「できる気がするっていう勢い」
「楠、私はこの状態の薬師氏に任せるより先に少し仮眠をして貰った方がいいと思う」
両親の治療はよほどの修羅場でかなり疲労しているのだろうか、医に関する事でこれほど頼りない典膳は初めてだ。
しかし、私達の不安を小さく笑って流した典膳はここに駆け付けるまでに弥勒の主治医と連絡を取り合ってある程度の状態はある程度把握していると言い、後は実際に自分の目で診て詳細な把握をするだけだと重ねて笑う。
事前にできうる範囲の準備をして事に臨む。こういう所は父が仕事に対する姿勢とよく似ていると感じてしまい、それによってやっぱり大丈夫なのではと自分の中で手のひらが返ったのを感じた。
「そういう訳で、パイセンを診ます」
「そう、それじゃあ、頼むわよ」
フンス。と、意思強く鼻息を鳴らした典膳が通りすがりの看護士を呼び止め、看護士に呼ばれて駆け付けた弥勒の主治医が畏まった雰囲気で典膳と言葉を交わし、その後すぐにサイズの合ってない白衣を借りた典膳が集中治療室の中へと入っていく。
「典膳くんって本当に病院でもなんか凄そうな感じなんだね」
「私も驚いてるわ」
いつの間にか戻ってきていた雀が一連のやり取りを見た後に感心したように、それ以上に驚きながら口を動かす。
私も同じような気持ちだ。典膳にある程度の発言力や自由にできる権限を与えているなんてとても正気とは思えない。そんな病院が患者や怪我人の命を預かっているのだと思うと、とても微妙な気持ちになってしまう。
微妙な気持ちのままガラス越しに弥勒を診る典膳を見る。弥勒に繋がれた機器を見たり、身動きの無い弥勒の手首や首筋に手で触れたり、典膳の小さな背中に隠れてよく見えなかったが懐から取り出した何かを弥勒の額に当てたり、幾らかの診察行為と思われる事をした後に主治医とまた言葉を交わす姿が見えた。
「あ、終わったみたいだね」
頷き合った典膳と主治医が集中治療室から退室し、廊下へと戻ってくる。そして、主治医は典膳に一礼してからすぐにこの場を去っていった。
後に残ったのは、渋い目付きになっている典膳と防人達だけ。
何故そんな表情になっているのか、もしかして、弥勒は典膳にとっても難しい状態なのだろうかという不安が沸いてくる。
「それで、どうなのよ」
「僕にできることはもう何もありません」
「え」
重かった空気が典膳の一言で凍りつく。誰かの息を飲む音が鳴り、背筋が震えそうになるほどに血の気が引くのを感じる。
何もできることはない。それはつまり、どんな処置をしても意味が無いという事なのか。弥勒が助かる術は無いと典膳が認めてしまったという事なのだろうか。
「そ、それって、どういう意味なのよ」
声の震えを自覚しつつ問いかける。
典膳がそれを認めて諦めてしまっては、誰が弥勒を助ける事ができるのか。私は典膳以上に信用できる医療関係者を知らない。そうなっては、これ以上は本当に祈るしかできなくなってしまう。
「それは……ふぁぁ~~」
「ふあぁ?」
唐突に放たれるとても間延びした典膳の吐息。いや、あくび。
瞬時に凍りついていた空気がどこか間抜けな空気へと変貌した。
「おっと申し訳ない、安心したら急激に眠くなってアクビが出てしまったので。状態は良好、これならパイセンは早ければ今日にでも目を覚ましますね」
「それじゃあ、さっきのできることはないって」
「問題無い相手に処方する薬はありませんので」
「へぇ、そう」
できることはないとは何もしなくても問題無いという事で、渋い目付きはただ眠気を堪えていただけらしい。
非常に紛らわしい。完全に典膳の落ち度という訳ではないが、頬をつねってやりたくなる。が、それ以上に弥勒の状態は良好だと典膳の口から聞けた事による安心感が勝り、身体中から重苦しい緊張が抜けて典膳の頬に手を伸ばす事さえもが億劫になる。
