現実世界で夏に突入した所為か。このアインクラッドも日に日に増して暑くなってきているようだ。
天蓋に映し出された太陽は本物顔負けの仕事を発揮してプレイヤー達を熱帯地獄に叩き落している。
そんな、今後も暑くなる事を考えれば辟易してしまう八月上旬。
今回の事件は日が落ちても気温下降を見せない熱帯夜に届いた一通のメッセージが発端だった。
「明日の朝九時に二十二層のコラン、転移門付近に集合? 何でまた」
それは俺の家族でもある中層プレイヤーのリクからのメッセージだった。
割と頻繁に家族とはメッセージのやり取りをしているのでメッセージ自体に不思議は無いが、その『家族全員集合』の文には思わず首を傾げてしまう。
二十二層は迷宮区とイベント以外にモンスターも出現せず、街も主街区一つしか無くてフィールドダンジョンの類も皆無。
直系八キロの広い階層でも探索がスムーズに進んだため、僅か三日で攻略してしまうという前代未聞のタイムレコードを叩き出した階層だ。
お陰で俺達攻略組には影の薄い忘れ去れた階層でもある。
キンキンに冷えたコーラを一気に飲んでから、御代わりを貰うため食堂を行き来するNPC店員を呼び止めた。
「シュウくんは『七日の金魚』を知らないの?」
追加注文を頼み終わった途端、意外だというニュアンスを含ませたソプラノボイスを発した人物は俺の対面でアイスティーを飲んでいた一人の女性――いや、少女プレイヤーだ。
飴色というよりはアンバー色に近い茶系の髪をツインに括り、保護欲を駆り立てる年齢相応に幼い容姿は良く整っており、未来の美人が約束されている。
十二歳という年齢を考えても割りと小柄で、黄系で統一された装備から覗く手足は雪の様に白く、それでいて細い。
現実世界なら貧弱と言わざるを得ない姿の少女でも中層プレイヤーの中で頭角を現してきた有望株なのだから、本当、見掛けによらないとはよく言ったものである。
「うん、その言葉。そっくりそのままシュウくんに返すよ」
ブルーベリータルト用のフォークを口に銜えながらジト目を向ける美少女プレイヤーの名はシリカ。
教会の家族を除けば俺と一番歳の近いプレイヤーであり、ある意味俺の同類でもある少女だ。
「うっさいやい。それでさ、その『七日の金魚』ってなに?」
七日の金魚。
それは二ヶ月程前から中層以下プレイヤーを中心に広まった情報の一つだった。
シリカ曰く、二十二層の湖で七日の日になると特定モンスターが釣れるというもの。
二十二層にモンスターが出現しない事もあって一ヶ月前は中層のみならず本来なら《はじまりの街》に引き篭もっている下層プレイヤー達もそれなりの数が二十二層に押し寄せたらしい。
その事を聞いて、俺の抱いた疑問は一つだけ。
「そいつって強いの?」
これでも攻略組の一人。最前線が三十二層に対し今のレベルは44。
最強とは往かずとも上から数えた方が早いぐらいには強いという自負がある。
しかしリクが俺を誘ったのは用心棒代わりかと思ったが、どうやら真相は違うらしい。
シリカは小さく首を振った。
「すっごい弱いよ。数もそれなりに釣れるからレアモンスターでもないと思う」
なら人が集まる理由はこれしかない。
多分、かなり美味しい食材アイテムなのだろう。
その味を思い出したシリカのキラキラした瞳が俺の推測を裏付けた。
「代わりにね、凄く美味しいんだよ。食材ランクが最低Bなのも納得出来るぐらい」
SAO内のアイテムには全てランクが施されており最高はSランクな訳だが。
今シリカの言ったBランクとはそれなりに高いカテゴリに入り、しかも最低がBだ。
否応にも期待してしまう自分がいる。
美味しい料理は娯楽の少ないこの世界で数少ない楽しみなのだから。
「個体によってランクが違うってこと?」
「うん。鮮度が違うみたいなんだ。あたしはBランクの物しか食べた事が無いけど、中にはAランクの個体も釣れるんだって」
つまりモンスター討伐でも無ければ、レアモンスター狙いの悪人を撃退する用心棒でも無く、
