続・プレイボール ーちばあきお「プレイボール」続編ー   作:物語の記憶

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第46話 決めダマを打て!の巻

1.追いつめられる墨高

 

 

―― 墨谷対谷原の準決勝は、いよいよ最終回をむかえていた。

 九回表。守る墨高は、ツーアウトながら一・二塁のピンチを背負う。谷原のバッターは、六番岡部である。

 

 

 パシッ。快音と同時に、ライナー性の打球がレフト線を襲う。谷原の一塁側ベンチとスタンドが「おおっ」と沸きかける。

「レフト!」

 谷口の声よりも早く、前の回からレフトを守る岡村が走り出していた。打球はドライブがかかり、白線上へ落ちていく。

「……くっ」

 岡村が横っ飛びした。精一杯伸ばすグラブの先に、ボールが引っ掛かる。

「は、入った」

 一年生は安堵のつぶやき。その数メートル後方で、駆け寄ってきた三塁塁審が右こぶしを高く掲げる。

「あ、アウト!」

 塁審のコールに、一塁側スタンドからは「ああ……」と落胆の溜息。一方、墨高の三塁側スタンドとベンチからは、歓声と拍手が起こる。

「よくとったぞ岡村。これで、さっきのエラーは帳消しだ!」

「谷口もナイスピッチングだぜ。さすがエース」

「最後まであきらめるなよ。三点なら、まだわからんぞ」

 大声援を背に、墨高ナインはベンチへと駆けていく。

 

 

 三塁側スタンド。田所は唇を結び、眼下のグラウンドを見つめていた。

「た、田所さん」

 傍らで、後輩の中山が尋ねてくる。

「よかったんスか。谷口達に、声をかけてやらなくて」

 グラウンド上では、ちょうど墨高ナインが円陣を解き、ダッグアウトに引っ込むところだった。残るのは、この回先頭打者の加藤だけである。バットを手に、ネクストバッターズサークルへと駆けていく。

「なーに」

 田所は笑って答えた。

「おれが今さらとやかく言わなくても、連中はなにをすべきか分かってるさ」

「ええ。しかし……三点かあ」

 溜息混じりに、中山は言った。

「どうにかランナーをためて、上位に回したいところだが」

「あの村井相手にか?」

 後列で、長身の山本が苦笑いする。

「さすがに、ちと厳しいな」

「もう、あまり期待しないで見てよーぜ」

 渋面になったのは、太田である。細い目を少し開く。

「ヘンに期待を持ったらよ、後がつらくなるぞ」

 バカいえ、と田所が語気を強める。

「負けて一番つらい思いをするのは、戦ってる谷口達なんだぞ」

 太田は「は、はぁ……」と戸惑ったふうな声を発した。

「そりゃ分かってますが」

「分かってるなら最後まで、期待してやろうぜ。それで負けたら……思いきり悔しがればいいじゃねーか。連中と同じ気持ちでな」

 言葉の端々に、熱い思いがほとばしる。後輩達は「はいっ」と、声を揃えた。

 

 

 三塁側ベンチ前にて、自然と円陣ができる。もちろん谷口もそこに加わった。

「ま、まってください!」

 背後からの声に、谷口は顔を向ける。レフトファールグラウンドのブルペンから、松川が息を弾ませ駆けてきた。さらにブルペン捕手を務める平山と旗野も、後に続く。

「どうしたんだ三人とも」

 谷口は微笑んで言った。

「今日はブルペンで準備しててくれと、言っておいたのに」

「そ、そうなんスけど」

 苦笑いして、松川は答える。

「ちと落ち着かなくて。なあ?」

 同意を求められ、一年生の平山が「ええ」とうなずく。

「なにせ、これが最後の……」

「ばかっ」

 失言の同級生の脇腹を、旗野が肘で小突く。平山は「あ」と両手で口元を押さえた。やれやれ……と、上級生達は苦笑いを浮かべる。

「たしかにそうだな」

 胸の内で、谷口はつぶやく。

「平山の言うとおり、これが最後のイニングになるかもしれん。悔いだけは残さないようにしないと」

 その時、傍らの倉橋に「ほれ谷口」と、声を掛けられた。

「いつものように、一声たのむよ」

「あ、うむ」

 二人のやり取りを合図に、ナイン達は少し前屈みの姿勢になる。

 谷口は一度、フウと深呼吸した。眼前にはチームメイト達の輪。倉橋、横井、戸室の三年生。丸井、松川、加藤、島田、半田、鈴木の二年生。イガラシ、井口、片瀬、岡村、久保、高橋、松本、根岸、平山、旗野の一年生。

