魔法少女まどか☆マギカ [新編]救済の物語(完結)   作:曇天紫苑

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今日は、貴女の誕生日よ

 

 

 十月三日、零時、零分。私にとっては一番大切な存在が生まれた、その日。私はベッドの上に座り、ただ天井を見上げていた。眠れなかったのだ。

 横にはまどかが眠っている。お誕生日になる時まで起きていると言っていたのに、本人はあっさりと眠ってしまった様だ。

 クス、と笑って、私は机の上に置いたペットボトルを握る。まどか……ケンナ……まどかの作ったドリンクが入っていた物だ。

 ペットボトルを撫でて、それから髪留めのリボンを握る。自分の体温で暖まったリボンだけど、そこからはまどかの気配を感じた。

 まどかは此処に居る。けど、もう一人のまどかは居ない。私とまどかを救う為に、宇宙の全てを支配して、消えていった。

 

「まどか、お誕生日、おめでとう……貴女の、初めての誕生日になるわね」

 

 改変された世界での、最早存在しないまどかの、私だけが認識出来る初めての誕生日。

 かつて環之小鳥ケンナと名乗った彼女の、大切な日。

 

「まどか……」

 

 赤のリボンを握りながら、髪を結び直す。

 

「貴女のお陰で、私も、まどかも楽しく過ごしてるわ。魔女も居ないしね。美樹さやかも、今を幸せに暮らす事を優先しているそうよ。全部、貴女の勇気と犠牲で、成り立ったの」

 

 横で眠っているまどかが、私の独白に目を覚ましかけた。けど、すぐに眠り直している。

 安堵しながらも、私はその顔の中に、別のまどかを思い起こした。

 

「貴女は、まどかを連れ戻してくれた。でも、貴女は居なくなってしまって……」

 

 リボンが風も無いのに揺れた気がして、私は思わずリボンを押さえた。

 暖かいが、気休めにもならない。

 

「寂しいの……」

 

 まどかが横に居るのに、そんな気持ちを抱くのは失礼だ。分かっているけど、抑えきれずに声が漏れる。聞かれない様に口を押さえ、こっそりと呟いた。

 

「……会いたいよ…………」

 

 隠していた気持ちが漏れてしまい、私は自分の精神の弱さに辟易した。

 世界を変えるのに、まどかを連れ戻すのに、こんな弱味を残しておいて良いのかとすら感じて、身震いをした。

 

「んっ……ほむらちゃん……まだ起きてるの?」

 

 まどかを起こしてしまった。暗い気持ちを気取られない

様に返事をする。

 

「ええ、ちょっと、外に出てくるわね」

「あっ、それならわたしも」

「まどかは、まだ寝ていなさい」

 

 泣き顔を見られない様に背を向けて、まどかに気づかれない程度に早足で進み、玄関先まで歩いていった。

 

「く……う……ぅ」

 

 息を整えて、悲しい気持ちを誤魔化そうとするが、駄目だった。堪えきれなかった涙が少しだけ流れて、その熱が伝わってきた。

 手の甲で頬を拭い、涙を無かった事の様にする。鏡を見ないと、涙の筋が残っているかもしれない。まどかが見たら、酷く心配させてしまうだろう。

 それは嫌だな。そう思って、顔を確認する為に、洗面所の方へ足を向けた。

 すると、何か小さな音が耳に響いた。

 

「っ?」

 

 それがノックだと気づいたのは、少し遅れての事だ。

 音が聞こえた方向には、扉が有る。外に続く、玄関口だ。

 私のすぐ側にある扉だ。何度も叩かれているのか、音と共に揺れるのが見えた。

 誰かが、玄関扉をノックし続けている。一体、誰がそんな事をしているのだろう。微かな恐怖心が湧き出たが、まどかが同じ部屋に居ると考えるだけで、即座に四散した。

 

「今、開けるわ」

 

 一言声をかけて、ドアノブを握った。扉の先に何が居るのか、確かめなければならない。

 ノブを捻って押すと、扉は軽く開いた。チェーン越しに見ても、その先には誰も立っていない。

 悪戯か。こんな時間に物好きも居る物だ。私はそう判断して、扉を閉めた。出来るだけ物音は立てない。

 まどかの元へ戻るべく、振り返った。そこに女が立っていた。

 

「ほむらちゃん!」

 

 背後に立っていた人は、私のあらゆる反応より素早く、抱きついてきた。

 一瞬で背中に手を回され、背骨を撫でられる。その手つきの優しさを感じて、私は瞬く間に驚喜の中へ飛び込んだ。

 同じくらい背中に手を回して、同じ様に背骨を撫でる。私のそれよりも遙かに伸びた背筋を感じながら、記憶に根付く息遣いの暖かみに心を癒された。

 どうして、何故。そんな事を聞くより早く、私達の魂は通じ合っていた。

 

