狂いのストラトス Everlasting Infinite Stratos 作:柳之助@電撃銀賞5月10日発売予定
夜の潮風が一夏の頬を撫でる。満月の下、水着姿の一夏は岩場の上に腰掛けていた。彼の髪が濡れているのは先程まで泳いでいたからだろうか。
「…………」
濡れた前髪の間から水平線を見つめる瞳は遠い。
想うことは、今朝の戦闘だ。
暴風竜との戦いが終わりもうかなりの時間が経っていた。あの後、千冬たちIS学園たちの教員が負傷した箒たちを搬送していった。一夏と鈴は怪我などは無かったが、皆はかなり重傷だったらしい。もっともすでに回復しているが。
それよりも。いや、そのことも大事だけが、今の一夏にはもっと気になることがあった。
「あの感覚は……」
新たな生命へと生まれ変わっような感覚。人の領域を超えて遥か高みへと疾走していのだ。 事実あの時身を包んだ万能感と光速抜刀をさらに超えた神速の颶風抜刀。それまで手も足も出なかった暴風竜を終始圧倒していた。
そこまで至った切欠。それは、
「あの時の………あの声……」
あの真っ白な砂浜で出逢った声。自分の背中を後押ししてくれた声。
無垢な声だった。どこか幼くて、それでいて母性を感じるようだった。どこかでーーーー聞いたことがあるような、いや、感じたことがあるような温もりだったのだ。
「そう、どこかで……。どこかで感じているような」
記憶を思い起こす。出来る限り、記憶にある限りを。いつどこで感じていたのか。思い出さなきゃいけない気がしたのだ。彼女にあった以上、忘れたままなのはいけないのだ。例え、一夏自身が知っていることが僅かだともしても、それでもーーーー
「…………一夏?」
「!」
背後からかけられたら声に振り返る。思考は完全に途切れた。
「なにしてんのよ、こんなところで」
「え、あ、ああ。なんでもない」
再び前を向いて、隣に座ってきた彼女に声をかける。茶のツインテールにオレンジ色のタンキニタイプの水着。しなやかな猫を思わせる体躯とつり目。
「お前こそ、どうしたんだよ、鈴」
「別に、私もなんでもないわよ」
●
「他の皆はどうした?」
「箒の誕生日会よ。旅館の大広間でどんちゃん騒ぎしてるわ」
「ああ、そうか……」
そういば、今日は箒の誕生日だ。暴風竜相手にしていたせいでスッポリと頭から抜け落ちていた。プレゼントもなにも用意していない。怒られるだろうか、束に。
「あんた、宴会始まる前にさっさと抜け出したんでしょ? 私探してたのに中々見つかんなかったし」
「ああ、悪い。さっきまで泳いでたんたよ」
「元気ね、というか、身体大丈夫なの? 腹に風穴開いて意識不明だったのに」
「ああ、よくわかんないけど。なんか全部治ってた。てか、俺的には腹刺されて、千冬姉たちが来てくれてから意識無くして気づいたらあの砂浜だったんだよなぁ」
我ながら濃い。
「………あれ、なんだったのかしら」
「さあな、千冬姉か束さんならなんか知ってるだろうけど、教えてくれないだろうな」
暴風竜を倒して、帰ってきても千冬も束も怪我を心配するだけで、特になにも無かった。そう、何一つ言われなかった。それが一夏には不思議だった。
あの領域に至って初めて理解した。あれが織斑千冬と篠ノ之束がいる位階なのだ。一夏は二人のことを存在のレベルが違うと想っていたがまさしくそういうことだったのだ。
「いや、でも俺や鈴とは少し違うか……」
あの時の一夏と鈴は己の渇望により存在が完結していた。それは己の内側へと祈りが向かっていたから。
だが、多分あの二人は違う。
祈りが外側に向かっている、とでも言うのか。自分たちのように己だけとして独立するのではなく、他を引き連れ、率いる覇者の祈り。
一夏と鈴が求道というならば、千冬と束は覇道とでもいうのか。
一夏たちとは別物だ。その渇望も、深度も、強さも。
「……一夏? ちょっと一夏? どうしたのよ」
「ん、ああ、どうした?」
「どうしたって、あんたが話しかけても反応しないからでしょうが。そっちこそどうしたのよ」
「いや……なんでもない。鈴こそ、どうかしたのか?」
「えっ、あ、いやそうね……」
