幸福のあとさき。   作:月見肉団子

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第1話

 雪は空気の振動を吸収し、音を消してしまう。雪の日の朝が静かに感じるのはそれが原因だ。

 だから、例え世界の全てが停止したとしても、雪は世界を覆い、静寂をもたらす。そういう理なのだ。

 

 静寂。真っ暗に近い感覚の中、僕は目覚めた。

 キーンと耳鳴りのような音が響く。

 浮き上がった意識を視界に向けると、果てまで伸びた銀世界が広がっていた。

 

「あぁ、起きたのね。起きてしまったのね。おはよう」

 

 燃えるような赤。初めにそれが目に入った。その赤は少女の髪の毛で、炎のようなそれが風に靡いていた。

 

「ようこそ、終わってしまった世界に」

 

 身の身まで凍えるような景色なのに、彼女は薄着。

 もう一度、風が吹く。雪が舞い上がった。

 

「その身体はどう? 寒くない?」

 

 身体。と言われて初めて自分を注視する。そこには、くたびれたタスキみたいにコードが垂れ下がり、絡まっている。どう見ても生身ではない。

 驚いて口を開こうにも、どうやら口はついていないようだ。身振り手振りしようにも、不格好な腕のようなものは即座に反応してくれない。

 

 

「そう、驚いているのかしら。いいことね。まだ、あなたが人間であるということだわ」

 

 少女は平然と言い放ち、平坦な銀世界に視界を向ける。生身のはずなのに彼女は寒がる様子はない。

 しんしんと降り積もっていく雪。それに手をかざす彼女は、とても綺麗だった。

 

 白くて透明なままに、彼女は笑う。

 

「何が起きたか知りたい?」

 

 戦争があったの。と彼女は言う。

 一つの国が爆弾を撃って。それが始まりで、終わり。端的に、とても端的に説明された。

 

「周りを見てごらん? 建物だったものがたくさんあるでしょう?」

 

 雪に紛れた灰色のビル群。窓の無いそれらが先端だけを突き出していて、墓標のように立ち並んでいる。

 棺桶のように、直立したままに雪に埋もれる瞬間を今か今かと待っていた。

 本当に人類は滅んでしまったのだろうか。少なくともここには少女と僕しか居なかった。

 だとするならば、僕は何者だろう? 何故ここに立っているのだろう?

 

「あなただけじゃないの、見て」

 

 少女が何かを指を差す。その先は何もない虚空、その筈だった。

 しかし、チロチロと降る雪が何かをすり抜けていく。それは半透明のぼやけた何か。よく見ると、人間のようにも見えなくもなかった。

 いつかの陽炎が立ち上り、彷徨している。それは死ぬことを忘れてしまった人間なのだろう。

 まとも身体があったのなら身震いをしていたに違いない。

 

「あなたはその中の一つ。偶然、私が作った容れ物に入った魂なだけ」

 

 この子は命の恩人なのかもしれない。目の前の亡者の群れに混ざりたいとは思えないから、掬い上げてくれたのは感謝しかない。

 せめてもと身体を揺すると、彼女は笑う。

 

「感謝してくれるのね。こちらこそありがとう。目覚めてくれて」

 

 笑う姿はどこか懐かしく、儚げであった。身体がこんなのだからかもしれない。剥き出しの心が動いていた。

 

 それからというもの、彼女との生活が始まった。

 

 彼女の住処はボロボロのコンクリートの箱と称するにふさわしいような場所。そこに二人で逃げ込んだ。

 炭になってしまった食べ物からマシなもの、缶詰を探しだしては彼女に差し出す。その度に喜んでくれる顔が、充実感を与えてくれる。それが僕の毎日。

 物を作る才能が彼女にはあった。ガラクタを組み合わせて、テーブルを、二人分のイスを、ベットを、次々と創り出していく。

 ここにアナタが来てから楽しいわ。と笑っていて、それがまた僕の心をときめかした。

 

 けれど、そんな幸せな日は、長くは続かなかった。

 

 ある日、吹雪がやってきた。唐突な雪の暴威がすべてを白に塗り替えていく。背の低いビルの廃墟が覆われて小高い丘のようになる。半透明の彼らが飲み込まれて消えていく。

 白く、白く、残虐な津波。猛吹雪は僕と彼女の隠れ家まで及んだ。

 容赦なく窓から雪がなだれ込み、作ったテーブルもイスも全てが白へと帰っていく。幸せな日々が雪の下に埋まっていく。なんとか自分たちが埋まる事は避けられたが、その他は全てが終わっていた。

 必死に掘り出そうとした。けれど、掘っても掘っても、降りしきる雪が努力を消してしまっていた。

 

