芽吹「薬師氏典膳は何者かって?ただの幼馴染よ」   作:ቻンቻンቺቻቺቻ

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脱皮……ヨシ!

 

 その日の訓練を終えるため、私達はクールダウンのストレッチをしていた。

 

「うわっ、なんか痒いなって思ったらいつの間にか蚊に刺されてる。やだなぁ」

 

「どこかから蚊が入り込んでるようですわね、職員に言って蚊取り線香を点けて貰いましょう」

 

「お嬢様と蚊取り線香、絶妙にそれっぽくない組み合わせ」

 

「虫刺されに悩む方が名家らしくなくってよ」

 

 ふとした雀の呟きに弥勒としずくが反応してお喋りをする。防人としてゴールドタワーに招集されてから幾度と見たなんてことない光景。

 

「そういえば、今年は例年よりも蚊が多かったと聞きますわね。そのせいか涼しくなってきたのにまだ蚊が元気なようですわ」

 

「もう治ったけど、私も先週虫に刺されてた」

 

「かゆい~……。なんで虫刺されって気付いちゃったら余計に痒く感じるんだろ?」

 

「わかる、気付いたらもっと痒くなる」

 

「実は私も虫刺されがありますけど掻きむしるのは優雅ではないので必死に我慢していますの」

 

「しずくと弥勒さんも刺されてたんだ、もしかしてメブも?」

 

 毎度の事ではあるが虫刺され等の小さな事柄でよくもそんなに会話が続くものだと感心していると、思い付いたように雀が問い掛けてきた。

 

「私は不思議とあまり虫に刺されないから、もう十年近く刺されてないわ」

 

「えーー、うらやましいな~」

 

 どれだけ記憶を掘り下げても思い出すのはまだ小さな子供だった頃に虫刺されの薬を父に塗って貰った記憶で、あまりにも記憶が古すぎて虫刺されがどんな感じで痒くて煩わしいのかさえ朧気ですらある。

 

「今年は蚊が多いっていうのは私も聞きはしたけど、蚊が飛んでる所も見てないし微妙に耳障りな羽音も聞いてないわね」

 

 蚊の羽音なんて嫌な高音で耳障りだということしか覚えていない。具体的にどんな音だったかなんて頭のなかで再生できないほどに私は長らく蚊と遭遇していなかった。

 

「遭遇すらしないのは不思議ですわね。私自身に流れる弥勒の血が蚊さえもを魅了してしまうのか、この両手で不埒者を葬る事数知れずでしてよ」

 

「素手で虫を潰すお嬢様?」

 

「血液を無抵抗に強奪され続けるのは名家らしくなくってよ」

 

「もしかして、蚊がメブに恐れをなして逃げ出してるんじゃない? 蚊取り線香や虫除けスプレーよりもメブの方が殺虫効果が強いとか」

 

 冗談めかす雀。人を殺虫剤扱いするとはなかなかにいい度胸をしていると思う、是非ともその度胸を防人の任務に生かして欲しいものだ。

 

「虫が寄ってこない。それはもしかしたら、典膳先輩の影響があるかもしれませんね」

 

「え?」

 

 不意打ち気味に掛けられた言葉に振り向けば訓練を終えた防人達が体を冷やさないように汗を拭くためのタオルを配っていた亜耶の姿。差し出された柔らかいタオルに礼を言いながら受け取り、視線で話の続きを促すと亜耶は言葉を続けた。

 

「典膳先輩のご実家である薬師神社は主にスクナビコナ様をお祀りする神社で、そのスクナビコナ様は神格としてお薬の神様だったり禁厭(きんえん)……おまじないの神様だったりするんです」

 

 そういえば、そんな話を典膳から聞いた覚えがあるような……いや、無かった。近所の人達がそれっぽい事を言っていただけだ、典膳自身は私に家や大赦の事をあまり話さないからだ。

 

「そして、スクナビコナ様のおまじないは鳥獣や虫の害を払うものがよく知られていて、とっても御利益を授かってる典膳先輩と小さな頃から一緒にいた芽吹先輩なら影響を受けていてもおかしくないはずです」

