悪ノ華 2021年版   作:ギュスターヴ

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第七話:祟られる幽鬼

 ジル・ギルティの予想通り、エレメント4の全滅及び煉獄砕破(アビスブレイク)の発動を阻止することに成功した。しかし、最大の難関が妖精の尻尾(フェアリーテイル)の前に立ちはだかった。

 幽鬼の支配者(ファントムロード)のマスター──ジョゼ・ポーラ。たった一人とはいえ、彼は〝聖十大魔道(せいてんだいまどう)〟の称号を与えられた実力者だ。

 エレメント4との戦いで疲弊していたとはいえ主力メンバーのグレイとエルフマンをたった一撃で撃破し、唯一のS級魔導士であるエルザを苦戦させていた。

 

「クク…よく暴れ回る(ドラゴン)だ」

 

 自らの(ギルド)の一部が崩壊する音を聞きながら、ジョゼは薄ら笑みを浮かべた。二人の滅竜魔導士(ドラゴンスレイヤー)──ナツとガジルの決着が着き、どうやら後者の方が敗北したようだ。

 しかし、ジョゼにとってはどうでもいい。ガジルが勝ったとしても負けたとしても、どの道自分一人の力で妖精の尻尾(フェアリーテイル)を完膚なきまでに叩き潰すのだから。

 

「ナツの戦闘力を計算できていなかったようだな…私と同等か、それ以上の力を持っているということを…」

 

 エルザが口を開く。息も絶え絶えで、身体中の生傷が痛ましい。だが、彼女の鋭い瞳に一切の弱気の色がない。

 

「謙遜はよしたまえ、妖精女王(ティターニア)

 

 対して、ジョゼは無傷。

 エルザ・スカーレットも妖精の尻尾(フェアリーテイル)最強候補と言われるほどの戦闘力を持ってはいるが、ジョゼ・ポーラにとってはまだまだ実力不足の赤子でしかなかった。

 

「君の魔力は素晴らしい。現に、この私との戦いでここまで持ちこたえた魔導士は初めてだ。そんな強大な魔導士がねぇ…」

 

 ジョゼが手をかざす。

 

「マカロフのギルドに他にもいたとあっては気に食わんのですよ!!」

 

 瞬間。魔力の閃光が迸った。

 エルザは痛む身体に鞭打って何とか躱すが、ジョゼが次々と魔力の波動を撃ち放つ。

 

幽鬼の支配者(ファントムロード)はずっと一番だった…!!」

 

 幽鬼の主の、怨嗟の声が木霊する。

 

「この国で一番の魔力と、一番の人材と、一番の金があった!! が、ここ数年で妖精の尻尾(フェアリーテイル)が急激に力をつけ、いつしかこの国を代表するギルドまで上り詰めた!! 気に入らんのだよ、元々クソみてぇな弱っちいギルドのくせに!!」

 

 ジョゼの妬みの声を無視し、エルザは魔導波を避けつつ剣の間合いまで距離を詰める。研ぎ澄まされた剣閃を何度か打ち込む。

 しかし、中年男性とは思えないほどの切れのある体捌きでジョゼは全て回避した。かすりもしない。

 

──くっ…これが〝聖十(せいてん)〟か…!!

 

 エルザは歯噛みする。

 言っていることもやっていることもただの子供の(ひが)みでしかないが、最高の称号を持つにふさわしい実力は認めざるをえない。

 何か一つ秀でてさえいれば、〝聖十大魔道(せいてんだいまどう)〟になれるわけではない。高い魔力だけでなく、肉弾戦に対応できる身体能力、幻術を見破れる眼力(がんりき)、冷静且つ的確な状況判断能力など──その全てが揃ってこそ、初めて得られる称号なのだ。

 魔力も、実力も、経験も何もかも遠く及ばない。若さを言い訳にしたくはないが、自分もまだ実力不足の若輩者だと思わずにはいられない。

 

──くそ…! ジルはいったい何をしているんだ…!?

 

 エルザは何故か、この場にいない人の形をした有害物質のことを思い出した。

 弱くて、姑息で、男のくせに髪が長くて、普通に性格悪くて、そのくせ彼女持ちで、顔以外ブスの喫煙者だが結果は出す男だ。

 仲間を平気で見捨てるような男を頼るなど非常に腑に落ちないのだが、彼ならばこの危機的状況をどうにかしてくれるのではないかと期待してしまっていた。

 しかし、彼は本当にどこで何をしているのだろうか?

