深紅と金、ライオン、心に宿すは勇気と騎士道。
それこそが、ゴドリック・グリフィンドールが創設したこの寮の象徴である。
ハリエットが組み分けされた瞬間の、グリフィンドール生達の歓喜と言ったらない。同じ顔をした赤毛の男子生徒二人にわしゃわしゃと頭を撫でられたり、ハーマイオニーが満開の笑みでハリエットを迎えたり。その全てが、ハリエット・ポッターには新鮮な感覚だった。
最後に残ったロンはグリフィンドールに組み分けされた。希望に沿った寮に入れて大層ご満悦の様子だ。
組み分け後はアルバス・ダンブルドア校長の挨拶、歓迎パーティー───各寮を代表するゴースト達からの歓迎。グリフィンドールはほとんど首なしニックと言う、首をぐちゃりと外してしまうゴーストには心臓が止まりかけた。
ゴーストの存在に慣れそうになくて、ひとまず豪勢な食事に意識を逸らしてありつく。ダーズリー家で残り物を食べていた身には過ぎるほどの輝かしさを放つテーブルの食卓に、普段の食が細いハリエットでもたまらぬ食欲を引き立てられた。
誰の手も触れていないナイフが切り分けたステーキをフォークで拾い刺した時、不死鳥を模した台に校長のアルバス・ダンブルドアが立ち、生徒達へ向けた注意を口にする。
敷地内の森に入ってはならない。廊下で魔法を使ってはならない。二年生以降に対するクィディッチ? の呼び掛けは内容がよく理解できなかった。そして最後に一つ。
「死にたくなければ四階右側の廊下に入らぬ事じゃ」
との事である。
ひそひそと生徒達が囁きあった。その廊下に何があるのか気になるのだろう。ハリエットも興味がないとは言わないが、確認したいとは思わない。
ダンブルドアの話の途中、不意に傷に痛みを感じたものの、すぐに治まったので特に気にする事はなかった。
ホグワーツの生徒が寮で過ごすにあたって、かかせないものがある。同じ寮に属する同室の友人だ。
ハリエットの同室になったのはハーマイオニーと、ラベンダー・ブラウン、パーバティ・パチルの三名だった。パーバティにはパドマという双子の姉妹がいて、彼女はレイブンクローに組み分けされたらしい。
ハリエットにとって幸運だったのは、三人が“ハリエット・ポッター”に強く興奮しなかった事。否、ハーマイオニーは多少興奮気味になってはいたが、それは見知った人が有名人であった事への驚愕故だろう。
パーバティとラベンダーは魔法族出身でハリエットの事をハーマイオニー以上に理解していた様子だが、それだけ。こうしてみると、ロンやドラコはの反応は過剰なように思えた。
「わぁ、ハリエットの髪ってばすっごいサラサラ! 指がするする通るよ」
「ホント。でもハリエット、これだけ綺麗なのに、毛先が少しバラバラよ。整えた方がいいわ。明日の朝にでも私がやってあげる、パドマとやった事があるから」
「いい、の?」
「勿論! 変わりって言う訳じゃあないんだけれど、貴方の事ハリーって愛称で呼んでもいいかしら?」
「え、ずるい! 私もハリーって呼ぶわ! ねぇハリー、いいでしょ?」
「なら私もよ! ハリエット、いいえハリー。これからよろしくね!」
その一室は間違いなく、未来ある少女達の暖かい花園だった。
・
逃げたい。
嫌というほど突き刺さる視線に、ハリエットは心の底からそう願った。深く俯いたハリエットの手を取って、ハーマイオニーがずんずん進む。
生徒達はすれ違うたびに密やかな声をこぼし、スリザリン生徒に至ってはハリエットを小馬鹿にするようにせせら笑う者までいる始末。
ハリエットといるせいでそれら全てを共に受けながら、しかしそんなもの知ったこっちゃないと言わんばかりの態度を取るハーマイオニーには感謝の念が耐えない。