「なんだ、ただのピクニックか」
今思えば先生や非戦闘プレイヤーの皆も連れてくる時点で考えるべき事だったのだ。
「そうだと思うよ。だからシュウくんも明日は攻略もお休みだね」
正直に言えばかなり拍子抜けだった。
背もたれに体重を預けてから手足を伸ばし、心の限り脱力する。が、
(……あー。ちょい地雷踏んだかも)
そんな俺の姿を微笑ましく、それでいて憂いの帯びた表情で見るシリカを見て、僅かに言葉を失った。
その顔を俺は知っている。
その意味は、寂しさ。
現実世界に住まう家族を懐かしく思う気持ち。
どうしようも無い切なさ。
込み上げてくる不安と恐怖を押し殺している表情。
昔の俺を見ているようで、その顔が酷く癇に障った。
「じゃあシリカも一緒に行く?」
だから俺は、気が付けば自然とシリカを誘っていた。
家族を欲する気持ちが痛い程よく分かるから。
何より友達のそんな顔は見たくない。
「……良いの?」
「もちろん」
一拍遅れての返答に即答する。
恐る恐る確認してくる小さな声が可笑しくて。俺は笑いながら頷いた。
その小馬鹿にするような笑みに対してシリカは露骨に頬を膨らませてムッとするので、その姿がまた笑いを誘う。
鳴りを潜めていた俺の嗜虐性が表に出てくるような仕草だ。
何となく師匠が俺を苛める気持ちが分かって少し悔しいのは内緒。
「一人ぐらい増えたって変わんないし。シリカと同年代の女子もいるから友達になれるよ、きっと」
シリカは俺とよく似ている。
低い年齢に戦闘スタイル。そして大人に囲まれながら行う冒険など、何もかもが。
しかもシリカは美少女だ。
パーティ勧誘など俺以上に沢山、それこそ毎日のように来て引っ張りだこの状態。
マスコット代わりならまだしも下心を持つ大人から何度も誘われているのだろう。
だから気を休める時間が圧倒的に足りなかった。
どうも気兼ねなく接せられるプレイヤーは俺以外にいないらしい。
それでもこのゲームに負ける事無く戦っている心は、他の大人達にも見習わせたいほど強く、美しいと思う。
そんな彼女にはシンパシーを感じるし、好感が持てる。
少なくとも、この顔を綻ばせて喜んでいる少女を何かと気に掛け、肩を持ってしまうほど気に入っている自分がいるのは確かだった。
「やったね、ピナ。明日はシュウくんと一緒にピクニックだよ!」
自身のパートナー。テーブル上でナッツを啄ばんでいる無二の親友に話しかけるシリカは本当に嬉しそうで、そのツインテールも元気良く上下に揺れていた。
立ち上がりながらピナの両脇に手を差し込み、高い高いをしながらその場でくるくる回る少女。
大袈裟な奴、という感想を抱くも。
俺の視線はシリカの腰にある黒い小さな箱に釘付けだった。
「……あーあ。折角《モンスターボックス》をあげたのに使わないんだもんなー。手に入れるの苦労したのに」
「だって、あんな窮屈そうな所にピナを入れるなんて可哀想だよ」
シリカに同意するように小さな蒼い飛竜――《フェザーリドラ》のピナが長い首でコクコク首肯している。
そう、シリカは俺と同じビーストテイマー。
そんな所も含めて俺達は似た者同士だった。
そしてビーストテイマーの先輩である俺を訪ねてきた時の事を懐かしんでいると、シリカは着席してピナを下ろした後、代わりに足元で寝ていたポチを抱き上げて唇を尖らせている。
「それにアレは『あげた』じゃなくて『売った』だよ。うぅ……シュウくん、普通に高額を提示するんだもん」
「何言ってんの。破格だよ、破格。アレでも友達割引だったんだから感謝しろ」
「もう、攻略組のシュウくんと一緒にしないでよ。でも……ふふ、友達かぁ」
そう呟いて嬉しそうにはにかむシリカに、不覚にも心臓が高鳴った。
何だか男性プレイヤーがこぞって勧誘する気持ちが分かる気がする笑みだ。
素でこれなのだから、ある意味彼女は魔性の女。有望性大。男を誑かす悪女という意味で。
