一九九六年三月九日───。
有間秀明は、その日の午後、阪神競馬場ゴール板前のメインスタンドに立っていた。
未成年の彼が、この場所にいるのは、もちろん、勝馬投票券を購入するため、ではない。
九四年の年度代表馬ナリタブライアンと九五年の年度代表馬マヤノトップガン、二頭の対決を間近で観たいと、この場所に駆け付けたからだ。
(ブライアンとトップガンの対決が、生で見られる!)
前日の夜から、秀明は興奮して、なかなか寝付くことができなかった。
彼が、この日を楽しみにしていたのには、もう一つ理由がある。
同じ日の夕方、吉野家に訪問して、亜莉寿が書き上げたという小説を読ませてもらう約束をしていたからだ。
(亜莉寿は、どんな小説を書いたのだろう?)
そのことを考えると、また色々とストーリーを想像して、さらに眠気が飛んでいく気がした。
※
日付は少しさかのぼる───。
年明け最初の放送回で、亜莉寿が、この学校から去ることを告げたあと、一月と二月の日々は、瞬く間に過ぎていった。
三年生の卒業式と一年生・二年生の学年末テストが終了し、通常授業の時間割に戻って、三月最初の番組収録が終わったあと、秀明は亜莉寿に声を掛けられた。
「有間クン!ようやく小説を書き終えることができたんだけど、読んでもらえる時間はあるかな?」
それは、秀明にとって、亜莉寿が日本を発つことと同じくらい気掛かりであったことが、無事に完了したことの報告でもあった。
「執筆活動お疲れ様でした。ぜひ読ませてほしいな!今週末とかでも大丈夫?」
秀明が、創作の労をねぎらい、前向きな回答をすると、
「うん!学校もお休みだし、土曜日はどうかな?」
亜莉寿も、間をおかず日程を提案する。
「土曜日か───。ちょっと、お昼に行きたい場所があるから、午前中か夕方四時以降でも良いなら……」
秀明が、少し考えてから、答えると
「じゃあ、夕方に私の家に来てくれない?あと、来週の『シネマハウスへようこそ』で取り上げたい作品があるから、《ビデオ・アーカイブ》で、叔父さんに取り置きを頼んでおこうと思うんだけど───」
亜莉寿は、矢継ぎ早に話しを進めるが、秀明も彼女の会話のペースには慣れたもので、
「了解!じゃあ、《ビデオ・アーカイブ》でオススメ作品をレンタルをしてから、お家に行かせてもらおうかな」
と快諾した。
こうして、三月九日は、彼にとっては、重要なイベントが二つも重なる《スーパー・サタデー》となった。