魔物王の道   作:すー

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第十四話 七日の金魚Ⅱ

 SAO内の釣りとは一にスキルで二に釣り道具。

 いくら良い道具を使っても《釣り》スキルが高く無ければ釣果率アップは望めない。

 それでも、例えスキルが無くても一定の確率で目的の魚――《ゴールドフィッシュ》を二十二層のどこでも釣れるのは茅場晶彦の優しさだろう。感謝するのは癪だし、そんな気遣いが出来るならデスゲームをなんとかしろと罵倒したいが。

 

 コランで売っている一番安い竿と餌、スキル無しの条件下で釣りに励めば五〇〇匹に一匹の割合で金魚は釣れる。

 SAO内の釣りに待ち時間は無く、数十秒で釣れるか餌を取られてしまう事から逆算すれば、《釣り》スキルの無い俺やシリカでもだいたい三時間に一匹は釣れる計算だ。

 エサは一番安くてポピュラーなミミズ十匹セットが五〇コル。勿論値段が高いほど釣果率は上がる。

 しかし俺とシリカはゲーム性を高めるため同じ条件で釣りに挑んでいた。

 幸いな事に食事代を浮かせるため《釣り》スキルを覚えている教会家族が多く、釣りを始めて三時間になるがもう数十単位で金魚を釣っているからこその遊び気分。

 そして今、皆合わせて合計で四〇匹目の金魚が針に掛かった。

 

「フィーッシュ!」

 

 仕掛けがピクピクと二・三度浮き沈みを繰り返し、竿先が湖へ引き込まれる程に強く沈んだ瞬間に竿を上げる。

 釣り糸がピンっと張り詰めて竿が大きくしなるのも一瞬。直ぐに目当ての魚型モンスターが天高くに放られた。

 釣れた魚は確かに黄金色。

 しかし体長は三〇センチ以上で小さな足っぽい鰭が幾つも腹にあれば金魚と呼んで良いのか疑問に思えてくる。目もギョロっとしていて牙もそれなり。

 深海魚っぽい奴は奇声を上げ、頭上に緑色のHPバーを携えながら急降下してくる魚は中々に不気味。幼稚園児クラスが見たら絶対に泣く光景である。

 

「いやそれにしても、見た目は全然金魚じゃないよね、とッ!」

 

 体術スキル基本技《閃打》。

 ぶっちゃけただの正拳突きを金魚の顔面に叩き込み、水切りの要領で盛大に水面を跳ね飛ぶ金魚は瞬く間に爆散する。

 直ぐに眼前に浮き出るウィンドウには過去最低の獲得経験値1が表示され、《ゴールドフィッシュの肉》がアイテムストレージへ収納された。

 レベル1のプレイヤーでも一撃死させられる金魚にソードスキルまで放つのは完全なオーバーキル。しかし一撃で簡単に葬れる金魚を豪快に吹っ飛ばすのは気分爽快。自然とテンションが上がってしまうのも無理は無かった。

 

「ハッハッハ! これで五匹目ー!」

 

 ハイテンションで高笑いする俺の隣で餌の交換をするシリカの目はジト~っとしたもので、小ぶりの口から零れるのは溜め息である。

 

「……何でシュウくんはそんなに釣れるんだろ」

 

 最初はミミズに触るのにも抵抗があり一々俺を頼っていたシリカも、今では慣れた手付きで餌を付けて仕掛けを静かに湖へ落とす。

 直ぐに反応があって竿を上げても、そこにあるのは餌の取られた釣り針のみ。

 再度彼女の口から溜め息が零れた。

 昼までに何匹釣れるかの勝負で敗北の兆しが濃厚になってきた事に今更ながら危機感を抱いているようだ。

 

「俺のリアルラックを甘く見たなシリカ。俺に確率勝負を挑むのが間違いだった事を思い知るがいい」

「うぅ……思わず納得しちゃった自分が憎いっ」

 

 しかし気合と意気込みでどうにかなる程このデスゲームは甘くない。

 いくらリアルラックの高いシリカも俺に遠く及ばないのは《魔物王》の有無が証明している。

 おそらく全プレイヤーで一・二を争う幸運値を持つ俺に釣り勝負を挑むのが愚の骨頂だったのだ。

 そして、

 

「皆、そろそろご飯よ!」

 

 

 

 ――今、第一回金魚釣り勝負が幕を閉じた。

 

 

 

「これで五対三。俺の勝ち」

 

 三時間で一匹釣れるかどうかで合計八匹。一匹で二・三人分になるので充分な量だ。

 釣りをしていた皆が次々と先生やミナ達、料理スキル持ちの元へ集まる。

 負けたショックから立ち直れずに両手両膝を付いていたシリカも肩に停まるピナに慰められ、漸く顔を上げた。

 ちなみにポチ達は非釣り人の子供達と一緒に遊んでいる。

 ジュエリーラット並みの最弱モンスターとはいえ金魚はモンスター。

 デザインも相まって怖い人には怖いのだ。

 

「罰ゲーム、何を命令しよっかなー」

「お、お手柔らかにお願いします」

 

