続・プレイボール ーちばあきお「プレイボール」続編ー   作:物語の記憶

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<主な登場人物紹介>

谷口タカオ:三年生。墨谷高校野球部キャプテン。投手兼三塁手。ひたむきに努力する姿勢で、チームを引っ張る。

倉橋豊:三年生。墨谷高校野球部の正捕手にして、名参謀。長身の堂々たる体躯。入部当初は、歯に衣着せぬ発言で周囲と軋轢があったが、それもチームを思ってのこと。なんだかんだで面倒見が良く、現在では良好な人間関係を築いている。隅田中学出身。当時、地区随一の名捕手と噂されていた。松川とは、この頃からバッテリーを組む。地区大会準決勝では、谷口擁する墨谷二中と対戦。延長戦に縺れ込む激闘の末、惜敗した。

丸井:二年生。谷口の墨谷二中時代からの後輩。情に厚く、面倒見が良い。どんな時にも努力を惜しまない姿勢は、チームメイトの誰もが認める。

イガラシ:一年生。投手兼内野手。天才肌でありながら、努力の量は同じ墨谷二中出身の谷口や丸井にも引けを取らない。

松川:墨高野球部二年生。倉橋の隅田中学からの一期後輩。重い速球を武器とする本格右腕投手。朴訥とした生真面目な性格。一年生時点(原作「プレイボール」)では気弱さがのぞく場面もあったが、二年生となり都大会の厳しい試合を投げ抜く中で大きく成長。今や立派に墨高投手陣の一角を担う。

聖明館監督:かつて谷口ら墨谷二中ナインと何度も激戦を繰り広げた青葉学院中学部長の弟。元墨二メンバーの丸井には同一人物と間違われたほど、兄とそっくりな容貌。厳しいながらも選手思いの指導者であるが、敵に回すと冷静沈着な采配は厄介そのもの。かつての兄と同じく、強敵として墨高ナインの前に立ちはだかる。

福井:聖明館のエース。速球と多彩は変化球を誇る本格派投手。ぶっきらぼうだが、のらりくらりとした粘り強い投球で、相手打線に尻尾をつかませない。

香田:聖明館の正捕手。特徴の異なる複数の投手を巧みにリードする。また打者としてもクリーンアップの一角・三番を務めるスラッガー。

高岸:聖明館のクリーンアップの一角・五番を担うスラッガー。試合開始時点ではファーストを守っているが、実は……!?


第78話 自分を信じろ!の巻

 

 

      1

 

 甲子園球場のスコアボードには、七回表を終了して聖明館が四対一で墨谷をリードと掲示されている。

 墨高ナインの陣取る一塁側ベンチでは、キャプテン谷口を中心に円陣が組まれていた。

「見てのとおり、相手はリリーフを複数用意して、こちらの分析するすべを封じた。しかし臆することはない」

 開口一番、谷口はそう話した。

「あと三イニング。われわれの野球をつらぬけば、必ず好機は回ってくるはずだ」

「しかし正直、痛いよな」

 正直な思いを告げたのは、横井だった。

「いま投げてる二番手にだって手を焼いてるのに、そいつを攻りゃくしかけたとしても、向こうはまたつぎのリリーフを送り込んでくる算段だからな」

 む、と戸室も同意する。

「しかも名門なだけあって、出てくるリリーフもエースとそん色ない力量だ。このままじゃ……」

 三年生二人の言葉に、他のナイン達も押し黙る。

(二人が言うのも、もっともだ)

 谷口も口をつぐんだ。

(このままだと向こうの思うように試合を進められてしまう。本当にもう、打つ手はないのか…)

 逡巡を察したのか、倉橋が「谷口?」と怪訝げな目を向ける。他のナイン達も前屈みの姿勢のまま、キャプテンの言葉を待つ。

 しばし思案の後、谷口は胸の内につぶやく。

(こうなったら、そうするしかあるまい)

