銀河英雄伝説異伝~ジークフリード・キルヒアイスの辺境戦記~ 作:ほうこうおんち
銀河帝国辺境領域、ここの軍事バランスは大きくローエングラム侯陣営のキルヒアイス別動隊に傾いている。
ほとんどの領主がガイエスブルク要塞に私兵をもって参集していて、留守部隊やあえてガイエスブルク要塞に行かなかった貴族軍、更に親貴族連合な帝国軍辺境警備隊を全て合わせても2万隻に届かない。
故に、まともな会戦を選ばなかった、情報戦を仕掛けて来た貴族連合軍の誰かは知らないが、その者の判断は正しい。
そしていまだ被害は出ていないが、ゲリラ戦に出て補給部隊を狙い始めたアストゥリア伯の選択も正しい。
ジークフリード・キルヒアイスは、単なる戦術指揮官では対処出来ない戦いを仕掛けられている。
ジークフリード・キルヒアイスが単に軍事的才幹だけに秀でた人物なら、ローエングラム侯ラインハルトは彼を腹心にはしないだろう。
政治向きな判断、経済的な物の見方、社会的不正を憎む心、全てラインハルトに匹敵する。
違いは、ラインハルトが必要なら覇道を歩める人物なのに対し、キルヒアイスはこれまでそのような気配がなく、周囲からは甘いと見られている点だ。
性格的な部分もあるが、一つにはキルヒアイスの計算もある。
覇者は一人、自分も同じやり方をしてはならないと歯止めをかけている。
ラインハルトの姉、キルヒアイスも敬愛するグリューネワルト伯爵夫人アンネローゼから頼まれている。
「ジーク、ラインハルトをよろしくね」
そう言われたキルヒアイスは、時にラインハルトと共に走るも、時には暴走しがちなラインハルトの引き留め役をしている。
ラインハルトは紛れもなく天才であるが、若き天才ゆえの未熟さ、稚気が多分に残っている。
自ら決闘代理人を引き受けてプロの暗殺者と戦ったり、挑発に乗って元同盟軍最強部隊「薔薇の騎士」連隊長だった男と喧嘩しようとしたり、グリューネワルト伯爵夫人を憎むベーネミュンデ侯爵夫人の暗殺者と単身対峙したりと、キルヒアイスが傍にいないと結構無茶をする。
危うさは時に、門閥貴族を憎む余り、味方を見捨てるかどうかの判断に出そうになる。
そういう時にキルヒアイスは
「分かっておいででしょう?
貴族を救うのではなく、その下の兵士たちを救うのです」
と助言の形で、ラインハルトの心の天秤が冷血に傾くのを冷静な方に戻す。
こういうラインハルトへの世話焼きが、キルヒアイスを「温厚で優しい」と周囲に思わせている。
だがラインハルトは、決してキルヒアイスが温厚なだけの人物では無い事を知っている。
幼年学校時代、アンネローゼを侮辱した貴族の子弟に、最初の一撃を入れるのはキルヒアイスの方が多かった。
ラインハルトが罰せられないよう、責任を一身に負っての行為ではあるが、容赦の無い攻撃、時に涼しい顔で相手の股間を蹴り上げて、睾丸破裂による退学に追いやった恐ろしさもある。
手柄を横取りされないよう、上官に先んじて司令部にラインハルトの戦功を報告するしたたかさも持っている。
そして、ここぞという時のラインハルトへの助言は
「おやりなさい、ラインハルト様」
なのだ。
ラインハルトが一目置く相手は、キルヒアイスの他は敵軍にいるヤン・ウェンリー以外にはいない。
ラインハルトはこの2人には、自身と同様の「戦場を超え、人類社会を見渡す目」が備わっているものと見ていた。
そのキルヒアイスが、ラインハルトの傍を離れている。
つまり、ラインハルトのお守りをしていない。
キルヒアイスはこの方面の責任者として、独自の判断で行動しなければならない。
ラインハルトは寂しい一方で
(俺の世話から解き放たれたキルヒアイスは、どれだけの能力を発揮するだろう?)