「もう、いいよ」

 

 そうやって彼女は言う。痛々しい笑顔が浮かんでは僕の心を締め付ける。

 そんな笑顔が見たくなくて、僕は彼女の手を取る。

 

「何処かへいくの?」

 

 驚いた顔でもいい。とにかく悲しい表情をさせたくないから手を引っ張る。

 もっと別のいい場所があるはずだ。そう確信して彼女と歩く。何もなくなってしまったけど、彼女がいる。

 

 その先を信じて歩いていた。

 

 もう、どれくらい歩いたかわからない。

 だんだんと彼女のペースが落ちて、休憩を多くとるようになってきた。同じように僕も意識が飛ぶ時間が増えていく。

 半透明の影もぽつぽつと減ってきて、人類のモラトリアムが終わる時が近いと、確信に変わっていった。

 

 ──急がなければならない。

 

 彷迷うだけの日々に、焦燥感が募っていく。

 彼女は眠り、すれ違う影が消える。

 世界の本当の終わりが近い。

 

 そして、影を見なくなって幾ばくか、ついに終わりが来た。

 糸が切れたように、彼女が倒れたのだ。

 

「ごめんね、もう……置いていってもいいよ」

 

 それは嫌だ、と不格好な腕を伸ばす。

 

「もう、充分だから」

 

 彼女が雪に埋もれてしまう。それだけは避けたくて近くの建物に入る。

 どこかのデパートだったようだ。華やかだった頃を想像させるような通路を抜けて、屋上庭園の看板を横目に彼女を引きづっていく。

 背負っている彼女が語りかけてくる。私もね、と。

 

「たまたま肉体が滅ばなかっただけ。あなたと一緒。私の死体という容れ物に、私が入っているだけ」

 

 分かっていた。吹雪に埋もれた家から手付かずの缶詰が大量に見つかったから。

 それでも良かった。彼女は彼女だから。

 少しでも暖かいところへ探していると、突然視界が開けた。

 

 それはまるで天国のようで、僕たちが目指した『もっといい場所』に違いなかった。

 

 旅の終わり、終着点。

 

 辿り着いたのは、色とりどりの花が咲き乱れる美しい花園。

 この情勢下で、どんな天文学的な数値上の奇跡はわからない。ただ、これだけは言える。これは人類の建物が覆い守っていた最後の楽園だった。

 

 その花園に、彼女を横たえる。

 

「ほんとはね、ずっと待っていたんだ。ずっと、君のことを待っていた」

 

 こんな世界に、たった一人で待っていたの。

 

「覚えていない? この身体を守ってくれたのは、あなただったんだよ?」

 

 ずっと探していた。呼び掛けて、声が枯れるまで呼び続けて、それで応えてくれた。

 手が凍って、ボロボロになってもあなたの容れ物を作った。その甲斐はあった。充分過ぎる程に。

 

「幸せな日々だった」

 

 満足そうに彼女は笑う。

 風もないのに、周りの花が揺れる。

 ──駄目だ、彼女が消えていく。

 

「もう一度、だけ、お礼が言いたかったの。助けてくれてありがとう、って」

 

 彼女を構成する何かが抜けていく。彼女が終わっていく。

 光の束が彼女を包む。

 

「こんな、幸せな日々を、終わりを与えてくれて、ありがとう」

 

 ──愛しているわ。

 

 そう告げて、彼女は眠るように目を閉じた。

 

 涙は出ない。出せる機能はない。

 ただ、ただ、彼女のもとに行きたかった。

 

 ボロボロと身体が崩れていく。彼女が作ってくれた身体が解けるように壊れていく。きっと繋ぎ止めていた何かが切れたのだろう。急速に僕の体は鉄屑に変わっていく。

 

 だが、それでよかった。これで一緒に行ける。

 

 消えてしまった光を追いかける。

 ふと、気がつくと、眼下には花園に彼女と僕がいた。

 重なりあうように、横たわっていた。

 

 終わってしまった世界と、彼女は言っていた。

 けれど、違う。確かにここに幸せな日々があった。ここに僕と彼女がいた。

 

 ここにあったから。確かにここに、幸せはあったのだから。

 

「幸せだった」

 

 例え、雪が全て覆っても、確かにここにあった。何も消えないし、何も無くならない。

 それは、僕と彼女の幸福な日々。

 

 追いかけて、追い付いて、また始めよう。きっとそれは、幸福に溢れているから。

 

 

 

 

「また、応えてくれたね」

「今度は言葉も交わせるようになった」

「そうか……それは」

 

 

 

 ──幸福なことだね。

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