魔物王の道   作:すー

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第二十三話 魔物王Ⅸ

 

 それは酷く懐かしい感触だった。

 優しくて、甘くて、温かい。毎日感じていた安堵感。その感覚が失せたのはいつの頃からだろうか。

 決まっている。このクソッたれなデスゲームをクリアすると決めた日。家族のいる家を出て旅立った日だ。久しぶりに一人で過ごす夜、宿屋の中で人知れず泣いたのを今でも覚えている。

 最初の頃は何度も教会に戻ろうと考え、その度に自らの心を震え上がらせ、弱気を誤魔化すために戦いへ身を投じる。無謀とも言える死と隣り合わせのレベリングは、モンスターへのトラウマを治すためのショック療法も兼ねていた。

 

(……何でこんな事を思い出してんだろ)

 

 酩酊感にも似た頭の靄が、今が夢の中である事を教えてくれる。ゲームの中なのに夢を見るのかと、夢の無いツッコミが思い浮かんだ。

 それを証明するように過去の記憶が流れ、話に聞く幽体離脱の如く真上からそれを俯瞰する。足もとでリプレイされる光景に映るのは俺だ。

 恐怖から逃げ出して以来、先生監修の下、初めて遭遇したフレンジーボアに震えながら襲い掛かる俺。

 周囲から奇異の目で見られる俺。初めて宿に泊まって泣きべそを掻く俺。初めてのレベルアップに喜ぶ俺。初めてクエストを受けて森へと突入する俺。

 そして、初めての相棒を得た俺――、

 

 

 

 

 意識が浮上する。

 ゆっくりと瞼を開くが最初は何も見えなかった。視界は悪く、周囲は暗い。しかし身体を包む温かさは脳を溶かすほど心地よく、柔らかい。優しい匂いが鼻腔を満たす。

 テーブルや棚といった最低限の家具しか見当たらない八畳部屋。これだけ見ると自分の借りている部屋みたいだが、その乳白色の壁に掛かっている物だけは自分の部屋に無いものだ。

 暗闇に慣れてきた瞳が映すのは額縁に飾られた沢山の写真。その例外なく笑っている皆の写真が、ここが教会にある先生の寝室である事を教えてくれる。

 しばらくして、暗いのは今が夜だからで、そして身体の自由が利かないのは――サーシャ先生に抱きしめられているからだと気が付いた。

 視線を上げれば先生の寝顔がある。彼女の左手が俺の左手を優しく包み、右手は後頭部に添えられている。まるで子供をあやす様な仕種だが――この感想は間違っていない。

 先生にこうされるのも久しぶりだ。悲しい時、泣いていた時、いつも先生はこうやって慰めてくれた。

 

(また先生の世話になっちゃったか)

 

 申し訳なさで苦笑する。

 そのまま何となく先生の頬に手を伸ばそうとして、一つ疑問が脳裏を過った。

 先生に慰められていたという事は、俺はまた泣いていたという訳で。何故こんな事になっているのか考えようとして――、

 

(あっ)

 

 

 

 何で忘れていたのかと疑問に思う程、本当に呆気なく記憶が蘇った。

 

 

 

(そうだっ、みんな……みんな、死んでっ)

 

 消失感、死への恐怖。その全てが怒涛と溢れ、押し寄せた。

 身体中が震えて喉が引き攣る。嫌な汗が噴き出した。

 しかし、

 

「シュウ? ……シュウっ、目を覚ましたのね!? 大丈夫っ、大丈夫よ」

 

 身動ぎに反応して目覚めた先生が、力強く抱きしめてくれた。

 胸に抱かれながら嗚咽を漏らす俺を、先生はずっと抱きしめてくれる。

 俺が落ち着くまで、ずっと、ずっと。

 

 

 

 午前三時過ぎ、《はじまりの街》にある教会の中での出来事だった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 先生の寝室にランプの火が灯る。淡いオレンジ色の光が室内を満たし、その火を見つめていると安らぎを齎してくれる。

