当作六年目突入!!
それに加えて七月には「ポケモントレーナー ハチマン」シリーズを投稿し直し始めて十年が経ちます。
十年もの間、よく書き続けたなと思いますが、これも一重に読んでくださる皆さんがいるおかげです。本当にありがとうございます。
「取り敢えず、シズカさんのところに戻るか」
「う、うん………そうね」
ようやく息が吐けた感覚になり、どっと疲れが出てきた。
プリズムタワーの頂上で、あの強風と金属の唸りと、闇が光を喰った静けさと――全部が一緒くたになって、今も脳味噌の皺の隙間に引っ掛かってるみたいだ。
「つーわけで、ダークライさんや。そろそろ姿を戻しませんかね」
「ライ」
短い返事。
返事だけは素直なんだよな、こいつ。
白い光に包まれると、ヤバい気配がふっと薄くなる。
ラスボスみたいな見た目だったメガダークライは、元の姿へと戻り、俺の影へ沈むようにして形を崩し、黒い染みみたいになって地面へ溶け、最後は何事もなかったみたいに消えていった。
抱き寄せていたハルノの肩からもようやく力が抜けていく。
ハルノはまだ目元が赤い。あの強化外骨格が形をなしておらす、強がりの皮が剥がれて、風に煽られたみたいに感情がふらついている。
……いや、そりゃそうだ。
ここ数時間で起きたことが、重すぎる。
ハルノはその最前線にいたのだ。無理もない。
「……サーナイト、頼む」
「サナ」
今まで静かに事の成り行きを見守っていたサーナイトに合図を出すと、一瞬で周りの景色が変化した。
風が消え、鉄板の冷たさもない。
代わりに土と草の匂いと喧騒音が鼻と耳をくすぐってくる。
「……戻った、か」
プラターヌ研究所。
この建物自体は無事なようだが、他の建物はここから見るだけでも戦いの痕跡が残っている。
「……博士は?」
俺が辺りを見回してそう呟くと、ハルノも同じ方向を見る。
研究所の出入口付近、いつもならあの変態博士が大騒ぎしていそうな場所に――いない。
スタジアムの方にでもいるのだろうか。まあ、アレはそう簡単に死なないだろうから、放っておこう。
代わりに、外で待機していた影が二つ。
「……あ」
ハルノの声が、そこで崩れた。
塀の近くに車椅子がある。
だが、その横に――シズカさんが立っていた。
立っている。
立ち上がっている。
そして、視線がまっすぐ前を捉えている。
エルレイドとバシャーモが二手に別れて辺りを警戒している。上空ではトゲキッスがピクシーを背に乗せて、上から警戒しているようだ。
そしてシズカさんの護衛をしているかのようなゴロンダとブーバーン。
…………あれ?
シズカのポケモンにトゲキッスとかピクシーとかブーバーンっていたっけ?
グズマのポケモン………じゃないよな。
あいつのポケモンはグソクムシャとかハッサムとか、むしタイプが多かったはずだし。
ってなるとやっぱりシズカさんのポケモンだよな………。
俺が知らないだけで、どこかで捕まえていた………?
あるいは元々仲間にしていて、実家の方に預けられていたとか?
それこそ、シズカさんが旅をしていた頃からの仲間って可能性が高い。
それをカイリキーたちがああなったから、一時的に実家から呼び戻したって線が考えられる。
ただ、今聞き出すことではないだろう。
「……心配、かけたな」
シズカさんが、いつもの低い声でそう言った。
その声が、ちゃんとここにあるだけで――背筋がゾクゾクとした。
ハルノが駆け出す。
俺が止める間もなく………いや、止める理由がないか。
「よかった………本当によかったよぉ………!」
ハルノは一目散にシズカさんへ抱きついて、胸元に顔を押し付ける。
堰を切ったみたいに涙が溢れて、言葉がぐしゃぐしゃに混ざる。
シズカさんは一瞬だけ息を呑み、それからゆっくりと腕を回した。
抱き寄せて、頭を撫でる。
「……すまん。怖かったな」
「……っ、こわ……かったよ……! ほんとに……!」
シズカさんの手は、優しい。
その優しさが、余計に刺さる。
あんな目に遭ったはずなのに、誰かを慰める側に回れてしまう。
……強すぎるだろ、この人。
俺は、そんな二人を見ながら――視界の端で固まってる男を見つけた。
「……グズマ」
「……」
グズマが、呆然としている。
目の焦点が合ってない。
いや、合ってない原因は分かってる。
俺が今、ガオガエンのコスプレをしたままだからだ。
この姿、俺と一緒に画面に映っているのを見てたもんな。
「な、なんでエキシビジョンマッチをやってた野郎が、あの女と………」
あ、そもそも俺だと気付いてないのか。
そりゃそうだ。
ガオガエンの覆面で顔も隠れてるんだし。
しょうがない。種明かしをしてやろうじゃないか。
「俺だよ、俺」
「ハンバーグだよ?」
「ちげぇよ」
お前、いつの間にそんなネタを拾ってきたんだよ。
脱いだ覆面投げつけてやろうか?
