まさかこんな長期間何もしなかったとは……。
炎のゴブレット公開20周年記念らしいですね。おめでとう〜!
『良い子でいなさい、ハリエット』
ペチュニアはいつも口酸っぱく、ハリエットにそう言い聞かせていた。
まともに、普通に、おかしなことをせずに、どこにでもいる良い子でいなさい、と。
ハリエットはいつも頷いた。ハリエットは“普通”の子供でいたかったし、悪戯をして叱られたりするのも嫌だった。
近所のガキ大将だったダドリーが他の子供達と悪戯をして遊んでいる時も、ハリエットは何もしない。ただダドリーに引っ張られて、一番端っこで大人しくしているだけ。
時折、ピアーズから道端に咲いていた小さな花をもらったり、擦り寄ってくる野良猫を撫でていたり、アリの行列をジッと眺めたりしているだけで、それ以上自分から何かをすることはなかったし、決してしようとは思わなかった。
本当に、ただの一度も、思ったことはなかった。
・
夜がやってきた。
「じゃあ、準備はいい?」
ハーマイオニーの神妙な言葉に、ロンはしっかりと、ハリエットはおずおずと頷いた。昼間にハリエットが口にした案を二人はさらりと受け入れて、その日の夜にこうして決行する事になってしまった。夜中に出歩いて減点された事なんてもう遠く彼方の記憶であるらしい。
ロンがランタンを、ハリエットが透明マントを持って、そろりと三人は寮の階段をおりていく。減点された事は遠く彼方の記憶だが。グリフィンドールの点数が崖っぷちで、もうバレてはいけないのはちゃんと覚えていたのだ。
そうやって抜き足差し足で歩いていたハリエットの足が、もう少しで一番下に辿りつこうというその時、
「何してるんだ」
と、彼らを呼びかける声がした。
ぴた、と止まって、壊れたブリキ人形のように後ろを振り向く。そこにいたのは、三人にとってよく見知った人物だった。
「ネビル……」
「また抜け出すつもりだろ?」
いつもの気の抜けた声だったが、そこにはわずかに怒気が含まれている。あのね、とハーマイオニーが口を開くのを遮って、ネビルは更に言葉を続けた。
「これ以上グリフィンドールの点数が下がっちゃいけないってなんでわからないの?」
「わかってるわネビル、でも」
「言い訳なんて聞きたくない! 夕方あたりからおかしいと思ってたんだ」
ネビルは叫びながら三人の前に立ち塞がった。拳を握る姿は相変わらずなよっとしていて弱々しさすら感じるが、その目は決意と覚悟に満ちている。
「もし、もしまだ外に出ようって言うんなら、僕は戦うぞ。大声で監督生を呼んだって良い! それが嫌なら、今すぐ部屋に戻るんだ!」
ネビルが悲鳴以外で声を荒らげたのは初めてだった。ハリエットやロンが思わずたじろいだすぐ傍で、ハーマイオニーが一歩前に出る。
「聞いてネビル、私だって本当は規則を破るのは嫌よ。でもやらなくちゃいけないの。お願いだからそこを退いて」
「嫌だ!」
「そう、わかったわ。ごめんね、ネビル」
ハーマイオニーは杖を取って一振りした。
「“
次の瞬間、ネビルの四肢はぴっちりと脇まで綺麗に閉じて硬直し、そのまま後ろにばたんと倒れた。よく見るときょろきょろと視線だけが動いていて、意識がある事だけはわかった。
あまりにも迷いのない動きに、ロンが信じられないものを見るような目でハーマイオニーを見やる。ハーマイオニーはロンの奇妙な視線に気付くと、杖を腰に仕舞いながらつんとして口を開いた。
「大丈夫、ネビルはトロールじゃないから放っておいても勝手に動き出したりしないわよ。ちゃんと賢者の石に集中できるわ」
そういう事ではない、とロンは思ったが、黙っておいた。懸命な判断である。
「さ、行きましょ」
そう言って、ハーマイオニーが横たわるネビルの体を跨ぐ。無言でロンもそれに続き、ハリエットだけがおろおろとした様子でネビルを見下ろし、一人だけネビルの体を避けて通った。
三人はぎゅうぎゅう詰めになって透明マントに包まった。ハリエットが真ん中になって、ロンが右側に、そしてハーマイオニーが左側にそれぞれ立つ。ハリエットが寮を抜け出すのはクリスマス以来だったが、相変わらず夜のホグワーツはとても静かだった。そのせいもあってか、風切り音が聞こえるたびに三人は揃って身を震わせた。
幸運にも、目当ての階段に上がろうとするまで、ハリエット達は誰とも会わなかった。ようやっと、という所にまでやってきた所で、ぴたりとハーマイオニーが足を止めた。どうしたのかと目の前を見て、ハリエットも、突然止まった事に文句を言おうとしたロンも口を噤んだ。