 そして顔を上げ、再び口を開く。

「なあみんな。われわれはいま、どこにいるんだ?」

 丸井がやや戸惑ったふうに「こ、甲子園です」と答える。

「そう、甲子園に来て三回戦を戦っている。だからみんな」

 谷口は微笑んで言った。

「今こそ、もっと自分の力を信じようじゃないか」

「キャプテン!」

 意図を察したイガラシが声を上げる。

「それってデータのない相手投手を、正面から打ちくずそうってことですか?」

 真剣な眼差しで、谷口は答えた。

「そういうことだ」

 ええっ、と周囲からざわめきが漏れる。

「データもなしで、あの投手を」

「さすがになあ。ちょっと厳しいんじゃ…」

 横井と戸室が口々に言った。

「みんなが戸惑うのは分かる」

 一旦ナインの戸惑いを受け止めた後、キャプテンは問い返す。

「でも、本当にできないのか?」

 えっ、と丸井が声を上げた。他のナインも目を見上げる。

「思い出してみろ」

 ふっと穏やかな表情になり、キャプテンは話を続けた。

「あの高岸はたしかに厄介なリリーフだが、うちはこれまでも、手ごわい好投手と何度も対戦して、そのたびに攻りゃくしてきたじゃないか」

 やや声をひそめて、さらに付け加える。

「たとえデータがなくとも、あのレベルの投手を打ちくずせるだけの力を、われわれは身につけてきたんじゃないのか」

 墨高ナインは、一様に神妙な顔でうなずく。

 

 

 七回裏。規定の投球を受け終えたキャッチャー香田は、セカンドへ送球した。そしてマスクを被り、ホームベース奥に屈み込む。

(墨高のやつら、ずいぶん長く話し込んでいたようだが。この期に及んで策もあるまい)

 ほどなくこの回の先頭打者、一番丸井が右打席に入ってくる。バットを短めに構え「さあこい!」と、気合の声を発した。

 フン、と香田は鼻を鳴らす。

(気合いで打てりゃ、世話ねーぜ)

 マウンド上では、高岸がロージンバッグに左手を馴染ませる。

(こいつで様子を探ってみよう)

 香田のサインに高岸はうなずき、ワインドアップモーションから第一球を投じた。

 内角低めのカーブ。丸井はバットを強振する。パシッと快音が響いた。大飛球がライト頭上を襲う。香田はマスクを脱いで立ち上がる。

「ら、ライト!」

 香田の指示の声よりも先に、ライト甘井は背走し始めていた。しかしやがてポール際のフェンスに背中が付いてしまう。だがポールの外側に数メートル切れた。

「ファール!」

 一塁塁審が両腕を大きく掲げる。

「フウ。あぶねえ」

 香田は大きく息を吐く。

(こいつ小さいナリして、案外パワーあるじゃねえか)

 しばし思案の後、香田は次のサインを出す。

(コレで誘ってみるか)

 高岸はうなずき、すぐに投球動作へと移る。

 内角高めの速球。丸井は悠然と見送る。ズバン、と香田のミットが鳴った。アンパイアが「ボール、ハイ!」とコールする。

(うーむ。振り回してくるかと思いきや、つりダマにはのってこないか)

 一塁側ベンチより「いいぞ丸井、ナイスセン!」と声援が飛ぶ。

(しかたない。きわどいトコ突いていくしかないか)

 香田は三球目のサインを出し、ミットを外角低めに構えた。高岸はうなずき、しばし間合いを取ってから投球動作を始める。

 外角低めの速球。丸井はバットをおっつけるようにしてスイングした。パシッと快音が響く。今度はレフト頭上を大飛球が襲う。

「れ、レフト!」

 香田がマスクを脱ぎ叫ぶ。

「くっ」

 レフト真壁は全速力で背走し、フェンスの数メートル手前でジャンプする。その精一杯伸ばしたグラブの先に、ボールが収まる。

「アウト!」

 三塁塁審のコール。墨谷応援団の一塁側スタンドから「ああ……」と大きな溜息が漏れた。一方、聖明館の三塁側スタンドからは「助かったぜ」「いいぞレフト!」と安堵の声が聞かれる。