 二十名の曇りなき眼差しが、キャプテン谷口に注がれた。

「さあ、反撃はここからだ」

 そう告げて、小さく右拳を突き上げる。

「あの村井とて、カンペキじゃない。制球ミスもあるし、もうじき疲れも出てくる」

 もう一歩なんだ、と語気を強めた。

「ねらいダマをしぼり、確実にミートを心がけよう。しつこく食い下がっていけば、かならず突破口は開ける。いいな!」

 キャプテンの檄に、ナイン達は「オウヨッ」と力強く応える。

 

 

 マウンド上。谷原のエース村井は、フウ……とひそかに吐息をつく。

「いよいよ九回か。さすがにちと、へばってきたな」

 やがて佐々木が駆けてきた。またせたな、と声を掛けてくる。

「八番からだが、油断するなよ」

 ああ、と村井はうなずく。

「さっきも三人でおさえたとはいえ、だいぶねばられちまったし」

「おまえの全力投球に、連中けっこう食らいついてくるものな。どいつもこいつも、よくきたえられてるぜ」

「む。あまり序盤から飛ばさなくて、正解だったな」

 しばし言葉を交わすと、佐々木は「たのむぞ」と言い置き踵を返す。

 一人残された村井は、足下のロージンバックを拾い、左手に馴染ませる。ほどなく、アンパイアが「バッターラップ!」とコールした。

 そして墨高の八番加藤が、この回の先頭打者として左打席に入ってくる。

 

 

