狂いのストラトス Everlasting Infinite Stratos   作:柳之助@電撃銀賞5月10日発売予定

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やっと会えた


推奨BGM:波旬・大欲界天狗道
※より吐善加身依美多女


第拾漆章

 神座。

 それは気の遠くなるような昔から世界を支配してきた枠組みだった。神座、太極座、王冠、ジュデッカ、頂点、底。呼び方はいくつかあれど示すものは一つ。果たして誰が何のためにこの機構を生み出したのか今となっては定かではない。そこは物理的な徒歩や飛翔でたどり着けるような場所ではなく、もっと違う、通常の空間を超えたどこかにある。

 そこは世界の中心。宇宙の核。天はそこから流れ出し、発生した色に染まる創世されていく。

 覇道太極という究極に至ったものは座を手にすることで、それまで自分を支配してきた既存の法を覆し、己の渇望で世界塗りつぶすのだ。

 この宇宙はそんな風にできていた。ずっと昔、気の遠くなるような遥か彼方から、連綿と続き、繋げられながら誰かの法が流れ出し、既存の祈りは駆逐され、また同じことを繰り返す。

 それは――十一度続いた。十一回も世界はその在り方を変えてきた。

 第一天『栄誉刻印』。

 第二天『風空無形』。

 第三天『冥府機界』。

 第四天『全個合水』

 第五天『双極星』。

 第六天『流転滅生』。

 第七天『化生仙』。

 第八天『答理砂羅』。

 第九天『炎昼暗夜』

 第十天『神霊樹』。

 第十一天『涅槃有頂天』。

 滅び滅ぼされ、世界は続いていた。けれども度重なる交代劇の中でやがて神座機構そのものが滅びを迎えていた

 決定的だったのは第十一天だった。

 掛け値なしにその法は素晴らしかった。十一柱目の神は座の在り方への理解が深く、かつて十度の転換が行われたことも気付いていた。だからその神はそれまで消えていった法の残滓をかき集め己の世界に再誕させたのだ。それによりその世界は既存の法の欠点を補い合う、考える限り最高の世界だった。強度や完成度、以前の十の天よりも誰もが素晴らしいと判断し、彼らもまた誇りを持っていた。

 しかしそれでも綻びは生じてしまった。

 類稀なる完成度を持っていたからこそ、生きとし生ける者の多くが太極へ至る素質を持っていた。そのせいで世界の枠組みの方が限界を迎えてしまったのだ。太極というものは宇宙を繋ぎ鎖のようなもので、その鎖を通して世界の存在するためのエネルギーを供給させるわけだが、そのエネルギーが多すぎたのだ。

 気づいた時は遅かった。気づいた者も僅かな数だった。

 彼らは――第十一天を滅ぼし、しかし座を握ることをしなかった。

 空白となった太極座。その状態は即ち世界の崩壊だ。流出というエネルギーを無くしたのならば、緩やかに衰退していくしかない。さらに言えば第十一天はそれまでの座の残滓を内包し、管理していた。しかし法則が消滅した以上は残った彼らを守るものはなく、滅茶苦茶になって空白の世界に放り出された。

 そして時は流れ、第一天から第十天の残滓が混在し、しかし第十一天が忘れ去られた世界が生まれた。

 それがかつて第十二天と呼ばれ、滅びを約束されていた世界。

 その世界で――終わりの年代記は紡がれたのだ。

 

「――あぁ」

 

 特異点を落ちていく中で簪は神座の系譜を読み取っていた。

 それらを見て思う。これまでの自分たちは、それらの最先端だったのだと。自由奔放に、自分勝手に、滅茶苦茶やっていたのは全て彼らの行いの果てにあった。

 簪は知識の神だ。知ることに関しては篠ノ之束にすらも上回る。

 だから今の天のことは太極に至ったことで理解していたが、それまでの世界のことは今ここでようやく知ることができた。正直に言うならば、自分には関係ない。それまで何があろうと、自分は自分だ。今さら己の在り方を変える気にもなれないし、そもそも不可能だ。どれだけの世界があって、滅びてきたとしても、もう過ぎたことで簪はどうでもいい。

 ただそれでも、

 

「このまま何もしなければ……全部、なかったことになっちゃうよね」

 

 円夏が生み出す世界はそういうものだ。意思も魂も何もかもを、嫉妬の言葉で片付けてしまう。それだけは、いくら何でも簪だって認められない。

 何より――託されたのだから。

 元より彼女たちのような求道神は特異点を落下することはできない。そもそも特異点の落下は流れ出した覇道と既存の法との鬩ぎ合いが臨界を迎えることで発生するのだ。歩く特異点などと呼ばれることはあるが、しかし潜航することに適してはいない。もしも簪たちだけだったならば座の最深部まで落ちることは困難だった。

