魔物王の道   作:すー

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第八話 決戦直前

 どうにも予想外な展開になってしまった。

 時刻は早朝七時。誰も居ない鍛冶工房で作業着のツナギに着替えながら込み上げてくる欠伸を噛み殺しつつ、あたしこと――リズベットはそう思う。

 第一印象は最悪の一言に尽きた。

 なんたって商売初日にあたしの最高傑作を奪っていった張本人。好感を持てる訳がない。

 あと一分でも謝罪が遅ければ、あのガキンチョを窃盗犯として軍や情報屋にリークしていただろう。

 鍛冶屋を営むあたしにとっての第一歩。

 大事にしていた商売初日の最後を踏み躙ろうとしたあのガキンチョは、それほどの事をしたのだ。 

 

「……それがまさか、こんなことになるなんてねー」

 

 嫌っていたガキンチョが、よもや鍛冶職人仲間も含めて一番の友人になろうとは。世の中分からないものである。

 再会後の夕食で僅か五分も経たない内に親交を深められたというのも、今思えば凄い事だと思う。

 武器や技術を褒められ、人柄を認められただけで悪印象が好印象に変わるなんて我ながら現金なものだ。

 

「まあ、話してみれば中々面白いガキンチョだったしね」

 

 何より物事に真っ直ぐで、ある意味純粋なところは信用出来る。

 何でそんなに強く成りたいのか。あたしの問いにゲームを攻略するためだと即答し、心意気を語る少年の言葉は、そう判断するに値するほどあたしの心を響かせたのだ。

 売り手と買い手。鍛冶屋と顧客の垣根を越えてまで世話を焼いてあげようと思うなど、出逢った当初からは想像出来ない。

 そう過去を思い返していると、

 

「師匠、おはよう」

 

 大きく伸びをしている時に、まだ声変わりも果たしていない高い声が工房に響いた。

 鍛冶系統のスキルを習得していない癖にあたしをそう呼ぶ人物は一人しかいない。

 背後を振り返り、入り口に立っているチビ弟子を視界に納める。

 

「おはようさん。ガキンチョは朝から元気ね」

 

 そこにいたのは少年だった。

 女性が少ないSAOでも更に稀少な漸く年齢が二桁になった正真正銘の子供。

 黒のズボンに銀色の滑らかなシャツ。裾の長い漆黒のコートは隠蔽ボーナスの付いた《フェルザー・コート》。

 一三〇センチにも届いていない小柄な身長に、歳相応に可愛らしい子供特有の丸っこい容姿。

 ほっぺや肌なんて女の私が羨むほどプニプニでスベスベ。

 短い部類に入るざっくばらんに切り揃えられた黒髪は、少し鋭い目と耳を僅かに覆い隠している。

 可愛らしいあどけなさを残しながら、生意気そうなイメージを植え付ける双眸。

 その筋のお姉様方にしてみればお持ち帰り衝動に駆られてしまうショタっ子は、初めて訪れた工房内を見渡しながら二体の仲間と共に私のいる工房隅に歩み寄ってくる。

 興味津々に炉や金床やらを見渡す姿を見れば、十歳という年齢通りの姿に見えない事もない。

 性格や思考が十歳児どころか同い年以上と思えるくらい、マセている少年だけれども。

 

「師匠、なんかその台詞はオバサンくさ――」

 

 失礼千万な台詞を完成させる前に小さな頭へ拳骨を落とす。

 この街が犯罪禁止コードに守られていなければHPを幾らか欠損していただろう。

 思わずマズイと思ってしまう程の衝撃音が空気を震わした。

 

「……現実だったらタンコブ出来てる」

「やかましい。ほら、さっさと黒炎を出しなさいよ」

 

 片手で頭を撫で、ボソっと呟きながら空いた手でウィンドウを操作するチビ弟子は少し涙目。

 その姿にあたしの僅かながらの嗜虐心が燻られるが、これから仕事なのだと心を保つ。

 自分でも知らない一面を発見させるなど、ある意味魔性の少年だ。

 

