続・プレイボール ーちばあきお「プレイボール」続編ー   作:物語の記憶

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第13話 考えよ!墨高ナインの巻

1.半田によるデータ分析

 

 

 河川敷のミーティングから、五日間が過ぎた。

 

 キャプテン谷口のもと、あらためて「谷原を倒して甲子園へ行く」という目標を誓い合った墨高ナインは、よりいっそう練習に熱が入るようになる。

 

 さらには、引き分けに持ち込んだ箕輪戦を始め、このところの対外試合の好調ぶりもあり、すでに誰もが「自分達はやれる」との思いを、胸の内に抱き始めていた。

 

 そして土曜日。ナイン達は、全体練習をいつもより早く切り上げ、部室へと集まる。

 

 翌日には、招待野球に出場する谷原の試合を、全員で偵察へ行く予定を組んでいた。その予習として、かねてより半田が進めていた谷原の詳細な分析結果が、全体ミーティングの場で披露されたのだ。

 

 

 

「……ええと、つぎは九番の村井さんです」

 

 半田は、持ち込んだ小黒板に、A4サイズの紙を貼り換えながら言った。紙には、各選手の特徴が、マジックペンで細かく書かれている。

 

「村井って、あのエースの」

 

「そういやぁ……俺達との試合でも、けっこう打ってたような」

 

 ナイン達からざわめきが漏れた。

 

「はい。みなさんもご存知の通り、村井さんはバッターとしても要注意です」

 

 差し棒を使い、半田が項目ごとに説明していく。

 

「ピッチャーということで打順こそ九番ですが、その打力はクリーンアップに匹敵します。これも片瀬君と一緒に調べたのですが」

 

 長机の隅の席で、片瀬が小さくうなずいた。この分析には、全国大会に詳しい彼もかなり協力している。

 

「村井さん……春の甲子園では、打率五割近く。しかも半分以上が長打、ホームランも二本打っています」

 

 横井が「おいおい」と、溜息混じりに言った。

 

「九番バッターが五割近く打つなんて、やはり恐ろしい打線だな」

 

「だ、だいじょうぶです。おさえる方法はありますよ」

 

 にこっと笑い、半田は話を続ける。

 

「村井さんは、じっくりとボールを見てくる傾向にあります。追い込まれても対応する自信があるのでしょう。とくに……カーブやフォーク、チェンジアップなど、緩い低めの変化球を得意としています」

 

 その言葉に、倉橋が「ほぉ」と声を発した。

 

「いま半田が言ったこと、俺も覚えがある。まえに当たった時、やつには三安打を許しちまったが、たしかにフォークとカーブをうまく打たれた」

 

「ですが、緩いボールに強い分……どうやら真っすぐを苦手としているようです」

 

 半田がこう言うと、倉橋は目を丸くした。

 

「む、そうなのか」

 

「はい。春の甲子園のビデオを見たら、真っすぐを続けられると、押されてフライを上げてしまっていました。しかも、コースを突かれた時だけじゃなく、けっこう甘めのところでも、打ち損じていました」

 

「なるほど……たしかにまえの対戦では、谷口が力んじまって、なかなか速球でストライクが取れなかったからな」

 

 倉橋の傍らで、谷口が「メンボクない」と頬を赤らめる。

 

「……そ、それと。打線としての特徴ですが」

 

 コホン、と半田は咳払いを一つして、説明を再開した。

 

「ぼくらと戦った時が、そうだったように、ほとんど小細工はしてきません。する必要もないと思っているのでしょう。バッターとの勝負に集中できる分、ある意味……箕輪よりはやりやすいかもしれません」

 

 よかったぁ……とつぶやいたのは、井口だった。

 

「小細工してくるチーム、苦手なんだよ。力勝負なら望むところ……あっ」

 

 途端、ぎろっと丸井が睨む。

 

「テメェはだまってろ」

 

「す、すみません」

 

 井口の隣で、イガラシが「ぷっ」と吹き出した。

 

「は、話変わって……ピッチャーの村井さんについて説明します」

 

