狂いのストラトス Everlasting Infinite Stratos 作:柳之助@電撃銀賞5月10日発売予定
まず感じ、求めしものは
一体なんだろう
それが全ての答え
『――咎人よ、そして聖人たちよ。今こそ己の罪の重さを知るがいい』
それは唐突に学園島上空に出現した。
それまで島全体を八分割されていた概念壁を粉砕し、八つの光がソレに集う。それぞれ益荒男たちに打ち倒された八大竜王たちの核。それぞれが八つの大罪の概念を凝縮した概念核。滅ぼされ、それぞれが
『我を過ぐれば憂いの都あり、我を過ぐれば永遠の苦患あり、我を過ぐれば滅亡の民あり』
己の糧として喰らった。
いいや、もとより彼女たちはソレから発生したもの。元々あるべきはずの場所に帰ったに過ぎない。八つの色を持った大罪はそれぞれが宿した色は即座に白と黒に染め上げられ何もかもが侵されていく。
故にそれは八大竜王のような偽神ではない。
『義は尊きわが造り主を動かし、聖なる威力、比類なき智慧、第一の愛、我を造れり』
謳われる祝詞と共に流れ出る神気は正真正銘の神威。これまでこの学園島において存在していたどの神格とも違う。そもそもが端末である八大竜王、内向きに流れ出す求道神。彼ら彼女らとは違い、それは本物であり外向きに己の渇望を流れ出させる覇道の神だ。
『永遠の物のほか物として我よりさきに造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ』
広がり始める黒白の覇道。ありとあらゆる大罪を内包したそれは瞬く間に広がっていく。学園島を、日本を。そしてすぐにでも世界へと。その渇望にてこの宇宙全てを飲み込もうと己の版図を広げていく。それはまるで画板に絵具をぶちまけるような行為だ。
『傲慢は重い石を与え腰を折り、羨望はその瞼を縫い付けられ亡者となる』
そも覇道神とはそういうものだ。
己の太極で宇宙を、座を染め上げることこそが覇道神の有する権能。自分の渇望で全てを染め上げ、世を作り替える。そこに善悪などは存在しない。あるのはただ願いの強弱。そしてこの色はこの時点では決して極限などと呼べるものではないが、弱くもない。
『憤怒は朦朧たる煙の中で祈りを生み、怠惰は正しきを知らされ、知らぬならば煉獄山を巡り行く』
そしてその色はこの世全ての罪。
『強欲は五体伏して己の欲すら消えていき、暴食は何も口に入らず骨と皮になりて、色欲はその罪に抱かれながら業火に焼かれていく』
そして――
全ての罪の根源。
焦がれるから悲しみ。
焦がれるから見下し。
焦がれるから欲し。
焦がれるから嫌がり。
焦がれるから怒り。
焦がれるから偽り。
焦がれるから喰らい。
焦がれるから乱れる。
全てはそこから生じている。
『汝等此処に入るもの一切の望みを棄てよ』
故にそれは――あらゆるものに羨望と嫉妬を抱き、森羅万象に焦がれることに他ならない。
『――流出――
Atziluth
境界線を喰らいし大罪の全竜』
ここに覇道神『焦がれの全竜』織斑円夏は真の姿を現した。
黒と白の装甲服。流れる黒髪に黒の切れ目。外見年齢で言えば一夏たちと同じ頃だが外見的な特徴は織斑千冬に酷似しているし、内面的な知能で言えば篠ノ之束にも劣らない。
