見事にデビュー戦を輝かしい功績で飾ってみせたハリエットだったが、その日の夜は医務室の住人と成っていた。
何しろブラッジャーを食らった所が、ちょうど人体の急所の中でも中枢神経に重要な役割を果たす脊髄部分だったのだ。クィディッチの時期になると怒りを通り越して呆れ果てるようになってしまったマダム・ポンフリーの厳命で、ハリエットは大事を見て一晩の入院をする事になった。
たった一晩の入院だと言うのに、たくさんのグリフィンドール生達がハリエットにお見舞いと賞賛をしにやってきた。約半数は「医務室で騒がない!」というマダム・ポンフリーの言葉を無視した為に出禁になっていたが。
「スネイプ先生が、呪文を……?」
出禁にならなかったハーマイオニー達にスネイプの事を聞いたハリエットは、思わずといった風に聞き返した。
確かに箒のコントロールが当然なくなりはしたが、呪文をかけられているとは夢にも思っていなかった。それも教師にかけられていたというのだから、驚かない方がおかしいだろう。
「えぇ。瞬き一つせずハリーを見ながら、何かをぶつぶつ言っていたわ」
「本当よ。私も見たんだから」
ハーマイオニーに続いてパーバティが言う。確かに二人の目撃者がいるのなら、一番怪しいのはスネイプの他にいないだろう。
けれど、何故。ハリエットにはそれが不思議でならなかった。
ロンはスリザリンを勝たせる為だろうと考えたが、正直スネイプがクィディッチの勝敗をそこまで気に留めるとは思えない。例えあの時スリザリンが勝利していたとしても、優勝が確定される訳でもないのに。
「それか、個人的な理由とか? 知らないうちにスネイプから恨まれるような事しちゃったとかさ」
シェーマスが冗談めかしながら呟く。ハリエットは考えてみたが、心当たりはあまりなかった。ペチュニアと知り合いのようだったから、それに関係しているのではないかとも思ったが、それならはじめて会った日からいびり散らかされている筈だ。
「見られたくない所を見られたとかは? ハリー、最近スネイプの変な所見なかった?」
今度はディーンが言った。ハリエットは少し考え込むと、ハロウィンの日の事を思い出した。マクゴナガルとクィレルと共に駆けつけたスネイプの脚が、裂けるような怪我を負っていた事を。
「……怪我、してた」
「怪我?」
「ハロウィンの……トロールが入ってきた日。脚を、何だか切ったみたいだった」
ハリエットの言葉に、全員が不思議そうに首を捻った。
ロンとハーマイオニー以外の皆はトイレの事件を詳しくは知らないし、当事者である二人はマクゴナガルの言葉に意識を取られて、スネイプの事など気にしていなかったのだ。
「……怪我を見られたのが嫌だったって事? たかが怪我を?」
パーバティの口にした疑問に、全員が思考を俯かせる。グリフィンドール生のほとんどがスネイプを嫌な奴だと認識しているが、それでも教師である事に変わりはない。怪我一つの為に生徒一人を危険に晒すだろうか。
「……怪我そのものが理由じゃないのかも」
包み込むような静寂の中、ひっそりと囁き声がこぼれた。ハーマイオニーは七人から感じる視線を受けながら、できるだけ小声で言う。
「この前、ロンとハリーと四階右側の廊下に入っちゃったのよ」
「えっ!? 君達、一体何して……」
「静かに、ネビル。不可抗力だったのよ……それでその時に私達、中に何がいるのか見ちゃったの」
三つの頭を持つ番犬、その名もケルベロス。マグルの世界でもよく知られている怪物だ。そしてハーマイオニーが言いたいのは、その怪物が守っていた足元の仕掛け扉の事だった。
「きっと、ハロウィンの日にトロールを城へ入れたのはスネイプなのよ。それで先生方が地下室に向かっている間に、あのケルベロスを出し抜こうとしたんだわ。怪我は多分、ケルベロスにひっかかれて作ったんじゃないかしら」
ハリエットは目を見張った。ロンが納得したように破綻した顔を浮かべているのが視界の端に見える。一見すると滅茶苦茶な考察だが、確かに辻褄は合っているように思えた。
「じゃあハリーを箒から落とそうとしたのは、怪我の理由がバレる事を恐れてたんだ!」
「ハーマイオニー、君って冴えてるや」
男組は完全にハーマイオニーの考察を信じている。パーバティとラベンダーは釈然としない顔を見合せながら、それでも辻褄の合う話を聞いた事でそうかもしれないと思っているようだ。ハリエットはまだ信じきれていないが、やはり、それを言葉にして言う勇気は湧いてこなかった。