 半田がまた、黒板の紙を貼り換える。

 

「みなさんも対戦して、よく分かっているでしょうが、村井さんは左のいわゆる本格派投手です。剛速球にくわえて、鋭く曲がるカーブ。あとシュートとチェンジアップも持っているようですが、ほぼ速球とカーブを使い分けます」

 

 ふむ、と谷口が相槌を打つ。

 

「いぜん戦った時も、たしかに半田の言うように、ほどんどこの二択だったな」

 

「ええ。速球とカーブの威力に、よほど自信があると見えます」

 

 倉橋が「コントロールも抜群だったぞ」と、苦笑いを浮かべる。

 

「インコースとアウトコース、高低。まさに自由自在という感じだったな。だから、速球とカーブだけで足りるんだろう」

 

「はい、まさにそうなんです」

 

 半田は、深く首肯した。

 

「とくにインコースへ真っすぐとカーブは、春の甲子園でも、ほぼ打たれていないようです。ただ……ここからが、大事なんですけど」

 

 ナイン達はやや前傾して、少しも聞き漏らすまいと静聴している。

 

「やや球質が軽いのか、ミートしさえすれば飛びます。いいですか……ねらい目は、アウトコースの真っすぐ」

 

 何人かのごくりと唾を飲み込む音が、静かな部室に響く。

 

「春の甲子園で、点を取られた場面では、このボールをねらい打たれたものです。というか、ぼくらとの試合でも……後半みなさんの目が慣れてからは、いい当たりも増えてました」

 

 横井が「た、たしかに!」と声を上げた。

 

「あ……スマン。けど言われてみりゃあ、あの村井ってピッチャーに関して言えば、まるで打てそうにないってほどじゃなかったな」

 

「俺もそう思います」

 

 向かい側で、島田が同意した。

 

「打席に立っていて、けっしてミートできない球だとは思いませんでした」

 

「ま、待てよ」

 

 口を挟んだのは、戸室だった。

 

「そんなら六回以降、なぜ一点も取れなかったんだ」

 

「守備ですよ」

 

 おもむろに、イガラシが答える。

 

「ランナーのいない時、やつら内野守備は深めにシフトを敷いていましたから。よほどうまく打たない限り、抜けませんよ。おまけに外野は前に出てきてたので、ポテンヒットも望めませんでした」

 

「まぁ待てよ、みんな」

 

 横井が割って入る。

 

「あん時、俺達はまったく対策も取らずに臨んだんだ。それで、いい当たりを打てたんだから、しっかり練習すりゃあ……」

 

「お、おう。そうだな」

 

 今度は、戸室も同調した。

 

「いままでも俺達……そうやって東実の中尾さんとか専修館の百瀬さんとか、好投手を攻略してきたんだ。だよな、谷口」

 

 急に話を向けられ、谷口は「あ、あぁ」と曖昧に返事する。

 

「でも、みなさん。だからって油断しちゃダメです」

 

 半田が声のトーンを落とし、戒める口調で告げた。

 

「追い込まれてしまうと、もうお手上げです。例のインコースに、速球かカーブがきます。ここへ投げ込まれると、選抜に出たバッターでも、ほとんど打てていませんから。谷原に勝った西将学園でさえ、避けていましたから」

 

「ま、いずれにしろ」

 

 倉橋が腕組みをして、渋い顔で言った。

 

「前回のように大量失点してしまうと、多少反撃したところで、焼け石に水だがな」

 

 丸井に脇腹を小突かれ、井口は「う、ウス」と返事する。

 

 谷口は、ちらっとイガラシに目をやった。しばし沈黙したまま、何やら考え込むような表情だ。こういう時の彼は、異論をあえて控えていたりするから、気に掛かる。

 

「……む、そういやぁ」

 

 戸室の声に、現へと引き戻される。

 

「谷原に勝った、その西将学園ってトコも……来週来るんだったよな」

 

 なあ谷口、と話を向けられる。

 

「うむ。たしか田所さんが、先週言ってたな」

 

 井口が、ふいに「へぇっ」と声を発した。

 

