眼前を漆黒の物体らしき影が瞬時に飛び抜けていく。
「ユリ、敵機はどこに?」
『上から回り込もうとしてる!』
咄嗟に夢結は操縦桿を左に倒して手前に引く。そうして、機体は左へと旋回を始める。相手が宙返りを終える前に距離を離してやり過ごす為だ。
「さあ、どう来るかしら…?」
体にのしかかるGの感覚に耐えつつ、夢結は首を回して敵の姿を目視で捉えようとする。しかし、黒い影を一瞬捉えたもののあっという間に見失う。
「消えた!?ユリ、相手は…」
『夢結!下、下だよ!!』
そして、鳴り響くRWRの警報音。
「こちらB-1雪風、B-14が撃墜された」
無線から流れる零のその言葉に深い溜息が吐き出される。
「レイフの勝ちだ。白井少尉、帰還するぞ」
「了解」
ドッグファイトの訓練、夢結とユリのペアは同じ特殊戦の機体であるB-13レイフに負けた。機体のコンピュータに全自動で交戦させる事も出来たが、今回はパイロットの教育の為に夢結が直接操縦していた。それだけに夢結の疲労感は大きいものだった。
ぼんやりとした感覚の中、夢結は訓練前のブリーフィングを思い出す。
「経験を積むのはお前だけじゃない。機械達にも経験を積む事が必要だ」
「それは、ユリの事でしょうか?少佐」
「いいや、お前の愛機であるリリィも含めてだ」
そのブッカーの言葉に夢結は困惑したような表情を浮かべた。人工知能であるユリはともかく、機体に何故そんな事が必要なのかという疑問が生じたからであった。
「お前の機体は飛行時間も少ない。つまり、それだけデータの蓄積も少ない」
「ええ。しかし、他のシルフのデータを活用すればいいのでは?」
「機体には固有の癖がある。それは理解出来るな?」
航空機のような大きな機械ではどうしても個体ごとに差異が出てくる。それは部品ごとに細々とした許容可能なレベルの誤差が生じる事による積み重ねが要因だ、一つ一つが小さな誤差でもそれが数百数千と重なれば結果的に違いは大きくなる。よって、寸分の狂いもなく同じ機体というものが出来上がる事は無い。そうして、機体ごとに固有の癖が出てくるのである。
「特殊戦の機体は厳しい環境に放り込まれる。だからこそ、そこまでやらないといけないんだ。パイロットも機体のコンピュータも機体そのものを自在に操れないといけない。それにお前のシルフは訳ありと言えるような特別品、極限の状況で使うとなるなら他機のデータはそれこそ参考程度にしかならない」
「そういう事情でしたか」
「ああ、だからこそ訓練の一つ一つがお前とユリ、機体のコンピュータの糧になる。この先、生き残る為に必要な行為だ」
訓練を終えた三機は雪風を先頭に編隊を組む。
この三機は特殊戦の中でも異色な機体と言える。特殊戦の主力機は戦闘機をベースに開発された偵察機のスーパーシルフである。しかし、ここを飛ぶ三機はいずれもそれではない。
まず、零の乗る雪風…この機はスーパーシルフと大きく異なる見た目をしている。機体そのものの名称はメイヴ、スーパーシルフの後継機として開発された現状、特殊戦ただ一機の機体である。
そして、夢結は視線をもう一機へと向ける…その機はメイヴそっくりであった。特殊戦13番機レイフ…この機も夢結達と同様に新入りとも言える。しかし、彼女達とは大きく違う点があった。それはこの機が完全なる無人機なのだ。よって、離陸から着陸まで全てを機械がこなす。そして、この機がメイヴそっくりである理由…それはこの機こそがメイヴのベースであり、無人機を有人機としたのがメイヴであるのだ。
そして、最後に夢結は眼前のコクピットを見る。特殊戦14番機リリィ…本来13機の偵察機で構成される特殊戦に追加された機体。しかし、前述の二機と比べるとこの機に関しては良い話が全く無い。
機体はシルフィード…FAFの主力戦闘機を改造したもの。作られた経緯は生産数の少ないスーパーシルフを損耗した時の穴埋め用として、既存のシルフィードを改造し、スーパーシルフと同等の能力を持つ偵察機を作るという目的の為に試作された。だが、いざ飛ばしてみると評価はいま一つ、製造時から偵察機として作られたスーパーシルフと比べると僅かに加速性等の飛行特性が劣るとテストパイロットから評された。これは既存の機体を改造した事による機体表面にバルジが増えたといった形状変化等の空力的影響が原因であるとされた。
