ルガーランスはぁ!こう使う!   作:ミツヒRo・バートランド

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ゆきっぺ誕生日おめでとうってお話(ギリギリ)
でも2142年の2/17って仏滅なんですよね




蛇足~MK.Ⅰ~

 

 

日も落ちてあたりが闇に包まれ始めたあくる日、仕事を終えた由紀恵は帰途についていた。

 

(まっすぐ帰れと言われたけどなんなのよ)

 

幼馴染に言われた言葉の真意を確かめるため、彼女はその通りに――少しの反発心はあるが――行動する。

やがて玄関にたどり着き、カギを回して扉を開けた。

 

(……? 珍しい)

 

由紀恵が家に入ると、玄関、いやリビングに通じる扉のすりガラスからも光が漏れていないのを見るに、部屋中が真っ暗なのだろう。

学校はすでに終わっている時間だし、外で遊ぶことさえ夜闇で見えないのだからしないはずだ。

いつもなら同居している小学生が走ってくるが、その足音も聞こえない。

 

(もう寝たと? 今日は早いわね)

 

原因に当たりをつけた彼女はヒールを脱いでから下駄箱を確認する。同居人の小さな靴があった。やはり家には居るようだ。

由紀恵は廊下の電気をつけてからリビングに向かった。

 

ドアノブを押せば、キィと鳴いて扉が開く。

同時に暖かい空気が飛び出して来た。

どうやら空調をつけたままにしているらしい。

 

(無駄使い……起きて来たら言ってやらないと)

 

ため息をついてリビングの照明スイッチを押そうとする由紀恵だったが。

 

それよりも早く、カチリ。という音の後に橙色の明かりが机に灯ったので、彼女は伸ばした手を止め、明かりの方に視線を送る。

 

照らし出される顔。

 

「おかえり、母さん」

「あなた、何をしているの」

「待ってたんだ」

「待っていた? ホラー番組の真似はやめて頂戴」

「えぇ? 違うよ、そんなんじゃないって」

 

(いたずらのつもり? いつそんな知恵をつけたのやら)

 

椅子に座ってこちらを凝視するのは、もはや見知った同居人。

僅かな明かりの中でもにこにこと笑みを浮かべているのがわかる。

 

(相変わらず何を考えているのかわからない顔ね。気持ち悪い……)

 

その笑顔は、由紀恵にとって妙な感情を抱かせる。

気持ち悪さと、安堵の気持ち。それらが混ざって理解しがたいものになってしまうが故、彼女は同居人の笑顔にハリボテ人形が笑ったような奇怪さを感じてしまう。

 

「ならなによ」

「誕生日でしょ、母さん」

「…………」

 

(誕生日……?)

 

由紀恵は動きを止めた。

本日は2月17日。確かに誕生日だ。

 

(だから何だっていうのよ)

 

言葉の意味を測りかねた由紀恵は同居人の周りを観察した。

よくよく見れば、机に何か置いてある。

 

明かりの出どころはろうそくだ。「20」という形を取ったろうそくなのだ。

その下のクリームで構成された円柱から……いや、円柱に突き刺さっている。

上面は他にも黒いプレートが置かれ、白い文字で何かが書いてある。

 

(これは)

 

収集した情報から、由紀恵の頭脳は物体の正体を看破した。

すなわちそれはケーキだ。ケーキがおいてある。

 

「お誕生日おめでとう、母さん」

 

いっそ絵になるくらいの笑顔でほほ笑む少女。

一方で由紀恵の内心は最初に忘我、次いで祝われたことに対する感謝、遅れて憤りがやって来た。

 

(おめでとう……? おめでとうですって? 生まれて?)

 

相手は「ありがとう」という言葉を待っているのだろう。しかし、由紀恵はそう素直に言えなかった。

 

(実験台として生まれてありがとうって……あなたもいうわけ?)