階段にはピーブスがいた。ちょうど真ん中あたりの所でぷかぷかと上下に揺れながら退屈そうに、前に回ったり、後ろに回ったりを繰り返している。ハリエット達はマントの中で目を合わせると、先程以上の忍び足で階段をのぼった。
「……ん? んんん?」
ぴく、と突然ピーブスが顔を上げ、ぴたりと三人も足を止めた。
「おやおや? おやおやおやぁ?」
半透明のピーブスの目がきろ、と眼孔を窄めて、見えない筈のハリエット達に向けられる。ハリエットはたまらずハーマイオニーと手を握りあって俯いたが、ピーブスは視線を外さない。
「何だ、何だ、なぁ~んだぁ、何かがここに……」
「えぇい、待たんかぁ!!」
もう駄目だ、とハリエットが、あるいは三人全員が思った時だった。ハリエット達とは関係のないどこか遠くの廊下から、苛立ったフィルチの怒声が轟いた。
ぴくっとピーブスが顔を上げ、隠れたハリエット達から視線が外れる。フィルチの声は静かな城によく響いた。
「待て、待たんか! くそ、どこの生徒だ、とっ捕まえて吊るして寮監の先生に突き出してやる……!」
フィルチの言葉にハリエットは驚いて目を見張った。三人が寮を抜け出したこの夜に、偶然にも他の生徒も寮を抜け出したと言うのだろうか。あまりに奇妙な偶然だけれど、三人にとってはある種の幸運に違いない。
ピーブスはきろっと目を尖らせると、楽しそうに口角を三日月形に釣り上げて、そのままフィルチの声がした方向に飛んでいってしまった。
「ヤッホーーイ! 寮を抜け出したおバカで面白い奴はどこのどいつだぁ!?」
それは三人としてもおおいに気になる所であったが、今は賢者の石の方が大切だ。
三人はピーブスがいなくなった階段を一気に駆け上がった。ようやく例の部屋の前まで辿り着くと、以前はしっかりとかかっていた鍵が開いていた。
「ちくしょう、スネイプの奴、もう来てるんだ……!」
やはりロンは未だスネイプを犯人だと確信しているらしく、悔しげに眉を寄せている。早く、と急かされながら、できるだけ音が立たないようゆっくりと扉を開くと、耳心地の良い音色が優しく部屋に響いていた。
恐る恐る足を踏み入れると、あんなに警戒していた三頭犬が、部屋の真ん中で気持ち良さそうに眠りこけている。
ハリエット達はきょとんとした目でフラッフィーに近付いた。ぴすぴす寝息を立てて微睡む寝顔は普通の犬と何ら変わりない。
動物好きのハリエットは素直に可愛らしいと思った。ハグリッドが可愛がるのもわかる。ロンとハーマイオニーの方は、あまりそう思わなかったようだけれど。
「足元に戸があるわ、退かさなくっちゃ。ロン、手伝って」
「えっ!?」
「ほら、早く!」
ハーマイオニーは有無を言わせなかった。ぐいぐいときつくロンの腕を引っ張るものだから、ロンも渋々と従ってフラッフィーの脚に手を添える。起こしてしまわないかと冷や冷やしたが、ハグリッドが言っていた通り、フラッフィーはハープの音色でぐっすりだった。
二人がフラッフィーの脚を退かして、ハリエットが戸を開く。底が見えない真っ暗闇だった。三人とも静かに黙り込んで、暗闇を覗きながら、どうしよう、とでも言う風にお互いの顔を見合っている。
まるで、誰から行くのかと、困惑しているように見えた。
───先に行かなきゃ。
不意にハリエットはそう思い、それから自分以外の二人に視線を向ける。
それぞれしかめっ面をして、この真っ暗闇に飛び込む覚悟を決めようと必死に葛藤しているようだった。だったらやっぱり、最初に覚悟を決めた自分が行った方が良いかもしれない。
ハリエットは飛び降りやすいよう、尻餅をついて真っ暗闇の底に足をぶらつかせた。
残り二人がぎょっとした様子のハリエットの事を見つめてくる。きっと、ハリエットが自分達より先に決心をつけてしまうなんて、思ってもみなかったのだろう。
「えっと……」
二人の視線になんとなく戸惑いながら、ハリエットはぽつりとこぼす。
「何か、あったら……い、言うから……」
じゃあ、とハリエットは言って、真っ暗闇の底に落ちて行った。
・
ドシン、と音を立てて、ハリエットは何か柔らかい物の上に落ちた。
思っていたよりも痛くはなくて、手探りで辺りを確認してみると、うぞうぞと蠢いている。
手で触れて、それが何かの植物だと気付いた頃には遅かった。身を捻ろうとした体に黒い蔓がまとわりついてきて、ハリエットがもがき出そうと思わず腕を振ったそのタイミングで───ドシン!