「キャプテン。せっかくだし、来週も見に行きませんか? 高校生は無料だそうですし」

 

「こら井口。おまえ……」

 

 勢い込んで言った後輩を、戸室は睨む。

 

「ちと骨休みしたいもんで、そう言ってるんじゃねぇだろうな」

 

「そ、そんな戸室さん」

 

 苦笑い混じりに、井口は軽く抗議した。

 

「もちろん夏大のためですよ。なにせ、谷原を破ったとこですし。戦い方とか、参考になるかもしれないじゃないスか」

 

「わ、わかった。そうムキになるなよ」

 

 戸室は一転して、井口をなだめる。思いのほか相手が生真面目に答えたので、かえって戸惑ったらしい。

 

「……うむ。検討しておくよ」

 

 谷口はしばし考えてから、返答した。

 

「参考になるかどうかはともかく、レベルの高い野球を見ておくのも勉強になるだろうし」

 

「さっすがキャプテン。お話、分かります」

 

 その時、ちょっといいですか……と、加藤が話に入ってきた。

 

「キャプテン。その件ですが、どうも揉めているらしいですね」

 

「どういうことだ?」

 

「あ、知らないですか。今朝の新聞に載ってましたよ」

 

 加藤は、幾分スキャンダラスに言った。

 

「この招待野球、谷原以外は……参加を打診したシード校に、ことごとく断られてるみたいですよ。どうやら出場校の規定、ちゃんと決めてなかったらしくて」

 

「あっその記事、俺も読んだぞ」

 

 戸室が反応する。

 

「高野連が、だいぶ慌ててるそうじゃないか。あんな有名校を招待しておいて、対戦校も用意できないとなれば、おエライさんのメンツは丸潰れってとこだな」

 

「ええ……まぁ、断る気持ちも分かりますけどね」

 

 やや首を傾げて、加藤は言った。

 

「今年の夏は、どこも打倒谷原で血眼になってるってのに。招待野球なんて目立つトコで試合するなんざ、ライバルにわざわざ手の内を晒すようなもんじゃないですか」

 

 淡々とした口調で、かなり生々しいことを言う。

 

「三チームで総当たり戦とかすりゃいいのに」

 

 戸室がもっともな意見を述べると、加藤は「それが……」とかぶりを振った。

 

「全国大会で当たったチーム同士は、組まないってルールを、先に作っちゃったらしいですよ。谷原と西将は、春の甲子園で対戦してるので」

 

 妙なところで盛り上がり出したので、谷口は「もうその辺にしておけ」と制した。

 

「……おっと、もう六時前じゃねぇか」

 

 部室の時計を確認し、倉橋が言った。

 

「半田。話はもう、以上か?」

 

「はい。ぼくの方からは、これで終わりです」

 

「ここまで、よく調べてくれたな。大いに参考になったよ」

 

 珍しく褒められ、半田は「そ、そんな……」と照れた顔になる。

 

「半田。俺からも、礼を言う。ありがとう」

 

 そう言って、谷口は立ち上がった。半田がますます真っ赤になる。

 

「……よし。明日も早いし、みんな今日は解散しよう」

 

 横井から「ちがうだろ」と、思わぬ反論がきた。

 

「えっ?」

 

「どうせ明日は、招待野球で時間を取られるんだ。いまからでも素振りとかダッシュとか、十分やれることはあるじゃないか」

 

「そ、そうだな」

 

「……あの、キャプテン」

 

 今度は、一年生の久保が挙手する。

 

「ぼくら、これから集まってトスバッティングと素振りをやる予定なんです。ですから、しばらく道具を貸していただけないでしょうか」

 

「お、おう。もちろんさ」

 

 横井が「あ、ずりーぞ」と突っ込む。

 

「トスバッティング、俺もやろうと思ってたのに」

 

「こらっ」

 

 くすっと笑い、倉橋は横井をたしなめた。

 

「後輩の練習をジャマするなんて、大人げねーぞ。それにおまえ、いま素振りとダッシュをしてくると言ってたろ」

 