 

出自と過去から己の運命に反発心が生まれているが故、自分自身に対してどこか拒否感が現れる。ほかのことはいいとして、このことだけは少し穿った見方をしてしまった。

誕生日を祝われるという行為。幼いころはあったそれも、両親が居なくなったことで途絶え、慕う相手に支えられていたはずがその相手も島を出て、真に自分を理解して祝ってくれる相手がいなくなった孤独感。もはやそればかりが心を占める。ぽっと出の人間が、それを埋められるはずもない。そう考えていた。

 

(あなただって実験台のくせに、島の大人共と同じことを……)

 

「去年はそんな余裕なくてできなかったから、今年はって思ったんだけど……どう?」

 

目前の相手はまだ何か言っている。

その顔は笑顔から変わらず。何も考えていなさそうなまま。

されどわずかな不安の色が見える。怯えを必死に取り繕っているのだ。

拒絶を恐れる瞳。

そこに、いつかの自分を幻視した。

「誰がやれと言った!」なんて怒りのままこの小さな子供に当たっても自分はすっきりしないだろう。そんな予感がある。

加えて先日に苦しみをなくしてあげる、なんて言ったばかり。怒鳴り散らしてしまえばどうなるかは明らかだ。そこから挽回することに自信もあるが、面倒であることは違いない。

だがしかし、それすら見越した上で試すためにやってきているのかも。

 

(……いえ、今のこの子がそんな知恵を回せるわけがないわ。となると問題は)

 

「誰に言われたの?」

 

由紀恵がやや低い声で問いかけると、少女はびくりと体を震わせた。

 

「ゆ、弓子さんに今日が誕生日だって聞いて……ケーキ作ってあげようって話になって……だ、だめだった?」

 

(なるほど、弓子の差し金なわけ)

 

由紀恵は今日だけやけに挙動不審だった幼馴染の言動に納得した。

意外とマメな彼女が人の誕生日に何も言わなかったのは悪だくみしていた故らしい。

おおかた「誕生日は祝われると嬉しいものなの。だから祝ってあげたらゆきっぺも喜ぶんじゃない?」と入れ知恵したのだ。それで素直に受け取った。

 

それならば余計な意図は……ないとはいわないが、善意の方が多そうだ。

それに。もし、あのまま手を出してしまえば島の奴らと変わらなくなってしまう、人の意思などないものと扱う人間に。そう思った。

 

(わたしは奴らとは違う……違うのよ)

 

納得を示し、由紀恵の頭が冷静さを取り戻す。

 

「そんなことないわ。ありがとう」

 

由紀恵が優しい声音で答えを返せば、少女は再び笑顔に染まった。

 

「よ、よかったぁ……」

 

しかしそれはそれ。

 

「で、あなたがつくったの?」

「あ……本当はそうしたかったんだけど、できなくて……弓子さんに手伝ってもらったというか、やってもらったというか……」

「弓子がやったのね。それなら安心だわ」

 

由紀恵はコートを背もたれにかけて席につく。

 

「えっ……そ、それ疑ってたの!? 失礼な、母さんじゃないんだよ!」

「なんですって?」

「うっ……」

 

由紀恵が睨みをきかせれば、少女は怖気付いてそれ以上言わなかった。

もっとも、不満げな顔をしているが。

 

「今日まで誰が作ったものを食べていたのかしら」

「……母さんの」

「食べられなかったことはある?」

「…………」

「あったのか、と聞いているの」

「……ない、です」

「よろしい」

 

どこか勝ち誇った顔の由紀恵を見て、この話は分が悪いと思った少女は話題を変える。

 

「そ、それより! ふうーってやってよ、醍醐味なんでしょ?」

「それは人によるわよ。まあ、やるけれど」

 

促され、そっと息を吹きかける由紀恵。

しかし炎が揺らめいただけで消えるに至らない。

 

「母さん、もうちょっと強くだよ」

「うるさいわね、静かにしなさい」

 

2度目の吹きかけは成功した。

灯が消え、躍り出た黒い煙はゆっくり宙に舞う。

 

 

 

パッカーン!

