続・プレイボール ーちばあきお「プレイボール」続編ー   作:物語の記憶

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 <対戦チーム人物紹介>

野中:中陽高校野球部エース。威力ある快速球と多彩な変化球を持ち味とする右の本格派投手。バッターとしても四番を務める実力者。今夏で三季連続の甲子園出場。昨夏四強、今春は八強で敗れており、今夏こその全国優勝を目指す。

小山:中陽の正捕手。負けん気の強さと冷静さを併せ持つチームの扇の要。打者としても五番を務める強打者。

中陽監督:中陽高校野球部を率いて過去何度も甲子園の土を踏んできた名監督。智将として知られ、知略で墨高バッテリーを追い詰めていく。

常盤:中陽の三番を務める強打者。右翼手としても好守が光る。

秦野:中陽の控え投手。変則投法で相手打者を幻惑する。

柴田:俊足巧打のトップバッター。中陽不動の遊撃手。


第84話 強気で攻めろ!!の巻

 

 

      1

 

 パシッ。快音を残し、谷口の弾き返した打球は、ライトの芝の上で弾む。

 ライト常盤はシングルハンドで捕球すると、素早くセカンド小倉へ返球した。それを見て、二塁へと向かいかけていた谷口は、さっと帰塁する。そして三塁側ベンチのチームメイト達に掛け声を発した。

「打てるぞ! みんな、思いきっていこうよ!!」

 ナイン達は「オウッ!!」と、快活に応えた。

 甲子園球場の内外野スタンドの観衆からは、ざわめきが起こる。

「変化球とはいえ、野中のタマをうまく打ったもんや」

「うむ。打順が一回りもしないうちに、やつがクリーンヒット許したのは、もしや初めてちゃうか」

「なにせ予選で、甲子園常連の谷原や東実を倒したチームや。いかに中陽でも、油断したら痛いめにあうで」

 観客達のそんな会話が聞こえてくる。周囲の反応に、キャッチャー小山はマスクを被り直し「なんでえ」と、ぼやく。

「たかがヒット一本で、盛り上がっちゃって」

 眼前のマウンド上では、野中がこわばった表情で、周辺の土をスパイクでガッガッと均している。しょうがねえな…と、小山は胸の内につぶやく。

「おい野中!」

 声を掛けた。

「たまたまヤマが当たっただけだ。気にすんなよ」

「あ、ああ……」

 野中は苦笑いして、足下のロージンバックを拾う。小山はアンパイアに「どうも」と合図してから、ホームベース奥に屈み込む。

(しかしヤマが当たったとはいえ、野中のカーブをああも見事に打ち返すとは。やはりマグレで8強まで勝ち残ったわけじゃなさそうだ)

 その時、球場内にウグイス嬢のアナウンスが響く。

―― 五番、ショートイガラシ君!

 アナウンスと同時に、小柄な打者が右打席に入ってきた。小山は、マスク越しに「ねえきみ」と話しかける。

「なにか?」

 イガラシはポーカーフェイスで尋ね返した。

「たしか、きみも一年生だったかい?」

「ええ」

「一年生でクリーンアップをまかされるとは。たいしたもんだ」

「はあ、それはどうも」

 イガラシはニコリともせず返答した。その素っ気ない反応に、小山は「あっ」と、ずっこける。

(まったく。かわいげのないぼうやだぜ)

 小山は横目で、打者の様子を観察した。イガラシは他の墨高のバッターと同じく、バットを短くして構える。

(やつらの中では、こいつが一番打率が高いんだったな……)

 しばし思案の後、小山は「初球はここよ」とサインを出す。

(まずは外から攻めていくのが無難だろう。つまらせて併殺を取れたら理想的だが…)

 小山の意図を察したかのように、野中はうなずき、セットポジションに就く。しかしすぐには投球せず、一塁へシュッと素早く牽制球を放った。谷口は「おっと」とヘッドスライディングで帰塁した。一塁塁審が「セーフ!」と、両手を大きく広げる。

(そ、そうだった……)

 小山は苦笑いする。

(やつら足も使ってくるんだったな。忘れてたぜ)

 改めて、小山はミットを外角低めに構え直す。

 野中は再びセットポジションに就き、今度は投球動作を始めた。左足で踏み込み、右腕を振り下ろす。その瞬間、小山は「うっ、高い」と顔を歪める。

 イガラシは左足を踏み込み、バットをコンパクトに振り抜く。

 パシッと快音が響いた。低いライナー性の打球が、あっという間に一・二塁間を抜けていく。

 中陽のファーストとセカンドは一歩も動けず。おおっ、とスタンドの観衆はさっきよりも大きくどよめく。ランナー谷口は、二塁ベースを回りかけたところでストップし、ベースに足から帰る。

 観客の一人が言った。

「あ、あの野中がつるべ打ちにされるなんて…」

 うむ、と隣の観客も同調する。

「とても初出場校と優勝候補チームの試合とは思えへん。どないなっとるんや」

 一方、墨高応援団の三塁側スタンドは盛り上がる。

―― ワッセ、ワッセ、ワッセ、ワッセ!!

