次の日の午前十時頃、高山と綾香の二人は東北新幹線のグランクラスに並んで座り、車内で提供される軽食をつついていた。本当はこの車内に美咲もいるはずだった。そしてグランクラスの通路を挟んだ一列のシートには高山が一人で座り、昨日と同じように車窓を見つめながら車内販売のコーヒーをすすり、反対側の二列のシートには美咲と綾香の二人が並んで座り、和食と洋食の軽食をお互いにつつき合うはずだったのだ。
しかし日帰りの予定を名古屋に一泊した美咲は、朝一の新幹線で上京し、高山と綾香に合流するはずが間に合わず、グランクラスは美咲を乗せることなく出発してしまったのだ。
この日は、天気は良かったが風が強かった。そして、東海道新幹線の架線に何かが引っかかり、ダイヤが大幅に乱れているという情報も入っていた。
それでも美咲は本当にギリギリまで間に合う可能性に賭けていたのだろう。美咲から「先に行ってて!」のメールが届いたのは二人の乗るグランクラスが東京駅のホームを離れた後だった。
ただ、今日のスケジュールは昨日と違い、ランチが予約されているわけではなかった。綾香は母親に連絡すら入れていなかった。事前の連絡なく、いきなり母のもとを尋ねたいというのが綾香の希望だった。
特に理由があるわけではない。「ただなんとなく」というのがその理由だった。綾香の母親は老人ホームの住み込み従業員だそうで、事前に連絡しなくても行けば必ず会えるはずだというのだ。高山は綾香の意思を尊重した。
新幹線の中では退屈な時間が過ぎていた。そもそも高山も綾香もどちらかというと寡黙な方だ。美咲はおしゃべりなので三人いるとなんとなく会話が成立する。特にグランクラスとなると美咲のはしゃぎぶりは相当なものだっただろう。しかし、高山と綾香だけだといわゆるバカ話がなかなかできないのだ。
「それで、綾の親御さんの話なんだけど」
そんな沈黙を高山が破った。仙台まで一時間半もの間、なんの会話もなしに二人で旅をするのも難しい。
「はい」
「親御さんの話は全然してこなかったけど、お父さんはもういらっしゃらないのかな?」
「ええ。そういうことになってます。父はもう随分前というか、私が小さい頃に亡くなったことに」
「亡くなったことにって?」
「私が赤ん坊の時に亡くなったって聞いてます。私に父の記憶は全然ありません。でも、本当はまだ生きているみたいなんです」
「どういうこと?」
「母からはお父さんは死んだと聞かされてきました。でも私が売れてからしばらくたって、ルポライターを名乗る人が近付いてきたことがあったんです。その人が『お父さんはまだ生きてるぞ』って言ったんです」
「それで?」
「怖くなって社長に相談しました」
「黒崎に?」
「はい。そしたらもう二度とそのルポライターは私の前には現れませんでした」
「お母さんにその話は」
「してません。父は、本当は生きていて、母はずっと私に嘘をついてきたのかもしれません。でも私はそれを咎める気はありません。母は、母の何か娘にも言えないような事情があって嘘をついてきたのでしょうから。母が苦労してきたことは理解しているつもりですから、母が悲しむようなことはしたくないんです」
娘の心情を高山は刹那に理解した。
「そっか。…娘をアイドルにしようとする親の心理というのは今一つピンとこないんだけど、綾のお母さんも美咲のお母さんと同じようにアイドルの卵だったのかな?」
「そんな風には聞いています。でも父が亡くなってからは本当に女手一つだったですから、苦労したと思います」
「元々仙台の人?」
「ええ。芸能界を目指して高校生くらいの時に上京してきたみたいなんですけど、できちゃった結婚をして、夫にも先立たれて、実家を頼って仙台に戻ったみたいです」
「歳は美咲のお母さんと同じくらいかな?」
「私の親は美咲と違ってできちゃった結婚ですから、私は母が二十歳の時の子どもです。だから、今年五十三かな?先生とあまり変わらないのかもしれません」
「そうだね」