なぜだが鈴の顔が真っ赤になった。月明かりしかないのにわかるくらいはっきりと。
「えっーと」
「ん?」
人差し指を突き合わせていて、目が物凄く泳いでいた。なんか汗もやたらかいているし。
「今朝の戦いで、さ……その、アンタ言ってなかった?」
「そりゃいろいろ言ったけど、なにをだ?」
「だから、その…………れの、おん…………が、どう、だとか………」
「は?」
どうしたんだろう。完全にらしくない。いつもサバサバしている鈴がこんなふうに言葉を詰めるのはかなり珍しい。
「だから……その、……………のがって、言ってた、じゃない?」
「………? 悪い。聞こえなかった。もっとはっきり頼む」
「だからっ!」
顔を真っ赤にした鈴が身を乗り出して叫ぶ。
「あ、あんた私のこと自分の女とか、ほかにもいろいろ言ってたけど、あれどういうつもりよ!」
「…………………」
一夏の意識が一瞬とんだ。超高速で、多分今だけは神速で記憶を巻き戻す。言っていただろうか。あの時はなんというかテンションマックスだったからいろいろ叫んでいたような気がする。超神速で思い出して、
『ーーーー人の女に手出してんじゃねえ』
『お前と会えてよかった』
『殺したいほど愛してるっ!』
めちゃ言っていた。
頬が一瞬で熱くなる。顔が真っ赤なのが自分でもわかった。その場の勢いで物凄いことを言っていた。
「あ、いや、………なんていうか」
「なによ……はっきりしなさいよ」
いや、まてまて。とりあえず、上目つかいで涙を浮かべないでほしい。あと足モジモジしないでくれ。なんかほんといろいろつらい。
「その、だな……あれは」
口が上手く回らない。ていうか、今さらだけど近い。一夏と鈴の間の距離は数センチのみだ。お互いの体温がモロに伝わってくる。それだけじゃない。潮風に混じって鈴の髪とか身体からいい匂いがして頭がぼーっとしてくる。
「つまり……えーっと」
「うん……」
「あー……」
「……………」
だから、頬を染めるな上目つかいするなモジモジするな。可愛すぎてなにも言えなくなる。
だが、それを鈴は一夏が答えに迷っているのかと感じたらしい。それか間に耐えられなくなったのだろうか。
「だー! 焦れったいわね!」
「うわ!」
横から抱きつかれて押し倒される。同時に岩場から滑り落ちた。
「うが!」
背中から地面に落ちる。下が砂だったからよかったが岩だつたら大怪我だ。
だが、一夏にそんな思考は働かなかった。背中から落ちた次の瞬間には、
「んぐ!」
唇に柔らかい湿った感触。鼻孔をくすぐる甘い香り。そして驚きで見開いた目の前には、
「……ん、ふぅ、んん……」
息を漏らす鈴。
キス。
一夏は鈴にキスされているのだ。押し倒されながら、唇を押しつけられている。
それは数秒だけ続いて離される。
「…………ぷはぁ」
「…………」
離されたといっても未だ、間の距離は数センチ程度だ。互いの吐息が交わる。
「……もう離さないわよ」
「鈴……?」
「私は、あんたしか見えないから。あんたじゃないとダメなのよ。私はあんたに触れてほしいから高嶺に咲きたいのよ」
こつん、と鈴が一夏の額に自分の額を下ろす。文字通り目と鼻の先。
「私、聞いたから。私はあんたの女なんでしょ? 今更違うだなんて言わせない。言ったらぶっ殺してやるんだから」
「……それは、怖いな」
「でしょ?」
二人とも小さく笑う。
「私、あんたが好きよ。あんたみたいな馬鹿がね。刀ばっかり振って斬ることしか考えていない人格破綻者だけどさ……でも、そんなあんたが好き」
「俺は………………っ」
「ふん………ん、あ……」
言葉を重ねようとして、また唇を重ねられたら。
「ん……ふぅん……ちゅっ」
「ん……!?」
それも今度はただ重ねるだけではない。鈴が一夏の唇をこじ開けて舌を差し込む。
鈴の小さな舌が一夏の舌とが絡み合う。
「ふぁあ……んん、あうん………」
砂浜に水音が響く。
「……ちゅっ……ふぁっ………………ん」
離れる二人の唇の間に唾液の橋が出来る。それを視界に納めつつも、
「………俺、まだ何にも言ってないぜ?」
「それは、その……なんか聞くの怖いじゃない」