「それじゃあ、お願い」

「はいはい、新品同様にしてあげるわよ。……それにしても、うん、あんたはやっぱりその口調の方が良いわね」

 

 この子の敬語口調を元に戻したのはあたしだ。

 チビっ子曰く、師と仰ぐからには礼を持って接するのは当たり前、という気構えがあったらしい。

 訊けば道場に通っていたらしいので最低限の礼儀は身に付いているのだろう。

 

(はぁ、難儀なもんよね。子供ってのは)

 

 黒炎を取り出しているこの子供は、その素振りを見せないだけで礼儀を弁えている。

 それでも敬語を使わず生意気な態度を取るのは、周囲にいる大半が大人だからだ。

 いい大人もいれば悪い大人もいる。その判断が付かないから全てを拒絶するしかない。

 弱みを見せたら食い物にされる。だから対等な関係を望むために一歩も引かない、接し方も相応の態度で臨む。

 臆病なまでに慎重すぎる自己防衛法が、この子から子供らしさを奪っていた。

 

(ま、元々の性格もあったんでしょうけど)

 

 しかしそれでも、本当は子供っぽい部分が沢山あるはず。

 だいぶ打ち解けたとはいえ未だに見せる事の無い姿に少しばかり落胆する。

 もっと接していれば、あたしにもいつかそういう一面を見せるのだろうか。

 

「――さあ、いっちょ頑張ろうかしらね!」

 

 なら、更に信頼を得るためにも、この子の安全を守るためにも、今は仕事に集中しよう。

 何事もこれから。あたし達の関係は始まったばかり。

 この後の付き合いに期待しながら受け取った最高傑作を鞘から引き抜く。

 窓から零れる朝日に照らされ、紅の直刃はいつにも増して輝いていた。

 作った本人ですら自画自賛してしまう程の業物に少しだけ見惚れてしまう。

 

「直ぐ終わるけど、暇だったら中を見学してる?」

「あー。どんな風に研ぐのか興味あるから見ときたい。やっぱりダメ?」

 

 決して邪魔にならない位置に立って、シュウはあたしの手元を覗き込む。

 これから行うのは研磨作業。耐久度の低くなった武具を新品同様に研ぎ上げる、武具製作以外でのもう一つの仕事。

 こんな朝っぱらから工房で研磨作業に励むのも、これから迷宮区という戦場へと赴く小さな弟子のために専属鍛冶師としての責務を全うするためだった。

 

「別に面白いもんでもないわよ?」

 

 実際、研磨作業には武具製作のような派手さは無い。回転砥石に一定時間刀身を当て続けるだけだからだ。

 その工程に特別なテクニックは必要ない。

 それでもあたしは鍛冶屋としてのプライドと、懐いてしまったチビ弟子の視線があるため、懇切丁寧に黒炎を研いでいく。

 回転する砥石の上で刃を滑らせ、根元から切っ先までを丁寧にスライドさせる。

 その行程を何度か繰り返し行うと接触面からはオレンジ色の火花が踊りだす。

 それに伴って輝きを取り戻す紅の刀身は、研磨が完了した頃には新品同様の輝きを発していた。

 

「はい、終了!」

「ありがとう、師匠」

 

 手渡された黒炎を嬉しそうに眺めるあたしのチビ弟子。

 この子に限らず、顧客の満足そうな顔を見た時が鍛冶屋をやっていて良かったと思える瞬間。

 それでも他の客より嬉しさを前面に出しているので、本当に世話の焼き甲斐のある子供だと思う。

 この顔もまた、知らなかったこの子の一面。

 

「そうだった。師匠、昨日の夜はアスナさんと一緒に食事した」

「ほほー。どうだった?」

 

