「そう言えば、お前ら透明マントは使ったのか?」
相も変わらずチェスに興じる弟とその友人に、そんな一言を投げかけたのはジョージだった。隣には相変わらずフレッドがいて、二人はひとりでに動く謎のスライムで遊んでいた手を止めてハリエット達を見た。
あと二週間もすれば冬休みも終わりを迎え、再び授業の毎日がやってくる。しかし、大人しくその瞬間を迎えようという気はジョージにはなかったのだ。片割れのフレッド然り。
「別に、なーんにも。使う事ないんだもん」
答えたのはハリエットではなくロンだった。ハリエットの黒いルークをクイーンで壊し、今度はそのクイーンが白いナイトに打ち砕かれる。
「ないって事はない筈だぜ。お前の発想が乏しいだけ」
「そうだぞロン。ハリエットもだ。頭を凝らしてよーく考えてみろ」
「使わないのは宝の持ち腐れ」
「使ってやらなきゃ透明マントも泣いてるぜ!」
けらけらと、談話室に響く高らかな笑い声。発想が乏しい、だなんて言われたロンは拗ねてしまい、頬杖をつきながら何やらぶつくさ言っている。ハリエットは困ったように苦笑いを浮かべながら、双子の言葉にほんの少しだけ考え込んだ。
透明マント。父親の、唯一と言って良いかもしれない形見の品。クリスマスの日に軽く羽織った日を最後に、ハリエットは透明マントには触れてすらいなかった。
誰かもわからぬ送り主の手紙にも『大切に使いなさい』と書かれていた。そう思えば、確かにこのまま使わないのは、まさしく双子の言う通り宝の持ち腐れになってしまう。
しかし、使い道がないという事もまた真実だ。ウィーズリー家の皆が口を揃えて「特別だ」「とても貴重な物だ」と持て囃した物を、容易く普段使いにできるほどハリエットの肝は太くはない。かろうじて思いついた使用方法は膝かけぐらいであるが、特別な品をそんな風に使って良いのかと気が引けた。
「使わないならさ、ハリー。透明マント、少しだけ俺達に貸してくれないか?」
「そいつは名案だな、相棒!」
「……二人共、最初からそれが狙いだったんじゃないの?」
じとりと兄達を見据えるロン。双子は弟に軽く肩をすくめると、ハリエットが座る椅子の隣にそれぞれ膝をつき、まるで騎士のような格好でハリエットの顔を見上げた。
「なぁいいだろ、ハリー。絶対に没収されないようにするって」
「そうそう、約束する。フィルチなんかに絶対奪わせないって」
つまりフィルチを怒らせて没収されかねない事に使うつもりなのだろうか、と双子を見つめながらハリエットは思う。まぁ、怒らせているのはいつもの事だが。
あの猫をこよなく愛する管理人は生徒の大半を嫌っているが、きっとこの双子はその比ではないのだろう。
「……使って、良いよ」
ハリエットが呟くと、双子はガッツポーズと共に天高く飛び上がった。
「よっしゃあぁぁぁぁ!!」と、狂喜乱舞の歓声が談話室ひいてはグリフィンドール寮全体に響き渡る。「ついにこの日がやってきた!」「待ってろよフィルチにスネイプ、今日こそケリつけてやる」「去年の恨みは忘れてないからなあの童貞ロン毛薬学教授」「お前らの罪を数えろ」「どっちも童貞のクセにえらそうにしやがって」「わかる童貞のクセに。キスした事あんのかな」「ある訳ないだろ童貞だぞ」興奮冷めやらぬ双子の教育に悪い会話は、大声に驚いて咄嗟に耳を塞ぐというファインプレーにより、ハリエットとロンの耳には届かなかった。
足音と共にパーシーが自室から降りてきて興奮状態の双子に叫ぶ。
「お前ら何やってるんだ!?」
「「何もしてないぜパーシー!!」」
嘘つけ!! と、パーシーの怒声が談話室に轟いた。
結論から言うと、二人の復讐は見事に大成功を遂げた。
フィルチの部屋では魔法で出来たカエルの花火があちこちを飛び回って壁を破壊し、スネイプの部屋ではネバネバと一度手に張り付くと全く取れない謎のスライムが家具を全て覆い尽くした。更に、二人の部屋にはオナラの匂いがする香水がしこまたふりまくられ、結果として彼らの身体は現在とんでもなく臭いのである。
震えまくった「ウィーーーズリーーーーーーーッッッ!!!!!!」という二つの絶叫がホグワーツ中に反響した。
二人が寮に戻ってきたのは、そんなえげつない暴挙の翌朝の事だった。談話室でいきなり姿を現した二人は、ハリエットの手に透明マントを押し付けながら話し出した。
「ハリー、これマジですげぇよ。フィルチもスネイプもマクゴナガルも、だーれも気付かねーの」