 魔力切れを起こして、敵兵にリンチされているのか? それはそれで夢のような状況だが、あの詐欺師がそう簡単に脱落するとは思えない。彼の実力は未だ未知数な部分があり、まだ仲間たちに明かしていない能力もあるはずだ。

 彼のことだ。残り少ない魔力を、本命(ジョゼ)へ向けて全て使い切るはずだ。それも、手段を選ばずに。

 

 と、そこまで考えたエルザは酷く嫌な予感がした。

 そして、その予感が今、形となって現れた。

 彼女の瞳が、ジョゼの後ろへ向けられた。

 遠く離れたその場所に、いつの間にか一人の男が立っている。黒髪を腰まで伸ばした、喪服の麗人──ジル・ギルティ。黒き魔本を手に持っている彼は、すでに詠唱を完了させていた。

 

──あ の ク ズ …!!!!

 

 こちらに向けられる銀色の逆五芒星を見ながら、エルザ・スカーレットは大きく目を見開いた。

 

──私 ご と ヤ る 気 だ な…!!!!!?

 

 

「〝エルの書〟ページ99──『ベルフェリスの眼球』」

 

 ジル・ギルティの持つ〝エルの書〟は少々使い勝手が悪い。上級悪魔魔法を使用する際、威力と魔力消費を抑えるために詠唱しなければならず、その間無防備になる。そのため一対一の戦いには向かず、不意打ちをするか、仲間の一人に敵の足止めをしてもらわなければならない。

 しかし、〝エルの書〟はあくまでも本の形をした大量破壊兵器。

 殺さぬよう威力を微調整しているとはいえ、悪魔の書から放たれる魔法の破壊力は──妖精の尻尾(フェアリーテイル)、最強である。

 

 銀の逆五芒星から、禍々しい漆黒が閃いた。圧倒的な破壊をもたらす、高濃度魔力エネルギーが空気を焼き、床を抉り、そして人間を飲み込んだ。

 〝ジュピター〟と同威力の膨大なエネルギーは目標を捉えても(なお)迸り続け、何枚もの壁に大きな穴を開け、消滅させた。

 魔の閃光が消えたとき、破壊後の虚無だけが広がった。空洞化した壁の大穴を、生気の無い瞳で眺めながらジルは独り言を呟いた。

 

「──ふむ。やったかな?」

「法律がなかったら三回殺しているぞ…!!!」

 

 喪服の男の横に立っているのは、豹柄の軽装鎧に身を包んだエルザ・スカーレットだった。自身を高速化し、全力で避けていなければ半殺しされていたに違いない。

 鋭利な殺気を滲み出しながら、物騒な言葉を紡ぐエルザだが、それでもまだ我慢している方だった。〝ジュピター〟の砲撃から守ってくれた負い目がなければ、ジルの唯一の美点である美貌を痣だらけにしていたことだろう。

 しかし、怒りに震えるエルザとは対照的に、ジルは相変わらずの無表情で謝罪の言葉を口にする。

 

「エルザ、本当に申し訳無い。私が脆弱なばっかりに、こんな手を取る以外の選択肢がなかった。私としても、非常に断腸の思いだ。だが、わかってくれ。君ならば避けられると思ったのだ」

「本音を言え」

「悪いとは思っていないが、避けられると思ったのは本当だ」

「その髪を全部抜いて、カツラにしてくれる」

 

 と、その時であった。壁の大穴から、突如として溢れ出した濃密な殺意をジルが真っ先に感じ取った。

 彼は細身の膂力を目一杯使って、エルザを突き飛ばす。それと同時に、大穴の暗闇からどす黒い怒涛が殺到した。

 ジルの行動がなければ、エルザ・スカーレットの命はここに潰えたであろう。彼女は無傷で済んだが、ジルの身体が大きく吹き飛ばされた。直撃だ。

 受け身を取ることもままならず、黒髪の頭部が壁に激突した。頭蓋が割れ、溢れた鮮血が辺り一面を真っ赤に染め上げた。

 

「ジルッ!!!!」

 

 首があらぬ方向へねじ曲がって絶命した男を見て、エルザは絶叫をあげた。だが、彼女には他人を気にかける状況になかった。

 

「今のは…さすがに効いたぞ…!!」

 