そしてその背後に出現するのは両翼を広げる巨大な竜。その頭部は成層圏にすら届きかねない巨体。八大竜王たちの随神相などと比べ物にならない。全身の黒と白の機殻に覆われ、各所にも大小様々な砲門。随神相とはそのまま神格の強度を表す。つまり彼女のソレは八大竜王たちとは隔絶しているということだ。
「くは」
そして彼女は、
「くははは――」
眼下の大地を、己を見上げる五柱と四人を見下し、しかし彼女という存在を欠片も認識せず、
「くははははははははははっははははーーー!!」
莫大な神気を垂れ流しながらも哄笑を上げる。
それだけでも世界が軋みを上げていく。世界への染色もまた速度を上げていく。全てがそのためにあるのだ。覇道神は己の意思とは無関係に世界を変えてしまう。一切の容赦も呵責もそこにはない。そういうものであるのだから、どうにもならない。
「あぁ、ようやく来た。この時に。ついに全てを喰らいつくすことができる――」
それは誰に向けられた言葉だったのか。
眼下の益荒男たちではない。糧とした八大竜王でもない。虚空へと発せられたそれの対象は、
「すぐに行こう。座は遠い。だがもう待ちきれないんだ。この私が、この大罪が、お前の全てを奪ってやろう」
座の神。
今この世を統べる彼女へと。
最初から。
織斑円夏が神格として生じた時点から、彼女はそのためにあった。全ては今この第十三天の治世を敷く今の神を打倒するために。そしてそれは不可能ではない。遠からず世界に穴が開く。それを落ち続ければ底にたどり着き、円夏は目的を達成できる。
二年前は失敗した。
力及ばず、総体に大きく損傷を受けながらも自身を分割することによって生きながらえた。たった二年というごく短い時間でも、彼女にとってはたまらなく長かったのだ。端末を生み出し、自身に力の切れ端をただの人間に与えたのだ。
力を得て、自分に還元するために。
この世界を壊すために。
「さぁ――今こそ」
その言葉は、
●
『――終末の日 黄昏の刻 天地万物は終焉を迎え
風と剣と狼のフィンドブルムより全ては始まった』
『――何も愛さぬ者には何の価値もない』
座の守護神によって遮られる。
●
まず感じたのは憧憬――求めしものは継承。
まず感じたのは狂気――求めしものは意味。
『たとえどれだけの戦乱が待ち受けようとここに乙女はあり。
誰より先に立ち 一人残さず讃え乞う』
『恋は、涙と同じで、目より起こり、胸へと落ちる』
足りない。私は足りない。何もかもが至らない未熟な身だから教えを乞い、受け継いだものがある。
森羅万象知り尽くしたにも関わらず見つけられなかった答えを、私はようやく手に入れた。
『我らが総軍に響き渡れ 角笛の旋律 ギャラルホルンの響き
皆すべからく 我が背後に集うべし』
『私を喜ばせるのは貴方だけ、貴方を喜ばせるのも私でありたい』
あぁだから私は私が受け継いだものを全てを以て愛し児たちを導こう。
道を踏み外した愛し児ら。貴方たちの狂気にも意味があるのだから。
『彼の日 九つの世界 残された者に預けよう。
されはここに誓おう。この黄昏の下に』
『愛は我らの炎で我らの胸を貫き、愛はかつて知らぬ熱で絶えず燃え盛る』
――かつて受け継いできたもの、これから生まれ来るものもなにもかも守り抜こう!!
『死を想う者よ 今歓喜の生を与えん――テスタメント』
『愛していないという人ほど人を愛している
愛される事を望むならば愛したまえ』
――白銀教戒!
――無以狂然!
