狂いのストラトス Everlasting Infinite Stratos   作:柳之助@電撃銀賞5月10日発売予定

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推奨BGM:祭祀一切夜叉羅刹食血肉者

愛しているのはあの人だけだから
あなたは違う


第拾肆章

 

 鞘走る斬風は止まらない。

 悲嘆の覇道は確かに颶風の担い手を刻んでいる。掻き毟り、削り、抉り、損なわせている。それは確実。既に織斑一夏の姿は見るも無残な有様だ。血に塗れ、肉は抉れ、骨にすらも亀裂が入っている。一歩歩く力どころか、機能的に不可能なほど。両足で立っているのが不思議なくらいだ。斬撃はもう最初ほどの馬鹿げた数はない。降り注ぐ暴雨を凌ぐことはできず、刻々と傷は広がっていく。

 けれど、それでも一夏は刀を抜く。

 身体が酷い有様? 

 傷だらけ?

 歩けない?

 その傷は未だに広がり増えていく?

 

「あぁ――だからどうした」

 

 最早口の形すら曖昧になりながら、関係ないと彼は嗤う。

 

「知らねぇ知らねぇ聞こえねぇ見えねぇ。俺の道に、そんなもん関係あるか。俺はただアレを斬るだけだから――」

 

 だから刀を抜き放つ。

 プリームムの剣砲と激突し、押し負け、数を重ねてなんとか相殺しながらも一夏は止まらない。そんなことにすら彼は構っていない。確かに今は斬れない。だがそれがなんだというのだ。織斑一夏が斬れないものなどこの世にあるはずがない。高嶺の華を斬るにはその程度できなければ届かないのだから。

 斬れないのならば。

 斬れるまで斬り続けるだけだ。

 そんな馬鹿げたことを一夏は実践している。

 

「――ッ」

 

 プリームムと重なる刃。数週前までは数十閃が必要だった。場合によっては百にまで届きかねない斬撃が必要だった。けれど少しづつ、ほんの少しづつだが、確かに必要な数を減らしていた。

 

「ははっ――」

 

 嗤う声にすらも斬気が宿り始める。あらゆる行為全て存在の一つ残らずがソレのために特化していく。

 その神刀に亀裂を入れながらも。

 

「ヂエィ……!」

 

「ヌ……!」

 

 一閃一閃の鍔迫り合いこそが一夏の存在の強度を高めている。人の身を超え存在の質を神格へと着実に至っていく。存在そのものが斬撃という概念にその身を変えていくのだ。決して常人に至れる領域ではない。

 常軌を逸した精神が肉体を凌駕しているのだ。

 

「それはなんだ」

 

 その有様に問い詰めるようにプリームムは言葉を発する。

 

「なんだそれは、在りえないだろう。なぜ貴様はその有様で生きていける。なぜだ。貴様の有様、それは在りえてはいけないものだろう。その様が何故」

 

 剣に狂う剣鬼、剣に酔う修羅。

 死の淵でありながらなお顔を歪め笑う姿は尋常のものではなく、異端でしかない。

 まき散らされる斬気は常人が触れればそれだけで切り裂かれる。

 そしてこれは今に始まったことではない。織斑一夏はその生を受けた瞬間からそういう風にできている。二年前のモンド・グロッソは所詮切っ掛け程度であり、それからその狂気を潜めていても根底は変わっていない。

 織斑一夏。

 ただフツと斬る颶風の一刀。

 それはこの一年間、より強度を増してきた一夏の存在理由だ。

 だからこそ、

 

「なぜ俺たちと戦う」

 

「……は?」

 

「貴様は世の興亡など興味ないだろう。あの帝釈天と永遠に神楽を舞っていればそれでいいはずだ。畢竟、俺とここで切り結ぶことは貴様にはなんの意味もないはずだ。解せぬのだ。何故貴様が俺と斬り合うのか」

 