「うわぁあぁぁっ!」
「きゃっ!」
上からハーマイオニーとロンが落ちてきて、ハリエットと同じように植物の上に着地した。偶然にも丁度三人は等間隔になって、向かい合うように尻餅をついている。
大の字になったロンが、植物を見渡して言った。
「これ、何?」
起き上がろうとしたロンの足首に、ハリエットにまとわりつくのと同じ黒い蔓が絡みつく。三人は瞬く間に黒い蔓に巻き付かれた。
ロンはパニックになって大きく体を暴れさせていたし、ハリエットは動こうとした端から黒い蔓に動きを封じられ、恐怖で硬直してしまっている。ハーマイオニーだけが冷静に声を上げた。
「落ち着いて、悪魔の罠だわ! 暴れるほど、早く殺されるの!」
「早く、殺される!?」
逆効果だった。
ロンはハーマイオニーの言葉の前後もすぐに頭から吹き飛ばして、一心不乱に暴れ続けた。蔓から抜け出そうとすればするほどロンの体に絡みついている。
そうこうしているうちに、ハリエットとハーマイオニーの体が少しずつ蔓の海に沈んでいく。
「ハリー、ハーマイオニー!?」
ロンの悲痛な呼び掛けに、ハリエットは応じなかった。応じられなかった、という方が正しいかもしれない。ハリエットはすっかり、恐怖で固まってしまっていたからだ。
けれど、その恐怖が幸をなした。ずるずると沈んだ蔓の底で、ばっとハリエットの体が自由になって床に落ちた。
顔を上げると、同じように自由になったハーマイオニーがいる。落ちてこないのは、まだ暴れているロンだけだった。
「あぁぁーッ! もうダメだァ僕死ぬんだァ!」
「ロン、落ち着いて!」
「死者の声ー!」
「落ち着けって言ってるでしょ! ええと、悪魔の罠、悪魔の罠……暗闇と湿気を好み……」
ぶつぶつと何かを呟いた次の瞬間、ばっとハーマイオニーは顔を上げた。
「そう、お日様の光! 悪魔の罠は光と火に弱いのよ! ───“
ハーマイオニーが向けた杖先から強烈な輝きが放たれる。蔓がすくみあがり、光が当たった場所から颯爽と隙間を開き、やがてロンの体を締め上げていたものも散っていった。
「いてっ! ───助かった!?」
「落ち着いてたら、もっと早く助かったわよ」
ハーマイオニーは口を尖らせて言った。何はともあれ、ハーマイオニーの薬草学の知識に救われた事には違いない。
ロンは頭をかきながら礼を言い、ハリエットも同じようにハーマイオニーに感謝の言葉を述べた。
通路は一本道になっており、ハリエット達はその道を進むしかなかった。
壁を伝い落ちる水滴の音だけが響く中、三人はできるだけ固まって進んだ。ハーマイオニーが“
「……何かしら」
不意にハーマイオニーが言った。
「何か聞こえる。そうでしょ?」
「うん、僕も聞こえる。何だろう……」
音はハリエットにも聞こえていた。ぱたぱたとした軽い音で、金属のこすれたような音も混じっているような気がする。細やかな音に首を傾げながら足を進めると、ホグワーツの大広間のように開けた空間に辿り着いた。
そこでようやく音の正体がわかった。夜空のように輝くアーチ形の高い天井に、きらきらと宝石のような小鳥が飛んでいる。
「襲ってくるのかな……嘴で、啄んできたりして……」
「それはないと思うわ。ほら、よく見て」
おどろおどろしいロンの言葉に、ハーマイオニーが天井を指さしながら言う。
「鍵に羽が生えてるの。鍵鳥なのよ、きっと。本で読んだことはないから、多分だけれど……」
確かに目を凝らして見てみると、小鳥には胴体なく、色々な種類の鍵に羽が生えている。ハリエットにはそれが小鳥というより、まるで蜻蛉か何かのように見えた。
ハーマイオニーの指摘通り、真下を通り抜けても、鍵鳥が襲ってくることはなかった。しかし、いっそ拍子抜けするほど簡単に辿り着いた扉の取っ手を引っ張っても、扉は開かない。
「“
ロンが杖を降っても、結果は変わらず。