「小学校の高学年になる頃には私ももう一人で新幹線にも乗れましたから、母の仕事の都合とかはあまり関係なくなったんですけど、母は父が亡くなった後、老人ホームに住み込みで働いてましたから、シフトとかあって、私のスケジュールとの調整が大変だったと思います。オーディションの時に母が付き添っていないときもしょっちゅうで、だからオーディションにも落ち続けてたんじゃないのかなとか勝手に思ったりしてます。でもこの年齢になったから分かりますけど、父が死んでからは女手一つで、それでも私をアイドルにしようと頑張ったその情熱ってなんだったんだろうって思いますよ」
「老人ホームで働いてたの?」
「今でも働いてると思いますよ。再婚の話もあったみたいですけど、それも断って、私がスーパーアイドルになることにすべてを注いでいました。私が成功してからは少しお金にも余裕ができたはずなのに、それでも仕事は続けていて、本当に老人介護がライフワークみたいになっちゃってますね。私の母親ということで地元ではちょっと有名になって、それでも天狗にならずに仕事を一生懸命やっていたようで、しばらくしてからそのホームを経営している会社の役員にしてもらったみたいです。私はその後落ちぶれてしまいましたけど、母は引き続き、役員を続けているはずです」
「それはすごいね」
「もっとも役員っていっても本当に肩書だけで、最後に会ったのが何年前だったかは忘れてしまいましたけど、エプロンつけて現場に出てましたよ。本当に役員というのは名ばかりです」
そんな話をポツリポツリとしながらグランクラスは仙台駅に滑り込んだ。
目指す特別養護老人ホームは仙台駅からタクシーで十五分ほどのところにある。高山と綾香は美咲の到着を待たずに目的地を目指すことにした。東海道新幹線は相変わらず遅れてはいるものの動いてはいるようだし、架線に何かが漂着しただけのようだから今日中に美咲とは合流できるだろう。それに三人そろって会いに行ったところでアポは取っていないのだから肩透かしを食らう可能性も否定できない。高山と綾香が先発隊として会うべき人の所在を確認しておく意味はある。
そして、目指す特別養護老人ホームに到着すると応対に出たホームの責任者はもちろん、入居者の何人もが綾香のことを知っていた。母にとっては自慢の娘だったのだろう。
「随分突然に来たね」
施設の玄関に出た責任者が立ち話で応じた。責任者は恰幅がよく、元力士だったのではないかと思わせるくらいの大男だった。年恰好は五十歳くらいだろうか。
「スミマセン。なかなか連絡が取りづらくて……」
綾香がそう言うと、気持ちを察したのだろう。責任者はそれ以上突っ込まなかった。
「でもあいにくお母さんはもうここにはいないんだよ」
「もういないって、辞めたんですか?」
綾香がビックリして聞き返した。高山は静かに綾香の後ろに佇んでいる。
「いや、転勤したんだ」
「転勤?」
「うん。実は塩釜に新しいグループホームを作ってね。グループホームって分かるかな。認知症の人が何人かで暮らす施設なんだけど、それともう一つ小規模多機能という施設も同じ所に新しく作ってね。それでお母さんはそこの施設長として赴任したよ」
「母が施設長ですか?」
「まあ、お母さんは私なんかよりもベテランだしね。随分とうちのためには働いてくれてきたし、適任者ということで選ばれたって訳だ」
それを聞いた綾香は高山の方を振り返り、高山に何か発言を求めた。
「塩釜は遠いんですか?」
高山が責任者に聞いた。
「仙台から仙石線に乗ればすぐですよ。まあ仙台より始発のあおば通の方が近いし、座っていけるかな」
「ここからタクシーでは遠いですか?」
高山が聞いた。
「道が良くないからね。仙石線で行くのがいいと思う。駅から歩いて五分くらいですよ。今、地図をお渡ししますよ」
責任者はそう言って脇にある事務室へと入っていき、地図をプリントアウトしたタイミングがあって紙を手に戻ってきて、その紙を高山に渡した。
「せっかく東京から来てくれたんだからクルマで送ってあげてもいいんだけど、あいにく全部出払っていてね」
施設長は申し訳なさそうに言った。
「いいえ。こちらの方こそ母がいつもお世話になります。ありがとうございました。失礼します」
綾香はそう言って一礼し、後ろの高山も軽く頭を下げた。