「ほむらちゃんっ、ほむらちゃん、ほむらちゃんっっ……!」

「まどか、まどかぁっ……まどかぁ……!」

 

 望んでいた物とは、声質が違う。けれど、それは確かに彼女の物だ。

 抱き締めながらも、彼女の姿を確認する。

 長い髪に猛毒よりも濃い呪いの気配を漂わせ、瞳は濁った金色に輝いていた。凄まじい程に美しい顔立ちをしていて、黙って澄まし顔をしているだけでも、十分に芸術と呼べる域に到達している。そんな彼女の顔を彩るのは、仄かに明るく、何より優しげで愛らしい笑みだ。

 あの子とは似ても似つかない。けれど、その笑顔と態度はまさしく、まどかだった。

 

「まどか」

「ほむらちゃん」

 

 お互いに、笑いと共に名前を呼び合う。

 ただ、それだけの事で数ヶ月の隙間が一瞬で埋まった様に感じられた。

 

「あ、あの。えへへ、来ちゃった」

「……貴女は、私が迎えに行くまで一人で寂しく待っているつもりだったと聞いたけれど」

「そ、そうなんだけどねー」

 

 まどかが目を逸らした。見かけはまるで違うけど、その仕草は全く変わってない。

 私が含み笑いを漏らしたのに気づいて、まどかは必死に手を振った。可愛い。

 

「だ、だって。ほむらちゃんがあんな事言うから! 会いたい、とか、何とか……そんな事言われちゃったら、来るしか無いかなって、思ったんだ」

「まどか……」

 

 私の嘆きと弱音を、まどかに聞かれた。恥ずかしいけど、清涼でもある。

 でも、また会えて嬉しい。そう思っていると、まどかは顔を上げて、ちょっとだけ不満そうに私の目を見た。外見と中身が不釣り合いで、妙な気分だ。

 

「ケンナだよ」

「ああ、ごめんなさい、そうだったわね。貴女は、ケンナで良いのだったわ」

 

 環之小鳥ケンナ。彼女はそういう物だった。

 記憶の中に存在するその名前を、私は彼女に当てはめなおした。目の前に居るのは、かつて私が助けられなかったまどかであり、私を助けてくれたまどかであり、ケンナという偽名を持つまどかなのだ。

 

「私の世界だもん、ほむらちゃんが私を必要としてるのに、来れない訳……無いよ」

 

 ま……ケンナがぼそぼそと呟いて、私の手を強く握った。

 暖かい手だ。幽霊や、幻覚の物ではない。確かな肉体を持って、彼女は私の前に現れていた。

 

「とりあえず、中に入りましょう? 」

 

 握った手を引くと、ケンナは小さく頷いて、歩幅を合わせてくれた。

 まどかはまだ寝ているので、起こさない様に寝室を過ぎて、リビングへ行く。小さなテーブルが置かれただけの簡素な部屋で、普段よりは幾らか丁寧に掃除されている。

 私は、ケンナを新品同様の座布団の横まで連れ込んだ。

 

「座って」

「うん……この座布団、私……じゃなくて鹿目まどかのだよね。ほむらちゃんが使ってるのより柔らかいし」

 

 座るなり、ケンナがそう告げてくる。

 その指摘は正しかった。最近、まどかを家に招待する為に買った物だ。

 

「確かにそっちの方が柔らかいけど、こちらは普段からの愛用品だから、古い物だけど手放せないの」

「その気持ち、分かるかも。そういうのって、なんかもったい無いなあって思っちゃうよね」

 

 ケンナが顔を明るくして、何度か頷いた。まどか以外の何者でもない仕草に、気持ちが楽になる。

 外見だけなら非現実的なまでの美人でも、中身は何も変わっていない事に、酷く安心させられた。

 

「麦茶? コーヒー?」

「あ、お茶でおねがーい」

「今持ってくるわね」

 

 コーヒーは準備が居るから、お茶の方がありがたい。冷蔵庫から麦茶を持ち、空いた手で戸棚からコップを二つ取った。

 テーブルに並べたコップに麦茶を七割ほど注ぎ、蓋をして冷蔵庫へ戻す。氷を入れるのを忘れていたので、お茶の上に入れた。跳ねたお茶が手について、少しだけ冷たく感じた。

 

「お待たせ、ま……じゃなかったわね。ケンナ」

「ん、ありがとっ!」

 

 お茶を受け取ると、ケンナはそっと飲んだ。

 喉が微かに動いている事を確認して、私もまたお茶を飲む。市販品で、それほど不味くないが、美味しくも無い。喋りやすくなれば十分だ。

 

