真っ白な道を進む。
足跡一つない、未知の道だ。
ザク、ザクと一歩、二歩踏みしめる度に道が“ブーツ”の底を呑み込もうとする。
右足を上げると、左足が。左足を上げると右足が。
世界の底へと沈んでいく。
白い、白い砂漠。
この辺りは、春の間は木々で溢れ返った深い森だった。
地図に、そう書いてある。証拠に、朽ちかけの木片が辺りに散らばっている。
これらも程なくして、灰になる。春になれば、物凄い勢いで枝を広げるだろうが、この国でいうところの植物は『灰から生まれ、灰に還る』という循環を一年かけて行う。
そして冬とは、一切の植物が一斉に灰に還る季節のことをいう。
手始めに、11月の終わりごろに草花が枯れ、花壇を真っ白に染めると、霜が降りたと騒ぎ始める。
それを皮切りに、ほとんどの場合は背の低い順に、跡形もなく朽ちるか、凍ったような灰の塊になる。触ると、砂のように崩れる。
ムギの束が灰の山に変わった朝、初雪だと人々の表情は曇る。
樹木が細り始めると、大雪が来ると“厚着”の者が増え始め、一週間も経たずして町は沈んだように眠る。
冬ごもりというやつだ。もっとも、富裕層やわたしのような流れ者の放浪者には無縁のことだ。
外を出歩く際は、決まって“密閉服”と“安全靴”。それ以外にもコンパスや日時計だとかとにかくいろいろと準備が必要だ。
そのために好き好んで町の外を出歩くような輩は、よっぽどの物好きか、商売や取引など、何か目的がある連中くらいのものだ。
歩くこと三日。どれだけ歩いたかは検討も付かない。
なにせ標のない道だ。頼りなのは、灰の幕の向こう側でぼんやりと光る太陽の高さと、あたふたと自信なさげに、小刻みに震えながら北に針を向けるコンパスだけ。
夜には風が落ち着いて、帳が降りたように灰の向こう側から夜空が浮かび上がる。
月が天頂に昇りきるまでに手頃な廃墟や洞窟を見つける。
地図を見たって、今自分がどのあたりにいるかなんて分かったもんじゃない。
砂塵の向こう側に人影が見えた。一人だ。
その者は、わたしに気がつくと大きく手を振り、ゆっくりとこちらへと向かってくる。
煤けた“つなぎ”が中の者の年季を感じさせるようでもあった。
その者はわたしの前まで来ると、一冊のスケッチブックと煤けた写真をわたしに見せた。
『この子を見たことはありませんか』
写真に写っていたのは小さな女の子だった。5、6歳といったところか。
肌や、金の髪が濁って、色褪せた写真の中で、青い瞳だけが鮮やかに、絵の具を落としたように輝いていた。
青眼の子だ。一度見たら忘れないだろう。
わたしが首を横に振ると、その者は慣れた手つきでスケッチブックのページを捲る。
マスクの向こう側で表情は読み取れなかったが、“つなぎ”の中にいるのが写真の子の父親だろうということだけ、なんとなく分かった。
『ありがとうございます』
消えそうな字で、それだけ書かれていた。
青い眼の子どもは特別な子だ。
この灰に侵されず、自由気ままに生きられる。
おそらくは、人さらいに遭ったのだろう。青眼の、それも幼い子ともなれば売れば一生を遊んで暮らせる。
何がありがとうというのだろう。
わたしは何もしていないのに。
彼女は、別れ際に両手で物を書く仕草を見せました。
スケッチブックを貸してくれ、という身振りだと頭が追いつくのに、少しだけ時間がかかりました。
スケッチブックとペンを手渡すと、彼女は慣れた手つきで言葉を記し、わたしに見せた。
彼女、というのは勝手な判断でした。“フード”の向こうの顔は見えませんでしたが、厚手の手袋をつけたまま書いた、その人の文字がとても綺麗なものでしたから。
『見かけたら必ずお伝えします。あなたはどこの町に住んでいますか』
娘を探して、かたや13年。
町の外で、会話をしたのはこれが初めてのことでした。
――ザク、ザク
次に見えた影は、しきりに同じ動きを繰り返していた。
薄着だった。ローブで灰から身を守っているのだろうか。シルエットだけで見ると魔法使いや盗賊のように見える。
シャベルで灰を袋に詰めていた。その音が、波の音のように遠くまで響いて聞こえる。
「おや、旅人さんですかな」
骨と皮ばかりの血管の浮き出た腕でシャベルを握る腕が痛々しい。
「ちょっと、休憩していきませんか」
老人はちょい、ちょいと左側を指差した。そう遠くないところに小さな、みずぼらしい小屋がある。この老人がどれだけ気のいい人間でも、あれでは盗賊も目をつけまい。
わたしが頭を下げると、老人は顔の右半分だけでくしゃりと笑みを浮かべた。
「この年になるとさすがに“雪かき”は体に堪えますな」
何日かぶりに“フード”を取った。
空気は相変わらず淀んでいたが、黒ずんだマスク越しに吸うものよりは100倍マシだ。