「くそっ、もうひと伸びたりなかったか」

 丸井は悔しげに顔を歪め、ベンチへと引き上げていく。

「ナイスプレーよレフト!」

 好プレーの真壁に一声掛けた後、香田はフウと小さく吐息をついた。

(あぶねえ。おっつけてあそこまで飛ばすとは、なかなかやるな)

 一塁側ベンチでは、墨高ナインの数人が「おしいおしい」「ナイスバッティングよ丸井」と、好打を相手のファインプレーに阻まれた二年生に声を掛ける。

(なにもあわてることはねえ…)

 香田はマスクを被り直し、胸の内につぶやく。

(そうとも。一人ずつアウトを取っていけばいいんだ!)

 ほどなく次打者の二番島田が、右打席に入ってきた。こちらもバットを短めに構える。

(こいつはミート重視か。それなら、またきわどいコースを突いていこう)

 しばし考えた後、香田はサインを出す。高岸はうなずき、ワインドアップモーションから第一球を投じた。

 外角低めの速球。島田は左足で踏み込み、スイングした。ガッ、と鈍い音。

「しまった」

 島田は頭上を仰ぐ。打球はバックネット方向への高いフライ。香田がマスクを脱ぎ、振り向いてダッシュする。

「くっ」

 しかし香田の眼前で、ボールはバックネットに当たる。ガシャンと音がした。

「ちぇっ。打ち取ったと思ったのに」

 香田は小さく舌打ちして、ポジションに戻る。

(だが、こいつは速球に振り遅れてる。このまま力押しでいけそうだな)

 またも外角低めにミットを構え、香田は「もういっちょここよ」とサインを出す。

「む」

 高岸はサインにうなずき、すぐさま投球動作へと移る。

 初球に続き外角低めの速球。島田は「それっ」と、バットをはらうようにスイングした。カキッ、と快音が響く。

 三遊間へ痛烈なゴロが飛ぶも、ショート小松が逆シングルで捕球する。そして素早いステップで一塁へ送球する。

「くそっ」

 ベースを駆け抜けようとした島田の眼前で、ファースト福井が送球を受けた。

「アウト!」

 一塁塁審のコール。打ち取られた島田は、ベンチに戻り「すみません」とチームメイト達に謝る。

「気にすんなって」

 三年生の横井が後輩を励ます。

「あの当たりをとられちゃ、しかたねえよ」

 一方、香田は渋面になる。

(またいい当たりされたな。そろそろやつらも、高岸のタマに目が慣れてきたか)