施設の外に出た高山はここに来るときに乗ったタクシーの中でチェックしたタクシー会社の電話番号に電話をかけ、迎車を頼んだ。
「スミマセン。こんなことならちゃんと調べて母の所在を確認しておくんでした」
綾香がすまなさそうに言った。
「まあいいよ。今日中には会えそうだし。明日も休みだし、急ぐことはないよ。それに、綾もお母さんに会うのは気が進まないんでしょ?急ぎたくないというのが本音なんじゃないのかな?」
「はい…」
綾香は歯切れが悪い。
「離婚したこと、バツが悪いのかな?」
「離婚したというより、セレブになり損ねたというか、セレブから脱落したことが申し訳なくて。母は私にそれだけ期待してましたから。それに応えられなくて会わせる顔がないというか…」
「別に君のせいじゃない。それに子どものふんどしで相撲を取ろうとするなんて親の方がどうかしてると思うけど」
「普通ならそうかもしれません。でも私は母子家庭に育ったんです。母の苦労は身に染みて分かってます。母は元アイドルでした。その頃の雑誌とかも見たことがあります。その輝きを捨てて私を育てざるを得ない運命だったんです。私がいなければ母はもっと輝けるのにって思ったこともあります」
「そのエネルギーで君は成功したって訳か」
「そうですけど、……結局は母を失望させてしまいました」
「…まあいいよ。昨日の美咲じゃないけど、なんだかんだいっても親は子どもに会いたいものさ」
「そんなもんですかね?」
「君も人の親になれば分かるよ。この世には色々な愛の姿があるけど、母親の子どもに対する愛情が一番強い。母親は子どものことを絶対に見捨てないよ。たとえ子どもに殴られても、子どもが犯罪者になっても、母親は自分の子どもを守ろうとするはずだ」
「分かります?」
「もう既に聞いてると思うけど、僕は生物学的には男だけれども社会学的には女性だ」
「はい」
「つまり、家の中では僕が母親役だということだよ。だからその気持ちは僕にも分かるんだ。痛いほどね。そういう本を書いたこともある。タイトルは『男が母性を発揮するとき』。もっともその本は僕が作家としてデビューする前に自費出版で出した本で、もう絶版してしまって手元にもないから綾は読んでないと思うけど。中古サイトでは出回ってるかな?今日、君に会ったらお母さんは色々と文句を言うと思う。でも本当はとっても嬉しいはずだ。涙が出るくらいにね」
高山がそう言うとハザートを点滅させたタクシーが到着し、二人は乗り込んだ。
本塩釜駅は高架駅ではあるものの駅も駅前もシンプルな作りで、駅を降りると地図を見るまでもなく、スルスルと目指すグループホームまで歩いていくことができた。そしてグループホームの前では年齢不詳というにふさわしい女性が玄関前を掃除していた。その姿が美咲の父と重なり、高山はその人が今日、会うべき人であることをそれとなく感じ取った。
「お母さん!」
綾香は十メートル手前でそう叫ぶと母のもとにかけよった。母は顔を上げた。
「綾!来たんだね」
母はあまりビックリしていない様子で言った。
「知ってたの?」
「さっき仙台の施設長から電話が来たよ」
なるほど。それで玄関前を掃除していたというのは一秒でも早く会いたかったからなのだろう。
「こちら高山新先生。今、とってもお世話になってるの。…あっ、でも今のうちに言っとくけど、別に高山先生と結婚するんで、結婚のあいさつに来たんじゃないからね」
そう言って綾香は高山を紹介した。美咲と同じように、久し振りの再会だというのに親子の間は事務的で冷たい。高山は「高山です」と言って一礼した。
「初めまして。綾香の母です。さあどうぞ中にお入りください」
母は二人を施設の中に入れ、玄関の脇にある事務室の中の中年女性に「クミさん、ゴメン、お茶入れてもらえる」と声をかけた。中年女性は面倒臭そうに無言で席を立ち、二人は「施設長」の札のある机の脇の応接を勧められた。母は二人と向き合って座った。
「今まで何も連絡せずにごめんなさい」
綾香は座ったまま深く頭を下げた。
「翔君とは別れました」
綾香が素直な口調で続けた。一瞬間があった。
