悪ノ華 2021年版   作:ギュスターヴ

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幽鬼の支配者編
第四話:必要悪


「やはり鍵付きの部屋に移動させるべきではないか? 確か二階に空き部屋があったはずだ。鍵はミラやマスターに管理してもらおう。あと窓を完全に塞ぎ、屋根裏にトラップを何重も仕掛けよう」

「それだけじゃまだ厳重とは言えん。部屋を開けてもらうために、S級魔導士の誰かになりすます可能性もあるから対変身魔法用の結界も張る」

「決まりを作られて、ラクサスとミストガンが嫌がりそうだな」

「仕方ないさ。掟を守らせたくば、まずは破らせないよう徹底するべきだ」

 

 場所はマグノリアの街道。喪服の男と鎧の女が後ろで何やらぶつぶつと話し合っているのを一瞥し、ナツ・ドラグニルは疑問を口にした。

 

「なーなー、あの二人何話し合ってんだ?」

「対策だよ」

 

 グレイ・フルバスターが苦笑いしながら肩を竦めた。

 

「今回のことが二度と起こらないよう、二階の依頼板(クエストボード)を厳重に管理するんだとさ」

「うっへぇ…鬼と悪魔(あいつら)がタッグ組むとろくなことになんねぇぞ…」

 

 器物破損常習犯が露骨に嫌な顔をする。

 片や生真面目な剣鬼、片や冷血な悪魔。この二人はたまに揉めることがあるが、波長が合ったら合ったで厄介(・・)なのだ。二人の共通点はとにかく徹底すること(・・・・・・・・・・)──二階の依頼板(クエストボード)の周りにありとあらゆる罠を仕掛けるに違いない。

 

「まずは自分のことを考えたらどうだ、ナツ。ギルドに帰ったらお前たちの処分を決定する」

 

 地獄耳のエルザはナツたちに厳しい目付きで見据える。

 

「私もジルも今回の件について概ね海容してもいいと思っている。しかし、判断を下すのはマスターだ。私たちは弁護するつもりはない。それなりの罰は覚悟しておけ」

 

 すると、何を思い出したのかナツとグレイとハッピーが絶望に慄いた。

 

「いやだぁー!! アレ(・・)だけは嫌だぁあぁあああぁああああッ!!!」

アレ(・・)だけは二度とやりたくねぇええぇえええぇええッ!!!」

アレ(・・)は嫌だよぉおぉおおおおぉおおお!!!」

アレ(・・)って何ッ!!?」

 

 新人のルーシィだけはアレ(・・)というものがわからなかった。だが、ナツたちがここまで嫌がっているということは相当厳しい罰なのだろう。わからないから逆に怖い。

 すると、ジル・ギルティが笑顔を浮かべながら口を開いた。

 

アレ(・・)がそんなに嫌なのかね? 私は何とも思わないが」

「はい、もうわかりました!! 解体ですね!? 人間の解体ですね!?」

「…ルーシィ。何故、そこで人間の解体が出てくる?」

「だってそうじゃないですか!!」

 

 恐怖と絶望に囚われたルーシィは涙を流しながらやけくそに言い放つ。

 

「皆がNGで、ジルさんだけOKってことは人間の解体か、ゴキブリの踊り食いしかないじゃないですか!!」

「まぁ、当たらずも遠からずだな」

「エルザ。全く近くないぞ」

 

 そんなやり取りをしながらジルたちは再び歩き出す。ギルドまでもう少しだ。

 だが、足を進めていく内に街の雰囲気がどこかおかしいことに気付いた。街の住人たちがざわついている。何か事件でもあったのだろうか?

 そして、その答えがすぐに、はっきりと、ジルたちの目に飛び込んできた。

 ギルドが、破壊されていた。

 何本もの巨大な鉄柱が建物を貫き、見るも無残な姿に変えられていた。

 

「お、俺たちのギルドが…!!!」

 

 ナツたちは怒りと、困惑と、悲しみが入り混じった顔で半壊した我が家(ギルド)を見た。

 ただ一人──ジル・ギルティだけは一切表情が動いていなかったが、考えていることは同じだった。いったい何があったというのだ? 誰がこんなことを? 何の目的で?

