銀河英雄伝説異伝~ジークフリード・キルヒアイスの辺境戦記~ 作:ほうこうおんち
銀河帝国において、平民出身の将官が珍しくなくなったのは、今から52年前の第二次ティアマト会戦の敗戦以降である。
それまでは将官として軍を率いるのは貴族の仕事であり、義務であった。
この貴族将官制には、不思議な不文律がある。
爵位によって最初から階級が定まっているのだ。
ブラウンシュヴァイク公は、一切の軍歴が無くても予備役上級大将であった。
無論最初からでは無い。
公爵家嫡男として皇帝に謁見を許された時点では予備役准将である。
そこから当主になると予備役少将に上る。
三十歳を迎えると予備役中将、四十歳で予備役大将に自動で昇進する。
そして公爵家は3万隻単位の指揮権を、軍歴無しで得られる。
リッテンハイム侯は、それより一階級下の予備役大佐から始まった。
侯爵家も軍歴無しで予備役大将にまで上れ、1万5千隻の艦隊指揮権を得る。
伯爵家は予備役中将、1万隻の艦隊指揮権。
子爵家は予備役少将、5千隻の艦隊指揮権。
男爵家は予備役准将、1千隻程度の艦隊指揮権を得られる。
無論、実際に指揮をするには軍務省に届け出て現役になる必要がある。
だが帝国の慣例として、大将以上の将官には個人用旗艦が下賜される。
ブラウンシュヴァイク公もリッテンハイム侯も、派手な内装の戦艦内に貴族を招き、権勢を誇示したり、パーティーを開き公式と私的の入り交ざった密談をした。
貴族将官に実際に敵を打ち破る能力が有れば良いが、帝国初期はともかく現在は極めて怪しい。
そこで貴族の家門に属する軍人を補佐官として付ける事が出来た。
本来、帝国幼年学校及び帝国士官学校を出た者は、軍務省が管理し、軍務省の人事に従って配属されるものである。
ブラウンシュヴァイク公の家臣出自であるアンスバッハ准将は、正規の帝国軍人として軍籍登録されている為、本来どの戦場に配属されても文句は言えない。
しかし帝国の慣習で、彼はブラウンシュヴァイク公から離れた役職に任官される事は無い。
ブラウンシュヴァイク公が軍務省高等参事官の職に就くなら、アンスバッハ准将は高等参事官補佐となる。
ブラウンシュヴァイク公がクロプシュトック侯追討軍総司令官になった時、アンスバッハ准将は追討軍総司令官付高級副官であった。
軍務尚書は、こういう政治を呑み込み、典礼省や時に宮内省とも連絡を取って、適切な人事をする。
こういう政治向き以外の一般将兵の人事が人事部長に任せられるのだ。
リップシュタット戦役が勃発した現在、多くの貴族は私領、荘園を警備する艦隊を引き連れて、貴族連合軍本営ガイエスブルク要塞に集結していた。
男爵家は1千隻程度の艦隊指揮権は持っているが、私兵として所有しているのは百分の一の10隻程度である。
もしも指揮権と同数の戦力を全ての貴族が持っていたなら、3700家が集結したリップシュタット連合軍の総艦艇数は最低でも370万隻となってしまう。
キルヒアイス艦隊が進駐したハーゼ男爵領の周辺50光年には21の貴族領が点在する。
伯爵家が2、子爵家が7、男爵家が21である。
どの家も独立系で、どこかの門閥に属している訳ではない。
この内、ベルツ男爵はローエングラム陣営への帰順を申し出て来た。
かつての「ミューゼル大佐の事件簿」で二番目に殺害されたヨハン・ゴットホルプの実家である。
最初は貴族連合軍参加という姿勢を見せていたが、実際には参集せず、周囲の貴族が全軍を引き連れてガイエスブルクに向かった後にローエングラム陣営に連絡を取って来た。
残る20家の私領は空き家である。
キルヒアイスはブラウヒッチ、ジンツァー、ザウケン等准将級に艦艇30隻程を預け、速やかに空き家を占領させた。
ハーゼ家やベルツ家からの情報を得て、120光年先のクロイツフェルト伯爵が中立から貴族連合軍に転じたという報を得て、ベルゲングリューン少将に6000隻の艦隊を預け制圧に向かわせる。
「少将、戦う前には降伏勧告を必ずして下さい」
「よろしいのですか?