「ふはっ……ケンナ、それで、どうやって出てきたの?」

「んぅ。ああ、えっとね。その、色々だよ! 色々なんだ」

「色々、ね」

「そ、そう、色々……」

 

 ケンナはまたお茶に口をつけたが、まるで減っていない。

 

「ケンナ。つまり、何をどう説明すれば良いのか、分かってないのね?」

「あ、あはは……えーっと……あはは……」

 

 一度頷くと、ケンナは恥ずかしそうに顔を赤くした。とても素直で、隠し事は出来そうにない子だ。

 この子に騙されかけた自分がどれほど愚かだったのか、今更ながら再認識した。

 

「そう。まあいいわ。貴女がまどかなら、それで万事問題無し、よ」

「ちょっと複雑だけど、ありがとう」

「どういたしまして。来てくれて嬉しいわ。けど、自由に来れるなら、もっと日常的に顔を見せて欲しかったわね」

 

 こんなにあっさり会えるなら、今までの悲しみと苦しみは何だったのか。

 そう思ったが、ケンナは残念そうに首を横へ振った。

 

「あー。実はね、こうやってほむらちゃんの前に顔を出せたのって、私だけの力じゃないんだ」

「どう言う事? 協力者が居たの?」

「そうだね。何て言えば良いのかなー……あ、ほむらちゃんに似てるかも」

「よく分からないけど、ろくでもない人間なのは分かったわ」

「そういう事は言っちゃ駄目。あ、でもその人も言ってたよ。凄いのは暁美ほむらで、私じゃないんだよ、って」

 

 「二人とも、良い人達だもんね」とケンナは機嫌の良さそうな顔で告げてくる。

 私の心は安堵で暖まった。てっきり、ケンナはずっと一人だと思っていた。一人で寂しく、ただ世界を取り込んだ怪物として存在している物だと。

 でも、それは違った様だ。

 

「一人じゃないのね、ケンナは」

「そうかもね。一人でずっとほむらちゃんを待つのかと思ってたけど、案外、私と同じ様な人って多いんだよ。ビックリしちゃった。世界って広いんだね」

 

 穏やかにお茶を飲みながら、ケンナは嬉しそうに語った。まるで、友達を紹介する様な態度である。明るい雰囲気で、楽しいのだろう。身振り手振りで話す所が子供っぽいと思うと同時に、幸せな気持ちが溢れてきた。

 

「まどかは楽しそうね」

「あ、そう? ほむらちゃんにいっぱい話したい事が有るからかな!」

「ふふ、今日はずっと付き合うわ」

 

 今日だけではなく、ずっと一緒の方が良いのに。

 そう思いながらも、ちらと、まどかが眠っている部屋へ目を向ける。今日はあの子と、ケンナの誕生日。どちらも大切な人。ケンナと話すのは楽しいけれど、まどかを疎かには出来ない。

 

「大丈夫だよ、今日は大丈夫」

 

 私の内心を読んでいたらしく、ケンナは圧倒的な素早さで言葉を告げてきた。

 

「今日くらいは、一緒に居ても良いよね。だって今日は私の誕生日、プレゼント代わりに、ほむらちゃんとお話しするくらいなら」

「そんな事を言わずに、遠慮せず戻ってきてくれれば良いのに。いえ、それより、大人しく私に連れ戻されてくれれば……」

 

 唇に指を置かれて、無理矢理言葉を止めさせられた。

 悪戯っぽく笑う目の奥に、妖しく光る魔女の呪いが浮かび上がり、私は思わず息を呑む。彼女があくまで呪いの存在である事が、とてつもなく悲しい。

 

「だーめ。今はまだ、ほむらちゃんは私を追いかけてないと」

「それでもっ」

 

 立ち上がりかけた私を、ケンナは抱き締める事で止めた。髪を、背中を丁寧に撫でられて、宥められる。

 不思議と落ち着いてしまい、座る様に優しく促された。

 

「ん、ほむらちゃん。今日は特別なんだよ、特別中の特別……毎年戻ってくるけどね」

「それで、私が納得すると思う? 私が納得出来るって、本気で思って言ってるの? 貴女が犠牲になるのが許せないから、私は今の様になったのに?」

「しないだろうね、それでいいんだよ、ほむらちゃんはいずれ私を迎えに来てくれる。今はまだ、それで良いの」

「私が良くないっ!」

 

 テーブルを叩こうとすると、寸前で肌の柔らかい感触を覚えて、慌てて手を引いた。

 私が叩いた場所には、まどか……違う。ケンナの手が有った。赤くなって、後で腫れてしまいそうだ。

 

「まどかっ! 痛くない?」

「平気だよ、むしろ嬉しいな。ほむらちゃんが本気で私を心配してくれてるのが、よく分かったから」

 