 

余韻にほんの少し浸ったところで、少女がクラッカーを鳴らした。

 

「それ、最初にやるものじゃないの?」

「え? そうだった?」

 

(タイミングは全然だめね)

 

ため息を吐いたことで気分を害したと思ったのか、少女は慌てて弁明する。

 

「ご、ごめんなさい」

「気にしてないわよ」

「そ、そっか……」

「やっぱり気にしているわ」

「ええっ!?」

「冗談よ」

「ひぃ……」

 

ころころ表情を変える少女が面白く、つい揶揄いたくなってしまう。

 

(どうしてか、少し今は気分が良いわね……)

 

先ほどまで張っていた意識が、結び目をほどかれるように穏やかになるのを由紀恵は感じていた。

 

(祝い事を言われたのが嬉しいから? それとも……)

 

理由はわからない。

しかし気にするほどでもないのだろう。

ひとまず、目の前の食べ物に意識を移すことにした。

 

「ところでこれ、いつから出していたの?」

「母さんが扉を開ける1分29.12秒前だよ?」

「そう」

 

どうやら知らぬ間に腐っていた、というわけでもなさそうだ。

照明をつければ全貌が見えた。

一般的なホイップクリームとイチゴで装飾されたやや小さめのホールケーキ。てっぺんには「HAPPY BIRTHDAY」とかかれたチョコプレートが乗っている。

食器類や飲み物はすでに用意されていた。

 

「母さんって、ごはん食べてからケーキ食べる?」

「そんなことしたら太るわよ」

「だ、だよね。それじゃあ、召し上がれ!」

「はいはい」

 

ナイフとフォークを手に、由紀恵はひと口大に切り分けて口に運んだ。

 

(当たり前というか、普通に食べられるわね)

 

味は良し。お店の物ほどではないが、家で食べるなら十分だろう。

視線を上げれば期待するような顔で感想を待っている少女。

言わない手もあったが、気分の良い由紀恵は答えてあげることにした。

 

「上出来ね」

「ほんと? やったぁ!」

「大げさ。弓子が主導したのならこの程度は出来て当然よ」

「うっ……精進します」

 

笑顔から一転、しゅんとした顔になる。しかし少女は嬉しそうな雰囲気を出し続けていた。

 

そのまま由紀恵は食べ進める。

ふと、見つめるばかりで何も食べない同居人に気が付いた。

 

「あなた、夕飯はどうしたの」

「ええっと、その……残骸というかコラテラルダメージというか……」

 

(失敗したものを食べたらお腹いっぱいになってしまったと)

 

歯切れ悪く答える少女の姿に、由紀恵は察した。

 

「あっ、あっ、でも作ったのここじゃないから散らかしてないよ!」

「気にしてないわよ」

 

思考回路がおかしくなったのか見当違いの心配をする少女を横目に、由紀恵はケーキを胃に収め続ける。

 

結局、少女はずっとこちらを見続けたままだった。

 

 

 

 

 

「もうあなたと暮らし始めて2年になるわ」

 

少女が洗い物をする際中、無意識に口から言葉が出た。

 

「いつの間にだね」

 

聞こえていたのか、台所から声が帰ってくる。

 

「……悪かったわね、あなたのはできなくて」

「え? あは、気にしてないよ? そもそも誕生日といえるのか微妙なんだもん」

「そう」

 

(何……わたしは何を思ったの?)

 

なぜそんなことを言ったのか、自分でもわからなかった。

罪悪感? 憐憫? 軽蔑? 羨望? 鬱憤? 退屈? 嫌悪? 屈辱?

どれも正確ではない。だが的外れでもない。

 

(是非はともかく、これもわたしのためにこの子は動いている。そのことは望ましいはず……ええ、望ましいのよ。この子を祝う必要性は……)

 

まさか。

 

(わたしが、葛藤しているとでもいうの? この子のことで?)

 

そんなことはないはずだ。すべては彼に会うため、そのためにすべてを捧げるつもりなのだ。己の心も、他人のことさえ。

それが揺るぐはずはない。

 

小さなペンダントを掌で包む。

 

(わたしは完璧よ……完璧に為す、為せるのよ。そして幸せな時間を得るの。この子はただの道具、それだけ……)

 

視線の先にいる少女は、洗い物を終えてこちらに戻ってきた。

 

「そうだ、母さん。お誕生日ケーキだけじゃなくてね、えっと、迷惑かもしれないけど……実はプレゼントもあるんだ!」

「……へぇ、何をくれるっていうの?」

「見てのお楽しみだよ、ちょっとまっててね!」

 

(あの人以外のモノなんて嬉しくないのよ、わたしは)

 

自室に向かっただろう少女を見送りつつ、由紀恵はそう思った。

実際、今まで行事ごとに他人から贈り物をされたことはあるが、使える/使えないを判断するにすぎず、嬉しいなんて思ったことはなかった。

だから今回も同じなのだろう、と漠然と考える。

 