「なんだそれ」
舌まで入れてきて、怖いとか目を逸らすとかおかしいだろう。
その様子を見て一夏の腹は決まった。いや、再確認と言ったほうがいいだろうか。昔からそうだったのだ。きっと初めて会った時からそういうことで、あの日の黄昏の約束の時からその想いは強くなっていたのだ。
「鈴」
「なによ……っんん!」
今度は一夏から鈴の唇を奪った。顔を上げた拍子に歯がぶつかったがそれでも舌を差し込む。
「んふぅ……ちゅっ……ふわぁ」
鈴の舌に絡み、歯茎を舐める。
頭が回らなくなってきて、衝動のみで舌を動かしていた。
「ん………」
時間としてはそれほど長くなかったけど、心臓が痛いほど鳴っていた。それは鈴も同じだと思う。
鈴の肩に触れて軽く押して起き上がる。鈴をさっきまで座っていた岩場に押し付けた。
「あ……」
「俺は、そうだな。お前を斬りたい。お前だけを斬りたい。こんなことを思うのは間違いなくお前だけだよ」
歪な、愛と言えるかどうかも分からない。イかれているし、狂っているだろう。それでも、恥じることはないと、一夏は思う。
だから、一夏は言う。
「ーーーー俺は、お前が好きだよ」
そうだ、殺したいほど愛してる。誰かに殺されるくらいなら俺が殺したい。
同時に、殺されてもいいと思えるほど愛しているのだ。
「いち、か」
鈴の両目が大きく見開かれる。
それも可愛いと感じた。
「……………っ」
感極まったように鈴から涙が零れる。
それが嬉し涙だってことはいくら鈍い一夏でも分かった。
嬉し泣きの涙は留めなく流れる。
「ちょ……止まらないじゃない、これ……どうしてくれるのよ、あんたのせいなん、だからね」
強がるように上目つかいで睨んできた。
「責任、取りなさいよっ」
プツンと何かがいった。なにか、ではなくて。それは一夏の理性がぶち切れる音だった。
「ああ、いいぜ」
「え……?」
「だって、お前俺の女なんだからな。俺だって、お前を離さないぜ。…………いいよな?」
一夏の宣言に鈴はさらに顔を赤く染めて、
「………うん」
コクンと、頷いた。
その仕草に思わず、
「……お前、可愛いすぎ」
「え………んひゃあ!」
一夏が首すじを舐めた。舐めるだけでなく吸う。
「んん……ちょ、い、いちかぁ」
甘い吐息が一夏の衝動を後押しし、
「その………優しく、してよぉ……」
●
「うひゃーうわー。いっくんすごっ。いつの間にか男の子になってたんだねー」
「……………」
「わーいっくん積極的ー。ひゃー………ってどうしたの? ちーちゃん?」
「あのな、束。いいか、よく聞け?」
月明かりの下、束は岬の柵から身を乗り出して、千冬は背中を預けていた。
「なにが悲しくて弟と妹分の情事を覗かねばならんのだ……!」
「まあ、独り身には辛いよねー」
「お前もだろうが」
体を震わせる千冬に束が遠い目をする。
千冬も束も二十代半ばにして、恋愛経験ゼロである。
もっともそれを本人にいうとガチで殺されかけるのだが。
「んで、どう? ちーちゃん、身体」
「まあ、なんとかな。一応問題ない。正直、思ってたより負担は軽いさ」
「気をつけてね。……私とちーちゃんは自分の力を使えば使うほど消耗するんだからね」
「わかってるさ。この
「だね、■■■■■がいなかったら私たちはこうして話すことは出来なかったわけだし。
「全くだ」
二人とも柔らかく微笑む。
それは掛け値なく愛と母性に満ちた微笑みだった。
そう、まるで娘の自慢話をしていたかのようだった。
「だが、■■■も動きだした。いや、戻ってきたかと言うべきか」
微笑みが一転して鋭さを得て、口元が堅く結ばれる。
「
「多分、もう少し猶予はあると思うよ……ただ、それが」
「あいつらの成長に間に合うかどうか、か。一夏と鈴は一度至ったから、遠からず再び至れるだろう。他もまあ遠からず行くべき領域へと行けるだろうな。だが……」
「箒ちゃんなら大丈夫。絶対に。私の、魂に掛けて堕ちさせはしないよ」
「ーーーーそうか」
「うん」
もはや語ることはなかった。二人はそれだけで通じあっていたから。
そして、
「だから束、覗きはやめてやれ」
「えーー」