 小山は「た、タイム」とアンパイアに合図してから、マウンドへと駆け寄る。連打を浴びた野中は、明らかに落ち着きなさげに足下の土をスパイクで均している。

「どうした野中。タマが高いぞ」

「す、すまん」

 野中は苦笑いで答えた。

「ちとリキんじまって…」

「おまえほどのピッチャーが、なにを動じてるんだ」

 なだめるように言って、小山はエースの背中をポンと叩く。

「いつもの投球を思い出せ。そうすりゃ、墨谷なんてカンタンにおさえられるさ」

「わ、分かった」

 そこまで言葉を交わすと、小山はきびすを返しポジションへと帰る。一方、谷口は二塁ベース上にて、相手バッテリーの様子を観察していた。

(中陽バッテリー、そうとう動揺してるな……)

―― 六番、レフト横井君!

 アナウンスと同時に右打席に入ってきた横井へ、谷口は右手でヘルメットとベルトを一回ずつ触り、サインを出す。えっ、と横井は目を丸くする。

(しょ、初球スチールだって!?)

 相手の意図を知らぬまま、中陽のキャッチャー小山は打者を観察する。

(六番か。さほど打率は高くないが、当てるのはうまいって話だったな…)

 小山は「ここよ」とサインを出し、ミットを内角高めに構える。

(もういっちょ、速球でおどかしてやれ)

 野中はうなずき、セットポジションからすぐに投球動作へと移る。その瞬間、二人のランナーがスタートした。

(なに、ダブルスチールだと!?)

 野中が投球する。内角高めの速球。

「へへっ、内角ね」

 横井はわざと空振りし、「おっと」とわざとらしく前につんのめった。

「くっ」

 打者の体が邪魔になり、小山は三塁送球がワンテンポ遅れてしまう。さらに送球がワンバウンドし、サードは膝立ちでショートバウンドを捕球するのが精一杯。タッチにすら行けず、谷口は頭から悠々とベースに滑り込む。イガラシも二塁に到達した。

 ダブルスチール成功。ノーアウト二・三塁。

 小山はホームベース手前に立ち、うつむき加減で顔を歪める。

(くそっ、無警戒だった。まさか墨谷に揺さぶられるなんて……)

 その時、一塁側ベンチより、中陽監督が最前列に出てきた。そして「バッテリー!!」と叫ぶ。小山はハッとして顔を向ける。

「落ちつくんだ。このさい、一点はしかたない。それより後のバッターをかく実に打ち取ることを考えろ!」

「は、はいっ」

 小山は返事して、マスクを被り直し屈み込む。

 他方、横井は打席の外で一度素振りしつつ、思案する。

(ノーアウトで三塁まで進んだし。ここは、スクイズだな)

 顔を上げ、三塁ベース上の谷口と目を合わせる。谷口はポーカーフェイスのまま、今度はヘルメットに二回触れサインを出す。なんだって、と横井は口をあんぐり開けた。

(ひ、ヒッティングだって? 谷口のやつ、今日はやけに強気だな)

 眼前では、野中がまたロージンバッグを右手にパタパタと馴染ませている。

(打順は下位だし、ここはスクイズだろう)

 エースに同調するように、小山は「む」とうなずく。

(ここで一点取られても、うちの打線ならじゅうぶんばん回できるが……)

 小山はちらっと、盛り上がる三塁側ベンチとスタンドを見やる。

「打て横井! 墨谷の底ヂカラを見せてやれ!!」

 前列で、同級生の戸室が声援を送る。

「いまこそ墨谷ダマシイを発揮しましょう!!」

 丸井が陽気に叫ぶ。ナイン達の掛け声を、スタンドの応援団が後押しする。

―― ワッセ、ワッセ、ワッセ、ワッセ!!

