同性婚   作:山田甲八

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九 式場

 美咲と綾香は二人で並んで応接に腰掛けていた。塩釜から帰京した翌々日の十一月二十七日午前十時、二人はR市内にある、とある施設の二階事務室にいた。とある施設とは一言でいうと「多目的ホール」という表現がふさわしいだろうか、パーティーや会議などに使われる施設で併設されているレストランのケイタリングサービスもある。R市には、市の南北両端にJRと私鉄が並行して走っているというその地理的事情から市の中心部というものがない。繁華街もなく、ある必要もないので多くの市民は、お祭り騒ぎをしたいと思ったときにはそれほど遠くない新宿や渋谷に足を運ぶのを苦にしていない。そのためこの「Vクラブ」という名前の多目的ホールは地元で宴会を開催しなければならない特殊な集団、例えば消防団とか防犯協会とか納税協力会とか、そういう団体のパーティーをほぼ一手に引き受ける独占企業だった。経営母体はR市にある自動車工場で、ここの支配人も事務長も親会社から片道切符を渡されたくたびれたおじさんだった。美咲は市議会議員という職業柄、このホールで自身の後援会のパーティーを定期的に開いていて、このホールの上顧客の一人だった。

「随分待つね」

 綾香がポツリと言った。事務長が「支配人に確認します」と言って席を立ってからかれこれ二十分が経過している。すんなりと話が進むとは思わなかったが、それにしても待つのは退屈な時間だ。事務長との面接は、最初はいつもの後援会の新年会の予約のようにフレンドリーに始まった。美咲がここで結婚式をしたいと言ったときも事務長は笑顔だった。「それはそれはおめでとうございます」とまで言ってくれたのだ。しかし、その相手が隣に座っている綾香であることを知った瞬間、事務長は一気にトーンダウンし、予約を受け付けることができるかどうか、支配人に確認すると言って席を立ったまま戻ってこないのだ。

「ちょっと声かけてこようか」

 美咲がそう言った次の瞬間、奥のドアが開き、事務長ともう一人のくたびれたおじさんが現れた。もう一人のおじさんは手に何か紙を持っている。二人のおじさんは「どうもお待たせしました」と言いながら応接に座っている美咲と綾香の対面に並んで腰掛け、座ったまま一礼した。

「高遠先生。いつもお世話になっております」

 支配人のネームプレートをつけた小汚い紳士は美咲にそう言うと、今度は綾香の方を向いた。上顧客の美咲は支配人とも顔見知りだが、支配人本人が直接、交渉の場に臨席することは滅多にない。元々はエンジニアか何かだったのだろう。「どうもお待たせして申し訳ありませんでした」と営業向きではない口調で言うと、もう一度頭を下げた。

「お話はお伺いしましたが、少しお時間をいただけませんか」

支配人は相変わらず営業向きではない口調で言った。

「それってどういうことです?いつもはなんの問題もなく、さっさとそこの予約表に書き入れてくれるじゃないですか」

 美咲が壁にぶら下がっている黄色のバインダーを指さして言った。支配人が続けた。

「高遠先生の後援会の会合とは話が違います。前例もありませんし、果たしてそういう予約を受け付けていいものかどうか本社に確認してみないと…」

「駄目な理由でもあるんですか?」

 支配人の話を遮って美咲が詰問した。

「手前どもも、確かにパーティーの会場を提供するという事業はやってはおりますが、利用約款というものがございまして、どなた様にも場所をご提供しているというわけではないのです。例えば反社会的勢力にはお貸ししないとか、そういう条項があるのはご理解いただけますね?」

「あたしたちが反社会的な勢力だとおっしゃるんですか?」

「そうではありませんが…」

 支配人は二人の前に紙を広げた。今話題に挙げた利用約款のようで、無機質な文字列が並んでいる。「反社会的勢力」の文字も見える。支配人はその紙に印刷された「公序良俗」の文字を指で示しながら「…公序良俗に反する行為にはお貸しできないことになっているのです」と言った。