そして、整備性もあまりよくなかった。まず、スーパーシルフとは部品の互換性が大して無かった事。そして、改造元のシルフとも異なる特別製の部品が必要となる事。この点がネックとなった。これではとても手軽な機体とは言えない。そして、改造によって配線や機材が増設され機内のスペースが圧迫されて狭く、整備が面倒な機体と言われた点も足を引っ張った。それらの改善に四苦八苦を続け…最終的にこの計画にとどめを刺したのは正式にスーパーシルフ後継機の開発が決定した事だ。結果、数機作られた試作機はスーパーシルフを運用するいくつかの隊に予備機として押し付けられた。そして、この内の一機が夢結の今乗るリリィである。
そんな事を夢結が考えていると、ユリの声が無線に響く。
『どうしたの?そろそろフェアリイ基地だよ』
「なんでもないわ。チェックリストの確認を」
そうして、雪風の後に続いてフェアリイ基地の滑走路に降り立つと、機体は駐機場を経てそのまま地下の格納庫に収容される。そして、零と夢結は愛機から降りてやっと地面に足を付けた。
「少尉、着替えたらすぐにブリーフィングルームだ。デブリーフィングを行う」
「了解」
そんな指示が零から飛び、夢結は足早にロッカールームへ向かう。そうして、手際よく後片付けを終え、ペットボトルの水を飲みながらブリーフィングルームへと足を進めた。
そして、ブリーフィングルームに入るとすぐさま訓練のデブリーフィングが始まる。室内に据えられた大型ディスプレイにはレイフとリリィの航跡が表示され、ブッカー少佐がこの場合はどう動けば良かったか、どんな点に注意すべきだったのか…そういった点を解説してくる。まるで授業の様に。
そして、一通りの解説を終えたブッカーは零に聞く。
「お前から見て白井少尉はどうだった、零」
「丸っきり素人の動きだ」
はっきりと断言する零。
「これでも白井少尉は同時期に入隊した連中の中だと座学はトップ、操縦の実技も経験者を除いた中ではトップだったんだがな」
「基礎の成績が良くてもだ、白井少尉には勘が足りない。反射的に動けていないんだ」
「それを養うために訓練しているんだよ、零。初めから経験豊富なんて人間はいない」
すると、零は言う。
「そもそも、特殊戦に素人を育てている余裕は無いと思うが」
ブッカーは溜息をつく。
「いいか、零。それ以前に特殊戦のパイロットは常に人材不足だ。腕のいい人材はどこだって欲しがるし、苦労してせっかく手に入れても残念な結果に…という事もある。お前ならこの意味は分かるな?」
「ああ」
実際、入ったばかりのパイロットがすぐに失われた事態がここ最近もあった。
「そう考えると、自前でパイロットを育てるのも一つの手だと言えるだろう」
「フムン」
そう言われると、確かに一理あると零は考える。
「という事で、新人の指導をしっかり頼んだぞ。零」
「俺にそんな余裕は無い」
白井少尉の面倒を見る気は無いし、余裕が無いという点も事実である。雪風の新しいフライトオフィサを受け入れる為の準備をしなければならない。
「さて…茶番はともかく」
ブッカーがそう言うと、ディスプレイの表示を切り替えた。
「今度は別の話だ」
「別の話…ですか?」
「そうだ、少尉。地球から厄介事だ」
「厄介事…ですか?しかも、地球からとは」
驚く顔をする夢結。ディスプレイに表示された資料は何らかの報告書らしい。
「この資料に関してな、地球から学者達の調査隊が来る」
「調査?そんなの毎度の事じゃないか」
フェアリイ星の環境は地球とは大きく異なる。その独特な生態系から惑星外の環境まで、地球の学者達の興味となるものはいくらでも存在する。それだけにそういった話は珍しい事ではない。
「零、問題はその調査隊に関してだ」
「何があった?」
「何故か特殊戦にその連中の面倒を見るようにと押し付けられたんだ」
ブッカーのその一言に零も夢結も困惑した表情を浮かべた。
「なんだってそんな…そもそも何の研究なんだ?」
「これを見てもらえば分かるが、学問としては物理学の範疇だ」
「物理?なんでまたそんな研究分野の人が?」
夢結と零は交互に質問を飛ばす。そんな様子にブッカーは首を横に振る。