 静かだが、奈落へ引きずり込まんばかりの憎悪がその言葉に込められていた。

 壁の大穴からゆらりと現れた人影は、まさしく幽鬼そのものであった。

 幽鬼の支配者(ファントムロード)のマスター──ジョゼ・ポーラ。豪奢な衣服が所々破れ、晒された肌が焼き(ただ)れている。

 威力を調整されていたとはいえ、多大な破壊をもたらす〝エルの書〟の魔法砲撃を受けてもなお、彼は立って歩いていた。

 砲撃を受ける直前、背後から高濃度の魔力を感知した彼は自身の魔法をぶつけて威力を幾分か相殺したのだ。腐っても〝聖十大魔道(せいてんだいまどう)〟だからこそ、できる神業だ。

 

「くっ…貴様…!!」

 

 エルザは瞬時に、漆黒の鎧に再換装した。ジョゼに肉薄し、剣閃を振るう。しかし、刃が届くよりも先に、闇の波動に吹き飛ばされた。

 床に転がり、痛みに悶える鎧女に向けてジョゼは追い打ちをかけようとする。しかし、一発の銃弾が腕をかすめて阻止された。

 ジョゼが視線を動かすと、先程命を奪ったばかりの喪服の青年──ジル・ギルティが拳銃を両手で構えて立っていた。頭から血を流してはいたが、折れ曲がったはずの頸椎が元通りになっていた。割れた頭蓋も完治している。

 不気味な生還を遂げた男を見て、ジョゼは興味深そうに頬を歪めた。

 

「それは──〝魔法〟かね? いやはや驚いた。自己回復できる魔導士はちょくちょく見かけるが、まさか死んでも生き返ってくる魔導士がいるとは思わなかった。だが、妙だ…」

 

 幽鬼の鋭い眼光が、ジルの頬の擦り傷に向けられた。

 

「折れた首は元に戻ったのに、軽傷は治る気配がない。どうやら怪我自体を治す能力ではないようだ」

 

──…さすが〝聖十(せいてん)〟。目敏いな。

 

 喪服の男は心の中で、肯定した。

 

 術者修復魔法──〝死ニ損ナイ(ザ・モータル・キャンセラー)〟は決して便利な能力ではない。怪我を治すというより、術者を生還させることに重きを置いている。

 脳を破壊されようが、心臓を潰されようが、〝エルの書〟が主観的(・・・)に且つ強制的(・・・)に即時完治させ、蘇生させる。その代わり、死に直結しない負傷はすぐには(・・・・)治さない。何とも性格の悪い能力だ。

 ジルにとっては、魔法というより〝呪い〟だ。しかも、彼自身の魔力が底をついても〝エルの書(・・・・)の魔力(・・・)で発動してしまうため尚更質が悪い。

 しかし、それは当然といった処置だろう。寄生虫にとって唯一不幸なのは、宿主が死んでしまうこと以外に無いのだから。

 

 ジルは引き金を引く。

 銃弾を以てジョゼの無力化を図るつもりなのだろうが、〝聖十大魔道(せいてんだいまどう)〟にとっては豆鉄砲と大差がない。

 ジョゼが腕を大きく振るい、闇の大波を打ち放つ。弾丸を薙ぎ払うと共に、喪服の長身を再度壁に叩きつけた。床に転がったまま気絶しているエルザを横目で確認しつつ、ジョゼは悠然とジルに歩み寄る。

 

「喪服と黒い魔導書──そうか。君が〝喪服の悪魔(メフィスト)〟ジル・ギルティか。お初にお目にかかる」

 

 喪服の青年を冷徹な目で見下ろしながら、ジョゼは口調だけ友好的に声をかける。

 

「君の噂は、かねがね聞いているよ。目的のためならば、どんな手段も厭わず、結果だけを合理的に追及する〝妖精の黒狐〟。S級魔導士ではないからと侮る者も多いが、とんでもない。まさか、〝ジュピター〟と同じ威力の魔法を使うとは思わなかった」

 

 幽鬼の主は冷笑を浮かべ、悪魔の囁きを口にする。

 

「私は前々から君に興味があったのだ。どうかね? 私のギルドへ来る気はないか? 君が仲間内から煙たがられていることも聞いている。君自身も、非常に肩身が狭い思いをしているはずだ。だが、私は君の人格と能力を評価している。幽鬼の支配者(ファントムロード)ならば、君の力を存分に、自由に発揮できる。悪い話ではないと思うがね」

「…お断り、致します」

 

 逆流してきた血反吐を吐き出してから、ジルは無感情に返答した。

 あっさりと断られたジョゼだが、表情に一切の悲嘆も怒りもない。ただ単純に、理由が聞きたくなった。

 