 その手の甲を愛おしげに撫でて、まどかは微笑んでくれた。幸い、痛みは無い様だ。

 安心して、肩の力が抜けた。その為か、今までの憤りが薄れてしまう。そこまで分かっていて、ま……ケンナは喋っていただろうか。

 疑うのは良くないけど、前科が有るだけに、少し気になる。

 

「もう、怖い顔しないでよー。折角来たんだから、楽しくしたいのに」

「……そう、ね」

 

 ケンナに言われると、表情が自然に緩んでしまう。

 するりと心に入り込まれるのに、嫌な気がしなかった。

 

「そう、それなら……まどか」

「ケンナだよー」

「まどかと呼ばせて。改めて一言、おめでとうを言わせて欲しいの」

 

 自分を見ているかどうかも分からないケンナに言うのではなく、面と向かってお祝いの言葉を告げられる。その幸福を、ケンナに感謝した。

 

「私の誕生日だね。うん、ありがとう。ほむらちゃんのお誕生日もしっかり会いに行くから、楽しみにしててね」

「……何というか、拍子抜けするくらい簡単に会えるのね。永遠に会えなくなると思っていたけど」

「助けてくれる人が居るからね」

 

 何故か、ケンナは私の顔をじっと見つめた。

 何か有るのだろうか、疑問をこめて見つめ返すと、彼女は目を逸らした。

 

「そうだ、ほむらちゃんのお誕生日、プレゼントは何が良い? 服? アクセサリー? それとも……?」

 

 ケンナが自分自身を指して、期待に目を輝かせている。冗談めかした態度に楽しさを感じて、私は思わず笑みを漏らした。

 しかし、プレゼント。プレゼントだ。困った事になった。

 

「実はね、まど……ケンナ」

「ん? 何かな?」

「貴女に、誕生日プレゼントを持ってきたの。気に入って貰えると嬉しいわ」

「えっ、ほんとほんと?」

「ほんとよ。プレゼントしてあげるから、目を瞑って」

「ん、お願いねっ」

 

 私の言葉をあっさり信じて、ケンナは目を閉じた。無防備に身体の力を抜いて、ちょっと顔を前へ出してくれる。

 黙って顔を近づけてみるが、特に離れようとする反応は見られない。信じきっているのか、それともこれも折り込み済みか。

 しかし、今なら彼女を現世に連れ戻す事も可能だろう。形振り構わずこの子に干渉すれば……いや、その場合、この世界に居るまどかにどんな影響が及ぶかも分からない。

 下手には動けない。ケンナを戻す代わりにまどかを失っては本末転倒だ。

 仕方無く諦めて、何となくケンナの首に手を回す。絶対に拒否されると思ったが、あっさりと終える事が出来た。

 

「ほら、もう良いわよ。目を開けて」

「そう? 分かった」

 

 ケンナは小さく目を開けて、まず自分の首を確認した。違和感が有って当然だ。

 どうして自分はそんな物を彼女につけたんだろう。私自身が、そんな風に思っているのだから。

 

「く……首輪だよね?」

「いえ、チョーカーよ」

 

 桃色を基調とした、金属のベルトと鎖が付いた可愛らしいチョーカーだ。少し首輪寄りのデザインだが、首もとについた薄桃の宝石が光っている。

 

「もう二度と離したくないんだもの。勝手に飛び去ってしまう小鳥には、首輪と鎖が必要じゃないかしら? いえ、これはチョーカーだけど」

 

 じっと見てみたが、ケンナには微妙に似合っていなかった。まどかを意識して買った物だから、外見が異なる彼女につけるのは間違いだ。

 

「……ほむらちゃん」

「あら、どうしたの、ケンナ。ああ、そうね。どうしても嫌だと言うならこれは止めておくわ」

「あ、いや。そうじゃなくてね。っていうか、やっぱりほむらちゃんは悪人になりきれてないよ。だって、ほら」

 

 ケンナはどこからか鏡を取り出して、私の顔を写した。何やら嫌そうに眉を顰めた自分の顔が見えた。

 

「ほむらちゃん、凄く居心地悪そうな顔してるし」

「……そうみたいね」

 

 内心が顔に出ていたらしい。恥ずかしい思いをしながら、動揺しない様に心を落ち着かせる。

 ケンナの目が細められて、私の顔をじっと見ている。何だか座り心地が悪く、座布団に座り直した。

 

「これは冗談。本当は、プレゼントなんて用意してなかったの。まさか来るとは思ってなかったから」

「知ってるよー。ずっと見てたもん。お風呂の中で溜息ついてるのも、私が好きそうな物は何かなってお買い物中に探してくれてた事もね。冗談で買ったこれしか、渡せる物が無かったんだよね」

「……そういえば、お茶菓子が有ったわ。食べる?」

「うん。貰うよっ、誤魔化そうとする所もかわいいよねー、ほむらちゃんってさ」

 