 うーむ、と小山は渋面になる。

(あっさり点をやったら、墨谷を勢いづかせちまう。打てるテは打たねえと…)

 小山はミットを外角高めに構え、「外にはずせ」とサインを出し中腰気味になる。その動作に、横井は「ウエストするようだな」と察した。

 やがて野中が、投球動作を始める。その瞬間、横井はスクイズの構えをした。ランナー谷口もスタートを切る。

 やはり野中は、外に大きく外す。小山は立ち上がって捕球し、すかさず三塁へ送球する。

「おっと」

 谷口は素早く身を翻し、頭から三塁へ帰塁する。送球を受けたサードが、タッチを試みる。しかし谷口の手が早く、塁審は「セーフ!」と両手を横に広げた。

 小山はベース奥に屈み、再びミットを外角高めに構える。

(もういっちょ、様子を見よう)

 む、と野中はうなずく。そしてセットポジションに就き、少し間を置いて投球動作へと移る。その瞬間、谷口が再度スタートした。横井はまたもバントの構え。

 野中はさっきと同じく、横に大きく外す。立ち上がり捕球した小山は、またも三塁へ送球。やはり谷口は身を翻し、三塁へ頭から滑り込む。サードのタッチは届かず。

「セーフ!」

 再び三塁塁審がコールと同時に、両手を大きく左右に広げる。

(これでちっとは、クギを刺せただろう)

 小山が屈み込むと、今度は野中が右手の人差し指をくいっと三塁方向に曲げ、サインを送ってきた。小山は「なるほど」と、目を見開く。

(けんせいか…)

 む、と野中はうなずく。

(たとえスクイズされても、スタートさえ遅らせりゃ、おれが刺してやる)

 小山は「分かったよ」とうなずき、三たびミットを外角高めに構える。

 マウンド上、野中はセットポジションに就いた。そしてまた間合いを取る。ランナー谷口が、前傾姿勢でじりじりとリードを広げる。

 次の瞬間、小山は三塁へ素早く牽制球を投じた。

「うっ・・」

 谷口は素早く身を翻し、頭からベースに滑り込む。そしてタッチしようとしてきたサードのミットを掻いくぐる。間一髪のタイミング。

「せ、セーフ!」

 三塁塁審のコールに、内外野のスタンドが「おおっ」と、どよめく。

 三塁側ベンチ。戸室が「あ、あぶねえ…」と引きつった顔でつぶやく。

「あの野中ってやつ、牽制までうまいじゃねえか」

 隣で、倉橋が「そりゃそうだろ」と応える。

「ただタマが速いだけじゃ、甲子園で何度も上位に顔を出すなんてできっこねえからな」

 ベンチ前列の左隅で、丸井がフウ…と大きく息を吐きだす。

「いやあ、さすがに肝を冷やしました。谷口さんじゃなきゃアウトですよ」

「まあな。けどよ…」

 フフ、と倉橋は笑みを浮かべる。

「敵さん、まだこっちのねらいには、気づいてないみてえだぜ」

 倉橋の言葉に、ナイン達は再びグラウンドへと身を乗り出す。

 三塁ベース上。谷口はユニフォームの土をさっと払いつつ、マウンド上の相手エースを見やる。

(さすが見事な牽制だ。しかしあの様子じゃ、こっちがスクイズすると決めてかかっているようだな)

 谷口は右打席の横井へ向けて、再び帽子を二回触れサインを出した。

(ひるむな横井! 何度も好投手と対決してきたおまえなら、打てないことはない!!)