 

「──ファントムよ」

 

 ジルたちが振り返ると、妖精の尻尾(フェアリーテイル)の看板娘──ミラジェーン・ストラウスが悲し気な顔で俯いていた。

 

「悔しいけど、やられちゃったの…」

 

 

 妖精の尻尾(フェアリーテイル)には普段倉庫となっている、地下一階が存在する。ギルドは壊されてしまったが、地下だけは無事だった。

 ジルたちが下に下りると、ギルドのメンバーが多く集まっており、皆口々に幽鬼の支配者(ファントムロード)に対して怒りの声をあげていた。

 幽鬼の支配者(ファントムロード)とは妖精の尻尾(フェアリーテイル)と対立していることで有名な魔導士ギルドだ。昔からちょっとした小競り合いがあったが、直接的な攻撃は今回が初めてだ。宣戦布告と捉えても良いだろう。

 だが、

 

「よっ、おかえり!」

 

 ナツたちの顔を見るなり、妖精の尻尾(フェアリーテイル)のマスター──マカロフが呑気に酒を呷っていた。

 

「じっちゃん! 酒なんか飲んでる場合じゃねーだろ!!」

「そんなことより、お前たち! 勝手にS級クエストなんかに行きおってからにー!」

 

 マスターの言葉に、ナツたちは困惑の表情を浮かべた。

 S級クエストを無断で行ったことも問題だが、何よりも大きな問題はギルドを破壊されたことだ。そんなこと(・・・・・)よりとは、どういうことだ?

 だが、マカロフは構わずに『罰』を決行する。腕を伸ばし、ナツとグレイとハッピーの脳天に軽くチョップした後、最後にルーシィの尻をスパンキングした。

 

「マスター! 今がどんな事態かわかってるんですか!!」

「ギルドが壊されたんだぞ!!」

 

 エルザとナツが声を張り上げて抗議するが、マカロフは全く聞く耳を持たない。

 

「ファントムだぁ? あんなバカタレ共にはこれが限界じゃ。誰もいねぇギルド狙って何が嬉しいのやら」

 

 襲われたのは誰もいない夜中だったとのことだ。なので幸いにも負傷者は一人もいなかった。

 

「不意打ちしかできんような奴らにめくじらを立てることはねぇ、この話は終わりじゃ。上が直るまで仕事の受注はここでやるぞい」

「仕事なんかしてる場合じゃねぇよ!! 俺はあいつらを潰さなきゃ気がすまねぇ!!」

「ワシはおしっこしないと気がすまない!!」

 

 怒気を漲らせるナツだが、最後までマカロフは飄々とした様子で幽鬼の支配者(ファントムロード)のことは無視することに徹した。

 トイレに駆け込む老人の背中を見ながら、ナツたちは納得のいかない表情を浮かべた。

 

「ナツ…悔しいのはマスターも一緒なのよ」

 

 ミラジェーンが沈んだ表情のまま、静かに口を開く。もちろん、彼女も今回の幽鬼の支配者(ファントムロード)の仕打ちには思うところがある。

 だが、ギルド間の武力抗争は評議会で禁止されている。そして、何よりも妖精の尻尾(フェアリーテイル)幽鬼の支配者(ファントムロード)一度(ひとたび)全面衝突すれば、潰し合いは必至──魔法界全体の秩序が大きく揺らぐことになるだろう。

 幽鬼の支配者(ファントムロード)には大陸で最も優れた十人の魔導士──『聖十大魔道(せいてんだいまどう)』の称号を持つマスター・ジョゼ、さらにエレメント4、鉄の滅竜魔導士(ドラゴンスレイヤー)鉄竜(くろがね)のガジルという多くの強者が揃っている。しかも、幽鬼の支配者(ファントムロード)に所属しているメンバーの全体の数は妖精の尻尾(フェアリーテイル)をも凌ぐ。