『――流出――』
Atziluth
『終焉にて舞え──剣の乙女』
『嘆き狂う――全ての意志に誓約を』
広がり続ける黒白をせめぎとめるように白銀と朱桜の神威が発生する。
それは旧世界から今の世を見守り続けてきた守護神。世界の母とも呼べる二柱の女神たち。
白銀は白の、朱桜は黒の装甲服を纏う。それはかつての世で彼女たちが纏い戦ってきたもの。白の装甲の肩には掠れて見えなくなった、けれどかすかに残っている四文字のアルファベット。
二人の背に生まれるのは円夏之それに劣らず、いやそれ以上に巨大な随神相。
白銀の甲冑に身を包んだ戦乙女。、右手には剣、左手には盾。どちらも莫大な神気を宿した神器。溢れる白銀の神威で包まれるその姿は天使のようにも見える。けれどそれは間違いなく戦神。英霊をヴァルハラへと導く乙女たち、その長に他ならない。
そしてもう一つは懐中時計を持った童女。腰まで延びる金髪に水色のワンピース。無邪気に微笑む彼女は到底争いに向いた存在ではないが、発せらる狂気が愛らしさを台無しにしている。その童女は狂っている。笑顔で他人を踏み潰すことのできる異常者。常人が見たならば一瞬で発狂し魂が潰れるのは間違いない。
「……待ちわびたか。そうだな私も、永遠に来なければいいと思い、しかしずっと……早く終わらせなければと解っていた。故に引導を渡そう。お前はやりすぎだ。駄々をこねるガキをしつけるのも大人の役割だ」
瞬間、出現したのは五百の軍勢。それはインフィニット・ストラトスという神格へと至る礼装を担い手であり、白銀という存在に導かれ、憧れたものたちだ。インフィニット・ストラトスという兵器の第一人者。全ては彼女から始まったからこそ誰もが彼女の教え子たち。そして今。それぞれのISコアに記録された最も適正に高い操縦者を載せて、四百六十三のISたちが集い、それぞれの武装を一斉に打ち放った。
「生まれてきたのが間違いだった、なんて私には絶対に言えない。けれど、それでも君は間違えちゃったんだよ。君は悪くない、誰も悪くない。――だから私たちが責任を取らなくちゃ」
機人たちの一斉砲火。白銀によって擬似的な太極位階に引き上げられたそれらはそれだけでも莫大な威力を誇る。けれど、飛翔する最中で朱桜の覇道に触れ、その威力は爆発的に上昇した。炎熱が灼熱に。斬撃が断絶に。射撃が砲撃に。熱閃が光線に。ありとあらゆる全てが上位互換となって全竜へと叩き込まれた。
「はははははははははははは――!!!!」
それらを受けながら変わらずに円夏は哄笑を上げる。白銀から放たれ、朱桜のブーストを得て狂化された砲火は彼女を無視できぬ規模で穿っているというのに頓着せず、現れた二柱の覇道神を認識して狂ったように笑う。
「あぁ久しいな我が母たち。ようやく会えた。ずっと私は貴方たちを喰らいたくてしょうがなかったんだ。私がやりすぎた? 駄々をこねるガキ? 私が間違えた? 誰も悪くない? 違うよ。私は悪くないその通りだ。私はただ当たり前のことをしているだけだ」
眼前にて立ちふさがる白銀と朱桜へと彼女は言う。狂ったように笑みを浮かべ、そして欠片も己を疑わない。それは神話の中の悪竜のように。
「私はただ、私が虐げられた分を奪っているだけだ。不公平だろう? 私は辛い目に合って束縛された。だからその分好きにやっているだけさ。ほら、至極真っ当だろう」
宇宙を染め上げるのだけの力を持った彼女はそう笑っていた。
けれど。
「あぁ真っ当だ。だから言っているだろう。お前はやりすぎたんだと」
導きの剣乙女――織斑千冬は告げ、
「やっていいことと悪いことがあるんだよ。君の不幸はそれを知ることができなかったことだ」
愛の狂兎――篠ノ之束は悲しそうに呟いた。
彼女たちは円夏に敵意も憎悪もない。それはまるで自分の子供が犯罪でも犯した親のように、怒りと悲しみと愛おしさを宿した感情で彼女の前にいる。