「……うっ」

 ズバン。加藤の胸元に、快速球が飛び込んできた。

「ストライク!」

 アンパイアのコール。くっ、と加藤は奥歯を噛み締める。

「最終回だというのに、まるで球威(きゅうい)が落ちないとは」

 一旦打席を外し、バットを短く握り直す。

「泣きごと言ってる場合じゃねえ。なんとしても、先頭のおれが出塁しなきゃ」

 眼前のマウンド上。谷原のエース村井は、返球を捕ると、すぐさま二球目の投球動作へと移る。右足を踏み込み、グラブを突き出し、左腕を振り下ろす。

 今度はアウトコースへのカーブ。加藤は「おっと」と、バットを止める。

「ボール、ロー」

 判定に、加藤はフウと吐息をつく。すかさず「ナイス選球」と、ベンチより谷口が声を張り上げる。

「見えてるぞ加藤。打てるタマだけ、ねらっていけ!」

 加藤は「ハイ!」と返事して、ぐるんと両肩を回す。

「打てるタマだけか。ようし……」

 三球目は、真ん中から内に喰い込むシュート。加藤はこれをカットした。打球は鈍く一塁側ファールグラウンドを転がる。

「へへっ。シュートの軌道は、もうつかんだぜ」

 口元に笑みが浮かぶ。その傍らで、佐々木は「ちぇっ」と舌打ちした。

「やはりそうカンタンには、打ち取らせてくれないか」

 続く四球目は、アウトコース低めの速球。加藤はこれを見送った。

「ボール! ツーボール、ツーストライク」

 心なしかアンパイアのコールにも、力がこもる。

「これでイーブンカウントか」

 再び打席を外し、加藤はぺっぺと手のひらを唾で湿らせる。

「またインコースの速球が来そうだな。あれを投げられたら、当てるのがやっとだ」

 そして五球目。果たして村井が投じたのは、チェンジアップだった。緩急差に、加藤は「あっ」と上半身を泳がせる。ガキ、と鈍い音。

「し、しまった……」

 キャッチャー頭上への凡フライ。走り出した加藤の視界の端で、佐々木が「オーライ」とミットを掲げる。そして難なく顔の前で捕球した。

 村井は後方の野手陣に振り向き、すっと左手の人差し指を頭上へ伸ばす。

「ワンアウト!」

 エースの掛け声に、谷原ナインは力強く応える。

「ナイスピッチング」

「あと二つ、がっちりいこーぜ」

「どんどん打たせてこいっ」

 対照的に、加藤は「やられた……」とうなだれ、引き上げていく。

「まだ終わりじゃないぞ!」

 沈痛ムードを掻き消そうとするかのように、丸井がベンチ前方で叫ぶ。

「今こそ不屈の墨谷魂(だましい)を呼び起こすんだ。さあ久保、突破口を開け!」

 ネクストバッターズサークルの久保は、無言でうなずく。一方、マウンド上の村井は「フフ」と余裕の笑みである。

「あいにくだが、気合で打てりゃ苦労しねーよ」

 そして久保が右打席に入った。こちらもバットを短く握り直す。

 初球、村井はシュートを投じた。スピードボールが、打者の上半身を巻き込む軌道で、ストライクゾーンに飛び込む。久保のバットが回る。

 パシッ。詰まり気味の打球が、遊撃手と左翼手のちょうど中間地点へ落ちていく。ベンチの墨高ナインが「おもしろい!」「落ちろっ」と身を乗り出す。

「どけーっ」

 次の瞬間。遊撃手の大野が、半身の姿勢からダイブした。そのまま芝の上に転がる。二塁塁審が判定に駆け寄る。

「……へへっ、どうだ!」

 大野は寝転んだまま、左手のグラブを掲げた。その先端にボールの白がのぞく。

「あ、アウト!」

 塁審のコールに「おおっ」と、どよめく球場内。その表情は様々だ。

「ナイスショート!」

「ここにきて、らしいプレーが出たな」

「これで九割がた、いけそうだぜ」

 谷原応援団の一塁側スタンドは、どよめきから歓声と拍手が沸き起こる。またバックスタンドでは、東実ナインが相変わらず涼しげな顔で、高みの見物を決め込む。

そして三塁側スタンド。墨高応援席は、静まり返る。

「……こ、ここまでか」

 中山がうなだれる。同年代の山本と太田も頭を抱え、溜息をつく。

「しゃーねえ」

 二列目の席で、山口が慰めめいたことをつぶやいた。

「あいつら、よく戦ったよ」

 後輩達を尻目に、年長の田所は祈るように両手を組む。

「た、谷口。おれは最後まで信じてるぞ」

 

 

2.イガラシのねらい

 

 

「つ、ツーアウト……」

 三塁側ベンチ。さしもの谷口も頬を引きつらせ、顎の汗を拭う。そして「タイム」とアンパイアに合図し、打席に向かいかけていた男を呼び止めた。

「イガラシ!」

 後輩は「はい?」と振り向く。そこに谷口は駆け寄る。

「あ……その、なんだ」

 すぐに言葉が浮かばない。何を言ったものか考えようとした時、ふいに「キャプテン」と、イガラシは静かに声を発した。

「かならずチャンスで回ってきます」

 確信めいた言い方をして、イガラシは口元に笑みを浮かべた。

「見ててください。ほんとうの勝負は、ここからですよ」

そして踵を返し、打席へと向かう。

「さすがだな」

 後輩の小柄な背中を、谷口は頼もしく見つめた。

「この追いつめられた状況で、あんな落ち着いていられるとは」

 

 

 マウンド上。村井はロージンバックを足下に放り、僅かに前傾した。

 九回裏、ツーアウトランナーなし。墨高の打順はトップに返る。そして一番打者のイガラシが、右打席に入ってきた。こちらもバットを短く握り直す。

「一番か。ようし、こいつもさっさと片づけて……」

 その時だった。佐々木が「タイム」とアンパイアに断り、こちらに駆けてくる。

「どしたい佐々木」

 村井は苦笑いした。

「もうツーアウトだってのに。今さら言うこともなかろう」

「ああ、おれもそう思ったんだが」

 正捕手はちらっと、打席の一年生を見やる。

「ちとメンドウな打者だからな。さっきセンターへ打ち返されてるし、やつを出すと力のある上位打線に回っちまう」

「なーに。あんときゃ、たまたま向こうの読みが当たっただけさ。一番のタマを打たれたわけじゃないし、同じテツは踏まねーよ」

「む。もちろん信用してるが、しかし油断は禁物だぞ」

「分かってるって」

 束の間言葉を交わし、佐々木はポジションへと帰っていく。そしてこちらに向き直ると、マスクを被りホームベース奥に屈み込む。

すぐさま、アンパイアが「プレイ!」と右腕を掲げた。

 