「悪女じゃないよ!? シュウくんはあたしをどういう目で見てるの!?」
「直ぐ調子に乗る思い上がりの馬鹿女。『私が誘ってるのにどうして断わるの!?』は今でも記憶に――」
「ああー!? あの時の事はもう忘れてっ!」
それは初めて出会った時の事。一緒にパーティを組むのを拒み続けた結果シリカが叫んだ言葉だった。
忘却の彼方へ吹っ飛ばしたい黒歴史を指摘され、シリカは顔を真っ赤にしながら頭を抱えた。
あの傲慢な態度は今でも互いの記憶に残っているのだ。
「うぅ……」
もう一度説明したが、今自分の恥を思い出して悶え苦しんでいるシリカは中層プレイヤーの間で大人気だ。
元々女性プレイヤーが少ないSAOでも保護欲を駆り立てられるマスコット系の美少女であり、数少ないビーストテイマー。
容姿も相まって彼女は俺以上に人気者だった。
ちなみに、このままシリカを生贄にして自分の知名度を下げたいと密かに考えていたのは良い思い出である。
「まあ、仕方がないんじゃない。まだ子供なんだから調子に乗ったりするよ、うん」
人は直ぐ調子に乗る生き物だ。
人気があってチヤホヤされれば少し傲慢な態度を取るようになってもおかしくない。
特に十二という年齢の子供なら尚更の事。
甲斐甲斐しく面倒を見たり助けてくれる大人が沢山現れれば、自分の望みは何でも叶うと勘違いしても仕方が無い。
俗に言う、若気の至りというやつだろう。
顔を真っ赤にして恥ずかしがり、自分の過ちを反省しているシリカをフォローするためにもう一度言っておく。
所詮、子供なんだから仕方が無い、と。
「あたしよりも年下のシュウくんに言われたくないよっ!?」
「ちょ、声でかいって! ボリューム落として落として」
「ピナぁ……シュウくんは相変わらず意地悪なんだよ」
唯でさえ俺達は人目を引くのにシリカが大声を出したため余計に目立ってしまった。
しかもシリカは涙目。まるで俺が泣かしたようで周囲の目が若干痛い。
そして涙目シリカを変な目で見ている輩がいるので精神衛生上ここから直ぐ移動した方が良いかもしれない。
「ほら、もうデザート食ったし帰ろうよ。打ち上げはこれにて終了」
思い立ったが吉日。
椅子から飛び降りてから自身の腰へと手を伸ばす。
指先に触れるのは小さな箱。《モンスターボックス》だ。
側面の中央にあるボタンをタップし、表示されるウィンドウの実行ボタンを押した途端。
ポチはポンッというコミカルな音と煙を立てて箱の中へと収納される。
その見慣れぬアクションに周囲の人々が目を丸くするも、流石に一ヶ月以上も使っていれば好奇の眼差しに晒されるのも慣れっこだ。
「シュウくんはホームに帰っちゃうの?」
「あー、どうしよっか」
俺のホームタウンは師匠と同じで二十九層の《ユートフィール》。
転移門を使えば八層主街区《フリーベン》から一瞬で移動出来るとしても、今から帰るのは些か面倒に思えてしまう。だから、
「明日も一緒に行動すんだし今日はこっちに泊まる。部屋空いてるかな」
「え、お金が勿体無いし、この前みたいに泊まっても大丈夫だよ?」
シュウくん、小さいからベッドにも余裕があるし、という発言で、近くで聞き耳を立てていた大人達の時間が停止したのを、俺達は終始気付かなかった。
「い・や・だ。もうこの前みたいのは勘弁」
ピナはシリカの親友にして精神安定剤。
俺が先生を心の支えにして恐怖と寂しさを克服したように、シリカはピナと一緒にいる事でこのゲームと戦い続けてきた。
それでも、人というのは群れなくては生きていけない。ウサギは寂しいと死んでしまうという話は、ウサギよりも人間に当て嵌まる事だと俺は思う。
だから久しぶりに人と一緒にいる事で安心感を得たいのだとしても、この前の二の舞はゴメンだ。
はっきりと拒否する俺に、シリカは顔をリンゴのように真っ赤にさせた。
「あ、あれはその……ビックリしちゃって……ごめんなさい」