 俺が落ち着くまで数十分も背を撫で続けてくれた先生は、今は飲み物を持ってくると言って退室している。待つ間は更に落ち着きを取り戻すのに充分な時間だった。冷静に考えれば考えるほど、腑に落ちない事が出てくるからだ。

 

「十一月九日午前三時半。まだあれから半日足らず? そんな馬鹿な」

 

 メニューウィンドウの時刻を見て驚愕する。次いで自身のカーソルに目を向ければ、そこにあるのは緑色のカーソルだ。そしてクエストログを見たらきちんとカルマ回復クエストを達成したと書いてあるのだから訳が分からない。

 

 カルマ回復クエスト。それはオレンジカーソルを正常なグリーンに戻すためのクエストで、そのクエストを達成するまでに掛かる時間は平均でおよそ二・三日程度。一度受ければ懲り懲りと思うほど面倒くさいクエストとして知られている。

 このクエストは各層のフィールドに立て看板の形で置いてあるので、NPCに話しかけずとも看板をタップさえ出来ればクエストのウィンドウが出現する。あとは承認項目を押してクエストを受諾すれば良いだけ。これなら例え意識が無くとも第三者が手を動かせば勝手にクエストを受諾出来る。

 問題はモンスターの討伐が必須であるこのクエストを、どうやって俺がクリアしたかだ。

 

 クエストの内容は各層に出現する指定されたモンスターの討伐。そのモンスターが超低確率でドロップする《悔恨の魂》を手に入れて看板の元へ届ければ、その場でクエストはクリアとなる。

 このクエストを受けている間、プレイヤーはいくらモンスターを倒しても経験値やコルは手に入らない。しかも二・三日掛けて漸くドロップされるかもしれない激レアのアイテムは任意の交換やドロップも出来ない非売品。

 これが『リスクのみで面倒くさいクエスト』と呼ばれる所以なのだが、そのクエストを意識の無い俺が達成出来た事に首を傾げた。

 

「ある程度HPを削ったモンスターを誘導して、二人羽織り的なノリで意識の無い俺に倒させる? ……違う、ありえない」

 

 そんな面倒な事をするぐらいなら素直に俺が起きるのを待ってから戦わせた方が絶対に早い。案外一匹やそこらで幸運にも《悔恨の魂》を手に入れた可能性も無きにしも非ずだが、流石にそれは現実的ではないだろう。

 

「……でも俺の運ならありえる? いやでもなぁ……うわー、ちっとも分かんない」

 

 ガシガシと苛立たしげに髪を掻いた所でドアがノックされる。

 軋んだ音を鳴らす木製のドアがゆっくりと開かれ、入室してきたのはお盆にホットミルクとティーカップを乗せた先生。そして、その後ろに続くのは――、

 

「シュウくんっ!」

 

 先生の後ろに立つのは女神様。俺をここまで運んでくれて、そして心配したため教会に泊まっていたアスナさんだった。

 プレートアーマーを外して帯剣もしていないが《血盟騎士団》の赤と白の団服のまま飛び込んできたアスナさんは、涙目のまま突撃してきて身体を抱きしめてくる。

 先生とは違い、こちらはかなり力強い。つまりそれは、俺がそれだけアスナさんを心配させた証。息苦しいが甘んじて受けていると、ふいに拘束が解かれた。

 どうやら見かねた先生がアスナさんを優しく窘めたらしい。アスナさんはバツが悪そうな顔をして、謝罪しながらゆっくりと離れていった。

 

「えっと、アスナさん。俺は大丈夫……うん、大丈夫だから、あのあと何があったのか教えて」

 

 ――俺は今、しっかりと笑顔を見せているのだろうか。

 チクリと胸を刺した痛みを耐え、アスナさんに微笑んで見せる。

 安物の椅子に着席した俺の前に、先生は無言でホットミルクを置き、自分達の前には紅茶を置いてから対面に着席。その隣にアスナさんも腰を下ろした。

 

「うん。でも、その…………辛いと思うけど、シュウくんも何があったのか教えて欲しいの。今はまだ、話せる所までで充分だから」

 

