翌日から、新学期が始まった。
記念すべき最初の授業は薬草学で、ハッフルパフとの合同授業。マンドレイクの植え替えを、一つの苗床につき四人で行う為、ハリエット、ハーマイオニー、ロンの三人グループにはもう一人、髪の毛がくるくるとカールしたハッフルパフ生が加わった。
「ジャスティン・フィンチ=フレッチリーです」
ジャスティンは礼儀正しい少年だった。
愛想が良く、ろくに話したことがない三人にも明るい声で握手を求めて自己紹介をしてくれる。ハッフルパフに相応しい朗らかさだ。
「話したことはないけれど、君達のことは知ってます。君はハーマイオニー・グレンジャーでしょう、何をやっても一番の……それから君はロン・ウィーズリーだ、お兄さん達がいつも元気そうだから知ってます。妹さんの入学おめでとう」
ハーマイオニーとロンが、それぞれにっこりと握手をする。
「それから、君も知ってますよ。勿論。だって、あの有名なハリエット・ポッター……」
言いかけて、ジャスティンはハリエットを見つめて、ぱちくりと目を瞬かせた。
「ごめんなさい、嫌でしたか?」
突然そんなことを聞かれて、今度はハリエットがぱちくりとする番だった。
「有名、っていうのは褒め言葉……というより、そうだな、貴方のことを良い風に言ったつもりだったんです。でも、あまり嬉しそうじゃないから……もしも貴方が嫌なら、これからそういう風に貴方を呼ぶのは控えます」
すみません、とジャスティンは改めてそう言って、ハリエットは思わず呆然としてしまった。
同時に、きっと彼は良い人なのだろうな、とぼんやり思う。
ハリエットは、自分が『生き残った女の子』であることが好きではない。変えられない事実だけれど、それが原因で目立つのは嫌だし、その話をうきうきとされても困るのだ。
それを表情から機敏に感じ取って、話を変えてくれたジャスティンは、やはり気遣いができて優しい人物なのだろう。
「……ぁ、あの……」
「はい」
「あ……あり、がとう……」
囁くようにハリエットが呟くと、ジャスティンはにっこりと微笑んだ。どこかほっとしたような、誠実そうな笑みだった。
もし自分がハッフルパフに入っていたら、ジャスティンとは仲良くなれただろうか。なれていたなら良いと思う。漠然と、そんなことを考えた。
その後も授業は好調だった。
変身術ではコガネムシをボタンに変える課題で、ハリエットはクラスで三番目に早く成功させることができた。一番は勿論ハーマイオニーで、二番目はレイブンクローのアンソニー・ゴールドスタイン。マクゴナガルはご機嫌で、誰よりも早くできた三人に、それぞれ五点ずつをくれた。
ハリエットの気分はとても良かった。
授業のこともあるけれど、どこかいつもより清々しい心地だ。
何しろもう二年目だから、皆『生き残った女の子』のことなんて珍しくも何ともない。実際、去年の今頃と比べてみると、突き刺さる視線は間違いなくずっと少なかった。
「……あの……」
しかし、それでも。全てなくなった、という訳ではないようで。
唐突に呼びかけられたのは、昼食を終えた後の三人が、中庭で暇を持て余していた時だった。
「あの、ごめんなさい、突然。ミス・ポッター……ですよね? 僕───僕、コリン・クリービーと言います」
顔を上げて少年を見やる。聞き覚えがある名前だった。確か、昨夜の組み分けの儀式で、マクゴナガルに名を呼ばれていた一人だ。
薄茶色に近いブロンドで、マグルのカメラのようなものを胸の前でしっかり掴んでいる。ばちりとハリエットと目が合うと、顔中の白い肌全部、リンゴのように真っ赤に染めていた。
「こんにちは───あの、えっと、僕も、グリフィンドールです───それで、あの───その───もし、もしも、構わなかったら───」
ひとしきりもじもじした後、少年は遠慮がちに問いかけた。
「写真を、撮っても良いですか? その……貴方の」
一瞬、ハリエットはぽかんとした。困ったようにロンとハーマイオニーを振り返ると、少年が慌てたように更に続ける。
「駄目だったら良いんです! 駄目だったら……でも、もしも……ほんのちょっぴり、構わないって思ってくれるとしたら───」
少年の声は段々しりすぼみになっていった。
言い出しっぺなのに俯いて、ちらりと上目遣いにハリエットを見上げている。
「僕、貴方に会ったことを証明したいんです」
曰く。
コリン・クリービーはマグル生まれだった。父親は牛乳の配達員で、二つ年下の弟がいる。ダーズリー家も満足そうに頷くような、とてもごく普通の家庭だった───彼と弟のデニスが“変わり者”だったことを除いては。