 それは馬鹿げた問いだ。何故今自分たちが戦っているのか。それはこんな状況で聞く様な事では決してない。普段の一夏ならば下らないと斬って捨てるだろうし、ラウラあたりならば戦を汚すなと激怒してもおかしくない。

 けれどプリームムは真剣だった。

 両目は露わになっていなくても、それは解る。今のように剣を交えればそれくらい理解できる。目の前の悲嘆の担い手は真剣だ。

 

「――」

 

 だから一夏は考えた。

 その問いの答えを。

 なぜ今プリームムと剣を交えているのか。

 全身全霊を刃としながら、ほんの僅かに残っていた思考でそれを考えた。

 そしてそれは――

 

「――決まってる」

 

 考えるまでもなく答えが生じ、全ての真実へと織斑一夏は至った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 咲き誇る高嶺は砕けない。

 淫蕩の覇道は確かに高嶺の華を犯している。力を遊ばせ、乱し、骨抜きにし、狂わせている。本来の鈴を知る者が見たならば愕然とするだろう。普段の彼女の力強さはない。体に致命の傷があるわけではない。一見すれば無傷なのだから。本来ならば震脚は大地を砕き、大気を破砕させる。それにも関わらず今の彼女にはそのような力はない。

 けれどそれでも鈴は拳を振るう。

 力が入らない? 

 弱体化が酷い?

 全身すら困難?

 

「だから――なんだっていうのよ」

 

 発生にすらも脱力が生じながらだからどうしたと彼女は嗤う。

 

「知らない知らない聞こえない見えない。私の道にそんなもの関係ないのよ。私はただあの馬鹿の為に咲き誇るだけなんだから――」

 

 だから舞いを捧げる。他でもない己自身に。

 拳は未だにスコールに届かない。一歩前に出るだけでも困難なのは変わらない。それでも己の意思を通すために彼女は足を動かす。口ずさむのは自らを通すための歌。それ自体に意味はなくとも、鈴の精神上は別だ。その歌を歌うという行為こそに意味が与えられている。

 届かないならば。

 届くまで己を高み行けばいいだけだ。

 そんな馬鹿げたことを鈴は実践していた。

 

「通り、ませ……!」

 

 優雅さはどこ吹く風。歯を剥き出しにしながら全身を駆動させる。どうせこの場には自分と目の前の女しかいない。あの馬鹿がいたら絶対に見せない姿だが今なら構わない。だから唸り、吠え、進む。身に纏う陽炎は点滅を繰り返す。幾つにも分割された可能性はほとんどが力を失う。

 それでも確かに。

 淫蕩という負荷を受けながら、それでも高嶺の華は咲き誇ることを止めない。

 

「ははっ――」

 

 嗤う声に力が宿り始める。皮肉にも、否ある意味では当然のことながら負荷が彼女の舞いの強度を高めていた。

 

「あははっ」

 

「貴女は……!」

 

 確実に近づいていく。少しづつ消えていったはずの彼女の力が戻り始める。人の身を超え存在の質を神格へと着実に至っていく。存在そのものを高嶺という概念にその身を変えていくのだ。決して常人に至れる領域ではない。

 常軌を逸した精神が肉体を凌駕しているのだ。

 

「なんなのそれは」 

 

 その有様に問い詰めるようにスコールは言葉を発する。

 

「どうして、貴女はそこまでするの。そんな様で、そんなものが美しいわけがないでしょう、そんなの受け入られるわけがない。なのに、どうして」

 

 広がり続ける蜃。咲き誇る華。

 常人ならば彼女に触れることなど叶わない。

 そしてこれは今に始まったことではない。凰鈴音はその生を受けた瞬間からそういう風にできている。これまでずっと。自分を見てくれる馬鹿を見定めてからはより強く。

 凰鈴音。

 高嶺に咲き誇る至高の花弁。

 それはこの一年間、より強度を増してきた彼女の存在理由だ。

 だからこそ。

 

