やはり俺の高校生活はまちがい続けている。 作:さっきのピラニア
あの頃はボッチなんて言葉は生まれていなかった様な気がするが、現代の価値観に照らし合わせるとボッチだったのだろう。
ボッチを孤高なんて言葉に置き換えて大人ぶった記憶もないが、自然とそうなったのである。ボッチはボッチの素質があるから
ボッチになる。もしくは学校という社会の中で共存する必要がないからボッチになる、そういうもんなんだろう。
特に誰と仲良くなるでもなく、体育でペアを組む相手が居なかったりはしたが、特に問題は無く学校生活は続いていく。
世界は灰色だ、と誰かが言った。確かにそうかもしれない。他の人は世界は鮮やかに色づいている、と言った。ただそれは網膜を通して脳に届く光の波長でしかない。その光がどんなに強くたって鮮やかだって。その人の心に灰色にしか映らなければ灰色なのである。どんなにつまらない世界だったとしても。その人が美しいと感じれば、その景色は美しいのである。俺は前者の人間た。世界は灰色で。何となく他人事で。俺が居なくても世界は関係なく回っていて。
ただ一人、彼女を除いては。彼女は何故か俺が居なくても回っていく世界を許してはくれなかったのだ。
彼女は只のクラスメイトだった。容姿も良く、嫌みも無く、クラスで上手く立ち回る事のできる稀にいる人気者。そしてそんな彼女は皆と仲良くしたかったのだと思う。
皆と仲良く、それは理想論だ。その輪の中に入りたがらない者もいる。入りたくても弾き出される者もいる。学校の教室というコミュニティは一つの社会だ。年端もいかない高校生にとっては、社会のほぼ全てと言っても差し支えないかもしれない。そんなコミュニティから弾き出されている俺を見て、彼女は救い出したかったのだろう。それを許さない者もいる。元からそのコミュニティにいた人達である。雰囲気を作り、その雰囲気に同調しない者を村八分にした者たち。彼らには悪気はない。学校社会での生き方の一つだから。それは学校の中で暗に認められているルールだから。最初からその輪にいる人間が部外者を輪に入れようとしても、その輪の中の者が許さないのはその輪の中の者で、あぶれる者が出るかもしれないから。人間関係というものは強固ではなく、曖昧で脆弱でなんとなく結びついた関係でしかない。金属結合の自由電子くらい付かず離れずを繰り返し。そのとき心地よい自分の居場所を探し続け、離れ、そしてまた探す。
彼女は積極的には誰とも話をしてこない俺に話しかけてきた。話すのは何気ない日常の会話。
クラスに溶け込ませたかったんだと思う。俺はその気は無かったので特に現状は変わらなかったのだが けれども。
ただ一つ気になる点はあった。偶に俺が見ているが見ていない時があるのだ。
何かに思い馳せるような、何かを躊躇う様なそんな瞳だった。
「祐一くんは昨日のテレビ見た!?私はさー、ーーー」
彼女はその後も俺に話しかけてくるようになった。
過去そういった人もいた。でも次第に興味を失って離れていった。彼女もその一人だろうと特に気にも留めることはしなかった。
彼女の行動が、俺の存在が、クラスでの歪みを生じさせるのは必然だったのだと思う。
所謂イジメである。俺は特に気にも留めなかった。行動と人間関係を考えれば、そういったターゲットになるのは俺でも分かる。だからクラスの大多数はターゲットにならない様、注意深く、そして狡猾に自分の存在を隠し、紛れ込ませて生活するものである。俺はそれが性に合わなかった。中学でも同じ事はあったし、それはいつか飽きられ、そして他の人間へと移っていく。偶々今は自分というだけなのだ。円滑な学校生活という枠に収まらない人間は大なり小なり、遅かれ早かれそんな番が回ってくるのだ。
彼女はそれを許しはしなかった。イジメは良くない。それは正論であるが詭弁だ。相対的に誰かを下に見る甘美さは何にも替えがたい。彼女の立ち回りに対して、、やはりクラスメイトの反応は冷ややかで変わらない。そしてその行動は何も解決にも至らない事を彼女は知っているのだろうか?
俺は彼女に言った、そんな事をする必要なんてないと、これは普通に起こる事なんだと。
こちらを気にしている様子ではあるが、クラスの歪みはいずれ無くなっていく。俺という存在を学校という狭く、学生には余りにも広い空間から弾き出す事によって。