 負けた方が何でも言う事を聞く。

 テンプレながらもこれほど恐ろしい罰ゲームは存在しない。

 強制命令権を得たまま口許を引き攣らせるシリカの手を引いて先生達の下へ急いだ。既に料理が皆の手に渡っていたからだ。

 ピクニックシートや朽ちた倒木など思い思いの所に座った皆は昼食の合図を待ちわびている。

 そしてシリカの好感度を上げようとスタンバっていた三界覇王のメンバーに短時間で彼女に懐いた兄弟達は、貢物を持って群がった。

 

「シリカちゃん、これ、シリカちゃんの分! 一番美味そうな焼き魚!」

「リクのよりこっちの方が美味いぜ!」

「まあ、好きな方を貰ってあげて。はいこれ、飲み物は麦茶で良い?」

「シリカ姉! おにぎりもあるよ!」

「カレーも!」

「あ、ありがと……きゃっ、ちょ、そんなに食べられないよ!?」

 

 沢山の料理を押し付けられたシリカはここでも人気者。

 主に男子から隣に座れと引っ張りだこにされるも、結局は一番仲良くなったミナに助けられて女子グループと一緒にシートへ座る。

 彼女の横を確保出来なかったリク達が「ガッテム」と胸中で叫んでいそうな顔芸を披露するのを肴に、俺は鍋や飯盒の所でスタンバイしている先生へと近寄った。

 アスナさんと師匠用に二匹だけ金魚をキープして、残りを先生にあげる。

 

「シュウは何を食べる?」

「当然全部で」

「言ったからには残しちゃダメよ」

 

 寸胴鍋の中から漂うカレーの匂いが食欲を誘い、鰻の串焼き感覚で串に刺さったゴールドフィッシュの切り身からは脂が滴り落ちる。

 ピクニックというよりバーベキューに近いメニューだし統一性も皆無だが、沢山ある料理全てが美味そうなのだから文句無い。

 両手一杯に昼食を受け取った俺は、ギンやリク達のリーダー格が集まったシートに腰を下ろした。

 

「皆、ご飯は行き渡った? それじゃあ――」

『いただきまーす!』

 

 先生の許しを得た俺達は昼食を開始。

 外に出ている事もあってテンションの高い俺達はいつにも増して騒がしく、戦場という例えが適切なほど料理争奪戦を勃発させる。

 しかし、慣れとは恐ろしい。

 最初は呆然として食の進まなかったシリカも今では立派な仲間入り。

 ミナと一緒に焼き魚争奪戦に参戦しているのを見る限り見事に毒されている。流石は食べ盛りの子供達だ。

 焼いてあった魚、おにぎり、カレー、その他諸々のおかず達は見る見る内に数を減らしていった。

 

「……凄い。予想以上だ、コレ」

 

 噛み応えのある食感、それでいて綺麗に噛み切れ、口内で解れる毎に充満する旨みとジューシー感は神に感謝するほどに美味い。

 牛肉ステーキの如き脂の乗ったジューシー感は予想以上。

 今まで食べた料理の中では断トツの味に自然と手が震え始める。

 食材ランクBも納得。塩で味付けをしただけでこの味だ。

 だからこそ、

 

「ああ、醤油が欲しい」

「だよなー」

「塩焼きも美味しいけどね」

 

 この意見にギンとケインも同意する。

 調味料の不備で食材を生かせないのはゴールドフィッシュに対しての冒涜だ。

 普段食材に拘りを持たない俺でもそう思えてくる美味さを秘めている。

 焼き魚も確かに美味い。

 けれどもこれだけ身に脂の乗った魚なら刺身もまたとんでも無く美味い事だろう。

 イメージではマグロの大トロにも勝らない味に違いない。

 

(頑張れ……頑張ってアスナさん)

 

 だから調味料開発に勤しむアスナさんには是非頑張ってもらいたい。

 醤油完成の時は是非ともゴールドフィッシュを持参しようと思う。

 そのまま焼き魚に舌鼓を打ち、先生の作ったカレーにミナが握ったおにぎりで腹を満たした。

 

「で、ポチ達は相変わらずと」

 

 ポチやクロマル、タマといった使い魔組も女子グループやこちらを行ったり来たりして食い物のお零れに預かっていた。

 使い魔は食事を必要としない。けれども食料を渡せばしっかりと食べる。

 愛玩動物のポチが焼き魚をハグハグと食べる姿は女子に、タマが豪快に焼き魚に齧り付く姿は男子に大変人気があった。

 

「……クロマル、泣くなよ。俺はお前が大好きだから」

 

 仄かに哀愁を漂わせながら足元に転がってきたクロマルを抱き上げ、頭?を撫でながらオヤツ用に入手しておいた《メタルライト・ストーン》――本来は《重金属作製》用アイテム――をクロマルに食べさせる。

 俺は平等に愛情を持って接しているのだ。

 そんな風に胡坐の上に収まったクロマルに鉱石を食べさせ、片手間にカレーを完食した俺に話しかけたのは、ギンだった。

 

「なあシュウ。あの子も戦えるんだよな」

「そりゃあ、ね」

 