 

 初球。大きなカーブが、外角低めいっぱいに決める。イガラシはぴくりとも動かず。

「ストライク!」

 フフ、と佐々木は含み笑いを漏らした。

「村井のやつ。ここにきて、ようやくカーブも決まるようになったか。これじゃイガラシも的を絞れないだろう」

 続く二球目は、真ん中低めにチェンジアップ。

「ボール、ロー」

 僅かにストライクコースから外れた。またもイガラシは反応せず。

「ほう。さすがに、いい目をしてやがるぜ」

 感心しつつ、村井にボールを返す。

「さっき打ち返したタマでも、ボールには手を出さないか」

 三球目は、外角低めの速球。コースいっぱいに決まった。

 イガラシはこれにも手を出さず、あっさりツーストライク。同時に三塁側ベンチとスタンドから「うわあ」「追いこまれちまった」と、悲鳴のような声が漏れる。

「……こいつ、なに考えてんだ」

 傍らの打者に、佐々木は訝しむ目を向けた。

「いくら自信があるからって、この土壇場(どたんば)で追いこまれりゃ、ちっとは焦りそうなものだが。まるで顔色を変えやしねえ」

 続く四球目。村井は速球を、アウトコース低めに投じた。イガラシはバットをはらうようにして当てる。打球は一塁側ベンチ方向へ、鈍く転がっていく。

「やっと手を出したが。いまのは始めから、ファールにする気だったようだ」

 僅かに首を傾げつつ、佐々木は次のサインを出す。

 五球目は、膝元にカーブ。イガラシのバットが回った。今度は速いゴロが、三塁側ベンチへ飛び込む。鈴木が「ひゃっ」とよける。

「……こいつ。またファールにするつもりで、わざと引っぱったな」

 佐々木は一つ吐息をつく。

「やはり、インコースの速球をまってるのか」

 当のイガラシは、一旦打席を外し数回素振りした。そしてちらっと相手捕手を見やる。

「ここまで切り札に取っておくとは、よほど自信があるタマらしいな」

 打席に入り直し、バットを構える。

「だが……いつまでも、そちらの思いどおりにいくと思うなよ」

 眼前のマウンド上。村井がサインにうなずき、しばし間合いを取る。その背後では、谷原野手陣が鋭い眼差しを打者に向ける。

グラウンド上の緊張感が伝わったかのように、球場内は静寂に包まれる。スタンドの誰もが固唾を飲み、谷原エースと墨高の一年生打者の勝負を見守っている。

 やがて、村井が投球動作を始めた。

「おれのタマを、打てるものなら打ってみろ」

 右足を踏み込み、グラブを突き出し、左腕を振り下ろす。その指先からボールを放つ。

「これで終わりだ!」

 インコースの速球。風を切り裂きうなりを上げ、打者の胸元に飛び込んでくる。

 イガラシは上半身にバットを巻きつけるようにして、フルスイングした。その刹那――パシッ、と小気味よい音が響く。

「……えっ」

 最初に声を発したのは、佐々木だった。マスクを脱ぎ立ち上がる。

「なんだと!」

 村井は後方を振り向き、目を見開く。

 イガラシの打球は、あっという間に深めに守っていた左翼手の頭上を越えた。まるで閃光のような勢いで、レフトフェンスの最上部にぶち当たる。ガシャンと音がした。

 おおっ、と内外野のスタンドが沸き返る。その後には、安堵とも落胆ともつかぬざわめきが、球場内を包み込む。

「くそっ」

 左翼手の宮田は忌々しげにボールを拾い、中継の遊撃手大野に返球した。その間、イガラシはスライディングもせず、悠々と二塁ベースに到達。ツーベースヒット。

 

 

3.つながれ墨高打線!