と楽しみにもしていた。
キルヒアイスは、ラインハルトのコピーとして動く事も出来るが、今の状況はラインハルトと同じでは後手後手に回る可能性が高い。
ラインハルトは挑戦を一々受けて立つ、極めて悪い癖がある。
キルヒアイスにはそういう対抗意識は無い。
そうした方が良いと判断すれば、ヤン・ウェンリーとすら戦わない。
アムリッツァ会戦に先立つドヴェルグ星域会戦で、3倍の兵力を持ちながらキルヒアイスはヤンの第13艦隊に対して攻勢に出ず、あくまでも遠距離からの攻撃で疲労させようとのみした。
「口舌の攻撃に対し、同じ戦場では戦いません」
キルヒアイスは断言した。
「実績で示せば、レトリックだけの宣伝は効果を失います」
ラインハルトの陣容を見れば、彼の思想が見えて来る。
貴族社会からの脱却、新進気鋭の若手実力者の抜擢、無駄を嫌う合理主義。
古い革命家の用語で言えば「階級闘争」「旧勢力に対する新勢力の挑戦」に見える。
そこには期待とともに、漠然とした恐怖が見える。
やり手の企業家に買収された、派閥とコネが横行した大企業の低賃金労働者の気分と言えば分かりやすい。
企業の成績は向上するかもしれないが、自身はリストラされてしまう恐怖。
自分が外されるなら、若手社員に追い抜かれるくらいなら、今のぬるま湯の方が良い。
そういう者に扇動者は付け込んだ。
自分たちは取り残されるという疑心暗鬼を憑依させた。
一旦疑心暗鬼の虜となった者に説得は意味を成さない。
キルヒアイスは優しいように見えて、辛辣な部分もある。
キルヒアイスは独断である布告をする。
「解放した惑星は民衆の自治に委ねる。
現在は戦時中であるが、戦後希望する場合旧領主復帰も許可する」
「よろしいのですか?
旧領主復帰など、ローエングラム侯が許可する筈はありません」
「この戦場では私が全権委任されています。
宣言するだけなら何の問題もありません。
大丈夫です、宣言を破棄したり、民衆を騙したりせず、結局旧領主のほとんどは排除されますよ。
民衆の意思によって」
キルヒアイスは宣言で敵対的な民衆を安心させる形で、一度突き放した。
貴族復帰を許した以上、彼等が抵抗する必要は無くなったし、対立の原因となる占領軍あるいは守備隊を全て引き揚げる事が出来る。
続いてキルヒアイスは、好意的占領惑星や味方貴族領に対し、産業指導を行う。
遠征前に生産性の低い惑星の開発や農業指導をする、または特産品の流通をさせるプランはローエングラム侯派官僚によって立案させていた。
これを半強制的に実行させた。
ある程度生産性のある惑星は放置していて良かったのだが、敵の扇動戦に対して反撃する必要が生じた為、あえて実行する。
鉱工業については、短期間で生産性が劇的に向上する。
軽工業については、貴族の販路とは違う別系統の販路を紹介し、利益を上げる。
ノルマが決まっていて労働をさせられる場合、生産はそのノルマの辺りで収まる。
決してノルマを大きく上回る生産はされない。
ノルマを上げた場合、サボタージュが発生し、結局以前のノルマに戻ってしまう。
何故そうなるかと言うと、労働者は貴族に対する奉仕で働かされる為、最低限の使役費は支払われるものの、生産量を上げた事による利益は貴族のものとなり、労働者に還元されないからだ。
奴隷労働させられている体で、休みながら、無駄話をしながら、ダラダラとした作業が行われる。
故に帝国の領民は良民では無いのだ。
そして貴族が如何に優れた統治者となろうとも、貴族ゆえの限界も存在する。
貴族社会の枠内の流通や販路、納入先しか使う事が出来ないのだ。
貴族社会というのは、ある種のカルテルと言える。
ゴールデンバウム朝銀河帝国が建国され、実力者を貴族として封じ、辺境の開発を命じた時に、相互の利益の為に「貴族の領地で生産された物は、貴族が作った商社を介し、貴族が投資した流通会社で銀河の隅々に運ばれ、貴族領に売られてそこで活用される」システムが構築された。