「どうする? 先生達にこの事を言うかい?」
「信じてもらえないと思うけど。スネイプって先生からは信頼されてるみたいだし……先生“から”は、ね」
ディーンの言い方は、まるで生徒からの信頼はほとんどないに等しいと言っているようだった。ひょっとするとスリザリンの生徒はまた違うのかもしれないが。
「……でも、結局その扉の下に何があるんだろう」
ぽつりとネビルが呟いた。それは誰にもわからない。ハリエット達はケルベロスを見て逃げ出したから、その扉を調べようなんて気持ちはほんの少しも湧かなかった。
「あら、そんなの聞きに行けばいいじゃない」
なんて事ないように告げるハーマイオニーを皆が見る。ハーマイオニーはにっこりと微笑んで立ち上がると、ハリエットに一枚の手紙を差し出した。
「ハリーの友達だって言ったら、渡すように頼まれたの」
がさついた麻色の封筒を受け取り宛名を見ると、あまり綺麗とは言い難い文字で「ハグリッド」と書いている。
封を開くと同じ色と手触りをした便箋が数枚、強く太そうな筆圧で無駄に幅を使って文字が綴られている。所々スペルが潰れていて読みにくい所もあるが、要約するとこんな内容だ。
『今度お茶を飲もう。ハリエットの親の話もしてぇ。いつでも待っとる。皆で遊びにおいで』
手紙を読み終えた時には、ハリエットは胸はふわふわと熱くなるようだった。今までの人生でハリエットが遊びにおいでと言われた事はない。
幼馴染みのピアーズがダドリーを誘いに来て、その時に二人についでに来いよと腕を引っ張られる事はあったが、ハリエット自身に向けられた招待状は、間違いなくこれがはじめてだ。
「ハグリッド? 誰だい?」
「僕知ってるよ。禁じられた森の番人なんだ」
ディーンの問いにロンが答え、ハーマイオニーも続く。
「そう、森番。つまり森の動物について、きっと詳しいわ。もしかしたら……あの部屋のケルベロスの事も知ってるかも」
ハーマイオニーの言わんとする事を察したハリエットは、もう一度ハグリッドの手紙に視線を向けた。
翌日、ハリエットは無事に医務室から退院した。
談話室で医務室を出禁にされていたフレッドとジョージに胴上げされそうになったが、咄嗟にパーシーにしがみついてなんとか回避した。まだ進んで目立つ事には慣れていないのだ。
クィディッチの次の試合はハッフルパフ対レイブンクロー、勝った方がグリフィンドールと戦う事になる。それまではまた練習三昧の毎日だ。
一年生は上級生より授業数が少ないので、必然的に午後は空き時間が増える。ハリエットはその時間に、ハグリッドの所に行く事にした。
最初は一年生全員で行こうとした。しかし、ネビルは魔法薬学、ディーンとラベンダーは飛行訓練で居残り。パーバティはパドマとの先約があり、シェーマスは変身術のレポートの提出期間を間違っていた為、死に物狂いで作成中だ。
そんな訳で、ハグリッドの家に行くのはハリエットとロン、ハーマイオニーの三人だけになった。ハリエットはロンに居残りがない事に少し驚いていたが、流石に誰にも言わなかった。けれどおそらく、ハーマイオニーもハリエットと同じ事を思っているだろう。
ハグリッドの家は禁じられた森のすぐ近くにある。ハリエットが知っている家よりとは異なり、まるで中世ヨーロッパの民家のような雰囲気だ。
大きな扉を三度叩くと、ハグリッドはすぐに扉を開いてくれた。ずっと高い場所にある目がハリエットを見つけた時、その奥に嬉しそうな感情が灯るのが見えた。
「おぉ、ハリエット。後ろの二人もよう来たな」
ハグリッドは心底ご機嫌そうな顔で三人を迎え入れてくれた。家の中は多少乱雑だが広々としたスペースがあり、暖炉の上には取っ手が錆び付いた大きなヤカンが火の上で温められている。
「うわぁっ!?」
きょろきょろと落ち着きなく見渡していると、突然ロンが声を上げた。振り向いてみると、ソファの傍で寝転がっていた黒い大型犬がハリエット達の方に近付いてきた。
「そいつは俺の犬だ。名前はファングっちゅうて、噛み付いたりしねぇから安心しろ」
そう言われても、ロンはまだ少しびくついているようだった。ファングがハリエットの手をすんすんと鼻を鳴らしながら嗅ぎだす。ハリエットは特に怖がりもせず、空いている手でファングの頭を撫でた。特別好む動物は猛禽類と爬虫類だが、犬や猫といった哺乳類だって嫌いじゃない。
ハグリッドは三人に暖かい紅茶を煎れてくれた。両手を使わないと掴めないほど大きなマグカップが目の前に置かれる。包み込むように持つと、じわじわと熱に全身が暖まるような気がした。
