分霊箱はいったん棚上げ、ぶっちゃけ、外伝扱いしていいかもしれない話です。
章タイトルのグレイバック君が満を持して登場だ!皆さん、屠殺される哀れな家畜を眺めるまなざしで彼を応援してあげてください。
フェンリール=グレイバックは人狼である。
彼とて、元はごく普通の魔法使いの子供であった。純血か、半純血か、あるいはマグル出かは定かではないが、とにかく彼はごく普通の人間であった。
物心ついたころに、父母のもとからさらわれ、人狼を崇める一派によって咬まれ、人狼にされた。
人狼は崇高なる人間以上の存在であり、只人をすべからく下すべし。
そう教えられ、刷り込まれた。
あとから連れてこられた父母を目の前で殺され、噛まれた痛みに泣き叫んだ少年は、逃避の意識もあって、その教えを必死に呑み込んだ。でなければ殺されるからだ。いつしか恐怖は忘却され、義務は快感に変わり、そして生き方そのものとなった。
人狼として生きて、人狼として死ぬ。魔法使いに忌まわれ畏れられ、彼らを殺し仲間に引き入れる。
そうやって生きてきた。
フェンリールが自ら頭を垂れたのは、たったの一人だ。
“闇の帝王”“死の飛翔”、ヴォルデモート卿、ただ一人。
圧倒的な魔力とカリスマ、呼吸するかのように恐怖と威圧を撒き散らし、全てを従える魅力に、フェンリールは抗えなかった。
人狼は、人が狼の優れた部分を持ち合わせる存在だ。その狼の部分が、従うべきだとしたのだ。狼は群れるものだ。群れる以上、頭目を抱くもの。そして、その頭目は、“闇の帝王”をもって、他ならない。
フェンリールは、服従する快感に浸りながら、そう思っていた。
“闇の帝王”が消えた。
否。“生き残っていた母子”の母親の方に殺されたのだ。
違う。一時的に姿を隠しているだけだ。
フェンリールには分かる。フェンリールの持つ獣としての直感、あるいは嗅覚が囁くのだ。
あのお方は死んでいない。姿を隠し、チャンスを待っているのだ。
ああ、この身が人狼で、魔法省に顔が割れてなければ、あのお方のもとに馳せ参じて見せるのに!
だが、フェンリールには分かる。いつか、あのお方は帰ってくる。より強大に、より偉大になって。その時、自分は再びあのお方のもとに馳せ参じる。きっと。必ず。
フェンリール=グレイバックは知らない。そんな未来は、ひっくり返っても訪れない。
なぜなら、彼は絶対にチョッカイをかけてはならない人物に、真正面から喧嘩を売ってしまったからだ。
その人物の名は、セブルス=スネイプという。
* * *
ふむと、セブルスは目の前に倒れ伏したそれを眺めた。
たかが内臓攻撃の一発でこれとは情けない。獣ならもう少し耐久力を持つべきだ。輸血液を2つ3つほど落とす大型のやつなら、2回ほどやらなければならないというのに。
引きずり出して右手にしていたままの、引きちぎれた腸管をベイッと放り捨てる。
ついでに、彼は纏った狩装束のまま血塗れだった。馴染みの本屋からの帰り道で、“姿現し”にいいように人通りのない路地裏に入り込んだところで襲われたのだ。とっさのことで、頭装備をつけてなかったが、何一つ問題はなかった。仕掛け武器と銃は血の遺志に収納しているものの、肌身離さず装備しているのだから。
あんな大ぶりの攻撃、ガンパリィを取ってくれというようなものだ。問答無用で銃撃をたたき込み、相手が膝をついたところで内臓攻撃をお見舞いして、腸管を引っこ抜いてやった。
なお、まだ息があるようだ。
チラッと見上げると、空には満月が煌々と輝いている。ヤーナムの“狩人の夢”で見た、異様に大きく目立つそれではないが、やはり満月は好きにはなれない。
そうして、セブルスは再度目の前に倒れ伏しているものを見やった。毛むくじゃらの、大柄な、二足歩行の狼。
