魔物王の道   作:すー

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第二十二話 魔物王VIII

 それはまさに一瞬の出来事だった。

 疾風怒濤。

 荒々しくも美しさを兼ね揃えた怒濤の七連続突きを例えるのなら、そう呼ぶのが相応しい。

 二つ名通り閃光の様に素早い刺突の数々に空気が弾ける。視界を色鮮やかなライトエフェクトが埋め尽くし、何重にも重なりあった衝撃音を響かせた。

 

 一瞬だけ見えたずぶ濡れの姿に、怒り狂っていても透き通る様な美声。キリトだけでなく彼女も駆け付けてくれた事が嬉しく、また積もりに積もった恩を考えれば心苦しくもなる。奇襲を仕掛けたアスナさんに言葉が出なかった。

 

 そしてアスナさんの襲撃に合わせて跳び出す辺り、これはキリトにとって作戦通りなのだろう。

 敵の注意がアスナさんに向いた隙を突き、黒の剣士は地を蹴った。

 

「シュウっ! ここから北上した所にアスナが降りてきたロープがある筈だ! お前はそれで逃げろ!」

 

 ――これは後に聴いた話だが、丁度俺が黒ポンチョに殺られそうな所で辿り着いた二人は、即座に俺を助けつつ敵の注意を引き付ける役と、少し北上した辺りから密かに崖下に降りて奇襲を仕掛ける役に別れたらしい。

 そこでキリトが引き付け役なのはロープを使わなくても今すぐ助けに向かえると断言したからであり、アスナさんが渓流から飛び出したのは、《隠蔽》スキルの無い身で少しでも敵に発見されず近付きたかったからだ。

 本当ならアスナさんが引き付け役をするのが正しいのだが、その時はもう俺にトドメを刺されそうな場面で、悠長にロープ伝いに降りられる時間は無かったらしい。

 

「っ……分かった」

 

 悔しさに満ちた声を絞り出した時。キリトは黒ポンチョと、そしてアスナさんは髑髏男と既に交戦していた。

 

  「ハァアアアアアァアアッ!」

 

 キリトは猛々しい雄叫びを発しながら剣を振るってい る。それは力強く、重い、そして信念の宿った強烈な剣撃。鉄色の線を引く袈裟斬りの一閃が黒ポンチョに迫る。

 けれども、その一撃が功を成す事は無い。

 後方への軽いステップ。それだけで剣先はフードを掠めるだけに止まり、致命的な隙を生む。

 地面を割る寸前で剣を止め、同じラインをなぞる様に剣を斬り上げようとしたその時、男は剣先を踏みつけて地面に固く縫い止める。体重をかけ、キリトの武器を封じたのた。

 その直後、敵の右腕が鞭の様にしなる。

 キリトを切り裂くにはその程度の隙で十分。無防備な所に死神の嘲笑と斬撃が襲い掛かる。

 鮮血色のライトエフェクトを帯びる肉厚の刃がキリトの左肩に食い込む――いや、

 

「なめるなッ!」

 

 切り裂く寸前、大型ダガーを握る右手首に右フックが突き刺さっていた。拳が黄色の光に包まれている事からもあれが《体術》スキルの攻撃である事が窺える。その衝撃でダガーの軌道がズレ、また黒ポンチョの体勢がぐらつく。

 その隙を逃さず、キリトは左の二の腕を浅く斬られながら剣を足元から引き抜いた。

 

「Suck……ッ」

 

 憎しみの篭った舌打ちを溢し、返すダガーで首を薙ごうとする黒ポンチョ。

 けれどもキリトは殴った反動を利用しながら一度距離を取り、急所への一撃を回避。頬を掠める程度にダメージを押さえている。

 互いに殴られ、斬りつけられ、それでも両者は武器を手放さない。瞬きした次の瞬間には再度衝突して空気を震わせる。

 互いが剣を振るうたび至る所に赤い負傷ラインが刻ま れる。

 相手の攻撃を馬鹿正直に得物で防ぐことはしない。 防ぐ暇があるのなら身体を強引に捻ってでもダメージを最小に抑え、その分一歩を踏み込んで剣を振るう。

 幾重にも重なって見える剣戟の嵐。

 それを生むのは超絶的な回避技術と冷静沈着な思考、死と隣り合わせの紙一重を続けられるクソ度胸。

 少しでも気を緩めれば即座に終わる、絶技にも等しい超攻撃的なインファイトの応酬が繰り広げられる。

 