 

やがて降りてきた彼女は、掌サイズの小さな紙袋を持っていた。

 

「ど。どうぞ……」

「ん」

 

恐る恐るといった様子で渡してきたそれを受け取る。

感触は柔らかい。プレゼントといえば宝石が定番であるが、そういうことではないようだ。

 

(まあ、子供が宝石なんて買えるわけがないのだから当然だけど)

 

ハート形のテープをはがして中身を確かめる。

入っていたのは、フェルトで魚を模ったもの。

 

それは黒い帯と銀鱗が描かれた小さな胴体に、体躯以上の白い尾びれを持つ魚。先端には目であろう、黒い点が飾られている。

 

そして由紀恵はその魚を知っていた。

 

「これ……もしかしてグッピーかしら」

 

正解だったのだろう、少女の顔がほころぶ。

 

「さすが母さん」

 

「でも、なんでこんなものを」

 

しかし由紀恵にしてみれば意味を測りかねる。

モノを上げるのだからプレゼントではあろうが、出来栄えも完璧といえない。原型を知っているからわかるものの、何も知らない人に見せても「なにこれ?」で終わるだろう。

 

「うっ……ほんとはもう少しちゃんと作るつもりだったんだよ? 友達にも手伝ってもらったし。でも、時間が足りなくて……」

「ふぅん」

「それに母さん、熱帯魚好きって聞いたから……実物は買えないからせめてぬいぐるみとか作ろうと思ってたの。最初はミズウオダマシにしようと思ったんだけど、きもいからダメって言われて……」

「受け取っても困るわよそんなの」

「だ、だよね……」

 

ウナギもどきをもらってどう反応すればよいというのか。()()()の判断は正しかった。

 

(ちょっとは調べたようね)

 

それにしても意外だった。よもや好みを把握しているなど。

由紀恵はフェルト改め、グッピーもどきに目を移す。

 

(……なんというべきかしら。ホールが開いているからストラップとして使えなくはないけど)

 

妙に困るものだ。

個人としては要らない。が、これを突っぱねてしまえば彼女の友達からその話が漏れるかもしれない。所詮子供の児戯であるが、弓子が関与しているなら別だ。大人たちの耳に入りかねないし、そうなれば回り回って由紀恵の評価に関わる。カードキーを得た今、必要以上の信用を得る必要はないのだが、かといってせっかく高めた評価を下げるというのもプライドが許さない。

 

「やっぱり要らない……?」

「いえ……嬉しいわ、ありがとう」

「えへへ」

 

結果として、受け取ることにした。

幸い場所も取らないのだし、最悪、収納の中に突っ込んでしまえば問題ない。そう判断した。

少女のほうは由紀恵がそんなことを思っているとは露知らぬ様子で、純粋に喜んでもらったのだと考えているようだ。

 

(哀れね……)

 

由紀恵はもう1度グッピーもどきに視線を移した。

 

(まぁ……1日くらいはつけてあげてもいいかしら。受け取ったという証明になるのだし)

 

そういうことにしておいてあげよう。勘違いを正す必要はないが、勘違いさせたままの必要もない。

 

そう決めた瞬間、由紀恵の脳裏に古い記憶が蘇った。

小さな水槽を見る子供と、その隣に立つ大人の姿。

 

 

 

――――おとうさん、これなぁに?

――――これはお魚さんだよ、由紀恵。

――――おさかなさん。

――――そう、お魚さん。お父さんたちはしばらく帰りが遅くなってしまうから、この子たちとお留守番していて欲しいんだ。できるかな?

――――ん、できる!

――――よし、いい子だ。

――――んへへ。

 

 

 

(……? 何、今の……違う、これはミツヒロさんと……)

 

大人の姿がブレる。

黒髪、金髪、黒髪、金髪、白衣、スーツ、白衣、スーツ。

しかも顔にモヤがかかっているせいで誰なのか断言できない。

 

(それでも、わたしは……)

 

どちらが本当の姿だったのか、あるいは自分の記憶だったのか?