 

 

「よし! あ……イテテ」

 三塁側ベンチ。立ち上がりかけた井口が、その場に転倒した。傍らの根岸が「だいじょうぶかよ」と、慌てて助け起こす。

「足をつって交代したんだし、用心しろよな」

「スマンスマン。しかしあのヤロウ、ほんとに打っちまいやがった」

 む、と前列の横井がうなずく。

「そういやイガラシ、あの村井のインコースを打ちくだこうと、人一倍しゅう念をもやしてたものな」

「はい。おれも散々練習につきあったかいが、ありましたよ」

 得意げな井口を、根岸が「よく言うぜ」と突っ込む。

「イガラシに打たれるたび、ムキになってたくせによ」

 あら、と井口はずっこける。そしてまた「イテテ」と右足首を押さえた。

「けど、おどろいたぜ」

 横井の隣で、戸室が呆れたふうに言った。

「いくら練習をつんだからって、あの村井の速球を、あそこまで飛ばすとは」

 ベンチ内には喜ぶというより、驚嘆のムードが漂う。チームメイト達の反応をよそに、当人は二塁ベース上にて、ニコリともせず唇を結ぶ。

「……さあ、いくぞみんな!」

 キャプテン谷口が、檄を飛ばした。

「土俵際から、一歩押し返せたんだ。つぎの丸井を盛り立ててやろう」

 オウッ、と墨高ナインは力強く応える。

 

 

 一塁側ベンチ。谷原監督は腕組みしつつ「むう……」と、声を漏らした。

「ま、まさか……」

 傍らで、マネージャーが眼鏡を上下させる。

「村井のインコースが、あわやフェンスオーバーされるなんて。甲子園でも打たれたことがなかったのに」

「ああ。さすが今大会、八割近い打率を残してるバッターだ」

「で、ですが」

 マネージャーは気を取りなすように言った。

「もうツーアウトですし、三点のよゆうがあります。この後をおさえれば」

 うむ、と監督はうなずく。

「たしかにそうだな」

 それでも渋面の指揮官を、マネージャーは訝しげに見つめる。

「監督。なにか不安材料でも、あるのだろうか」

 当人は小さく吐息をつき、胸の内につぶやいた。

「いまの一げき、尾を引かなければいいが……」

 

 

「村井!」

 マウンド上。駆け寄った佐々木が呼び掛けると、村井は「おう」と応えた。思いのほか、その表情は明るい。

「あやうくフェンスをこされるところだったな。ま、それでも二点のよゆうはあるが」

 うむ、とエースはうなずく。

「しかし勝ったとしても、最後にホームランを打たれるつうのは気分わりーからな。スタンドまで届かなくてラッキーだったぜ」

「……おい村井」

 ふと声のトーンを落とし、正捕手は相手の顔をのぞき込む。

「まさか今の一打に、うろたえてるんじゃあるめえな」

「そ、そんなワケあるかよ!」

 幾分ムキになったふうに、村井は言った。

「これぐらいで動じるようじゃ、甲子園では戦えないぜ」

「む。分かってるなら、いいんだ」

 佐々木は安堵したらしく、一つ吐息をつく。

「それじゃ、しっかりたのむぞ」

「ああ。まかせろ」

 言葉を交わし、正捕手が踵を返す。

「……ば、ばかな」

 一人残された村井は、ひそかにマウンドの土を蹴った。

「あのインコースが、まさか外野の頭をこされちまうなんて」

 

 