 この子から度々報告される内容に期待して眼を輝かせる。

 人の恋路が気になってしまうのは女の性だ。

 ただ変に助言をして事態を掻き回し両者の思いを踏み躙るような行為はしたくないので、あたしがするのはシュウの話を聞いて感想を言ってあげる事だけ。

 女性と接する時の心構えや注意事項は既に伝え終えている。

 聞いた知識を生かすも、あたしの感想をどう判断して今後に生かすかはチビ弟子次第。

 あたしから『あれこれこうしろ』と命令した事は無かった。

 そして嬉しそうに昨夜を語る姿を見れば、その食事がどうだったかなど訊く必要も無い。

 

(ふむふむ。仲はやっぱり良さげみたいね。まあ、当然だとは思うけど)

 

 女性の面から言えば、男というのはぶっちゃけて言えば警戒の対象。

 ただでさえ女性プレイヤーが少ない現状では下心から接触を図る輩はかなり多い。

 現にあたしもそういった数人に声をかけられた事がある。

 ハラスメント行為に対する処置が女性有利な申告制として設定してあるSAOだけど、慎重になるに越した事はない。

 どんなに優しそうな男でも絶対の信頼を置けない限り、あたし達から警戒心が拭える事は絶対に無いだろう。

 だからこそ、そんな心配をしなくても良い子供は女性プレイヤーにとって癒しに近かった。

 現にあたしもシュウのお陰で人恋しさを誤魔化せている。

 

(問題は、そのアスナさんがこの子を完全に弟扱いしていて、この子もまだ恋愛感情を自覚していないって所かしらね。なーんか、好きな相手って気持ちもあれば、大好きな姉と一緒にいたいって気持ちも若干あるっぽいし)

 

 おマセさんで子供っぽくない計算高いガキンチョ。

 しかし、こちらの対応次第では礼儀をちゃんと弁え、敬うところは敬意を持って接してくる。

 母性本能を擽る容姿もポイントが高い。

 性格は色々と思う所は多々あるが基本的に悪くない。

 頭の回転が速いのも充分評価出来る。

 ガキっぽさや下品な部分が無いのも美点。

 性格がひん曲がっていない限り、シュウを嫌う女性はいないだろう。

 

(あれ? もしかして……)

 

 意外と良物件かもしれない事に今更ながら驚いてしまった。

 内容を聞きつつそう自己分析している間にも、シュウの夕食話は終わりを迎える。

 少しだけ、渋面を作りながら。

 

「どうしたのよ。楽しかったんでしょ?」

「楽しかったけど……アスナさんが色々と煩くて」

「あー、なるほどね」

 

 疲れたように頭を振るシュウには悪いが、そのアスナさんの気持ちを察し、気付いたら何度も頷いていた。

 うるさく言われたのはボス戦についてだろう。

 人の命に差は無い。それでも子供と大人では、未来ある子供の命を優先してしまうのが人というもの。

 危険な戦いに小学生を連れて行く事に何も思わない人なんていない。

 それが、大事にしている子供なら尚更のこと。

 

「…………師匠も反対?」

「反対ってより心配よ。あんたまだお子ちゃまだし」

「だから師匠。俺を子供扱いし――」

「子供よ、子供。大人の判断が出来るってのは認めるけど、あんたはまだランドセルを背負ったガキなのよ」

 

 下手な大人より度胸も覚悟もあるのは、おそらくあたしだけでなく他の人も認めていること。

 シュウは強い。危険な目に遭って死に掛けても、それでも前に進んでいける強さを、立ち直る意思と覚悟を持っている。

 この強さがあれば滅多な事で挫けない。生きる道を諦めないと信じられる。

 それでも、

 

「意思が強い=心が強いって事にはならないの。あんたの心は、本当は不安で一杯。それを鋼の意思で押さえ込んでいるだけ」

 

 シュウが強いのは意思や覚悟であって、心自体はあたし達とそう変わらない。

 十歳という若さで仮想世界に放り出された不安。死にそうになり、大人の悪意に晒された恐怖。

 きちんと割り切り、信頼出来る人達でメンタルケアを図っても、これらの感情は心の中に蓄積され、確実にこの子を蝕んでいる。

 言わばこの子の心は粘土細工と同じ。

 直ぐに傷付き、それでも直ぐに修復出来る。ダメージを受けても立ち直るのが早いだけ。

 このまま心をすり減らせば後に待っているのは身の破滅。

 そう思えてならないから、又は無意識の内に察しているから、この子を心配する大人は多い。

 