「僕と弟は、昔から、色々と変なことができたんだけれど、ホグワーツから手紙が来るまでは、それが魔法だって知らなかったんです。パパは僕らが変わり者なのは気にしないけれど、魔法については信じられなくて……だから、写真をたくさん送ってあげたいんです。ほら、この世界は特別な液体で現像したら、写真が動くんでしょう?」
それで、どうして自分と写真を撮ることになるのだろうか。
ハリエット・ポッターは確かに有名だ。魔法界で自分が知らぬ者なしと本にだって書かれているけれど、それはあくまでも魔法界に限った話。マグルのクリービー氏に自分との写真を見せたって、何の意味もないだろう。
けれど、コリンはそう思ってはいないようだった。彼はじっと、憧れの人を見るような目でハリエットを見つめている。
「それで、もしも、貴方の友達に写真を撮ってもらえるなら、一緒に並んで撮って欲しいんです……それから、その写真に、サインを書いてくれませんか?」
「サイン!?」
ぎょっとしてロンが叫ぶ。真っ赤な顔でこくこくと頷くコリンに、ハリエットは愕然とした。彼はちょっと自分のことを、特別視しすぎているのではないだろうか。
えぇと、とハリエットが戸惑っていると、コリンがしゅんとしながらこちらを見上げた。
「どうでしょう……駄目ですか?」
あぁ、どうしよう。
ハリエットは困り果てながらコリンを見つめ返した。
別に、一緒に写真を撮ることに問題はない。…多分。おそらく。きっと。
けれど、コリンが望んでいるのは「有名人」のハリエット・ポッターで、ましてそれにサインまで求められていると思うと、戸惑う気持ちの方が強かった。
返答の正解がわからない。下級生を悲しませたい訳ではないけれど、これは、身に余ることではないだろうか……。
「そこで何をしているんだ?」
そうやってハリエットがぐるぐる思考を巡らせていると、誰かの声が新しく割って入ってきた。
はっと顔を上げる。いつものように、クラッブとゴイルを後ろに引き連れたドラコの姿がそこにはあった。
ハリエットの視界の端で、ロンが顔を歪めているのが見える。しかしドラコはロンのことをまるっきり無視して、真っ先にハリエットの方を見た。
「何かあった? また何か困っているなら、僕が手を貸して……」
「引っ込んでろよ、マルフォイ!」
「……相変わらず礼儀がなっていない奴だな、ウィーズリー。僕はお前じゃなくて彼女に話しかけたんだ」
忌々しげにドラコが吐き捨てる。書店の時と言い、この二人の相性の悪さときたら筋金入りだ。おまけに父親同士の関係性も水と油。親子揃ってなのだから余計にタチが悪い。
まだ何か言いたそうなロンを放って、ドラコが「それで」と呟きながら改めて向き直り、それからコリンをちらりと視界に映した。
「……お前、名前は?」
「えっ? ……あっ、コリン。コリン・クリービーです」
「クリービー……聞かない名前だな。大方、マグル生まれなんだろう」
ふん、とドラコは鼻を鳴らした。
コリンはと言うと、きょとんと目を丸くしている。言われるがままに名乗ったけれど、何がどうなっているのか、よくわからないのだろう。
ハリエットもよくわかっていなかったが、ただ、ドラコがコリンに険悪なことを言わないかとはらはらしていた。
「良いか、コリン・クリービー。僕がお前に大切なことを教えてあげよう」
しかし、ドラコの態度はハリエットにとって予想外のものだった。
彼はコリンを侮辱するでもなく、追いやるでもなく、彼の名を呼んで穏やかに語りかけたのだ。さながら、目上の者が目下の者に、指導をしてやるかのように。
ロンとハーマイオニーが、あんぐりと口を開けて驚愕している。ハリエットも驚いてしまって、じっとドラコを見つめた。
「お前は知らないのだろうが、魔法族にも良い家柄と、そうでない家柄というのがある。そして、彼女───ミス・ハリエット・ポッターのポッター家は、それは古くからある由緒正しい家柄だ。誰彼構わずおいそれと話しかけて良い相手じゃない。礼儀を弁えなくては話にならない」
「そ……そう、なんですか!?」
コリンは驚愕の表情をドラコに浮かべ、ばっとハリエットを見て、それからもう一度ドラコの方を見た。
なんて素直な反応なんだろう。心なしかドラコの表情も、満足そうに口角が上がっている気がする。
「そうでなくても、彼女は二年生なんだ。新入生で、マグル生まれ───そんなお前が、礼儀も心得ず話しかけて困らせるなんて、無礼極まりない話だと思わないか?」