「わ、わかったよ。しっかし」

 

 一つ吐息をつき、横井が目を細める。

 

「今年の一年は、どいつもこいつも練習の虫だな。俺らもウカウカしてらんねーぜ」

 

「ふん。心がけとしては、悪くないんじゃねぇか」

 

 倉橋はそう言って、ぽんと横井の肩を叩く。

 

「……キャプテン」

 

 ふいに声を掛けられ、はっとする。イガラシだった。

 

「さっきの加藤さんの話、気になりませんか?」

 

 他の一年生と道具を準備しながら、問うてくる。

 

「気になるって……招待野球の出場校が、決まらないって話か」

 

「ええ。ぼくも、他のチームが断るのは、分かるんですけど……それなら谷原は、どうして引き受けたんでしょうね」

 

 谷口は、思わず「えっ」と声を発していた。さっきは考えもしなかった指摘だ。

 

「どうしてって……あれだけ実績のあるチームなんだし、余裕なんじゃねぇか」

 

 傍らで根岸が呑気そうに言うと、イガラシは「ばかいえ」と返した。

 

「周りに警戒された中で、また地区を勝ち上がるってのは、生半可なことじゃないんだぞ。そんなことも分からないチームが、全国の四強になんか進めるかよ」

 

 小さく吐息をつき、独り言のように言った。

 

「谷原こそ、断ってもいいはずなんだ。やつら……なにを企んでやがる」

 

「まぁ、イガラシ」

 

 谷口は、ぽんと後輩の肩を叩いた。

 

「いったん後回しにしよう。どっちみち明日になれば、はっきりする。ほら……これからみんなと、練習するんだろう」

 

 部室のドア付近には、一年生達が集まっている。イガラシを待っているらしい。

 

「あ。はい、そうでした」

 

 思いのほか、イガラシはあっさり引き下がった。そして久保や根岸達と道具を抱え、外へ運び出す。

 

「じゃ、俺もダッシュしてくるか」

 

 横井もそう言い置き、戸室らと連れ立って部室を出ていく。

 

「ははっ。一年生はともかく、おどろかされるのは上級生達だよな」

 

 谷口の傍らで、倉橋が笑った。

 

「ついこの間までは、練習がキツイだの早く帰りたいだの、ブツクサ言ってた連中がよ」

 

 その倉橋を、ふいに松川が「先輩」と呼ぶ。さっきまで爪の手入れをしていたが、どうやら済んだらしい。

 

「おう。どしたい松川」

 

「もう少しだけ、受けてもらえませんか」

 

 思わぬ一言に、さしもの倉橋も「はぁ?」と間の抜けた声を発した。

 

「おまえ、今日さんざん……二百球近く投げ込んだじゃねぇか」

 

「まだ足りません。早いうちに、感覚をつかみたいんです」

 

 ほぉ……と、谷口は吐息をつく。

 

「そういえば、松川はちょっとフォームを修正してるんだったな」

 

「ああ。といっても、踏み出す足の歩幅を、ちょっと短くしただけだが」

 

 倉橋が答えた。

 

「昨日試しにやってみたんだが、けっこうハマってな。いぜんよりも、ずっと球威が増してきてる感触だ」

 

「へぇ……倉橋が言うのだから、そうとうだな」

 

 この頃、松川は目の色が違ってきている。打ち込まれた箕輪戦のショックを振り払いたいのか、それとも上級生としての自覚が芽生えつつあるのか。いずれにしても、後輩の成長は素直に嬉しい。

 

「……あのぅ。お取込み中、失礼なんですが」

 

 もう一人部室に残っていた丸井が、ひらひらと手を振った。

 

「よかったら、俺っちが松川につき合いますよ」

 

 丸井はそう言うと、こちらにウインクする。気を利かせたつもりらしい。

 

「え……いいのか、丸井」

 

 戸惑う松川に、丸井は「お安い御用さ」とおどけて言った。

 

「た、助かるよ」

 

「なーに。その代わり、バッターの目線で、きっちり意見は言わせてもらうぞ。あ……なのでキャプテンと倉橋さんは、ご心配なさらず。たまには早く帰って休まれてください」

 