「よしっ。つづくぞ、イガラシ」

 丸井はぺっと両手を唾で湿らせ、右打席に入った。そしてバットを構える。

「さあこい! 初球から遠慮なく……って、あり?」

 視界の端で、ベンチの谷口がサインを出す。

「キャプテン。一球まてって、なんでそんな。相手を一息つかせちゃうんじゃ」

 まあでも……と、丸井は思い直す。

「谷口さんのことだ。なにか考えが、あるにちがいない」

 眼前のマウンド上。谷原のエース村井が、ロージンバックを足下に放る。一見した限り、その表情に変化はない。

「ヘン、すました顔しちゃって。見てろよ」

 やがて村井が、セットポジションから投球動作を始めた。

「……わっと」

 バシッ。アウトコース高めの速球が、大きく外れる。佐々木が「ラクにラクに」と、肩を回すジェスチャーをした。

 続く二球目。今度はホームベース手前で、速球がワンバウンドした。くっ、と佐々木が膝立ちになり、ミットで捕球する。そしてすかさず、二塁へ投げる構え。

「おっと」

 イガラシは素早く頭から帰塁する。

「どうした村井」

 佐々木は立ち上がり、エースに檄を飛ばす。

「力むなんて、おまえらしくもない。しっかりしろ!」

「す、スマン」

 苦笑いして、村井は返球を受けた。

「ちょっと引っかけちまった。つぎは、ちゃんと投げるから」

 丸井は「おいおい」と、胸の内につぶやく。

「あの村井が、ここまでコントロールを乱すなんて」

 ふと二塁ベース上のイガラシを見やる。そして「なるほど」と合点した。

「さっきのイガラシの一打が、よほどショックだったのか。なにせ甲子園でも打たれたことのないボールだったから」

 ここで三塁側ベンチより、谷口がまたサインを出す。

「今度は打て、か。」

 ヘルメットのつばを摘まみ、丸井はうなずいた。そしてバットを短く握り直す。

「へへっ……リョーカイ」

 迎えた三球目。村井はカーブを投じた。その瞬間、佐々木が「あ、甘い」と顔を歪める。

「しめたっ」

 丸井は躊躇うことなく強振した。

 パシッと快音が鳴る。痛烈なライナーが、二塁ベース右を破った。センター前ヒット。イガラシは三塁ストップ、ツーアウト一・三塁。

 三塁側ベンチ。谷口は「やった!」と、小さく右こぶしを突き上げた。その傍らでは、チームメイト達が声援を送る。

「丸井、ナイスバッティング!」

「また流れがきたぞ。倉橋、つづけよ」

「あの村井が動ようしてる。いまがチャンスだっ」

 ナイン達の声に、スタンドの声が重なる。

「さあ、チャンスだ。負けるな墨高」

「そうよ。このまま終わって、たまるかってんだ!」

「墨谷のほんとうのおそろしさ、谷原に思い知らせてやるぜ」

――ワツセ、ワッセ、ワッセ、ワッセ!!

 大歓声が、今まさに谷原ナインを飲み込まんとし、そして反撃に向かう墨高ナインを後押しする。

 

 

 マウンド上。村井はやや引きつった顔で、額の汗を拭う。その前方では、佐々木が「ロージンだ」と手振りで伝え、どうにかエースを落ち着かせようとする。

「ようし!」

 やがて三番打者の倉橋が、気合の声を発し右打席に入ってきた。佐々木もマスクを被り、屈み込んでサインを出す。

「プレイ!」

 アンパイアのコール。すぐに村井がセットポジションから、投球動作へと移る。

「……ああっ」

 佐々木がマスク越しに目を見開く。村井の左手から、ボールがすっぽ抜けた。そのまま倉橋の腰付近に当たる。アンパイアが立ち上がり、一塁方向を指差す。

「デッドボール! テイクワンベース」

 ついにツーアウト満塁。この瞬間、球場内がワアッと大いに沸いた。

 倉橋は一瞬顔をしかめただけで、すぐに一塁へと駆け出すそしてネクストバッターズサークルにて、谷口がゆっくりと立ち上がる。

「おーい、たにぐちー!」

 その背中に、一際大きな声援を浴びせる者がいた。谷口がハッとして振り向くと、OBの田所が金網から身を乗り出している。

「た、田所さん……」

 くすっと、思わず笑みがこぼれた。

「いけっ谷口、おれたちがついてる。ビビることはねえ。初球から、ぶちかませ!」

 横から同じくOBの中山が、慌てて止めに入る。

「ダメですよ田所さん。谷口が、よけいプレッシャーに感じちゃうじゃないスか」

「やかましい! こんな場面で、なにも言わずにいられるかってんだ」

 谷口は無言で会釈して、踵を返した。それから小走りに打席へと向かう。

 

 

4.打て、キャプテン谷口!!