「そーいう訳で、やれる事をやって安心したので僕はもう帰りますふぁぁぁ……。両親の状態も安定しましたけどまだ他に調べたい事がありますので」
「そんなにフラフラで大丈夫なの? 少し仮眠してから帰った方が……あ」
立ちながら眠ってしまいそうなほどアクビを繰り返す典膳を引き止めていると、弥勒の負傷により一時的に頭から抜けていた事柄が脳内に戻ってきて私の言葉を途切れさせた。
奉火祭。それに亜耶が捧げられようとしている事を典膳は知っているのだろうか。
「? どうしました?」
渋い目付きながらもまばたきを繰り返して眠気に耐えている典膳が不自然に言葉を途切れさせた私の目を覗き込む。この暢気な様子からして典膳は何も知らないのだろうと察する事ができた。
そもそも、私達が奉火祭を知る直前から典膳は寝る間を惜しんで両親に付きっきりだったらしいし、携帯電話も破損していて誰かと連絡を取る手段も無かった。何か事件があったとしてもそれを早急に知る事ができない状況だったはずだし、ここ数日の事は何も知らないのだろう。
奉火祭に捧げられる亜耶達巫女をどうにか助ける手段を未だに私達防人は得る事ができていない。どれだけ話し合ってもなにも光明は見えなかった。しかし、薬師としてだけではなく、神職としても研鑽に励み続ける典膳ならば何か思い付いてくれるかもしれない。
眠気の限界と忙しさで大変な様子だが、亜耶を妹のように可愛がっている典膳にとっても無関係ではいられないはずの事なので知らせない訳にもいかないだろう。
「奉火祭、って知ってるかしら?」
「え、メヴキの口から奉火祭だなんてディープな単語を聞くとは思いませんでしたので驚きでちょっと眠気が引きましたね。もちろん知ってますが、それがなにか?」
眠たげな渋い目付きからいつもの丸い目付きへ、そのまま二度三度とまばたきをしながら典膳が小首を傾げる。
「大赦がそれをしようとしてて、亜耶がそれに捧げられる対象に選ばれたのよ」
「! ……っ!!?」
最初に丸い眼をさらに丸く大きめ見開き、そのまま険しい目付きへと変わっていく典膳。何か言葉を発しようとしてるのか口を開くものの、そのまま言葉を放たずに数度閉じては開くを繰り返す。
「それで、亜耶達巫女を犠牲にさせないための方法を探しているのだけど何か良い方法を──」
「あっ、あぁ~~……ははは……。そういう事でしたか、なるほどなるほど」
「──知らない……あるの!? すぐに教えて!」
私の話を遮って何かに気付いたように声を漏らして深く息を吐く典膳。その姿に妹分が犠牲になるかもしれない状況への緊迫感は無く、むしろ、余裕すらも感じさせる態度に状況を打破できるのではという期待が大きく膨らむ。
「はは、してやられましたようですね……。役立たず極まれり、それどころか邪魔者でしたか。ははは」
「て、典膳?」
呆けたように、諦めたように、ともすれば、何かが壊れたようにヘラヘラと笑みを浮かべる典膳。
ここ最近で付き合いの長い幼馴染の今までに見たことの無い顔を幾つも見てきたが、この笑みほど似合わない顔は初めて見たと感じるほどに典膳の笑みはどこか異様さを滲ませていた。
最初に笑みを浮かべた時は余裕の現れかと認識したが、この典膳らしからぬ笑みはむしろ典膳の胸の内で何かが張り詰めているからこそなのかもしれない。と、私の勘が告げていた。
「三◯◯年続くこの世界の在り方を享受する者の一人である僕が今更全部台無しにするとでも考えたんですかね。そもそも、奉火祭せざるを得ない状況で僕に何ができるというのやら」
「薬師氏……?」
「…………え、なに」
「ち、ちょっと、典膳、どうしたのよ、大丈夫なの?」