「自分より年下の子供を心配するのは年上の務めなのよ。腹が立つかもしれないけど、皆の心配を無碍にする事だけはすんじゃないわよ」

「……師匠だってまだ子供の癖に」

「生意気に口答えなんてすんじゃないわよ馬鹿弟子」

 

 だからシュウの中にある『自分を認めない、口うるさい大人達』というイメージを修正しつつ、再び頭に拳骨を振り下ろす。

 あたし達の気持ちを少しで良いから理解してもらう。子供だと侮って忠告しているだけではない、と。

 

「気持ちは分かるけど、もうちょっと大人を頼りなさい。あんたの不安な気持ちくらいなら、誰だって受け止めてあげたいって思ってるんだから」

 

 粘土細工のように心が脆いのが弱点なら、その分いくらでも継ぎ足して頑丈にしてあげられるのも粘土細工の美点。

 その心を強くするのもまた大人の務め、ひいては師匠であるあたしの役目だ。

 

「………………はい」

「よろしい」

 

 頭を押さえながらこちらを見上げているが、思考の海にどっぷり浸かっている顔を見れば今までどう考えていたかが分かる。

 激情していた表情は消え、舌打ちでもしそうな程に歪める表情からは罪悪感が見て取れる。

 気遣いを気付けなかった事に対する自責の念がシュウを襲う。

 だからあたしは暗い雰囲気を吹き飛ばす勢いで、笑い顔を見せ付けながらチビ弟子の頭をぐりぐりと撫で回した。

 

「さあ、まだ時間に余裕があるんでしょ? お茶にするわよ」

 

 口元を弓のように引いて『へ』文字を作り、ムッとした顔を作りながら睨んでくるシュウに笑い、部屋隅にある休憩スペースまで移動する。

 木のテーブルに椅子が二組。着席したことで軋む音を聞きながら、パパっとお茶の準備を開始する。

 NPCの店から購入したティーセットを出した所で、正面に座ったシュウがお茶請けを出した。

 

「紅茶に煎餅って……」

「味は緑茶っぽいんだから良いじゃん」

「でもその煎餅って見た目に反して甘菓子じゃない」

 

 湯気の立つカップと深皿に目を向け、揃って溜め息。

 三ヶ月経っても、あたし達の記憶から懐かしい味が消えることは無い。

 醤油やマヨネーズの味が恋しくなる。

 

「料理と言えば、あんた情報屋から美味しい店の情報を買ったの?」

「アスナさんとの食事なんだからそのくらいやって当然」

 

 どれだけ食事を楽しみにしていたのだろうか。やることがマメだ。

 まあ、エスコートするように仕込んだのはあたしなのだけれども。

 

(……もしあたしにショタコンの気があったら、案外ヤバイ事になってたかもしれないわね)

 

 煎餅を齧る子供を改めて観察する。

 将来有望な幼い紳士。同年代だったらと思うと良い意味で怖くなってしまう。

 友人で弟分で子分で癒し要因。

 うん、どれだけ考えても関係がこれ以上発展しそうにない。

 その事にかなり安心した。

 

「あれ。その新聞って……」

「ああ、気付いた?」

 

 テーブルに置いてあった新聞の見出しを訝しげに見て段々と青褪めていくシュウに、あたしは悪戯が成功した子供のようにニシシと笑う。

 元々この新聞を見せるためにこの子をここまで誘導してきたのだ。

 

「『――魔物使いが大演説! 全ては私達のために――』ですってよ。昨日、沢山の人前で良い事言ったみたいじゃない」

「うぎゃぁあああああああ!?」

 