 その時だった。

「た、タイム」

 マウンドの高岸がアンパイアに合図し、「香田。ちょっと」と呼んできた。香田はすぐにマウンドへと駆け寄る。

「どしたい高岸。調子よくツーアウト取れたというのに」

「ああ。ただ…続けざまにいい当たりされたのは、初めてだからよ」

「そりゃやつらも、そろそろおまえのタマに目が慣れてくる頃だからな。だが、そう心配あるまい」

 なだめるように、香田は言った。

「まだ三点あるし、いざって時にはリリーフの有原も控えてる」

「うむ。それは分かってるんだが」

 高岸は浮かない顔のままだ。

「なにか気になることがあるのか?」

 香田が尋ねると、香田は「む」とうなずき、ちらっと墨高の一塁側ベンチを見やる。ちょうどキャプテン谷口が、次打者の倉橋を送り出すところだった。

「倉橋も思いきっていけよ」

「おうっ」

 そんな会話が聞こえてくる。

「いい当たりされ出したのもあるんだが」

 声をひそめて、高岸は言った。

「やつらここに来て、ずいぶん思いきりよく振ってくるようになったと思わないか」

 高岸の言葉に、香田はハッとする。

「そ、そういや……」

 その時、アンパイアがマウンドに歩み寄ってきた。

「そろそろいいかね?」

「あ、はい。もうけっこうです」

 香田はそう返事して、高岸に言葉を掛ける。

「とにかくいままでどおり、きわどいコースを突いていこう。そうすりゃ大ケガすることはないはずだ」

「あ、ああ」

 やがてタイムが解け、香田はポジションに戻った。ほぼ同時に、次打者の三番倉橋が右打席に入ってくる。

(こいつはパワーありそうなナリだな)

 む、と香田はつぶやいた。ふとあることをひらめく。

(そうだ。やつらが打ち気にはやってるのなら、また誘いダマが使えるんじゃ)

 香田はサインを出し、ミットをほぼ真ん中に構える。

(ツーアウト取ったことだし、こいつで試してみよう)

 高岸はうなずき、ワインドアップモーションから第一球を投じた。

 ほぼど真ん中の速球。倉橋は悠然と見送った。ズバン、とミットが小気味よい音を鳴らす。「ストライク!」とアンパイアのコール。

「やはり速いな」

 倉橋はそうつぶやくと、一旦打席を外し、数回素振りした。その姿を、香田は横目で観察する。

(甘いタマを平然と見逃しやがったな。つぎはコレで誘ってみよう)

 二球目のサインを出し、今度はミットを真ん中低めに構えた。高岸はうなずくと、すぐに投球動作へと移る。

 真ん中低めのチェンジアップ。倉橋は一瞬ぴくっと体を動かすも、バットは振らず。これでスコアボードのストライクとボールのランプが、一つずつ灯る。

(くそ、のってこねえな)

 香田は渋面で返球した。そして次のサインを出す。

(しかたない。いままでのように、コースを突いて打ち取っていくか)

 高岸はしばし間合いを取ってから、投球動作を始めた。そして外角低めのコースへ快速球を投じる。

 倉橋はまたも手を出さず。アンパイアが「ボール!」とコールする。

(さすが三番なだけあって、いい目してやがる)

 高岸に返球しようとする時、香田はちらっと相手ベンチを見やる。

(しかし監督の言うとおり、たいしたチームだぜ。普通リードされて終盤をむかえりゃ、バッティングに焦りが見られるものだが、まるでそんな兆しがねえ。こりゃ少しでも気を抜いたら、きっと痛い目にあうぞ…)

 束の間思案の後、香田は四球目のサインを出す。

(こいつでタイミングをずらそう)

 む、と高岸はうなずき、今度はすぐに投球動作へと移る。右足で踏み込み、グラブを突き出し、左腕を振り下ろす。シュッ、と風を切る音。

 内角低めのカーブ。倉橋のバットが回る。カキッ、と快音が響く。痛烈なゴロが三塁線を襲う。おおっ、と一塁側ベンチの墨高ナインの数人が身を乗り出す。

 ところが次の瞬間、サード糸原が横っ飛びし捕球した。そのまま片膝立ちになり、素早く一塁へ送球する。

「くっ」

 倉橋は一塁にヘッドスライディングする。間一髪のタイミング。

「あ、アウト!」

 一塁塁審のコール。相次ぐファインプレーに、聖明館応援団の陣取る三塁側スタンドが沸き立つ。一方、墨高応援団の一塁側スタンドからは「ああ……」と大きな溜息が漏れる。

「ナイスプレーよ糸原!」

 好守備のサードに声を掛けてから、香田はフウと一つ吐息をつく。

「やれやれ。どうにか三人で切り抜けたぜ」

 