 横井はヘルメットのつばを摘まみ、「りょーかい」と合図する。その傍らで、小山は「そろそろいこうか」とサインを出し、ミットを内角高めに構える。

 うむ、と野中はうなずき、セットポジションから三球目の投球動作へと移る。左足で踏み込み、右腕を振り下ろす。

 内角高めの速球。横井は「きたっ」と、左足をオープン気味に踏み込み、バットを強振した。パシッ、と快音が響く。打球はレフト方向へ高々と上がる。

「き、強攻だと!?」

 小山は目を見開き、マスクを脱いで立ち上がる。野中は振り向いて「れ、レフト!」と叫ぶ。

 エースの指示の声よりも先に、レフトは背走し始めていた。しかしフェンスの数メートル手前でくるっと向き直り、顔の前で捕球する。

「ゴー!」

 三塁コーチャーの高橋が、ホームを指さし叫ぶ。谷口はタッチアップからスタートし、ホームベースを駆け抜けた。

「へいっ」

 中継のショート柴田が、レフトへ声を掛ける。

「くそっ」

 レフトは無造作に返球してしまう。ボールは柴田の頭上を越え、三遊間へ転々としていく。慌ててサードが拾いに走る。

「しめた!」

 イガラシが中継プレーの乱れに乗じ、スタートした。そして三塁ベースに右足からスライディングする。

「バカ、なにやってんだ!」

 小山が怒鳴った。失策を犯したレフトは、ばつが悪そうにうつむき加減になる。

 スコアボードの一枠がパタンとめくられ、墨高の得点が「1」と表示された。内外野スタンドの観衆から、今度はざわめきが起こる。

「なんやて。あの野中が、墨谷にあっさり先制されるやと」

「どないしたんや、いまの中継プレーの乱れは。中陽らしくもあらへん」

「そらムリもないやろ。こんな序盤から、エースが打ちこまれるなんてこと、中陽の連中にとっちゃ初めてやろうしな」

 一方の三塁側ベンチ。谷口と横井が帰ってくると、ナイン達が嬉しそうに出迎えた。

「谷口、横井、ナイスバッティング!」

 まず後列の倉橋が声を掛ける。

「あ、うむ…」

 横井はやや気まずそうに、左手を頭の後ろにやる。

「谷口はともかく、おれはちと上がりすぎちまったよ」

「こいつ。ガラにもなく、ぜいたく言いやがって」

 倉橋の隣で、戸室がからかうように言った。

「あわやレフトオーバーの犠牲フライを打ったくせによ」

 そうですよ、と前列で丸井も同調する。

「速球が自慢のあちらさんにとっちゃ、強攻だけで点を取られて、さぞショックも大きいんじゃありませんか!」

 盛り上がるナイン達を、倉橋が「オイオイ」とたしなめる。

「さわぐのは、これぐらいにしとけ。やつら先制されたもんで、きっとえらくプライドにさわって、いよいよ本気で向かってくるぞ。気を引きしめていけよ」

 ナイン達は「オウッ」と、快活に応える。

 一方、谷口は前列の中央に座り、静かにグラウンド上を見つめた。その視線の先では、野中と小山の中陽バッテリーが、険しい表情でマウンドに立っている。

(うき足だっているな。この回、まだ取れるぞ)

 マウンド上。野中は顔を歪め「どうなってるんだ!」と、吐き捨てる。

「おれのタマが、いともカンタンに…」

「落ちつけ野中!」

 小山は叱りつけるように言った。

「たまたまヤマが当たったのと、失投をねらい打たれただけだ。おまえほどのピッチャーが、なにをうろたえてる。しっかりしろ!」

「う、うむ。スマン」

 エースはようやく冷静さを取り戻す。

「いいか野中」

 言い聞かせるように、小山は告げた。

「おまえがほんらいのチカラさえ出せば、墨谷なんてカンタンにおさえられる。いつもどおり、思いきってこい!」

「うむ、分かってる」

 野中は小さく右こぶしを突き上げて返事した。

「しょせん初出場の勢いだけのチームなんざ、ねじふせてやるさ!!」

「そうよ、その意気よ!」

 バッテリーはそれだけ言葉を交わす。

 

 

      2

 

 一塁側ベンチ後列にて、中陽監督は険しい眼差しでマウンド上を見つめていた。その周囲では、控え選手達が声援を飛ばす。

「どしたいレフト! 中継プレーも満足にできないんじゃ、レギュラー失格だぞ!!」

「あわてるなバッテリー!! バックがついてるぞ!」

「一点ぐらい、どうってことねえよ! 切りかえろ!!」

 うーむ、と監督は顎に右手を当て、胸の内でバッテリー二人に呼びかける。

(冷静になれ。むやみに熱くなれば、相手の思うツボだぞ…)

 監督の思いをよそに、小山はアンパイアに「どうも」と声を掛け、ホームベース奥に屈み込む。そしてウグイス嬢のアナウンス。

―― 七番、ピッチャー井口君!

 井口は左打席に入ると、バットを長くして構え「さあこい!」と気合いの声を発した。正対する野中は、ムッと唇を歪める。

(オヨヨ。そんなにバットを長くしちゃって、まあ。誰が相手だと思ってんだい!)

 苛立ちまぎれに、ボールをグラブにバシッと叩き付ける。

(ふてぶてしいのはツラだけにしろってんだ!)