そしてそれは真実。
織斑円夏とは織斑千冬と篠ノ之束の娘と言っても過言ではない。
「ははっ! さすがロートルは言うことが違う。……あぁだが。いい加減お前たちは退場しろ。いつまでも旧世界の残滓が幅を利かせるな。もう終わったんだろう、お前たちの時代は。いつまでもすがっては情けない。いい加減引導を渡そう。それが私がする最初で最後の親孝行さ」
「ハッ!」
円夏の言葉をしかし千冬は笑い飛ばす。
「未練がましいのは否定しんがな。お前に心配されるほどでもない。……第一、私や束の後はちゃんと任せられる奴がいるんだ」
最後の言葉は円夏には聞こえないような声で。
そして無駄口は終わりだ言わんばかりに千冬は手に長剣を生み出した。鎖と九つの宝玉で絡められた剣。彼女がいまだに人間だった頃からの相棒。気の遠くなるほどの年月を経ても、九つの世界を切り裂く魔剣は共にある。
「……」
束は何も言わない。悲しそうに目を細め、哄笑する全竜を見つめ続ける。その瞳には形容できないだけのありったけの感情が。言葉で言い合わらすことのできない領域であり、束自身自分でも何と言っていいのかよくわからない。
けれど――
「決着を付けよう」
それだけは為さなければならないのだから。
「束!」
「ちーちゃん!」
二対一という構図は決して、そのまま千冬と束の勝率の上昇を表すわけではない。千冬も束も覇道神。己が渇望を以て宇宙を染め上げる存在だ。今でこそ、
そしてそれは当然解っていたこと。
ずっと昔から。それこそ二人が覇道神となったその時から。
故に対応策はある。
並び立つ二人が重ね合わせた手の中に光が生まれる。それは一つの概念。かつて、今よりも前の世界。千冬と束が求道神であったことの世界を統べていた法則。
「ずっと一緒だよ、ちーちゃん」
「Tes.腐れ縁だ。どこまでだった行ってやるさ」
笑顔の束と苦笑気味の千冬。
二人が掲げたそれこそ、
『・――共に在りたいと契約する意思は永遠に共にある』
かつて悪役の少年とその正逆の少女が願った祈りに他ならない。
溢れ出す閃光が加速度的に白銀と朱桜の鬩ぎ合いを緩めていく。
それは契約の意思だ。共に在りたいと願うのならば魂が流転し、どれだけの時を重ねようとも何度でも巡り会う理。かつてあらゆる世界が入り混じった空白の世であったからこそ生まれた渇望。本気を望んだ少年と彼を支えようとした少女。千冬と束の先達とも言える二人の残滓によって、彼女たちの削り合いは瞬く間に抑えられていった。
覇道の共存機構などというものではない。そんな奇跡はどこにもない。これまでだって千冬と束が守護神として存在し続けることができたのは今の世の法則の恩恵だが、二人とも限界まで自分たちの力を劣化させて、ただの人間としての外装を被り、自分たちを拘束していたからに過ぎない。全霊を以て流出すれば潰し合いは必須だった。
けれどだからといって黄昏の奇跡に、彼らの契約が劣るわけでもないのだ。無条件に全てを抱きしめるわけではない。鬩ぎ合いは緩まったけれど確実に続いている。
それでもそれでいいと二人は心から思う。
終わりの
千冬や束、その仲間たちが駆け抜けた青春。
もうどこにも残っていないけれど確かに二人の心には残っている。
全てを肯定する優しさは素晴らしくても、自分たちには似合わないだろうから。
「やるぞ」
「Jud.」
そして隣り合う二人は。
かつて一度全霊で戦い抜いた二人は。
これまで受け継いできたものを護るために戦うのだ。
「さぁ、力を貸してくれ。私の教えは無駄ではなかった見せてほしい。生憎剣を振るうしか能がないし、自分ではパン一つ焼けない碌でもない女で、座なんか握る資格もないが――それでも付いてきてくれるのなら、私はお前たちを導こう」
千冬が告げたのは彼女の教え子たち。それこそが織斑千冬の
そしてそれは千冬に限った話ではなく、
「――ありがとう」