 もちろん、妖精の尻尾(フェアリーテイル)も人材は豊富だが、戦力が均衡しているためたとえ勝てたとしても自分たちの被害が決して小さく無いことは明白だ。

 

「…あれ、ジルは?」

 

 ふとミラジェーンは自分の恋人がこの場にいないことに気付いた。

 

「む? さっきまでここにいたはずだが…」

 

 エルザたちは周りを見渡した。だが、喪服を着た美しい男の姿がどこにも見当たらなかった。

 

 

「だからそんなに心配しなくって良いって、姉ちゃん…」

 

 大柄な体格が特徴的な青年がげんなりとした表情を浮かべた。

 男の名はエルフマン・ストラウス──ミラジェーンの弟だ。彼は今、姉と姉の恋人が同棲するアパートの一室に来ていた。いや、姉に無理やり連れ込まれたのだ。

 

「ダメよ、エルフマン。ファントムに今度は寝込みを襲われるかもしれないでしょ?」

 

 ミラジェーンはそう言いながら四人分(・・・)の夕食をテーブルに並べた。

 

「だ~からって、何で私らがあんたらの愛の巣に寝泊まりしなきゃなんないのさ」

 

 つまらなそうな顔で酒を一気飲みしたのはカナ・アルベローナだった。妖精の尻尾(フェアリーテイル)一の酒豪で、マジックカードの使い手だ。

 彼女もエルフマンと同じ理由でこの場にいるのだが、一時的とはいえ男と同棲している女の家に泊るのは正直気が引ける。何より彼氏募集中の身として全く面白くない。

 嫉妬を肴に酒を飲み続ける女の姿を見て、ミラジェーンは苦笑いするしかなかった。

 

「もう~、そんなにむくれないでよカナ。ベッドとか好きに使っていいから」

「さっきから嫌味!? あんたたちが死ぬほど使い(・・)まくったベッドで寝れるかい!!」

「なんだそれ、漢か!!?」

「何もわかんないなら黙りな、童貞!! 詳しくはジルに聞きな!」

「へ、変なこと教えないで!」

 

 その時、インターフォンの音が鳴り響いた。

 

「ほら、旦那が帰ってきたよ」

「まだ結婚してないから」

 

 ミラジェーンは苦笑いしつつ律儀にツッコんでから、すぐに玄関に向かう。

 まだ(・・)という言葉に騒ぎ立てるカナの声を背に、鍵を外し、ドアを開けると煙草の香りと共に喪服の美青年が顔を出した。

 

「すまない、少し遅くなった」

「もう…どこ行ってたの? 心配したんだから」

 

 ミラジェーンは困った表情を浮かべながらジルの着ているジャケットを脱がし、シワがつかないように丁寧に畳む。

 ジルたちがリビングに入ると、すっかり酔っ払ったカナがジト目で睨みつけてきた。

 

「出たな、顔面18禁」

「随分とご挨拶だね、カナ」

 

 いったい顔のどこが18禁なのかはよくわからなかったが、とりあえず皮肉を言われたことだけはわかった。エルザの皮肉に比べれば可愛いものだと思いつつ、ジルはテーブルにつく。

 

「エルフマンも来ていたのか。ゆっくりしていってくれ」

 

 ミラジェーンの弟ということもあり、ジルはエルフマンと比較的に仲が良い。何度か一緒に仕事をしたことがあり、彼の能力や人柄について熟知している──妙に天然な所も。

 

「ジル! ベッドを使った漢っていうものを教えてくれ!!」

「──は…?」

「エ、エルフマン! もうそれ忘れて!!」

 

 いきなりBL展開へ持っていこうとするエルフマンの言葉にジルは無表情のまま呆気に取られ、ミラジェーンは顔を真っ赤にした。

 もちろん、エルフマンにそんなつもりは全くない。ただ漢らしい男になりたいだけなのだ。

 

「とぼけないでくれ、ジル! ベッドで俺を漢にしてくれよ、なぁ!! その方がお互い気持ち良いだろ!?」

「誤解される言い方やめなさいエルフマン! お隣さんに聞かれたらどうするの!?」

「いや、隣空き部屋なはずだが?」

「そうじゃなくって!」

 