わからない。

 

 

 

「母さん?」

 

頭を押さえてしまったからか、少女が心配そうに見つめてくる。

声をかけられたことで、その幻惑は霧散した。

 

「……なんでもないわ」

「ん……そうだ、お風呂もう沸いてるから入れるよ!」

「ええ」

 

(これは、これはまやかしよ。そうに決まっている……)

 

形容できない気持ちを最後に抱きながら、ふらふらと由紀恵はリビングを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

すでに沸かしてあった浴槽に入りながら、由紀恵がリラックスしていると。

 

「お背中洗うよ!」

 

前触れなどないまま、一糸まとわぬ少女が乱入してきた。

 

「………」

「………」

 

気まずい空気が流れる。

 

「なに」

 

先に沈黙を破ったのは由紀恵。

完全に休みの時間に入っていたのを妨害されて、不機嫌な様子を隠すことさえなかった。

 

「えと……はい……お背中お洗いしたいなって……」

「そう」

「えと……」

 

拒絶とも肯定とも取れぬ返事をされて、乱入者――改め闖入者は扉付近で挙動不審になる。

 

(なんなの……? この子)

 

由紀恵もまた、今まで頑なに同時入浴を拒んできた相手が、いきなり暗黙の了解を破ったことに若干困惑していた。

勝手に入ってくれるのは手間も省けていいはずなのだが、なぜこのタイミングなのか。

 

「また弓子が言ったの?」

 

「ん……ち、違うよ……」

 

「なら誰?」

 

「誰でもないよ……母さん疲れてるだろうし、やってあげたほうがいいのかなって……」

 

「…………」

 

(随分殊勝な考えね。とはいえ)

 

季節は真冬。全裸のまま放置するのも良くないだろう。

入れたところで凶器を持っていないなら問題もない。どちらの筋力が上かは立証済みだ。

 

「来たいなら来ればいいわ」

「い、いいの……?」

「そこで風を引かれる方が迷惑ね」

「はーい」

 

恐る恐る小人が入室する。求められたと判断したのか、その表情は明るい。

 

(……むかつくわね)

 

理由はないが、由紀恵はそんな顔を崩してやりたくなった。

 

 

 

「でも背中を洗う気だったのなら、必要ないわよ」

「うっ……」

 

由紀恵の言葉に項垂れた小人は、黙々と自分の体を洗い始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風呂上がり、2人はリビングのソファで穏やかな時を過ごしていた。

表面上は。

ちらちらと視線を送ってくる挙動不審者をあえて見ないようにしながら、由紀恵は牛乳を胃に流し込んでいる。

数分はそれでうまくいっていたのだが、残念なことに不審者は結局声をかけてきた。

 

「母さん……右肩だけ3cm上がってるんだけど、痛くないの?」

 

「……痛くはないわ」

 

「違和感とかもない?」

 

「ないわけでもないけれど」

 

(急に何のつもり……?)

 

本日幾度目かの突拍子もない同居人の質問に、由紀恵はいい加減訝しむ気持ちが強くなる。

 

「母さんって書類仕事ばっかりだから、よかったらマッサージしてあげようかなって思って……」

 

「マッサージ?」

 

由紀恵が想像したのは、老人の背中を孫がおぼつかない手つきでいじくりまわす光景。

なお誰が老人かは言及しない。

 

「習ってる途中だからあんまりうまくないんだけど……」

 

「うまくないものを受けたいと思う?」

 

「思わない……」

 

正論を浴びせられ、不審者は沈黙した。

当然であるが、いくら無料とはいえ未熟者に体を弄らせる冒険者はいない。由紀恵の返事は正常だ。

 

(そこで落ち込むなら自信あるって言いなさいよ。というか3cmって何、どうしてそんなことがわかるの?)

 

おどおどしたりしなかったりする小童の挙動に、だんだんと由紀恵は不思議な怒りが込み上げてきた。

問い詰めるような口調で問いかける。

 

「あなたこそどうなの。したいの? したくないの?」

 

「それは……」

 

(歯切れが悪いわね……)

 

「わたしの気が変わらないうちに言いなさい。どっちなの」

 

「そ、それって……」

 

由紀恵の言葉から希望を見出した不審者は沈痛な面持ちから一転した。

 

「早く」

 

「う……ぐ……したいです……」

 

「始めからそう言いなさい。回りくどいのよ」

 

「ごめんなさい……怒ってる?」

 

「怒ってないわ」

 

「う、うん」

 

(怒るのさえ億劫よ。はぁ……)