 カレーを食べるギンの目はミナ達と談笑しているシリカに向けられている。

 実際シリカは俺と同時期ぐらいに戦い始めたプレイヤー。

 俺とレベル差があるのは潜った修羅場の数と戦闘時間の違いからで、少なくとも活動拠点の第八層をソロで潜れるだけの実力はもっている。

 外見と実力は必ずしも一致しない事を証明する少女を見る目は暗く、それでいて自虐めいた笑みを浮かべてカレーをがっつくギンに違和感を覚えた。

 

「どうしたん?」

「いや……あんな女の子でも戦えんのにさ、俺は街に引き篭もってるだけで良いのかなって」

 

 ギンの呟きにケインも食事の手を止める。彼等は厳しい言葉を使うならドロップアウト組。

 死を恐れ、誰かがクリアするまで引き篭もる事を決めた者達。

 庇護されて当然の子供なのだから《はじまりの街》に引き篭もるのは当然、と考えるのは簡単だ。誰も責めたりなどしない。

 しかし彼等は自分自身を責める。

 守られるだけで良いのか。人任せにして良いのか。

 自責の念が心を蝕む。

 俺みたいな前線で戦う年下がいるから、余計に。

 ギンとケインはその事をずっと考えていた。

 

「何事も適材適所。ギン達が皆をまとめてくれてるから、僕達は安心して冒険出来るんだよ。先生だってギン達のこと頼りにしてるんだから」

「そうそう。今俺達みたいに数日間単位で消えられたら先生も困っちゃうぜ」

「ま、それでも思うところがあるんなら俺が稽古付けてやるよ」

 

 自責という名の暗い闇に覆われた心。

 そこに光を射したのはカイを筆頭にした三界覇王の面々だった。

 定期的に仕送りをしているとはいえ比較的好き勝手に行動し、最古参としての監督責任を放棄して教会の事を全部ギン達に任せている俺ではなく。

 普段から生活費を稼ぐために冒険し、皆との時間を共有している彼等だからこその温かみが言葉に込められていた。

 

(流石はムードメーカー組。俺なんかが慰めるよりもよっぽど言葉に深みがある)

 

 頻繁にメッセージを交わすとはいえ数週間に一度の時間共有ではやはり親密度は下がっていく。

 それは俺ではなくポチ達の方に関心を示す皆を見れば分かるだろう。

 家族とは思っていても、俺が主に話すのはギン達リーダー格と三界覇王の彼らが殆ど。表ではなく心の深いところでどんどん疎遠になっているのを自覚する。

 しかし、寂しい気持ちに負けて攻略をやめる気は無い。

 今回みたいな休みは例外で、頻繁に教会へ帰る時間があるのなら少しでも長くダンジョンに潜る事を選択する。

 俺は今の生活ではなく、現実世界での未来ある明日を望むのだから。

 家族意識や友達意識を芽生えさせるのは現実に帰還してからでも充分。

 未来を手に入れてから大事に育めば良い。

 この休暇は、そういう意味でも気持ちを再確認する良い機会になった。

 

「なーに辛気臭い顔してんだよ。もっと楽しくやろうぜ」

 

 ギンとケインはこの場にいない。

 まとめ役の責務を果たすため発生した喧嘩の仲裁に出向いてしまったから。

 俺の気持ちを知ってか知らずか。

 食事を終えたリクが背後からヘッドロックをかましてきた。

 陰気な空気を吹っ飛ばすように。

 

「で、お前はシリカちゃんとどーなんだよ、そこんとこ」

「あ、それ。俺も気になる」

「シュウも年頃だからね。そこら辺はどうなの?」

 

 恋バナが好きなのは女性限定ではないらしい。

 気分はすっかり修学旅行の夜のお喋り。円陣を組むように顔をつき合わせる。

 興奮しているのか鼻孔を膨らませているリクとクウを冷やかに見て、冷静を装いながらも目がマジなカイに少し引いてから、先生も交えてミナと談笑しているシリカを見た。

 時には笑い、時には焦って、時には赤面する。

 両手を振って何かを否定しているシリカは俺の視線に気付いて小さく首を傾げるが、何でも無いとアイコンタクトを送ってから三人に視線を戻す。

 

「いや、別になんもないって。シリカはただの友達。というより妹みたいなもの?」

 

 俺がシリカに抱いている気持ちを言葉にするなら『妹』という表現が一番的確。

 共通点が多い所為だろう。

 最初の出会いは決して良いものでは無かったが、結局は同じビーストテイマーで年齢と性別から苦労していそうな彼女を放っておくことが出来ず、何だかんだ言って度々相談に乗っていた。

 そこに煩わしさは感じない。

 話すのは楽しく、からかい甲斐もある少女。

 ピナと一緒に一喜一憂する姿は見ていて微笑ましさを感じる手の掛かる可愛い妹分。それがシリカだ。

 そう一人で納得してうんうん頷いていると、額を軽く小突かれた。

 

「僕達の中でも一番の末っ子が何言ってんだか」

 

 正面に座るカイの目も、言葉も、完全に呆れ気味。

 

「ハァ……そーだよなぁ、シュウってまだまだお子様だもんなぁ」

「俺みたいな男の魅力に欠ける子供に恋愛事なんてまだまだ早いもんなぁ」

 

