芽吹「薬師氏典膳は何者かって?ただの幼馴染よ」 作:ቻンቻンቺቻቺቻ
幸福ふたつ
心停止、無呼吸、低体重、小さく未発達な両腕の麻痺。そんな状態で僕は信心深い両親のもとに産まれたらしい。
辛うじて生きている、でも、次の瞬間にはもう死んでいるかもわからない。多くの人が最善を尽くし、それでも母の胸に抱かれて母乳を飲めるようになれるかわからない、初めて母に抱かれるのは死んだ後の話になるかもしれないし、そう誰もが想像していたほどに僕は死の淵にいたと聞いている。
奇跡が起きたらしい。
神の御業という奇跡だ。
ほとんど生きていない、辛うじて死んでないだけだった赤子。それなのに、翌日の日の出頃には元気に泣きながら細く小さな両腕を振り回していたらしい。
──その身に少しだけ、宿されてます。
当時の巫女が僕の事をそう言ったらしい。薬師氏の家が代々管理する神社の祭神の極々一部が僕に宿り、それが僕を生かしたとされている。
なぜ僕に宿ったのか、僕を生かしてどうしたいのか、誰もが何もわからないけど僕は神の御業で生かされた。
神ではない、神の宿った
人ではない、人の外が混ざった
この命は神秘の産物。そのせいか、僕には只人には認知できない存在を認識することができた。
この身も神秘の産物。そのせいか、僕の周りには僕を通して神への信仰を示す人ばかりだった。
僕に極々一部を宿した神の名はスクナビコナ、薬の神。その影響か、僕は前提となる知識を得た上で知りたいと求めたのならば、連なる紐を引き寄せるように薬の知識を思い出し続けた。
動かないはずの僕の腕が動くのは薬の神が代わりの物を貸し与えてくれたから。その影響か、僕の手はスクナビコナが得意とする調薬や禁厭において微かな狂いも無く正確に動く。そして、その手先の器用さはそれ以外の事にも遜色無く発揮する事ができる。
僕は神ではない。だからなのか、神々やそれ以外の何かを認識する事はできても齟齬の無い十全な意思の疎通をする事はできなかった。でも、それらはいつも僕を見守っていてくれた。特に、僕に多くを貸し与えてくれている神様は僕の瞳を通して世界を見て、僕のみならず僕の周りにある人の営みを見守ってくれている。
僕は人ではない。だからなのか、友達はずっといなかった。誰もが僕に遠慮した。大人も、老人も、年の近い子供も、皆が僕に気を使い続けた。両親でさえも、自らの信仰や神職としての立場と親子という関係の複雑さで悩み続けている様子だった。
神々に囲まれながらも神に非ず、人の中に在りながらも人の外。何処かに僕と同じ場所に在ってくれる誰かや何かがいないだろうかと薄い期待のまま歩き回る毎日だった。
探しはしていたけれど、幼心に人とも神とも言えない僕は全てから外れたままに生き続け、いずれ死んでこの身に借り受けてる神の一部を返すだけの生涯を送るのだろうかという虚無にも似た気持ちを常に抱えていた。
そうはならなかった。
楠芽吹。僕の最初の友達で今も交友が続く幼馴染。
彼女との出会いは鮮烈で衝撃的で痛かった。
当時、老朽化の進んだ薬師神社の修繕に訪れた職人の仕事を僕の瞳を通して見た神が喜び、ただの技術それだけで神を喜ばせてみせたその人に僕が興味を持って探しに行ってみたのが出会いのきっかけだ。
──ひとりできたの?
──うん
──どうして?
──うん
──……あなた、おなまえは?
──うん
最初は職人が庭で勤しむ作業を見学している時に現れては何かどうでもいい事を聞いてくる女の子がいるなというだけの認識だった。
当時、僕は近所に住む老若男女誰にも僕が外れた存在だと認識されて外れた扱いをされているのを自覚していて、僕がどんな存在か知らない遠くからの来訪者なども知ってしまえばすぐに外れた存在として接してきた。
だから、僕に対して普通に接していたその女の子もすぐに僕を外れた存在として遠慮と気遣いしかない扱いをするようになるのだろうと決め付けて、興味の対象である大工仕事の見学を優先しておざなりな反応しかしなかった。
僕のその決め付けはまったくもって的外れで、当時の僕が名前を知ろうともしなかったその女の子は特別だった。
──いいかげん「うん」しか言わないのはやめなさいよ
──うん
──もうおこったわ
その人の元に足を運んだのが五度目の頃、熱にも似た頬への痛み。
きっと、僕はこの日の衝撃を生涯忘れる事はないだろう。
──ふぎぃぃ!?
──ふん、「うん」のほかにも「ふぎぃ」とは言えるのね
その人の元へ行けば必ず現れて何かを話しかけてくる女の子。その程度の認識しかしていなかったし、他の誰とも同じように離れていくのだろうと思っていた女の子がその日も現れ、幾らか話しかけてきた後に僕の頬をこれでもかとつねって捻る。
故意に誰かから痛みを与えられる。それまでそんな経験は皆無だった僕にとって肉体的な痛みがどうでもよくなるほどに心に衝撃を与えてくれた。
──なにを言っても顔もみないで「うん」しか言わない、そんなのムシといっしょよ。ムシはわるいことなのよ。
──ほっぺいたい……その程度のことは知ってますので
──しってて悪いことするのはもっと悪いことだわ!
──ふぎぃ~……!
無遠慮に、対等に、真っ直ぐに。当たり前の事のように僕を叱り付けて鼻息を強くする女の子。
神々のように上から見守るのではなく、何処か遠くから見るのでも何かの隔たり越しに見る他人でもない、目線を同じくしてくれる相手は不機嫌な顔でそこに現れて怒りの心を僕に向けてくれていた。
──しんどーっていうのは大事にされるべきらしいけど、大事にされてても悪いことは悪いことよ!
