第四話:必要悪
「やはり鍵付きの部屋に移動させるべきではないか? 確か二階に空き部屋があったはずだ。鍵はミラやマスターに管理してもらおう。あと窓を完全に塞ぎ、屋根裏にトラップを何重も仕掛けよう」
「それだけじゃまだ厳重とは言えん。部屋を開けてもらうために、S級魔導士の誰かになりすます可能性もあるから対変身魔法用の結界も張る」
「決まりを作られて、ラクサスとミストガンが嫌がりそうだな」
「仕方ないさ。掟を守らせたくば、まずは破らせないよう徹底するべきだ」
場所はマグノリアの街道。喪服の男と鎧の女が後ろで何やらぶつぶつと話し合っているのを一瞥し、ナツ・ドラグニルは疑問を口にした。
「なーなー、あの二人何話し合ってんだ?」
「対策だよ」
グレイ・フルバスターが苦笑いしながら肩を竦めた。
「今回のことが二度と起こらないよう、二階の
「うっへぇ…
器物破損常習犯が露骨に嫌な顔をする。
片や生真面目な剣鬼、片や冷血な悪魔。この二人はたまに揉めることがあるが、波長が合ったら合ったで
「まずは自分のことを考えたらどうだ、ナツ。ギルドに帰ったらお前たちの処分を決定する」
地獄耳のエルザはナツたちに厳しい目付きで見据える。
「私もジルも今回の件について概ね海容してもいいと思っている。しかし、判断を下すのはマスターだ。私たちは弁護するつもりはない。それなりの罰は覚悟しておけ」
すると、何を思い出したのかナツとグレイとハッピーが絶望に慄いた。
「いやだぁー!!
「
「
「
新人のルーシィだけは
すると、ジル・ギルティが笑顔を浮かべながら口を開いた。
「
「はい、もうわかりました!! 解体ですね!? 人間の解体ですね!?」
「…ルーシィ。何故、そこで人間の解体が出てくる?」
「だってそうじゃないですか!!」
恐怖と絶望に囚われたルーシィは涙を流しながらやけくそに言い放つ。
「皆がNGで、ジルさんだけOKってことは人間の解体か、ゴキブリの踊り食いしかないじゃないですか!!」
「まぁ、当たらずも遠からずだな」
「エルザ。全く近くないぞ」
そんなやり取りをしながらジルたちは再び歩き出す。ギルドまでもう少しだ。
だが、足を進めていく内に街の雰囲気がどこかおかしいことに気付いた。街の住人たちがざわついている。何か事件でもあったのだろうか?
そして、その答えがすぐに、はっきりと、ジルたちの目に飛び込んできた。
ギルドが、破壊されていた。
何本もの巨大な鉄柱が建物を貫き、見るも無残な姿に変えられていた。
「お、俺たちのギルドが…!!!」
ナツたちは怒りと、困惑と、悲しみが入り混じった顔で半壊した
ただ一人──ジル・ギルティだけは一切表情が動いていなかったが、考えていることは同じだった。いったい何があったというのだ? 誰がこんなことを? 何の目的で?