老人は、わたしを見て右目を丸くした。
「いやはや、女性……というよりもこんな女の子が旅人とは。いや、女の子というのは逆に失礼でしたかな」
「わたし、おじいちゃんみたいな人は好きです。考えるよりも先に口に出してしまう人」
「口の達者なお嬢さんでしたか。今、お茶を淹れますのでくつろいでください」
よく見ると老人は、顔の左目から頬まで、右腕、左足が灰に侵されていた。
灰かぶりは珍しい病気ではない。一種のアレルギーのようなものだ。
皮膚が堅く、白化して動きが鈍くなる。症状が酷いとその部位が、風化した石のようにボロボロと、薄く、少しずつ剥がれ落ちる。
命ある者すべてが侵される病だ。
青い瞳を持って生まれた者は、一切の影響を受けない。
「どうして灰を、集めているのですか?」
老人は一呼吸置いてから、口の半分だけを開いて言った。
「春になると、この辺りは花で包まれます。今淹れているお茶も、この辺りでよく採れる茶葉です。色を変えて、形を変えて、霜が降りる少し前まで、咲き続けます。
灰は、肥料になります。種子になります。その土地の風土によって、灰もまた特色を変えるのです。種を撒かずともまた同じ植物が生え、水を撒かずとも草花は一人でに育ちます。不思議なものです。この色の無い砂に、数千、数万の生命の息吹が眠っているのです。その息吹が、きっと我々には毒なのでしょう」
老人はまるで歌うように言葉を紡ぐ。
パチパチと、蝋で固めた薪が弾ける。
強い風が吹くと、ガタガタと小屋が震えた。
「女房はとっくに亡くなりました。毎年夏になると、息子夫婦が遊びに来ます。積もっては、掻き、集め。積もっては、掻き、集め。夏が来るのを楽しみに、そんな生活をずっと続けながら、この場所に居続けているんです」
老人は、物寂しそうに言った。
この白い体のどこに、そんな力があるのだろう。
この細い体のどこに、そんな希望があるのだろう。
老人の出したお茶は、酷く苦くて、押しつけがましく、身体の芯にしがみつくような熱さだった。
彼女はお言葉に甘えて、と一晩を明かすと朝早くに支度をして、出ていきました。
成人したかどうかも怪しいような、幼いお嬢さんでしたが、残していった言葉が印象的でした。
「また、冬にここに来ます。それまで元気でね、おじいちゃん」
あの子は、どこへ行くのでしょう。
外へ出ると、登ってきた太陽を横目に。
赤い印の差す方へ。真新しい白い“コート”と“ブーツ”に身を包んで。
北へ、北へと、ゆっくりと歩を進めていきました。
歩き続けて2日。
ザク、ザクという足音が堅く、鈍いトン、トンという足音になったのに、町が近いことを実感した。
道中、一人の商人に方角を伺った。警戒心の強い、怯えたような、気弱な商人だった。
きっと、青い瞳の白馬に荷を引かせていたからだろう。
程なくして町が見えた。ルフスという町らしい。かしこまったような、小さな町だ。町の南側に建つ時計塔が、細く、鋭く、威張ってないのが不思議なくらいだった。
きっと元は赤い壁の建物だったのだろう。灰で煤けて、淡い桃色に見えるのが風流だ。
長居する理由もない。冬で人もあまり出歩いていないし、ほとんどのお店もシャッターを下ろしていた。
最低限の補給をして、どこか大きな壁際にキャンプを作り、一夜明かして町を出よう。
町の外側で、薄着の少年を見つけた。灰をかき集めて、火を焚いている。
灰まみれのボロボロのローブと、冬だというのに白いシャツ一枚。深く被ったフードから、ぼうぼうに髪が伸びていた。寒さから身を守るように丸く、震えている。背丈からして、十代ちょっとといったところだが、さて。
露出した肌が白けていない。あるいは、元々白いのか。家無し少年というわけでもなさそうだが、身なりからして家出少年というわけでもない。
訳アリ少年、といったところか。このご時世、こういうのはよくいる。大きな町じゃスラムが形成されているのが当たり前だ。程度に差はあれど、そのほとんどが灰かぶりだ。
だから、この少年は訳アリ。どこかで飼われているのか、逃げ出してきたのか、経緯はなんだっていい。
一人旅に飽きてきたところだった。
ここらでナンパも悪くない。何より女として箔が付く気がする。
ここにほっぽっておくよりは、後で気にならなくて済む。
「どーした、少年。訳アリ?」
その人は、唐突に、軽率に、ぼくの前に現れた。
「こらこら。人と話す時は、まずは相手の目を見る。学校で教わらなかったか?」
声が通っていたから、“フード”を脱いでいることが分かった。
怖いくらいに、綺麗な人だった。
陽光をめいっぱいに蓄えたような金の髪と、夏の空を映し込んだような青い瞳が、きらきらと無邪気に輝いていた。
「少年。旅は好き?」