 

「へー、御利益! なんかすごそう!」

 

「典膳先輩は今まで一度も虫に刺された事が無いそうです。この前に少し話した交流会の時も典膳先輩の周りにだけ虫が寄ってこなかったんですよ」

 

「御利益が虫除けスプレーの効果……ありがたいような微妙なような」

 

「虫除けスプレーの形容しがたい鼻の奥でモゾモゾする臭いを感じなくても虫が寄り付かないのなら素晴らしい御利益だと私は思いますわ」

 

 眉唾な話にも聞こえる微妙に不思議で曖昧な話にまたも盛り上がる仲間達。その楽しげな様子を見ながら典膳の事でどうでもいい事を少し思い出した。

 

──今年こそクワガタムシもカブトムシも捕まえますので!

 

──へぇ、そう

 

──メヴキも一緒に行く?

 

──いかない

 

 

──今年もダメでした……

 

──そう、器用な癖に虫採りは下手なのね

 

 

──鈴虫とコオロギの音をいっぱい聞いてみたいです

 

──え? 毎日そこら辺で鳴いてるじゃない

 

──近付くと全部黙ります

 

──大人はいっぱい寄ってきて難しい事話すのに虫はウンともスンとも言わないのね

 

 記憶にある限り典膳はとことん虫と縁が無いのだ。それこそ、亜耶の言うとおり神様の御利益とやらが介在しているのではと信じれるほどにだ。

 

「そういえばさ、スルーしかけたけど御利益たっぷりってどういうこと?」

 

「さぁ? なんか凄いらしいけど詳しく知らないわね」

 

 首を傾げながら私に視線を寄越した雀。私達が幼い頃から大人達は典膳を『神童』やら『依童』などと呼んで大切にしていたのは知っているが、私から見た典膳は典膳でしかなくてよくわからないのでそう答えた。

 

「国土さんのように巫女のような何かでいらっしゃるのでしょうか?」

 

「えぇと、どこまで喋っていい事なのか難しいです」

 

 典膳の癖に秘匿されるべき何かを抱えているのだろうか、今まで特に気にした事は無かったが隠されていると知ってしまったせいか無性に典膳の秘密とやらが気になってきてしまった。

 

「ご近所さん達は『神童』とか『依童』ってよく解らない呼称で典膳を呼んでたわ。その辺りはご近所中が知ってたみたいだから大丈夫なんじゃないかしら」

 

「あっ、大々的に公表されはいないのでしょうけど、厳重な秘匿もされてないみたいですね」

 

「公然の秘密というやつですわね」

 

 典膳の秘密は呼称を調べれば全部知れる程度の秘密だったらしい。この微妙さが実に典膳らしい気がした。

 

「率直に言えば、典膳先輩はその身に神様を降ろされたお方なんです」

 

「は?」

 

「あっ、神様をまるごとじゃなくて、ほんのちょっと端っこだけみたいな感じではあるらしいです」

 

「は?」

 

「体も神様が少しだけ干渉したものらしいですね」

 

「は?」

 

「もしかしたら、典膳先輩のために神社を新しく建てて御神体として祀られてたかもしれないお方です」

 

「は?」

 

 まるでいみがわからない、言葉はちゃんとわかったけどが理解がちょっと斜め上でいくえふめいになってる。

 

「え? 神様が少し入ってて体も少し神様? え? もしかして、薬師氏さんってすごくスゴい人……人? だったりする? 私、この前フレンドリーに接してたけど実はとんでもなく失礼してたの? え? やばいやつ? 末代先まで祟られ……むしろ、私が末代に?!」

 

 雀も目を丸くして混乱している様子で、言葉を発してはいないが弥勒もしずくもひどく驚いているのが見えた。そして、直後に三人が一斉に私を見た。

 

「そんなに見られても何もわからないからなにも言えないわよ」

 

 神様云々なんてまったく知らずに今まで接してきたのだ、知らずにいてもなにも不都合なんて無かったし周りの大人に咎められた事もない。典膳は典膳として認識していたので今更神様だなんだと言われてもよくわからない。典膳はどうあってと典膳だ。