 それから俺達は長い時間を情報交換に費やした。

 クロノスの企み。俺の殺害を依頼されたグルガ達。そして、クロノスを煽り、グルガ達に入団テストを敷いた脚本家達。

 話すのは辛かった。しかしあの黒ポンチョ達はしっかりと世間に晒さなければまずい事になる。半ば義務感。心を凍らせて淡々と話す俺の言葉をアスナさんは神妙な面持ちで聞き続ける。

 そして俺は、話す間は先生の顔を見る事が出来なかった。

 結局クロノスの事はそのまま伝えた。――上手く誤魔化す方法も思い浮かばなければ、機転を利かす余裕も無かったのだ。

 

(……先生)

 

 所々で言葉を詰まらせながらの拙い説明。俺のカップは空で、アスナさんの紅茶が冷たくなった頃、漸く長い話が終わった。そうして初めて先生に視線を向ける。

 

 

 

 ――先生は、泣いてなどいなかった。

 

 

 

 事前にアスナさんから大体の話を聴いて予測を立てていたのかもしれない。あの崖下で呟いた『泣き顔を見たくない』という言葉を伝えられていたのかもしれない。

 肩を震わせ、目尻に涙を溜め、膝の上の両手が白くなるほど握られていても、先生は涙を流さない強い人だった。

 

 クロノスは先生を愛していて、先生もクロノスを愛していた。

 酷く歪んで純粋な想いだが、その想いに嘘は無い。互いの愛が真実だったが故に彼の取った行動が重く圧し掛かる。

 非は無くとも騒動の原因となってしまった先生の複雑な心を察する事など出来はしない。今は何を言っても逆効果。慰めの言葉を送っても泣かせてしまうだろう。先生が堪えているのだ。それを俺から壊すことなど出来なかった。

 だから今は、落ち着くまでそっとしておくのが吉。

 

「大変……だったね」

 

 話を聴き終えたアスナさんはたっぷり十秒沈黙後、それだけを口にする。それ以上は何も言わない。しかし言葉と表情から垣間見える憂愁から大よその気持ちは読み取れた。

 

「今度はアスナさんの番。どうやってこんな短時間でカーソルを緑に戻したの?」

 

 これ以上の気遣いや辛気臭い雰囲気は不要。今必要なのは明るい雰囲気。そのためにも極力『気にしていない』とアピールするため、見ようによっては素っ気ない態度で話を変えた。

 そして気持ちを察してくれたアスナさんは目尻を下げ、苦笑しながら語り出す。

 その想像もしていなかった裏ワザを。

 

 泣き疲れて気を失った後、アスナさん達は俺の処置に困ったらしい。

 本当なら事情説明も兼ねて俺を教会に送り届けたいが、生憎とカーソルはオレンジなので《圏内》指定の主街区には入れない。かといって外にいると黒ポンチョが再び襲撃してくるかもしれないし、何より精神的に不安定な俺を早く保護者の下に送り届けたい気持ちがある。

 直ぐに目を覚ますのなら問題ない。しかし十何時間、果ては何日も目覚めなかったのならどうするか。

 逡巡した後、とある可能性を思いついたのがキリトだった。

 

 

 ――《悔恨の魂》の交換も、任意のドロップも不可。なら《強奪》させれば良い。

 

 

 モンスターの中には《強奪》という、所持アイテムを奪いその所有権を瞬時に移動させるスキルを持った奴もいる。そいつに《悔恨の魂》をワザと奪わせ、そのモンスターを俺が倒せば《悔恨の魂》を回収出来るのではないか。

 確証は無いが、俺の事情を抜きにしても検証する価値はある。

 

 そして、その作戦は成功した。

 

 物量作戦で少しでも《悔恨の魂》入手率を上げるため、クラインを始めとした《風林火山》の半数がわざとオレンジに身を落とし、キリトと共にカルマ回復クエストに挑む。

 残りのメンバーは黒ポンチョ達の事を情報屋にリーク。念のため《軍》に見回り強化――特に教会周辺を重点的にするように――を促し、クエスト中の彼等に必要物資を届けるなどのサポートに徹する。