「……そうだね。まず、その説明を受けないといけないかしら」
「怒ってる?」
「そりゃそうだよ。なんの相談もなく、いきなりだったんだもの。相談どころか、本人の口からさえ聞いてない。娘の離婚をマスコミの報道で知る親の気持ちにもなってみてよ」
母はなじるように言った。
「ごめんなさい」
綾香は言い訳することもなく、素直に頭を下げた。
「まあいいよ。取り敢えず元気ではいるようだし。子どもの元気な姿を見てうれしくない親なんていない。岩崎さんの調子が良くなかったことは誰でも分かる。綾にプロ野球選手の妻としての実力があればもっとなんとかなったのかもしれないけど、どうしようもなかったね。私は綾がアイドルとして成功すれば玉の輿に乗れるってことしか考えてなくて、玉の輿に乗った後のことは考えていなかった。もっと別の勉強もさせておけばよかった。綾がこうなっちゃったのは元をたどれば私のせいかもしれない。それで、……こちらにいらっしゃるのが新しいだんなさんじゃないとしたら新しい事務所の社長さんかな?」
綾香は一瞬間を取り、高山と顔を合わせてから続けた。
「…まあ、新しい事務所の社長さんかと言われれば当たっていなくもない。高山先生は、作家として有名なんだけど、それ以外にもシステムエンジニアとか社会保険労務士とか色んなことをなさっていて、それで、今、私は先生の社会保険労務士事務所の職員として働いてるの」
綾香がそう言うと母はビックリした表情を見せた。
「…随分と堅いこと始めたんだねえ。それはちょっとびっくり。綾にそんなことできるとは思わなかったよ。どういうきっかけなんだい?」
「美咲の紹介だよ」
「あの美咲ちゃん?」
「美咲が今、どこで何をしているか知ってるよね?」
「ああ、東京のどっかで市議会議員をやってるっていうのは聞いてるけど」
「そう。それで、美咲はR市で女性団体の活動をしていて、DV被害者の救済活動もやってるの。それで、……私は翔君の件で美咲を頼って逃げてきたの」
「……DVって、まさか岩崎さんが?」
「そうだよ。一年前は全身あざだらけだった」
「岩崎さんが綾に暴力を」
「その話はもういいよ。終わったことだから」
「だから離婚したっていうの?」
母は信じられないといった声で尋ねた。
「そう」
「…そうだったの。…私は、……岩崎さんが落ちぶれたんで綾が捨てたのかと思ってたよ」
「はあ?」
「週刊誌とかもそう書いてたし」
「そっか。そんな記事、読んでなかったよ」
「そうか。……そうだったんだ。それは辛かったね。それならそれで、こっちに帰ってくれば良かったのに」
「そんなことできないよ。だって、……お母さんは、私が大金持ちと結婚してセレブになるのをずっと夢見ていたから……」
綾香がそう言い、少し間があった。
「…そうだね。結局、綾には辛い思いをさせてしまったね。あの頃はお母さんも綾を育てるのに全力でさ。でもどんなに頑張ってもうまくいくことはなかった。もし綾がいなかったら、私は自殺していたかもしれない」
「お母さん」
「実はね、綾には嘘をついていたことがあるの」
「嘘?」
「綾の父親のこと」
「お父さんのこと?」
「綾の父親はもう死んだと言ってきたけど、それは嘘だったの」
「うん」
「私も綾の父親も同じアイドルの卵として頑張っていたんだけど、綾ができて、二人ともそれぞれの事務所を追い出されて途方に暮れた。それでも綾の父親は私に愛情を注いでくれていた。最初のうちはね。でも綾が産まれて、私の注意が綾に向くようになると激しく嫉妬して暴力をふるうようになったの」
「暴力って、お母さんもDVを受けてたってこと?」
「お母さんだけじゃないよ。綾もだよ。覚えているわけないけど、綾は病院に救急搬送されたこともあるの。それで、耐えられなくなってお母さんは綾を連れて逃げたの。それからは色々とゴタゴタがあって、落ち着くまでに随分と時間がかかった。綾の父親は傷害で逮捕されて、それはすぐに釈放されたんだけど、それからクスリを始めるようになって、それでまた警察のやっかいになった。その後、正式に離婚して、もう私自身がアイドルになることは完全に諦めて、自分の人生そのものも諦めて、こっちで介護の仕事を始めたの」