「…あたしたちの結婚が公序良俗に反するとおっしゃるんですか?」

 支配人の言葉に唖然とした美咲が少し間をおいて静かに言った。

「ですから少しお時間をいただきたいのです。私では決めることができません。本社に問い合わせをして、後でご連絡を差し上げるということでご理解をいただきたいのですが」

 なるほど、この男は支配人を名乗ってはいるがこの施設の最高責任者ではないのだろう。美咲はこれ以上この男と話しても時間の無駄だと観念した。

「…分かりました。お返事いただけるまでどのくらいお時間かかりますか?」

「申し訳ありませんが、私には分かりません。一週間たっても音沙汰ないようでしたら本社に連絡して進捗状況を確認します」

 それが支配人としての最大の誠意なのだろう。諦めた美咲は「よろしくお願いします」とだけ言って席を立ち、綾香も続いた。

シェルターに帰る軽ワゴンのハンドルは重かった。

「ねえ美咲」

「ん?」

 重苦しい空気を破って助手席の綾香が口を開いた。

「どうしてもあそこじゃないと駄目なのかなあ?結婚式場は、探せば他にいくらでもあると思うけど」

「うん。綾には申し訳ないんだけど、ここだけはあたしの我ままを聞いてほしい。あたしは市議会議員なの。だから、地元で色々とお世話になっている人がたくさんいるし、どうしても地元で、このR市内でやりたいの。R市内でやるとしたら会場はあそこしかないでしょ?本当は公民館とか地域センターとかでもいいんだけど、そうはいかないし。お葬式は地域センターでもできるんだけどね」

 そう言葉を交わしたきり、二人は黙ったままシェルターを目指した。

 

 シェルターに戻ったそんな二人を高山は珍しく笑顔で迎え、テーブルに座らせた。美咲はいきなり高山に噛みついていたが、高山は軽く相槌を打ちながら三人分のコーヒーを入れ、テーブルと垂直に置かれている事務机の椅子にドカッと腰かけた。

「まあ、この程度は想定の範囲内じゃないのかな?」

 高山が冷静に言った。

「確かに、そうかもしれませんけど…」

 美咲が静かに答えた。

「それにまだ拒絶されたわけじゃないだろ?」

「支配人は『本社に問い合わせる』って言ってました」

「そうか。本社といっても本当は親会社だろうね」

「親会社?」

「Vクラブはワールドワイドに展開している世界屈指の自動車メーカー、V社の子会社だよ。元々はV社の福利厚生施設に過ぎなかったんだけど、子会社化して一般にも開放したってことだね。世界的な多国籍企業だから企業イメージにはうるさい。そして君達は有名人。支配人も所詮は親会社から出向してきた人だろう。世間体を気にすることは十分想定の範囲内だよ」

「それにしてもひどくないですか?『公序良俗に反する』だなんて」

 興奮冷めやらない美咲がヒステリックに言った。

「…どのみち、君達の結婚は、もちろん君達の親御さんのように祝福してくれる人もいるけど、好ましく思わない人達もたくさんいるはずだ。もっと言ってしまえば、君達がやろうとしていることは憲法違反だ」

「憲法違反!」

 高山の意外な主張に、美咲が大きな声で反応した。

「そう。憲法違反だ」

 高山はもう一度そう繰り返すと、「綾、六法を持ってきてくれないか」と言い、「憲法二十四条を読んでくれ。憲法は一番前にあるから」と言った。

 綾香は「はい」と言って、近くの本棚にある六法を取り出し、目指すページを探し出すと静かに読み始めた。

「第二十四条。婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」

「ありがとう。その条文には『両性』と書いてある。つまり結婚は男女の間にのみ成立するものだということを憲法は含意しているということだ」

 しばらくの沈黙があった。

「……先生はご存じだったんですか?あたし達のやろうとしていることが憲法に違反しているってこと」

 美咲が言った。イライラが伝わってくる。

「まあね」

「それってひどくないですか?もっと早く教えてくれれば良かったのに」

「何をそんなにイライラしてるんだ?いつもの美咲らしくないじゃないか」

「だって…」

「僕は憲法違反とは言ったが君達がやろうとしていることが間違いだとは言っていないよ」

「しかし、憲法に違反することはやってはいけないんじゃないんですか?」

「どうしてそう思うの?」

「それは、…学校でもそう習いましたし、市議会でも憲法を守ろうって。もちろん改憲派の人もいますけど、そういう人達も憲法を変えようと言っているだけで、憲法を守らなくてもいいとまでは言っていないと思います。あたしも市議会議員で、公務員ではあるわけですから、それを積極的に守らないというのはどうもしっくりきません」