以前《モンスターボックス》を売った日はその後のお喋りも盛り上がり、それこそ『今夜は徹夜だぜ!』のノリでベッドに横になりながら色々な雑談を交わした俺達は、結局二人揃っていつの間にか寝てしまっていた。
その翌日。
防音の施された部屋に感謝する程の絶叫で叩き起こされ、尚且つベッドから蹴り落とされて目の前に火花が散ったあの件は、今でも深く記憶に刻まれている。
抱き枕にした覚えもされていた覚えも無いのに、一方的に刑罰を受けるのは今思い出しても理不尽だ。
しかし、シリカの言葉にも一理あるのは確かだ。
「でも確かに装備を新調したから金欠なのは確かなんだよなぁ。……よし、今回はちゃんと寝袋使おう。男女七歳にして云々っていうのを先生に教わったから」
「……もしかしてシュウくん。あの事を誰かに話しちゃったのっ?」
「ほら、早く部屋に帰ろうよ。唯でさえ今日はシリカのクエストを手伝って疲れてんだからさ。もう十時過ぎてるし」
「お願いだから質問に答えてっ!?」
そのまま俺達は食堂を兼ねた宿場の一階を後にして、ガヤガヤ騒ぎながらシリカの部屋を目指して階段を上がっていく。
余談だが、この会話を聞いていた男性プレイヤーは血の涙を流したり壁パンチならぬテーブルパンチをかましたり、女性プレイヤーは『若いわねー』みたいな表情をしていたとか、していなかったとか。
ちなみにこの後俺は『お客さんを床で寝かすなんて真似は出来ない』と主張するシリカと対立し、数時間に及ぶ討論の末に二人揃って寝袋――シリカは持っていなかったので俺のを貸し出し――に包まって床に寝るという未来が待ち受けている事を知らなかった。
◇◆◆
二十二層は美しい針葉樹に包まれた森林地帯だ。
南岸には今いる主街区《コラン》。北岸には迷宮区。
中央では巨大な湖が幅を利かせ、その周辺には大小沢山の湖沼が景観の美化に貢献している。
モンスターは出現せず主街区も農村がモチーフになっているためか、こののどかで静かな場所はプレイヤー達の憩いの場として認知されていた。
時刻は八月七日午前八時五〇分。
日本の田舎を連想させる街の中央に位置する転移門広場は、現在――、
「人混みヤバっ」
釣り人と化した沢山のプレイヤーでごった返していた。
目深く被った《グレイブル・ハーミット》のフード越しに見える人達は軽く見積もっても百人以上。
最前線近くで見かけた姿もあれば、明らかに《はじまりの街》引き篭もり組と思える人の姿もある。
どうやら先月とは違い金魚の噂は上層にも広がっているようだ。
ここまで様々な人達が一堂に会すのを見るのは、あの『始まりの日』以来。
(でも、あの時とは全然違う)
しかしあの時と違うのは、皆の顔が不安と恐怖に彩られているのではなく笑顔に溢れていること。
今この時だけは、皆は死の恐怖を忘れている。
和気藹々とした姿は幸福感に満ち溢れている。
その中に、先生達の姿は見えなかった。
「シリカ、とりあえず先生達はまだ来てないっぽいから。どっか適当で目立たない場所に移動しよう」
「頑張ろうね、ピナ! よーし、沢山釣るぞー!」
ふと横を見上げれば俺と同じように灰色のローブで姿と表情を隠したシリカが意気込んでおり、それに応える様にフードの中からピナが飛び出す。
両拳を掲げて気合を入れている少女と、その周囲を踊るように飛ぶ小さな竜の姿は見ていて微笑ましくとても絵になる光景だ。
……完全に俺の気遣いをご破算にしている訳だが。
そして馬鹿竜に怒鳴ろうとするも、当然、
「うお、シリカちゃんじゃん!」
「ここで会えるなんてラッキー!」
注意する前に周囲の人達が顔を隠したシリカの存在に気付いてしまう。
ビーストテイマーの中でもフェザーリドラを連れているのは一人しかいない。
しかも被っていたフードが肌蹴ているので特定なんて簡単。それも、中層以下プレイヤーが多く集まるこの場所では特に。
最初に気付いた太っちょと細身の太細コンビを皮切りに、沢山のプレイヤーがシリカへ群がっていく。
「なになに、君も金魚を釣りに来たの!?」