 逃げる様に立って、冷蔵庫へ向かう。来客用……まどかの来客用に、適当に買っておいたケーキの一つだ。まどかの為に買ったけど、ケンナはまどかでもあるんだ、何の問題も無い。

 箱を掴んだ所で、動きを止める。ケンナは何もかも、それこそ何時だって私の日常生活を眺めていた様だ。

 恥ずかしい所も色々と見られてしまったのだろうか。

 

「なにー?」

「……いえ」

 

 悪戯っぽいケンナの視線から目を逸らして、ケーキを運ぶ。

 口に合えば良いのだけれど。どうだろう。

 

「真夜中にケーキなんて、贅沢だよね」

「そうね」

「これ、一切れ食べて良いの? まどかの、じゃないかな」

「お忘れかもしれないけど、貴女だってまどかよ」

「ん、そうだったね」

 

 納得したのか、ケンナは渡してあったフォークを持って、ケーキを小さく切って口へ運んだ。イチゴショートだ。丁寧な切り方で、クリームは全くこぼれない。

 静かに咀嚼して、ケンナは目を輝かせた。

 

「美味しいよー、ケーキなんて久しぶり。ほむらちゃんも食べたら?」

「私は、後で食べるわ」

「んー。分かった」

 

 ちょっとだけ不満そうな顔をしながらも、ケンナはケーキを食べる事を優先した。美味しそうに食べている所を見ると、買ってきて良かったと思う。

 しかし、輝かんばかりの笑顔でケーキを口にする彼女は、外見と態度がまるで合っていない。

 

「……」

「美味しいね、ほむらちゃんのケーキ選びが上手いのかな」

 

 口には出さないが、外見と中身のまどかが不釣り合いなので、妙な違和感が有る。冷たそうな顔立ちと、まどかの暖かく優しい表情が合致しないのだ。

 まどかの姿になってくれれば良いのに。

 

「……」

 

 少し不満を覚えていると、ケンナは顔を上げて、不安そうに私の目を見た。

 

「あの」

 

 こちらの顔を見つめる瞳には、今までとは違った色が含まれている。

 私の不満を読み取られてしまったのだろうか、不安を覚えている内に、彼女はケーキを食べる手を半分で止めて、私に向かって口を開いた。

 

「ほむらちゃん、私の事、やっぱり……恨んでる?」

「え?」

 

 予想外の質問に、私は思わず聞き返していた。

 

「私……まどかは、ほむらちゃんに恨まれてない?」

 

 不快一つ見せず、ケンナは繰り返し私へ問いかけた。

 しかし、どうしてそんな事を聞かれたのかは、分からない。

 

「恨むなんて、そんな。まどかを恨む事なんて、出来る筈無いでしょう?」

「うん、分かってる。けど、不安になっちゃって……」

 

 フォークをお皿に置いて、ケンナは顔を暗くした。認めたくないが、こちらの顔色の方が似合っている。

 しかし、まどかが悲しい思いや辛い気持ちを味わっているのに、それを見逃せる筈は無い。

 

「どうして不安なの? 言ってみて?」

 

 問いかけてみると、ケンナは顔を上げた。瞳が潤んでいた。

 

「だって、円環の理が生まれた世界で、ほむらちゃんはずっと一人だったし。時々、リボンを握って泣いてたんだよ……覚えてるよね」

「ええ、それは、まあ」

「私が、ううん。鹿目まどかが居なくなっちゃったから、ほむらちゃんはそこまで傷ついて、苦しんで。だから、勝手に居なくなった鹿目まどかを、私を恨んでる……かも……とか……」

「バカな事を言わないで、まどか」

 

 反射的にテーブルを叩きそうになり、理性で押さえ込んだ。あまり大きな音を立ててしまうと、寝室のまどかを起こしてしまう。

 極力爆発しない様に注意しながら、私は冷静を装い、言葉を選んだ。

 

「貴女を恨む? ああ、そんな。そんな酷い事を、そんな事をするくらいなら、自分を恨むわ。まどかに全てを背負わせた、弱い自分をね」

「でも、私は怒ったよ」

 

 静かな言葉に、思わず声が出せなくなった。

 何時ものまどかでは殆ど見る事の出来ない、火山の底から湧き出る様な怒りを感じる。明らかな憤怒の現れだった。

 

「まどか?」

「円環の理に吸い上げられた先でね、私はほむらちゃんの今までとこれからを見たんだ、それは、知ってるよね」

 

 静かに肯定を求められて、私は頷いた。

 

「私の為に、って、ずっと頑張ってくれた姿も、その先も、その気持ちだって。私は、沢山のほむらちゃんを介して、ほむらちゃんを理解できた」

 ケンナは目を細めた。私を見る目は、あくまで優しい。

「それで、その時。私は、どう思ったんだと、思う?」

「……さあ」

「自分が憎い、そう思ったんだよ」

 