「なるほどね。でも、僕は美咲達がやろうとしていることの方が正しくて、憲法の方が間違っていると思う。美咲もそう思うだろ?」

「はい」

「憲法は国民のためにあるのであって、国民が憲法のためにあるのではない。間違っているなら是正されるべきだと思う。美咲も政治家なのだからこれが正しい道だということを示して、世論に訴えることが政治家としてのあるべき姿だと思うけどどうだろう?」

「そうかもしれません」

 少し冷静になった美咲は静かに言った。

「話を憲法二十四条に戻すと、結婚が、結婚をする男女の意思だけで決められるというのは今ではあたり前のことかもしれないけど、日本国憲法が制定された当時としてはそれ自体が画期的なことだった。結婚は親が決めたりするのがあたり前だったからね。しかし、その自由恋愛を認めるという、当時としてはとても進歩的な思想も、七十年もすると古くなってしまってきている。だから直すべきところは直すよう、美咲達政治家にも頑張ってもらわないといけないんだと思う。これはどうしてそうなってしまうのか僕にはよく分からないのだけど、リベラルで進歩的な思想を持っていると思われる人が、話がこと憲法になるととても保守的になる。それは本当に尋常ではないレベルで、国や国民が滅んでも、憲法は守らなければならないみたいな勢いがある。それは美咲も気付いているよね?」

「はい。おっしゃりたいことはなんとなく分かりました。あたしは間違ったことはしていないんだと思います。もっと前を向いていきたいと思います。でも、……どうしましょう。あたしにはそんなに力はありませんし。裁判でも起こせばいいんでしょうか?」

「残念だが裁判だと時間もお金もかかり過ぎる。それに、憲法の話ではないけど、国民には裁判を受ける権利が保障されてはいるけれど、少なくとも民事訴訟が国民の役に立つとは思えない。日本では民事訴訟は世論喚起以上の意味はないよ。もちろん世論喚起は大切だけど、裁判だとコスパが悪すぎるからね。もっと効率よく世論を味方につける方法があるといいんだけどね。マスコミにのせるとかさ」

「マスコミですか?」

「そう。記者会見とかできないのかな?それで窮状を訴えるんだ。君達が同性婚をするということはほとんどの人にとってはどうでもいいことのはずだ。どうでもいいことであれば声の大きい方が勝つ。だからマスコミを味方につけて、世論を喚起して、Vクラブが『うん』と言わざるを得ないような状況を作り出すんだ」

「…記者会見はできなくはないと思います。市役所で。やってる人もいますから。でも取り上げられるとしてもせいぜい、新聞の地方面に小さく載るだけだと思います。地元の記者しか来ないでしょうし」

「芸能記者とか来ないのかな?君達は元スーパーアイドルだろ?どうせならスポーツ新聞の芸能面トップをかざりたいね。マスコミを記者会見にお招きしたりできないのかな?」

「確かに声をかければ来ていただけるかもしれませんけど、……ツテがありません。あたしは事務所を追い出されてもう何年にもなりますから」

「綾は?」

 高山が今度は綾香に聞いた。

「私も無理だと思います。ここ数年はマスコミから逃げ回ってましたから印象悪いでしょうし。ピンチだから助けて下さいというのもずうずうし過ぎると思います。昔のよしみで何人かには声をかけられるかもしれませんけど、事務所からマスコミ各社にFAXを一斉送信するとかいうのは無理ですよ」

「そっか、FAXを一斉に送信すればあっという間に声をかけることができるね」

 綾香の後に高山が続けて言った。

「はい。昔はそんなことやってた記憶があります。今はメールの一斉送信なのかもしれませんけど、頼める人は思いつきません」

 綾香がそう言うのを聞きながら高山は目を閉じ、少し頭を回転させた。何かを考えているときの表情だ。

「……それなら一人いるじゃないか。美咲が頼める人が」

「へっ?誰ですか?」

 美咲はキョトンとした表情で高山に聞いた。高山は目をパッチリとあけ、美咲に視線を合わせた。

「黒崎未亡人だよ」

 高山は美咲の問いに不敵な笑みで答えた。

 