 そして、

 

「セアァアアアアアァアアアアッ!」

「シッ!」

 

 アスナさんと髑髏男。

 両者の間で火花が、光が弾け、衝撃が木霊する。近付いただけで切り刻まれる程の鬼迫が空気を揺るがす。

 互いの攻撃を読み尽くして先手を撃ち合うキリト達とは違い、アスナさん達はシンプルだ。

 ただ速く、ただ鋭く。

 圧倒的な手数の多さで敵を刺し貫く。

 羽の様に軽いレイピアと針の様に鋭いエストックの応酬は熾烈を極め、互いの刺突攻撃を空中で迎撃し合う。

 コンマ数秒の遅れ、数ミリの精度の違いで死を招く氷上の攻防を続ける二人。どちらも信じられない集中力と胆力だ。

 

 霞んで見える神速の応酬と駆け引き。

 命を賭けた死闘が戦場を震撼させる。

 

(強い、想像以上に、あいつらは強いっ)

 

 チラリと見ただけだが、アスナさんのカーソルはオレンジに変化していなかった。ということはつまり、あの不意討ちでも敵は直ぐに対応してみせたということだ。

 もしかすれば直前で奇襲を察知して、それも含めて『そろそろ始めねぇか』と言ったのかもしれない。

 水の中でとはいえ《索敵》の範囲内なので不思議は無かった。

 

(――いや、違うっ、奇襲が分かるなら一発受けてアスナさんをオレンジにしてから迎撃する筈だっ)

 

 予想だにしない奇襲だからこそとっさに反応して防いでしまった。つまりそれは敵のプレイヤースキルが恐ろしく高い事を意味している。あのアスナさんの連撃、それも奇襲による一撃をとっさに防げる奴が非凡の筈がない。

 

「くそっ!」

 

 二人を置いていく事に戸惑いを感じる。しかし装備もろくに整っていない俺では一度の被弾が致命傷になりかねないし、何より戦闘に付いていけず連携も儘ならない。俺が乱入しても足手纏いになった挙げ句、二人が俺を気にする結果、後手に回って防戦一方になるのなオチだ。

 

 だからここは戦線離脱が正解。けれども理解と納得は別だった。それでも俺には無様に守られ逃げる事しか叶わない。だから、やるべき事をやる。

 

(待ってて二人とも! 直ぐに応援を呼んでくるから!)

 

 悔しさをバネに決意を灯し、俺は既に背を向けて駆け出していた。衝撃による痺れはあれど根本的な痛覚が存在しないからこそ、裸足でもこの砂利道をダッシュ出来る。

 背後で響く剣戟が止むことはない。盛大に砂利を飛ばしながら全速力で戦場を脱する。

 そして円形に拡がってい空白地帯から元の岩石群に飛び込み、

 

 

 

 

 

 ――大岩の影から、緑液に濡れた小さな刃が飛び出した。

 

 

 

 

「――ッ!?」

 

 右の視界に異物が入り込む。ドロッとした瘴気と殺気に蹂躙される。

 全身の毛が粟立ち、駆け巡る悪寒に戦慄しながら反射的に左へ飛び退く。

 先程まで頬のあった場所を緑刃が通過した。

 仰向けのまま走り高跳びの様に回避し、そのまま片手を地面に着いて小さくバク転。着地する。

 

 そして、改めて襲撃者に目を向けた。

 

「なッ!?」

 