「…ふむ。何故かね?」

「私のような凡俗は…妖精の尻尾(フェアリーテイル)でしか能力を発揮できないからです…」

 

 ジル・ギルティは、周りが思っているほど自分のことを評価していない。

 彼はマカロフ・ドレアーのような器はなく、

 エルザ・スカーレットのような正義感もなく、

 ラクサス・ドレアーのような力もなく、

 グレイ・フルバスターのような豪胆さもなく、

 ルーシィ・ハートフィリアのような粘り強さもなく、

 ナツ・ドラグニルのような熱もなく、

 ミラジェーン・ストラウスのような優しさもない。

 何も無い。何も無いと自覚しているからこそ、どこまでも〝悪〟に身を堕とすことができ、そのことによって周囲から白い目で見られたとしても何も思わない。

 様々な問題を起こして、評議院から目の敵にされている妖精の尻尾(フェアリーテイル)だが、決して無闇に人を傷付け、貶めることはしない清廉潔白なギルドだ。それが長所であると同時に、短所でもある。

 結果のために何かを犠牲にする考えが一切ないため、道徳で狭まった行動しか取れず、効率が悪い。

 そのための必要悪(ジル・ギルティ)という装置(・・)だ。誰かに頼まれたわけではない。皆がやらないのであれば、自分がその役を担おうと自ら進んで悪道へ歩んだのだ。

 もし、幽鬼の支配者(ファントムロード)に身を置けば、ジョゼの言った通り幾分か融通が利いて自由に動けるだろう。評価もされるだろう。白眼視されることもないだろう。

 だが、悪は悪でも、低廉(チープ)な絶対悪に身を堕とす気はない。こだわるのは、あくまで必要悪。

 悪のギルドに、必要悪もへったくれもない。

 正しきギルドに身を置いてこそ、〝悪〟は醜く咲き狂うことができるのだ。

 

「…なるほど。そうかね」

 

 ジルの言葉を最後まで聞き終えたジョゼは穏やかに笑った。

 瞬間、ジルの左の親指が赤く飛散した。ジョゼが闇の波動を打ち放ったのだ。数センチ程度にまで極端に範囲を狭めてはいたが、爪を剥ぐのには十分(・・・・・・・・・)であった。

 

「…ッ…!!」

 

 ジルの無機質な美貌が僅かに歪むと、今度は人差指の爪を剥がされた。

 

「ならば、お前の持っている魔導書を渡せ。拷問の実験体になりたくなければな」

 

 笑顔から一変。ジョゼは冷徹な表情で威圧した。

 力を貸す気がないなら、魔導書を奪うまで。〝ジュピター〟と同じ威力を持つ魔法砲撃と、持ち主を不死身にさせる魔法だけでもかなりの価値がある。

 この魔導書を使えば、個人としてもギルドとしても更なる高みへ登り詰めることができるだろう。

 

「…ふっ…」

 

 しかし、返ってきたのは酷く渇き切った冷笑であった。

 

やめておけ(・・・・・)気が狂うぞ(・・・・・)

 

 それまで、ジョゼに対して敬語を使っていた青年ががらりと口調を変えた。

 

「〝エルの書〟は…666人の人間を生き贄にして作られた悪魔の書…。製作者は…マリウス・フォン・ベルンシュタイン…」

 

 ジョゼは片眉を上げた。

 マリウス・フォン・ベルンシュタインとは、黒魔導士ゼレフと並び称される大賢者の名前だ。ただその存在は謎に包まれており、様々な諸説が横行している。

 曰く、人類初の魔導士。

 曰く、不老不死の仙人。

 曰く、タイムトラベラー。

 曰く、魔法が使えない大法螺(おおぼら)吹きの一般人。

 400年前にも、700年前にも存在していたと噂する者もいれば、100年前に実際に姿を見たと言う者、千年前に別大陸にいたと語る者、マリウスは今でもどこかで生きているのではと憶測する者までいる。

 しかし、あくまでも噂であり、数百年という長い歴史の中で話に尾ひれをつける者や、マリウスの名を騙る者もいたため、マリウスという人間が本当に存在していたかどうかすらあやふやになってきている。

 ジョゼもマリウスに関して半信半疑で、一応名前だけは頭に留めている。だが、信じようと信じまいと、ジルにとってはどうでもよく、構わず話を続ける。

 

「四年前…〝エルの書(こいつ)〟を覚醒させるための燃料(エサ)として、私の故郷の人間は一人残らず死んだ…殺し合う形(・・・・・)で…」

 