「どうして貴女は私たちと戦うの」

 

「……はぁ?」

 

「だって、貴方には座なんてわけのわからないものどうだっていいでしょう。私もかつては人で、生粋じゃないから解るのよ。人間にはそんなこと理解できない。宇宙がどうとか馬鹿げた話なんて。貴女だってそうでしょう。どうでもいいはずよ。あの坊やと一緒ならばそれで満足なはなずなのに」

 

 それは馬鹿げた問いだ。何故今自分たちが戦っているのか。それはこんな状況で聞く様な事では決してない。普段の鈴ならば下らないとぶん殴って終わるだろうし、シャルロットあたりなら関係ないねぇと受け流すだろう。。

 けれどスコールは真剣だった。

 不動を貫きながらでも、それは解る。例え直に拳を交えていなくてもそれくらは解るのだ。眼前の淫蕩の担い手は真剣だ。

 だから鈴は考えた。

 その問いの答えを。

 なぜ今スコールへと駆けているのか。

 全身全霊で舞いを行いながら、ほんの僅かに残っていた思考でそれを考えた。

 そしてそれは――

 

「――決まってる」

 

 考えるまでもなく答えが生じ、全ての真実へと凰鈴音は至った。

 

 

 

 

 

推奨BGM:我魂為新世界

 

 

 

 

「あぁだってそれは、今までずっと感じてきたことだったから」

 

「私は、私たちはずっと見守られてきたから」

 

 異口同音に、別々の場所にありながらも一夏と鈴は同じことを相対者へと答える。

 確かに彼と彼女は異常者だ。世の在り方になど微塵も興味はないし関わる気もない。求めるのは己の武威の極地であり、自らが殺したいと願う片翼。二人だけで完結しているからこそ、そもそも他者を必要としていないのだ。畢竟、彼らは彼らだけでもこの宇宙で永遠に神楽を舞い続ける。社会になどなじめる筈がない。どうしようもなくどうしようもなくどうしようもない。

 異端者としてこの世の全てと相容れない彼ら。

 益荒男たちの中でも飛び切りの外道。

 そんな道を完全に踏み外した織斑一夏と凰鈴音。

 けれど――、

 

「恩義が、あるんだ」

 

 そう、恩義。

 自分たち見たいなどうにもならない気違いが曲りなりにも友達とかいて、学園生活を送ってこれたのは彼女(・・)の恩恵に他ならないのだから。確かに二人は互い以外はどうでもいいし関係ないと思う。いてもいなくてもこの二人の在り方は永久不変だ。

 それでも――誰かと触れ合うのも悪くなかったと思う。

 

「だから、だ」

 

「アンタたちには渡せない」

 

 全てを知ったからこそ二人は理解した。

 今置かれている世界の状況。姉たちが守り受け継いできたもの全て。相対している彼らの存在意味。

 故に、

 

「終わらせてやるよ。少し違ったら俺とお前は同じだったんだから」

 

「あぁ、辛いのね? でも、やっぱ許せないわ。自暴自棄なっていいことがあるわけないでしょうが」

 

 革新と新生。解放される神咒神威。己の真実を知ったことにより、その魂はついに太極座まで上り詰める。無限に等しい階梯をついに彼らは上りつめたのだから。

 

 そしてついに、再び。真正なる神として二人はその咒を――叫ばない。

 

「どういう、ことだ……!」

 

「なにを……」

 

 プリームムとスコールの驚愕は当然。

 魂は至った。頂に足を掛けた。扉を開いた。その向こうから溢れる力を確かに身に受けている。一夏の周囲に暴雨が吹き荒れ、神刀に亀裂が広がる。鈴にも陽炎が揺らめき淫蕩の覇道と喰い合いを初めている。全身の損傷は回復し、周囲の世界の異物と化している。