 両手を肩の辺りまで上げて掌を空に向けるリクとクウのポーズは、俗に言う欧米リアクション。

 その言葉と仕草に思わず鼻を鳴らした。

 

「たった二つ年上なだけで威張んな! 俺にだって気になる人……ぐら……い……」

 

 そうして脳裏に再生されるのは一人の笑顔だった。

 初めてボス戦に挑んだ時、お疲れ様と微笑んでくれた笑みは、戦闘スタイルに関わらず《閃光》の異名が相応しい程に煌びやかなものだった。

 優しくて、心配性で、時折見せる負けず嫌いな所が子供っぽくて可愛らしい、攻略組のアイドルスター。

 SAO内で五指に入ると言われる容姿端麗性格美人の完璧女神様。

 言葉を詰まらせて顔を赤くする俺を怪訝に思ったのか。

 三人はヒソヒソと内緒話を開始する。

 隠しもしない大声を内緒話に加えて良いのかは甚だ疑問に思えるが。

 

「ちょっと、見てくださいよリクの奥さん。軽いジャブにこの子ってばマジ反応ですわよ」

「そうですわねクウの奥様。これはもう大尋問会を開くしかありませんのことよ」

「まあ、この馬鹿な二人はほっといて。シュウはいったい誰が好きなの? 僕達の知ってる人?」

 

 厄介な事に三人はかなり興味を抱いていた。

 鼻息荒く迫ってくる姿には鬼気迫るものが感じられる。

 

「いや、そんな人いないから。うん、全然。まったく、これっぽっちも」

「まったまたぁ! ほら、俺等の仲だろ!? 言っちまえって」

「いーえーよー。俺等も教えるからさー」

 

 いくら首を横に振ってもリクとクウが執拗に迫ってくる。

 頭をパシパシ叩き、頬をぐりぐり突いてくる。

 更には彼等のニヤケ顔が酷く癇に障り、思わず右腰に手が伸びた。

 カチッという鍔鳴り音は予想以上に効果があったらしく、詰め寄っていた三人は直ぐに俺から距離を取る。

 充分及第点な反応には彼等の成長を嬉しく思う反面、かなり忌々しい。

 

「おお、良いよ、その反応。常に周囲を警戒するのは良い事だから。怖いのはモンスターだけじゃないからね……くそっ」

 

 柄から手を離して盛大な舌打ち。気持ち的には地面に唾も吐いている。

 途端、激昂した彼等に再度詰め寄られた。

 余程ビビったのか顔面蒼白なのは鼻で笑ってやる。

 

「おまっ、ちょっとからかったくらいで短剣抜こうとするなよ!? いつからそんな沸点低くなったんだ!?」

「兄貴分に向ってマジ攻撃とかドン引きだっつーのっ!」

「最悪オレンジになるのに馬鹿か君は!?」

「俺はソロだから最悪二・三日オレンジになっても全然オーケー」

 

 オレンジカラーのプレイヤーは《圏外》設定のされた街に入るとガーディアンに叩き出されてしまうため、例えツッコミ程度の攻撃でも武器を用いるのは本来なら忌避すべき。

 当然、人としても他人を意味無く傷付けるのは許されるべきではない。

 だからコレは軽いジョークだ。

 ずっとアイテムストレージの肥やしになっていたレベル1の麻痺毒効果を有する短剣を素早く装備フィギュアにセットし、掲げながら三人に近寄るのも、全てジョーク、ただの冗談。

 小波のようにうねうねしている緑色の刀身、なんとも健康に悪そうな低威力のドロップ品を見たリク達は露骨に顔色を悪くした。

 

「大丈夫、今なら軽い麻痺毒くらわして湖に突き落とすだけで許してあげるから」

 

 三人は命を第一に考えているビルド構成なため敏捷値よりも筋力値、つまり耐久性に重点を置いている。

 レベル差が倍以上あっても攻撃力の低い短剣なら黄色の注意域にも達しない。

 その事は当然彼等も分かっている。

 だからここでの正解は、自分は本気であると威圧的な笑顔で近寄って彼等を驚かすこと。

 一歩近寄る度に顔面蒼白で後退するリク達が滑稽で、どんどん溜飲を下げていく。

 一歩、また一歩。

 近寄る度に湖側へと追いやられる三人も見れた事だし、そろそろ許してあげようと口を開こうとしたその時だ。

 

「コラ、ダメだよシュウくん。そんな危ないことしたら」

 

 やけにお姉さんぶった口調が耳に入る。

 同時に耳へと掛かる吐息が妙に擽ったく、ここまで漂うペパーミントの香りが頭の中をクリアにした。

 背後から両脇に手を差し込まれて無理やり拘束。

 背中に感じるプレスト・アーマーの固い感触を飛び越え、心臓の動悸が微かに伝わってくるほど、俺達の距離は近い。

 その身長差から爪先立ちを余儀無くされて無理やり背後を振り向けば、そこには推測通り呆れ顔100%のシリカの姿が。

 更には俺の顔面に着地したピナによって視界までも黒く染められる。

 しかし視界ゼロの状態でも、リク達の口ぶりから彼等がどんな顔をしているかは簡単に想像出来た。

 