いわずもがな、人狼である。
白くて角が生えているならば、神々しく麗しい教区長エミーリアのようで親しみが持てるのだが、ごわごわの黒いタワシのようなおっさん狼には何の感慨も持てない。ローレンスのように溶岩を垂れ流さないだけ良しとするべきか。
さて、どうしたものか。放置してもいい(どうせ出血過多で死ぬ)のだが、マグルもいるだろうところで、人狼を放置というのはよくないだろう。
そういえば。
ふと、セブルスは思い立つ。
この間読んだ論文に、脱狼薬のレシピがあった。セブルスの私見になるが、まだ改良の余地があるように思えた。
他にもいろいろ試したいこともあるわけで。ときどき聖杯ダンジョンの獣を捕まえ、身動きできないようにして実験してはいるのだが。
思いついたからには、やってみたい。だが、せっかく作っても、肝心な被験者がいなければ、実験結果が分からない。
被験者さえ、いれば。
ふむ、とセブルスは瀕死の人狼を見下して思案する。
よし、持って帰ろう。
思いついたら早かった。
万が一気が付いてまた暴れられても困る。とりあえず帰ったら鎖で拘束しておこう。
話が通じるようなら、薬の被験者として雇い、通じないなら、別の方法で説得しよう。
最悪、四肢を切り落としてしまえばいい。
・・・ヤーナム帰りの啓蒙高い上位者狩人に、良識を期待してはいけない。口では良識的なことを語ろうと、内心ではこうも猟奇的なのだ。
なお、彼にそれを直接言おうものなら、説得する分良識的だろう?と真顔で不思議そうに問い返すこと請け合いである。
忘れてはいけないと、周囲に
そうして、セブルスはバチンっと“姿くらまし”した。
* * *
“葬送の工房”のリビングでくつろいでいたレギュラス=ブラックは、家主の帰宅に顔を上げるが、その姿を認めるなり盛大に顔をひきつらせた。
何しろ、家主たるセブルスは血塗れの上、同じく血塗れの毛むくじゃらをワイン樽のように肩に担ぎ上げて、ポタポタと血をしたたらせながらスタスタと入ってきたのだ。
「先輩?!それどうしたんです?!」
「拾った」
「説明を!お願いします!簡潔すぎます!」
ヤーナムのことを聞いて以降、時々だが、セブルスは説明下手になるようになった。あるいは極端に説明を省くようになった、とレギュラスは思う。
まともに考えれば、セブルスが説明下手になっても無理はないのだ。何しろ、セブルスは彼の体感時間で100年もヤーナムにいた。
そのヤーナムの住人もひどかった。
『余所者め、消えちまいな!』『近寄らないでおくれ!』などの罵倒はかわいい方。
『死ね!』と開口一番に武器を振り上げられることもしばしばである。
まともな人間(ギルバートや、ガスコインの娘、鴉羽のアイリーンなど)は早々に死んでしまう。
会話の機会がなくなれば、自然とそういったコミュニケーションスキルが低下するというものだろう。
おかげでセブルスも敵意を向けられても、あまり動じなくなってしまったし、普通だと流せるようになってしまった。
ひどいものだ。
「襲われたから、返り討ちにした。
ついでに、この間の論文で脱狼薬について書かれていたので、自分でレシピに挑戦して、できれば改良してみたいと思ったゆえ、被験者として連れてきた」
「どうしよう・・・どこからツッコめばいいんだろう・・・」
ええぇ・・・と言いたげな顔で頭を抱えるレギュラスをよそに、セブルスはいまだに気絶している人狼を、ラグの敷かれてないフローリングに放り出し、そのまま
「それ、どう見たって人狼ですよね?!しかも今夜は満月だったと思ったんですが?!」
なお、ホグワーツの必須科目に天文学があることから分かる通り、魔法界で月齢の把握は常識である。カレンダーに普通に書き込んであるのだ。