「──ファントムよ」
ジルたちが振り返ると、
「悔しいけど、やられちゃったの…」
◇
ジルたちが下に下りると、ギルドのメンバーが多く集まっており、皆口々に
だが、
「よっ、おかえり!」
ナツたちの顔を見るなり、
「じっちゃん! 酒なんか飲んでる場合じゃねーだろ!!」
「そんなことより、お前たち! 勝手にS級クエストなんかに行きおってからにー!」
マスターの言葉に、ナツたちは困惑の表情を浮かべた。
S級クエストを無断で行ったことも問題だが、何よりも大きな問題はギルドを破壊されたことだ。
だが、マカロフは構わずに『罰』を決行する。腕を伸ばし、ナツとグレイとハッピーの脳天に軽くチョップした後、最後にルーシィの尻をスパンキングした。
「マスター! 今がどんな事態かわかってるんですか!!」
「ギルドが壊されたんだぞ!!」
エルザとナツが声を張り上げて抗議するが、マカロフは全く聞く耳を持たない。
「ファントムだぁ? あんなバカタレ共にはこれが限界じゃ。誰もいねぇギルド狙って何が嬉しいのやら」
襲われたのは誰もいない夜中だったとのことだ。なので幸いにも負傷者は一人もいなかった。
「不意打ちしかできんような奴らにめくじらを立てることはねぇ、この話は終わりじゃ。上が直るまで仕事の受注はここでやるぞい」
「仕事なんかしてる場合じゃねぇよ!! 俺はあいつらを潰さなきゃ気がすまねぇ!!」
「ワシはおしっこしないと気がすまない!!」
怒気を漲らせるナツだが、最後までマカロフは飄々とした様子で
トイレに駆け込む老人の背中を見ながら、ナツたちは納得のいかない表情を浮かべた。
「ナツ…悔しいのはマスターも一緒なのよ」
ミラジェーンが沈んだ表情のまま、静かに口を開く。もちろん、彼女も今回の
だが、ギルド間の武力抗争は評議会で禁止されている。そして、何よりも
もちろん、
「…あれ、ジルは?」
ふとミラジェーンは自分の恋人がこの場にいないことに気付いた。
「む? さっきまでここにいたはずだが…」
エルザたちは周りを見渡した。だが、喪服を着た美しい男の姿がどこにも見当たらなかった。
◇
「だからそんなに心配しなくって良いって、姉ちゃん…」
大柄な体格が特徴的な青年がげんなりとした表情を浮かべた。
男の名はエルフマン・ストラウス──ミラジェーンの弟だ。彼は今、姉と姉の恋人が同棲するアパートの一室に来ていた。いや、姉に無理やり連れ込まれたのだ。
「ダメよ、エルフマン。ファントムに今度は寝込みを襲われるかもしれないでしょ?」
ミラジェーンはそう言いながら
「だ~からって、何で私らがあんたらの愛の巣に寝泊まりしなきゃなんないのさ」
つまらなそうな顔で酒を一気飲みしたのはカナ・アルベローナだった。
彼女もエルフマンと同じ理由でこの場にいるのだが、一時的とはいえ男と同棲している女の家に泊るのは正直気が引ける。何より彼氏募集中の身として全く面白くない。
嫉妬を肴に酒を飲み続ける女の姿を見て、ミラジェーンは苦笑いするしかなかった。
「もう~、そんなにむくれないでよカナ。ベッドとか好きに使っていいから」
「さっきから嫌味!? あんたたちが死ぬほど
「なんだそれ、漢か!!?」
「何もわかんないなら黙りな、童貞!! 詳しくはジルに聞きな!」
「へ、変なこと教えないで!」
その時、インターフォンの音が鳴り響いた。
「ほら、旦那が帰ってきたよ」
「まだ結婚してないから」
ミラジェーンは苦笑いしつつ律儀にツッコんでから、すぐに玄関に向かう。
「すまない、少し遅くなった」
「もう…どこ行ってたの? 心配したんだから」
ミラジェーンは困った表情を浮かべながらジルの着ているジャケットを脱がし、シワがつかないように丁寧に畳む。
ジルたちがリビングに入ると、すっかり酔っ払ったカナがジト目で睨みつけてきた。
「出たな、顔面18禁」
「随分とご挨拶だね、カナ」
いったい顔のどこが18禁なのかはよくわからなかったが、とりあえず皮肉を言われたことだけはわかった。エルザの皮肉に比べれば可愛いものだと思いつつ、ジルはテーブルにつく。
「エルフマンも来ていたのか。ゆっくりしていってくれ」
ミラジェーンの弟ということもあり、ジルはエルフマンと比較的に仲が良い。何度か一緒に仕事をしたことがあり、彼の能力や人柄について熟知している──妙に天然な所も。