 なのに、最後の一歩を彼らは踏み出さない。

 太極を前にしながら織斑一夏と凰鈴音は未だに成りきらずにいたのだ。

 本来ならば在りえないこと。同時刻にセシリアが似て非なることを体現し、スコールもまた愕然としていたがそれは当たり前だ。神格という最上位の存在となることを否定できるはずがない。

 だからこそ人間であったセシリア・オルコットにオータムは敗北したのだ。

 そして残念ながら二人は彼女ほど人間ができていない。

 太極しなかったのはこれ以上ないほどに身勝手な理由なのだ。

 

「だって、お前は鈴じゃないだろう」

 

「だって、アンタは一夏じゃない」

 

 そんなことを、さも当たり前のように二人は言う。

 

「だからさぁ、言ってるだろ。俺が斬りたいのはお前じゃないんだよ、俺が愛しているのはアイツだけだ。あの高嶺の華を斬るためだけに俺はあるんだ。俺の殺意(アイ)は一から十までアイツのもんなんだよ」

 

「お呼びじゃないのよエロ女。私の男はもっと馬鹿で、アホで、脳みそ狂った馬鹿だけど。私だけを見てくれる馬鹿なのよ。だからアンタみたいな悟ったような顔して全部諦めた下らない女なんかに私は微笑まない」

 

 それこそが織斑一夏の。

 それこそが凰鈴音の。

 決してどうなろう変わることの無い王道。

 

「くはは、あぁそうだそうだなよなぁ。なんで戦うのとか聞いたよなぁ、恩義とそれにてめぇを踏み台にするためだよ。俺が斬りたい高嶺の華がもっとずっと綺麗なんだぜ、お前くらい斬れなきゃ絶対に届かない」

 

 だから――

 

「あはは、そうよ、そうなのよ。なんで戦うのかって? 馬鹿じゃない、恩を仇で返すなんてことはしたくないし、アンタみたいな糞だけと力はある駄目な女に説教くらわして自分の株上げる為よ。ま、アンタじゃあ役不足だろうけどさぁ」

 

 だから――

 

「お前の感情はここが終焉だ」

 

「アンタの感情はここで終焉よ」

 

 迷いなく二人は言い切った。もうすでに彼らは眼前の相対者を見ていない。瞳に映っているのは異界にて哄笑する己の半身。互いに至高の神楽を舞うために。

 そしてそんな扱いをされながらプリームムとスコールが憤らぬはずがない。

 

「ふざけるなよ……。それでは、それでは……! 俺たちになんの意味もないということではないか! 認めるわけが、ないッ!」

 

「男に酔ってるだけの小娘がいうじゃなぁい? そんなの独りよがりなだけで引かれるかもよ? 重い女とか最愛よねぇ」

 

 例え一夏と鈴が魂だけでも太極に至ろうと、『■■■■■』の眷属の偽神であろうと、太極位階であることは変わらない。激情によって悲嘆と淫蕩の神威は力を増し、溢れんばかりの覇道が一夏と鈴を飲み込もうとする。

 けれどもはや二人は臆することは無く、笑みすら浮かべて、

 

「織斑一夏」

 

「凰鈴音」

 

「推して――参るッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 亀裂の入った刀身は今にも砕けそうだ。それが意味することがなんなのか一夏もプリームムも朧気にだが悟っている。故にプリームムはそれを振らせてはならないと判断し、

 

「っづ!?」

 

 背より刃を受けた。

 視線だけで振り返るもなにもない。けれど確かに斬撃を受け、

 

「どこ見てんだ」

 

「……!」

 

 さらに全方位からの斬撃がプリームムへと迫る。彼の掻き毟りの暴風雨と似て非なる現象。抉られたような傷跡ができるのに対し、これは極めて鋭利な痕。それがプリームムのものでないとすれば、

 

「俺の求道はアイツを斬ることだ」

 

 眼前にて呟く純白の剣鬼に他ならない。

 

「浮気したらぶっ殺されるとか言われてるんだよ。だから俺の求道はアイツのためだけのものだ。アイツ以外の誰にも使ったらダメなんだよ」

 