 自分の胸に手を当てて、ケンナは深い呪いの様な雰囲気を漂わせた。

 しかし、その呪いは私にはまるで向けられず、全てが自らの中へ注ぎ込まれている様だ。

 

「人生で一番、自分が憎いと思ったの。私達は、鹿目まどかは。ほむらちゃんに残酷な事をさせていたんだって。そう思ったら、何もかもぐちゃぐちゃにしたくなった。だけど、ほむらちゃんには幸せになって欲しかったし、誰にも傷ついて欲しくなかったから……だから、私は私自身と引き替えに、ほむらちゃんとまどかが仲良く生きていける結果を作りだそうって……」

 

 ふと、そこで私が動揺している事に気づいたのか、まどかは笑って見せた。乾いた様な、空虚な笑顔だった。

 胸が痛む。彼女にそんな顔をさせた自分は、どれほど弱い存在なのか。自分が弱者である事を突きつけられた気分だ。

 ケンナは私の内心の変化に気づいているのだろう、悲しげな目をして、もう一度笑い顔を晒す。

 

「だけど……やっぱり私はほむらちゃんに、私を諦めて自分の人生を過ごして、なんて言ったりは出来ないんだよね。結局、私はほむらちゃんを縛り付けているだけで」

 腕を伸ばし、ケンナは冗談めかして笑った。

「あーあ……私は、こんなに姿を変えて、少しは悪い子になったのに、何にも、まどかから進歩出来てないんだなあ……なんて、あはは……」

 

 中身の無い、苦しそうな笑い声だ。

 ケンナは言葉を区切ると、またフォークを取ってケーキを口に運び、お茶を飲む。今までの話を無かった事にしようとしている。

 

「……冗談じゃないわ」

 

 小さく呟き、私は座布団を立つ。

 そのまま、怪訝そうなケンナの側へ向かい、横へ座った。

 

「こっちを向いて」

「え、えっと」

「こっちを見なさい」

 

 両肩を掴み、半ば無理矢理顔をこちらへと向けさせる。

 ケンナは嫌がっている様だった。申し訳ない気分になるが、でも、これだけは譲れない。

 

「私の目を見て」

「う……うん」

 

 視線が返ってくる。お互いに目が合い、相手の姿が瞳の中に写った。

 ああ、今の自分はこんな表情なのか。ケンナの瞳越しに自分の顔を確かめて、私は顔色が良くなる様に、口元を緩めた。

 

「私の話を、聞いてくれる?」

「うん……」

 

 耳元へ口を近づけ、言葉を続ける。

 

「まどか、貴女はどうしてそう、自分が誰かを傷つけてるとか、苦しめてるんじゃないかとか、そんな風に考えるの?」

「でも」

「でも、じゃないわ。私はね……まどかと出会えて幸せになれた。幸せになれたの。貴女と出会えない世界なんて想像したくもない程に」

 

 欠片の嘘も無い気持ちを、私は素直に口にしていた。

 恥ずかしさよりも、分かって欲しい思いの方が強い。ケンナの心に私の言葉が届いて欲しい。その一心で、私は彼女の肩を掴み続けた。

 

「私は幸せになれたから。だから、まどかも幸せになって。自分を憎むなんて、そんな事をするなんて……私が、許さない」

 

 ケンナ……まどかの心に届く様に、声を出来るだけ低く、空気を引き締めながら語る。

 

「お願いだから、分かって。私は貴女……まどかの事が大切なの。だから、貴女がそんな風に自分を傷つけるのも、私にとっては耐えられないくらい悲しい事なんだから」

「うん……」

「辛いなら言ってくれて良いの。苦しい事なら何でも相談して欲しいの。何も言わないまま、一人で走るのだけは止めて」

「うん……分かった。約束するよ」

 

 ケンナは頷いて、私を抱き締めた。約束の抱擁だった。

 こうやって彼女に抱き締められるのも、何度目だろう。暖かい身体を感じる度、彼女が存在している事の喜びを感じる。

 抱き返していると、私は、ケンナが微かに啜り泣いている事に気づいた。

 けど、余計な事は言わない。ただ静かに抱き締めて、頭を撫でた。

 きっと、彼女にとって、相当の負担になっているんだろう。彼女の様な優しい子に、私と同じ様な真似はさせるべきじゃないんだ。

 分かっていたのに、どうやっても止められなかった。そんな自分を心の底から嫌悪した、そして、狂おしい程に憎悪した。

 

「私の幸せの為にも、貴女の幸せの為にも……貴女を、いつか、取り戻してみせないとね」

 