「お、おま……なに……その……」
言葉が迷子になっている。
覆面の中がヒキガヤハチマンでさぞかし驚いているのだろう。
「落ち着け。これは事情があってだな」
「……お、おま……画面の中に………」
「いたな」
「オレさまの横にも………」
「いたな」
俺が頷くたびに、グズマの顔色が変わっていく。
理解が追いついてない顔だ。
そして最後に、限界を超えたみたいに叫んだ。
「………どうなってんだよォォォ!」
グズマが頭を地面に打ち付け始めた。
やめろ、研究所の前で奇行に走るな。
博士が居たら喜びそうだから余計にやめろ。
「おい、落ち着け。マジで落ち着け。俺も分からん。だが、分からんままでも前へ進むんだよ」
「いやそのセリフ、絶対便利に使ってるだけだろォ!」
ツッコミが戻ってきた。
よし、正常だな。
俺はしゃがんで、グズマの肩を掴む。
「で、俺がリザードンに乗って飛んで行った後、何があった」
「……あぁ?」
グズマは遠い目をして、空を見た。
見上げた先には、ミアレの方向。
煙がまだ薄く上がっている。
「ヒキガヤの兄貴がリザードンと飛んでいってからもちょいちょい野生のポケモンに襲われたんだがよォ………」
「……」
「全部あの女が蹴散らしちまってよ…………」
そう言いながらシズカさんを指差すグズマ。
俺は、立っているシズカさんの背中を見る。
視力が戻って、脚も戻って――溜め込んだものを吐き出すみたいに、野生相手に暴れた。
そういう絵が、容易に想像できてしまう。
何がきっかけだったのかは分からないが、過度のストレスによる一過性のものだとはハルノが言っていたし、急に回復してもおかしくはないのだろう。
専門家じゃないからその辺はよく分からないが、今立っているその姿は現実だ。
グズマは続ける。
「最初はよ、車椅子に座ってたんだぜ? オレさま、マジで『やべぇ、守らなきゃ』って思ったんだぜ?」
「……うん」
「でもよ……目が戻ったって言った瞬間、空気が変わって……」
「……」
「次の瞬間、立っててよォ! エルレイドが『了解』って顔してよォ!」
「分かる」
「バシャーモが『いくぞ』って顔してよォ!」
「分かる」
「オレさまだけが『え? え?』って顔しててよォ!!」
可哀想に。
一人だけ状況についていけずに取り残されてしまったんだな。
「……よし。状況は分かった」
俺は立ち上がって、シズカさんの方へ歩く。
ハルノはまだ抱きついたままだ。
シズカさんはハルノの頭を撫で続けている。
その光景が、胸の奥を熱くする。
……でも、俺にはやることがある。
「シズカさん」
「……ヒキガヤ」
呼ばれて、ハルノが顔を上げる。
涙でぐちゃぐちゃのままだが、隠す気もないらしい。
「ポケモンたちに会う算段は付きました」
「………本当に会えるのか?」
「会うこと自体は可能かと。そのために奴は俺に借りを作りましたから」
態々俺に対して借りを作るなんておかしいとは思ったのだ。
だが、俺がこのために借りを返せと言ってくると分かっての判断なのだろう。スムーズに行えるよう、理由付けのために奴自ら用意してくれたーー。
「そうか」
シズカさんは、ハルノをゆっくり離して立ち上がらせ、まっすぐ俺を見る。
「……頼む」
その目には力強さがあった。
「ハルノ。グズマ。お前らはここで待機」
「え……」
ハルノが言いかける。
だが、言葉が続かない。目が揺れる。
「俺はただの案内人だ。メインはシズカさんで、奴はそれ以外を受け付けないだろうと思う」
「……ハチマン」
「待ってろ。絶対戻る」
言い切った瞬間、ハルノの唇が震えた。
言い返したいのに言えない、という顔だ。
この場で“私も行く”と口にしたら、シズカさんに止められると分かっている。