 思わず驚愕の声が漏れる。

 《隠蔽》と《忍び足》の達人は、黒ポンチョや髑髏男に負けず劣らずの異形な出で立ちだったからだ。

 全身を黒で統一したレザーパンツとレザーアーマー、そして鉄鋲の打ち込まれたブーツ。ここまではまだ良い。問題は顔をすっぽりと覆った頭陀袋みたいなマスクだ。

 まるでホラーやパニック映画、もしくはスナッフビデオに登場する趣味の悪い殺人者の姿は、なまじ頭陀袋なんて被っている分、それがまた犯罪者臭を増幅させていた。

 

「うわっほー!? すげぇ、すっげぇ! 今のを避けたぁ!?」

 

 子供みたく無邪気そうで甲高い声。その声に薄ら寒い恐怖を感じる。称賛の声に似つかわしくない、頭陀袋に空けられた穴から覗く粘りっこい視線が、更に恐怖を煽った。

 

(気付かなかった、何で……そっか、ポチがもういないから……)

 

 冷静な様でいて、実は急な襲撃と喪失感に思考が麻痺しかけている俺は、大岩を背にしたまま、その場に立ち尽くしている。

 それ程までに精神的ダメージが大きく、また自分の短絡思考が許せなかった。

 敵が二人だと決めつけていた。狡猾なあいつらが予備戦力を置いているくらい、簡単に予測出来そうなものなのに――。

 盛大に顔をしかめて渋面を作る俺とは裏腹に、頭陀袋は笑っている。

 

 しかし、

 

「はは、すっげえけど! ――――ムカつくよなぁ」

 

 変化は劇的だった。

 小さな呟きに乗せられた殺気が粘菌みたく絡み付く。全身を汚染される不快な感覚に寒気をえ、肩がビクッと上下する。

 その僅かな隙、一秒にも満たない全身の硬直を、この頭陀袋は見逃さない。

 重そうなブーツにも関わらず一切の足音を消した無音の疾走は、瞬時に俺との距離を殺し尽くす。その小さなナイフを紅色に染め上げ、頭陀袋がマスクの中で『ニィ』っと嗤った。

 

「くそっ!」

 

 少し遅れ、その短剣の高位技を迎撃するのは、同ランクの高位短剣スキル。

 紅と蒼。対極する光を撒き散らしながら袈裟斬りと横薙ぎの刃が衝突する。肩を斬りつける寸前だったナイフをギリギリのタイミングで打ち払い、火花と同時に緑色の飛沫が飛び散る。

 その液体を見て確信した。あのナイフは危険だ。おそらく一掠りだけで勝負が着いてしまう。毒攻撃はそれほど恐ろしい、多大なアドバンテージを取れる脅威。

 

 

 

 

 

 一太刀で、また地面を這いつくばる恐怖と屈辱に駆られてしまう。

 

 

 

 

 

「ハァアアアアァアアァアアアァアアアッ!」

 

 込み上げる恐怖を誤魔化す咆哮。

 攻撃を弾かれた事で右手が打ち上がっている頭陀袋の、その大きく隙の出来た脇腹に蹴りを入れる。同じく技を放ち終わった直後だっため体勢は不安定で、それは元々オレンジだった頭陀袋を遠くまで蹴り飛ばす程の威力は無い。しかし、体勢をぐらつかせる事ぐらいは出来る。

 軽くだがくの字に折れる相手を尻目に、軸足一本で立ってT字を作っていた俺は、蹴り付けた反動を利用して倒れ込み、前転。

 素早く上体を起こしたら《軽業》の許す限りの大跳躍で瞬時に跳び退き――岩石群の入り口から、戦闘の余波が生んだ円形の空白地帯へと逆戻った。

 

「シュウ!」

「シュウくん!」

「大丈夫!」

 

 背中に掛かる心配声に対応する余裕は無いし、それは二人も同じこと。

 彼等を気にする余裕は無い。

 それ程までにプライドを汚された頭陀袋の放つ怒気は醜悪だった。

 

「――――ブッ殺してやる」

 