 そして、そんな彼らのやり取りを見ながら、カナが腹を抱えて笑っていた。

 

 

「か~~~…もう飲めないよ…」

「ぐぉおおおぉおお~…もうこれ以上漢になれないぜ…」

 

 床に寝転びながらいびきをかいて眠っているカナとエルフマンを見て、ミラジェーンは皿を洗いながらくすりと笑った。

 

「たまにはこういうお泊り会も良いよね」

「ああ、そうだな」

 

 共同作業で洗い物をしているジルの表情は相変わらず無表情だったが、ミラジェーンの言葉に同意しているのは嘘ではない。彼なりに楽しんでいた。

 

「…そういえば、昼間からずっといなくなってたけどどっか行ってたの?」

 

 ふと、ミラジェーンはずっと気になっていたことを尋ねた。

 妖精の尻尾(フェアリーテイル)の地下一階から突然いなくなってから彼はいったい何をしていたんだろうか。彼のことだ。不必要なことはしないはずだ。

 

「ああ、幽鬼の支配者(ファントム)への対策の準備をしていた」

 

 と、長い黒髪の下で青年は唇の端を吊り上げた。

 

「────」

 

 その瞬間、ミラジェーンは酷く嫌な予感がした。

 彼が、微笑んだのだ。作り物の笑顔で。

 ミラジェーン・ストラウスは、ジル・ギルティの虚構の笑顔が嫌いだった。

 ‟幽鬼の支配者(ファントムロード)への対策の準備”──それは決して嘘ではない。だが、何かを隠している(・・・・・・・・)。彼の嘘笑いにはそれが込められている。彼と深い関係の仲である彼女にだけはそれがわかる。

 だが、追及するのが怖かった。

 故に、何も言わなかった。

 そして、彼女の嫌な予感が形となって現れたのは、翌日の早朝になってからだった。

 

 

 マグノリアの街の南口公園──普段住民たちが利用しているその穏やかな場所で一つの事件が起こった。

 南口公園には一本の巨大な樹木がそびえ立っている。その巨木の前で近所に住む住民たちや妖精の尻尾(フェアリーテイル)の一員が集まり、皆一様に恐怖と困惑の表情を浮かべていた。

 公園の象徴たる巨木に磔にされている三つの人影があった。妖精の尻尾(フェアリーテイル)のメンバー──レビィ、ジェット、ドロイ。チーム『シャドウギア』の三人だ。

 三人共、気絶しており命に別状はない様子だったが全身にすり傷や痣などがあり、袋叩きにされたかのように容赦なく痛めつけられていたことは明白だった。

 いったい誰にやられたのかはわかっている──レビィの腹に刻まれた紋章を見なくとも。

 

「ファントム…!!!」

 

 幽鬼の支配者(ファントムロード)の紋章を睨みながら、ナツ・ドラグニルは歯を剥き出した。全身の血が沸騰するのを、自分でもはっきりと自覚できた。昨日から発散できていない不満という爆薬が今にも豪炎となって大きく破裂しそうになっている。

 その時、後ろから静かな足音がゆっくりと近付てきた。大きな杖をついた、小柄な老人──妖精の尻尾(フェアリーテイル)のマスター・マカロフだ。

 

「ボロ酒場までは我慢できたんじゃがな…」

 

 だが、着ている服装がいつものラフな格好ではない。背中に『聖十大魔道(せいてんだいまどう)』の紋章が刺繍された白いコートだった。彼がこれを着ているということは、あること(・・・・)を決意した現れであった。

 

「ガキの血を見て、黙ってる親はいねぇんだよ…!!!」

 

 バキリッ…!! と、彼の手にあった杖が握力だけで粉砕された。

 

「戦争じゃ…!!!」

 

 いつも飄々としている陽気な老人の姿などどこにもいなかった。

 小柄で、巨大な修羅──『聖十大魔道』マカロフ・ドレアーの真の姿がそこにあった。

 