「……うむ。じゃ、そうさせてもらうよ」

 

 谷口は、微笑んでうなずいた。

 

  

 

2.二人の懸念

 

 

「よう谷口」

 

 校門をくぐると、ワイシャツ姿の倉橋が外灯下に立っていた。先に部室を出たはずだが、どうやら待っていたらしい。

 

 二人は並んで、荒川沿いの道を歩き出した。

 

「倉橋。松川に付いてやらなくて、よかったのか?」

 

 尋ねると、「よく言うぜ」と返される。

 

「谷口こそ。いつもなら他のやつを教えたり、自分の練習をしたりして、遅くまで残ってるじゃねぇの。それが珍しく、一人さっさと引き上げようなんてよ」

 

「あ……そうだったな」

 

 しばし間を置き、倉橋が問うてくる。

 

「なに悩んでんだよ」

 

「えっ。そう見えるか?」

 

「顔に書いてあんぞ。半田がしゃべってる時から、ずっと浮かない表情だったな」

 

「それは、まぁ……色々と」

 

 誤魔化そうとすると、倉橋は「おいおい」と苦笑いした。

 

「水くさいじゃねぇか。他の部員もいねぇんだし、俺にくらい話してくれてもいいだろ。それに一人で悩むより、二人で考えた方が、良い知恵も浮かぶってもんだ」

 

「た、たしかに。それは言えてるな」

 

 谷口は納得して、正直に考えを打ち明けることにした。

 

「さっき半田が話してた、各打者の苦手コースを突くって話だが……たしかに昨年は、そのやり方が有効だった。しかし同じ方法が、あの谷原にも通じるだろうか」

 

 傍らで、倉橋はしばし黙って話を聞いていた。

 

「思い出したくもないが。前に戦った時だって、コースや球種を散らして、どうにか打ち取ろうとしたじゃないか。それでも、彼らは難なく対応してきた。あれは……ちょっとやそっと工夫したくらいじゃ、どうにもならないほどの力量差だった」

 

「うーむ……俺は、あんときゃ谷口も本調子じゃなかったから、つぎも同じ結果にはならないと思ってるがな」

 

「ありがとう。ただ、もう一つ気になることがあるんだ」

 

 吐息混じりに、谷口は言った。

 

「なんだい?」

 

「さっきイガラシの話を聞いて、ふと気づいたんだが……谷原が他から警戒されるのは、なにもいまに始まった話じゃない」

 

「む。たしかに現チームは別格にしても、毎年のように優勝候補に挙げられるからな」

 

「だから、あんなふうに研究されて、弱点を突かれるっていう状況……もしかして谷原は、慣れっこなんじゃないか」

 

 さすがに、倉橋の顔色が変わった。

 

「……な、なるほど。つまり俺達のやろうとしていることなんざ、谷原にとっちゃ、ちっとも脅威じゃないってことか」

 

 ふいに突風が吹いた。足元の小石が、僅かながら跳ね上げられていく。

 

 

 

 谷口と同じ懸念を抱いている者が、もう一人いた。

 

 

 

 グラウンドの隅で、イガラシは籠の古いボールで、トスを放っていた。ボールを打ち返す打者は、同学年の久保だ。

 

 カキッ、バスン。カキッ、バスン。ボールとネットが、交互に小気味よい音を立てる。

 

「……よし。そろそろコース、投げ分けるぞ」

 

 久保の斜め前に立ち、イガラシは声を掛けた。

 

「ああ、たのむ」

 

 ボールを真ん中、高低、左右……と、まんべんなく散らしていく。久保は、さすがにレギュラーをほぼ手中にしているだけあり、どのコースも難なく捉えてきた。しかし、あえて注文を付ける。

 

「当てにいくスイングになってるぞ。しっかり振り抜け」

 

「おうっ」

 

 それから五球投じる。久保はすべてミートしたが、イガラシは首を横に振った。かつては共に、墨谷二中のクリーンアップを担った。実力を認めるからこそ、自然と求めるレベルも上がる。