「ジル! ベッドを使った漢っていうものを教えてくれ!!」
「──は…?」
「エ、エルフマン! もうそれ忘れて!!」
いきなりBL展開へ持っていこうとするエルフマンの言葉にジルは無表情のまま呆気に取られ、ミラジェーンは顔を真っ赤にした。
もちろん、エルフマンにそんなつもりは全くない。ただ漢らしい男になりたいだけなのだ。
「とぼけないでくれ、ジル! ベッドで俺を漢にしてくれよ、なぁ!! その方がお互い気持ち良いだろ!?」
「誤解される言い方やめなさいエルフマン! お隣さんに聞かれたらどうするの!?」
「いや、隣空き部屋なはずだが?」
「そうじゃなくって!」
そして、そんな彼らのやり取りを見ながら、カナが腹を抱えて笑っていた。
◇
「か~~~…もう飲めないよ…」
「ぐぉおおおぉおお~…もうこれ以上漢になれないぜ…」
床に寝転びながらいびきをかいて眠っているカナとエルフマンを見て、ミラジェーンは皿を洗いながらくすりと笑った。
「たまにはこういうお泊り会も良いよね」
「ああ、そうだな」
共同作業で洗い物をしているジルの表情は相変わらず無表情だったが、ミラジェーンの言葉に同意しているのは嘘ではない。彼なりに楽しんでいた。
「…そういえば、昼間からずっといなくなってたけどどっか行ってたの?」
ふと、ミラジェーンはずっと気になっていたことを尋ねた。
「ああ、
と、長い黒髪の下で青年は唇の端を吊り上げた。
「────」
その瞬間、ミラジェーンは酷く嫌な予感がした。
彼が、微笑んだのだ。作り物の笑顔で。
ミラジェーン・ストラウスは、ジル・ギルティの虚構の笑顔が嫌いだった。
‟
だが、追及するのが怖かった。
故に、何も言わなかった。
そして、彼女の嫌な予感が形となって現れたのは、翌日の早朝になってからだった。
◇
マグノリアの街の南口公園──普段住民たちが利用しているその穏やかな場所で一つの事件が起こった。
南口公園には一本の巨大な樹木がそびえ立っている。その巨木の前で近所に住む住民たちや
公園の象徴たる巨木に磔にされている三つの人影があった。
三人共、気絶しており命に別状はない様子だったが全身にすり傷や痣などがあり、袋叩きにされたかのように容赦なく痛めつけられていたことは明白だった。
いったい誰にやられたのかはわかっている──レビィの腹に刻まれた紋章を見なくとも。
「ファントム…!!!」
その時、後ろから静かな足音がゆっくりと近付てきた。大きな杖をついた、小柄な老人──
「ボロ酒場までは我慢できたんじゃがな…」
だが、着ている服装がいつものラフな格好ではない。背中に『
「ガキの血を見て、黙ってる親はいねぇんだよ…!!!」
バキリッ…!! と、彼の手にあった杖が握力だけで粉砕された。
「戦争じゃ…!!!」
いつも飄々としている陽気な老人の姿などどこにもいなかった。
小柄で、巨大な修羅──『聖十大魔道』マカロフ・ドレアーの真の姿がそこにあった。
◇
「──ジル。ちょっと来い」
南口公園にはジル・ギルティの姿もあった。巨木から下ろされるレビィたちを一瞥しながらマカロフは彼を呼び出し、少し離れた所へ移動した。
「…ここに来る途中、逆五芒星の魔法陣をいくつか見つけた。あれはお前じゃろ?」
「ええ。
マカロフの小さな背中から漲る怒気──
細長い煙草をくわえ、マッチを擦る。
燈った火を煙草の先に近づけようとしたその時であった。
「──お前…
火が、消えた。
風が吹いたわけでもないのに、
「レビィたちがやられているときも、ここに磔にされるときも…お前は黙って見ていた。そうじゃろ?」
「ええ。
ジルは即座に肯定した。マカロフに怒りを向けられているにも関わらず、この男は全く気にしている様子がない。
もう一度マッチを擦り、煙草に火をつけた。
死なれると困る──それは思いやりから出た言葉ではない。『シャドウギア』の面々はナツたちと比べれば特に戦闘力が高いわけではないが、彼女たち一人一人の能力に目を見張るものがある。死なすには惜しい。
それに
故に死なれては困る。命の危険があれば助けただろう。だが、それ以外のことは一切関知しない。
「マスター。どう転んでも戦争は避けられません。
ジルは懐から