 その呟きを耳にした瞬間、相手の足元が爆ぜた。そう誤認する程の砂利を巻き上げ、それでも恐ろしい程の小音で頭陀袋が距離を詰める。

 敵はソードスキルを使わない。

 むしろ同じ短剣使いとして下手にスキルを使うと攻撃パターンを予測されかねないからこそ、余程の隙が無い限りスキルの発動は悪手に繋がる。

 少なくとも敵は先程みたいなオーバーアクションをする暇が無いと認識を改める程度には、俺の実力を上方修正したらしかった。

 

「ただじゃ殺さねぇぞ! 動けなくした後でたっぷり遊んでから殺してやるッ!」

「ホンットに見た目通り趣味悪いなッ!」

 

 振るわれるナイフを《黒羽》で受け止め、いなし、時には地面を転げ回ってでも強引に回避する。

 乱雑でいながら急所を攻め立てる攻撃に冷たいモノを感じながら、俺は攻めきれずにいた。

 

(どうするっ、どうすればいい!?)

 

 甘いのかもしれない。けれども俺は、殺意を向けてくる相手でも、例え正当防衛だとしても、殺そうとは思えなかった。

 おそらくグルガに放った最後の攻撃が運命の別れ道だったのだ。

 悪行を重ねたであろうグルガ。それでも彼が死にたくないと叫んだ通り、悪人だって死にたくない筈だ。

 そう考えると躊躇ってしまう。何より、俺が人殺しなんて犯したら悲しむ人が多すぎる。

 

 こいつを殺しても嫌な気分だけが残り、大切な人も不幸になる。この頭陀袋を殺す価値など無い。

 けれども俺は早くこの場を離れて応援を呼ばなくてはならない。

 

 だから、ここでの最善手は、

 

(なんとかしてこいつの武器を奪う! 逆に麻痺させて動きを封じてやる!)

 

 そして脱出する。おそらくこれが俺にとっての最善。

 相手が《耐毒》を習得していない事を祈るのみ。

 そう覚悟したからか、集中力が高まったようで少し相手の動きが見え易くなった気がした。

 

 体格差を利用してコソコソと相手の攻撃を避けながら、脳血管が破裂する勢いで思考を回転させ続けた。

 

(それによく考えれば、キリトは『応援を呼べ』じゃなくて『逃げろ』って言った)

 

 それはつまり、既に応援を呼んでいるのではないのか。

 希望的観測が含まれるが、俄然やる気が込み上げてくる。絶望なんて必要ない。欲しいのはただ希望のみ。

 

 俺はポチ達の分まで生き残る義務がある。

 

「負けてたまるかぁああああっ!」

 

 首を掻き切る寸前だった斬撃を力強く弾く。今までに無い火事場の馬鹿力的な強さに面を食らい、頭陀袋が驚くのが感じられた。

 

 これが、反撃の狼煙。

 

「そらぁ!」

 

 大きく後方へと弾かれ右腕にほくそ笑み、がら空きの右脇に回し蹴りを叩き込む。

 体術中位近距離技《廻震脚》。

 ここで短剣スキルより体術スキルを選択したのには訳があった。

 これは主観的な部分もあるが、斬撃よりも打撃系の方が衝撃が大きいと感じたからだ。現実でも刃物で斬られるのとハンマーで殴られるのでは後者の方が衝撃を受ける。

 だから打撃系の物理ダメージの方が、衝撃で得物を取り零す期待値が高いのだ。

 

「こ、の……クソガキがっ!」

 

 しかし、俺の渾身の右踵が脇腹を抉る様に突き刺さっても、頭陀袋はその場に踏み止まった。やはり靴装備の無い裸足では威力も攻撃力も、何もかもが足りない。

 なら、レザーアーマーに守られていない別の柔い部分を狙えば良い。

 素早く右足を引き戻す事で振り下ろされた凶刃を回避。敵は前のめり気味になるほど力強く振り下ろしたのが裏目に出る。

 今度は頭陀袋の鼻っ柱をへし折るつもりで、その顔面に左ストレートを叩き込む。

 