異様さを感じ取った私だけではないらしく、しずくが典膳の顔を覗きこんだり雀が腰を引かせたり、他の防人達も緊張を感じているのか周辺に先程までとは違う重さのある空気を纏い始める。
「大丈夫かって? 大丈夫ですので。亜耶はもうしばらくすれば戻ってくるんじゃないですかね、パイセンの目が覚めるが先か亜耶が戻るのが先かって感じですね」
「何を根拠に……。じゃなくて、貴方、ちょっと普通じゃないわよ」
「僕が普通の人間だった事はありませんよ。それよりも、亜耶について確認してみますか? あっ、ケータイ壊れてるんだった……電話番号を暗記してても意味ないですね」
「確認って、どうするつもりなのよ」
何処かに連絡をしたいなら私のスマホを使うかと聞くと、頷かれたので何も言わずにスマホを手渡す。
「ありがとう。ちょっと通話したいので病院の迷惑にならないように外へ行ってきます」
そう言い残した典膳が立ち去り、誰もが互いに顔を見合わせてばかりな奇妙で居心地の悪い沈黙の中で数分ほど待つと、先程の似合わない異様な笑みとは違ういつもの笑みに眠気と疲労を重ね塗りした顔の典膳が戻ってくる。
「亜耶は既に御役目を解かれてここに向かっているそうですので」
「えっ」
「あっ、忘れない内にこの借りたスマホ返しますね。僕はもうすごく眠くてどうしようもないので寝ます。なんかもう、とんでもなく疲れました」
言いながらさっきまで私が座っていたベンチに靴を履いたまま仰向けに寝そべって目蓋を閉じる典膳。行儀が悪いと軽く頬をつねってやらなければならないような暴挙ではあるが、そうも言ってられないような体調のようなので頬に延びかけた手が止まる。
「えっと、あややが戻ってくるって」
「典膳が言うのならそうなんでしょうけど……」
「詳しい説明が欲しいけど、薬師氏はもう寝てる。はやい」
典膳が言うのならば本当の事なのだろう、典膳はこんな事で混乱を招くような嘘を吐く人間ではない。
居合わせた他の防人達も困惑しながらもそわそわと互いに言葉を交わしたり顔を見合せて落ち着かない様子だ。
「典膳くんは誰に電話を掛けて確認したんだろ、その相手に詳しい事を聞けないかな?」
困惑しきりの中で取り敢えずベンチで寝息を立てる典膳の靴を剥ぎ取って床に置いていると、背後から雀の思い付いたような発言。状況の把握が行き詰まっていた中で、私の思考に一切浮かんでなかった事柄に気付くのはいつも弥勒か雀だ。
「発信履歴に残ってる番号は知らない番号ね」
「大赦の、偉い人……?」
「ちょっと掛けてみるわ」
典膳が断言したのならば亜耶への心配は必要無いはずだが、それでもやはり詳細を知る相手から話を聞いておきたい。秘密にすべき事には気を付けてる典膳が履歴を消さずに電話番号を残している事から、仮に私が間違いなどででも電話を掛けても問題無いと判断している相手なのだろうし、試しに電話を掛けない理由は無い。
「さすがメブ躊躇が無い……あっ!」
先ほどの典膳と同じように通話のために病院の外へと向かおうとしたが、雀の急な驚きの声に足が止まる。何があったのかと視線を向ければガラス窓に貼り付くように集中治療室を覗き込む姿。
まさか。と、思いながら私もガラス窓に貼り付くようにして中を覗き込む。
見えたのは、白いベッドに眠っていたはずの弥勒が薄く目蓋を開いてぼんやりと虚空を見ている姿。
「弥勒さんの目が開いてる!」
「っ! 医者、呼んでくる」
雀の歓喜にいち早く反応したしずくが医者を呼びに走り、遅れて防人達が私と雀と同じようにガラス窓に貼り付くようにして集中治療室の内部に注目する。
長時間の眠っていた直後でまだ意識が完全に定まってはいないのだろうが、間違いなく目を覚ましている弥勒の姿に誰もが喜びの声を放つ。