「流石シリカちゃん、もっとやってください! 僕等の安全のために!」

「この反抗期気味な末弟に鉄拳を!」

「そんでシュウ、お前みたいなリア充は爆発しちまえ!」

 

 元々俺とシリカでは筋力値にかなりの差があるので、俺が本気を出せば彼女は長時間拘束する事は出来ない。

 しかし本気を出す前に密着状態にある事を今更ながら照れを感じたらしく、拘束が緩んだ隙に力強く大地を蹴る。

 ピナも振り落とし、調子に乗っている三人に近付こうとするも、彼等は既に退散した後だった。逃げ足だけは本当に速い。

 今では先生の近く(絶対安全圏)でしってやったりと言わんばかりにアカンベーをしている。

 それを見て再び怒りが込み上げるが直ぐに先生の鉄拳制裁を食らっていたので、ざまあみろと舌を出してから《ナミングダガー》を収納した。

 腰に出現した黒狼牙の重みを確かめてから背後を振り向く。

 

「……で、こっち来てどうしたん?」

「飴、シュウくん達もいるかなって思ったんだけど……」

 

 あはは、と乾いた笑みを浮かべて苦笑いするシリカの手には小さな飴が乗せられている。

 俺達四人に渡す筈が一人になってしまったので、彼女の抱いた気持ちも何となく分かった。

 憧れのアイドルプレイヤーとの接点を自ら潰すとは愚かな連中だと、俺の中の小悪魔が喝采を上げてる。

 

「ああ、その匂いって飴だったんだ」

 

 SAOの《嗅覚再生エンジン》は現実顔負けの精度を誇るため匂いというものにプレイヤー達はそれなりに敏感。

 カレーを食べた後なら誰だって口臭は気にするものだ。体臭は無く、時間が経てば口臭が自然と無くなるにしても、口臭を気にするのはエチケット。

 先程の清涼感が溢れてスースーする匂いは、シリカの舐めている飴から発せられるものだった。

 

「ありがと」

「どーいたしまして」

 

 可愛らしいエメラルド色の包みを剥がしてビー玉みたいな飴を口の中に放り込む。

 《はじまりの街》に売られている安物の嗜好品でも、このデスゲームでは珍しく見た目と味が一致する菓子だった。

 久しぶりに食べる飴の食感。

 口の中でコロコロ転がして楽しみながら近くの大岩に飛び乗り、皆が固まっている場所を見て、自然と眼も温かくなる。

 同い年の家族がポチやタマ、そして珍しくクロマルにも群がって共に遊び。

 ギンとケインは年長者らしく喧嘩の仲裁。喧嘩両成敗と言っているのがここまで聞こえた。

 ミナは女子数人と一緒に近くで群生している花を愛で、先生はリク達と共に何かを話している。

 

(久しぶりだなー、こんな雰囲気)

 

 戦場とは程遠い長閑で温かい日々がここにはある。

 心に拡がるポカポカとした温かみが心地良い。

 モンスターと死闘を演じ、痛みはないとはいえ、殺し殺されの殺伐とした生活に明け暮れた所為で忘れていた日常に、荒んだ心も潤いを取り戻す。

 本来なら俺は――いや、全てのプレイヤーは、こういった日常を現実世界で享受する筈だった。

 

(頑張ろう。頑張ってさっさと皆で帰るんだ)

 

 この皆の生活を守り、それを現実世界に紡ぐため。そのために俺は戦っている。

 皆の姿を見ていると戦う気力が湧いていった。

 これで一ヶ月は頑張れる。

 そして楽しそうに、嬉しそうに顔を綻ばせたシリカの笑みも貴重な糧。

 

「シュウくん、今日は誘ってくれてありがとう」

「友達出来た?」

「うん!」

 

 同じく大岩に座って手の触れ合うほど近くに座っているシリカは満面の笑み。

 もう既にミナと一緒に観光名所となっている四層の花畑に行く約束をしていると言うのだから、少し驚く。

 四層の話はたまに聞くので俺も今度アスナさんを誘ってみようと思う。

 

「金魚は美味しかった?」

「美味かった。ヤバかった。想像以上だった」

 

 歴代一位に堂々とランクインする味を思い出して涎が落ちる。

 今の俺はとてもだらしのない顔をしている筈だが改めようとも思わない。

 軽く引いているシリカも許してしまう寛大な心が生まれてくる。

 お腹を休ませたら釣りを再開し、ランクAの金魚を釣る事を固く心に誓った。

 

「――そうだ、そういえばシュウくんに訊きたい事があったんだ」

「なに?」

 

 しばらく皆のやり取りを眺めていると、シリカがそう訊ねてきた。

 しかし彼女はいざ訊ねようとすると口の開閉を繰り返し、金魚のように口をパクパクさせている。

 顔色から重い内容で無い事は察せられるが、訊ねるには些か勇気のいる事なのか。

 それとも重くは無いものの訊ね辛い事なのか。

 

「シュウくん……楽器スキルを取ってるの?」

 

 答えは後者。

 習得スキルの詮索はマナー違反だからだ。

 