「止血しているとはいえ、流石に腸管引き抜かれて、すぐに動ける人狼はいないぞ?」
思わず距離を取って杖を構えるレギュラスをよそに、セブルスは魔法で強化した鎖を人狼に巻きつけて拘束しながらしれっと言った。
「腸管を引き抜いた?!」
「内臓攻撃だ。狩人ならだれでもできる」
「ええぇ・・・」
そんなの知らないですとでも言いたげなレギュラスをよそに、セブルスは人狼をしっかり鎖の両端を南京錠で止めて縛り倒し、ついでにマズルにもガムテープ(実家の荷物処分の時に見つけ、その時に持って帰ったものだ)を巻き付けたのを確認し、そのままダイニングに行った。メアリーを呼ぶ声がすることから、大方夜食をとるのだろう。
仕方なく、レギュラスは人狼から距離を取って、カウチに座り、彼を見張ることにした。もちろん、杖は肌身離さずに。
* * *
次にフェンリールが目を開けた時、彼はとっさにまぶしい、と目をつむった。
恐る恐る目を開けると、見たことのない奇妙な明かりが目についた。
白い電球が7つ、六角の形とその中央に並べられている。
マグルで言うところの無影灯だが、かなり古めかしい。使い込まれたように古びている。電球に見える部分は、電気ではなく魔法の明かりだと、ややあって分かった。
それでも7か所も光って照らされればまぶしいに決まっている。
どうなっている?ここはどこだ?とっさにフェンリールは体を動かそうとして――動かない。
硬い診療台の上に横にされている上、鎖でがんじがらめに縛られている。口元に拘束具の類はない。
また、痛みの類もない。人狼になっている間のことは切れ切れにしか思い出せないのだが、どうも自分は誰かに襲い掛かり、返り討ちに遭ったらしい。傷はないのは、手当てを受けたためか?なぜ?
とっさに周囲を見回したが、診療台の真上にある無影灯に対し、周囲が暗すぎて、何が何だかさっぱりわからない。
こんな時こそ、とフェンリールは自慢の鼻をスンスンと鳴らして匂いを嗅ぐ。
人狼の鼻は、祖たるオオカミとほぼ同じだ。凡人どもでは嗅ぎ取れない、微細な臭いを嗅ぎ分けることができる。
フェンリールは、人狼の一番の武器は、牙でも爪でもなく、この鼻だと思っている。
敵意すら嗅ぎ分けて見せ、危ない場所には近寄らない。これだけで、うっとうしい闇払いを撒くことができたのだから。
スンスンと臭いをかぎ取り、フェンリールはウゲッと吐きそうになり、とっさに顔をそむける。
尋常じゃないくらい血の匂いが濃い。狼の間ならまだしも、人間姿では少々きつい。それだけでなく、磯のような生臭さ、腐敗臭もするし、錆っぽい臭いや、何かが焦げた臭い、排泄じみたアンモニア臭――早い話、悪臭の掃きだめのようだ。
だが、その中でフェンリールは一つ、異様な臭いをかぎ当てた。
こんな悪臭の中なら霞みそうなのに、不思議なことにその匂いは、他の臭いに紛れることなく、凛とフェンリールの嗅覚を刺激した。
何とも形容しがたい、不思議な匂いだ。とっさにフェンリールは、月を連想した。
虚空にぽっかりと浮かぶ、銀色の、月。
「月の香り・・・?」
「ほう?わかるのかね?」
かけられた声の方に、フェンリールはグルンと首を動かして振り向いた。
いつからいたのだろうか、いや、最初からそこにいたのだろう。匂いはずっとしていたのだから。
コツリッと、床板を踏んで彼は出てきた。
年のころは、20代は確実に越しているだろうが、妙に落ち着き払っている。若くも見え、老いても見える。
そして、魔法族にしては奇妙で、マグルにしては古めかしい恰好をしている。
残念ながら、フェンリールの浅い知識の中には、彼が纏うのはインバネスコートというものだとはなかった。