 斬風が吹き荒れる。

 動きを見せず、納刀したままの一夏はしかし口元には凄惨な笑みを浮かべて。神座史上最も特出した求道者であるはずの彼は。己が愛した、貫く求道とは別の相対者だからという理由で、その魂は一時的に覇道となって顕現していた。

 それはまさしく峰刃増地獄。

 空間そのもの全てが刃。ただ存在するだけで全身余すことなく切り刻まれるだけしかない。悲嘆の暴風雨と似て非なるものが今この随神相の中に生まれていた。

 

「おおおおおッッーー!」

 

 そしてそれは加速度的に領土を広げていく。神格の戦いは陣取り合戦に近い。そして実際一夏は悲嘆の世界の中を急速に己の領域として塗り替えていた。

 

「キサ、マ……!」

 

 そして当然プリームムも黙ってなどいない。全身から発せられる暴風が切り刻みの颶風と鬩ぎ合う。

 今の一夏とプリームムはほぼ同格だ。偽神であるとはいえただの成りかけでは相手にならないが、今の一夏は自分の意思一つで革新を繋ぎ止めいてる。例え全てが変わらなくても確実に影響は受けているからこそ、そこに互角の状況が生まれる。

 けれど、それはすぐに片方に傾いていく。

 

「くは、はは……ははははッ」

 

「く、おおおおおおッ!」

 

 斬風の数は無限にも等しい。空間そのものが刃で、存在するというだけで斬られてしまうのだから。暴雨という形で顕現している悲嘆とはどうしても差が生じてしまう。一夏は斬風にて暴風雨を全て刻み、プリームムには暴風雨では斬風を消せない。

 故に一方的に傷を被うのはプリームムだ。

 

「何故、貴様のようなものが……! 俺たちと何が違うという!」

 

 叫ぶ。それはこれまで冷静だった彼の本当の姿。彼が作られて以来ずっと想いつづけてきたこと。感情の担い手である自分たち八大竜王。狂気の担い手である彼ら益荒男。その差とは一体なにか。颶風の刃が目を覆う布を切り刻み、露わになった両目。やはり一夏と酷似しているそれには――溢れる涙が。覆い隠し続けねば流れることを止められない悲嘆の感情こそが彼の全てだった。

 

「例え片翼がいようとも、蒼穹に愛されようとも! そんな様でそんな有様で何を為せるというんだ……! 俺も貴様も、所詮は世界からの爪弾き者だろう、なのに何故、貴様は嗤っている!」

 

 なぜどうして。詰問の感情は最初から一貫している。織斑一夏という刀剣が、異端者がどうして笑えるのか。彼には理解できない。悲嘆のみしか持たぬかれだからこそ、答えが明白であり、一夏を知るものなれば誰であろうとも即答できる問いの答えを得ることができなかった。

 故に今、その答えが本人から発せられる。

 

「俺が俺だからに決まってるだろう」

 

 それが答えだった。

 

「俺は刃だ。刀剣だ。斬ることだけを求め続けたからそれだけには誰にも負けられない。あの高嶺を斬るにはそれくらい当然だから。織斑一夏が織斑一夏である為に。俺は俺であり続ける。自分らしく、馬鹿やってんだ。文句あるわけないだろうが」

 

 呆れるくらいに単純な理由。元々彼は刃なのだから。小難しいことを考えるようにできていない。そういう風にできているし、それで構わないのだ。

 

「だからお前も、泣いてばっかりいないでさ。笑えよ。今すぐには無理でも、泣くだけ泣いて、泣き疲れたら顔を上げて笑ってみろって」

 

「……それができれば苦労しない」

 

「だから俺がお前の悲嘆をぶった切る――兄弟」

 