「もう! どれが鍵なの!?」
空は憎らしいほどに眩く輝き、鍵鳥は何千羽も飛んでいる。この中から一羽ずつ試すような時間もない。
ハリエットはゆったりと歩を進めながらぼんやり天井を見上げた。とん、と腹に何かが触れて視線を下ろすと、ふわりと宙に浮いている古ぼけた箒があった。
これを使って鍵を取れということなのだろうか。
もう一度、天井を見上げる。宝石のようなそれはやはり蜻蛉か、それか蜉蝣のようにハリエットには見えた。
───古い、羽。
ハリエットの視界にある一羽が見えたのと、ハリエットの思考がふとそう思ったのは同時だった。天井に指さすと、ハーマイオニーとロンが近寄ってきて指の方に目を向ける。
「どうしたの、ハリー」
「……あれ、」
「どれ? どれ?」
指さした一羽は、たくさんの鍵鳥の中で最も古ぼけていた。動きもいっとう遅く、羽もみすぼらしい。目の前の箒と似ているような気もする。
ハリエットがハーマイオニーとロンを見やると、二人もまたハリエットを見やった。
目の前には箒がある。ハリエット・ポッターはグリフィンドール期待のシーカーだ。
つまり。
「……」
「……」
「……」
ハリエットは、無言で箒を掴んだ───次の瞬間、何千羽もいた鍵鳥がハリエット目掛けて襲いかかる。
「───ッ!」
「ハリー!」
至近距離でハーマイオニーの声がした。ロンがハーマイオニーの手を引っ張ってすぐさま飛び退き、ハリエットは箒に乗ってみせた。跨る暇もない乱暴な乗り方でフーチが見れば姿勢が悪いと叱りつけるような状態だった。
───飛ぶしかない。
古ぼけた見た目の割に、箒は早かった。鍵鳥の群れから逃げながら目を凝らして作り物の夜空を振り向く───シーカーの目は一羽だけ、追いかけてこない鍵を見つけた。
───あの鍵だ。
ハリエットは箒を転身させた。鍵の群れと面と向かう直前で急降下し、器用に群れの真下を潜り抜ける。どうやら件の鍵鳥は羽が一枚破れかけていて、早く飛ぶことができないらしい。
ハリエットはまっすぐ飛んで鍵鳥に飛びついた。きぃきぃと手のひらで鍵が震えるのを握り締める。また身を翻し、今度はハーマイオニーとロンのもとまで向かう───二人は扉の前で待機していた。
真横スレスレを飛んだ時、鍵をキャッチしたのはロンだった。できるだけ扉から離れて群れを引きつけている隙に、ガチャガチャと鍵を差し込んで扉を開く。
「───開いた!」
「ハリー、早く!」
その声に、ぐんっ、とハリエットは急降下した。
そのまま斜めにまっすぐ扉向けて箒を駆ける。ロンとハーマイオニーは扉の手前で、すぐ閉じられるよう待機していた。箒を持つ手に力がこもる。
扉の前で、ハリエットは箒を蹴飛ばした。ごろんと頭から飛び込みかけて、咄嗟にハーマイオニーが身を乗り出してそれを受け止める。
ロンが全身を使って扉を閉じる───ガタガタカタ! と音が扉に突き刺さり、そして静まった。
ハリエットが顔を上げたその時、ハーマイオニーが驚愕と憤怒が入り交じった顔で叱責した。
「箒から飛び降りるなんて何考えてるの!? ここはクィディッチの芝生の上じゃないんだからね!」
ぱっとこちらを向いたロンが開きかけた口を閉ざす。きっとロンの意見はハーマイオニーとは真逆で、おおかた「クィディッチみたいですごいや、流石グリフィンドールのシーカー!」とでも褒めるつもりだったのだろう。生粋の魔法族は生粋のクィディッチ狂いなのだ。
正直、ブラッジャーに追いかけられるよりも鍵鳥は楽だったけれど、ハリエットはそう言わなかった。
ごめん、とだけ小さく呟けば、ハーマイオニーもそれ以上は何も言わなかった。ハリエットが箒を手に取ったのを黙って見ていたこともあるのだろう。
何はともあれ、賢者の石は確実に近付いている。
三人の魔法使いは並び立って、目の前の一本道を進んだ。