だが、ミニマントを留める首元の銀鎖と、グローブと一体になった手甲が、明かりに妙にぎらついた。
顔はと言えば、鉤鼻の目立つ、陰のあるものの、整った顔立ちだ。少々癖のある黒髪は長いらしく、背中で束ねているらしい。目元に少々長い前髪がかかる程度だ。
「何だてめえは?!てめえか、このふざけた状況をこしらえやがったのは!」
「本屋帰りの一般人を、牙をむき出しにして襲う人狼の方が、ふざけていると思うがね?」
並びの悪い尖った歯を牙をそうするようにむき出しにして唸るように問いただすフェンリールに、彼は緩く腕組みをして、しれっと言った。
おそらく、この会話をレギュラスが聞こうものなら、「先輩、一般人は人狼を返り討ちにして、内臓を引きずり出して、血まみれにしません」というツッコミを入れたことだろう。
「ああ、わかっているとは思うが、もう満月は過ぎているぞ。ついでにその鎖は破壊不可魔法で強度を上げている。人狼でも引きちぎるのは難しいだろう」
「へっ!そいつぁ結構。で?俺をフン捕まえてどうしようってんだ?魔法省にでも小遣い稼ぎに引き渡すか?いいぜ、さっさとやれよ」
プイッとフェンリールはそっぽを向いた。
妙な匂いをさせていようと、一皮むけばみな同じ。フェンリールは知っている。自分が人狼だと知ると、嫌悪するか、憐れむか、あるいは侮蔑するか。
だが、目の前の男は、しれっとフェンリールを見下ろした。
「そんなつまらん、啓蒙低いことなどせん。時に貴公、人狼ならば脱狼薬について知っているかね?」
「・・・だったら何だよ」
忌々しい薬の名前を出され、フェンリールは口をへの字に曲げて、男を睨みつけた。
人狼たることを否定し、人間にしがみつきたがる、軟弱者の利用品だ。薬と呼ぶのもおこがましい、ゲロ以下の何かの名前の名を出されれば、フェンリールに不機嫌にならない理由はない。
脱狼薬、脱狼薬。
その薬の名が出回るようになってから、フェンリール旗下の人狼のコミュニティから無断で出ていこうとしたり、手を切ろうとするものが後を絶たない。
連中は分かっていない。脱狼薬は所詮、一時しのぎに過ぎず、満月に変身するという性質だけは、どうあがいても逃れようがない。
加えて、薬は高い。伝手も金もない、人狼がそれをどうやって定期入手するというのか。
出て行ったところで、食いっ逸れ、金欲しさにコミュニティの場所を密告される方が数倍困る。
フェンリール=グレイバックは、人狼コミュニティのリーダーだ。
彼にはリーダーとして、他の大勢の人狼たちを守る、役目がある。
「そうだ。先日の魔法薬学会の学会誌の論文でレシピが公表されていたのだが、私はあれに少々不満がある。
いくつか手を加えられそうな部分が見つかったので、改良に挑戦したいのだが、効果を確認するための検体が不足していてな。
貴公、治験に参加してもらえんかね?
案ずることはない、私はどこぞの偽医者や頭のイカれた医療者どものように、治験と称して青くてブヨブヨした星界からの使者に改造することはせんし、上位者目指して頭部を皺塗れの肥大した状態にもせん、ましてその啓蒙低そうな頭蓋をたたき割って脳に瞳を探そうともせん。するまでもない」
後半、何を言われているか、フェンリールはさっぱりわからなかった。
ただ、これだけはわかった。
「てめえ、正気か?」
「ふむ。その質問の意図は不明だが、一応答えておくとしよう。
啓蒙低い凡人的感性で見るならば、
そう言って、フェンリールを見下ろす男の黒い瞳を見返し、フェンリールはクラリと眩暈を覚えた。
「で?治験には参加してもらえるのかね?」
「はっ!てめえは間抜けか?!するわけねえだろ!俺を誰だと思ってんだ!フェンリール=グレイバック!人狼の中の人狼とは、俺のことだ!