「シュウくん、演奏とかする人には見えなかったから、ちょっと不思議だなって思ったの。あ、話したくなかったら話さなくても良いからねっ!?」

 

 何故シリカがこんな事を訊ねたのか。

 それは昨日受けたクエストの内容が原因だった。

 そのクエストとは通称《レギスの楽器職人》と呼ばれているもの。五層の南東にある農村レギスが舞台で、近くの森に出現する樹木型モンスター五種がドロップする木材アイテムをそれぞれ一つずつ渡せば好きな楽器を作ってくれる。

 この製作される楽器の売却価格が中々高価で、モンスターのドロップ率の高さからてっとり早い金儲けの方法かもしれないと一時期話題を生んだ事を覚えている。

 まあ、討伐に必要なモンスターの中で一匹だけ稀少モンスターが居る事が直ぐに発覚し、最後の一種を集めるのが酷く困難であることが広まってから廃れてしまったクエストなのだが。

 実はこのクエストを俺は一週間ほど前にクリアしたばかりであり、手に入れた純白のオルガンは宿の自部屋に置いてある。プレイヤーの持つアイテム制限は数量ではなく重量に影響されるからだ。

 だからプレイヤーの殆どは重たいアイテムは俺みたいに部屋に置くか、又は直ぐに売却するかでアイテムストレージを圧迫しないように注意していた。

 《限界重量拡張》スキルが存在するが無い物強請りをしても仕方が無い。

 

 閑話休題

 

 とにかく趣味スキルも習得せずに戦闘系スキル一辺倒だった俺が楽器を欲していた事をシリカは疑問に思ったのだ。

 ちなみにシリカが俺を頼ったのは、稀少モンスターである《ホワイトライト・ウッド》がどうしても見付からず、ポチの《追跡》スキルを頼ってのこと。

 お陰で昨日は長時間森林内を探索し『一週間に一度遭えるか遭えないか』と呼ばれる異常に少ないポップ率の化け物樹木を半日で見つけ出している。

 《追跡》スキルが有りでもこれはかなり運が良い方だ。

 

「楽器スキルを俺じゃない。楽器スキルを習得してんのは先生。リアルだと音楽の先生志望だから」

 

 それは先生と出会ってしばらく経った頃に聞いた話だ。

 現実世界の事を訊くのがタブーだというルールも知らなかった泣き虫時代。

 知らなかったとはいえ無邪気や好奇心を理由に行った往き過ぎた質問にも、先生は嫌な顔一つせず質問に答え、構ってくれた。

 あの一時は今でも大事な宝物の一つである。

 

「今度、先生は誕生日だからさ。楽器をプレゼントしたら喜ぶかなって思ったんだ」

 

 本当はピアノとか渡したかったが今回はそれに近いオルガンで我慢してもらう。

 俺はレアな楽器。

 リク達は現段階で最高級の調理道具。

 ギン達は小遣いや街内で無限ドロップされるアイテムを収拾し、売った金で衣類を購入する。

 カリスマ裁縫師のアシュレイさんを紹介してくれたアスナさんには感謝だ。

 

(……紹介を頼む代わりにさんざん着せ替え人形にされたけど、ハハ)

 

 そう一ヶ月も前から準備を進めていたサプライズパーティーの頑張りを脳内で再生していると、隣では何やら大きな瞳をウルウルさせている者が一人。

 誰だかは説明するまでもない。

 

「あたし……あたし、感動しちゃった!」

 

 全身で『泣ける、感動した!』と叫ぶシリカの放つ尊敬の眼差しを一身に浴びる。

 本来ならきちんと想いを受け止めて天狗になるなり謙遜するなりする筈が、その勢いには興奮だけでなく狂気めいた者を感じで思わず仰け反った。

 後退した分、身体を前に。

 ああ、さっきのリク達はこんな気持ちだったのかと少し反省していると、女子特有の柔らかくて、温かい小さな手がわしゃわしゃと黒髪を撫で付けた。

 

「シュウくん、良い子だねぇ。よしよーし」

「子供扱いすんな! シリカの癖に!」

 

 無駄にお姉さんアピールするシリカの笑顔と生暖かい視線が果てしなくムカつく。

 乱暴に手を払って睨み付けても年上目線を止める気配は皆無。

 柔らかな笑顔が止む事は無かった。

 

「でも、シュウくん達も良い子だけど、サーシャ先生も良い人だよね。シュウくんが大好きなのも分かっちゃった」

 

 ふと、その笑顔を前方に向けるシリカ。

 先程とは質を変えた笑みと視線には憧憬の気持ちが芽吹いていた。

 先生と何を話したのかは生憎と把握していないが、笑って、照れて、仲睦まじく談笑していた姿を見れば、シリカもまた先生の温かさに触れた事は訊かなくても分かる。

 

「先生を嫌いな奴なんて俺等の中にいないよ」

「そうだよね。先生、凄く良い人だもん」

 

 先生に出会わなかったら今頃俺達はどうなっていたことか。

 何度励まされ、何度助けられたか分らない。

 母であり、姉であり、恩師でもある俺達の先生。

 自分の事で手一杯な中、本来なら弱者として放置されかねない俺達を率先して保護してくれた恩は計り知れない。

 そんな珍しいほどのお人好しだから《はじまりの街》で噂が広まるのも早かった。

 子供を保護する優しい保母さんがいると。

 