 

 

 

 

 ――いや、叩き込もうとしたのだ。

 

 

 

 

 

「シュウッ!」

 

 聴こえてきたキリトの叫び声は注意と悲鳴の二つの意味を持っていた。その意味を理解したのは左腕に生じたた違和感と同時だった。

 ドスッと感じた衝撃。ブチブチと神経を削られる様な不快感。

 串状で螺旋を描いたピックが左手首を貫通し、拳は大きく狙いを逸れ、頭陀袋の左肩上を虚しく通過した。

 恐る恐る左を――驚愕の目でキリトの方を見れば、こちらを見ずに投剣モーションを終えていた黒ポンチョの姿があった。

 

「この、野郎!」

「これで勝負あったな、黒の剣士」

 

 あろうことか黒ポンチョは、あの激戦の中でも此方の状況を把握し、頭陀袋を援護してきた。

 そう、キリトから一撃を貰うのを覚悟して。

 

 しかしそれが敗北を告げる決定打になるのなら、致死に至らないダメージなど安いものだった。

 HPが漸く半分削れて黄色の注意域に達し、それでも冷酷に嗤う黒ポンチョと、敵を袈裟懸けに斬り裂きながら苦虫を噛み潰しているキリトの姿が目に焼き付いた。

 

 そして、

 

「ワーン、ダウーン」

 

 愉しそうに宣言する頭陀袋の言葉通り、攻撃を空かした俺は地面に倒れた。伸びきった左腕をナイフで斬られ、高レベルの毒は直ぐに全身を犯す。

 ゴツゴツとした小石の感触を右頬に浴び、指先すら動かす事が出来なかった。

 

 横向きで見えるのは、大きく目を見開き、直後に射殺す様な鋭い視線で敵を睨み付けるキリトとアスナさん。カーソルはオレンジと緑。共にHPは六割ほど欠損している。

 そして、二人と向き合いながら残酷に嗤う黒ポンチョと髑髏男。カーソルは緑とオレンジ。HP残量は半分と四割。

 そして視界の端には半分ほど削れた自分のHPバーが浮かんでおり、鉄鋲が満載の黒ブーツが視界を半分埋めるほど近距離に見えた時、背中に衝撃を受けて息が詰まった。

 

「ヘッド、ヘッドぉ! 今すぐ俺が嬲り殺しにして良いっすよねぇ!?」

「まあ待て、そう焦るんじゃねぇよ」

「えー!? 生殺しは酷いっすよヘッドぉ!」

「俺が手ェ出さなきゃもっと面倒だったろうが。決定権は俺にある」

「そんなぁ!?」

 

 一人は俺を踏みつけ、もう一人の死神達は陽気に嗤う。もう剣戟は鳴らず、死闘も起こらない。

 俺の捕獲で、その必要は無くなった。

 

「さて、それじゃあお待ちかねのイッツ・ショウ・タイムと洒落こむかね」

 

 黒ポンチョと髑髏男が、共に得物をキリトとアスナさんに向ける。二人の手に武器は無く、名剣二振りは地面を転がっている。

 俺が人質になったせいで武装解除されたのだ。

 そのまま二人は倒れている俺から少し距離を取ったところに移動、纏められ、その見張りを髑髏男一人で受け持つ。

 油断無くエストックの切っ先が二人に向けられているが、警戒の度合いがキリトに対してかなり多いのは、素手でも戦える体術スキルの有無だろう。

 それは落とした剣を回収する事よりも、二人から目を逸らさず常に戦闘体勢でいる事が、二人の脅威度を表していた。

 両手を上げて降参のポーズを取らされている二人の前に、敵のリーダーが歩を進めた。

 

「さてさて、どうやって遊んだもんか」

「……まさか伏兵がいたなんてな。俺の《索敵》でも発見出来ないって事は、よほどコソコソ隠れるのが得意なんだな」

 

 キリトの安っぽい挑発に憤る頭陀袋を、黒ポンチョは手を上げて抑える。この危機的状況下でも不敵な笑みを溢すキリトを、黒ポンチョは愉快げに見下ろした。

 