ローエングラム侯としては、そうして戦わずに降伏されるのは困るのでは無いですか?」
「そうですね、ローエングラム侯はお困りになるでしょう。
ですが、それをどうにかするのが私の仕事です。
少将は伯爵を降伏させるか……壊滅させて来て下さい」
「了解しました。
おそらく後者になるでしょう。
ローエングラム侯ではなく、閣下にとって残念でしょうが」
キルヒアイスは苦笑いする。
この時期のベルゲングリューン少将は、ズケズケ思った事を言って来る。
キルヒアイスは笑って許しているが、時に心に突き刺さる事も言われてしまい、しばしば言葉に窮せられる。
ベルゲングリューンの鋭い指摘は他にもある。
「閣下の早期辺境占領作戦は、まるで先年の反乱軍による我が国への侵攻作戦そっくりですね」
実はそうなのだ。
キルヒアイス直属部隊12000隻は惑星ブラオハーゼ上空に駐留しているが、ワーレン中将の14000隻の艦隊は天頂方向の制圧、ルッツ中将の14000隻の艦隊は天底方向の制圧と分散し、更に主艦隊から多数の分艦隊を派遣して同時に多数の惑星を占領している。
形から見れば、大失敗した先年の自由惑星同盟による帝国領侵攻作戦の艦隊分散配置そっくりなのである。
では、同じように失敗を運命づけられているのだろうか?
キルヒアイスは出動前の作戦会議でこの事を指摘したベルゲングリューンに答える。
「かつて地球にロシアという国が在りました。
その国をナポレオンという男と、ヒトラーという男が征服しようとし、失敗しました。
戦史の教科書に必ず出てくる失敗の例です。
しかし、ロシアの大地を占領した人物がいるのです。
それはモンゴル帝国のチンギス汗という人物です。
近代と中世の差はありますが、成功と失敗の違いに、兵站線の長さの違いがあります。
フランス帝国もドイツ帝国も、首都を動かさず、基本的に遥か後方の自領から補給をしました。
先年の反乱軍も同じで、イゼルローン要塞から補給部隊を派遣していました。
ですが、モンゴル帝国の場合は司令部と補給基地そのものが、戦線に合わせて前進していました。
我々もそれに倣いたいと思います」
「ですが……」
ベルゲングリューンは食い下がる。
キルヒアイスは怒らず、意見を聞く。
「ですが、その場合占領した後方が再度反乱を起こす可能性があります」
「少将の仰る通りです。
かのモンゴル帝国でも、ロシア遠征中にチャイナ方面で離反が起こりました。
そこでチンギス汗は、反乱を起こした国は帰還後に城内皆殺しにし、見せしめにしました。
一つの城を見せしめにすれば、他の城の反乱は防げる。
彼にとっての最善のやり方です」
「それに倣いますか? 閣下」
これはビューロー少将の言である。
「倣うのは最善手を使うという事だけです。
地球の中世のやり方と、帝国暦の今、同じ方法が最善手ではありません。
それに……」
「それに?」
「私の好みではありません。
ここだけは私の好みに合わせていただきます、皆さんよろしいですね?」
一同は笑った上で、「それは自分の好みでもありません」と言い、承諾した。
……見せしめを一個作り、それにより多数を自分たちに従わせるやり方は、この後キルヒアイスを苦しめる事になるが、今それを知る者は居ない。
かくして兵力を分散し、速やかに貴族領を占領し、次の貴族領を占領しに向かうという「一歩間違うと、占領と造反で先に進めなくなる」作戦行動を採った。
同盟軍との違いは、ハーゼ家、ベルツ家という協力者からの情報を基に、30隻とか場合によっては単艦とか、最小の戦力で効率よく「空き巣狙い」が出来た。
空き巣になっていない貴族領には「強盗」に入るのだが、それでも周囲の貴族領が全て落ちているとなると、戦わずして降伏する可能性が高くなる。
一週間でキルヒアイスの直属部隊だけで20、ルッツ、ワーレン提督の部隊と合わせ54ヶ所の貴族領占領に成功した。
そして同じ時期、キルヒアイス別動隊初の軍事的勝利の報が入る。
クロイツフェルト伯爵家の本領に向かったベルゲングリューン艦隊は、2600隻からなる伯爵領私兵部隊の迎撃を受ける。