 小さく呟くと、ケンナは私を軽く押して、顔を離す。瞳は充血して、潤んでいたけど、涙の一滴も流していない。

 その顔は、小さな笑みを浮かべていた。

 

「……ふふ、いつかは、今じゃないのかな?」

「さっきからやろうとしているわ。けど、貴女はまるで隙を見せてくれないじゃないの」

 

 そんなに嘆き、泣いている癖に。

 彼女は、決定的な隙だけは見せない。そして、例えそのチャンスがやってきたとしても、私は動けない。この世界に居るまどかへと影響が及ぶのが怖くて、何も出来ない。

 

「ほら、またそうやって自分を責める。ほむらちゃんが私に言ってくれた事は、私だってほむらちゃんに言いたかった事なんだよ。自分を傷つけちゃ駄目だって」

 

 自分の無能さに腹を立てていると、ケンナは私の両頬を掴んで、軽く揉んだ。

 

「でもありがと、ちょっと心が楽になったかも」

「ごめんなさい、厳しい言い方をして」

「ううん、大切にされてるのが分かって、嬉しいよ」

 

 彼女の表情が満面の笑みに変わった所を見て、安心する。まだ頬を揉まれている。痛いとは言わないけど、ちょっとした違和感を覚える。

 

「あの、まどか?」

「……なに?」

「……いつまで、揉んでるつもり?」

「んー、満足するまで?」

 

 そう言うと、ケンナは私の頬と自分の頬を撫で、「ほむらちゃんの方がいいね」と小さく呟いた。

 そんな事は無い。そう言おうとしたけど、頬を撫でられ続けていると、喋りにくい。

 

「何で揉みたいの?」

「だって、暫く触って無かったから。久しぶりに堪能したいなーと思って。ダメかな?」

 

 わざとらしく、心配そうな顔をしている。

 演技だと分かっていても、頷くしか無かった。

 

「ダメじゃないけど、程々にしてね」

「ん、もちろんっ」

 

 むにむにと、楽しそうに私の頬を撫でる。やはり痛みは感じられない。見事な力加減だといっそ感心してしまう程だ。

 

「ほむらちゃんは本当に良いよねー。この、こういう可愛さが本当にっ……そうでしょ、そう思わない?」

 

 不意に、ケンナが私の後ろへ目を向けた。目の動きや声の感覚から、それが分かる。

 釣られて背後を確認すると、やはりと言うべきか、そこにはまどかが立っていて、眠たそうに目を擦りつつも、ケンナの顔を見ていた。

 

「……あれ? わたし?」

「起きたんだね、私。……ふふ、残念。ほむらちゃんとふたりっきりでお話の時間は終わりかなー」

 

 私の頬から手を離すと、突き放す様にケンナは私を軽く押して、改めてフォークを手に取る。

 今までの触れ合いを忘れた様に、彼女はケーキを食べ始めた。

 

「ん、美味しい。まどかっ、あなたも食べない?」

「え? あ、それは、食べたいけど」

「じゃあ食べよっか。ごめんね、ほむらちゃん。フォークをもう一本お願い出来る?」

「えっ? ええ……構わないけど」

 

 座布団から立ち上がって、戸棚からフォークを取り出す。静かに背後を見ると、寝起きのまどかがパジャマを着たまま、座布団へお尻を乗せている。

 ケンナはまどかを楽しそうに眺めていて、こうして見ると、同一人物だとは思えない。

 

「ほ、ほんとにわたしなの?」

「それ以外の誰にも見えないでしょ、私」

 

 ケンナが片手を伸ばすと、まどかもまた、同じ様に手を出して、お互いの手のひらを合わせた。それから二人は静かに目を瞑り、何かを通じ合わせる様に

 

「久しぶりだね」

「う……うん。でも、その、大変だよね」

「そうでもないよー? あなたと違って、私は悪い子だし、それにね、助けてくれる凄い人が居るから。凄いんだよー、玉虫色で」

「玉虫色?」

「うん、玉虫色」

 

 状況をよく分かっていないまどかに対して、ケンナは愉快そうに頷いている。

 外見がまるで違うからか、性格にも若干の差が見られる様に感じられた。ケンナの方が、総じて余裕が有る様に思える。

 

「お待たせ、フォークよ」

「ありがとー、ほら、まどか」

「う、うん。ありがと、ほむらちゃん」

 

 戸惑いがちにフォークを受け取ると、まどかは状況が飲み込めていない顔のまま、ケンナと私の顔を見比べた。

 

「……ちょっと似てる、かも」

「え?」

「あっ、ううん」

 

 何かを言おうとして、まどかは飲み込んだ。

 その意志は私には分からなかったが、ケンナには伝わった様で、彼女は静かに微笑み、まどかの肩を軽く叩く。

 