 そして幸運にも作戦開始から十時間足らずで一人が《悔恨の魂》を入手した。

 後は簡単だ。その人は装備品と《悔恨の魂》以外を全て仲間に預けた状態で四十層に出てくる《強奪》持ちのモンスターにワザと攻撃され、《悔恨の魂》を奪われた後に二人羽織り状態の俺に倒させる。元々低い敵のHP。二十近いレベル差があれば、仮にも攻略組である俺の攻撃が三発もあれば事足りた。

 

(ホント、よく思いつくし実行しようって気になるよ)

 

 交換とドロップだけでなく《強奪》も不可の可能性があった。それどころか例え奪われてもクエストアイテムが消滅してしまったり、回収出来ない可能性もあった。

 けれども心配を余所に作戦は実を結んだ。

 そうして皆の手助けで緑に戻った俺はアスナさんに背負われながら教会に届けられたのが二時間前。おそらくキリト達は今もフィールドに出て自分のためにクエストを頑張っている。

 

「……皆がまた助けてくれたんだ」

「うん、後でお礼、言わなくちゃね」

 

 キリトだけでなく、もうクライン達に対しても足を向けて寝られない。

 その人情味にささくれ立った心が洗われる気がする。無償の優しさが泣きたくなるほど嬉しかった。

 それに教会周辺の警邏を強化すると約束してくれた《軍》にも感謝だ。

 

「シュウくんは――これからどうするの?」

 

 しばらく沈黙が下りた後、意を決したアスナさんが単刀直入に訊ねてくる。今の彼女は、友人では無く血盟騎士団の副団長。作戦の指揮を取るリーダーの一人として問いかけている事を声の強張りから察する。

 

 その真剣で鋭い眼差しに、言葉を窮した。

 

「はっきり言うわ。今のシュウくんは――」

「……力不足だって言いたいんでしょ?」

 

 微かに顔を強張らせるアスナさんに苦笑する。それはきっと、泣いているような自嘲気味の苦笑だったと思う。気まずそうに表情を伏せるアスナさんに、更に苦笑した。

 今の俺のレベルは60。所持するスキルは《片手用短剣》《魔物王》《隠蔽》《耐毒》《体術》《軽業》《識別》《疾走》。

 ボス戦では主に取り巻き達の相手を担当していた。プレイヤーを超えたモンスターならではの敏捷力を駆使したポチ達による速攻。《魔物王》の上位連続攻撃技は他のグループの追随を許さないほど迅速に露払いを行なってきた。

 もしくはボスに接近し、弱点部位を攻撃して戦況を有利に進めるのも俺の仕事だった。

 弱点部位を持つボスは大抵の場合、プレイヤーを接近させないように散弾や触手などで弾幕攻撃を仕掛けてくるか、もしくは手の届かない頭部などに弱点を持つ。本来なら遠距離から投剣で弱点部位を攻撃するところ、俺は身長の低さや身軽さを最大限生かし、攻撃の間を縫って自力で接近。時には巨体によじ登って直接攻撃を行なってきた。

 直線軌道の攻撃が多い投剣だと弾かれる場合が多いからだ。

 けれどもそれは防御に優れたクロマルが手元にいたからこそ、周囲の反対を押し切って実行に移せた無茶無謀。盾を持ちながらでは決して行なえないコンパクトな動きが可能だったからこその作戦。クロマルも《武器防御》スキルも持たない軽量装備の俺では、もうこんな無茶を通す事も出来ないだろう。

 

 今までの様な露払いも行なえず、無茶も通せない俺に、いったい何の価値があるというのか。

 そう思うと、より深く自嘲の笑みがこみ上げる。心とは裏腹に俺の声は明るかった。

 

「決定力不足だからダメージディーラーも無理。軽量装備で耐久も無いからタンクも無理。ポチ達がいないから今までみたいに効率良く取り巻きも狩れない。ボス自体を攻撃する遊撃も、俺である必要性は無い。はは、攻略組の名前も返上かな、こりゃ」