 あぁ、そうか、別に今まで問題無かったし典膳はしょせん典膳なのだ。肩書きがどうであろうと何が変わる訳でもないし別に困る事も無いのか。

 

「考えてみたら典膳は典膳だから特に何がある訳でも無いわね」

 

「え? それでいいの? 祟りとか無いの?」

 

「接し方で祟りがあるならこれでもかって典膳の頬をつねった私は今頃どうにかなってるわよ」

 

 露骨に安堵の息を吐く雀。対して今度は亜耶が少し目を丸くさせた後になにやら納得したように微笑みながら頷いた。

 

「典膳先輩が芽吹先輩の事が好きな理由がなんとなくわかりました」

 

「は?」

 

「やっぱりそういう関係だったの!!?」

 

「実は恋愛関係……?」

 

「これは驚きですわね、でも祝福させて貰いますわよ」

 

 瞬時にざわめく三人、気のせいか離れた場所にいた防人達の意識も私達に向けられたのが感じられた。いや、思い思いにお喋りしていた防人達の声が途絶えた上にストレッチを終えて自室に戻ろうとしていた防人も足を止めてこちらを横目で見ていることから気のせいではないらしい。

 

「典膳先輩は恭しく接されるのではなくてなんでもない普通の人として扱われる方が喜びますから、ずっと普通のお友達として接している芽吹先輩の事が好きなんですね」

 

「友達……ラブじゃなくて、ライク……?」

 

「あー、そっちかぁ。ちょっとビックリしちゃった」

 

「え? ……あっ、すいません。なんだか紛らわしい言い方をしてしまったみたいですね」

 

 瞬時に気の抜けた空気に変わり、周囲から感じていた視線も一呼吸の内に霧散する。

 

「さすがに私も驚いたけど、そもそもアレは迷子になってるか部屋にこもって難しい本を読むか怪しい植物を擂り潰してるかしかしないような奴だし、そういう関連の事は頭に無さそうな奴だったわ」

 

「迷子が日常茶飯事ですの?」

 

「アレの迷子癖は酷くて、山にある地元の人にも知られてなかった祠の中に閉じ込められてるのを発見された事もある奴ですよ」

 

「えぇぇ~、それってもう迷子じゃなくて一種のホラーじゃない?」

 

「迷子? ……それ、迷子……?」

 

 ご近所の人達があの日も『また典膳くんが迷子になっておられる』と笑いながら周辺一帯を捜して歩いていたのを覚えている。さすがに陽が暮れてきた頃まで捜しても見付けられて無かった時は大人達が焦りや心配の表情をしていたが、たまに薬師神社で見掛けていたお姉さんが典膳を山から連れて帰ってきた時には『今回は少し胆の冷える迷子だったな』と大人達は皆笑っていた。なので、あれも迷子としてカウントしても問題無いのだろう。

 

「楠のご近所さん達は感覚がちょっとおかしい」

 

「そうかしら?」

 

「何があっても動じなさそうなご近所さん達ですわね、懐が広いのでしょうね」

 

「蓋がされてる廃井戸の中で迷子になってた典膳が見付かった時はさすがに誰もが動揺してたわよ」

 

「あっ、その話は私も典膳先輩から聞いたことあります。うっかり吸い込まれて蓋を閉められちゃったらしいですね」

 

「吸い込まれて!!? なにそれ! 誰が蓋を閉めたの! やっぱりホラーじゃん!!」

 

 亜耶の言葉にぎょっとした雀が大袈裟におののく。吸い込まれたというのは私も初耳なので驚いてしまった。

 

「交流会で怖い話を皆で話してた時に教えてくれたので、ちょっと作り話もまぜてるのかもしれませんね」

 

「どちらにせよ井戸に落ちてたのは本当ですのね」

 

 はぁー。と、あきれたようにも感心してるようにもほうけているようにも見える気の抜けた吐息を吐く弥勒。華美に整った容姿と真反対なとぼけた仕草なのに、それが違和感なく似合っているように思えた。