──! ……ぼくが
──わたしにはあなたがほかの人となにが違うのかぜんぜんわからないわ、痛くて泣きそうになってるふつうの子供じゃない
たしかに痛くて泣きそうになってた。でも、それ以上に泣きたくなるほど嬉しい出逢いだった。
女の子は周りの大人から僕がどんな存在かを聞かされて知っていた。それなのに、女の子は僕をただ対等な子供として扱ってくれた。
──ぼくは典膳、君の名前を教えて欲しいので
──わ、きゅうにニコニコしだした。へんなの
無知だからではない、誰かにそうしろと指示されたからでもない、他に何か目的があってそうした訳でもない。理由の無い対等。当時の僕はその初めての対等に心が震え、そう在ってくれる女の子の事が知りたくて堪らなくなった。
──わたしはめぶき
──め
──め
この時、僕はずっと心に感じていた虚無にも似た気持ちを感じていなかった。この虚無にも似た気持ちは“寂しさ”だったのだと気付いたのはこの瞬間だった。
僕は物心ついた時からずっと寂しかったらしく、芽吹はその寂しさを消し飛ばしてくれた。
神々の庇護によってようやく日常の全てが成り立つこの世界で、誰もが神々に深い感謝と信仰を抱きなから生きるこの世界で、神々と深い縁で繋がりながら産まれた存在がただ対等に接してくれる友を得る事がどれだけの奇跡か。友であってくれる芽吹への感謝は尽きる事無いだろう。
この日から僕の人生は幸福ばかりが続いていった。
──ネコさん、かわいそう……
──すごい、もうこんなに元気に!
──ありがとうございます、てんぜんさん!
──え、年上? じゃあ、てんぜんおにいさんですね
偶然と言えばそれまで、僕が何かと知る前の出逢い方によって動物のお医者さんという印象が強かっただけなのかもしれない。
だとしても、神に与えられた才をふるっただけの僕を頼れるお兄さんとして慕ってくれる亜耶という妹分に恵まれる事もできた。
兄や姉、もしくは弟や妹がいたら最初から虚無に似た寂しさなんて無かったのだろうかだなんてもしもを考えていた事もあったが、僕という息子を育てる心労だけで頭皮が日々侘しくなっていく父の姿に生涯一人っ子なのだろうとぼんやりと諦めていた僕にとってこの出逢いは心踊るものだった。
似合ってないと自覚はしつつも、たまに亜耶と会う機会があれば背伸びしてついついお兄さんぶってしまう事もあった。
でも、そうする事で亜耶に喜ばれると僕にも喜びの気持ちが沸き上がって幸福な気持ちになれた。
幸福で幸福で、とにかく幸福だった。
齢五つの頃に芽吹という特別な友を得て、次の年には亜耶という妹分に出逢い、気付けば物心がついた頃からずっと感じていた虚無感なんて忘れてしまっていた。
この幸福のおかげで、僕は日々近付いてくる喪失も乗り越えられるという自信を持つことができた。
七つまでは神のうち。簡単に説明するならば人の子という存在は齢七つになるまでは神に近い存在という意味だ。
裏を返せば齢七つになってしまえば神から遠ざかって正しく人となるという事でもある。
僕は神童だ。でも、神ではない。
人と人の間に産まれ、神の欠片が混ざった体を持つだけの存在だ。
齢七つになって神から離れるのは僕も同じで、僕は神童としてのほぼ全てを喪失する事になる。それを僕は誰に教えられるでもなく漠然と理解していた。
神から離れて人に近付く事になる。それならばきっと、父も、母も、他の誰かも、今までよりは僕を一人の人として接してくれるかもしれない。
と、淡い期待を抱いたりはしたがそんな事は特に無かった。
僕以外の誰も、僕が神童の終わりを迎えた事を理解しなかった。
僕以外の誰にとっても、僕は神から離れても只の人になることはあり得ない事だった。
僕が神から離れても、僕の中に神の欠片が在り続ける限り、誰にとっても僕は神への信仰を示す道標にしかならなかった。
変わった事と言えばそれまで見えていた神々やそれに類する存在が見えなくなった事と、求めれば求めた分だけ無尽蔵に手に入り続けた薬学の知識が求めても手に入らなくなり、新たな知識を得るためには幾百の勉強と幾千の研究をしなければならなくなったという事だ。
ほんの少し、神との繋がりが遠ざかれば僕は神性にたずさわる者としても薬学者としても無才だったらしい。きっと、僕が神童としてではなく普通に人の子供として普通に育つ事ができていたのならばただの非力なチビだったという事がよくわかる。
齢七つになる前と変わらない部分として僕の薬には加護が含まれるという事があるが、そんなものは感じる事ができなくなっても僕の中に在り続けている神の欠片の影響だ、僕自身の才ではない。
才を失い、僕という存在を見守ってくれている神々を認識する視界を失う。僕の認識していた世界は急激に狭くなったけども、決して虚無ではなかった。
芽吹。
亜耶。
世界が狭くなったからこそ彼女達の存在が際立ち、僕の生きる日常を幸福で彩り続けた。
狭くとも幸福な世界。この頃からの数年間、僕はそれが楽しくて仕方なくて、自分がどんな存在で何をすべく産まれたのか、なぜ薬の神に才を与えられていたのかも考えもせずに遊び呆けてばかりだった。
齢十二、僕はさらなる幸福を得る。
ここから先は、特別ではあったけれどもどうしようもなく無能で愚かな僕の、惨めで滑稽な過去の記憶だ。