「なんだったら一緒に釣りに行かない? 俺、こう見えて釣りスキル高いんだぜ」
「おいおい、お前らなんかより俺達と一緒の方がシリカちゃんも楽しいに決まってんだろ!?」
「なによ、同じ女同士なんだから私達の方が良いに決まってるわ!」
困り果てるシリカもお構いなしに彼等は勧誘を続け、次第にそれはシリカ争奪戦へと変貌する。
それに巻き込まれたくなかった俺はさりげなく距離を取り、しかも鍛え上げた隠蔽スキルも駆使して離れる事を決意。
まるで熊と遭遇した時の対処法の如くジリジリと後退し、視線はオロオロしているシリカから離さない。
そしてトンズラをかます寸前で、騒動の原因が俺の左腕に飛びついた。
「あ、あの! 私、今日はシュウくんと一緒に行動するので、その、ごめんなさい!」
「うわ、この馬鹿っ! 俺の名前出すなっ!」
計画をぶち壊してくれたシリカを引き離そうとするも中々に力強く。
漫画ならシーンという擬音がデカデカと張り出されているだろう静まり返る周囲に、俺は額に手を当てずにはいられない。
小さく「あっ」と呟くシリカにツッコミを入れる気にもなれなかった。
「――シュウ?」
スペル違いで名前が重複する事はたまにある。
しかし俺は自分で言うのも悲しいが話題に事欠かない有名人。
それこそ二つ名はプレイヤー内で最多。
攻略組としての知名度も割と高い方。
彼等が俺に気付くのも時間の問題だった。例えフードで顔を隠していたとしても。
「シュウってあの……」
「その低い身長。もしかして《魔物王》のシュウか!?」
「そういや使い魔収納アイテムをゲットしたって噂聞いたぞ。じゃあお前も一緒にどうだ!?」
「そうそう、シリカちゃんと一緒に君も――」
「ああ、たくっ、シリカの馬鹿! そんでお前は身長で判断するなっ!?」
身長を指摘した細身の男の尻を蹴っ飛ばしてから右手を小さな箱――横一列に並ぶ箱の中で三番目をタップする。
ポンッというコミカルな開閉音に白い煙と共に現れたのは赤毛の豹。勇猛果敢なうちのエース《レッドパンサー》のタマだ。
ピナやポチならいざ知らず見た目獰猛な強面顔のタマの出現に周囲が驚き、戦慄いている間に、シリカの手を引きながらタマの背に跨った。
「タマ、GO!」
滑らかな赤毛の背中に手を添える。そしてアスリートのように鍛え上げられた流線系の腹を足で挟んで身体をホールド。
俺の後ろへ片側に両足を出す横向きの体勢でシリカが座り、その肩にピナが停まった途端、自慢の脚力を披露するタマは颯爽と広場から飛び出した。
「シュウくん、速い、速いよっ!」
風圧が顔を打ち、背景が背後へと流れるスピードは流石の一言。
その初めての速さに驚くシリカは俺の腰にしがみ付くが、恐怖を感じている顔ではなかった。
これはジェットコースターに乗る子供が見せる無邪気な顔だ。
しかし、
「……あれ? シュウくん、どんどんスピードが落ちてるよ?」
失速するタマに比例して怪訝な顔を見せるシリカ。
そして振り向く俺の目は冷やかなもの。
「いや、流石に二人分の重量は運べないから」
俺だけでギリギリなのにシリカも加えて長時間駆けられる筈もなく、疲労に満ちた吐息を量産するタマを労ってから素早くモンスターボックス内に戻し、民家に立て掛けてある木材の影に二人と一匹で潜り込む。
息を潜め、その側を十数秒後に大勢のプレイヤーが駆け抜けていく。
次第に地響きが遠のいて人の気配が薄れてゆき、面倒事が去った事に安堵の息を零してから隣を見た。
冷や汗を掻き、視線を泳がせているシリカの事を。
「しょーがない。リクに頼んで現地集合にしてもらおう。誰かさんの所為で」
「……ごめんなさい」
「シリカ、後で正座。何のためにピナも隠せるゆったりローブを貸したと思ってんの」
目立つのが嫌なのでローブを被って正体を隠す事にした俺達。
それでもなるべくピナを収納したくないという優しさを買って大きめのローブを貸したのに結果は見ての通り。