 それは一夏なりの手向けだ。織斑一夏とプリームム。相反する鏡のような存在の差異は笑うことができるかどうかしか違いはなかった。

 腰溜めに構えられた神刀は最後の一振りが限界だ。だからこそ最後の一刀をこの泣き虫に使う。今は戦っていても、泣いていても。いつかの青空の下で笑うことができると信じて。元々憎しみとか恨みで戦っていたわけではないから。この一刀を餞別として彼の感情に幕を引く。

 

『五障深重の消除なれ。執着絶ち、怨念無く、怨念無きがゆえに妄念無し。妄念無きがゆえに我を知る。心中所願、決定成就の加ァァ持』

 

 祝詞が謳われる。それは斬人という理を突き詰めた無謬の切断現象。数を叩き込むのではなく、ただ一振りに己の全てを叩き込む。故にそれは絶対不可避の至高の一太刀。あらゆる情念を捨て去り明鏡止水の境地へと。抜き放たれた一刀は時間という概念すらも超越する零拍子。

 

『級長戸辺颶風ェ――ッッ!』

 

 鞘走る刃は刹那すら必要ない。抜かれた瞬間にはプリームムを斬首していた。そしてその最後、

 

「――ありがとう」

 

 悲嘆の担い手は涙を流しながら、それでも笑いながら消滅した。

 

 

 

 

 

 

 

 陽炎が揺らめく。最早淫蕩を受けてもその力を消えない蜃気楼。それどころか負荷全てを鈴は己の糧にしている。ここにきてスコールも動く。手に挟み、周囲に浮遊するのは何枚もの概念符。近接戦闘に長けているわけではないからこそ、そういったものが彼女の武器。それぞれに斬撃炎熱雷撃爆撃等の攻撃概念が込められている。それを放ち、

 

「ハァァッッーー!」

 

「!?」

 

 全てが同時に打撃され粉砕される。それは符だけではない。

 

「でぇい!」

 

「ガハッーー」

 

 叫びともに全身に拳撃を受けた。四方八方、あらゆる方向からの打撃。直接触れられたことで淫蕩が発動し威力を三割にまで削ったが被害は大きい。高嶺の咲き誇りではない。どちらかといえば可能性の蜃気楼であるそれは、

 

「私はアイツに手を伸ばしてほしいから咲き誇るのよ」

 

 視界の全て舞い踊る陽炎の拳士に他ならない。

 

「あの馬鹿が馬鹿みたいに手を伸ばし私はその分だけ高みで舞う。それが私たちの関係。馬鹿を受け止めるのが女の仕事でしょう? だから私はアイツのためのだけに咲き誇る」

 

 だからこそスコールの前では全てを惑わす蜃気楼。

 スコールが認識する全ての感覚に彼女は偏在している。あらゆる場所、どこにでも彼女は存在し笑い、舞い踊る。

 神座史上最も特出した求道者であるはずの彼女は。己が愛した、貫く求道とは別の相対者だからという理由で、その魂は一時的に覇道となって顕現していた。

 それはまさしく烈河増地獄。

 どこにも逃げ場はない。無限に可能性を広げる鈴に溺れるように囲まれ蹂躙される。高嶺には届かせないという峻厳なる試練だ。淫蕩の骨抜きと似て非なるものが今この随神相の中に生まれていた。

 

「あははははははーー!」

 

 そしてそれは加速度的に領土を広げていく。神格の戦いは陣取り合戦に近い。そして実際鈴は淫蕩の世界の中を急速に己の領域として塗り替えていた。

 

「この、小娘が……!」

 

 そして当然スコールも黙ってなどいない。全身から発せられる淫蕩と蜃気楼とが鬩ぎ合う。

 今の鈴とスコールはほぼ同格だ。偽神であるとはいえただの成りかけでは相手にならないが、今の鈴は自分の意思一つで革新を繋ぎ止めいてる。例え全てが変わらなくても確実に影響は受けているからこそ、そこに互角の状況が生まれる。

 けれど、それはすぐに片方に傾いていく。

 