 ほどなく、小山が「まずここよ」とサインを出す。野中は「む」とうなずき、口元に笑みを浮かべる。

(インコース低めか。小山のやつ、さすが分かってやがる。こういうヤツは、まず腰を引かせねえとな)

 野中はセットポジションに就き、ちらっと三塁ランナーのイガラシを見やってから、投球動作を始めた。左足で踏み込む、右腕を振り下ろす。シュッ、と風を切る音。

 その瞬間、小山はマスク越しに「な、中に……」と顔をしかめた。ボールが要求よりも真ん中寄りに入ってくる。井口がバットを強振した。カキッ、と快音が響く。

 二遊間を痛烈なゴロが襲う。セカンド小倉が二塁ベース方向へ横っ跳びするも、打球はバシッとグラブを弾く。

「しめた!」

 イガラシはためらいなくスタートを切り、ホームベースを駆け抜ける。

 小倉は「くっ」とボールを拾い直し、素早く片膝立ちで一塁へ送球した。井口が一塁ベースにヘッドスランディングする。

「あ、アウト!」

 一塁塁審が右こぶしを掲げコールした。しかしスコアボードの一枠がまたパタンとめくられ、墨高の得点が「2」と差し替えられる。ワアッ、と内外野のスタンドが沸く。

「墨谷って、けっこうやるやないか」

「む。野中がこんな早い回に二点も取られるなんて、初めてやないの」

「いまのもアウトになったとはいえ、いい当たりやしな」

 観客達は一様に驚いた表情で、口々に言い合う。一方、キャッチャー小山はホームベース手前に立ち、マスク片手に渋面になる。

(しまった…)

 そう胸の内につぶやく。

(野中のやつ、連打を浴びてカッカしてたもんで、リキんでコントロールがきかなかったんだ。おれがやつを冷静にさせていれば……)

 眼前で、野中は苛立たしげにマウンドの土をガッガッとスパイクで削っている。

「野中!」

 正捕手がエースに呼びかける。

「ツーアウトでランナーいなくなったぞ! ラクにいこうぜ!!」

 エースは「あ、うむ」とまだ冴えない顔で返事した。

(だいじょうぶかな、あいつ…)

 小山はマスクを被り直し、再びホームベース奥に屈み込む。

(とりあえず、この回。あと一人のりきってくれれば……)

―― 八番、ファースト加藤君!

 ウグイス嬢のアナウンス。加藤はホームベースの斜め後方で一度素振りしてから、左打席へと入る。それからバットを短くして構えた。八番か、と小山はつぶやく。

(こいつも墨谷にしちゃ上背(うわぜい)はあるが、さほどパワーはなさそうだ)

 もう一度野中へ「ラクに!」と声を掛け、ミットを内角低めに構える。

(速球に合わせてきてるようだし、ちとタイミングをはずそう)

 小山がサインを出すと、野中は「なるほど」とうなずき、ワインドアップモーションから投球動作へと移る。左足で踏み込み、右腕をしならせる。

 真ん中高めに投じられたボールが、急激にくくっと曲がりミットに吸い込まれた。

「ストライク!」

 アンパイアのコール。小山は「ナイスボール!」と野中に声を掛け、返球する。

(今のカーブで、リキみが取れてるといいんだが……)

 マウンド上にて、野中は「へへっ」と満足げに笑みを浮かべた。一方、加藤は目を丸くして、胸の内につぶやく。

(す、すげえカーブだぜ…)

 小山は「さ、どんどんいこうぜ!」と掛け声を発し、テンポよく次のサインを出す。野中はうなずき、すぐに二球目を投じる。

 またもカーブ。小山がミットを構える内角低めに吸い込まれる。

「ストライク、ツー!」

 アンパイアのコール。すると加藤は「タイム!」とアンパイアに合図して、打席の白線の内側ぎりぎりに立ち位置をずらす。

「どうも」

 加藤が合図すると、アンパイアは「プレイ!」と試合再開を告げる。

(こいつ……)

 小山は横目に打者を睨む。

(わざとベース寄りに立って、カーブを投げづらくしやがったな)

 視線をマウンド上へと移し、小山は「だったら…」とミットを外角低めに構えた。しかし野中は、首を横に振る。

(え。じゃあ、こっち?)

 ミットを内角低めに戻すと、野中はうなずく。

(インコース封じにきてるのなら、そんなことしてもムダだと思い知らせてやる!)

