電波暗室の前に梨璃と深井中尉が立つ。
「そういえば…深井中尉はどうやって行くんです?なんか、さっきはCHARMを使ったって聞いたけど」
梨璃は小首を傾げてそう疑問を口にする。すると、桂城少尉が無線からその問いに答えた。
「さっきは君らの位置が分からないからああいう手を使った。雪風がCHARMのコンピュータを介して君らの痕跡を追ったんだ。でも、今度の場合は雪風が彼女の座標を把握しているらしい。だから、もうCHARMの有無は関係無いみたいだ」
「じゃあ、電波暗室にいるだけでいいって事ですか?」
「そういう事。でも、自衛用にCHARMは持っていて欲しい。正直、何が出てくるか分からない。そして、深井中尉ではヒュージとは戦えないからね」
「はい!」
梨璃は元気よく返事を返すと、電波暗室の扉を掴む。
「深井中尉、行きましょう」
深井中尉は無言で頷く。そして、それを見た梨璃は扉を開けた。中は先程と変わっていない、夢結も変わらず目を瞑って意識を失ったままである。楓達のサポートを受け、二人は準備を整える。もっとも、準備と言っても横になって覚悟を決めるだけだが。
「こちら深井中尉、準備は出来た」
「了解、待機せよ」
すると、楓がドアへと手を伸ばす。
「お二人とも、お気を付けて」
「はい」
そんな会話を終えると共にドアが閉まる。すると、途端に変化が起きた。全てのものにピントが合ったかのように、視界がやたらと鮮明に見えるようになった感じがしたのである。二人とも目はいい方であるが、それにしてもおかしい。そして、意識を集中すると壁の一点が拡大されたように見える…まるで望遠鏡でその一点を覗いたように。
「なんだ…?」
「さっきと違いますね。それになんか目がおかしい…?」
そんな不思議な感覚に二人は困惑した声を上げる。すると、深井中尉の持つ端末が鳴る。
<B-3:COVERING>
「雪風?援護するとはどういう事だ…?」
「中尉、何が書いてあるんです?」
「いや、雪風…B-3が援護をすると…」
すると、端末にはマップが表示された。そこには色のついた線が書かれている。
「これに従って進めと言うのか?」
「外に出るんですか?私達まだ意識を失っていませんが」
「そういえばそうだ。しかし、雪風がそう言っている」
そんな会話を続けていると、無線が鳴った。
「こちら深井大尉、聞こえるか?」
「大尉、聞こえている。先程と同じ状況にならない、どうなっている」
「こちらからは室内が観測不能だ。状況を知らせ」
「何?視界は良好だが…カメラが壊れたか?」
「いや、靄で何も見えない」
「靄?」
その無線の一言に二人は顔を見合わせた。部屋の中は煙も靄もない。どうなっている、互いにそんな表情を浮かべながら。
「一柳、端末のカメラを動かせ。確認したい」
「分かりました、深井大尉」
梨璃がすぐさま端末の電源を入れ、カメラを起動する。
「電源入れました」
「確認した。驚いたな、室内の監視カメラとはまるで違うぞ」
「こちら深井中尉、そっちが何を見ているのかは分からんが…特に支障はない状況だ」
「フムン」
「報告だが、B-3が支援を行うと言ってきた」
「具体的には?」
「誘導すると言っているようだ。端末の地図に経路が映し出されている」
「こちらブッカー少佐。零、雪風はどこに行けと言っているんだ?」
深井中尉は端末を確認する。しかし、学院の施設に興味が無かった彼にはそこが何の部屋なのかさっぱり見当もつかない。
「ここは…どこか分かるか、一柳?」
「えーと、寮みたいですね。あっ、そうか…ここはお姉様の部屋です!!」
「なるほど、それなら納得だ」
彼女の自室なら夢結が一人はぐれて何も知らずに自室へ帰ったと考える事もできる。
「とりあえず、移動する。警戒しながら進むぞ」
「了解」
この空間がどうなっているのか分からない。下手をすれば移動すらできておらず、元の空間のままという可能性すらある。恐る恐る、梨璃が扉を開ける。
「誰もいない…?」
確かにいたはずの仲間達の姿が無い。それどころか人のいる気配がさっぱり感じられない、この建物全体がしんと静まり返っている。間違いない、自分達は別の空間にやって来たのだ。
「こちら深井中尉。別の空間にやってきた事は確認できた」