「強気だねぇ、黒の剣士。その生意気さがどこまで続くか……ッ!?」

 

 そのまま防具の解除を命じようとしていた黒ポンチョは言葉を詰まらせ、そしてあからさまな舌打ちを溢す。状況を察した髑髏男、頭陀袋がそれに続き、キリトの不敵な笑みが深まった。

 

「――言っておくが、俺達も救援が二人だけなんて、一言も言ってないぜ。お互い様だったな」

 

 この瞬間、唐突に理解した。

 《索敵》スキルを持つ者の索敵範囲内に、新たなプレイヤーの存在を感知した事を。

 その証拠に、

 

 

 

 

 

「キリトぉッ! アスナさんッ! シュウッ! 助けに来たぞぉ!」

 

 こうして、崖上から似非野武士の声が聴こえてくるのだから。

 

 

 

 

 姿は見えないが影は捉えられる。

 集まったのはクラインだけではない。十人近くもの人が崖上に立っていた。

 強烈な怒気と殺気を放つ死神達に、アスナさんは絶対零度の視線を向ける。

 

「渓流に飛び込む前、もう救援メッセージは送っておいたわ」

「いくらお前達が実力者でも、俺達と攻略ギルドを相手に無事で済むか?」

 

 形勢は逆転した。

 キリトとアスナさんのHPは、とてもではないが一撃で削りきれるものではない。全損させようとしても二人は当然抵抗するし、その間に次々とロープを伝って降りてくるクライン達が加勢してしまう。

 

 いくら強くても数の暴力には叶わない。直ぐに屈辱を与える事に心が先走り、HPの全快を怠った彼等では、例え善戦出来たとしても万が一がありえる。

 

 今、沈黙を保つ黒ポンチョの脳内では、全面抗争のメリットとデメリットが計算されている筈だ。人質は生きているからこそ価値がある。俺を殺して二人を暴れさせ、ついでに風林火山と戦うか。それとも俺を解放して逃げるか。

 

「もう一分もしない内に仲間が降りてくるわよ」

「見逃すのは不本意だが、一度しか言わない――――シュウを解放しろ」

 

 敵意で燦々と瞳を燃やす二人に、敵のリーダーは、

 

「――――コリドー・オープン」

 

 世界を凍らせる殺気を撒き散らしながら、少し離れた場所に《回廊結晶》を起動させた。

 途端、俺の身体が起き上がり、背中に衝撃を受けて前方へと突き飛ばされる。

 ザシュッという肌を裂く効果音と共に一割を残して減少するHPを見て、俺は漸く解放されたと同時に背中を斬られたのだと悟った。

 

「てめぇッ! ぜってー殺してやるぞ!」

 

 再び倒れた俺に捨て台詞を吐いてから、頭陀袋のオレンジプレイヤーは何処かに繋がっている回廊結晶の放つ光の中に飛び込んでいく。それに敵意満々のまま髑髏男が続き、回廊結晶の効果が切れる直前に、今まで二人をダガーで脅していた黒ポンチョが光の前に立った。

 この解放された時点で、アスナさんは俺に向かって駆け出しているし、キリトは距離を置いたまま黒ポンチョと向き合っていた。

 

「このツケは必ず払わせる。期待して待ってな、黒の剣士。必ず貴様は――俺自ら血祭りに上げる」

 

 そしてダガーをホルスターに収めて光に飛び込む直前、左手が宙を一閃した。一言、プレゼントだと言い残しながら。

 

「シュウ!」

「シュウくん!」

 

 黒ポンチョが素早く腰に手を回した瞬間に、察したキリトは俺目掛けて駆け出し、少し遅れたアスナさんは恐慌に駆られながら足を速めた。

 

 倒れる俺の額を穿つために螺旋状のピックが飛来する。もう消えかけている光に飛び込んだ黒ポンチョの熟練度と先程の投擲ダメージを考えれば、残り一割のHPでは耐える事が出来ない。