「だからあちこち行ってみてさ。これが楽しいのなんのって。夜の学校を散策するのって、まーじで楽しいんだよ」
一方的にまくし立てる二人のなんと楽しそうな事か。その様子に圧倒されながら相槌を打っていたハリエットだが、不意に手の中にかさりと紙の感触がして視線を下げた。手の中には一枚の羊皮紙があった。双子が透明マントと一緒に、ハリエットの手に押し付けたのだろう。きょとんと目を丸くしたハリエットに、二人は悪戯っ子のような笑顔で語りかけた。
「さっき地図を描いておいたんだ。最高に興味深いブツがあったから、おすそ分け」
「透明マント貸してもらったし、最高の体験をさせてもらったから、そのお礼って事で」
「今は使ってない古ぼけた教室だ。生徒は普段ほとんど歩かない廊下の奥にある」
「入って良いのか微妙だから、行くなら透明マントを被って行けよ」
何が、とハリエットは問おうとしたが、男子寮の方から聞こえる足音に、双子が過敏に反応した事で思わず口を噤んでしまった。男子寮から降りてきたのはパーシーで、まるで鬼の形相で双子の事を睨みつけている。
「フレッド、ジョージ! お前らどこに言ってたんだ!? 今度という今度はいい加減にしろよ!」
「顔真っ赤だぜパーシー」
「そう怒るなよパーシー」
「誰のせいで怒っていると思うんだ!」
「「俺達」」
「その通りだよこの馬鹿!!」
怒り心頭のパーシーは怒鳴りながら弟達の首根っこを引っ掴み、短くハリエットに「やぁおはよう」とだけ告げると、そのまま二人の事をずるずると引きずっていった。男子寮からはしばらくパーシーの怒声が耐えない事だろう。
一人取り残されたハリエットは、少ししてから女子寮の自分の部屋へと戻っていった。戻ってきた透明マントをベッドに置いてから、双子がくれた羊皮紙を開く。二人が言っていた通り、羊皮紙には地図が描かれており、簡易的だがわかり易く見やすいものだった。この地図を見た所、目的地の教室に一番近いのは図書室らしい。
たっぷり数十秒かけて地図を凝視したハリエットは、ベッドの上の透明マントを見つめた。未だ使った事のない、自分一人では使う方法を見いだせずにいる父の遺品。今、それがようやく、ハリエットに使われる機会を得た。自由気ままな悪戯っ子のおかげで。自分ではない誰かのおかげで。
羊皮紙を持つ指に少し力が入る。ふと、父はこのマントをどういう風に使っていたのだろう、と考えた。フレッドやジョージのように、夜の学校を探索したのだろうか。規則を破って、先生達を困らせた事があったのだろうか。
ハリエットにはわからなかった。知る方法がわからないからだ。
・
その日の夜、ハリエットは透明マントを被って寮を出た。わざわざ昼間ではなく夜中に決行した事に理由はない。ただ、そっちの方が誰にも邪魔されないと思ったのだ。
ロンもハーマイオニーも傍にいない今、ハリエットははじめて一人で学校の規則を破っていた。ロンに話せば、きっとワクワクしながら一緒に来てくれた事だろう。けれど、はじめて透明マントを使う機会は、一人だけで使ってみたいと思ったのだ。どうしてそう思ったのかは、よくわからないけれど。
双子の描いてくれた地図は正確だったようで、目的の教室にはすぐ辿り着く事ができた。双子が先に来ていたからか鍵はかかっておらず、扉はほんの数センチの隙間がある。ハリエットは音を立てないようにそっと扉を開き、また音を立てないようにそっと扉を閉めた。
そこは、埃臭い、おそらくは使われていないと思われる教室だった。
まるでずっと閉鎖されていたようなそこは、なるほど確かに入っていいのか判断がつかない。ハリエットは透明マントを取り外すと、真っ先にフレッドとジョージの言っていた“興味深い物”を見つけた。部屋を見渡すまでもなかった。
埃の膜を張った窓から差し込んだ薄い月明かりに、その“鏡”は照らされていた。
ハリエットはゆっくりと鏡に近付いた。金の装飾が施され、鉤爪のような脚が支えている。枠組みの上の方には文字が刻まれていた。
「……すつうを……みぞの、のろここ……」
あ、とハリエットは言葉をこぼす。
「逆なんだ、これ……」
『わたしは あなたの かお ではなく あなたの こころの のぞみ をうつす』
のぞみ。望み。