 

怒りが1周して「わたしの肩を揉むのは嫌なの?どうなの!?」とでも詰問したい気持ちになってきた。

せっかく風呂上りの休みなのに、どうしてペースを乱されることをされねばならないのか。馬鹿らしい。

由紀恵はそのまま脱力し、ソファの上でうつぶせになった。

 

「母さん?」

 

「わたしは休むわ。勝手にしなさい」

 

「う、うん……」

 

 

由紀恵が目を瞑ったことを確認した小童は、おずおずと彼女の腰近くに跨った。

 

「そ、それじゃやるからね……」

 

「ん」

 

(……のしかかっていないのかもしれないけど、軽いわね)

 

背中を触られる感触を片隅で感じながら、由紀恵は小童の体重に少々驚きを覚えた。

 

(栄養が足りてない? そんなはずないわ。きちんと計算しているのだし)

 

疑わしい部分があるかと思ったが、疑わしくなどあるはずもない。

つまりこれは体躯の割に消費が早いか、吸収が鈍いかである。

とはいえ万が一はあるだろうか。

 

(そもそもおかしな伸び方をしている以上、栄養の適量とはどこなのか微妙なところよ)

 

それはいまだ探り探りではあるが、とりあえず10歳を目安に計算していた。これで正常に育たないのであれば設定し直す必要がある。

 

(もしかしたら偏ってるだけなのかしら)

 

一部をイメージしてみると、案外そうなのかもしれないと思う。

 

さて指圧師もどきの指は、いつの間にか首と背中の中心部をこねくりまわしていた。

加えられる力も痛いとまではいかないまでも、圧迫されることが存外心地よい。

 

(予想より下手ではなかったのね……)

 

由紀恵はあくびを1つ吐き出した。

体が浮遊していくような感覚に意識が遠のいてきたのだ。

 

「母さん、眠い?」

 

「そう、かもね」

 

「寝てもいいよ……?」

 

「…………」

 

例に体を動かそうとしてみるも、体はうんともすんとも言わず、ぼんやりと伸び続けているだけ。

 

(だめね、これ)

 

早々に支配権を手放した由紀恵は諦めの心境に入る。

ここで寝たとして、布団にどうやって運ぶかなど疑問に思うべきところはあるのだが。

肉と骨の間を押し広げる感覚は心地よいもので、次第にぼんやりする思考と火照る体は容易に自我を狩り取るらしかった。

 

(失敗したかしら……?)

 

「へんな、こと、するんじゃない、わよ……」

 

意識の寸断までに口が動いたのはそこまで。

 

「母さんの味方だもん、安心してね」

 

耳元で囁かれる声を合図に、彼女は夢の黄昏に旅立っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

亡霊が口を開く。

向かう先は無防備に寝そべる由紀恵の首。

ソイツは喉仏のあたりに歯を添わせて、嚙みついた。

ガラス製品を扱うように優しく、弱い力で。

歯形は残さない。そんなことをしたら困るから。

 

 

「………えへ」

 

 

上体を持ち上げた嘘つきは、恍惚とした表情で己の歯茎を撫でる。

 

 

「母さん、()()()()()()()()()()

 

 

その顔は異常な悦楽に歪んでいた。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……」

「おはよ、母さん」

「おはよう、わたしは……?」

 

日の差し込む光で由紀恵は目覚めた。どうやらベッドの上に寝かされているらしい。

 

(たしか、誕生日で……)

 

ぼんやりとした意識の中、昨晩の光景を思い出そうとする。

 

体を起こしてみれば、昨日まで違和感があったはずの肩はやけにすっきりしていた。

 

「お風呂入ったら、疲れてたみたいで寝ちゃったんだよ。覚えてない?」

 

由紀恵を覗く小さな顔が口を開く。

 

「いえ……覚えているわ」

 

(そう? 言われてみればそんな気がする……)

 

「よかったぁ。あ、朝ごはん作ってくるね!」

 

 

「ん…………」

 

 

(なにか、忘れているような……………?)

 

 

静かになった部屋で由紀恵は視線をさまよわせる。

 

 

机の上には、小さな魚が置かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





グッピーの魚言葉は「お腹の中にいた時」らしい





書いていると、このペースで本当にいいのかって思うときが割と出てくるよね

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