 

 

「か、監督……」

 一塁側ベンチ。腕組みする谷原監督に、マネージャーが縋りつくような目を向けた。

 やれやれ……と、監督は小さくかぶりを振り、立ち上がる。さらに右手を掲げ「タイム!」とアンパイアへ合図した。

「村井、佐々木。来るんだ!」

 そしてバッテリーを呼び出す。二人は「は、はいっ」と戸惑いつつも、指揮官のもとに駆け寄った。

「どうも自信がアダになったな」

 開口一番、監督はそう告げる。

「甲子園でも打たれなかったインコースの速球。あれを予選で一年生に打ちくだかれたのが、そんなにショックだったか」

 バッテリーは応えない。二人とも唇を結び、ただ指揮官と目を見合わせる。

「そうむずかしい話じゃあるまい」

 監督は渋面のまま、意外な言葉を口にした。

「あのイガラシは、おまえ達が甲子園で対戦したバッターと同格以上のチカラがあった。それだけの話じゃないのか」

 あっ、と村井がようやく反応する。

「佐々木」

 今度は正捕手そしてキャプテンに、監督は話を向けた。

「おまえたちの目標は、なんだ。言ってみろ」

「はい。夏の甲子園で、優勝することです」

 きっぱりと佐々木は答える。指揮官は、深くうなずいた。

「そのとおり! だとすれば、この予選で甲子園レベルのバッターと対戦できるのは、ラッキーじゃないか。おまえ達にとって、よい糧(かて)となる」

 こわばっていた二人の表情が、ようやく和らいでいく。

「なあ村井。手痛い一打を浴びて、やられっぱなしで終わるようなおまえか?」

「いいえ!」

 エースも力強く返事した。

「つぎこそ打ち取ってみせます」

「そうだ、その意気だ!」

 監督の檄に、バッテリーは「はい!」と声を揃える。

 

 

 やがて谷原バッテリーが、グラウンドに帰ってきた。

「練習はいいかね?」

 アンパイアが佐々木に尋ねる。

「はい。じゃあ、三球だけ」

 佐々木はホームベース奥で屈み、ミットを構える。すぐにマウンド上の村井が、セットポジションから投球動作を始めた。

 ズバン。糸を引くような速球が、佐々木のミットを鳴らす。

「おおっ」

 俄かに一塁側スタンドが沸いた。さらにカーブ、シュート。どれも切れ味鋭い、谷原のエース本来のボールである。

 投球練習の傍らで、谷口は目を瞑り深呼吸した。

「さっきのような崩れ方は、もうしてくれないだろうな」

 目を見開き、前方へ視線を戻す。三つの塁はすべて埋まっていた。それぞれの塁上には、イガラシ、丸井、倉橋。

「ありがとう」

 胸の内に、谷口はつぶやく。

「おまえ達がつないでくれたチャンス。なんとしても、モノにして見せる」

 

 