「ごめんね、起こしちゃったかな」

「いや、平気だよ。でも、何だかビックリしちゃうね……まさか来てるとは思わなかったから」

「だよね、我ながら此処に来れたのが不思議」

「……ずっと居られるの? それとも、時間制限とか、有ったりするのかな」

 

 まどかの問いかけに対して、ケンナは少しの間だけ考え込む仕草を取った。

 すぐに答えは出たのか、一度大きく頷くと、今までより明るく笑う。

 

「そうだねー……うん、折角だし、暫く此処に居ようかな!」

「まどか、良いの?」

「まあねー。ふふ、頼れるお友達が居るから」

 

 そう言って、ケンナは私の顔を見ながら、楽しそうにケーキを食べた。

 

「お友達?」

「うん。私の幸せを叶えるっていうのを、何より大事にしてる人。その為なら宇宙を滅ぼせる人、かな」

 

 横から話を聞きながらも、冷蔵庫からケーキをもう一つ取る。まどかが起きたので、彼女の分を用意するのだ。

 お茶とコップを片手に、ケーキを空いた片手で持って、二人のまどかが居る所まで近づく。

 

「なんだか、親近感を覚えるわね、その人」

「あはは、きっと、会ったらビックリするよ……使い魔さんだし」

「?」

「こっちの話ー」

 

 面白がる様に笑い、ケンナは立ち上がってケーキとお茶を受け取ってくれる。遅れてまどかが腰を上げたが、ケンナが軽く手を振って止めた。

 

「でもね、その人が色々とやっててくれるから、時々は会ってお話とか、遊んだりは出来るよ。環之小鳥ケンナとして、だけどね」

 

 よっぽどその人が好きなのか、ケンナの声は楽しそうで、自慢げでもあった。少しだけ、その人を羨ましく思う。

 

「はーい、まどか、あなたのケーキっ、食べ比べしてみよっか」

「う、うん」

「そうだ、歯を磨いて来ないとダメだよ。歯ブラシは……ほむらちゃんの家だけど……ああ、そうだね、まどかの分もちゃんと有るんだっけ」

 

 何で知ってるんだろう、と思ったけど、よく考えたら彼女がそういう事を知っているのは、割と当たり前の事の様に思える。

 きっと、何時も私を見ていてくれたんだろう。

 

「さあさあ、ケーキを食べるんだから、ちゃんと寝起きの歯磨きっ」

「わ、分かった。行ってくるね、ほむらちゃん」

「ええ」

 

 私に一言声をかけて、まどかが立ち上がった。

 そこでケンナが「あ」と声をあげ、軽く手を叩いた。

 

「待って!」

「な、何?」まどかが振り返る。

「言い忘れちゃいそうだから、先に言っておかないとね」

 

 ケンナはにこやかな笑みのまま、目だけを真剣な色に変えた。

 微かな圧迫感を覚えたが、不快ではない。ケンナの纏う気配は、それとなく変わっている。まどかだった彼女は、今、救済の魔女になっていた。

 

「まどか、誕生日おめでとう。これからもほむらちゃんと仲良くするんだよ」

「……うん、大丈夫だよ」

 

 真顔で告げられた言葉に、まどかは大きく頷いた。その瞳は金色に輝いている様に見えた。

 けど、すぐに目の色は戻り、まどかは洗面台へ向かって歩いていった。慣れた足取りだ。

 

「ふふ」

 

 まどかが見えなくなった所で、ケンナは私に小さくウインクをする。

 

「仲良く出来てるみたいで、私は嬉しいよ」

「そうなる様に貴女がし向けたんでしょう」

「まあねー」

 

 ケーキを頬張ると、ケンナはまた「美味しいね」と呟いた。

 強化された聴力が歯磨きの音を捉える。その音を聞きながら、私は座布団へ座り直した。僅かな程度だけど、座布団がまどかに近い位置まで移動している気がする。

 

「楽しそうだね」

「ええ、とても楽しいわ。時々泣く事は有るけど、幸せ。貴女が居てくれたらもっと幸せよ」

 

 素直に答えると、ケンナが片手を差し出してきた。

 その手を掴むと、彼女はもう片方の手で私を捕まえた。

 まどかより手が大きい。けれど、その暖かさは変わらない。

 

「でも無理はしないでね、ほむらちゃん」

「貴女こそ、無理はしないで」

 

 同じ様に、ケンナを捕まえる。

 私達は、こうしてお互いを捕まえているのだろう。お互いの心に鎖を繋いでいるんだろう。自分を呪い、相手を想う心が、私達の中に共通して存在する限り、その関係は変わらない。

 誕生日祝いにしては呪わしい物だけれど、今の私達にはこういう関係が似合う。そう、思えた。

 




本日、私の投稿作品4作は決断的に連続更新されます。
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