「物理は大雑把過ぎたな、厳密には素粒子物理学。どうやら、このフェアリイ星で未知の粒子らしきものが観測されたらしい。その調査だ」
「フムン。もしや、それはジャムに関するような類じゃないだろうな?」
「分からん、だからそれを調査するんだろう。何にせよ、大発見には違いない」
まあ、それは当然だろうと零は考える。新粒子の発見はかなりの価値になるものだ。だが、一つの疑問が残る。
「それで、なんで特殊戦なんだ?」
「分からん。向こうからの要望らしい」
「まさか、偵察部隊だからデータ収集に都合がいいとかいう理由じゃないだろうな?」
「そこまでは分からん」
「で、いつ来るって?」
「明後日」
夢結と零は再び驚く。
「急な話ですね」
「ああ、だから忙しい」
すると、零がある事に気が付く。
「待て、ジャック。その日は桂城少尉を雪風に乗せる日だ」
「ああ、そうだ。だから、事前に練っていたフライトプランは見事に変更となったよ。この件に関する内容にな」
「フムン」
「その、少佐。桂城少尉とは?」
聞いた事の無い名に夢結が問う。
「そうか、決める手伝いはさせたが名前は伝えて無かったな。桂城彰少尉、雪風の新しいフライトオフィサの事だよ」
「そうですか」
「会ってみるか?明日、顔合わせがあるんだ」
「いいえ、興味がないので」
そう素っ気なく答える夢結。すると、ブッカーは軽く首を横に振る。
「やれやれ、しょうがない。さて、この場は解散とする。白井少尉は今日のフライトについてレポートを出すように」
その言葉に起立し、敬礼する夢結。やっと終わった…心の内でそう考えて退席する。すると、不意に最後のブッカー少佐の話を思い出す…だが、深井大尉の相方が誰になろうが自分には関係ない、関わるだけレポートを書く時間が減るだろう…そうして、特殊戦内の自分のデスクへと足を進めた。
しかし、翌日。
夢結の姿はブッカー少佐のオフィスの中にあった。室内には少佐の他に軍医であるフォス大尉と零がいた。そして、見知らぬ男性が一人立っている。彼こそが雪風の新しいフライトオフィサである桂城彰少尉だった。
断ったのに何故この場に自分が呼び出されたのか、心の内では釈然としない感覚にとらわれつつも夢結の表情は変わらない。そんな中、桂城少尉は話を終えて退室していく。彼はこちらを一瞥したが興味が無いのかそのまま視線を逸らして歩いていった。彼が部屋を出ていった事を確認し、夢結は零達と談笑している少佐に問う。
「少佐、何故私が呼ばれたのでしょうか?深井大尉と桂城少尉の顔合わせに何の関係が?」
「先程聞いたかもしれないが、彼は情報軍から来た人間だ。その点をよく留意しておくように」
「情報軍からのスパイだと?」
「可能性はゼロではない」
「しかし、わざわざ会う必要も無かったのでは?」
「まあ、これはおまけだ。本題はこの後だ」
一方、零はホッとした様子でブッカー達から離れた。夢結が質問した事によってフォス大尉やブッカー少佐との会話から解放されたからである。
「で、本題だが…おい、零。お前も関係ある話だ」
「今度は何だ?」
「フライトプランだよ。零、お前と桂城少尉の。そして、白井少尉の任務でもある」
途端に嫌な予感に包まれる零と夢結。
「お前達には地球からやってくる調査隊の支援任務をやってもらう」
「ジャック、調査隊のサポートなんて特殊戦でやる必要があるとは思えない」
「ああ。だが、FAF上層部は今度の件が大きなアピールになると考えているんだ。あちこちの部隊から人員を引き抜いている程に」
「正気か?」
「ああ。だからこその面倒事だ」
大きく溜息をつくブッカー。
「それで、雪風には調査を開始した調査隊の上空支援をやってもらう」
「フムン。まあ、桂城少尉の訓練にはちょうどいいか」
「で、白井少尉。お前には調査隊の直接的なサポートを命じる」
夢結は困惑したように聞く。
「その…直接的とは?」
「地上での面倒も含めてだよ。まあ、雑務もあるかもしれない」
「はあ…その間のフライトは?」
「その点はこっちで調整する。では、かかれ」
「了解」
厄介な話になったと心の内で頭を抱える夢結。一度溜息をつくと、そのまま準備の為に彼女は動き出した。
みんなは雪風最新巻は読んだかな?
自分はどう解釈するかで頭を抱えたよ