 

 俺より攻撃力の高い奴はいくらでもいる。

 今回の件もそうだが、つくづく自分一人では何も出来ない事を痛感した。沢山の人や仲間に助けられなければ何も出来ない子供。

 そんな俺が街を出たのは――間違いだったのかもしれない。こんなに色々な人に迷惑を掛けるなら、最初から――、

 

「……シュウくんが休んでいる間にね、アルゴさんに訊いてみたの」

「アルゴに?」

 

 身の内を悟られないよう表情を凍らせる。普通を装う仮面を被る俺を刺激しないよう、言葉を選んでいるアスナさんは一度視線を外した。しかし黙っていても仕方が無い。例えそれが悪い話でも近い内に耳に入る。それが分かっているから、直ぐに調査結果を教えてくれた。現時点で使い魔を蘇生する手段は発見されていないと。

 

「――そっか。うん、ありがとう、アスナさん。調べてくれて」

 

 

 

 ――その時、すとんと、心の中で何かが落ちる音がした。

 

 

 

「……シュウくん?」

 

 それは今まで張り詰めていた糸がぷつんと切れた音だったのかもしれない。それは燻っていた炎が鎮火した音だったのかもしれない。

 諦めた笑みを浮かべる俺に、アスナさんはあからさまに狼狽していた。

 ポチ達と戦えないのだから、俺はもう攻略組に復帰出来ない。強者ですらない。

 

 

 

 ――なら、俺はもう戦う必要は無い。

 

 

 

 そう思い、心が軽くなった時。初めて俺は心の変化に気が付いた。

 

「それに俺……もしポチ達が居ても、もう無理かもしれない」

「……え?」

 

 アスナさんを直視出来ない。その戸惑いに満ちた声に応える事が出来ない。

 カタカタと震える肩を押さえる俺は、とても弱い。そして身の内を語るのが、敗北宣言にも等しく、怖かった。

 

「なんだかさ、嫌なんだ、凄く。……大人も、戦うのも、外に出るのだって、凄く……凄く、怖い」

 

 ぎゅっと瞼を瞑っても黒ポンチョ達の姿が消える事は無く、死への恐怖が和らぐ事は無い。大人の悪意、死への恐怖など理解しているつもりだった。しかしアレは、まだまだ片鱗。地獄の淵に過ぎなかった事を思い知る。

 その点ここは外とは違う。教会に居るのは家族だけで、誰も手荒な事は出来ない聖域。

 そこを飛び出し、卑劣で穢れた大人が蔓延る世界へ今まで通り立ち向かう。ポチ達――信頼できる仲間のいない俺が、たった一人で。

 

(無理だっ、そんなの……っ)

 

 一人では戦えない。

 ポチ達の死は、大人や弱い心への抵抗や反逆心をへし折り、手段までも奪ったのだ。

 

 それを認めるのが怖い。

 

「……っ、ごめん、アスナさん。もう寝る、おやすみなさいっ」

 

 気付けば椅子を倒しながら立ち上がっていた。今は何もからも逃げたかった。仲間を失った事実からも、心が折れてしまった事からも。そして、手を伸ばしかけたアスナさんからも。

 

 ベッドに飛び込んで布団を頭から被る。アスナさんや先生からの溜息――失望する声を恐れ、強く耳を塞いだ。

 しばらくして部屋の中から気配が消える。数は二人分。遠ざかる気配に身を起こし、そしてドアノブが捻られる音に慌てて横になった。

 どうやらアスナさんを部屋に送った先生が戻ってきたらしい。

 この部屋は先生の物なのだから当然だ。

 

「シュウ、まだ起きてるわよね」

 

 そう断定する先生はベッドの中に潜り込む。背を向けて狸寝入りを続ける俺に、きっと苦笑している事だろう。

 そして先生は、先程のように覇気の無い声とは違う。芯の通った心に響く声を紡ぎ出す。

 

「ありがとう、シュウ。――生きて、戻ってきてくれて」

 