 おぞましい記憶を辿りながら、喪服の青年はゆったりと語る。

 

正気を保ったまま(・・・・・・・・)、殺し合っていたよ…。わかるか…? 全員、首から上を自由にされたまま、身体だけを操られた…。恨みや理由がないまま人間を殺すことが、どれだけ恐ろしいか…。涙を流し、悲鳴をあげ、逃げてくれと叫びながら殺し合った…。夫が腹の子ごと妻を農具で突き殺し…友人同士で首を締め合い…母親が二階窓から赤ん坊を投げ捨てた…」

 

 ジルは咳き込み、もう一度血反吐を吐き出した。

 この程度の血の量など、彼らのものと比べれば全く釣り合いが取れない。

 

「地面に叩きつけられた赤ん坊が…じっと〝俺〟を見ていた…。血と脳みそをまき散らし、白目を剥かずに〝俺〟を見続けた…。〝俺〟を──呪い殺すように…」

「………」

「狂わぬ自信があるならば、くれてやる…。どうせ、人間を殺戮することしか能がない粗悪品だ…」

 

 瞬間、鮮血が飛び散ったのはジルの身体からではなかった。

 ジョゼの太腿に一振りの白刃が突き立てられた。ジルが最後の力を振り絞り、懐に隠し持っていたナイフでせめてもの報いを与えたのだ。

 

「貴様ッ…!!」

 

 ジョゼの怒号が響く。致命傷ではないが、一人の男を憤慨させるには十分な一撃であった。

 瞬時に魔力を練り上げ、ジルに向けて闇の波動を至近距離で打ち放った。異音と共に、麗人の口から血飛沫が飛散する。肋骨を何本か砕かれ、内臓も潰された。

 ジルは、意識が遠のいていく感覚を自覚した。後、数秒の命だろう。

 だが、消えゆく意識の中──ジルはジョゼの血液がたっぷりと付着したナイフを強く握り締めていた。

 そして、次の瞬間、奇妙な行動を取った。そのナイフを、何と今度は自分の首に突き立てたのだ!

 頸動脈を貫き、首筋が赤黒く噴きあがる。多量の血液を失い、不死の男がもう一度絶命した。

 それと同時に〝死ニ損ナイ(ザ・モータル・キャンセラー)〟が発動し、首筋の裂傷や内臓を即座に再生させ、失った血液を作りあげ、一度止まった心臓を再稼働させる。

 しかし、蘇生された青年は気絶したまま、動かなかった。不死といっても、復活してすぐに目を覚ますわけではないようだ。

 

──この小僧…いったい私に何をした(・・・・)…?

 

 ジョゼは奇妙に思った。

 ナイフを突き立てるなら致命傷を狙うべきだ。手元が狂ったわけではあるまい。

 毒でも塗っていたのか? なら、何故自分にも突き立てる? 特に身体に異常が見られないため、毒ではないだろう。では、何の狙いがあって?

 

──まぁいい。

 

 ジョゼは気にしないことにした。大方、追いつめられたが故の、苦し紛れの抵抗だろう。

 そう楽観し、喪服の青年から〝エルの書〟を奪おうとしたその時であった。

 

 

 

「いくつもの血が流れた…子供の血じゃ」

 

 

 

 突如響いた老人の声が、ジョゼの鼓膜を打った。

 驚愕と共に幽鬼の主は、確信をもって振り返る。聞き間違うはずがない、忌々しいこの声はあの男(・・・)のものだ。

 

「終わらせねばならん」

 

 小柄な身体から、巨大な圧を発しながらその男は立っていた。

 妖精の尻尾(フェアリーテイル)のマスターにして、〝聖十大魔道(せいてんだいまどう)の一人、マカロフ・ドレアー──枯渇(ドレイン)から完全復活を果たした。

 予想していた以上の回復の早さに、初めは驚いていたジョゼであったが、最も殺してやりたいと思っていた男が目の前に現れたことで歪んだ、歓喜の笑みを浮かべた。

 

「天変地異を望むというのか…!!」

 

 それは決して大仰な言葉ではなかった。〝聖十大魔道(せいてんだいまどう)〟同士が一度(ひとたび)刃を交えれば、それだけで辺り一帯が更地と化すだろう。

 しかし、マカロフはジョゼの言葉に応えず、倒れ伏すエルフマン、グレイ、エルザを見た後、最後にジルに目を向けた。

 妖精の尻尾(フェアリーテイル)へ迎え入れる前から、この男が不死身であることは知っている。だが、彼が最も重傷で、白黒(モノクロ)の礼服が淀んだ赤色に染め上げられていた。