 

「──ジル。ちょっと来い」

 

 南口公園にはジル・ギルティの姿もあった。巨木から下ろされるレビィたちを一瞥しながらマカロフは彼を呼び出し、少し離れた所へ移動した。

 

「…ここに来る途中、逆五芒星の魔法陣をいくつか見つけた。あれはお前じゃろ?」

「ええ。逆五芒星(ブラック・ペンタグラム)を扱うのは私しかおりませんからね。人体感知タイプの魔法陣を街中に仕掛けました」

 

 マカロフの小さな背中から漲る怒気──幽鬼の支配者(ファントムロード)以外(・・)の人間に向けられていることをジル・ギルティは全く意に介さず、いつも通りに受け答えした。

 細長い煙草をくわえ、マッチを擦る。

 燈った火を煙草の先に近づけようとしたその時であった。

 

「──お前…黙って見てやがったな(・・・・・・・・・・)…?」

 

 火が、消えた。

 風が吹いたわけでもないのに、何か(・・)のせいでかき消された。

 

「レビィたちがやられているときも、ここに磔にされるときも…お前は黙って見ていた。そうじゃろ?」

「ええ。死なれると困りますから(・・・・・・・・・・・)

 

 ジルは即座に肯定した。マカロフに怒りを向けられているにも関わらず、この男は全く気にしている様子がない。

 もう一度マッチを擦り、煙草に火をつけた。

 死なれると困る──それは思いやりから出た言葉ではない。『シャドウギア』の面々はナツたちと比べれば特に戦闘力が高いわけではないが、彼女たち一人一人の能力に目を見張るものがある。死なすには惜しい。

 それに妖精の尻尾(フェアリーテイル)は異様なまでに仲間意識が強い。もし、仲間の死体を見れば、復讐に駆られて殺人を起こしてしまう危険性も出てくる。そうなれば、ギルドの名は一気に地に落ちるだろう。

 故に死なれては困る。命の危険があれば助けただろう。だが、それ以外のことは一切関知しない。

 

「マスター。どう転んでも戦争は避けられません。幽鬼の支配者(ファントムロード)は明らかにこちらを挑発し、何を思ったのか、我々と決着をつけたがっております」

 

 ジルは懐から魔水晶(ラクリマ)を取り出した。そこにはレビィたちが鉄竜(くろがね)のガジルに襲われている様子がはっきりと録画されていた。

 

「器物破損では戦いを始める理由としては弱い。ですが、ギルドの一員が一方的に攻撃されたのであれば、評議院もさすがに納得するでしょう。全くお咎め無しとまではいかないとは思いますがね」

「…誰よりも先に見てたんなら、一秒でも早く病院に運んでやることは思いつかなかったのか?」

 

 徐々に膨らんでいく怒りの膜が破裂しそうになるのを、ジルは気付いているのだろうか。気付いていながら無視しているのか。

 

「周りを見渡せばわかるでしょう、マスター?」

 

 美貌に微笑みを(たた)えながら、喪服の男は首だけ後ろを振り返った。涙を流すルーシィや、怒りに震えるナツやエルザたちの姿を濁った灰色の瞳で眺める。

 

「ボロ雑巾にされた彼女たちの姿を見て、皆活気づいている。現にマスターも、灼熱の憤怒が胸に巣食っている。士気は十分です。後は私が立案した作戦通りに──」

 

 瞬間、録画用の魔水晶(ラクリマ)が突如として粉々に粉砕された。

 マカロフが腕を伸ばし、その先にある鉄拳で魔水晶(ラクリマ)を殴り壊したのだ。

 

「参謀気取りも、いい加減にしろよクソガキ…!!!」

 

 マカロフ・ドレアーにとって、レビィたちを傷付けた幽鬼の支配者(ファントムロード)の人間と、それを黙って見ていたジル・ギルティは同類だった。

 握り拳を、人間を被った悪魔に向ける。

 

「ファントムの前に、お前を──」

 

 次の瞬間、乾いた音が鳴り響いた。

 喪服の麗人がくわえていた煙草が宙を舞い、地面に虚しく落ちる。

 