束も同じこと。周囲に集うの煌めきはかつての世に於いてその異常性故に他者との繋がりを得ることができず、しかし今この世に於いては誰かと繋がることのできたものたち。武芸に、学問に、芸術に、何か一つのためにあらゆる全てを捨て去ることを惜しまない彼らは関係などに顧みない。必要ないし、そうして生きてきた。けれど、この第十三天で触れてみれて、
「案外悪くないよね?」
束自身そう思う。一度異端を極めてしまったからよくわかるのだ。
そんな果てにはなにもない。
どうしようもなくどうしようもなくどうしようもない。自分たちのような存在は他者など必要ではないが、だからこそ誰かとの繋がりは希少だ。ごく普通の絆がたまらなく眩しくなる。
そして今ここに集った魂たちは束と同じことを感じている。かつて取りこぼした絆を護るために。それを手に入れるきっかけをくれた今の世界に恩を返すために。
「今この時だけは修羅になろう。己だけの狂気を曝け出そう。大丈夫、私は全ての
光から発生する複雑怪奇な文字式、魔方陣、概念条文。束の軍勢が生み出し、織りなす世界の法則。
解放された白銀と朱桜の輝き。
それは確実に白黒の汚染を浄化していく。
けれど、円夏は笑みを崩さない。
現状地力で劣っているのは円夏だ。
時代の変革を担った兵器や異端者たちが集う軍勢に対して、円夏にはそれがない。覇道神であるにも関わらず、量に関しては円夏はほぼ零と言っても過言ではない。八大竜王たちは所詮彼女の切れ端、かつて亡国企業に所属していた者やモンド・グロッソの最中で占領した僅かな数だけ。
それでも円夏は嗤う。
――量はともかく質に関しては十分すぎるほどにあるのだから。
鬩ぎ合いを強める三つの神威は勢いを増していく。遠からず世界に穴が開くだろう。それは円夏には願ってもないことであり、千冬と束としては絶対に避けたいこと。
故に全身全霊を以て三柱の神々は激突する。
白銀は世界を断ち切る魔剣を。朱桜は森羅万象の真理を。そして黒白は光を宿した両腕を広げ――
「行くぞォォッッーー!!」
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『白銀教戒――』
初撃を担ったのは英雄たちを誘う
彼女が率いる今の軍勢に参列する全てのインフィニット・ストラトスは
『――千冬大進撃!!』
そして彼女はこの覇道神三柱が集うこの場においてその全軍を同時に繰り出すという奥義を放っていた。中核を為すは言うまでもなく千冬の一閃。L-swという神格武装。最早焦熱という概念そのものとなった魔剣を魁として、全軍による一斉砲火を放つ。今より三代前、宇宙樹と神々の世界であった第十天。その因子を保有する千冬が打ち出したそれはまさしく宇宙を斬り焦がし、円夏という宇宙を八割方を灰燼に帰していた。
「はっ――」
円夏は構わない。彼女からすればそんなことどうでもいい。例えどれだけ総体が削られようとも、
「――
削れていたはずの世界に力が戻る。『
その効果はかつてと変わらない、痛みの魔力変換。
彼女にダメージを与えれば与えるほど円夏の力になる。
そしてそれは当然ながら強欲だけに限った話ではない。
「
円夏の手の中に現れたのは光の弓矢。身の丈を超える光矢と光弦。使用者の怒りに応じて威力が高まるというものであり、神域において激情を隠さない円夏が用いれば相応の威力を保有する。円夏の保有する彼女は子供の駄々のようであるが、それ故に手が付けられない。星など容易く穴を開けるほどの馬鹿げた感情。
放たれた。
そして、
『――Satis sunt mihi paucī』
詩と共に突如として発生した莫大な量の水がそれを押し留めた。
束だ。
『paucī, satis est ūnus, satis est nūllus.』