「器物破損では戦いを始める理由としては弱い。ですが、ギルドの一員が一方的に攻撃されたのであれば、評議院もさすがに納得するでしょう。全くお咎め無しとまではいかないとは思いますがね」
「…誰よりも先に見てたんなら、一秒でも早く病院に運んでやることは思いつかなかったのか?」
徐々に膨らんでいく怒りの膜が破裂しそうになるのを、ジルは気付いているのだろうか。気付いていながら無視しているのか。
「周りを見渡せばわかるでしょう、マスター?」
美貌に微笑みを
「ボロ雑巾にされた彼女たちの姿を見て、皆活気づいている。現にマスターも、灼熱の憤怒が胸に巣食っている。士気は十分です。後は私が立案した作戦通りに──」
瞬間、録画用の
マカロフが腕を伸ばし、その先にある鉄拳で
「参謀気取りも、いい加減にしろよクソガキ…!!!」
マカロフ・ドレアーにとって、レビィたちを傷付けた
握り拳を、人間を被った悪魔に向ける。
「ファントムの前に、お前を──」
次の瞬間、乾いた音が鳴り響いた。
喪服の麗人がくわえていた煙草が宙を舞い、地面に虚しく落ちる。
「………」
ジル・ギルティの灰色の瞳の先には、繊手をしならせた少女の姿があった。
ミラジェーン・ストラウス──愛する男の頬を打った彼女は怒りとも、悲しみとも言えない複雑な表情を浮かべていた。涙を堪え、
「マスター、申し訳ありません…!」
マカロフに振り返り、深々と頭を下げた。
「こんなことを二度としないよう、私の方から強く言っておきます…! ですから、どうか…!」
「…………」
血も涙もない男を必死になって庇う女の姿を、老人は怒りの形相のまま睨みつけた。
頭を下げ続ける女と、落ちた煙草の火を消している男に対して物言いたげにしばらく沈黙していたが、それも長くは続かなかった。
「ミラに感謝するんだな」
マカロフはジルたちに背を向け、もう用はないと言いたげに歩き出す。
「ジル。お前は今から家で一週間謹慎だ。その間に馬鹿な自分と向き合っているんだな」
当然といえば当然の処置だ。だが、
「…ファントムと決着をつけてからにしてくれませんか? 人員は多いに越したことは──」
「どの立場でもの言ってやがる」
歩みを止めた鬼が首だけ振り返って睨みつけた。
「二度と同じことをしてみろ。その時は即、お前を破門にする」
そう言って、再び歩き出した。
遠ざかっていく重々しい足音を聞きながら、ミラジェーンはようやく顔を上げた。悲し気な表情で、後ろにいる恋人に対して背を向けたまま言葉を紡ぐ。
「…もうこんな馬鹿なことしないで。あなたの立場が悪くなるばかりじゃない」
「私は必要なことをした。それだけだ」
ジルは全く悪びれている様子が無かった。まるで何事もなかったかのように落ちた煙草を携帯灰皿に入れた。
ミラジェーン・ストラウスは、ジル・ギルティの唯一の理解者だ。彼は不必要なことは絶対にしない。それはわかっている。
だが、彼女は彼の
『必要悪』──脳は冷血、心は虚無、自分の手を汚すことに躊躇がない。彼はそういう男だ。
そういう風にしか考えられず、そういう風にしか行動せずにはいられない。そのための『装置』であると、この男は自覚している。
『
「お願い…お願いよ、ジル…」
人の痛みがわからない男に対して、ミラジェーンはどう言ったらいいかわからなかった。
溢れる涙が止まらなかった。
人間としての感覚が完全に壊死するまで、彼はどれだけの苦悩を味わったのだろうか。
生まれつき歪んだ人間など存在しない。ジル・ギルティも例外ではない。だが、境遇によって人はいくらでも変わる。血も涙もない悪魔に変えられることも不可能ではない。
だが、一度『魔』に堕とされれば、もう『人』には戻れないのだろうか? いったいどうすれば、『人』に戻れるのだろう?
どれだけの仲間がいても、どれだけ自分が愛しても、ジル・ギルティは未だに変わっていない。未だに
この世で一番愛しているたった一人の人間を変えることもできない自分の無力さに、ミラジェーンは泣かずにはいられなかった。
「…………」
涙する女の背中を、ジルは無表情に見つめていた。いったい何を考えているのだろうか。何も思っていないのだろうか。
それは誰にもわからない。
もしかしたら、ジル・ギルティ本人でさえもわからないのかもしれない。