第八話:反逆の兆し
何故、そこまで驚異的な早さで完治させたかというと彼が所有する〝エルの書〟の魔法──〝
この魔法は基本的に死に直結する怪我のみ、〝エルの書〟が瞬時に完治させ、術者を蘇生させることに重きを置いている。逆に、死に直結しない怪我は
何故すぐに治さないかというと、デメリットでも制限でも何でもない。〝エルの書〟自身の
この魔導書は言葉を発しないが、一応意思というものが存在する。喋らなくとも、持ち主のジルはある程度性格を理解している。
〝エルの書〟は持ち主が怪我を負い、痛みに悶える姿を見て楽しんでいる。故に、あえて死なない程度に回復を留めているのだ。
だが、持ち主がずっと病院暮らししたままだと、それはそれで都合が悪いらしい。十日ほど経ってから、まるで飽きたかのようにジルの怪我を全快させた。
〝エルの書〟は、いったい何の目的があって存在しているのだろうか? 寄生する宿主を気まぐれにいたぶりたいだけなのか。力を振るってもらいたいのか。それ以外の
考えたところで答えが出るはずもなく、何よりも興味がないため、ジル・ギルティは何の感慨もなく今日を迎えるのであった。
◇
「みんなーっ! 今日から仕事の受注を再開するわよーっ!」
仮説の受付カウンターにて、
そんな彼女の声に呼応するように
そんな中、ジル・ギルティはというと──
「ふぅー…」
カウンター席に腰掛けながら、深呼吸するように紫煙を吐き出した。指の間に、細長い嗜好品が挟まれている。
「…ジルさん。そんなに煙草おいしいんですか?」
「ああ、これ以上に無いくらいに」
隣に座っているルーシィが露骨に嫌な顔をしているが、喪服の喫煙者は全く気にすることなく有害物質を肺に取り込んでいく。
何せ、十日ぶりの煙草だ。不味いわけがない。
「あのままやめちゃえば良かったのにねー」
ミラジェーンが笑顔でブラックコーヒーを出す。ジル好みに淹れたコーヒーから香ばしい香りが漂う。
生憎煙草をやめる気は一切ない──何てことを口にすれば、また小言を言われてしまうため、ジルは無視してコーヒーを啜った。
「煙草なんて百害あって一利なしですよ?」
この間まで掟を破った新人が生意気にも、わかり切ったことを口にする。煙草は身体に悪いなど都市伝説だと言いたいところだが、正直何も言い返せない。しかも多勢に無勢。
故に、自分の世界に逃げ込むことにする。眼精疲労を軽減する魔法アイテムの丸眼鏡をかけ、今朝届いた新聞を広げた。
煙草、コーヒー、活字──この三つが揃うだけで、ささやかな幸せを感じるのだ。本来であれば、ダークな曲調のクラシック音楽があれば尚良いが、贅沢は言わない。
文字を追いながら再びカップに口をつけ、程良い酸味を──
「もう一度言ってみろッ!!!!!」
女の怒号と共に、背中に強い衝撃が走った。眼鏡が吹き飛び、口内に含んだコーヒーを新聞にぶち撒けた。
「大丈夫、ジル!? どうせだったら、私にかけても良かったのに!」
ミラジェーンの訳のわからない天然発言を無視し、ジルは後ろを振り返った。
声だけでわかったが、犯人は緋髪の鎧女──エルザ・スカーレットであった。どうやら誰かと口論していたようだ。近くにあったテーブルを八つ当たりするように投げ飛ばし、
無意識だとしたら、もはや才能としか言いようがない。わざとの可能性も大きいが、自分の不幸体質が原因でもあるとジルは半ば悲観気味に結論付けた。
それはそうと、エルザは誰と口論しているのか。彼女の睨む先には、大柄な男が人を食ったような笑みを浮かべていた。
男の名はラクサス・ドレアー。マカロフの孫にして、
「この際だ、はっきり言ってやるよ。弱ぇ奴はこのギルドに必要ねぇ」
その言葉を皮切りに