「そっか」
「あんまりビックリしないんだね?」
母は腑に落ちない顔を娘に向けた。
「実はね、……ホントのこと言うと、私、聞いてたの。お父さんが生きてるってこと」
「ええっ?…会ったのかい?」
「ううん。会ってはいない。ただ、売れてた頃、マスコミ関係の人からそんな話を聞いたことがあるの」
「それで?」
「社長に相談したら、それからそんな話をする人はいなくなった。たぶん、社長が色々と動いてその話はなかったことにしたんだと思う。だから今思うとあの話は幻だったのかもしれない」
「ゴメンね。今まで嘘ついてて」
母は静かに謝った。
「いいよ。お母さんもそれどころじゃなかっただろうから。それは理解してるつもりだから」
「父親に会いたいかい?」
綾香はしばらく沈黙し、それから首を横に振った。
「ううん。私はお母さんがもうボケちゃってて、記憶違いをしてるんだと思う」
「えっ?」
「お父さんはもう死んだんだよ。いいじゃない。もうそれは。今が幸せであればさ」
「……今は幸せかい?」
「よく分からない。でも、一生懸命生きてるっていう実感はある。今は自分の足で歩いているから」
「自分の足で歩く?」
「今までは誰かが作ってくれた道の上を歩かされていただけ。でも、今は自分の足で自分の行きたい道を歩いている。もちろん贅沢はできないけど、でも食べていかれないわけじゃない。本当の幸せっていうのは案外こういうものなのかもしれない」
「そっか。食べていかれないわけじゃないなんて、そんな言葉が綾の口から出るとはね。まあ、元気な綾の姿を見て安心したよ。今日は来てくれてありがとう」
母はそう言ってニッコリ微笑んだ。
「それで、今日来たのは別に今までの報告をするためじゃないの。これからのことを報告するために来たの」
「これからのこと?」
「私、結婚することにした」
「…そう。…おめでたい話なんだね?」
母は驚きを見せず、冷静に受け止めた。
「うん」
「で、お相手は?」
「美咲だよ」
「はあ?」
「『はあ?』だよね。みんなそういう反応をする。私もね」
「美咲って、あの美咲ちゃんだよね?」
「そうだよ」
「何バカなこと言ってるんだい。美咲ちゃんとはそういう間柄だったのかい?」
「違うよ。まあ、私一人で来たらバカなこととしか思ってもらえないだろうから高山先生にもご一緒いただいたの。先生は二人の仲人さんでもあるし、後見人でもある」
綾香はそう言って高山と顔を合わせ、ニッコリ微笑んだ。
「どういうことです、…先生?」
母が今度は高山に聞いた。
「今、言った通りです。綾と美咲を結婚させるんですよ」
「本気ですか?二人とも女の子ですよ?」
「もちろんそれは承知しています。でもまあいいじゃないですか。女の子同士の結婚。まだ日本では珍しいというだけのことです。もちろん二人は同性愛者ではありません。ただ、似たような経験をした、信頼し合っている二人がお互いを終生のパートナーとして認め合うという契約を結ぶということです。だからこうして親御さんにもあいさつに来ているんです。ただのルームシェアならあいさつには来ませんよ」
高山がそう言うと、不意に高山の携帯電話のバイブレーションが震えた。メールが来たようで高山は胸のポケットから携帯を取り出し、メールをチェックした。
「美咲からだ。もう少しで本塩釜の駅に着くって」
高山はそう言って携帯を胸のポケットにしまうと、席を立ち、「じゃあ、僕は駅まで美咲を迎えに行ってきますので」と言って事務室から出て行った。
高山が美咲を連れてグループホームに戻ると事務室の職員から三階に上がるよう案内された。二人はエレベーターで三階に上がり、脱走・徘徊防止用なのだろう、二重に鍵が施されたドアを開け、病院のような個室が通路の両側に並んでいる廊下を歩いた。奥の方にリビングとダイニングを合わせた広い部屋があり、リビングでは何人かの老人が座って録画された歌謡番組を見ている。さらに奥のダイニングでは綾香が母と四人分の食事を並べているところだった。時計は午後一時頃を指していて、老人たちのランチタイムは既に終わっているようだ。