 それは慈愛に満ちた優しい想い。

 心の奥深くまで浸透した声に、背を向けたまま目を瞠った。

 

「あなたまで死んでしまったら、流石に私も立ち直れないもの」

 

 思わず肩越しに振り返る。そんな俺を迎えるのは、横になったまま泣き笑いを浮かべる先生。今にも溢れそうなほど目尻に溜る真珠の様な涙を見て、不意に泣きたくなった。

 表情が歪むのが自分でも分かる。

 

「それと……ごめんなさい」

「っ、何で先生が謝るんだよ。悪いのは――」

「だって、あの人はわたしの恋人だったんだもの」

 

 謝罪を咎めようと声を荒げ、その途中で口を噤む。声を失うほど先生の顔は美しく、同時に儚い。これが愛する者が出来て、裏切られ、失った女性の表情。

 こんな顔をさせたクロノスを改めて恨んだ。

 

「先生……」

「この世界を出られたら結婚しようって、あの人はそう言っていたわ。今はもう、例え言われても嬉しさなんて欠片も感じないでしょうけど……それでも、ね」

 

 先生が言った『今は』。つまり前は嬉しかったということ。

 当然だ。先生にとっては未だに信じがたい出来事なのに違いない。彼女の記憶の中に住むクロノスは、正真正銘、絵に描いたような理想の男性だったのだ。その姿勢を最後まで失わず純粋で歪んだ愛を貫き通したクロノスを、先生は忘れきれない。

 それでも俺の言葉を信じて、事実として受け止め、前を向こうとしている強い女性。

 それが俺達の保護者で、母親で、姉で――サーシャ先生だ。

 

(……ここだけはクロノスと同意。先生はやっぱり強い)

 

 今の目を見れば分かる。先生は恋人を失った事実を乗り越えて行ける。それだけの強さが瞳に宿っている。

 俺とは、違う。

 

「でも、謝られても困るのはシュウの方よね。だから、謝るのはこれ一回だけ。ごめんなさい」

「……それで二回目」

「ふふっ、そうね」

 

 眩し過ぎて、自分の弱さを比較されるようで、先生の笑顔を直視出来ない。自然とぶっきら棒な態度になり視線を逸らす。

 そう、そしてそうすると、まるで拗ねた子供をあやす様に。先生はこうして胸に抱いてくれるのだ。子供を安心させるために。

 

「慌てる必要は無いわ。例え前線に戻らなくても誰も文句は言わないし、私が言わせません。ずっとここに居ても良いのよ。引き籠り上等じゃない」

 

 背中を擦ってくれる先生の優しさに視界が滲む。胸元が濡れるのも構わず、先生はずっと抱きしめてくれた。

 先生は優しい。そして教育者として厳しい顔も持っている。

 

「でも、その代わり。朝になったらもう一回、アスナさんとお話すること。彼女、かなり心配していたんだから」

「……うん」

 

 最後に軽くあの時の態度を咎められ、俺の意識は温かいまどろみの中に溶けていった。

 

 

 ◇◇

 

 

 舞台は早朝。まだ朝靄が漂う、涼しい季節らしく澄んだ空気が満ちる秋の朝。

 教会前に二つの影ある。

 俺とアスナさんだ。

 

「ごめんね、アスナさん」

「何で謝るの? 変なシュウくん」

 

 見送りに来た俺に対し、アスナさんは可憐にクスクスと笑う。

 昨日の拒絶した態度は気にしていない。そう彼女の笑顔が物語る。口元に手をやって上品に笑ってから、その笑みが元に戻らぬ内に手を腰にやり、微かに屈みながら視線を合わせてくれた。

 その気遣う所作の一つ一つに慈しみを感じる。俺を元気づけるため、普段通りに接してくれているのだ。

 

「じゃあ、シュウくんはしばらくお休みって事で良いのかな」

「うん。それでお願い。キリトやクライン達には、後でメッセージを送るから」

「リズはどうする?」

「あー……それも俺から言う」

「はい、了解しました」

 