 

「馬鹿者が…」

 

 老人は、奥歯で苦虫を何匹も噛み潰した。

 

「レビィたちに対する、せめてもの償い(・・)のつもりか…? お前らしく合理的に考えんか…」

 

 そう呟いた後、マカロフはようやく諸悪の根源(ジョゼ)に意識を向けた。

 もはや語ることは何も無し。

 

妖精の尻尾(フェアリーテイル)の審判のしきたりにより、貴様に三つ数えるまでの猶予を与える」

 

 刹那、

 

 

「跪け」

 

 

 巨人が、起った。

 審判者として、人として、親として──目の前の悪を断罪する。

 

「はっ、何を言い出すかと思えば、跪けだぁ!?」

 

 だが、迫りくる裁きに対して、幽鬼の主は微塵も恐怖を感じなかった。

 あるのは、妬みと恨みのみ。それ故、危機に対して盲目になっていた。

 

「一つ」

 

 カウントダウンが始まる。巨人の両手に、一つの光球が燦然と出現する。

 

「王国一のギルドが貴様に屈しろだと!!? 冗談じゃない!!! 私は貴様と互角に戦える!! いや、非情になれる分、私の方が強い!!!!」

 

 ジョゼも魔力を練り上げる。

 何の勝算も無しに、戦争を仕掛けるわけがない。もちろん、枯渇(ドレイン)以外にも巨人(マカロフ)への対策も考えている。

 愚かな老いぼれだ。魔法の制約かは知らないが、敵を目の前にして数字を数える余裕を見せるとは。

 しかも、〝巨人(ジャイアント)〟は一見恐ろしい魔法に見えるが、〝聖十大魔道(せいてんだいまどう)〟にして見れば、自身の的を大きくさせただけのダルマに過ぎん!

 

「二つ」

 

「跪くのは貴様らの方だッ!!! 塵となって、歴史上から消滅しろ!!!! 妖精の尻尾(フェアリーテイル)-----!!!!!」

 

 先に魔法を完成させたのは、ジョゼだった。

 目の前にいる肥大化した老人に向けて、自身の最強の魔法を繰り出そうとし──ことごとく霧散した。

 

「…は?」

 

 ジョゼは素っ頓狂な声をあげた。

 確かに魔力を練り上げ、魔法を完成させた。後は、そのまま発動するだけだった。しかし、どういうことだ? 何故、消滅した?

 もう一度魔力を練り上げる。しかし、形作ろうとすればするほど、魔力が分散する。いったい何が起こったというのだ!? マカロフの魔法か!?

 

「どうした?」

 

 巨人が口を開く。

 

「悪魔にでも祟られたか?」

 

 ジョゼは、気絶している喪服の男を見た。

 

──この小僧…!! やはり、私に何かしたな…!!?

 

「全く…病み上がりの老人だと思って余計なことをしおって。腹の立つ悪餓鬼だ」

 

 マカロフは言葉だけ悪態をつき、裁きへの最後の数字を数えた。

 

「三つ──それまで」

 

 カウントダウンを終えた巨人は祈るように合掌した。

 

「〝妖精の法律(フェアリーロウ)〟──発動」

 

 白い閃光が、幽鬼の主を包んだ。

 

 

 

 

「煙草を吸わせてくれ」

「ダメに決まってるでしょ」

 

 病室内で毒煙を欲する恋人に対して、ミラジェーン・ストラウスは無情且つ愛情を以て一蹴した。

 ジル・ギルティが目を覚ましたとき、すでに戦いは終結していた。

 マカロフの発動した絶対審判魔法──〝妖精の法律(フェアリーロウ)〟によって、ジョゼ・ポーラは為す術もなく敗北し、幽鬼の支配者(ファントムロード)は大敗を喫した。

 その数時間後に評議院傘下の強行検束部隊〝ルーンナイト〟が介入し、妖精の尻尾(フェアリーテイル)の面々は取り調べを受けた。

 もちろん、入院しているジルも病室で行われ、ありのままの事実を口にした。その時に、鉄竜(くろがね)のガジルに襲われているレビィたちの姿を録画した映像魔水晶(ラクリマ)を渡せれば良かったのだが、生憎マカロフに破壊されてしまった。