今のハリエットは、カーディガンにズボンと、シンプルでラフな格好をしている。しかし、鏡に映るハリエットは制服姿で立っていた。それもホグワーツの物ではなく、当初ハリエットが入学する予定だったマグルの女学校の制服だ。採寸だけして、結局一度も袖を通さなかった紺色の制服は見覚えがあった。
その隣にはスメルティングズ校の制服を着たダドリーがいた。ダドリーの後ろにはセレモニースーツを着たペチュニアとバーノンが、そしてハリエットの後ろには、同じくセレモニースーツに身を包んでいる
「こんな夜更けに女の子が一人とは、感心せんのう」
びくりと大袈裟なほどに肩を跳ね上がらせて、ハリエットは後ろを振り返った。
「校長先生……」
そこにいたのは、白く長い髭を蓄えたホグワーツの校長アルバス・ダンブルドアだった。叱られる、とハリエットは身を縮めた。夜中に校内を歩き回って規則を破り、入って良いのかわからない場所に足を踏み入れたのだ、叱られたり罰則を受けても仕方がない。
しかしダンブルドアがハリエットを叱りつける様子はなく、彼は好好爺らしい微笑みを浮かべてハリエットの隣に立った。
「そう怖がらんでおくれ。夜中に出歩くのはいかんが、何、先生の部屋にオナラの香水をふりまいたという訳でもなし。まぁ、あれはちとやりすぎじゃから、比較にはならんかもしれんがのう」
双子の所業を言っているのだろう、口調は呆れたように話しているが、表情は相変わらず笑っているままだ。知っている人物の話が出てきた事でハリエットの気持ちは幾分か落ち着いたが、それでも緊張はまだ取れない。
「してハリエット。この鏡が何なのか、君はわかったかね?」
ハリエットは少し顔を上げると、ダンブルドアと鏡を交互に見やった。鏡の中の自分は相変わらず笑っていて、時々ダドリーと目を合わせてクスクス笑いあっていたり、自分の肩に手を添えている二人を見上げては笑っている。
「……この、鏡は」
鏡に刻まれていた文言を思い出す。そこから導き出される答えは一つしかない。
「私の望みを、叶えてくれるんですか?」
黒茶の癖毛に丸いメガネ、綺麗な赤毛とグリーンアイ。
鏡に映っている男女は間違いなく、写真でしか見た事のないハリエットの両親だった。
「そうとも、違うとも言える。叶えるのではなく見せるのじゃよ。心の一番奥深くの、一番強い望みを」
「……」
「その魅力故に、この鏡の虜となった者は何人もいる。真実から目を逸らさせる。実に恐ろしく、それでいて何よりも甘美な魔法なのじゃよ」
そうだろう、とハリエットは思う。鏡の中の自分はとても嬉しそうに見えた。ダドリーも、叔母夫婦も、そして両親もだ。誰も現実のように悲しんだり、複雑そうな表情をしていない。現実ではないのだから当たり前だ。きっと、だからこそ危険なのだろう。
「明日にはこの鏡は別の場所に移すつもりじゃ。短い間に三人もの生徒に見つかってしまったからのう」
フレッドとジョージは、この鏡でどんな望みを見たのだろうか。きっと楽しい夢だったのだろう。きっと、もっと楽しくて、それでいてスケールの大きな夢に違いない。少なくとも、今映し出されるものよりは、ずっとマシに決まっている。
「……先生には、何が見えますか?」
「魔法大臣になった教え子と会談しておる所じゃよ」
きっと嘘だった。根拠なんて何一つないけれど、問いかけた時に見せた表情があまりに切なく見えて、そう思ってしまったのだ。
ダンブルドアは優しくハリエットの質問に答えてくれたが、ハリエットに同じ問いはしなかった。それは優しさ故なのだろうか。ならば自分は、酷い質問をしてしまったに違いない。それでもダンブルドアは嫌な顔一つ浮かべなかった。
「さぁハリエット、もう寮に戻りなさい。くれぐれも言うておくが、決してこの鏡を探さぬようにな」
ハリエットは言われるがままにその場を後にした。扉を閉めてから透明マントを被り、少し駆け足になって寮へと急ぐ。頭の中にはまだ鏡の事があったが、フレッドとジョージのように気持ちが昂ったりはしなかった。
鏡が映し出した望みが何なのか、ハリエットにはなんとなくわかっていた。それが決して手に入らないものだという事も知っていた。だってあれは、物心ついた時から、ずっと望んでやまなかったものだから。
両親が欲しかった。親無しとからかわれるのは嫌だった。
自分の“力”が怖かった。だからいつも、無くなる事を望んでいた。
ハリエットは『普通』が欲しかった。
今でもずっと、ずっと。絶対に手に入らないものを、ハリエットは欲しがっている。