弥勒が回復した、犠牲にならなかった。その喜びによる感情の奔流が私の思考を全て押し流し、安堵の息がとめどなく溢れてくる。
「医者、呼んできた。すぐ来るって言ってた」
軽い足音の駆け足で戻ってきたしずくの言った通り、医者や看護士もすぐに駆け付けてきて集中治療室へと慌わただしく入っていく。
「解っていても無事に目を覚ましてくれると安心感はひとしおですね」
「! 典膳、起きてたの?」
安堵に浸りながらガラス越しに弥勒の様子や医療機器の確認をしている医師を達を見守っていると、背後からの聞き慣れた声。振り返ると、靴を履き直している典膳の姿が目に映る。
「寝てましたよ。寝ながら見落としていた事に気付いたので起きました」
「見落とし?」
「……この事は僕が確認しておきますので、メヴキはパイセンの回復を喜んでいて欲しいですね」
ほんの一瞬、言葉を探すように沈黙した典膳が微妙に疲れの抜け切らない笑みで私と視線を交わらせる。
数分程度の仮眠だけでは疲労は全然癒えてないのだろう。そんな体調のままでいったい何を確認しにいくのだろうか。
「メブー! 治療室に入って弥勒さんとお話しても良いってお医者さんが言ってたよ!」
睡眠を欠いてでも急ぐほどの大事な事なのか、もう少しくらい仮眠した方がいいのではないか。そう言う前に雀が病院という場にはそぐわない程度には大きな声で私を呼ぶ。
「ほら、パイセンの所に行ってあげてください。僕はもう行きますね」
「そう、気を付けなさいよ。睡眠不足での注意散漫で事故だなんて笑い話にもなりはしないわよ」
弥勒が眼を覚まして亜耶達も戻ってくる、それなのに典膳がうっかり事故にあってしまってはせっかくの犠牲ゼロが台無しだと言うと、典膳はほんの一瞬だけぎこちない笑みを浮かべる。そして、犠牲は少なければ少ないほど良いと同意の言葉を私に返しつつ、集中治療室からの喜びの声が漏れ聴こえてくるこの場から足早に去っていく。
弥勒が眼を覚まし、亜耶も無事に戻ってきた。
そして、その後仮面の神官から
C級お嬢様『アルフレッド』
イケメン有能執事Aさん『紅茶ですね、用意は整っております』
C級『アルフレッド』
Aさん『えぇ、お嬢様好みのお茶菓子も勿論用意しております』
C級『アルフレッド』
Aさん『はい、お嬢様がお望みならば僭越ながら同席し、ティータイムの間はただの友として話相手になりましょう』
C級『……アルフレッド』
Aさん『おや、何か不満かな?』
C級『まさか、貴方に不満はなくってよ。ただ、名前を呼ぶだけでなんでもわかってしまう貴方が少し不思議で』
Aさん『執事をしている時は君の意思に僕の全て捧げているからね』
C級『有能過ぎて逆に恐ろしいですわ』
Aさん『そして、今みたいに執事じゃなくて友として君の傍にいる時は君の幸福に全てを捧げてるのさ』
C級『まるで夢みたいに都合の良い有能さですわね』
Aさん『そう、これは夢なのさ』
C級『え?』
Aさん『君の本当の友と幸福はこんな夢の中には無い。体は癒えた、目覚めの時だよ』
C級『アルフレッド、何を言って──はっ!? そういえば任務はどうなりましたの!? 他の皆さんは無事なんですの!!?』
Aさん『現実では君が一番重傷だったのにまず仲間の心配なんだね、そういうところが愛おしいよ。それじゃ、さようならだ愛しい夕海子。君の幸福を夢の中から祈っているよ』
C級『────!』
C級「…………?」
C級(なんでしょうね、九割九分忘れてしまったけどなんかめっちゃ良い夢見てた気がしますわ~)
アルフレッドなんて都合の良いイケメン有能執事なんて現実にはいない。現実は非常なのだ。
弥勒夕海子は没落貴族である、略して"みゆぼ"はこれにて完結。