 どちらにせよ、妖精の尻尾(フェアリーテイル)が被害者であることに変わりはないのだが、禁則を破って抗争してしまったのだ。何のお咎め無しとまではいかないが、大した罰則は受けないだろう。

 

「お願いだから…もう無茶はしないで」

 

 ベッドに横たわるジルを見ながら、ミラジェーンは弱々しく呟いた。

 血だらけになって気絶している恋人の姿を見た瞬間、彼女は失神し、その後何日も泣き続けた。今でも泣き腫らした目元が赤くなっている。

 だが、そんなミラジェーンに向けて、ジルは自嘲するように淡々と返した。

 

「死にたくても、死ねない身体なんでな」

「そんなこと言わないで…!」

 

 ジルは心配するなという意味で言ったのだが、ミラジェーンは反射的に拒絶した。

 言われるまでもなく、自分の愛する男が死ぬことができないのは嫌と言うほど知っている(・・・・・・・・・・・)

 だが、不死だからといって、安心できるはずがないし、傷付く姿を見て何も思わないはずがない。この男は、他人以上に自分に優しくしようとしない。

 どうせ死ぬことができないからと、今回のように幾度も自分の命を危険に晒し、想像を絶するほどの苦痛をその身に味わってきた。

 魔導士を辞めるべきだと何度も勧めた。しかし、ジルは頑なに拒否した。必要悪として己の役目を全うしたいのか、それ以外の理由か。

 何度話し合っても平行線を辿るばかりで、結局何の解決にもならぬまま、今日(こんにち)まで至っている。

 

──もし…私が戦っていたら、ジルはこんなに傷付くことはなかったかしら…?

 

 ミラジェーンはふとそんなこと思ったが、すぐに否定した。

 ジルの言った通り──元・S級魔導士とはいえ、数年のブランクがある。仮に〝魔人〟になったとしても、〝聖十(ジョゼ)〟相手に手も足も出なかったであろう。いや、そもそも最悪の場合、かつての弟のときのように悪魔の力に飲み込まれて暴走してしまう可能性もあった。

 ジルはそれを全て見越して、〝魔人〟に戻ることを否定したのだ。それは合理的な判断であると同時に、彼なりの優しさなのかもしれない。

 

──私は…何て無力なの…。

 

 囮になることも、戦うこともできない。皆が戦い、傷付き、ギルドを破壊されたときも悲劇のヒロインの如く嘆いているばかりだったではないか。

 

──もし…今回と同じようなことが起きるようなら…私は…。

 

 今度こそ〝魔人〟に戻らなくてはいけない──そう思うが、その一歩がどうしても踏み出せない。

 かつては、自身の力に誇りを持っていた。力を振るうことに喜びを感じていた。

 他者から怖れられた悪魔の力でも、誰かの役に立てられることを知った。〝魔人〟に変貌した、醜くおぞましい姿を見ても、ジルは全く怖れず、それどころか〝綺麗だ〟と言ってくれた。

 故に、悪魔を宿す自分のことを少し好きになれた。

 だが、(リサーナ)が亡くなった途端、自分の力が酷く恐ろしくなってしまった。自分の中の悪魔が仲間を、家族を、そして愛する人を殺めてしまうのではないかという恐怖が今でも心にへばりついて離れない。

 戦いたくない。だが、戦わなければ愛する人すら守れない。──その二律背反の中でのたうち回り、ミラジェーン・ストラウスは未だに〝魔人ミラジェーン〟に戻ることを躊躇った。

 

「…とにかく早く身体を治してね」

 

 だが、今回のことで〝きっかけ〟になったことを彼女は気付いていなかった。

 そして、数か月後に起こる〝ラクサス・ドレアーの反逆〟によって、自分がようやく〝魔人〟に戻る腹を決めるなどと、このときは予想だにしていなかった。

 ミラジェーンは身を乗り出す。銀色の髪を耳にかけ、絶世の美貌に顔を近付ける。鼻と鼻が触れ合う。傷だらけの身体を抱きしめたい欲望を抑えながら、男の唇に自分の唇を近付け、

 

「いよーっ、ジル! 身体の具合はどうだ!?」

「ちょっとジェット! 声が大きいって!」

「いや、レビィもデカいって」

 

 突然病室のドアが開き、入ってきたのはジェット、レビィ、ドロイ──チーム〝シャドウギア〟の三人組だった。

 

「さ、さ~て! 私はそろそろ行こっかな! じゃあね、ジル!」

 