 引っ手繰るように奪い取ってくしゃくしゃにしたその新聞は職人プレイヤーが製作したものだ。

 《執筆》スキルで新聞を作り、アインクラッドでのニュースをプレイヤーに伝えてくれる。

 攻略に役立つ情報は少ないけれど、身近なニュースを伝えてくれるこの新聞を楽しみにしている人は多い。

 私もその内の一人で、宿から工房に向う最中にある道具屋で無料配布されている号外新聞を読むのが日課と化していた。

 

「そりゃ真昼間から最前線の転移門広場でデュエルをしたら注目浴びるっての」

「うわぁ……せ、背中が痒い。めっちゃ恥ずかしい……ッ!?」

 

 この子の攻略に掛ける心意気はもう誰もが知っている。

 訊けば昨日の夜から沢山のメッセージが届いたらしい。

 お世話になっている教会の人達や友達だという竜使いのように称賛するものもあれば、曰く似非野武士野郎のようにからかいメールもあったとか。

 頭を悩ませている姿を見るに、昨日の夜から散々な目に遭っているようだ。

 

「でも参った……まさか記者が偶然通りかかったなんて……あぁ、あんなこと言わなきゃ良かった」

「何言ってんの。結構良い事言ったんじゃない」

「問題はそこじゃないんだよ」

 

 机に突っ伏しながら指差した箇所には会話文が記されている。

 レアドロップ品が手に入らなくても誰かが攻略に生かしてくれるのなら惜しくないという、利益を捨てた献身的な姿勢。

 アイテムの拾得権利を放棄してまで純粋にボス攻略に挑む姿は好印象な訳だが。

 その部分に不安があるらしい。

 

「こんな大々的にアイテム放棄宣言したのがバレたら、絶対に俺を食い物にしようとする奴等が出てくる」

「……なるほど、ね。そんな風にも捉えられる訳か」

 

 例えばダンジョン内で臨時パーティーを組んだ場合。

 危機を脱した後のアイテム分配で割を食う可能性が出てくる。

 あくまでアイテム放棄を宣言したのはボス攻略においてのみ。それ以外では普通にアイテム要求をするつもりが、このままだと正統な要求をしても難癖を付けられ兼ねない。

 シュウの心意気を、優しさを勘違いして突っ掛かる者の出現は容易に想像出来た。

 

「まあ……身から出た錆びだから頑張るけど。……あ、そうだ。研磨代払わないと」

 

 話題を逸らしたいのか。

 あたしでも忘れていた事柄を思い出したチビ弟子は、くしゃくしゃにした新聞を脇に置いてからトレード・ウィンドウを表示させる――前に、あたしは右手でその動作を遮った。

 

「まだ良いわよ……ボスを倒してから払いに来なさい。それまで待ってるから」

 

 相場の半額以下で素材アイテムを沢山譲ってもらっているので、このくらいのお祝いをするのも吝かではない。

 それにこう言えば励みにもなるだろう。

 それなのに、何故か渋い顔を作っているシュウの心情が理解出来なかった。

 チビ弟子はジト目であたしを睨みながらフリーズ中。

 

「師匠……死亡フラグって言葉知ってる?」

「……あ」

 

 今から強敵と戦う相手に『待っている』発言。

 確かにこれは待ち人が帰ってこない有名なフラグだった。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 薄暗い通路を歩く度に空気の重さが増していく。

 回廊内のデザインも不気味なものに変化し、モンスターをあしらった彫刻が俺達を見詰めている。

 この先に待ち受けているボス部屋が発するプレッシャーもあるが、目的地に近付くにつれ増していくプレイヤーの剣呑な雰囲気も空気の重さに一役買っているみたいだった。

 

「キリト、あの銅像ってもし売れるとしたらいくらになると思う?」

「……緊張感無いな、シュウ」

 

 迷宮を進む攻略組パーティーのど真ん中を歩いている俺にキリトがツッコミを入れる。

 本来ならアスナさんも交えて話をしたい所だけれど、残念ながら迷宮に突入して直ぐにアスナさんは話しかけられる雰囲気では無くなったので、俺の話し相手は専らキリトただ一人。

 エギルも今は前の方を歩いて警戒している。

 辛気臭い雰囲気の中、普段通りに振舞っていられるのは俺達だけだった。

 