「通りませ、通りませ――」

 

「っう……!」」

 

 

 最早直接接触しなければ骨抜きに意味はない。だから符を大量に展開し、攻撃概念を叩き込む。けれどそれは可能性を無限に広がる鈴には意味がない。霞を殴っても効果がないのと同じだ。

 故に一方的に損傷を得るのはスコールだ。

 

「なんでよ……! なぜ抗うのよ。どうせアレに飲み込まれて全部終わりでしょう! あの感情の抗えるわけがない。私はそうだった、貴方だって、もしあの時あの場所にいれば……!」

 

 かつてオータムと同じくして感情を植え付けられた。神格という全能にも近い蜜に彼女は抗うことができなかった。だからこそ彼女には理解できない。太極座を前にして意思一つで留まっている彼女が。何かの間違いのようにしか思えないのだ。

 

「もう全部終わる。どうにもならない、ここで私が負けても勝っても、貴女が勝っても負けても結局結果は同じ事なんだから――!」

 

 錯乱したようにスコールは叫ぶ、淫蕩の担い手として常に余裕を持っていた彼女の姿はない。人間という存在を目の当たりしたオータムと同じように。己の相対者を認めてしまえばかつての自分たちが取るに足らない情けない存在になってしまうからだから彼女はそれを認められるわけがないのだ。

 けれど、それは鈴からすればふざけた話だ。

 

「馬ッ鹿じゃないの」

 

 一言で切り捨てる。

 

「手前で勝手に自分の限界決めて、それが来たからもう駄目ですとか泣き叫んでさぁ。おまけに他人に押し付けて、ふざけんな! アンタなんかが私の価値を決めつけるな! いい女っていうのはね、馬鹿みたいに追っかけてくる男の先を行ってなくちゃダメなのよ!」

 

 大喝破。吠える声には明確な激怒。アンタみたいな情けない女と一緒にするなという鈴の怒りだ。

 

「いいわよ、教えてあげるわ。いい女の一撃をねぇ。目ん玉開いて脳裏に刻みつけなさい」

 

「――そんなことが」

 

「アンタにできなくても私にはできるのよ」

 

 それは鈴の自負の表れだった。

 喚いてばかりいる感情任せの阿呆に喝を入れるような、或はただ怒りの腹いせのようなもの。この先彼女がどうなるのかが解らない。けれどもし次があったのなら。そんな情けない様晒すんじゃないという想いが確かにあった。だからその一撃を最後に鈴彼女の感情に幕を引く。

 

『此処に帰命したてまつる――大愛染尊よ 金剛仏頂尊よ 金剛薩たよ衆生を四種に接取したまえ!』

 

 乱立していた可能性が収束していく。そして拳に宿るのは莫大な気功。それは凰鈴音に渦巻く欲望を気力に変換する奥義。これまで一度も、彼にすら使っていない技。だってもし使って、取るに足らない威力だったら。自分の愛がそんな程度のものだったということになってしまうから。そんな恐怖があって、これまで一度も使ってこなかったのだ。けれど今ならば、今この瞬間ならば迷いなく放つことができると彼女は確信していた。

 

『陀羅尼愛染明王ォォッ! 』

 

 ぶち込まれた一撃はまさしく山脈すらも消し飛ばす大威力。鈴の想像を遥かに超える力を以て放たれたそれは違うことなくスコールの心臓に叩き込まれ一撃で消滅させていた。

 そしてその最後、

 

「これは……参ったわねぇ」

 

 そんな苦笑だけを残して、淫蕩の担い手は晴れ晴れとした思いを抱きながら消滅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして八大竜王八柱全員が討滅され、

 

『さぁ――世界を壊すとしよう』

 

 彼女(・・)が覚醒し。

 

 

 

 

『させる訳がなかろう』

 

『ここで、終わらせようね。貴女の感情も」

 

 剣乙女と狂兎が真の姿を流れ出す。

 

 

 

 


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