 おどけた風に敬礼をするアスナさんに、俺も敬礼で返す。

 彼女の装備は血盟騎士団の団服。その腰には白く輝く細剣が吊るされている。対して俺の腰には何も無い。服装も上下黒の簡素な私服。

 そこに落差を感じた。

 この姿の差が、強者と弱者を隔てる壁に思えて仕方が無い。

 

 背を向けて戦場へと向かうアスナさんに、悔しくて唇を噛みしめた。

 

「――そうだった、ごめんねシュウくん」

「アスナさん?」

 

 遠ざかる筈だった背中が戻ってくる。慌てて戻ってきたアスナさんは右手を振り下ろしてウィンドウを出現させると、目の前で操作を行った。

 そして、

 

「……あ」

 

 

 

 そして、目の前に出現したトレードウィンドウに言葉を失う。

 

 

 

「キリトくんがあの場所で見つけたの。それでね、私からシュウくんに渡してくれって」

「あ……あぁ……」

 

 アスナさんの言葉が耳に入らない。それほど俺の目はトレードウィンドウに表示された四つのアイテムに釘付けだった。

 

 《ポチの心》

 《クロマルの心》

 《タマの心》

 《スーちゃんの心》

 

「そうだ……何で、何で俺……」

「シュウくん?」

 

 ――彼等は、死んでも俺の傍に居てくれる。

 それにここで立ち止まるのは、俺だけの負けではない。俺の所為で死なせてしまった相棒達の敗北にも繋がる。彼等との再会がその事実を叩きつけた。

 今までの苦労や想いを諦めて教会に閉じ籠るというのは、そういう意味だ。

 彼らの前でカッコ悪い姿を晒して良いのか。このまま腐っていくのが俺――魔物王の姿なのか。

 

 違う。地べたを這いずってでも、歯を食いしばってでも今まで通り抗うのが俺だ。

 それがポチ達に見せて、示してきた俺の生き様。

 お前達の頼りになる相棒なんだと、牽引してきた魔物王の在り方。

 

(ポチ達はもう戦えない。姿も見れない。でも、ここに居る。確実に)

 

 一緒にいる。一人じゃない。

 それを一つの支えとして今まで戦ってきた。

 ――そして、これからも。

 

「アスナさん、お願いがあるんだ」

 

 それでも外に出るのは、やっぱり怖い。

 大人と接するのが怖い。安心している筈の先生を心配させるのが怖い。

 

 けど、それよりも、

 

(無様に腐っていく方が、怖いっ!)

 

 オーケーボタンをクリックして相棒達をストレージに収める。

 それだけで、ちょっとは強くなった様な気がした。

 その事が少し可笑しくてほくそ笑む。

 目を丸くしていたアスナさんは、次第に嬉しそうに顔を綻ばせていった。

 

「訊かせて。そのお願い」

「お願い、アスナさん――――ヒースクリフに会わせて」

 

 

 

 ――鎮火した筈の闘志が、燻る音がした。

 

 

 

 




予定より少し遅れましたが、なんとか更新です。
お待ちの皆様方、大変お待たせしました。

『何も一話で完璧に立ち直らせる必要は無いか』

そう思いつくのにだいぶ時間が掛った二十三話です。


そしてカルマ回復クエストは完全に独自設定です。特にアイテムを《強奪》させるあたり。
おそらく普通は、ああいったアイテムは売買や譲渡不可だと思います。
……ネトゲの経験が無いのが裏目に出ました。
最初は普通にトレードさせようとして『……そもそもこういうアイテムってトレード出来るのか?』と疑問に思ったのが年明けの寸前です。
早いとこ主人公を復活させなければ物語が破綻してしまうので、正直苦肉の策でした。
『トレード可能ならラフコフだって回復用のプレイヤーを飼えるし良いかな』と思ってしまったばっかりに……完全に思考停止をしていました。

賛否両論の方法だと思いますが、他に意識の無いプレイヤーのカルマを回復させる手段が思い浮かびませんでした。ご了承願います。

長々と失礼しました。
皆さん、明けましておめでとうございます。
……もう遅いですね、はい。

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