激怒の一撃を受け止めた水の盾は即座に地表を覆うように広がった。今の彼女たちの戦いは隣接する平行宇宙にすらも影響を与える領域だ。未だ穴が生じていないのだから現世での戦闘。それゆえに束は世界を隔絶させる。星一つを丸ごと覆う水の膜。当然ながらただの水ではない神域の水。
究極にまで至ったものはそうであるとしか形容ができない。
彼女の行いはそれを体現したもの。
ただの水の膜。けれどそれは覇道神から人々を護るだけの強度を宿していた。
そして束の詠唱は続く。
『Bonī improbīs, improbī bonīs amīcī esse nōn possunt. 』
放たれたのは熱力学の終着点だった。熱力学第二法則を打破するために生じた思考実験。長い間科学者たちを悩ませ続け、一生をそれに捧げた者たちがいる。熱と冷。それを決定づけるマクスウェルの悪魔。天秤の秤を支配する存在。
それは今この時、篠ノ之束の後押しを受けて完成される。
極高温と極低温。二つの極端から生じる熱位相の絶対破壊。必滅の魔拳となって円夏へと叩き込まれる。強欲の加護を憤怒の閃光ごと破壊する崩壊。触れればなんであるかは関係なく、概念的に粉砕される魔導を前にして、
『――我は刻みし者』
虚空より出現させた幅広の長剣で迎え撃つ。
『我が魂、誇り、命。かくある全てを文字として表し記そう。
冥府へと送られし英雄たちも、現世にそうして物語を遺していく。故に続く世界はより絢爛になるであろう。
――名誉を以て刻印せよ』
長剣が緑の光を放った。それと呼応するように円夏の全竜の下に新たなる影が。機械でできた竜。クァルトゥムの随神相と酷似したものであり、これこそが源流。円夏たちの随神相ほどではないが、しかしクァルトゥムから発生した時よりもはるかに大きいそれは
『聖剣グラム――機竜ファブニール!!』
第一天その残滓だ。
同時に円夏が長剣に文字を描く。
光をインクにして書かれたのは『不変』の二文字。書き切った瞬間に必滅の魔拳が激突した。
本来ならば刹那もおかずに消滅するのは円夏の方だ。長剣ごと一撃で全存在を消し飛ばされてもおかしくはなかった。けれどそうはならない。
なぜならば、
「グラム……!」
「そうだ! 聖剣グラム! 第一天の太極の残滓を再生させた概念核武装! 貴様らが何千年も大事に抱え続け、二年前に私が奪ってやった物の一つだよ!」
聖剣だけではない。円夏の周囲に展開される合わせて十の武装。
神刀。雷霆。木剣。巨大な大砲。白亜の大剣、四色の宝玉。赤熱の塊。二尾の槍。機殻に包まれた長槍。
それぞれがそれぞれかつての十の天を握った神の残滓だ。千冬と束が長い間保有していたが――二年前に奪われた。
「それは……!」
「そんな簡単に使っていいものではない? 知らんな。もう私のものだ。かつて誰が使おうとも関係ない」
そして――長槍を握りしめる
『誇りを胸に。我ら神々は最も気高き者である
故に我らには敗北はない。決して媚びず、引くことはないだろう。
この生余すことなく燃やし尽くす――約束された終焉
不滅の誇りを――
神槍ガングニール――終焉竜ラグナロク』
刹那、円夏が光の塊となって飛翔した。一瞬でたどり着いたのは成層圏。大気が薄く、本来ならば生存すらままならない空間において、
「T・I・T・A・N・I・C・L・A・N・C・E――
莫大な光量が竜を形作る。宇宙に発生した終焉竜は地上へと落下し、その最中で形を変えていく。より強く鋭い槍となっていくのだ。それは世界を終わらせる光。概念核兵器の最終形態。神格の一撃としても最大級。地上へと落ちれば、水の防御膜もぶち抜いて星を砕き、この宇宙そのものを破壊しかねない極光。
『Stultum facit Fortūna――』
それを食い止めるのもまた極光だった。
束の指が跳ねる。白魚のような細指が中空に複雑怪奇な文字式を生み出し、それらが重なって魔方陣を想像していく。生み出されるはあらゆる破壊兵器の収束だ。銃、ガトリング、狙撃銃、ミサイル、バズーカ、レーザー、ビーム、荷電粒子砲、超電磁砲、相転移砲、素粒子砲。現実、非現実を問わずあらゆる砲火の概念が収束する。