 それはともかくとして、亜耶の言うように典膳がなにやら神々しそうな秘匿されてない秘密を抱えている神秘的で凄い人物だとしてもしっくりこない。なにせ、典膳の迷子ネタや鼻で笑えてしまうエピソードはちょっとやそっとじゃ語りきれないほどの量があるからだ。

 

「虫が寄ってこないのと井戸に落ちてた話で思い出したけど、蛭が大量発生してた小さな沼に手作りの殺虫剤を投げ込もうとしたら足を滑らせて頭から落ちてた事もあったわね。沼底の泥に顔をめり込ませて溺れてたわ」

 

「薬師氏のエピソードは一つに対して情報量が多い」

 

 翌日には蛭のほとんどが姿を消していたのは御利益とやらの力なのか殺虫剤の効果なのか。たしか、その沼は今では大きな鯉やタニシの生息している子供の遊び場になっていたはずだ。

 

「日常的に大ケガしてそうな事故に遭ってますわね、今の本人が元気なようなので問題は無いのでしょうけど」

 

「今のお話は私も聞いた事のないお話でした。よろしければ他にも典膳先輩のお話を聞かせて欲しいです」

 

「典膳の話なんて大概が迷子の話か失敗談よ? それでいいなら話せるけど」

 

 是非に。と、喜ぶ亜耶と興味津々な三人。別に話なんて減るものでもないので食堂で空腹を満たしながら色々と話をする事になった。

 

 


 

 

 本人のいない場での失敗談にわずかな後ろめたさを覚えつつも聞く側がそれなりに盛り上がってしまっていたのはしばらく前の話。その数日後にあった一回目の結界外調査に心が折れて除隊した数人の穴を埋めるために補充された者達の極々最低限の訓練が完了し、これから二回目の結界外調査が始まろうとしていた。

 

「総員戦闘準備!」

 

 神樹が築いた結界の壁上、安全祈願の祝詞を唱えた亜耶と仮面の神官が見守る中でスマートホンを取り出して操作、若草色の防人装束を身に纏う。

 

「今回も密集陣形でいくわ、二回目の隊員は不馴れな隊員のカバーを意識するように!」

 

 了解の返事を返す隊員達から感じるのは緊張の気配。強張ったような表情の者が多いが気が抜けているよりは断然良いだろう。この先はいわば死地でもある、一切の油断は許されない。

 機敏に動く防人達が号令を合図に陣形を整える、それを確認して大きく息を吸った。

 

「任務中の欠員は許さないわ、総員出撃──」

 

「ふに゛ゃ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」

 

「──は?」

 

 準備万端、いざ出撃しようとした所で何処からか耳に届いた情けない悲鳴に出鼻を挫かれた。

 つい反射的に雀へと視線を向けてしまったが、雀もきょとんとした表情で周りから向けられる視線にキョロキョロと視線を返していた。

 

「え、私じゃないよ?」

 

「雀さんの他にこれほど情けない声を出せる人がここにいらっしゃるとでも?」

 

「たぶん、下から聞こえた」

 

 弥勒の言葉にそこそこの精神的ダメージを受けてそうな情けない顔をした雀をよそに、しずくが壁のふちにしゃがんで壁面を覗き込む。数人の防人達も同じように覗き込み、直後にしずくを含めた全員がわかりやすい焦燥の表情で私へと振り向いた。

 

「薬師氏が崖にぶら下がってる」

 

「は?」

 

「え、典膳先輩が?」

 

 しずくの言葉にほんの一瞬だけ理解が追い付かなかった。瞬きを二度ほどしてようやく理解が追い付いたと同時に体が勝手に動いて亜耶や仮面の神官がそうしているのと同じように壁面を覗き込んでいた。

 

「あーっ! あーっ!」

 

 目に映るのは悲鳴をあげている典膳。わけがわからない。

 植物組織の壁を三割ほど降りた位の場所で細い根を両手で掴みながらぶら下がる典膳の切羽詰まった叫びがやけに耳に響く。

 なんで典膳がこんな場所で冒険小説のクライマックスさながらな命の危機に陥っているのか、まるでわからない。

 ほんとうにわけがわからない、頭がどうにかなってしまいそうだ。

 