 エースの顔に気迫がみなぎる。小山は「なるほど」と、感心してつぶやいた。

 投球動作へと移る野中。左足で踏み込み、右腕を振り下ろす。またも内角低めにカーブが投じられる。

「くっ」

 加藤は窮屈なスイングになりながらも、辛うじてバットの先端にボールを当てる。ガッ、と鈍い音がして、打球は一塁ファールグラウンドに鈍く転がる。

「ふぁ、ファール!」

 アンパイアが両手を大きく交差する。加藤は「ひゃー、あぶねえ」と苦笑いした。

 野中がアンパイアから替えのボールをもらうと、小山はすぐに「さあテンポよく」とサインを出し、またもミットを内角低めに構える。

 しかし野中が四球目の投球動作を始めようとした時、加藤が再び「タイム!」とアンパイアに合図して、打席を外す。

(またかよ…)

 小山は顔をしかめる。

(テンポよく投げてたのに、ジャマしやがって)

 仕方なく、手振りで「ロージンだ」と野中に指示した。野中は足下のロージンバッグを拾い、右手にパタパタと馴染ませる。

 ほどなく、加藤が「どうも」とアンパイアに一礼し、左打席に戻ってきた。そしてバットを構える。その動作を、小山は横目で見やる。

(さっきベース寄りに立ったのも、いま打席をはずしたのも、ベンチが指示した様子はない。このチーム、一人ひとりがなにをすべきか、しっかり熟知してるってこった)

 右手でバチンとミットを叩き、小山は野手陣へ掛け声を発した。

「ツーアウトだ! しまっていこうぜ!!」

 中陽ナインは「オウッ」と応える。

 小山は「これよ」とサインを出し、またも内角低めにミットを構えた。む、と野中はうなずき、今度は少し間を置いてから投球動作へと移る。

 内角低めの速球。加藤は一瞬ピクッと体を動かすも、バットは出さず。

「ボール! ワンボール、ツーストライク!」

 アンパイアが両手の指を立て、ボールカウントを示す。

(く、見きわめられたか…)

 返球しつつ、小山は渋面になる。

(強気でふってくるだけじゃなく、ボール球はきちんと見逃す。さほど目をひくようなバッターこそいないが、予想以上に切れ目のない打線だぜ)

 三塁側ベンチより、墨高ナインから声援が飛ぶ。

「いいぞ加藤! ナイスセン!!」

「思いきっていこうよ!」

 加藤はまた打席を外し、「こうかな」と一度素振りしてから打席に戻る。傍らで、小山はフフと笑みを浮かべた。

(どうりでベスト8まで勝ち残るわけだ…)

 視線をマウンド上へと移し、小山はサインを出す。

(しあげは、これね)

 野中は「えっ」と、戸惑った表情になる。

(チェンジアップだって? 相手は初出場、しかも下位打線だぞ。チカラでねじふせていくんじゃなかったのかよ!?)

 小山は首を横に振る。

(墨谷は、ただの初出場チームじゃない。名の知れた強豪と戦うつもりでいかなきゃ、やられるぞ…)

 正捕手の真剣な眼差しに、エースは「う、うむ」とうなずく。

―― ワッセ、ワッセ、ワッセ、ワッセ!!

 墨高応援団の声援が響く中、野中はワインドアップモーションから五球目の投球動作を始める。左足で踏み込み、右腕を振り下ろす。

 スピードを殺したボールが、ホームベース手前ですうっと沈む。

「うっ・・」

 タイミングを外され、加藤は上体を崩す。それでも辛うじてバットのヘッドを残し、はらうようにしてスイングした。

 カキッ、と快音が響く。二塁ベース左に痛烈なゴロが飛ぶ。

 次の瞬間、ショート柴田が横っ飛びした。グラブで捕球すると、素早いフィールディングで一塁へ送球する。

 加藤は一塁ベースにヘッドスライディングした。その頭上で、ファーストが柴田からの送球を受ける。間一髪のタイミング。

「アウト!」

 一塁塁審のコール。加藤は「くそっ」と、右こぶしで一塁ベースを殴る。

 マウンド上。ホッ、と野中は吐息をつき、野手陣とともにベンチへと向かう。小山は「ナイスショート!」と声を掛けてから、野中の隣に来る。

「思ったより、手ごわいぞ」

 小山の言葉に、野中は「ああ」と同調する。

「こりゃ、きっと苦戦するな」

「うむ。だが最後に勝つのは、おれ達だ!」

 正捕手の気合いの声に、エースは「そうこなくっちゃ!」と応える。

 一方、三塁側ベンチ。キャプテン谷口は他の墨高ナインに声を掛ける。

「さあ。二点取った後だし、がっちりいこうよ!」

 ナイン達は「オウッ!!」と快活に応え、グラウンドへと駆けていく。

 しかし谷口は、一人立ち止まり、束の間考え込む。

(あれだけ加藤がインコース封じをしたのに、かまわず正確に投げこんでくるとは。さすが高校野球で名のとおったピッチャーだ)

 視線の先では、中陽ナインがベンチ前に集まり、前の回と同じく監督を囲むようにして円陣を組む。

(それにチェンジアップを使ったということは、もう打たせて取るピッチングに切りかえたのか。だとしたら追加点はむずかしいぞ……)