「ダメ?」

「褒めてるんだよ。自然体なのは良い事だろ」

 

 キリトの言う通り緊張や恐怖といったものは感じていなかった。

 それも、万全の状態で挑んでいるという自負。

 そして何よりキリトやアスナさん、ついでにラグナードも含めた頼もしい人達が一緒に居るという安心感が自然体でいさせてくれるのだ。

 それに所詮ここは十層に過ぎない。

 俺のレベルが適正レベルを大きく上回っている事実と、今までの戦闘経験も強大な自信へと繋がっていた。

 

「あ、前方から敵! 数は一体!」

 

 俺が隊列のど真ん中を歩くのはポチの索敵範囲を効率良く利用するため。

 前後からの襲撃を防ぐために班を分け、余りが遊撃隊員として真ん中を陣取る。

 これが俺達の隊列。

 鉄壁の布陣で突き進む俺達に無謀な突撃をかますモンスターには心の底から同情してしまう。

 

「スイッチ!」

 

 襲撃者である骸骨槍兵――《ボーンランサー》の突きを盾で防ぎ、《グラファルス》を剥き出しの上半身に叩き込んだラグナードが吼えた。

 後退するラグナードと擦れ違うように前進する影は二つ。

 ダッシュ力の上乗せされたアスナさんの連続突きが両肩を貫き、タイミングをずらしたエギルの巨大な斧が腹部を破壊する。

 ポチが察知してから十秒、そして遭遇してからの戦闘時間は五秒にも満たない。

 たったそれだけの時間で襲撃者は命を散らしていった。

 

(上手い……これがスイッチなんだ)

 

 相手の攻撃を防ぎ、生まれる隙を狙って強攻撃を叩き込み、衝撃で硬直している内に交代する。

 モンスターは急な攻撃パターンの変動に対応仕切れないという特徴もあるが、今回は更に磐石を期すために二撃目で両肩を攻撃して動きを阻害し、後続の三撃目で本命を与えるというテクニックを披露してみせた。

 攻防のバランスの良い者が起点を作り、スピード系プレイヤーが下地を作ってからパワー系がトドメを刺す。

 一切の無駄が無いお手本のようなスイッチ。

 それをあっさりとこなす技量に魅せられ、軽く嫉妬を覚えてしまう。

 

「シュウなら直ぐ出来るようになるさ」

「……頑張るよ」

 

 こんな会話をしている間にも行進は続けられ、最後の戦闘から数分後。

 ついに、

 

「これが……迷宮区の最奥」

 

 ゴールであるボス部屋への巨大な両開き扉が、俺達の眼前に聳え立っていた。

 

「よっしゃ、皆は最後の点検に入るんや! 準備ぃ出来次第、直ぐに戦闘を開始するでぇ!」

「各自、万全の状態で挑んでくれ!」

 

 ここまで来ればモンスターは出現しないため安心して装備点検を行う事が出来る。

 トップ二人の号令で各々が装備点検を始める中、索敵指示以外の行動をとっていない俺は完全な手持ち無沙汰。

 よって、もう既に何度も行っているイメトレで時間を潰す事にする。

 そんな時だった。とある人物が俺に近寄ってきたのは。

 

「シュウ君、やっぱりボス戦に参加するのを考え直さない?」

 

 歩み寄ってきたのはアスナさんだった。

 その顔は不安で満ちている。

 それを見て思うことは一つだけ。

 

(やっぱり過保護だ。心配してくれるのは分かるけど)

 

 思わず嘆息してしまう。

 昨日の夕食時から、果ては就寝前のメッセージ、そして今朝も考え直しを要求するメッセージが何通も届いた。

 俺の参加にボス戦パーティーで未だに難色を示しているのはアスナさんだけだというのに、彼女はまだ諦めていない。

 やはりもっと早い段階で攻略組に入るつもりだと宣言した方が良かったのだろうか。

 会議に参加する俺を見て目を丸くしていたのは、今でも記憶に刻まれている。

 