 

「この振りじゃ、速いボールには差し込まれちまうぞ。たとえミートできても、シングルヒット止まりだ。ピッチャーからすりゃ長打のないバッターなんて、ちっても怖かねぇよ」

 

「……わ、わかった」

 

「ほれ、つぎいくぞ」

 

 そう告げて、ほぼ真ん中にトスした。久保は力んだのか、ボールの下を叩いてしまう。

 

「ばかっ。誰が振り回せっつったよ」

 

「す、すまん」

 

 相手が苦笑いした。イガラシは、小さく吐息をつく。

 

「ほかの一年のやつにも言えることだが、どうも変化球を意識しすぎて、スイングが小さくなっているようだ」

 

「そ、そうなんだよ」

 

 溜息混じりに、久保はうなずく。

 

「中学では地区の四強クラスとでも当たらない限り、あんなたくさんの球種を投げ分けるピッチャーを対戦することなんて、なかったのに。やはり高校はちがうな」

 

「そりゃトップレベルともなれば、いますぐプロでも通用しそうなピッチャーのいる世界だからな。中学のようにはいかんさ」

 

 イガラシは「けど……」と、語気を強めて言った。

 

「だからといって、自分のスイングを見失うようじゃ話にならんぞ。ピッチャーの立場から言やぁ、やはり怖いのは、しっかり振ってくるバッターだ」

 

「む。そうありたいが、まだちょっとフルスイングは勇気がいるよ」

 

「おまえ……ちと、カン違いしてるようだな」

 

 イガラシはそう言うと、自分のバットを手にした。

 

「三球でいい。俺の打ち方、よく見てろ」

 

「うむ、わかった」

 

 言われるまま、久保がトスを上げた。イガラシはそれを打ち返す。

 

 カッ、ズドン。明らかに、さっきより迫力ある音が鳴った。久保は、驚いたのか「わっ」と声を上げる。

 

「どしたい。ぼんやりしてたら、日が暮れちまうぞ」

 

「……あ、あぁ」

 

 イガラシに促され、久保はトスを続ける。二球目は内角低め、三球目は外角低めといずれも難しいコースだったが、難なく弾き返した。ネットを裂くような音が、立て続けに響く。

 

「す、すげぇっ」

 

「これで分かったろ。俺だって、なにも振り回してるわけじゃない。バットにボールが当たる時、いちばん力が出るようにしてるだけだ」

 

「たしかに打ち始める時は、むしろ脱力してるな」

 

「ああ。ぎゃくに……おまえのスイングは、ミートの瞬間に力が逃げちまってる。バットコントロールがうまいだけに、もったいない」

 

 久保はバットを拾い、二、三度素振りする。

 

「なにか、コツはあるだろうか?」

 

「そんなら墨二時代……俺、さんざん言ったろう」

 

 含み笑いを浮かべ、イガラシは答えた。

 

「わきをしめてシャープに振る。それと、コースにさからわず打ち返す」

 

 なるほど、と久保がうなずく。

 

「けっきょくは、基本が大事ってことか」

 

「そういうこと。ほれ、分かったら続けるぞ。俺の打つ時間がなくなっちまう」

 

「よしきたっ」

 

 二人は、およそ五十球を打ち合う。

 

「……むっ。なんだ?」

 

 ボールを集めようとして、イガラシがふと振り返ると、数人が集まっていた。

 

「どしたい。おまえらバット持ったまま、そこに突っ立ってやがって」

 

 馴染みの根岸や井口だけでなく、岡村や平山、松本、旗野。半数近くの一年生がそこに来ている。

 

「い、いやぁ……イガラシの話、かなり参考になると思って」

 

 岡村が照れた顔で言うと、松本もうなずく。

 

「俺なんてこのまえの試合、イガラシから聞いた通りに打ってみたら、ヒット二本も出ちゃったもんな」

 

「うむ。やはり全国優勝チームのキャプテンだっただけあって、説得力がちがうよな。おいイガラシ、根岸や久保だけじゃなくて、俺達にも教えてくれよ」

 