 反射的に赤くなった顔を上げたミラジェーンは恋人と口付けできなかったことに不満を覚えつつ、そそくさと部屋から出て行った。

 颯爽と去っていく看板娘の背中を見ながら、レビィは苦笑いした。

 

「あちゃ~…絶対お邪魔だったよね」

「え、何が?」

 

 ミラジェーンの気持ちを全く察することができなかったジェットとドロイは首を傾げる。

 普通に考えれば嫌でもわかるものを。だからモテないんだと、レビィは呆れてしまう。

 

「…ところで、君たちはどうしてここへ?」

 

 ジルは笑顔の仮面を被りながら疑問を口にする。彼は〝シャドウギア〟の面々とはそこまで仲が良いというわけではない。仕事のことで一言、二言口を利いた記憶が微かにあるが、何となく嫌われていると察したため特に関わろうとはしなかった。

 

「いや…その、よ。俺ら、お前のことを誤解してたなって思ってさ」

 

 ジェットが気まずそうに頬をかきながら、それでいてジルに向けてしっかりと言葉を紡ぐ。

 

「あの後、色々話を聞いて今回の幽鬼の支配者(ファントム)との戦いで一番の功労者はジルだって、マスターが言ってたんだよ。エルフマンも、全身接収(テイクオーバー)ができたのはジルのおかげだって言ってたし」

「エルザは、まぁ…色々ぶつくさ言ってたけど、ジルに何回も助けられたって話も聞いたしな。…正直驚いたんだよ。俺ら…いや、俺はジルのことを、妖精の尻尾(ギルド)や仲間のことを何とも思ってねぇ冷てぇ奴だって思ってたんだけど、誰よりも身体張ってて、仲間のために行動してくれた」

 

──違う。

 

 虚構の笑顔の裏で、ジェットとドロイの言葉をジルは冷徹に否定した。

 

「ジルってさ。多分、表面上で誤解されやすいタイプでしょ?」

 

 今度はレビィが、今までジルに見せたことのない笑顔で口を開く。

 

「私も、ジルのことを何を考えているかわかんない人だと思ってたんだけど、自分の想いを内に秘めているだけで本当は皆と同じように仲間(ギルド)を大切に思ってくれてるんだよね」

 

──違う。

 

 心の中で、ジルはもう一度否定した。

 マカロフたちから何も聞かされていないのか? レビィたちが鉄竜(くろがね)のガジルに襲われているとき、自分は黙って眺めていた。状況証拠を撮影するために、怪我を負ったレビィたちの姿を見せてギルドの戦意高揚を促すために。

 都合の良い部分だけを切り取っているだけに過ぎん。他人のことなど、どうでもいい。あくまで妖精の尻尾(フェアリーテイル)の必要悪の装置として、自身の役目を全うしただけだ。

 

「まぁ…俺の場合は、みっともねぇ男の嫉妬だよ。お前顔が良いし、エルザたちに信頼されてて、おまけにミラちゃんと付き合ってるんだったら、どうしても気に入らなくなるんだよ。多分そう思ってる奴、他にも何人かいると思うぜ?…だから今まで悪かったなって思ってよ」

 

 そう言って、ジェットは骨折した右腕を吊り下げたまま頭を下げた。

 自身のありのままの気持ちを吐露し、謝罪する姿を見せつけられ、(ジル)は笑顔のまま歯ぎしりしたくなった。

 

「もう、ジェット! そんなに畏まると、ジルも困るでしょ? これからもよろしくねで良いじゃん」

「いいや、レビィ! これは男のケジメだ!」

「ジェットが頭下げんなら、俺だってする! ジル、本当にごめん!」

「ドロイまで!…ごめんね、ジル。迷惑だよね? ほら、二人共もう行くよ! ジル大怪我してるんだから、休ませてあげないと!」

 

 あまり長居すると迷惑だと思い、レビィはジェットとドロイを引きずりながら部屋を出て行った。まだ何か言い足りないのか、廊下から二人の男の声が響くが、それも長くは続かなかった。

 

「………」

 

 病室に一人残されたジルは無言で虚空を見つめた。

 見捨てた三人の仲間に恨まれるどころか、勝手に勘違いされて仲間として認めてくれたことにどう思ったのか、それは誰にもわからない。

 ジルは病衣の左袖をまくった。白い肌をしていたが、そこには多数の切り傷と火傷の痕が刻まれていた。

 普段は喪服の袖で隠されている、その左腕にジルは無表情に爪を立てた。

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