「さて。満塁で、しかも四番か」

 佐々木は横目で、打者を観察した。

「なにせ向こうは、押せ押せだからな。ちと様子を見ねえと」

 束の間思案した後、佐々木は「まずコレよ」とサインを出す。ところが、マウンド上の村井は首を横に振った。

「えっ、カーブじゃない? だったら、こいつはどうだ」

 サインを変える。しかしまたも、村井は首を縦に振らず。

「た、タイム!」

 アンパイアに断り、佐々木はマウンドに駆け寄った。

「ま、まさか村井」

 声を潜め、エースに尋ねる。

「三球ともインコースの速球でいかせてくれ、なんて言うのじゃあるまいな」

「いいや」

 村井は即答した。

「その、まさかだ」

「おいおい。どうしたんだよ」

 苦笑いして、佐々木は問い返す。

「さっき打たれたからって、なにもムキになって投げなくても」

「ムキになってるわけじゃないさ。ただ佐々木、おれたちの目標は甲子園優勝だろう」

 エースが語気を強める。

「だったらなおさら、おれはあのタマを、いつも自信を持って投げたいんだ」

 なるほど、と正捕手はうなずく。

「こういうピンチで使えてこそ、今後自信が持てるというわけか」

「フフ、さすが正捕手。察しがいいな」

 笑みを浮かべる村井。一方、佐々木は「うーむ」と考え込む。

「けどよ。向こうがなにをねらってるのか分からないまま、力勝負に出るのはなあ。ひょっとして、またあのタマをねらってくるかもしれんし」

「べつにいいじゃねーか」

 エースはあっさり言った。

「たとえねらっても、あのタマは打てない。もう一度やつらに思い知らせてやろう」

「……しゃーねえな」

 押し切られる形で、佐々木は渋々とうなずく。

「ただ初球に大ファールでも打たれたら、その時はしたがってもらうからな」

「分かってるよ」

 佐々木は小さく溜息をつき、踵を返した。

「まったく。一度言い出したら、おれの助言なんか聞きやしねえ」

 だが……と、胸の内で思い直す。

「こんなピンチでも、強気を保ってられるとは。やはりエースだな」

 ポジションに戻り、佐々木は「どうも」とアンパイアへ合図した。そしてマスクを被り直し、屈み込む。

 ほどなく、アンパイアが「プレイ!」と試合再開を告げた。

 

 

 一塁側ベンチ。谷原監督は腕組みしつつ、訝しげにグラウンド上を見つめる。

「なんだ今の、みょうなタイムは」

 しばし考えた後、一つのことに思い至った。

「……ま、まさか」

 咄嗟に立ち上がる。だがその時、すでに村井は投球動作を始めていた。

「や、やめろ! 村井、佐々木!!」

 

 

 右打席にて、短めにバットを構える谷口。その視線の先で、谷原のエース村井が第一球を投じた。インコースの速球。

「……や、やはり!」

 谷口は躊躇うことなく、バットを振り抜いた。

 パシッと快音が響く。村井が「なにいっ」と声を上げた。ライナー性の打球が、左中間を襲う。左翼手の宮田と中堅手の浅井が、全速力で背走する。

「……くっ」

 フェンスの数メートル手前で、宮田がダイブした。しかしそのグラブの先を、ボールがすり抜ける。そしてワンバウンドでフェンスに当たり、転々としていく。

 ワアッと、悲鳴のような歓声が上がった。

 グラウンド上。まずイガラシ、続いて丸井がホームベースを駆け抜ける。

「ま、回れ!」

 さらに三塁コーチャー高橋の合図に、一塁走者倉橋が三塁ベースを蹴り、ホームへ突っ込んでいく。

 中継の遊撃手大野が返球を捕り、すかさずバックホームした。

「させるかっ」

 矢のような送球が放たれる。捕球した佐々木は、そのままタッチへいく。ミットを掻い潜ろうと、倉橋は回り込み、左手をすっと伸ばす。本塁上のクロスプレー。

 束の間、球場内は静寂に包まれた。

 顔を上げる倉橋、振り向く佐々木。二塁上の谷口と谷原野手陣。さらに両チームのベンチと応援スタンド。すべての視線が、アンパイアに注がれる。

「……セーフ!!」

 アンパイアが判定のコールと同時に、両腕を大きく広げた。

 スコアボードの一枠が、パタンとめくれる。墨高の得点が、ついに谷原と並び「5」と記された。その瞬間。球場内は、興奮の坩堝(るつぼ)と化す。

 とりわけ墨高応援団の三塁側スタンドは、お祭り騒ぎとなった。金網から身を乗り出す者、両手でバンザイを繰り返す者。そして、抱き合う野球部OB達。

「し、信じられねえ。こんなことって」

 目を丸くする中山。さらに山口と太田が、雄叫びを上げる。

「見たか谷原! これが墨高魂(だましい)ってやつよ」

「谷口、おまえってやつは……オトコだ!」

 三人の傍らで、山本が「まったくだぜ」とうなずく。そして年長の田所は、口を半開きにしたまま、無言で涙を流す。

 他方、二塁ベース上。殊勲打の谷口は、一人小さく息を吐いた。

「よしっ。ついに、谷原の背中をとらえたぞ!」

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