「学校はどうだ? もう慣れたか?」
頷くと、そうかそうかとハグリッドは頷いた。ハリエットが言葉を呟くたび、ハグリッドの笑みはより明るさを増していく。
話をする時にこうも目に見えて楽しそうな顔をされる事が今までなかったハリエットは、少し気恥ずかしさを感じた。
どうやらハグリッドは長い事ホグワーツで森番をしているらしい。ロンやハリエットの両親の事も知っていると懐かしむように言った。
「モリーとアーサーは普通の生徒と変わらんかったが、ジェームズはそりゃもう目立ってた。ウィーズリーの双子がおるだろ? あいつらと同じぐれぇ───いや、それ以上に悪戯ばっかりしとった。リリーは優等生だったから、そんなジェームズの事を最初はよく思っとらんくてな。あん時はまさか、あの二人が結婚するとは思ってもみんかった!」
どうやら、ハグリッドはハリエットの両親ととても仲が良かったらしい。ただ顔を知っていただけにしてはエピソードの数が豊富だし、ハリエットの目を見ながら楽しそうに、時々寂しそうになって色々な事を話してくれた。
「お前さんがシーカーだと聞いた時は、そりゃあもう驚いたもんだ! ええか、ハリエット。ジェームズもな、グリフィンドールのシーカーだったんだぞ」
「───……そう、なんだ」
それもまた、知らない事だ。ふとハリエットはマクゴナガルの事を思い出す。自分の寮に対しても、規律違反は厳しく取り締まってきた彼女が、ハリエットの箒の腕をまるで我が事のように喜んでいた。
もしかすると、ただ凄腕のシーカーを見つけたという理由だけではなく、父親と同じ才能を見つけて懐かしい気持ちになったのかもしれない。そう思うと、なんだかハリエットは言いようのない気持ちになった。けれど悪い感情ではない、とも思う。
「お前さんとジェームズの同じとこなんざ髪の色だけかと思っとったが、箒の才能は間違いなく父親譲りだ。何、試合で箒をブン回すぐれぇ、きっとジェームズもやってたろ」
「あっ!」
その時、ハーマイオニーが飛び跳ねるように声を上げてマグカップをテーブルに置いた。衝撃で残った紅茶が小さな波音を立てている。
ハーマイオニーは眉をつり上げながら、ハグリッドを見上げて口を開いた。
「ハグリッド、あの箒はハリーのせいじゃないのよ。スネイプのせいなの」
「何だって?」
ハグリッドが聞き返した直後、ロンも会話に参戦した。
「本当だよ、ハグリッド。パーバティも見たって言ってた。ハリーの箒にぶつぶつ言いながら呪いをかけてたんだ」
「んなバカな。何でスネイプがそんな事する必要があるんだ?」
首を傾げるハグリッドに、ハーマイオニーは続きを話す。
「ハロウィンの日に、ホグワーツにいるケルベロスが守っているものを盗もうとして怪我したのよ。それで、その怪我をハリーに見られて……」
「何でお前さんらがフラッフィーを知っとるんだ?」
「───フラッフィー?」
ハリエットは思わず聞き返した。会話の内容からして間違いなく何かの名前だろうか。予想通り、ハグリッドはそれをあの犬の名前だと言った。
「去年、パブで会った奴から買った。今はダンブルドアに貸してる。守る為に……」
「守る?何を?」
三人が無意識に身を乗り出すと、逆にハグリッドが巨体をできる限り逸らして後ろに下がった。
「ダメだ、聞かんでくれ。重大な秘密なんだ」
「でもハグリッド、そいつが守ってるものをスネイプが狙ってるんだぜ?盗もうとしてるんだ」
ロンが再び言葉を告げると、ハグリッドはまた首を横に振った。
「バカ言うんじゃねぇ。スネイプはホグワーツの教師だぞ」
「でも、本当に呪文を使っていたわ。本で読んだ、瞬き一つしちゃいけないって。スネイプは一心不乱にハリーを見てた」
ハーマイオニーの真剣な言葉に、ハグリッドは嘘がないと察したようだった。しかしそれでも、スネイプが生徒を殺そうとする訳がないと譲らなかった。
「いいか、三人共。お前さんらは関わっちゃいかん事に関わっとる。悪い事は言わねぇからやめとけ。あれはダンブルドアとニコラス・フラメルの───」
「ニコラス・フラメル?」
また何かの名前だ。今度はおそらく人の名前。ハグリッドは口を閉じ、それからやってしまったと言わんばかりに頭を抱えた。どうやら彼は今、かなり重要なワードを口走ってしまったらしい。
それからしばらく、ハグリッドは自分が口を滑らさないように、さっきまでの笑顔が嘘のようにぶっきらぼうな会話しかしなくなってしまった。