 一塁側ベンチ。惜しくも凡打に倒れた倉橋が引き上げてきた。

「わりい。ねらってたカーブだったんだが」

 悔しがる倉橋を、谷口が「しかたないさ」と励ます。

「ありゃ向こうの守備がよかったんだ」

 その隣で、戸室が「あーあ」と頭を抱える。

「三本ともいい当たりだったのに。ひとつでも抜けてりゃなあ」

「なに。ヒットこそ出なかったが、向こうは面食らっただろうぜ」

 声を明るくしたのは横井だ。

「自慢のリリーフが、あれだけとらえられたんだからよ」

「横井さんの言うとおりです」

 イガラシも同調する。

「それにいくらリリーフの枚数が多いからといって、全員の調子がいいとはかぎらないですし。あの二番手投手が打たれるのを見て、ほんらいの投球ができないってことも」

「なーるほど」

 丸井がポンと両手を打ち鳴らす。

「そう考えりゃ、まだまだうちにチャンスはあるってこったな」

 ここでキャプテン谷口が「みんな分かってるじゃないか」と、朗らかに言った。

「さあ。反撃ムードを消さないためにも、この回しっかり守っていこうよ!」

 谷口の掛け声に、ナインは「オウッ」と快活に応えた。そして守備位置へと散っていく。

 

 

      2

 

 三塁側ベンチ。

「香田、高岸。ちょっと来るんだ」

 聖明館監督が、バッテリー二人を呼んだ。

「は、はい」

「なんでしょう」

 香田と高岸は、監督の前で直立不動の姿勢になる。

「二人とも、あまり相手を意識しすぎるなよ」

 監督はまずそう告げた。

「やつらがそれなりに抵抗してくるのは、計算のうちだ。しかし何度も言うように、三点リードしてるうちが優位なのは間違いない。あと三イニング、その三点を使って逃げ切ればいいんだ」

 二人は「はい」と声を揃える。監督はさらに話を続けた。

「いい当たりされ出したとはいえ、おまえ達の攻め方は悪くない。これまでどおり、きわどいコースに投げ込んでいけば、そうそう連打されることはないはずだ。それよりあまりやつらを意識して、ヘタに策を講じようとすれば、ぎゃくにつけ込まれるぞ」

 監督はそう言うと、他のナインにも顔を向ける。

「なあおまえ達。この試合、たった四点で終わるつもりか? もっと点差を広げて、バッテリーをラクにしてやるんだ。いいな!」

 聖明館ナインは「はいっ」と快活に応えた。

 その時、甲子園球場にウグイス嬢のアナウンスが流れる。

 

―― 墨谷高校、選手の交代とシートの変更をお知らせいたします。ピッチャー片瀬君に代わりまして、岡村君が入りサード。サードの谷口君がピッチャーに、それぞれ入れかわります。

 

 キャプテン谷口の登板に、墨高の一塁側スタンドが「おおっ」とどよめく。

(なるほど……)

 聖明館監督は、胸の内につぶやいた。

(やつらも勝負にきたか!)