そして止められたら、きっと今度は自分が壊れる。
だからハルノは、ただ頷く。
泣き腫らした目で、頷く。
「……分かった。待ってる」
「グズマ」
「……あ?」
「ハルノを頼む」
「こうなったら乗り掛かった船だぜ。最後まで付き合ってやるよ」
「なんて言ってるから、サーナイト。俺たちが戻るまで、ちゃんとグズマが働くか見張っててくれ」
「サナ!」
いい返事である。
俺は一度だけ振り返り、ハルノと視線を合わせる。
言葉はいらない。
――戻る。
それだけだ。
そして影へ意識を向ける。
「……ダークライ」
足元の影が、呼吸するみたいに揺れた。
「破れた世界、開ける」
「ライ」
短い返事。
いつも通りの返事。
なのにそれが、妙に準備完了の合図みたいに聞こえた。
闇が、俺たちの足元で口を開いた。
光を拒む、音を拒む、温度を拒む。
初めての黒い穴に、シズカさんが息を呑む。
「……行くぞ」
「うす」
シズカさんのタイミングで踏み込む。
足の裏が世界を踏む感覚が消えて、代わりに落ちるでも沈むでもない、ただただ浮遊感に漂われる。
そして、目の前が裏返る。
空が下にあり、地面が上にあり、風が吹いていないのにもかかわらす、世界が揺れている。
破れた世界。
ここは生者が長居する場所じゃない。
肺が空気を吸っているのに、体が“息をしていない”と錯覚する。
音があるのに、耳が拾わない。
色があるのに、目が信じない。
俺は何度か足を踏み込んではいるが、ダークライの力があってこそだろう。
そして、ウツロイドに憑依されていたからこそ、ここでは無事でいられた。
「……ったく、ほんと嫌な場所だな」
極め付けには既にギラティナが待ち構えているという目の前の光景。
横で唾を呑むのが分かった。
黒い穴に足を踏み込む時以上に緊張しているようだ。
「……いたな」
俺が一歩前に出ると、ギラティナがこちらを見たような気がした。
「ギラティナ、さっきの貸しを返してもらいに来た」
ギラティナは答えない。
答えないが、視線だけで続きを言えと迫ってくる。
俺は唾を呑んで、言葉を続けた。
「シズカさんのポケモンだ。カイリキー、サワムラー、ハリテヤマ」
「……」
「蘇生しろ。返せ」
隣のシズカさんから、拳が握られる音がした。
骨が鳴る。
怒りじゃない。
祈りに近い力の入れ方だ。
「ッ……」
次の瞬間、影から火の玉が浮かび上がった。
ダークライの通訳だ。
赤黒い火。
そこに文字が浮かび上がっていく。
『イチドシンダタマシイデモ、カクヲウシナッタタマシイノフッカツハ、ムズガシイ』
……核。
魂の核。
つまり、壊れたものは戻らない。
火の玉がもう一行、文字を浮かべた。
『ソシテ、フッカツサセラレルノハ、ヒカクテキマダ、ソンショウノアサカッタ、カイリキーダケデアル』
喉の奥が、きしんだ。
――一体だけ。
しかも損傷の浅かったカイリキーだけ。
シズカさんの呼吸が止まる。
止まった呼吸が、次の瞬間、かすれた吐息になる。
「………もう、会えないのか。あいつらには」
その声は、強がりを通り越して、淡々としていた。
淡々としているのに、破れた世界の空気より重い。
火の玉が、さらに続ける。
『ゼンインマダ、タマシイヲホゾンジョウタイニシテアル』
保存状態。
まだ消えてはいない。
だが生き返るとは別の話だ。
そして最後に、火の玉が命令みたいに浮かべた。
『ホゾンジョウタイヲトイテ、タマシイガキエルマデノアイダ、ワカレノアイサツヲスマセ』
――別れの挨拶を済ませろ。
消えるまでの間に。
シズカさんの肩が、わずかに落ちた。
膝が折れそうになるのを、本人が意地で支えている。
「……っ、ふざけてるな」
シズカさんの声が低くなる。
怒りだ。
誰に?