「えぇぇ!? 典膳先輩?!」

「薬師氏さん……!!?」

 

 亜耶と仮面の神官が驚愕の悲鳴をあげて身を強張らせる。亜耶と同じように動謡する仮面の神官の姿に、もしかしてこれが神官の素なのだろうか。と、空転しがちな思考が少し逸れた。

 

「ど、どうしようメブ! あのままじゃ落ちちゃうよ! この高さから落ちたら怪我じゃ済まないよ!」

 

「どうするって、決まってるじゃない」

 

 正直な所、半ば混乱気味な自覚がある。しかし、私はそれでもこの防人隊の隊長なのだ、間違った指揮をするわけにはいかない。

 

「私の隊で犠牲が出るなんて許さない、見捨てるなんてありえない、救助するに決まってるでしょ」

 

「メブ! 薬師氏さんは防人隊じゃないよ!」

 

「楠、ちょっと混乱してる」

 

「ですが、見捨てるなんてあり得ないのはまったくもって同意ですわ!」

 

 この場は瀬戸内海にそびえる結界の起点である壁の上、植物組織しかないここに救助の道具なんて存在しない。四国の端よりさらに外にあるここにレスキュー隊を呼んでも到着まで時間がかかってしまって典膳が先に転落してしまう事もあり得る。

 事は緊急、迅速な救助が必要だ。

 ならば、私が自力で即座に助ける他無い。

 

「典膳! すぐ助けるから耐えなさい!」

 

「メヴキ!? えっ、なんでメヴキ!!?」

 

 壁上から身を乗り出して叫ぶように声をかけると、典膳もこちらの存在に気付いたらしい。周囲の声に気付いて視線を向けれるだけの余裕はあるようだ。

 防人装束を後押しがある今なら身体能力は人類の限界をはるかに越えている、多少の無茶でもゴリ押しでどうにかできるはずだと勘で判断。

 

「助けるって、どのように助けるつもりですの?」

 

「直接行って捕まえてきます」

 

「なるほど、強行突破ですわね! 無論、この弥勒夕海子も力を貸しますわ!」

 

「え、つまりどういうこと?」

 

「ノリと、勢い……?」

 

 困惑してばかりの防人隊に待機を指示し、弥勒と二人で身体能力任せにほぼ垂直で起伏だらけの壁面を典膳目掛けて滑り降りた。

 

「あっ、別に手が離れてもすぐ下に乗れるだけの足場がありましたので、特に命の危機でもありませんですね」

 

「……お騒がせな方ですわね……」

 

 危険を冒してまで迅速に駆けつける必要は無かったらしい。

 無駄に焦りを抱いた苛立ちを飲み込みつつ弥勒と二人で典膳の両肩を担ぐように持ち上げ、脚力任せに壁上へと強引に跳んで戻ることにした。

 

 

 

 

 事情聴取された典膳曰く、海沿いを散歩してたら不思議な色合いの丸太舟が浮かんでいたので乗ってみた。波に揺られてたらいつの間にか眠ってしまい離島に流れ着いていて、そこでぶらりと散策して見つけた脱皮に難儀していた蛇を手伝った後、もう一度丸太舟に乗って帰ろうとしたら壁まで流れ着いていたとの事。そして、壁伝いに明石海峡大橋まで行けば陸地に帰れるだろうと考えて壁を登っていたらうっかり手を滑らせてずり落ちかけていたらしい。私達が聞いた情けない悲鳴はその時に発されたものなのだろう。

 話の最初から最後までおかしい所だらけだ、聞いているだけで自分の知っている常識が崩壊するかのような錯覚すら覚える。一番おかしいのは侵入癖をこじらせて誰の所有物とも知れない舟を極々自然に泥棒している事なのだが、これを典膳のご両親が知ったらどう思うのだろうか、あの夫婦は揃って気の弱い人達なのできっと泣いてしまうかもしれない。

 

「ふい゛い゛ぃぃぃ……」

 