ロンとドラコの反応が過剰でなかったのだと理解すればするほど、周囲の態度に気が重くなる。パーバティとラベンダーは仲良くしてくれるが、それでもハーマイオニーほどではない。本当にハーマイオニーが頼りになりすぎて、ハリエットは泣きそうになった。
城の中を迷いながらなんとか辿り着いた教室で受けたのは、マクゴナガルが担当する変身術の授業。ノートに延々と書き取りをしてから、最後の数十分は実際に魔法を実践する。
「このマッチ棒を小指程の長さの針に変えてもらいます。より先端を鋭く、より明るい光沢がつけられた生徒には成績を加点しましょう」
与えられたマッチ棒に生徒達が杖を振るう。一足先にハーマイオニーがマッチ棒を変え、十秒ほど遅れてハリエットのマッチ棒も形を変えた。
ハリエットの針は少しヒビが入っており、ハーマイオニーのものほど完璧な針ではない。けれどもクラス全体で針に変えられたのがハリエット達だけだった事もあってマクゴナガルは二人を褒め、ハーマイオニーはそれによって得点も与えられた。
魔法史の授業はある意味で酷かった。静かに教科書を読み上げるゴーストのビンズ卿の声音は睡魔を誘う。事実ほとんどの生徒が抗えぬ睡眠欲に従って沈黙していた。
これだけはハリエットも然りで、後日最後まで起きていた猛者ハーマイオニーのノートを借りる事にした。
事件は魔法薬学の時間に起きた。その日も当然のようにハーマイオニーと行動していたハリエットは、これから行う授業がスリザリンとグリフィンドールの合同である事に少しの不安を抱いていた。
入学してまだ短期間、けれどもその間にグリフィンドールとスリザリンの不仲を知るのは実に容易い事だった。
事ある事にいがみ合う上級生達、そしてハリエットを見る時のスリザリン生の瞳を見れば、彼らの抱く感情の意味がおのずとわかる。まして、これから行う魔法薬学を担当しているスネイプはスリザリンの寮監なのだ。
地下の教室に足を踏み入れる。まるで品定めをするように不躾な視線がハーマイオニーを超えてハリエットを貫いた。
「ハリー、端の方に行きましょう」
小声でそう言って、ハーマイオニーは返答を待たずハリエットの腕を引く。くすくすと誰かが笑っている声が聞こえて気分はいたたまれない。ちらりと目を傾けると、ドラコがジッとこちらを見ていたのですぐに目を逸らした。
しばらく経って遅刻ギリギリにやってきたロンが空いていた席に座ったその直後、スネイプが現れた。漆黒のローブを翻した彼が生徒達を見回す。
ハリエットも顔を上げてスネイプを見やった。授業中も俯いている訳にはいかない。
「この授業では杖を振ったり、馬鹿げた呪文を唱えたりしない」
呪文を馬鹿げてるとは、とても魔法使いとは思えない。呪文学担当のフリットウィックが聞けば怒り狂いそうだ。
「……ハリエット・ポッター」
低く這うような声でハリエットの名が呼ばれ、何故か本人より他のグリフィンドール寮生の方が体を強ばらせている。
「アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを煎じたものを加えると何になる?」
光を映さない瞳が、静かにこちらを見据えている。その瞳は、ダーズリー家へハリエットを迎えに来た時よりも濁りを淀ませているように感じられた。教科書を読んだ時の記憶を手繰り寄せて、なんとか質問の答えを見つける。
「眠り薬、です」
「ではその眠り薬の名称は?」
「……わかりません」
覚えていなかったのでハリエットは正直にそう答えた。顔を下に向けてしまおうとすれば、新たに二つ目の質問が飛んでくる。
「べアゾール石を見つけてこいと言われたなら、どこを探すかね?」
「……ヤギの、胃の中?」
疑問形になってしまったが、正解だったようだ。スネイプの口から三つ目の質問が投げられる。