 その時「キャプテン」と、声を掛けられた。顔を上げると、丸井が怪訝げな目で見つめている。

「どうしたんです? そんな、ぼんやりしちゃって」

「な、なんでもない…」

 谷口は苦笑いした。そして二人で小走りにグラウンドへと向かう。

 

 一塁側ベンチ手前。監督を中心に円陣を組んだ中陽ナインは、皆一様に険しい表情を浮かべている。

「やっと目がさめたようだな…」

 沈黙を破るように、監督が腕組みしつつ話を切り出す。

「おまえ達は、墨谷がツキやマグレだけで勝ってきたチームだと、どこかで思いこんでなかったか? とんでもない。相手をてっていてきに研究し、猛練習を重ね、強敵をおそれず挑んできたからこそ、彼らはここにいるんだ!」

 静かながらも厳しい口調で、監督はナインに語りかける。

「ウチのような強豪を相手にすれば、委縮してほんらいの力を出せず負けていくチームも少なくない。だが、墨谷はちがう」

 ナイン達は無言ながらも、真剣な表情で監督の話を聞いている。

「数々の強豪を倒し、ますます彼らは自信を深めている。その自信を揺るがさないことには、このまま押されてしまうぞ。どうすればいいのか…分かってるな?」

 監督の問いかけに、中陽ナインは「はい!」と力強く声を揃えた。

 

「そら」

 ホームベース手前に立ち、倉橋はマウンド上の井口に山なりのボールを放る。

「四番からだぞ。肩を冷やすなよ!」

「は、はいっ」

 井口は渋面ながらも素直に返事して、こちらも山なりのボールを返してきた。

 倉橋はちらっと、一塁側ベンチを見やる。すでに円陣は解け、この回先頭の四番野中が、ヘルメットを被りバットを手に駆けてくる。その後方で、中陽の監督はベンチ後列に引っ込む。

(この回も円陣を組むとは。向こうの監督、よほど井口を警戒しているらしいな……)

 もう一度返球してから、倉橋はマスクを被り、ホームベース奥に屈み込む。

 ほどなく野中が右打席に入ってきた。アンパイアに「どうも」と会釈した後、バットを長くして構える。

「プレイ!」

 アンパイアのコール。倉橋は、束の間思案する。

(たしかバッターとしても、五割近く打ってるんだったな。慎重にいかねえと…)

 マウンドに向き直り、サインを出す。

(まずこれね)

 む、と井口はうなずき、ワインドアップモーションから投球動作へと移る。左腕をしならせ、指先からボールを放つ。

 真ん中高めに投じられたボールが、ホームベース上でくくっと鋭く曲がり、倉橋の内角低めに構えたミットに吸い込まれた。野中は悠然と見送る。

「ストライク!」

 アンパイアのコール。

「いいカーブよ井口!」

 倉橋は返球しつつ、横目で打者を観察する。

(まるで反応しない。初回と同じく、シュートを見ようとしてるのか……)

 二球目のサインを出し、ミットを再び内角低めに構える。

(これで、ちとさぐってみよう)

 井口はうなずき、すぐに投球動作を始めた。右足で踏み込み、左腕を振り下ろす。シュッ、と風を切る音。

 内角低めの速球。野中はまたも、ピクリとも動かず。ズバン、とミットが鳴った。アンパイアが、今度は「ボール!」とコールする。

 マウンド上。ポーカーフェイスの野中を、井口は「なんでえ」と睨む。

(二点取られてカッカするかと思いきや、すかしちゃって…)

「こら井口!」

 背後から、ふいにイガラシが怒鳴ってくる。

「打者をにらむヒマがあったら、ちったあ足もとを気にしろよ!」

「あ……」

 井口はバツの悪そうな顔で、マウンドの土をガッガッとスパイクで固める。

 その時、キャプテン谷口が「バッテリー! 思いきっていけよ!!」と声をかけた。そして他のナイン達にも呼びかける。

「さあ、バックもしっかり守っていこうよ!!」

 ナイン達は「オウッ」と、快活に応える。

(つぎは、もうちょい中ね)