自分の手で領土を守って来て、伯爵自身も現役の中将という階級を持っている為、迎撃部隊の布陣は戦理にかなったものであった。
だが、兵の質は大きく劣っていた。
あるいは、「戦争の天才」ローエングラム侯配下の勇名に臆したのか、折角の布陣も台無しにする、ベルゲングリューン艦隊が接近したら即座に発砲という醜態を見せる。
「初戦である。
ローエングラム侯の軍の強さ、キルヒアイス提督麾下の強さを改めて宇宙に示せ!」
ベルゲングリューンはそう訓示すると、全艦に後退を命じる。
整然と撤退するベルゲングリューン艦隊を、クロイツフェルト伯爵の私兵艦隊は追撃し、完全に前のめりとなる。
ベルゲングリューンは前面の艦隊を後退させ、左右の艦隊を前進させて凹形陣にするとともに、後陣を惑星クロイツフェルト・エルストに突入させる。
本領を攻撃されると見た艦隊は、個々に足並みを乱し、艦隊としての指揮系統は失われた。
それを見逃さず、ベルゲングリューンは前進、攻撃命令を出す。
練度の差、指揮系統の差もあり、30分の戦闘でクロイツフェルト伯爵軍は敗退した。
伯爵は20隻ばかりを率いて本領を脱出し、何処かへ向かった。
「よろしいのですか?」
幕僚がベルゲングリューンに聞く。
「ああ。
キルヒアイス提督の指示だ。
敵はあえて逃がし、我々が辺境星域を制圧している所をガイエスブルク要塞の貴族どもに知らせろという事だ。
当然追討部隊が派遣されるだろう」
「それを撃破すれば……」
「ああ、多くの惑星は無血開城するだろう」
一つの支配地を皆殺しにする事はしない。
代わりに、現れた敵追討艦隊を叩きのめし、それを宣伝する事で辺境の戦意を挫き、降伏の連鎖を呼ぶというのがキルヒアイスの戦略であった。
敵をおびき寄せる為に、しばらくは派手に勝ってみせる必要があるのだ。
(キルヒアイス閣下は仰っていた。
先年の反乱軍の帝国領侵攻作戦は、作戦としては間違っていなかった、と。
司令官が大貴族の者だったら、簡単に釣り出され、敵策源地のイゼルローンからそう遠くない場所で会戦に及び、恐らくは撃破されていただろう。
作戦の途中段階で「腰抜け」「臆病」「退却将軍」と陰口を叩かれても無視出来るローエングラム侯だから成し得た。
貴族が司令官なら、どんなに優秀であったとしても、宮中で「あの男は臆病だ」と噂される事には耐えられない。
自分の領内に「ご領主様は腰抜けでいらっしゃる」等と評判が広がったら統治出来なくなる。
だから、反乱軍が元気な内に何度も戦いを仕掛け、敵を勝ち誇らせたであろう、と)
そしてキルヒアイスは、その帝国貴族の心理を利用する為、あえて同盟軍の侵攻作戦と同じように占領地を拡大しまくる。
戦いにおいては、圧勝と、あえてその貴族を逃がす事で彼らの復讐心を煽り、大軍を釣り出す。
キルヒアイスが例にしたロシア帝国も、この後退戦略を堅持し切れない。
ナポレオンに対して、焦土作戦を指揮したバルクライ・ド・トーリー将軍をロシアの宮廷は途中で罷免した。
この時は幸い、後任のクトゥーゾフ将軍が焦土作戦の有効性を理解し、作戦を引き継いだから、最終的にナポレオンはモスクワで力を使い果たす。
そのロシア帝国が、ナポレオンの100年後、極東の日本帝国と戦った時はクロパトキン将軍を「退却将軍」と罵り、途中途中で会戦せざるを得ない状況を作って敗れ、判定敗けとされた。
ずっと古く、古代ローマにおいても、名将ハンニバル将軍との戦いを避けるファビウス将軍は「クンクタートル(のろま)」とあだ名され、途中解任される。
結局ファビウスの戦法は正しく、後任の将軍はハンニバルと戦って危機に陥る。
古来より現代まで、敵の侵攻に対し、戦わずに勝ちを得る方法は理解されない。
分かっていても「名誉」を傷つけられると、打って出て戦えという者が騒ぎ出す。
キルヒアイス別動隊は、こういう「打って出て戦え」派を大いに刺激する、それが現時点での戦略となっていた。
この戦略は当分成功し続けるが、キルヒアイスには次の問題が降りかかる。
帝国の領民は、決して「良民」では無い。
占領した地域を上手く統治する必要があるのだった。