生じたのは学園島よりも尚はるかに巨大な桜色の魔力の塊とそれを取り囲む環状魔方陣。
『――quem vult perdere』
発射した。
まず閃光が一筋伸び――直後に極光が世界をぶち抜きながら起立する。
「――――!!」
世界を飲み込む終焉竜と世界を砕く桜光。
円夏の一撃が最高位の威力を誇っていたように束のこれもまた彼女の出せる最大級。
二つの
余波だけで束と円夏自身の肉体にも亀裂を入れ、水の守護膜も損傷する。
「っぐ……!」
「ハ……!」
必然、束と円夏は全神経を集中させることとなり、
「――天地爆砕千冬大割断」
織斑千冬がその隙を見逃さないのもまた必然だった。
激突する円夏の真横に現れた千冬がL-swの斬撃を叩き込む。終焉竜と星砕きの極光に割り込むのに十分な威力を持ったそれは空間自体を分断させ、その斬撃を追うように彼女の教え子たちが砲火を放ち、空間の裂け目を爆砕で満たす。
「……!?」
横合いの一撃を円夏は避けられない。
直撃した。
肉体と装甲服を粉砕しながらビリヤードのように彼女の身体が吹き飛び、
「――
『――Est enim amīcus quī est tamquam alter īdem』
躊躇うことなく追撃の一撃が放たれる。
胎動する二柱の随神相。白甲冑の乙女が大剣を振り上げる。同時、童女が手にした懐中時計の二針が音を立てて回転し始める。それは加速度的に速度を上げて、目にも止まらぬほど。
それは止まることの無い永久機関。
誰も知ることはなく、決して明かされずに世から消え去った神秘の法則。
生じたのは尽きることの無い莫大なエネルギー。回り続ける自動輪が無限の力を乙女の大剣へと供給する。
意志の伝達すらも必要ない阿吽の呼吸。類稀なるコンビネーションは二人の関係からすれば当然のこと。
自滅因子とその宿主。
そしてそれだけではないと信じる二人の絆。
振り下ろされた神剣が全竜の右翼を断ち切った。
「ぐうぅ……!」
円夏にも尋常ではないダメージ。拒絶の強欲のキャパシティすらも超えた決殺技。白銀と朱桜の合わせ技を前にして、生き残ったのが奇跡と言えるほど。
そしてそれだけでは終わらない。
右翼を断ち切った一太刀に続く二の太刀。縦に振り下ろした一閃ではなく横に振るい、全竜を円夏ごと両断しんとする断絶だった。
「は――」
『人形とは人に仕え、人に使われるもの。
鋼の肉体、機械油の血潮、創られし我らが命。故に我らは咲き誇る鋼鉄の華。
主に祝福を、幸いを。冥府だろうとこの機械の身は続きます。
――人の為にあることを誓おう。
暴風竜テュポーン――
過去は災いと悲しみ濡れ、今は何もなくただ時が過ぎる
故に今西風を背負い走り出そう。涙を拭い、立ち上がり、正義がある場所へと。
輝く星がその証――我らは護るためにある。
――幸いを願う宵の一等星。
黒曜・白創――
白銀の神剣に神々の雷霆と夜明けの極光が激突した。
かつて千冬自身が束との激闘に於いて雷霆のレプリカを用いたがそうではなく真正であり、夜明けの白光も同等だ。それ自体が一つの宇宙。放たれたと同時に隣接する宇宙を引き裂き、粉砕し拮抗しながら、
「――落ちろ」
世界に――
「駄目……!」
「まだだ……!」
――穴が開く。
それは画布に色を重ね過ぎたようなもの。複数の色を使い、塗り重ね過ぎればどうなるのか。答えは簡単、画布が耐え切れず穴が開く。
そも覇道流出というのはそういうものだ。画布は世界、色は渇望。画布を己一色で染め上げる行為。
そして今、白黒と白銀、朱桜という三色を重ね陥没が生じる。
――落下が始まった。
三柱が特異点を落下し、現世から離れ神座へと近づき始める。三つの渇望がぶつかり合うが故にそれは迅速だ。そしてそれはそのまま