 倉橋がサインを出す。井口は「な、なるほど…」とうなずき、投球動作を始めた。そして三球目を投じる。

 内角低めの速球。野中が、今度はバットを強振した。

 パシッ、と快音が響く。大飛球がレフトポール際を襲う。倉橋がバッとマスクを脱ぎ、立ち上がる。

「れ、レフト!」

 倉橋の指示の声よりも先に、レフト横井が背走し始めていた。やがて、右手がフェンスについてしまう。なすすべなく打球を見送る。

 しかし、打球はポール際で左にスライスした。

「ふぁ、ファール!」

 三塁塁審が、両手を大きくアルプススタンド側へ掲げる。

「あ、あぶねえ……」

 さしもの井口も顔を引きつらせる。その後方で、倉橋もホッと吐息をつく。

(さすが四番をまかされるバッターだぜ。井口のインコースの速球を、あそこまで飛ばすとは……)

 マスクを被り直し、屈み込む。

(ちらしてみるか)

 倉橋はサインを出し、ミットを外角低めに構える。井口はうなずくと、今度は少し間を取ってから、投球動作を始めた。そして左腕をしならせる。

 外角低めの速球。野中は一瞬ピクッと体を動かすも、バットは出さず。

「ボール! ツーボール、ツーストライク!」

 アンパイアがコールの後、両手の指を立ててボールカウントを示す。倉橋は「くっ・・」と顔を歪める。

(ボール球に手を出してくれりゃ、もうけもんだと思ったが…そう甘くねえか)

 一方、谷口は前傾姿勢のまま、僅かに首を傾げる。

(どうも中陽のねらいがつかめない。ほんとうに井口のシュートを見るためか? たしかに相手からすれば、やっかいなタマだろうが…)

 眼前では、野中が打席を外し、一度素振りした。ビュッ、と空気を切り裂く音。谷口は思案を続ける。

(でも…彼らほど経験豊富なチームが、わざわざ打席を捨ててまで、そんなことをする必要があるのか……)

 考えあぐむ谷口をよそに、野中は右打席に戻り、アンパイアに「どうも」と合図する。

「プレイ!」

 アンパイアが試合再開を告げた。その傍らで、倉橋はサインを出す。

(シュートが頭にあるのなら…)

 正捕手は再びミットを内角低めに構えた。井口は「む」とうなずき、すぐに投球動作へと移る。そして五球目を投じた。

 内角低めのカーブが、くくっと打者の膝元へ曲がる。野中はバットを強振した。パシッ、と快音が響く。

 痛烈なライナーが三塁線を襲う。谷口がジャンプするも及ばず。しかし打球は、白線の僅か左側でバウンドする。

「ファール!」

 またも三塁塁審が、両手をアルプススタンド側へ大きく掲げる。

「おしいおしい!」

「敵さん、もう投げるタマがないぞ!」

「遠慮するこたあねえ! 取られた点、ひとふりで返しちまおうぜ!!」

 一塁側ベンチより、中陽ナインが挑発的な掛け声を飛ばす。

(くそっ。打ったわけでもねえのに、調子にのりやがって……)

 倉橋は唇を歪めつつ、しばし思案する。

(こうなったら、井口のベストボールで勝負するしかねえ!)

 倉橋は決意を固め、サインを出す。

(さ、しあげは…これよ)

 マウンド上。井口は「そうこなくっちゃ」と、口元に笑みを浮かべた。その視線の先では、野中が相変わらずポーカーフェイスのまま、バットを構える。

 少し間を取ってから、井口は投球動作を始めた。グラブを突き出し、右足で踏み込み、左腕を振り下ろす。

 スピードのあるボールが、ホームベース手前で直角に曲がる。しかし野中は、迷いなくバットを振り抜いた。パシッ、と快音が響く。

 火を吹くようなライナーがレフト頭上を襲う。倉橋はマスクを放って立ち上がり、叫ぶ。

「れ、レフト!」

 すでにレフト横井は背走し始めていたが、打球はあっという間にその頭上を越え、ダイレクトにフェンスを直撃する。バン、と強い音。

 ワアッ、と歓声が沸いた。

 横井は急いでボールを拾いに行く。中継に入ったイガラシが「へい!」と合図した。その間、野中は悠々と二塁に到達。

「くそっ」

 ようやく横井が返球する。ボールを受けたイガラシは、二塁を回りかけた野中を投げる構えで制するのが精一杯。

 ツーベースヒット。中陽がノーアウト二塁とチャンスを作る。

 マウンド上。井口が呆然と立ち尽くす。

「お、おれのシュートが…あんなカンタンに打たれちまうなんて……」

 さらにホームベース手前で、倉橋は「くっ・・」と唇を歪める。

(あれだけ慎重に投げさせたというのに、たったひとふりで……)

 甲子園球場には、中陽応援団の声援が響き渡る。

―― カッセ、カッセ、ちゅーうーよう! カッセ、カッセ、ちゅーうーよう!!

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