「………」

 

 ジル・ギルティの灰色の瞳の先には、繊手をしならせた少女の姿があった。

 ミラジェーン・ストラウス──愛する男の頬を打った彼女は怒りとも、悲しみとも言えない複雑な表情を浮かべていた。涙を堪え、氷青色(アイスブルー)の瞳を潤ませた後、

 

「マスター、申し訳ありません…!」

 

 マカロフに振り返り、深々と頭を下げた。

 

「こんなことを二度としないよう、私の方から強く言っておきます…! ですから、どうか…!」

「…………」

 

 血も涙もない男を必死になって庇う女の姿を、老人は怒りの形相のまま睨みつけた。

 頭を下げ続ける女と、落ちた煙草の火を消している男に対して物言いたげにしばらく沈黙していたが、それも長くは続かなかった。

 

「ミラに感謝するんだな」

 

 マカロフはジルたちに背を向け、もう用はないと言いたげに歩き出す。

 

「ジル。お前は今から家で一週間謹慎だ。その間に馬鹿な自分と向き合っているんだな」

 

 当然といえば当然の処置だ。だが、今から(・・・)ではジル・ギルティにとって非常に都合が悪い。

 

「…ファントムと決着をつけてからにしてくれませんか? 人員は多いに越したことは──」

「どの立場でもの言ってやがる」

 

 歩みを止めた鬼が首だけ振り返って睨みつけた。

 

「二度と同じことをしてみろ。その時は即、お前を破門にする」

 

 そう言って、再び歩き出した。

 遠ざかっていく重々しい足音を聞きながら、ミラジェーンはようやく顔を上げた。悲し気な表情で、後ろにいる恋人に対して背を向けたまま言葉を紡ぐ。

 

「…もうこんな馬鹿なことしないで。あなたの立場が悪くなるばかりじゃない」

「私は必要なことをした。それだけだ」

 

 ジルは全く悪びれている様子が無かった。まるで何事もなかったかのように落ちた煙草を携帯灰皿に入れた。

 ミラジェーン・ストラウスは、ジル・ギルティの唯一の理解者だ。彼は不必要なことは絶対にしない。それはわかっている。

 だが、彼女は彼のこういうところ(・・・・・・・)が嫌いだった。合理的であれば他者を簡単に犠牲し、自分自身でさえも喜んで生き贄にする。

 『必要悪』──脳は冷血、心は虚無、自分の手を汚すことに躊躇がない。彼はそういう男だ。

 そういう風にしか考えられず、そういう風にしか行動せずにはいられない。そのための『装置』であると、この男は自覚している。

 『罪有リ(ギルティ)』──大きな罪を一度背負えば、その後にどれだけの罪を背負っても彼は何も思わない。いや、思うことができない。

 

「お願い…お願いよ、ジル…」

 

 人の痛みがわからない男に対して、ミラジェーンはどう言ったらいいかわからなかった。

 溢れる涙が止まらなかった。

 人間としての感覚が完全に壊死するまで、彼はどれだけの苦悩を味わったのだろうか。

 生まれつき歪んだ人間など存在しない。ジル・ギルティも例外ではない。だが、境遇によって人はいくらでも変わる。血も涙もない悪魔に変えられることも不可能ではない。

 だが、一度『魔』に堕とされれば、もう『人』には戻れないのだろうか? いったいどうすれば、『人』に戻れるのだろう?

 どれだけの仲間がいても、どれだけ自分が愛しても、ジル・ギルティは未だに変わっていない。未だに本当の笑顔(・・・・・)を見せてくれていない。

 この世で一番愛しているたった一人の人間を変えることもできない自分の無力さに、ミラジェーンは泣かずにはいられなかった。

 

「…………」

 

 涙する女の背中を、ジルは無表情に見つめていた。いったい何を考えているのだろうか。何も思っていないのだろうか。

 それは誰にもわからない。

 もしかしたら、ジル・ギルティ本人でさえもわからないのかもしれない。

 

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