脱狼薬の改良だと!知るか!」
ガチャガチャと鎖を鳴らしながら、フェンリールは喚いた。
現状、フェンリールにできることには限りがある。彼にはどうあがいても、この鎖からは逃げられそうにない。
フェンリールは魔法が使えない。人狼が魔法族特有の疾病であるならば、確かに彼は魔力を持っているのだろう。
だが、魔法族と言えど、魔法を使いこなすには相応の教育を受けねばならないのだ。
フェンリールにはその経験はない。
彼は、人狼だったから。
人狼であるというのは、それだけで差別の対象になる。まともに勉学を受けることもできなくなるのだ。
リーマス=ルーピンは非常に運のいい魔法使いなのだ。
だからと言って、言葉巧みに鎖を解かせる、というのもフェンリールにとっては業腹だった。
それは、一度でも、振りであろうと、フェンリールがこの男に屈するということだ。
誰が、こんな、頭のおかしい、ただ人の、男などに。
「ふむ・・・手荒な真似はあまりしたくないのだが、どうしても?」
「
再度、フェンリールは唸るように言った。
来るなら来てみろと、フェンリールは覚悟を決めていた。
これでも、今まで彼は死喰い人の一員として、闇の帝王のおそばで、常に戦ってきた。呪文などなくとも、彼には爪と牙があり、月がなくとも、鼻で獲物を逃がさない。
痛めつけられたことだって、一度や二度ではない。高い治癒能力を持つ人狼だからこそ助かったような傷を負ったことだってある。
「そうか」
顔色一つ変えずに、男は腕を一振りした。
「?!」
てっきり杖を出すと思っていたフェンリールは、思わずギョッとした。
「何だそりゃ」
「教会の石鎚を見るのは初めてかね?」
そう言って、男は右手に携えていたそれを軽く持ち上げた。
分厚く重い、石の塊に、剣のような持ち手がアンバランスに取り付けられている、ように見える。石の塊には、奇妙な文字列が余すところなく彫り込まれており、見ているだけで、フェンリールを不安な気分にさせた。
「爆発金槌だと、うっかり診療台ごと破砕しかねんからな。これならば、ちょうどよいだろう」
「何がだ」
「貴公ら死喰い人はマグル的だと忌み嫌うかもしれんがね、拷問というのは単に相手を痛めつければよいというわけではない。
“磔の呪文”というのは、一見合理的だが、実の所レパートリーが非常に乏しい。加えて、痛みというのはすぐに耐性が出来上がってしまう。慣れと覚悟ができれば、耐えれてしまうのだよ」
淡々と言いながら、男はその石鎚を一度床につけるように下ろし、左手に支えを変えて、右手を軽く持ち上げる。
「時に貴公、右手を挽肉になるまで叩いて叩いて叩き潰され、左手をズタズタにされて指ごとに切り落とされた経験はあるかね?
さすがの私も手をそうされた覚えはないが、頭蓋を叩き潰され、胸をめった刺しされたことならある。何度も、何度も。
だが、私はここにいる。
私でもできたのだ。きっと、貴公もよい経験になるだろう」
くるりと振られた男の右手の一振りに応えるように、フェンリールを戒めていた鎖が形を変える。腹から胸辺りを寝台にしばりつけるような格好だったそれが、手首と足首を縛り付けるような形に蛇がのたうつように形を変えたのだ。
つまり、腕の大部分と手はむき出しということだ。
ここまで来て、フェンリールはようやく気が付いた。男の目つきは、生き物を見るそれではない、これから屠殺する家畜、あるいはすでにそうされたそれをどう解体しようか思案する目だ!
「ま、待て」
「却下する。貴公、改めたまえよ」
慌てるフェンリールを無視して、男は改めて剣のような持ち手に右手をかけて、石鎚を振り上げた。
腕を動かそうとした。無理だ。鎖はどう引っ張っても動かない。
フェンリールの口から、蹴られた犬よりもみじめな断末魔が飛び出した。
なお、地下室に連れ込まれた哀れな人狼の悲鳴を聞いたレギュラスは、ソファの上でぴょんと飛び跳ねたが、すぐさま聞かなかったことにして、メアリーの淹れてくれたお茶とスコーンを堪能することに全神経を注ぐことにした。
続く
【灰色人狼の服】
フェンリール=グレイバックが着用している衣服。フケと垢にまみれ、汗臭く、色落ちして灰色に見える。
長く着用し続けているそれは一見すると古びているが、死喰い人の魔法使いの手によって、人狼に変身しても破けず体躯に合わせて肥大するようになっている。
人狼を崇める者たちは言った。人狼には人血を流す権利あり。奴らが我らを畜生とみなすならば、我らは奴らに痛みを刻もう。
神殺しの狼の名を持つ男は誓った。それでも奴らが痛みを解さぬならば、その痛みは幼子たちに背負わせようと。
次回は、明日更新だ!お楽しみに!
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