「索敵のお陰で比較的簡単にここまで来られただけでも充分だよ。だから、ね?」

「心配してくれるのは嬉しいんだけど……やっぱり頷けない。ごめんなさい」

「でも――」

「――その辺にしといたらどうだ?」

 

 アスナさんの訴えを遮ったのは、隣で黙って会話を聞いていたキリトだ。

 何処と無く怒っているように見えるのは気の所為ではない。

 中性的な面構えから放たれる鋭い眼光がアスナさんを射抜いている。

 

「シュウも覚悟を決めてボス戦参加を決意したんだ。心配するアンタの優しさは評価するけど、それ以上はただのお節介だぜ」

 

 怒気の含まれた口調に気圧された感はあるけれど、アスナさんも負けてはいない。

 怯んでしまった面持ちを一瞬で消し、その優しげな双眸を細め、直ぐにキリトを睨み付ける。

 眼力は彼だけでなく俺までも半歩退かせる程の凄みがあり、二人揃って嫌な汗が流れ出す。

 不機嫌さを隠しもしない彼女の目は据わっていた。

 絶対零度にも似た冷たいオーラが周囲の空気を極端に下げる。

 

「……じゃあ、君はシュウ君が参戦する事に、全面的に賛成しているの? こんな危険な戦いに……十歳になったばかりの子供が参戦する事を認めろって言うの?」

「全面的に賛成している訳じゃない。でも、だからって俺達には止める権利が無いだろって言ってるんだ」

 

 売り言葉に買い言葉という訳ではない。それでもお互いが段々とヒートアップしていくのを側にいて感じる。

 正直、このまま進むとマズイ。共闘前に喧嘩など馬鹿らしいにも程がある。

 

「ねえ、あのさ。二人ともちょっと――」

「権利は無いわ! それに、危険なのはボス戦に限った事じゃないって事も、シュウ君が本気だって事も良く分かってるっ! ……それでも、不安なのよっ!」

「なら過剰な説得はシュウの覚悟を踏み躙る行為だってアンタも分かるだろっ!?」

 

 キリトの言葉には心に突き刺さるモノがあったのか。アスナさんは苦虫を噛み潰したような顔をして、キリトから僅かに視線を逸らす。

 それで納得出来れば苦労しない。そう考えているような目をしているアスナさんと、少し言い過ぎたかなと考えていそうなキリトに皆が注目し始めた。

 

(ヤバっ、そろそろ本気で収拾しないと)

 

 争いの火種たる俺からすれば『俺のために争わないで』といった感じ。

 まさかリアルでこの言葉を使う羽目になろうとは思わなかった。

 世の中どうなるか分からない。

 

「あの、アスナさ――」

「頭では分かってる。シュウ君の力だってこの目で見てる。強いのは百も承知よ。でも……何も攻略組になること無いじゃないっ……」

 

 

 

 ――中層プレイヤーでも充分助けになる。

 

 

 まるで血を吐くように呟いた姿に、思わず言葉を失った。

 一層からボス戦に参加してきたアスナさんだからこそ、ボスの強さ、そして危険さは身に染みて分かっている。

 その経験が、俺がいつかボス戦で死ぬという最悪な未来予想図を消し去ってくれない。

 豊富な経験が彼女の不安をよりいっそう煽っていた。

 心配してくれるのは心の底から嬉しい。そう断言出来る。

 しかし、

 

「ア――」

「不安なのは分かる。でも、俺達に出来るのはシュウを信じる事だけだ」

 

 俺の言葉を遮るキリト。

 話し始めたキリトに耳を傾けるアスナさん。

 他の人達も傾聴姿勢に入っているが、一体何なのだろうこの空気は。

 それに俺をスルーし過ぎだと思う。当事者そっちのけの空気を醸し出すなと物申したい。

 俺でも思わずカッコいいと思ってしまうキリトのイケメンパワーが炸裂しそうな、そんな嫌な予感が立ち込めてくる。

 色々な意味でヤバイ。

 