「だからかな、俺等だけじゃない。先生に好意的な人は多いんだ」

 

 そこには先生が数少ない女性プレイヤーだからという俗的な理由もあるだろうが好意は好意。

 先生は飛び抜けた美人ではないけれど子供の世話をする姿は女性としての魅力を際立たせ、家庭的で包容力のある姿は男の琴線に触れるものがあった。

 並み以上の容姿で面倒見の良い性格美人。惚れぬ要素がどこにある。

 知る人ぞ知る有良物件としてサーシャ先生は意外と人気者なのだ。

 そしてそれが問題でもある。

 

「お陰で最近は先生と仲の良い男がいるって話なんだよなー。いや、本気で先生が好きってんなら良いんだけどさ、もし先生を悲しませるような事したらタダじゃおかない。……ギン達と親衛隊でも結成して悪い虫がくっつかないようにするべき? それとキバオウにでも頼んで教会近辺の巡回ルートをもっと徹底してもらうべきか。でも借りをつくんのもなぁ。あとは――」

 

 先生を守りきるのは凄く難しい。

 メリットとデメリットを比較し、ひたすら検討。

 実現可能かどうかを頭の中でシミュレートし、時には口にして考えていると、俺は隣から注がれる意味深な視線に気が付いた。

 

「……なんだよ、シリカ。その生暖かい視線は」

 

 にやにやとした表情に、何かを言いたくてうずうずしている口許。

 面白い事があったような。意外なものを見るような。そんな視線。

 俺のジト目に真っ向から対抗するシリカは、一泊置いてから徐に口を開いた。

 クスクス笑いを隠しもせずに。

 

「シュウくん、大好きなお姉ちゃんを取られるのが嫌で拗ねてる子供みたいなんだもん。なんだか可愛くって」

「違うわ馬鹿っ!」

 

 この紅潮する顔は怒りからくる興奮の所為だ、きっと。

 負傷判定が出る寸前の威力と速さで額にチョップをされたシリカが頭を押さえて泣き顔を晒す。

 今日一日で何度シリカの涙目を見たか分からない。

 更には両手を振り挙げて猛獣になった気持ちでガオー!と脅せば、シリカはピナを連れて一目散に退散。

 ミナ達の方へ逃げ去るのと入れ違うようにこちらへ来たのは、呆れ顔を前面に押し出す先生だった。

 

「まったく、女の子に手を出すのは最低よ?」

「うぐ……ッ!? あ、あんなのは俺達にとって普段通りのやり取りなんだよ、先生。からかってからかわれて、ってな感じ、うん、ホント」

 

 先生だけでなく姉ちゃんにも日々言われていたこと、それは『女の子を守るのが男の子の役目』という言葉。

 そして師匠の場合だとそれプラス『傷付ける奴は死刑、男は私みたいに可愛い女の子にご奉仕するべし』なんて自意識過剰で身も蓋も無い言葉も付け加えられる。

 第一回目の『女性の扱い方初級編授業』を思い出させる発言は、これからからかうのを自重しようと頑なに思うには充分な効果があった。

 師匠から今度シリカを紹介しろと言われている手前、師匠とシリカが対面する日がきっとくる。

 その時に告げ口されたら俺に待っているのは死あるのみ。

 今から師匠の鉄拳制裁に怯えてガタガタ震えている間に、先生はシリカの座っていた場所に腰を下ろした。

 

「――良い子ね、シリカちゃん」

「……最初は生意気だったんだけど。でもまあ、良い奴なのは確か」

 

 果たして最近は誰かを褒めるのが逸っているのだろうか。

 何だか今日は誰かを善人認定する言葉を沢山聞いている気がする。

 無難な、それでいて興味があっただろうシリカの事を話題に出した先生は、咎める気ゼロの、一応教育者としての体裁を保ってますという表情で、俺の鼻にデコピンをかました。

 

「あ、それ。シリカちゃん困ってたわよ。シュウがその事で苛めてくるって」

「苛めてないって」

 

 どうやら女子グループの昼食時の話題は俺とシリカの関係だったらしく、その間シリカの感情表現が豊かだったのは先生達の玩具にされていたのが原因らしい。

 そして今、新たな玩具に狙いを定め、先生の瞳が意地悪そうに怪しく光る。

 

「ふふ、やっぱり好きな子は苛めちゃうお年頃?」

「なーに言ってんだか」

 

 だが俺はシリカと違う。

 伊達に師匠やクラインといった人をおちょくるのが大好きな人種と付き合っていない。

 馬鹿げた発言には付き合わず弱みも見せない反応に、先生はあからさまに肩を落とした。

 

「相変わらず冷静に返しちゃって、からかい甲斐の無いわね。シリカちゃんとは大違い」

 

 つまらなーい、と子供みたいなアヒル口を作って不貞腐れる。

 こういった時折見せる子供らしい姿も、普段の頼りがいのある教育者顔とのギャップで魅力的に感じてしまうのだろう。

 見せ付けるように大きな溜め息を吐く先生。

 しかしその息は、直ぐに安堵する類のものへと変化した。

 