 その二日後、三人は六本木にある黒崎音楽事務所の応接間に並んで座り、黒崎未亡人を待っていた。アポイントメントは高山が取った。黒崎事務所の反応は早く、すぐに予定を取ってくれたのだ。

 そして約束の時間より十分遅れて、黒崎未亡人が応接室に入ってきた。二人の男性を従えている。初対面の高山は黒崎未亡人、そしてその両脇を固める二人の男と名刺を交換した。未亡人の名刺には当然「代表取締役」の肩書が刷られている。妙齢四十前後のはずだがとてもそうは見えず、二十代といっても通じるような艶やかな容姿だ。それなりのお金をかけているのだろう。脇に立つ男のうちの一人は年齢不詳、背は低く、眼鏡をかけている。事務所の番頭格のようで名刺には「専務取締役」と刷られていた。もう一人は見た目にも若く、名刺には弁護士と刷られている。

「名児耶先生は家族とか相続問題にお詳しいんですよ」

 未亡人が弁護士を紹介しながら言った。

「初めまして。高山と申します」

 高山は改めてあいさつし、美咲を中心にして右側に高山、左側に綾香が並んで応接に座り、黒崎事務所の三人も対面に座った。

「高山先生のお話は生前、黒崎から伺っておりました。ご本も読ませていただいております」

 未亡人は代表者としての風格も備わってきていて、チャラチャラした見た目の割に堂々としている。

「黒崎君が僕の話なんかしていたんですか?」

「とても頭のいい方だと聞いています。…綾も、ホントお久し振り。元気そうだね」

 未亡人が綾香の方を向いてそう言うと綾香も「ご無沙汰しています」と言って一礼した。

「さて、それで今日はどんなご用件なの?」

 未亡人が美咲にアイビームを投げかけた。

「報告と、それと…お願いしたいことがあって来ました」

「報告?」

「はい。実は、…あたし結婚することにしたんです」

 美咲が緊張した声で言った。元々この二人は同じ事務所の先輩後輩。何年たっても、状況がどう変わっても、後輩にとって先輩は緊張する存在なのだろう。

「あらそう。それはおめでとう。そんなこと全然、噂にも聞いてなかったけど。それで、お相手はまさかこのお隣の高山先生ではないよね。高山先生は愛妻家の子だくさんって聞いているから」

 未亡人がやや嫌味っぽい口調で言った。

「実は、…」、そう言って美咲は綾香にチラリと視線を向け、「綾と結婚することにしたんです」

「はあ?」

「やっぱり『はあ?』って言っちゃいますよね」

 美咲がいたずらっぽく応じた。

「ねえ、それってどういうことなの?」

「そういうことです」

「聞き違ってたらごめんなさいね。美咲と綾が結婚するってこと?」

「はい」

「あなた達ってそういう関係だったの?……ちっとも気が付かなかったけど」

 未亡人はしばらく美咲と綾香を交互に見て、高山に視線を合わせた。高山に発言を求めているようだった。

「もちろん二人はそういう関係ではありませんよ。美咲も綾もレズピアンではありません」

 高山が言った。

「レズピアンではありませんけど、二人が長い付き合いでとても信頼し合っているということについては奥さんもご理解いただけると思います。そして今回の結婚は、信頼し合っている者同士が、夫婦同然のパートナーとしてこれから一緒に暮らしていこうという契約を結ぶということです。綾が離婚したことについてはどう理解されてます?」

「どうって、…賞味期限の過ぎた岩崎投手を綾が捨てたんだと…、ごめんなさい、本人の目の前で。でもそう報道されているのは事実だから…」

 未亡人はすまなさそうに綾香を見て言った。

「確かにそう報道されてはいますね。でもそれは事実ではないのです。綾は、…実は岩崎氏からDVを受けていました。それに耐えられなくなって逃げてきたというのが真実なんです」

「そうだったんですか。そんなことが。…人は見かけによらないですね。彼がそんなことするなんて」

「美咲も、…実は男運には恵まれてはいなかったということは奥さんもお気づきだったんじゃないんですか?」

「……」

 高山が詰問調に少し強く言うと未亡人は高山から視線を逸らした。

「美咲は黒崎君の遺言通り、僕のことを探し当て、僕の所にやってきました。それで、本当に幸せになるにはどうしたらいいのかということを少し真面目に考えたんです。その結論がこういう結果になったということです」