「こちら深井大尉、確認した。そのようだ」
同じ声の会話が無線に響く。そんな会話に奇妙な感覚を感じながらも梨璃は周囲を警戒する。相変わらず物音ひとつない、この場に響くのは二人の足音のみ。念のために持ち込んだヒュージを探知する為のセンサ…ヒュージサーチャーにも一切反応がない。それを見た梨璃はホッとしたように軽くため息を吐き出した。
「人もヒュージもいませんね」
「そのようだ」
そして、梨璃は深井中尉に尋ねる。
「そういえば…深井中尉は雪風が何をやったのかって分かるんですか?」
「分からない。可能性の確立がどうのと言っていたが、それが何なのかさっぱり見当が付かない」
「やっぱり…そもそも可能性の確立ってどういう意味でしょう?確立って事は決まったという意味だし、そうするとわざわざ可能性なんて言い方しなくてもいいような…んー?」
梨璃は困惑したように首を傾げる。
「どうした?」
「いえ、難しい話なのになんか不思議と言葉が並んでいくなって…」
「この空間のせいか?まあいい。可能性という言い回しは物事が決定する前にいくつも選択肢があったという事だろう。しかし、そこから確立したという事はどういう意味なんだ、まるで向こうの雪風がその人間の行動を決定したような言い方だ。例えるならこのマップの案内通りに歩かせる様なものだろう」
「つまり、雪風には人間を操る事が出来るって事ですか?」
その一言を聞いた深井中尉の背に嫌な汗が流れる。そんなまさか…そんな事があってはならない。そんな思いが心の奥底から噴き出してくるような感覚に襲われる。
「いや、そうは考えたくない。それに雪風が人間を操る事は困難だ、機械に人間の思考を読み取る事なんて…いや、待て。あれを使ったとしたら…」
「あれって何です?」
「MAcProII」
聞いた事の無いような単語に梨璃はきょとんとした表情を浮かべる。
「心理学用の行動心理予測プログラムだ。雪風にはこれが入っている。よって、これを使って行動を一人一人予測したとすれば…」
「機械が行動を予測って…そんな事って出来るのですか?」
「分からない、確証は無い。しかし、現状だとこれが一番怪しい。個人の行動を都度予測、外部からの何らかの干渉を加えていく事で理想的な結果に導く…」
「途中でそれがうまくいかなかったからお姉様だけ戻れなかった、と」
梨璃の頭の中は異常に冴えていた。こんな要領を得ない奇妙な話なのに、まるで友人と世間話をしている時の様に不思議と会話の内容がうまく頭の中に入ってくるような感覚だった。そして、それは思考だけに留まらない。視野すらも普段よりも広く感じる。
「でも、どうしてそうなったのでしょう?」
「ソフトがエラーを出した可能性だってある。その辺りは分からない」
「それを調べてほしいから雪風は私達を送ったのかもしれませんね」
確証は無いが不思議と説得力がある、梨璃の言葉に深井中尉は心の内でそう考える。分からないからこそ雪風…B-1はその実態を知りたいのだろう。
「この先です」
「ああ」
二人は誰もいない廊下を駆ける。今のところ何の障害もない、だからこそ不気味であった。これは何かの罠なのではないか?深井中尉の本能はそう囁く。しかし、B-3から警告が出る気配はない。今のところはこれでも安全だと言えるのだろう。そうして、梨璃が立ち止まる。どうやらこの目の前の部屋が目的地らしい、端末のマップにもそう表示されていた。
「鍵は?」
「閉まっていません。開けます!」
梨璃が扉を静かに開ける。室内に異常はない、そのまま中に足を踏み入れる。深井中尉も後に続く。
「お姉様、いらっしゃいますか?」
「待て、誰かいる」
深井中尉の声に梨璃は驚く。全くそんな気配が感じられなかったからである。戦場に身を置いていた経験の差だろうか…そして、見知らぬ女性の声が場に響く。
「やあ、初めまして。一柳梨璃」
「あなたは?」
そこにいたのは見た事の無い女性の姿、短めの髪型に色素の薄い髪色…ベッドに腰かけている。そして、その姿を視認した途端に端末から警告音が鳴る。
<B-3:CAUTION...UNKNOWN>
「誰だ、お前は」
「僕は川添美鈴、よろしく。あなたは深井零…中尉の方かな」
その口からは先程聞いた故人の名前が飛び出した。