「それは……そうかもしれません」
えっ、と誰かが驚いたように声をこぼすのが聞こえる。
コリンはドラコの言い分に深く納得したようで、目に見えてしょんぼりしてしまった。あんなに意気揚々と胸の前に構えていたカメラを、今にも落としそうに気落ちしている。
ちょっと素直すぎるのではないだろうか。ハリエットはなんだか彼のことが心配になった。別に落ち込ませたい訳ではなかったのに。対してドラコは満足気な様子だ。
「わかったなら良かったよ。さぁ、さっさと───」
「でも、僕やっぱり、彼女に写真を撮って欲しいんです」
びたりとドラコの動きが止まった。皆の視線がコリンに集まる。
「僕……僕、この学校って、本当に素晴らしいって思うんです。きっと弟もここに来ると思う。僕らみたいな変なことが当たり前で、むしろもっと凄いことをできる人がたくさんいる」
だから、とコリンは言った。
「だから、そういう凄い人と写真が撮りたかったんです。そうしたら、パパは僕が凄い学校に通っているってわかってくれると思うし……あと、何より───弟が、ここに来るのを楽しみにすると思うんです」
コリンがそう話すと、途端に皆、しんと黙り込んでしまった。
なんだかしんみりするような、どことなく気まずいような、独特な雰囲気に包まれる。変なことが当たり前。そう告げたコリンの言葉に、ハリエットは妙な気持ちにさせられた。思うところがあっても、言葉にするのは難しい。
例によって意外だったのはドラコの反応だ。てっきり馬鹿にするか罵るかと思ったのに、やけに神妙な面持ちでコリンの言葉を聞いている。後ろのクラッブとゴイルも、何とも言えない表情だ。
どうしよう、とハリエットは狼狽えながら彼らを見ていた。
なんだか、もう、撮ってあげても構わないような気がしてきた。よくよく考えれば、写真をばら撒くと言っている訳ではないし、ロックハートの時のような新聞やらに大々的に載せたいという訳でもない。ただ一緒に写真を撮って、家族に見せたい。同じ寮の先輩と後輩で。微笑ましいことではないか。
サインの方は、流石にちょっと遠慮したいけれど。
「え、ええと……コリン?」
「! はい!」
元気の良い返事。しょぼくれた背筋がしゃきんと伸びる。
あの、と、まるで恐る恐ると言わんばかりに、ハリエットは口を開こうとして───聞こえた声に、ぎゅっ、と閉ざしてしまった。
「───おや、おや! そこにいるのはハリエットではありませんか!」
やけに響き渡る通りの良い声だった。
ギルデロイ・ロックハートはターコイズ色のローブをひらりとなびかせながら、ハリエットを見つけるなり満面の笑みで話しかける。
「あぁ───ハリエット、ハリエット! また逢えて嬉しいよ。フローリシュ・アンド・ブロッツ書店での、サイン会以来だね! この懐かしき母校で、君を教えることができる日を心待ちに……」
「あー、僕ら、行かないと!」
突然ロンが叫ぶと、ハリエットの手首をがっと掴んだ。驚いている暇もなく、そのままぐい手を引かれる。
「なっ、ちょっと、お待ちなさい! 私はまだ……」
「じゃあなクリービー、ハリーはまた今度貸してやるから!」
ロックハートの台詞を遮ってロンはコリンにそう言うと、そのままぴゅーっと駆け出していった。慌ててハーマイオニーが後をついて走ってくる。結局その場には、コリンとドラコ、クラッブとゴイル、それからロックハートが取り残された。
だいぶ走っているうちに午後の鐘が鳴って、三人は立ち止まった。振り向くと、ハーマイオニーがぷんぷんお冠で怒っている。
「ちょっと、ロン! 今のはロックハート先生に失礼よ。せっかくハリーに話しかけてくださったのに逃げてきちゃうなんて」
「えぇ……君さぁ、ハリーの性格知っててそれ言う? 書店で何があったか覚えてないの?」
あの日『隠れ穴』に戻った後、それから翌日の新聞に写真が載った時も、ハリエットがずっと嫌そうだったことを、ロンはちゃんと覚えていたようだった。
「まぁいいよ。早く次の教室行こう」
「あのね、言わせていただくけれど」
まるで機嫌が悪い時のマクゴナガルのような厳しい声で、ハーマイオニーは言った。
「その次の授業が、貴方が今さっき失礼な態度を取ったロックハート先生の、闇の魔術に対する防衛術なのよ」
その記念すべき───ハーマイオニーにとっては間違いなく記念すべき───闇の魔術に対する防衛術を経て、ハリエットは確信した。
自分はギルデロイ・ロックハートという人のことが、苦手だ、と。