「そうですか。…それで、…あたしにお願いっていうのは何?」

 未亡人が話題を変えるように美咲に聞いた。

「はい。察してもらえるかどうか分からないんですけど、そういう結婚なもんですから世間の理解を完全に得られているわけではないんです。実際、今、結婚式場の手配のところでつまずいちゃってます。それで、色んな人に応援してもらいたいと思いまして、来週、R市役所で記者発表をすることになったんです」

「記者会見ってことね?」

「はい。で、できるだけマスコミの人を、できれば芸能記者さんなんかに集まってもらいたいなあって思ってるんですけど、あたしも綾ももう、引退して何年もたってるもんですからそっちの方のツテがないんです。ですから、奥様の力を貸していただきたいんです」

「…あたしは何をすればいいの?」

「マスコミ関係者に記者会見開催のお知らせを送ってほしいんです」

 美咲がそう言うと高山が上着のポケットから紙を取り出し、未亡人の前に広げて見せた。紙には「ラピスラズリの両エース、藤森綾香と高遠美咲が同性婚」というタイトルが冒頭に書かれ、下に記者会見の日時や場所が記されている。

「…これを送るだけでいいの?」

 紙をしげしげと見つめながら未亡人が言った。

「はい。もちろんその後、関係者からの問い合わせが来てしまうと思いますけど、その場合はあたしか今、綾がいる事務所に問い合わせるように言っていただけると助かります」

「……」

 未亡人の心の中に葛藤があるようで少し沈黙があった。そのうち高山が口を開いた。

「……いいじゃないですか。あなたは黒崎君が書き残したものを利用して美咲を僕に押し付けてきた。それで黒崎君亡き後、あなたが美咲に煩わされることはなかったはずだ。このくらいは受け止めてやってあげてくださいよ。今日、この席に弁護士先生をわざわざ同席させたということは、本当は今でも美咲のことが怖いんじゃないんですか?どんな話をされるのか怖かったんじゃないんですか?美咲は黒崎君の秘密やあなたがその後、一人でどれだけいい思いをしているのかを知っているただ一人の生き証人なんですから。でも、美咲はもう完全に立ち直ってます。昔の彼女ではない。黒崎君のことも、あなたとのことも乗り越えてます。だから、彼女に少し力を貸してやってください。もちろんあなたは美咲に対してなんの義務もないわけだから完全なボランティアとしてね」

「…分かった。美咲とは色々あったけど、元々はかわいい後輩。このくらいはしてあげないとね」

 未亡人がため息をつきながら恩着せがましくそう言うと、手に持っていた紙を右隣の専務に渡した。

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 美咲がそう言いながら頭を下げると、少し遅れて綾香も未亡人に頭を下げた。

「こんなの久し振りだなあ。うちの事務所、あなた達がいなくなってから本当に静かになっちゃったからね。それで、こういうことするってことは復帰する予定でもあるの?」

 未亡人が美咲に聞いた。

「復帰と言いますと?」

「もちろん芸能界への復帰だよ。もしその気があるならうちでマネジメントしてもいいよ。元々はうちの所属だったんだし」

「ああ。それなら全然考えていません。これからしばらくは、何年できるか分かりませんけど、市議会議員として頑張ります。今までは随分と背伸びして生きてきましたけど、今は等身大の自分と向き合ってます」

「そっか。美咲も『センセイ』って呼ばれるようになったんだね。綾はどうなの?なんか行方不明になっちゃって、ホントご無沙汰だけど。生きてたんだね」

 未亡人が今度は綾香に振った。

「はい。色々ありましたけど、今は元気にやってます」

 綾香が明るく答えた。

「綾も復帰の予定はないのね?」

「はい」

「綾は社会保険労務士になったんです」

 綾香に続けて美咲が言った。

「へ~。随分と堅いこと始めたんだね」

「ええ。高山先生のお蔭です。私も等身大の今の自分が大好きになりましたから」

 綾香は美咲と顔を合わせてニッコリそう言った。

「そっか。ホントのこと言うとね、あなた達には戻ってきてもらいたい。うちの事務所もあなた達がいなくなっちゃってから閑古鳥が鳴いてるもんね。まあ不動産とかやってるから十分食べては行かれてるんだけど、芸能プロダクションとしてはつまらないよね。新人は入れるけどなかなか売れっ子が出なくてね。黒崎はいなくなっちゃったし。あたしが社長じゃ役不足だしね」