「うへぇ……防人装束のパワーアップ込みでほっぺをつねられてる。真顔メブの容赦の無さがすごい」

 

「薬師氏の迷子は情報量が多い」

 

 事故や致し方無い事情があるかもとひとしきりの話を聞いたが、結局はいつもの迷子が更に度を越していただけなので頬をつねってねじる。憎いわけでも怪我をさせたい訳でもないのである程度の加減はしている、これなら泣くほど痛い程度で済むだろう。

 

「話に聞いていた典膳先輩の冒険を間近で見られる機会があるとは思いませんでした」

 

 亜耶が嬉しそうにしているがこれは断じて冒険ではないと思う、これはただの徘徊だ、認知症老人のそれに近いモノだ。

 

「致し方ない事情で本来ならば立ち入りを禁止されてるここに現れた事はわかりました」

 

 先程の動揺していた面影無く無機質に声を放つ仮面の神官。この頭がおかしくなりそうな理由を"致し方ない"で済ませていいのだろうか。

 

「ですが、私はこれから薬師氏様に厳重な注意をしなければなりません。理由はわかりますか?」

 

 いや、無機質のようではあるが、声色にひそかな怒りを感じられる。仮面の神官の邪魔をするべきではないだろうと問い掛けられた典膳の頬を離した。

 

「っス。高所では親綱(おやづな)*1安全帯(あんぜんたい)*2かけて確実な安全対策を実施するべきでしたので」

 

「高い所が危険なのはそうですが、本題はそれじゃありません。今回のように自力での帰宅が困難な場合は大赦へとすぐに連絡するように指導されていたはずです」

 

 仮面の神官が放った言葉にとある事実を認識してしまい、眩暈がしそうな気分になる。

 帰宅が困難なら連絡しろと指導されていたという事はつまり、典膳の迷子癖は大赦も認識しているが迷子になる事そのものへの対策はできず、迷子になってからどうにかするしかないと判断しているらしいと言うことだ。

 最近知った典膳の秘匿されてない秘密が本当ならば、実は典膳は大赦的にそれなりに重要人物のはず、現に仮面の神官も典膳に対して『様』と付ける程度に畏まっている様子だ。それなのに迷子対策を諦められているという事は典膳の迷子癖はもうどうにもならないのかもしれない。

 それと、泥棒行為をスルーしているのはどうかと思う。

 

「楠、凄い顔してる」

 

「これから結界外調査なのにその前から疲れたわ、気を引き締め直さなければいけないわね」

 

「うへぇ、アクシデントが強烈すぎて今から結界の外に出なきゃいけないの忘れてた」

 

 消沈する雀。消沈したいのは私だってそうだ。しかし、そうも言っていられない事をこれから成し遂げなければならない。

 仮面の神官が典膳に懇々と説教しているのを尻目に、アクシデントで少し気が弛んだ雰囲気の防人隊へと語気強く号令をかける。

 

「なにやら全体的にほどよく緊張がほぐれてますわね」

 

「薬師氏のおかげ?」

 

 典膳の"おかげ"なのか、それとも"せい"なのか、どちらにせよ私がやることは変わらない。

 今回も欠員無くお役目を遂行するだけだ。

*1
「親綱」とても頑丈なロープ。工事現場で働く人命を守るために、柱と柱の間等にたるまないよう設置される。プロレスラーみたいに寄りかかってビヨンビヨンすると楽しい

*2
「安全帯」フック付きの命綱。前述の親綱等に繋げて転落事故を防ぐ。クレーンに引っ掛けて空中散歩すると楽しい




 
 
 
 
 
 
 
安芸仮面「ところで、ここまで漂流してきた丸太舟はどちらに?所有者への返却と破損していたら弁償もしなければなりません」
安芸仮面「え?壁と接したらめり込んで絡んで一体化?え?」
亜耶「たしかに壁から見下ろしても舟らしきものはどこにもないですね」
安芸仮面(仮面の裏でIQが溶けた表情をしている)

冒険途中で立ち寄った離島で1000回目の脱皮を遂げた白蛇が神になったようです。肉の身体が朽ちた時に神樹の元へと合流するでしょう。
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