当時の辺境という不便な場所で貴族が資金を投じて開発し、製品を生産しても、売る先が無いと破産するだけである。
貴族間で顧客関係を作り、共存共栄させる、その商談や接待の場としてパーティやサロンが有り、貴族社会のあらゆる事は社交界で決まるようになった。
これはゴールデンバウム朝初期から中期においては非常に役立ったが、建国以降480年を超える現在においては排他的な利益団体で、格式だけ高く大して便利でもコストパフォーマンスの良いものでも無くなっていた。
しかし貴族は、この貴族社会の企業を使う事しか出来ない。
他にもっと安いフェザーン系独立企業を使ったりすると、貴族社会から排除され、難癖をつけられて潰されかねないのだ。
潰されないとしても、自分の関連する企業が利益を得られなくなる。
貴族は貴族であるがゆえに、硬直した流通・販路の利用以外許されないのだ。
自由競争が可能になり、あらゆる販路、流通企業を使えるようになれば、利益率は上がる。
キルヒアイス、ひいてはラインハルトは、普通に産業活動をすれば、それだけで利益が上がると分かっていた。
そうさせない為の貴族社会は解体する。
独立系資本を許さない貴族の私兵や、貴族系企業の「警備会社」からの妨害は実力で排除する。
短期間でも目に見える利益を上げると、それを賞与として労働者に支給するようキルヒアイスは指導する。
折角の利益を、味方とはいえ貴族や現地代官の懐に入れてしまっては意味が無い。
労働者に十分な報酬と、有給休暇を与える事で、士気は上がり生産性も向上した。
それを有能な労働者ではなく、一般的な労働者で成し遂げさせる事に意味がある。
キルヒアイスは、利益を上げ、生産性を上げるのは労働者の質でなく、経営に関わる上層部の有能無能が影響すると示してみせたのだ。
「無能な労働者は切り捨てられる」に対する回答
「無能な経営者を取り換えれば、無能な労働者は無能では無くなり、収入と休暇は増える」
これを実績で示したのだった。
キルヒアイスは、敵対的な占領惑星に対し、これを強要しない。
民衆の自治に任せ、「我々のやり方を受け入れたいなら教えるが、そうでないなら好きにして良い」と突き放す。
何時でも「ローエングラム式」を教えるが、拒否するならこちらからは何もしない。
「時間が経つにつれ、彼等も分かるでしょう。
同じくらいの水準の惑星が、次第に豊かで自由になるのを見て、いつまで頑ななままでいられるか。
扇動というものは、実利の前に霧散するでしょう」
「それでも貴族の支配を望まれたらどうしますか?」
「それは彼等の自由です。
彼等が生きたいように生きれば良いのです。
口出しはしません」
幕僚たちは、キルヒアイスは民衆の意思を尊重しているように見せて、その実「滅びたいなら好きに滅びよ」と言っている事に気づいた。
意外に冷酷な面も有ると、今更気づいた。
(閣下は思った以上に恐ろしい)
そして、実力主義によって切り捨てられる可能性があるのは、統治者、経営者、運用者という上位の者である。
(ローエングラム体制が厳しい社会なのは確かだ。
実際そういう面があると、キルヒアイス閣下も言っていた。
だが厳しさの影響を受けるのは上の者で、上が有能なら下も栄える。
今まで特権によって守られてきた貴族たちには辛い世となるだろう)
キルヒアイスが目に見えない扇動家に対し、実績をもって反撃をする。
その戦いの先陣、指導し、計画し、実践する役割をキルヒアイスはモーリッツ・フォン・ハーゼにさせていた。
モーリッツ・フォン・ハーゼはゴールデンバウム朝で最も立場が弱い「遺伝病」を持つ。
この人事だけでも、「ローエングラム体制は弱者切り捨て」という宣伝を否定してみせた。
繰り返し言うが、ジークフリード・キルヒアイスとは単なる軍人ではない。
時に辛辣さも見せる、紛れもないローエングラム侯の無二の腹心であった。