「――貰ったぞ」
その刹那を円夏は見逃さず、二柱の軍勢を喰らいつくした。
「ッ……!!」
声にならない絶叫。たかが一瞬されど一瞬。それだけの間に千冬と束のレギオンは消え去り、
「美味い。流石と言っておこう」
悉くが円夏のレギオンとして変生していた。
そもそも覇道神の鬩ぎ合いは、渇望のぶつかり合いから生じる。流れ出す渇望が宇宙を満たすために自分以外の全てを問答無用に排斥していく。
それ故に覇道と覇道の両立は極々僅かな例外を除いて共存できない。千冬と束であっても可能な限り潰し合いを押さえているが、完全になくすことはできない。例えどれだけの友情で結ばれていても、二人の渇望は違う。
だが円夏の場合は別だった。
彼女は他者を焦がれる。自分以外の全てに嫉妬を覚え、奪おうとする。故に彼女にとって覇道の喰らい合いは手段ではなく目的だ。
流れ出すために覇道を喰らうのではない。
喰らうために流れ出すのだ。
だからこそ千冬と束の意識を逸らした瞬間を見逃さずに円夏は二人が保有する魂を本体だけを遺して奪い去った。当然、二柱分の魂を喰らったことによって円夏の強度は爆発的に跳ね上がる。
力の天秤は完全に崩れた。
それはつまり二人が詰んだということだ。
「ははははは! よくやったさ、娘としても誇らしいぞ我が母たち。娘の踏み台になるんだ、よくやったと満足して――そのまま死ね」
円夏の背後に連なるのは黒と白に染め上げられたインフィニット・ストラトスの成れの果てと単なる狂気の修羅。蒼穹の中で笑っていた魂は全て大罪に犯されている。意思などどこにもない。あるのはただ尽きることの無い罪だけだ。
「……これは報いというわけか」
「またちーちゃんは厳しいことを」
特異点を落下しながら、眼前で生じた絶望を前に、しかし二人は苦笑していた。愛し児らを奪われて、余力もほとんどない。覇道神は保有する魂がものを言うのだ。個人の渇望力だけでそれらの量の差を埋めるのは不可能と言ってもいい。
だからもう彼女たちは――
「なら」
「Jud.最後にできることを」
推奨BGM:Amantes amentes
『――Gatrandis babel ziggurat edenal』
手を重ねて謳う。
口の端から血が零れる。これまでの戦いで傷は幾らか受けたが致命はまだない。故にこれは自壊に近い物。けれど構わない。目の前では円夏が二人を完全に消滅させようと渾身を振り絞っていた。それを二人は止めることはできないのだから。
『Emustolronzen fine el baral zizzl』
ねぇちーちゃん。
なんだ。
私たち、一杯喧嘩したし、馬鹿なことしたじゃん?
そうだな、お前は私に迷惑ばかりかけて困ったものだったよ。
あはは、ごめんねぇ。
『Gatrandis babel ziggurat edenal』
それで、それがどうかしたのか?
うん、それでさ。
あぁ。
私たちは最高の親友だったよね。
そうだな。
――ずっと一緒だよ。
あぁ――ずっと一緒だ。
『――Emustolronzen fine el zizzl』
奏でられた二つの絶唱は響き合い、特異点の中を、現世を駆け巡る。溢れる光輝は穴を押し広げながらも円夏が放った一撃と一瞬だけ拮抗し、
直後に織斑千冬と篠ノ之束を消滅させた。
そして最後、
「後は、任せた」
「頑張れ、皆なら……きっと大丈夫だから」
消え去りながら、さらに深奥へと落下していく円夏を見送りながら発した言葉に――
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「Testament!!」
「Judgement!!」
応える者は、いた。
この話も残すところあと少しですねぇ。
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