あまりにも辛辣な言動にミラジェーンは居ても立ってもいられなくなった。
「もう全部終わったのよ、ラクサス! 誰かのせいとか、そういう話だって初めからないの! 戦闘に参加しなかったラクサスにもお咎め無し──マスターはそう言ってるのよ!」
だが、ラクサスの態度に変化はない。他者からの言葉一つであっさり揺れ動くほど利口ではない。
「そりゃそうだろ、俺には関係ねぇことだ。ま、俺がいたらこんな無様な目には遭わなかったがな」
瞬間、エルザ・スカーレットの堪忍袋の緒が切れた。
自分が最も嫌っている男でさえ、やり方は気に入らないが、少なくともギルドのために誰よりも尽力した。
血まみれの喪服を思い出しながら、エルザは魔法剣の柄を握った。
「ラクサス、てめぇッ!! 俺と勝負しろォッ!!!」
だが、彼女が動くよりも早く、ラクサスに殴りかかる者がいた。火の
彼は無謀にも
だが、ラクサスの身体が突然雷光と化し、少年の鉄拳を難なく回避した。ナツが「あれ?」と素っ頓狂な声をあげたときには、離れた場所に瞬間移動したラクサスが高らかに笑っていた。
「ははははっ!! 俺を捉えられねぇ奴が何の勝負になる!?」
さらに彼はギルドのメンバー全員に聞こえるように
「俺がギルドを継いだら、弱ぇもんは全て削除する!! 歯向かう奴も全てだ!! 最強のギルドを作る!! 誰にもナメられねぇ史上最強のギルドになッ!!!」
まるで予言するかのように、自信相応の実力者は高笑いしながら立ち去っていった。
ラクサスの傍若無人な言動に、残された
ある者は怒り、ある者は悲しみ、またある者は自身の無力さに嘆いた。
だが、ただ一人だけ──何とも思っていない人間がいた。言わずもがな、ジル・ギルティその人である。
彼だけは煙草を吸いつつ、コーヒーで汚れた新聞を無表情に眺めていた。普通であれば、他のメンバーのように陰で批判したり、言葉にしなくとも何か思うことがあるはずだ。
しかし、ジルはその
ジル・ギルティは〝人間〟という生物に対して、一切合切まともな倫理観を期待していない。
故に、ラクサスの言動に何の感想もない。むしろ、人間として正常だと思っている。それどころか理不尽にギルドを破壊し、仲間を傷付け、戦争を仕掛けてきた
では、何のために戦ったと言われれば、
ジル・ギルティは何も思わない。
何も思わないし、誰かを批判する気も全くない。
誰かのことを批判できるほど19年という人生の中で清く、正しく、完璧な人生を歩んでいるつもりはないからだ。〝人間〟である以上、皆すべからく、そうであろう。
だが、この極端な考えを他人に押しつけるつもりはない。誰にも理解されないと知っているからだ。
──ラクサス…
ジルは紫煙をくゆらせながら思案に耽った。
ラクサスはギルドを継いだらとは言ったが、彼の祖父であるマカロフはそう簡単にマスターの座は譲らないだろう。少なくとも仲間を切り捨てると豪語する人間には。
個人的には誰がマスターになろうと興味はないが、もしマスターになったラクサスが先程の言葉を有言実行するならば、それは
メンバーの構成を戦闘力のみ重視すれば、語学に堪能なレビィや
戦闘に乏しくとも、彼らの特殊な能力が時として単純な武力よりも遥かに
彼の言っていることは、ただの独裁体制だ。当然反発は起きるし、メンバーの数は激減する。それに伴い
最悪の場合、闇ギルドに堕ちざるを得ない状況にもなりかねない。
──ラクサスと雷神衆の監視、強化するべきだな。
ラクサスは
であれば、反逆が起こる──それだけの実力と自信を彼は持っている。いつかはわからないが、恐らくそう遠くない未来に。
──…いや。向こうが行動を起こすのを待つ必要もあるまい。
狐尾を生やした亜妖精は絶対零度の脳を働かせた。