 今だ麻痺状態で動かない身体のまま他人事の様に迫り来る死を見詰めていると、ふと、視界が真っ黒に染まった。

 

(俺、死んだのか……いや、違う……これはっ)

 

 頬全体に感じるライトアーマーの冷たい感触。心を満たす温もり。香る優しい匂い。

 脅威が去ってから、漸く俺はアスナさんに庇われ、その胸に抱かれていたのだと気が付いた。

 

「シュウくん……大丈夫、もう大丈夫だよぉ……」

 

 胸から膝の上に頭を移動され、改めてアスナさんの顔が視界に入り込む。彼女が泣いているのは、その声と俺の頬に零れる雫から分かっていた。

 くしゃくしゃに顔を歪めながら額と額を合わせ、俺の無事と体温を改めて感じ取ったアスナさんは、漸く安心出来たのか嗚咽を漏らしながら静かに泣く。

 至近距離にあった泣き顔が離れて元の位地に戻り、頭をゆっくりと撫でられていると、今度は左の掌からピックを無理やり引き抜いているキリトの顔が視界に入った。

 どうやら俺を守るために背中を無防備に晒したアスナさんを、左手で遮る事で守ったらしい。

 

「良かった。お前の命が無事で」

 

 柔和な笑みを溢しながら小さく呟いたキリトの声が、心に深く浸透した。

 そう、俺はまたギリギリの所で命を拾った。幾重もの絶望の果てに希望を掴み取った。

 しかし、

 

「……アスナ、さん」

 

 しかし、失った命が多すぎた。命を拾ったという自覚が、より喪失したものを際立たせ、心を引き裂く。忘れていた、考えないように封印していた悲しみが解放される。

 駆け付けてくれたクラインが気を利かせて解毒結晶を使ってくれたお陰で、身体中の震えと嗚咽。吐き出してしまう恐怖と悲しみを抑える事が出来なかった。

 

「アスナ、さん……怖かった、ホントのホントに怖かった……」

「うん……うんっ」

 

 涙がアスナさんの太股を濡らす。溜め込んでいた感情が吐き出される。

 

「仲良くしようと、思ったんだ、出来るって思えたんだ……なのに、殺されそうになってっ、クロノス、殺されて、ポチ達も、みんな殺されてっ!」

 

 視界がボヤける。自分で何を言っているのか分からなくなる。ただ、頭を撫でてくれる手は温かく、優しかった。

 

「せんせいっ……せんせいに、何て言えば良いんだろっ……クロノスのことで、ぜったいに自分を責めるっ! せんせい、優しすぎるからっ!」

 

 クロノスの企み、心を見抜けなかったこと。そんな彼を心から愛していたこと。

 サーシャ先生は優しいから、絶対に引け目を感じて自分を責め立てる。泣き顔も、俺に謝罪する姿も見たくなかった。

 

「ポチも、クロマルもっ! タマやすーちゃんもっ! みんな……みんな、死んじゃったっ、死なせちゃったっ! ひとりに、なったっ!」

 

 もう、一番の相棒達とは会えない。空虚を埋めるため、なにかを求める様に手をさ迷わせると、冷たくなった手をアスナさんが握り返してくれた。

 

「ア、スナさんっ……あすな、さんっ」

「うん、わたしはここにいるよ。わたしも、キリトくんも、みんな――――みんな側に、いるよ」

 

 身体を起こされる。背中と後頭部に手を回され、存在を主張するように力一杯――それでいて優しく抱き締められる。

 人の温もり、優しさが、胸一杯に広がった。

 もう、我慢する事が出来なかった。

 

「あ……うわぁああああ、あぁあああああぁああッ!」

 

 

 

 

 

 ――俺は涙と声を枯らすまで、アスナさんの胸の中で叫び続けた。

 

 

 

 

 

 




PoHさんが投剣や索敵を所持しているのは想像です。持っていても違和感が薄いかと思いチョイスしました。
長かった鬱展開は終了です。



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