ギラティナに。
世界に。
そして、自分自身に。
ギラティナは動かない。
動かないくせに、空間の圧だけは増してくる。
まるでさっさと決めろと言っているみたいに。
俺は言葉を挟まない。
ここは俺が踏み込む場面じゃない。
踏み込んだら、この人の別れが安くなる。
「私は生かされて………あいつらは助けられないとか………そんなの…………!」
火の玉が揺れた。
次の瞬間――世界の裂け目から、三つの輪郭が浮かび上がる。
カイリキー。
サワムラー。
ハリテヤマ。
「ッ………!」
……いた。
確かに、いた。
だが、三体とも少しだけ光に包まれている。
消えかけの光だ。
保存が解けた証拠。
時間はもう動き始めている。
「…………っ」
シズカさんの喉が鳴った。
言葉が出ない。
目だけが揺れている。
サワムラーが一歩、シズカさんの前へと出る。
ハリテヤマも続く。
カイリキーは、真ん中で拳を握ったまま動かない。
言葉は聞こえない。
でも分かる。
この距離、この目、この雰囲気。
――俺たちはここでお別れだ。
――楽しかったよ。
そんな顔をしてる。
「……バカ言うな」
やっと出たシズカさんの声は、ひび割れていた。
「お前らは……私のだろ。勝手に、居なくなるな」
サワムラーが首を振る。
ハリテヤマが胸を叩く。
ーーいいんだ、と。
ーーお前は生きろ、と。
「ッ………!!」
シズカさんの唇が震える。
震えながら、言葉を探している。
教師としての言葉じゃない。
トレーナーとしての言葉でもない。
もっと剥き出しの、ただの人間としての言葉を探している。
「……っ」
そして、腕が伸びた。
三体をまとめて抱き寄せる。
抱き寄せた瞬間、シズカさんの声が崩れた。
「……今まで、ありがとう」
短い。
短すぎる。
でも、それ以上を言ったら――この人は壊れる。
サワムラーが静かに目を閉じる。
ハリテヤマが、最後に一度だけ笑うみたいに目を細める。
カイリキーが拳を強く握り、シズカさんの腕に自分の額をそっと当てた。
次の瞬間、サワムラーとハリテヤマが光の粒になって崩れた。
…………消えた。
消えた、はずなのにーーー。
「――……!?」
光の粒が散るのではなく、吸い込まれていく。
カイリキーへ。
まるで背中を押すみたいに。
まるで託すみたいに。
そして、消えかけていたカイリキーの輪郭が、逆に濃くなっていく。
筋肉の線が戻る。
呼吸が生まれる。
目の光が、濁りから焦点へ変わる。
「ギラティナめ………」
………そういうことかよ。
二体が燃料みたいにカイリキーへ――いや違う。
燃料じゃない。
残りを全部、まとめてカイリキーに託したんだ。
シズカさんの腕が、空を抱いたまま固まる。
抱いていたはずの温度が消え、残ったのは重みの記憶だけ。
それでもシズカさんは、カイリキーを見る。
見るしかない。
見ることでしか、二体の決断を受け止められない。
完全に輪郭を取り戻したカイリキーが、一歩前に出た。
そして、シズカさんへ向けて――拳を軽く胸に当てる。
敬礼みたいな動き。
いや、誓いだ。
ーー戻ったという誓い。
ーー生きるという誓い。
ーー二体分も背負うという誓い。
それを受け取ったシズカさんは震える手でゆっくりとモンスターボールを差し向けた。
ボールを向けられたカイリキーは自ら開閉スイッチを押して赤い光に包まれていく。
赤い光がボールへ吸い込まれ、カチリと収まる。
ボールは揺れない。
完全に落ち着いた。
「……………」
静寂。
破れた世界の静寂は、音がないんじゃない。
感情が鳴る場所がない。
シズカさんが、ボールを両手で抱えた。
落とさないように。
壊さないように。
もう二度と、失くさないように。
「……行くぞ、ヒキガヤ」
声は戻っていた。
でも、戻り方が違う。
一段、重くなっている。
背負った重さが、増えている。
「……はい」
俺は影へ視線を落とす。
「ダークライ。帰る」
「ライ」
闇が開いた。
破れた世界が裂けて、現世の匂いが一瞬だけ流れ込む。
戻る直前、シズカさんが振り返った。
そこにはもう、サワムラーもハリテヤマもいない。
だがシズカさんは、小さく頷いた。
――受け入れた頷きだ。
次の瞬間、世界がまた切断される。
闇が閉じる。
光が戻る。
音が戻る。
体温が戻る。
ーーーそして、プラターヌ研究所の外。
「……!」
ハルノが駆け寄ってくる。
その目がまず、シズカさんの顔を見て、次に――抱えられたボールを見る。
そこで全部察して、息を呑む。
それでも、笑おうとする。
笑って、泣きそうになる。
「……シズカ、ちゃん……」
「……ただいま」
短い言葉。
でも今のハルノには、それが全部だった。
ハルノが、ゆっくり近づいて、シズカさんの腕に触れる。
触れて、震える声で言った。
「……おかえり……」
「……心配かけたな」
シズカさんが、ハルノの頭を撫でる。
その手は優しいままだ。
優しいままなのが――やっぱり刺さる。
「かっこよすぎだろ………」
俺の独り言はミアレの風に流されていった。