 未亡人が役不足の意味を間違えてそう言うと美咲が続けた。

「それなら一人新人を紹介しましょうか?」

「新人?」

「ええ。プロデュースしたいなあって思ってる子がいるんです。この子はいけますよ」

「どんな子なの?」

 未亡人が尋ねると美咲は「それは~」と言って高山と顔を合わせ「高山先生のお嬢さんです。バリバリのツインテキャラですよ。あたしが今まで見た中で最強かもしれない。あたし自身も含めて」と言った。全員の視線が高山を捉えた。

「…それは無理だよ。今、中学三年で受験勉強の真っ最中だよ。余計なこと本人にも言わないでね」

 高山が苦笑いした。

 

 Vクラブの支配人から美咲のもとに電話があったのはスポーツ新聞の芸能面トップならぬ一面トップを飾った世紀の大ニュースの翌日の午後だった。本社から使用許可が出たので注文書を書いてほしいという。そして次の日の朝一で美咲と綾香、そして今度は高山も付き添って多目的ホールを訪れた。

 再び向き合った、やはり営業向きではない支配人は、それでも精一杯の愛想笑いを浮かべながらパソコンで作成した注文書にサインさせた。予約日の来年五月十八日は大安の土曜日だ。

「ただ一つ残念なお知らせがあります」

 書類の作成が終わると支配人がかしこまりそう言ったので三人は緊張した。

「……なんでしょう?」

 少し間があってから美咲が口を開いた。支配人は背筋を伸ばした。

「当クラブは、もちろん結婚式場ではありませんから結婚式にはあまりご利用いただいておりませんし、宣伝もしていないのですが、それでも年に数件は結婚式にご利用いただいています。その際、神式の場合には近くのI神社から神主さんにお越しいただいています。キリスト教式の場合にはS教会の牧師さんにお越しいただいています。特に契約をしているというわけではないのですが長年のお付き合いでそういうことをしていただいてきています。しかし、今回はI神社さんもS教会さんもお越しいただけないということを確認しています」

「先方さんがそう通告してきたんですか?」

 今度は高山が聞いた。

「いいえ、私の方からお尋ねしました。当クラブを披露宴にお使いいただくことは構わないのですが、式も当クラブで行うとして、神職の方にお越しいただけないのでは式が成り立たないのではないかということを危惧しまして、あらかじめ私の方から確認させていただきました。ですからもし、披露宴だけでなく、当クラブで式も挙げたいということであれば神職の方は高遠先生の方で手当てしていただきたいということです」

「……」

 三人は沈黙した。支配人が続けた。

「その他に、式のスタイルとしては人前式というものもございます。人前式というのは披露宴の会場でお二人が誓いの言葉を述べ、婚姻届にサインするというものです。でも今回の場合は婚姻届もないでしょうから人前式も無理ですよね?」

 三人は沈黙していたが、そのうち高山が口を開いた。

「美咲はどうしたいの?」

「あたしは……キリスト教式でやりたいなあ。もちろん敬虔なクリスチャンという訳じゃないんですけど、ただ漠然と、子どもの頃からの憧れで、バージンロードを歩いて、神様の前で永遠の愛を誓うという……そういう当たり前のことをやってみたいんです」

「そうであれば、聖職者の方を高遠先生の方でお呼びいただきさえすれば、当クラブとしては、その他の準備をすべてさせていただくことは可能ですが」

 美咲に続いて支配人が表情を変えずに言った。

「……分かりました。では聖職者のことはこちらで考えましょう」

 しばらく考えていた高山が顔を上げ、支配人に向かってキッパリと言った。

「何かアイデアがあるんですか?」

 美咲が高山に聞いた。

「今は何も思い浮かばないよ。でも何か解決策はあるはずだ。とにかくここまでは来たんだ。もうちょっと知恵を出して前に進んでみよう」

 高山は不安そうに見つめる美咲と綾香を交互に見ながらそう言った。

 

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