「モンクスフードとウルフスベーンの違いは?」
「……?」
質問の意味がわからず、ハリエットは眉を下げて小首を傾げてスネイプを見返した。スネイプは極めて真面目な顔で聞いてくるが、ハリエットにはやはりわからない。
「……わかりません。同じ、植物だと……思います」
「さよう。どちらも毒性の強いトリカブトの別名である」
要するに、今のは引っ掛け問題という事だ。グリフィンドール寮生が冷ややかな目をしてスネイプを見やり、それによって視線が散らばった事で緊張が解れたハリエットが深い息を吐き出す。
質問の答えを懇切丁寧に説明してから、実に嫌味ったらしく「諸君、何故我輩が今言った事をノートに書き取らんのかね?」などと言うスネイプ。慌てて生徒達がノートにペンを走らせる姿を見て、彼は声をこぼさず鼻で笑っていた。
その後は実際におできを治す魔法薬を作ってみる事になり、ハリエットはやはりと言うべきかハーマイオニーと組んだ。教科書の一番最初は当然読んでいたハーマイオニーが率先して、使用する大鍋を相手取る。
途中ドラコがスネイプに出来がよろしいと褒められ加点もされていたが、ハリエット達は自分の大鍋に意識を取られて聞いていなかった。
「ハリー、そろそろ鍋をおろすから針を入れてくれる?」
「うん」
マイペースに、けれどテキパキと二人は動く。おろした鍋の中に山嵐の針を入れ、底からすくうようにかき混ぜる。工程は完璧だ。ドラコの時のようにスネイプが褒める事はなかったが、教室の端の方にいるので仕方ないと二人は思う事にした。
とりあえず薬を冷まして、スネイプがこちらの方に回ってくるのを待つ。ふと他の生徒達を見た時にシェーマスとネビルのペアが視界に入り───火に炙られた大鍋の中へ、ネビルの手から山嵐の針が滑り落ちた。
「───!」
声もなく立ち上がったハリエットは、まっすぐネビルのもとへ走った。数人の生徒の後ろを抜けて、丸くした目をこちらに向けるネビルの胸に止まった腕を強く押す。
次の瞬間、シューシューという音を鳴らして大鍋が暴れた。緑色の煙を吹き出して大鍋は捻れ、その反動で飛び散った液体がハリエットに降り注ぐ。
「ハリー!」
ハーマイオニーの絶叫を耳にしながらその場に崩れ落ちる。呆然とするネビルに向かってスネイプが怒声を上げ、杖を一振りして床に満ちた液体を消し去った。
「山嵐の針は鍋をおろしてから入れると教科書に書いてある!グリフィンドール十点減点!」
すすり泣くネビルを怒鳴りつけたスネイプがハリエットを覗き込む。液体はギリギリの所でローブが防いでいたようで、ハリエットの顔には傷一つない。
強いて言うなら長い黒髪の毛先が液体を被って、焼いたように傷んでしまっている。
「諸君、我輩が戻るまで何もせず待機していたまえ」
眉間に深い皺を刻み込んだスネイプは、ハリエットの体を横抱きにしてすくい上げると呆然とした様子の生徒達にそう言った。
・
「何故あのような行動に出た?」
液体に濡れたローブを動かす訳にもいかず、ハリエットの顔はスネイプから隠れている。
「口で告げれば良いものを、あれはただの無謀だ。グリフィンドールがよく間違っている事だが───勇敢と無謀は全く異なるものだという事を忘れるな」
心配されているのかはわからないが、スネイプの声が不機嫌そうな事はわかった。
けれどハリエットは、先程の行動を勇敢な行為だとは思っていない。ただ教科書に書いていた注意書きを思い出して、あのままではネビルが危ないと感じたのだ。
ならばスネイプの言う通り声に出して注意すれば良かったのはわかる。それでも、あの場はそうした方が良いと思った。
「……すみません、でした」
ハリエットの謝罪の声は、まるで水に広がる波紋のように揺らいでいた。