美咲は母が視界に入ると少し小走りになり、「こんにちは~」と明るく声をかけた。実母に対するのとはまるで違う。普通、結婚生活に入る場合、女子にとって義母は実母以上に気を使う存在なのだろうがここでは真逆だ。高山にとってこの光景はこの結婚が実はとてもうまくいくのではないかと感じられた瞬間だった。
「ああ、美咲ちゃん。お久し振り。全然変わらないね。変わったのは中身の方だけかな?」
母は手を動かしながら笑顔で応えた。
「これからお昼?」
「うん。みんなまだなんでしょ?私もこれからなの。電話もらってみんなのこと待ってたから。余り物だけど手作りのお昼をご馳走するね。さあ座って」
母はそう言って二人に席を勧め、自分も二人の対面に座った。目の前には焼き魚やアサリのみそ汁など海産物を中心としたおかずが並べられている。食卓の中央にはいかの塩辛がてんこ盛りにされていたがそれはきっと手作りなのだろう。
「綾ママ、ありがとう。朝ご飯抜きだったし、さすがにお腹ペコペコだあ」
美咲がリラックスした口調で言った。
「美咲が市議会議員やってることは知ってるよね?」
母の隣に座った綾香が母に聞いた。
「なんとなくね。それで、…実はね、一年くらい前に岩崎さんから電話があったの」
それを聞いて三人は少し緊張した。母は続けた。
「私は岩崎さんと綾がどうなっているのか分からなかったんで、綾が家出したって聞いてビックリしたの。それでついつい美咲ちゃんの居場所を教えちゃった」
「居場所って、市議会の?」
美咲が聞いた。
「まあ、どこに住んでるかまでは知らなかったから、東京のどっかで市議会議員やってるってね。美咲ちゃんの所には岩崎さんから連絡が行ったんでしょ?」
「そうだったんだ。だからあたしのところに岩崎君から電話が来たんだね。岩崎君はあたしのホームページで調べたって言ってたけど」と美咲が言うと、「もうやめようよ、その話は。それはもう昔の話だから…」と綾香が言った。もう岩崎のことは話題にしてほしくないようだった。
「そっか。じゃあ、未来の話をするね。綾と結婚する話は聞いたよね?」
ムードを変えるように美咲が明るく母に言った。
「ええ。おめでとうって言っていいよね?」
母は笑顔で応じた。
「もちろんだよ。で、結婚式はするつもりでいるから綾ママも来てね」
「いつ頃やるの?」
「まあ、早目の方がいいとは思ってるけど…」
美咲も思い付きで言ったようで、そのまま高山と顔を合わせた。高山の助けを借りたいようだ。高山が口を開いた。
「急ぐのは構わないと思うけど、お日柄とかは気にするのかな?」
「ああ、大安とかですね。そうですね~、あたしはそんなに信心深い方じゃないけど、折角だから気にしてみようかな。でも大安にキリスト教式でやったりするんですけどね」
美咲が答えた。
「それなら結婚式場が空くのに半年くらいは待たなきゃいけないかな。でもそれくらいの時間は必要なのかもしれない。これから招待客を決めて招待状を送ったり、料理を決めたり、引き出物を選んだりしないといけないからね。普通の結婚式ならね」
「綾香は、まあ、もう思い出したくはないんだろうけど、前回はどうだったの?」
もうやめようという綾香に美咲は明るく聞いた。
「前のは、…お互いに忙しかったからコンサルタントに丸投げだったよ」
綾香は仕方ないなあという様子で答えた。
「じゃあ、今度はのんびり手作りでできるね」
「今日はこっちに泊まっていく?」
美咲のテンションがあまりにも高かったので母が別の方向に舵を切った。
「いいねえ。綾ママとも久し振りにゆっくりお話ししたいし。なんてったってあたしのお姑さんになる人だからね」
美咲は相変わらずのハイテンションでそう言うと今度は高山の方に顔を向けた。
「先生も一泊されます?」
美咲が高山に聞いた。高山は少し考えている様子で、少し間があった。
「…まあ、海産物がおいしそうだから泊まっていきたくはあるけど、それはまた今度にしよう。子ども達が待っているんでね。ご飯を食べさせなきゃいけないんだ」
いつも事務的で冷たい高山が珍しくいたずらっぽい口調で言った。