 八回表。軽快にボール回しを行う墨高野手陣の真ん中で、キャプテン谷口がマウンドにて投球練習を始めていた。速球、カーブ、シュートと持ち球を投げ込んでいく。

 谷口登板に伴い、墨高はシートを変更した。ピッチャーの片瀬を下げ、岡村が谷口の抜けたサードのポジションに着く。

 やがて規定の投球数を受け終えた倉橋が、二塁へ送球した。そしてマウンドに駆け寄る。

「見てのとおり厄介な打線だが、どう攻める?」

 倉橋の問いかけに、谷口は「む」とうなずく。

「速球には強いようだし、変化球主体の投球がいいだろう」

「うむ。基本的にはそれでいいと思うんだが、やつらヤマをはってくるぞ」

「べつにかまわないじゃないか」

 キャプテンは気楽そうに答える。

「たとえねらわれても、芯に当てさせなけりゃいいんだ」

 えっ、と倉橋は目を見開く。

「おいおい。ずいぶん強気だな」

「ハハ。さっきああしてナインを鼓舞した以上、キャプテンのおれが手本にならなきゃ示しがつかんからな」

 朗らかに言った後、谷口は表情を引き締める。

「だから倉橋も、強気でリードしてくれ」

「む。分かった」

 そこまで言葉を交わし、倉橋はポジションに戻る。谷口はロージンバックを拾い、パタパタと右手に馴染ませる。

 倉橋はホームベース手前に立つと、野手陣へ声を掛けた。

「しまっていこうよ!」

 ナイン達は「オウヨッ」と、力強く応える。

 アンパイアが「バッターラップ!」とコールした。ほどなくこの回の先頭打者、一番甘井が右打席に入ってくる。

「さあこい!」

 甘井は気合の声を発し、初回と変わらずバットを長めに構えた。

(ほう。相手も気合を入れてきたな)

 横目で打者を観察し、倉橋は「まずコレよ」とサインを出す。

 谷口は「む」とうなずくと、足下にロージンバッグを放り、ワインドアップモーションから第一球を投じる。

 内角低めのカーブ。甘井は強振した。しかしチップさせるも、ボールは倉橋のミットに収まる。

「くそっ」

 甘井は顔を歪めた。

(ねらってたというのに。なんて鋭いカーブなんだ)

 打者は一旦打席を外し、数回素振りしてから打席に戻る。

(つぎもコレよ)

 倉橋のサインに谷口はうなずき、すぐに二球目の投球動作へと移る。

 またも内角低めのカーブ。甘井のバットが回る。ガッ、と鈍い音。打球は三塁側ファールグラウンドに転がった。

(く。また……)

 甘井はマウンド上を睨む。

(なるほど、あの谷原が打てなかったわけだ。しかしこのおれが、二球続けて打ち損じるとは!)

 打者の様子を、倉橋が傍らで冷静に観察する。

(だいぶムキになっているな…)

 そして「つぎはコレよ」と、三球目のサインを出す。

 谷口はうなずくと、今度はしばし間を取ってから、投球動作を始めた。左足で踏み込み、グラブを突き出し、右腕を振り下ろす。

「あっ」

 外角低めの速球。ズバン、と倉橋のミットが鳴った。

「ストライク、バッターアウト!」

 アンパイアがコールと同時に、右こぶしを高く突き上げる。

(しまった。ウラをかかれた)

 見逃し三振に倒れた甘井は、引きつった表情で引き上げていく。一方、倉橋は「やれやれ」とつぶやいた。

(うまくいってくれてよかったぜ。さて、おつぎは…)

 ほどなく甘井と入れ替わるようにして、二番小松が左打席に入ってきた。こちらもバットを長めに構える。

(きっと変化球が頭にあるだろうから、また速球でウラをかこう)

 倉橋のサインに、谷口は首を横に振った。

(えっ。じゃあ、コレ?)

 サインを変えると、谷口はうなずく。

(なるほど、念には念を入れてってことね)

 投手の意図を理解し、倉橋はミットを内角低めに構えた。その眼前で、谷口が投球動作へと移る。

 速いボールが、内角低めに投じられた。小松のバットが回る。しかし直球と思われたボールは、打者の手元でさらに内側に曲がった。ガッ、と鈍い音。打球は三塁側ベンチへと転がっていく。

「くっ、シュートか」

 小松は顔を歪める。

(フフ。いくら速球が好きでも、シュートと区別もつかないようじゃな)

 倉橋は含み笑いを漏らし、二球目のサインを出す。

(ちと打ち気にはやってるようだし、こいつで引っかけさせよう)

 む、と谷口はうなずく。そしてしばし間を置いてから、二球目を投じた。またも速いボールが、今度は真ん中低めに投じられる。しめた、と小松はスイングした。

 しかし次の瞬間、ボールはホームベース手前でストンと落ちる。

「うっ」

 打者はこれを引っ掛けてしまう。ガキ、と鈍い音。セカンド正面に転がったゴロを丸井が難なくさばき、ファースト加藤へ送球する。

「アウト!」

 一塁塁審のコール。ベースを駆け抜けた小松は、思わず膝に両手をつく。

(やられた。いまのはフォークか)