「でも、ちょっと安心しちゃった。シュウにもギン達以外に気の許せる同年代のお友達がいたのね」

 

 先生は俺の交友関係を大体把握している。

 それはつまり教会家族を除けば俺のフレンドリスト登録数が10ちょっとである事も、シリカに次いで年齢が一番近いのがキリトである事を知っているという事だ。

 親しい人が少なく、しかも殆どが大人でキリトとも五歳ぐらい歳が離れている。

 ギン達は友達だが友人よりも家族意識の方が強い事を考えれば、同年代の純粋な友達というのが貴重な存在であると先生は考えているみたいだった。

 

「まったく……私から見れば、ただの歳相応な子供なのにね。こんな子が攻略組だなんて」

 

 ギン達と語らい、遊び、冗談を言い合う。

 先生の前だと気を抜けるため、先生にとって俺はただの子供という認識が強い。

 だからだ、強敵を屠り続ける攻略組としての姿と流れる噂にギャップがあり過ぎて、前線での俺が異常な状態としか感じられないのは。

 攻略組の人達、例えばヒースクリフみたいな『知り合い以上友達未満』の人から見たら、俺は生意気で精神年齢の高い子供らしくない子供に見える。

 これがアスナさん達みたいな親しい人物になれば、その印象に『子供らしいところがちゃんとある』がプラスされる。

 そして泣き虫の俺を見ていた先生からすれば、ゲームクリアのために無理して頑張っている子供に見えていた。

 

(現実世界でもたまに言われてたけど、ここに閉じ込められてから沢山聞いてるな、それ)

 

 師匠達に何度も言われてきた言葉。こうして見ればただの子供、と。

 先生とそれ以外の人達では同じ言葉でも抱いた気持ちにだいぶ差がある。

 最初の一ヶ月を知っているだけに先生が俺に抱く戦死の心配はアスナさんの比じゃない。

 現に中層ならまだしも攻略組を目指すと宣言した時は猛反対の大喧嘩に発展した。

 

「…………ごめん、先生。でも俺は攻略組をやめない」

「分ってる。シュウって呆れるぐらい頑固なんですもの。説得はもう諦めました」

 

 心配で、本当にどうしようもないほど心配で、一日一回の巡回では《蘇生者の間》で俺の生死を確認するのが日課で、数日かけてダンジョンに潜る以外では毎日送られてくる生存と現状報告のメッセージを読んで、やっと安心して眠れると言っていた。

 多大な心配を掛けている事に自覚はある。後ろめたさも感じている。

 表情を曇らせる俺に微笑む先生は、気丈に見せても涙の零れる一歩手前の表情を隠しきれていなかった。

 証拠に声も震えている。

 

「私が……いいえ、皆がシュウの事を常に心配している。その事だけは忘れないで」

 

 実際この刺された楔はかなり効果がある。

 そう言えば俺は無理を出来ない。俺が死んで、誰が悲しむのかを知っているから。

 

「ただ、口を酸っぱくして言うけど、無理は絶対に駄目。命を大事に。ちゃんと休息は取ること。良いわね? ――疲れたら、いつでも帰ってきて良いんだから」

 

 もし俺が死んだら先生は自分を責める。

 何でもっと俺を引き止めておかなかったのか。何で攻略組に入ることを許容してしまったのか。

 先生だけじゃない。アスナさんや師匠、キリトやクライン、エギルだって。

 俺に関わった人は皆がショックを受けるだろう。

 俺が年下の子供だから、余計に。

 

「――はい」

 

 俺は死なないという先生の信頼を裏切る事は出来ない。

 死なない決意をより固めた所で頭を片手で抱き寄せられる。

 今度こそ安心したような微笑を見せる先生は右手で俺の側頭部を優しく撫で、体重を預ける先生から優しい温もりを感じ取る。

 接触する頬からじわじわと拡がる温かみは心地良い。

 しかし、この温かい一時も直ぐに終わった。

 空気がしんみりしてしまい、何やら遠くから感じる視線がむず痒いため、直ぐに話題を変える羽目になった。

 

「それにしても、シュウも隅に置けないわね。噂のアスナさんや師匠さんだけじゃなくて、あんな可愛い子とも仲の良い友達だなんて」

「……先生だって最近親しくしてる人がいるって聞いたけど? 確かクロノスさんだっけ」

「ちょっと待ちなさい! 何でシュウが彼を知っているの!?」

 

 子供ネットワークを侮った先生は未だかつて無いほど狼狽している。

 ここまで赤面を披露してあたふたする姿は珍しく――脈有りな反応が癪だ、かなり。

 

(…………ギン達と緊急会議だ)

 

 まずは相手の情報をアルゴから仕入れる事から始めよう。

 このあと俺は教会に戻らず前線に戻る事が決定しているので会議するのは今しかない。

 背後であたふたしている先生は放っておいて、俺は釣りを再開しているギン達最年長グループと合流するために走り出す。

 

 

 

 ――こうして俺の休暇は瞬く間に過ぎ去っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 


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