 しかし今は道があった。

 織斑千冬と篠ノ之束による絶唱が生じさせた世界の風穴。

 それを簪たちは通っていく。最もいう程簡単ではない。落ちれば落ちるほど『焦がれの全竜』が遺していった大罪の覇道を濃くなっていく。濃度の薄い所を簪が導き出し、蘭が他の四人を連れて進んでいた。最深部はそう遠くない。座への道の深さはそのままこれまで積み上げてきた歴史の証左だ。道のりは恐ろしく長く深い。だが、千冬や束、円夏という歴代の覇道神の中でも最高位の神格たちによる鬩ぎ合い、それに絶唱によってかなり短縮されていた。

 勿論それで簡単に済むという話ではなかったが。

 

「っづ、あ、ギィ……!」

 

 生み出された穴は当然ながら円夏が先に進んでいる。故に彼女が遺した残滓もまた皆を運ぶ蘭を置かしていた。

 大罪という誰もが必ず抱いている概念。神格となった以上、それは当てはまらないのかもしれないが、相手は覇道神だ。そのようなセオリーなど当然無視してくるし、実際蘭は進みながら苦悶の声を漏らしていた。

 だがそれでも――止まらない。

 止まれるはずもない。

 確かに襲い掛かる罪の波動は確かに辛い。導いてくれる簪は他の三人を万全の状態で届ける為にも、全て蘭が引き受ける必要がある。

 

「それが、どうした……っ」

 

 罪。

 それを無視する手段は蘭にはない。

 

「でも、ルキの傲慢はもっと凄かった……!」

 

 自らの手で散らした傲慢の少女。最後の最後まで気高き笑みを浮かべていた彼女のソレに比べれば、この程度問題になるはずもない。

 

「彼女の想いを受け取ったから!」

 

 何度も虚空を蹴りつけ、特異点を潜航していく。普通に落ちていくだけでは、円夏に追いつくことはできない。円夏が残した罪に身を軋ませながらも加速は絶対に止めない。底に届くよりも早く追いつかなければ彼女たちが得た答えの全てが無駄になってしまう。

 そんなことは絶対にあってはならない。

 

「蘭ちゃん……!」

 

「ッ……!」

 

 名を呼ばれると共に道標の概念がそのまま送り込まれ、それに従い飛翔する。

 矢面に立つ蘭と彼女を支える簪。ラウラや本音、シャルは言葉はない。既に役割は決まっている。送り届けることこそが蘭と簪の役目だからこそ、今二人は進むことのみに総てを懸けていた。

 所謂時間や距離の概念はない。渇望の流出によって生じる潜航は求道神には不可能なところを二人の神威にて無理矢理行っている。

 簡単ではない。

 困難しかない。

 

「でも、それこそ……!」

 

 どこまでも羽ばたきたいと思ったから。

 

「ふ、はは……謎があると知りたくなるのが心ってもんだよねぇ!」

 

 何もかも知りたいと願ったから。 

 

 そして――辿り着く。

 

「――!」

 

 見えたのは大罪の染まったレギオンと少女の背中だった。本体である円夏は気づいていない。しかしレギオン――千冬に導かれたヴァルキリーや束と契約した異端者達は罪に塗れた姿で彼女たちの前に立ち塞がっていた。まるで、円夏から簪たちを覆い隠すように。

 相見え、

 

「後は、お願いします――!」

 

「頼んだよ!」

 

 五反田蘭と更識簪が弾き出される。

 

「――!」 

 

直後動きだしたのはラウラと本音だ。

 天国と地獄。冥界と天界を司る相反する二柱。旅人を導く冥府の女神と炎の中で羽ばたく熾天の御使い。己の周囲に黒い炎や純白の翼を広げ、式を紡いでいく。

 

「■■■――!」

 

 当然見過ごすわけがなかった。大罪のレギオンはその精神や魂を凌辱されているとはいえ、宿す武威や狂気は変わらない。ある意味ではラウラや本音とて彼女たちと近しい性質を持っているのだ。だから何をするのか理解した。

 円夏が彼女たちを認識するよりも早く、ISの武装や狂気の概念を即座に放っていた。覇道神のレギオンが放つ一斉砲火。例えラウラや本音であろうと、直撃すれば被害は尋常ではない。ましてや大技の発動前ならば猶更だ。

 だから

 

「僕の出番だね」

 

 シャルロット・デュノアがさらに前に出た。

 

「――!」

 

 一瞬で彼女の姿が増えていく。影を用いた文字通りの影分身。一瞬にて増殖した数は数百は下らないほどだ。一人一人が手にしているものは――それぞれが聖遺物。聖剣妖刀神槍魔銃、古今東西、この世界に眠っていた伝説神話伝承の神秘をシャルロットは手にしていた。そもそも彼女は自身の戦闘力が高いわけではない。しかしだからこそ、低い力を底上げするために開いた時間で世界を駆け巡り残っていた宝具をかき集めていた。