「シュウは死なない。もちろん俺達だって死なない。当然、アンタだって死なない。……どんなに考えても不安は消えない。だから俺達は、そう強く信じる事しか出来ないんだよ」

 

 この世界にいる限り死という恐怖は消えたりしない。

 それでも自分は死なないと言い聞かせ、自分の力を、そして仲間の力を信じ続ける。

 呪詛のように繰り返し行う自信の上塗り。

 そうやって未来を信じ、俺達はクリアを目指して明日へと突き進むしかない。

 そうキリトは語る。

 

「だから――」

「アスナさん、俺を信じて!」

 

 これ以上キリトに語らせると妙なフラグが立ちそうなので先手を打つ俺は間違っていないだろう。

 それにここから先は俺が話さなくては意味が無い。

 俺自身の口から言うのが大切であり、筋というもの。

 

「約束する。俺は絶対に死なない。それにアスナさんの事だから、もし危なくなったら守ってくれるんでしょ? 俺だってアスナさんを助ける。だから――」

 

 お互いを信じ合う。

 そうすれば、

 

「――二人で信じよう。俺達は死なない。危ない時は助け合う。俺達に勝てるモンスターなんていない。そうでしょ? だから大丈夫」

 

 見ず知らずの大人には絶対に言わない台詞。

 いつの日か、他の大人にもそう言える時が来れば良いと思う台詞を、アスナさんの心に響かせる。

 暗い影が心を覆う中、アスナさんの両手を握り、不安でいっぱいの彼女をジッと見た結果。

 

「……うん。そうだよ。シュウ君は死なない。死なせたりなんて絶対にしない。私がシュウ君を守る」

 

 

 

 ――そう、素敵な顔で微笑んでくれた。

 

 

 

 切羽詰ったような余裕の無い表情をしている姿からは想像出来ない程の、まるで天使の笑顔。

 おそらく、こっちのアスナさんが素なのだろう。

 初めて本当の笑顔を見れた気がして、俺も自然と笑みを作っていた。

 

「だからシュウ君も私を守って。一緒にゲームをクリアしようね」

 

 力無く握られるままだった両手に力が漲ってくる。

 今のアスナさんに不安は無かった。

 自信と信頼。未来を望む心が不安を押し潰したのだ。

 

「……ハァ、シュウ。その助け合いに俺は入って無いのか?」

 

 脱力した感じで頭をポンポン叩いてくるキリトは不敵に笑ってみせると、俺とアスナさんの繋いでいる手に空いた手を重ねた。

 そして、とても大きな手も重ねられる。

 

「ま、子供を助けるのも年長者の務めって奴だ。それに顧客を大事にするのが俺のモットーなんでね」

 

 見る者を安心させる包容力のある笑み。

 斧を肩に乗せる山賊チックなエギルも加わり、次第に高まっていく周囲の熱気を肌で感じる。

 

「――では、私も自分自身の力を。そして仲間を信じて戦うとしよう」

 

 声の主は真紅の鎧に身を包み、レアドロップ品である盾と剣を掲げた。

 ヒースクリフに呼応するように武器を掲げた皆の間でも士気が高まる。

 

「そうや! ワイ等は死なへん。この戦いでも、そしてこれからも……永遠にや!」

「勝つぞ、皆!」

 

 芝居がかかったような台詞だが効果は覿面だった。

 俺達の雄叫びが回廊を響かせ、迷宮を震えさせる。

 ある意味、これは洗脳に近かったのかもしれない。

 それだけ皆は狂ったように自分の生存を信じて疑わず、暗い未来は思考の片隅に追いやっている。

 天井知らずに高まる圧倒的な士気。

 このテンションを維持したまま、俺達はボス部屋に雪崩れ込む事になる。

 巨大な両開き扉が錆びた音を立てながら開かれた。

 

 

 これが、俺の本当の意味での、最初の一歩。

 攻略組の一角として後に名を馳せる魔物王の物語は、ある意味ここから始まったのだ。

 

 

 

 

 


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