 うつむき加減でベンチへと歩き出した小松に、次打者の香田が声を掛ける。

「どしたい二番。あれしきのタマを引っかけちゃって」

「おい香田」

 小松は顔を上げ、険しい表情で言った。

「あのピッチャーを甘く見ると、痛い目にあうぞ」

「う、うむ」

 味方の言葉に戸惑いながら、香田は右打席に入る。そしてバットを長めに構えた。

(なんでえ。あいつ自分が打ち取られたからって、けわしい顔しやがって)

 一方、倉橋は打者の様子を観察する。

(あくまでも長打ねらいか。敵さん、あいかわらず強気なことで)

 だが、と胸の内につぶやく。

(この三番は一発がある。まずは慎重にアウトコースを突いていくか)

 外角低めにミットを構え、サインを出した。ところが、谷口はまたも首を横に振る。倉橋は苦笑いした。

(あ、こっちも強気でいくんだったな。そんじゃあっと)

 ミットを内角低めに移動し、二度目のサインを出す。谷口が今度はうなずいた。そして投球動作へと移る。

 内角低めのカーブ。香田は一瞬ぴくっと体を動かすも、バットは出せず。

「ストライク!」

 アンパイアのコール。む、と香田は渋面になる。

(すげえカーブだぜ。しかもコースいっぱいか。これじゃ一、二番があっさり打ち取られるわけだ)

 マウンド上。谷口はテンポよく、二球目を投じた。初球に続き内角低めのカーブ。香田のバットが回る。カキ、と音がした。打球は三塁側ファールグラウンドに転がる。

(よし、追い込んだぞ。最後は……)

 倉橋のサインに谷口はうなずき、三球目の投球動作を始めた。そして指先からボールを放つ。シュッ、と風を切る音。

 真ん中低めのフォークボール。香田はこれを引っ張る。打球はまたも三塁側ファールグラウンドを転がっていく。

(くそ。いまのは、わざとファールにしやがったな)

 倉橋は顔を歪めた。その後、カーブ二球とシュート一球を投じたが、いずれもカットされる。

 フン、と香田は鼻を鳴らした。

(そちらが変化球主体でくることは分かってんだ。でもこうしてカットしてりゃ、いずれしびれを切らしてまっすぐを投げてくるだろう)

 その傍らで、倉橋が「そろそろいくか」と、七球目のサインを出す。谷口はうなずき、すぐに投球動作へと移る。

 内角高めの速球。香田のバットが回る。カキッという音。

(し、しまった。打たされた)

 香田が唇を噛む。その眼前で、打球はレフト頭上に高々と上がる。

「オーライ!」

 レフト横井は数歩後退しただけで、余裕を持って顔の前で捕球した。これでスリーアウト、チェンジ。

「ナイスピーよ谷口!」

「上位打線を相手に、よくおさえてくれたぜ」

 墨高ナインはエースに声を掛けながら、足取り軽くベンチへと引き上げていく。一方、倉橋はフウと安堵の吐息をついた。

(どうにか最後はねらいどおり、高めのつりダマを打たせることができたな)

 そしてマウンドを降りてきたエースに「さすがだぜ谷口」と、声を掛ける。

「なーに。これからさ」

 谷口は何事もなかったかのように、淡々と応えた。

―― つづく九回。またも谷口は力投を見せ、聖明館打線を難なく三者凡退におさえたのだった。

 いっぽう、墨高打線は聖明館の二番手投手をとらえ出したものの、相手の再三の好守によりチャンスを作れず。

 そして試合は四対一と聖明館リードのまま、九回裏の墨高の攻撃を残すのみとなったのである。

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