 ただ、ラウラと本音の時間を稼ぐために。

 

「っあああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 最初の激突で分身の半数が消し飛んだ。すぐさま聖遺物を回収し、分身の数を増やし、文字通りの壁となって大罪の群れの砲火を凌いでいく。

 地味な役目だなぁと苦笑する。

 自分の役目は完全に捨て駒だ。ラウラと本音の大技を決めるために自らが犠牲となることだ。ハッキリ言って損な役という奴。仮に自分たちの行いが後世に伝えられたとしても、今自分がやっていることは特に評価されないだろう。

 でも、それでいいのだ。

 シャルロット・デュノアが望んだのはそういうものだから。

 実際に矢面に立ってた時間は一分となかっただろう。けれどその僅かな時間は永遠にも等しく、シャルロットの魂を削っていた。

 

「――ハハ、君にはよく解らないかな」

 

 そう、未だにこちらの存在に欠片も気付いていない少女に呟き、

 

「それじゃ、僕はここまで。目立つ部分は頼んだよ」

 

「見事だ、戦友(カメラード)

 

「ありがと、シャルちゃん」

 

 二人の戦友の全てを預け、特異点から弾かれる。

 即座に解放されたのは熾天の神威だった。

 

『おどろくべき十字架を見る時、

 その栄光の君の死を。

 私の利益は、損失となり、

 私自身のプライドを軽蔑します。

 禁じてください、主よ、誇ることを、

 私の神である救い主キリストの死のほかには。

 魅力があるすべてを空しいものとして、

 主のいけにえの血に捧げます』

 

 本音の体内で組み合わされていた式が詠唱となって具象する。それは、クィントゥムに対して放った塩の柱とは明確に性質が異なっている。問答無用に罪を浄化し、消滅させるのではない。それを本音は望まない。例え大罪に染まっていても、根本は剣乙女と狂兎に導かれた同胞なのだから。

 

『主の頭、主の手、主の足から、

 悲しみと愛がまざって流れ落ちる、

 悲しみと愛の出会い、

 いばらで作られた貴い冠

 

 死に渡される主の深紅の血を、ローブの様に、

 十字架の木の上にかけられた 主が体にまとわれる。

 私はすべて世の事柄に対して死に、

 すべて世の事柄は私に対して死んでいます。

 

 世界のすべてが私のものであったとして、

 それをささげても小さなものにすぎず、

 驚くべき愛、聖なる愛は、

 私の魂、私の生命・生涯、私のすべてを求めます』

 

 故にそれは大罪の禊に他ならない。その聖光を受ければ、どれだけ重い罪の因果を背負うとも一瞬で帳消しになってしまうほどの聖性。

 

『――十字架に掛かりし我が愛しき主よ』

 

「■■■■――」

 

 閃光触れた全てのレギオンが一瞬でその罪を洗い流す。こと罪という概念に関して、本音の力は絶対的なアドバンテージを誇る。

 だが、それでも、

 

「っぐ……!」

 

 円夏には届かない。それどころか、あくまで罪そのものを取り除くだけだから、本体をどうにかしない限り再び同じように大罪が補給されてしまう。元より感情から発生している大罪に限りはない。本音が何度同じことをしようとも、結果的に現状は回帰してしまうだけ。いうなれば水中で燃える花火に過ぎない。一瞬だけは燃え輝くが、すぐに燃え尽きてしまう運命だ。

 大罪を無力化したのはほんの僅かな刹那だけ。

 

『――ステュクスとアケローンを支配せし、闇と夜の御子よ』

 

 その刹那にラウラは己の権能を解き放った。

 

『櫂を振るい、襤褸を纏いて亡者を最果てに導くがよい。

 汝こそは愛の天秤。その境目にて、若々しき恋人たちに試練を。

 死者には銅貨を対価に新たな世へ。

 我こそ冥府の女王。歓喜せよ、汝の導きを我は引き続き、その誉が潰えることはない。

 あぁ、我は我にして我らなり――カロンの橋渡し』

 

 溢れ出す深淵の闇炎。本音に罪を洗い流され、円夏から供給されるよりも早く、それらがレギオンの全てに行き届いた。同時に全ての魂が特異点から弾かれ、冥府へと転送される。

 

「安心してくれ、お前たちの魂は私が責任を以て冥府に迎えよう」

 

「例えどれだけ時を重ねても、貴方たちも新しい未来が待っているから」

 

 それが、二人の役目だ。冥界と天界はかつての世界の残滓を再構成した第十二天の影響で確かに残っている。生前に善行を行えば天界に、悪行を行えば冥界に。死後はそれらの世界にて過ごし、輪廻転生概念もある故に新たな生を受けることも可能だ。そういったことらを司るのが冥界神ヘカテーと御使いセラフィムなのだ。