隣で落ち込んでいるシリカを尻目に、俺は予定変更のメッセージをリクに送るのだった。
◇◆◇
リク達が釣り場に選んだのは最東端にある湖だった。
直系はおよそ一五〇メートル。
昨今の日本では中々見られない澄んだ淡水に、湖畔に青々と繁る針葉樹林が夏の陽射しを遮ってくれる。
青空を映し出す水面は宝石のようにキラキラと輝き、風が吹く度に零れる葉擦れの音が優しく耳朶を打ち、ざわめく水面と共に清涼を運んでくる。
今日はアインクラッドでも特に暑い日。
それでも木陰に腰を下ろす俺達は確かに涼しさを感じていた。
偶然見つけたとリクの言っていたこの場所は街から離れているためか人気も無い隠れスポットみたいで。静かな空気が実に心地良く、疲れた心を癒してくれる憩いの場だ。
「…うぅ……」
そして景観が素晴らしいからこそシリカの表情は現状にそぐわぬものとなっていた。
その原因は俺なのだが容赦はしない。
「……シュウくん……この正座っていつまで……」
「皆が来るまで」
ポチやピナといった使い魔四匹が元気に湖畔で戯れる間、シリカは泣きながら律儀に正座を続けている。
現実と違い足は痺れずとも気分的に苦痛を感じているのだろう。
もしかしたら、こんなのどかな風景の中、ピナと戯れる事が出来ないのを嘆いているのかもしれない。
潤んでいる涙目姿には正直かなり罪悪感を覚えるが心を鬼にする。
これも教育だと割り切って。
(……にしても、今のシリカを写真に撮って売ったら幾らになんだろーなー)
記録結晶でこの姿を写真に撮ってアルゴ経由で捌けば幾らに化けるか打算していた時だ。湖畔を駆け回っていたポチが西を向いて唸り声を上げる。
瞬間、空気が張り詰めたのは俺の所為。
モンスターの出現しない安全地帯でもここは仮にも《圏内》の外。プレイヤーの襲撃は常に注意しなくては生きていけない。
ピリピリと、近寄り辛い雰囲気を発する警戒態勢の俺に目を白黒させるシリカを放っておいて、《黒狼牙+22》の柄に手を掛け、この湖畔へ通じる唯一の一本道を睨み付ける。
「おーい!」
「悪いシュウ。遅れたー!」
そして聞き覚えのある声に安堵し、詰まっていた息をそっと吐いた。
道の奥から姿を見せるのは発案者であるリクを先頭にした家族達。
最初の頃より増えて総勢十八人となった彼等は、和気藹々とした騒がしい姿で湖畔へと歩いてくる。
俺を除けば稼ぎ頭である中層プレイヤーの片手長剣使いで、さんばらに切り揃えられた茶髪のリクは、爽やかな笑みを浮かべつつ大きく手を振っていた。
その後ろには眼鏡で海色のショートヘアを見せる両手剣使いのカイに、逆立った水色の短髪に長身のメイス使いのクウが続く。
現実では幼馴染にしてクラブサッカーチームに所属している三人は俺達の方へ駆け寄る。
年齢に反して三人揃って背の高いイケメン面を存分に見せ付ける彼等は、俺の嫉妬に塗れた視線を浴びながら遅れた事を謝罪。
そして俺の隣で正座している少女を見てからフリーズする。
わなわなしながら口の開閉を繰り返す三人にシリカが首を傾げた途端、
『りゅ、竜使いシリカぁっ!?』
三人の驚愕した声が湖畔に響き渡った。
すると、いきなりな大声に耳を押さえていた俺はリクに腕を掴まれて遠くへと連行されてしまう。
その身のこなしとスピードは攻略組も真っ青な早業だ。
「ちょ、何でここにシリカちゃんがいるんだよっ」
「昨日誘ってみた。ダメだった?」
中層のアイドル《竜使い》の名前は当然リク達の間にも広がっている。
少し遅れて後から着いてきたカイとクウも話に加わり、顔をつき合わせながら女子禁制のザ・男子トークが始まった。
「ちょっとしたサプライズ。どやぁ」
「でかしたシュウ! なんつー羨ましい人脈してんだコノ野郎は!」
「いや、グッジョブだよ。ホントに。ナイス判断」
「こんな所まで攻略組かコノヤロー!」
「ちょ、誰が上手いこと言えとっ」
リクは俺の肩に腕を回してそのままヘッドロック。