 大きく溜息をつき、イガラシは「ばーか」と返答した。

 

「人に頼ってばっかいないで、ちっとは自分で工夫しろよな。それに松本。おまえの二安打は、たまたま相手の野手がいないところに飛んだだけだ。もっとねらってセンターへ打ち返せるようにならねぇと……な、なんだよ久保」

 

 隣で、久保がくすっと笑い声を漏らした。

 

「文句言いながらも、けっきょくアドバイスしてるじゃねーか。あんがい優しいのな」

 

「よ、よせやい」

 

 ボールを拾い終え、籠をネットの手前に置く。

 

「ほれ、平山に旗野。つぎは二人の番だろ。ムダ口を叩いてたら、あっという間にボールが見えなくなるぞ。それと……井口、根岸。ちょっといいか」

 

 イガラシは二人を呼び寄せた。そこに久保も加わる。グラウンドの隅に、四人で小さく円座になった。

 

「井口。ボール一個もしくは半個分の出し入れ、意図してできるか?」

 

「当たり前だろ」

 

 井口は得意げにうなずいた。

 

「昨年対戦して、おまえも十二分にわかってるだろ。まだカーブは、ちと自信ねぇが……速球とシュートなら自由自在さ」

 

「じゃあ根岸と組んで、それを一球のミスなく投げられるように練習しといてくれ。もちろん俺も手伝う」

 

 その時、久保が「なぁイガラシ」と割って入る。

 

「なんだか、さっきから浮かない顔だな。心配事でもあるのかい?」

 

「……うむ。まぁ、いずれ話そうと思ってたし」

 

 イガラシは、率直に答えた。

 

「半田さんが説明してた、谷原の攻略法だが。ありゃ……おそらく通じねぇよ」

 

 三人が、同時に「なんだって!」と声を上げる。

 

「ばかっ、声が大きい。いまは、ここだけの話にしておくから、静かに聞いてくれ」

 

「で、でもよ……あれだけ細かく調べたデータだぞ」

 

 久保が両手を広げ、納得いかないジェスチャーをした。イガラシは苦笑いする。

 

「あのデータが使えないとは、言ってねぇよ。むしろ有効に活用できれば、大きな武器になるだろう。問題は……その使い方だ」

 

「つ、使い方だと?」

 

 井口が目を丸くする。

 

「久保、ぎゃくの立場で考えてみろよ。墨二時代、俺らも金成中を始め、他のチームに研究されて、苦手なコースを突かれたてたろ。それ、どう感じてたよ」

 

「うむ。そういやぁ、大して手は焼かなかったよな。他校がそんなことしてくるのは、百も承知だったし。やはり井口のいた江田川のように、ほんとの実力がないと……」

 

 話す途中で、久保は「ああっ」と声を発した。

 

「やっと気づいたかい。それと同じことを、うちは谷原にやろうとしてるんだ。百戦錬磨の向こうさんにとっちゃ、なんの脅威でもない」

 

「おいイガラシ」

 

 根岸が口を挟む。

 

「そこまで分かってんなら、なにか策があるのか?」

 

「もちろん」

 

 あっさり答えると、三人は驚いた顔になる。

 

「ど、どうするんだ」

 

「しっかりしろよ根岸。おまえ、キャッチャーだろう」

 

 からかうように言って、イガラシは口元を引き締めた。

 

「さほど難しい発想じゃねぇよ。ただ、やるのはちょいと、覚悟が必要だぞ」

 

 四人から数十メートルの距離で、岡村が素振りしている。その少し手前で、平山と旗野がトスバッティングを続けていた。

 

 また外野側のブルペンから、投球練習の音が響いてくる。丸井と松川、片瀬だろう。さらにグラウンドの奥では、上級生達が走り込みを行っていた。

 

 誰もが来るべき決戦の時に備え、自分のやるべきことに取り組んでいる。

 

「そうだな。俺なら……」

 

 淡々と語られるイガラシの言葉に、三人は黙して耳を傾けた。

 

 

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