カイが背中をバシバシ叩き、クウが頭をぐりぐりと撫で回してくる。
こういった手荒い称賛は男ならではの友情表現なのだろう。
この手のノリは嫌いじゃない。野球でホームへ生還した時に受ける気持ちの良い歓迎に似ているから。悪い気は当然しない。
シリカの参加を黙っていた甲斐があったというものだ。
彼等がシリカのファンである事を知っていたから。
「ほら、シュウ。お友達が困ってるわよ?」
鼻高々にドヤ顔を披露していると耳当たりの良い優しい声を背後から掛けられた。
それは女性のもので、この声に何度助けられたか分からない。
世話になった恩師の名前を訊かれた時、真っ先に答えるだろう相手。
あのままでは廃人になってしまったかもしれない俺を救ってくれた命の恩人。
暗青色のショートヘアが健在のサーシャ先生は、腰に手を当てながら困った子を見る目で俺に視線を向ける。
まったくしょうがない子ね、という風に眉根を寄せているが口許の緩んでいる姿を見れば、俺との再会を喜んでくれているのは凄く良く分かる。
それが、筆舌し難いほど嬉しい。
だから、
「おはよう先生」
「おはよう、シュウ」
だから、俺も笑顔で先生に笑いかけるのだ。
そのままのノリで一度先生と抱擁を交わし、にやにやとした表情を見せるリクとクウを睨み付けてから、元いた木の根元へ向う。
普段なら俺よりもポチ達の方へと歩み寄ってしまう家族達は、全員漏れなくシリカを囲って質問攻めにしていた。
「はいはい、シリカが困ってるから自己紹介は順番に。それで、シリカ。あの人がサーシャ先生」
挨拶しながら人の垣根を越えてゴールに辿り着く。
救いの主を見つけたと言わんばかりの笑みで出迎えてくれたシリカは、背後の先生に視線を移すと直ぐに頭を下げた。
「は、始めまして! あたし、シリカって言います。シュウくんとはお友達で、その、よくしてもらっています!」
先生はそのガチガチに緊張した挨拶に柔和な笑みを更に深めた。
その包容力のある笑みからは先生としての貫禄が滲み出ている。
これが大人の余裕というやつなのだろうか。
「始めまして。私はサーシャ。この子達の保護者で、皆からは先生って呼ばれてます」
よろしくね、と微笑んでからシリカの頭を一撫で。
恥ずかしがりながらも素直に受け入れ、擽ったそうに首を縮めるシリカの顔は赤く、連動して何人かの顔が赤くなったのを俺の観察眼は見逃さない。
ついでにシリカに見惚れたギンの脇腹を小突くミナには微笑ましいものを感じてしまう。
これが俗に言う青春ってやつだ、きっと。
「はい、よろしくお願いしま――」
「はいはい! 俺、リクって言いまーす! ギルド《三界覇王》のリーダーです!現実ではコイツ等とはサッカーやってて、ポジションはFW。今後ともよろし――」
「僕はカイ。この短絡馬鹿な幼馴染二人のブレインをやっていて。ちなみにポジションは――」
「俺はクウ。まあ、頼りないコイツらを守る兄貴分ってとこなんで――」
「「邪魔すんな馬鹿っ!」」
……幼馴染の挨拶を遮り、出し抜き、第一印象を良くしようと画策する彼等に友情は果たしてあるのだろうか。
シリカの対面というベストポジションを奪い合うリク達のやり取りは、そのままプロレス技の掛け合いに発展し、それを見る皆はもう慣れっ子で、笑い、煽り、果ては呆れている。
その見慣れた光景に着いて行けず呆然としているシリカだったが、その戸惑い顔は次第に笑い顔へと変化していった。
「面白い人達だね」
「喧しいし調子の良い奴等だけど……うん、ムードメーカーなのは確か」
シリカと同い年。
最年長であるギン達が皆のまとめ役なら、同じく最年長であるリク達はぶっちゃけて言えばお笑い担当。
その評価に恥じることなく笑いを振り撒く彼等に先生の鉄拳制裁が下るまで、俺達は笑い続けた。
敬語じゃないシリカの口調がここまで難しいとは。少しシリカとは分かり辛いかもしれません。申し訳ないです。
今思えば貴重な敬語キャラだったんですね。