 故に一瞬で――円夏が千冬と束から奪ったレギオンは消滅した。

 

「――あ?」

 

 そこまで至ってようやく円夏は己を追いかけていた存在に気づいた。自身が親から奪い去った遺産が全て消えたのだ。流石に気づかないわけがない。背後に何かがいるのは解った。恐らくそれが、八大竜王たちと戦った、彼女たちの教え子であるというのも。

 だから、

 

「また餌が来た――」

 

 想い、振り返りながらその覇道を広げ喰らおうとして、

 

「下らん」

 

「ごめんね」

 

「――なに」

 

 その神気の欠片を奪うこともできず、力を使い果たし二人が去っていくのを見るだけだった。

 

「な、何故――」

 

 理解できなかった。

 『導きの剣乙女』や『愛の狂兎』という神座の系譜に於いても最高位の神格二柱すらも喰らった円夏の覇道。『焦がれの全竜』という神格が持つ最大権能が神として保有される領域を奪うこと。例外はなく、彼女が焦がれた存在は何もかも凌辱され、簒奪される運命だ。

 それにも関わらず、何も奪うことができなかった。

 それが――織斑円夏という神格に小さくも確かな亀裂が入る。

 焦がれ奪う為の存在が、それをできなかったのならば存在矛盾が生じてしまうのは道理。

 

「っづ、どうして……!」

 

 その矛盾と亀裂を、

 

 

『殺したいほど――愛してる!』

 

 

 颶風と高嶺の神威が切創として切り開いた。

 

「っあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――!?!?!?」

 

 理解が――できない。

 円夏にはそれがなんであるのかは解らない。降り注いだ二つの天嶮の斬風が、地上にて己の持てる全てをぶつけ合った織斑一夏と凰鈴音の余波であることなど解るはずもない。例え円夏が神座の成り立ちに詳しかろうとも、そんなことを理解できるはずがない。求道神同士の激突が、特異点の最奥にまで届くことなど。

 

「どういう、ことだ……!」

 

 全身を苛む激痛に混乱を隠せない。最早目的は達成したはずだった。守護神たる千冬と束を喰らい、そのレギオンも奪った上で特異点を落ちた。例え二人と同じような神格が出てきても、今の自分には何の苦にもならず、寧ろ強化にしかならないはずだった。

 だが、今。奪ったはずのレギオンは根こそぎ奪われ、さらに突如として振って来た斬風に全身を斬り刻まれていた。それは千冬たちとの戦いで得た損傷よりも遥かに大きい。単純なダメージではない。もっと根本的な、より根源的な何かが円夏に軋みを与え、

 

『それから目を背けたのが貴女の唯一つの間違いですわ』

 

「―――――――――ッッ!!」

 

 何処からか聞こえて来た声を拒絶することに壊れていく存在の全てを費やした。

 目を逸らさなければならない。

 耳を閉じなければらない。

 触れるなんてもっての他。

 この声と言葉には何があっても受け入れてはならないと本能で察し、しかし、彼女からの言葉という弾丸は確かに円夏を貫いた。

  

『自分の足で歩んでいける人はいます。例え一人になったとしても、受け継いだものを抱いて生きていける人がいます。何もかも捨てても笑っていられる人がいます。自分一人で完成していても誰かを求められる人がいます。貴女はそれを知っていたはずなのに、彼らから逸らしてしまった。それだけは、貴女が犯した罪に他なりません』

 

「黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ――――!! 知ったような口を聞くな! お前に、私の何が解るーーッ!」

 

『解らんさ』

 

「ッ!」

 

 また別の声。神の手を取ることを拒絶した人間ではなく、神どころかあらゆる存在からかけ離れてしまった化物だった。

 

『嫌なものは見ないで、自分に都合のいいものだけを見て、そのくせ悪いことは他人のせいにする。そんな子供の駄々を理解できるはずがない。例え誰がお前を悪くないと言っても、私はお前を赦さない。お前の行いは、何もかも間違っていた』

 

「――」

 

『だから、行って来い。お前を赦せる、たった一人の下へ』

 

 そして、織斑円夏は、最早名前すらない、己の叔母か姉であったはずの存在に背中を押され、

 

 ――底へと辿り着く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――やっと会えた」

 

 そこは真っ白な砂浜と真っ青な海の境目だった。

 波の音が耳に届き、真っ青な空はどこまでも続いている。けれど、不思議と海独特の匂いはない。見渡す限り、太陽はないが、それでも視界ははっきりと明るかった。

 何もない。ただあるがままに揺れる世界。どこまでも広がる蒼天の下の砂浜。

 そんなところに、円夏はいた。先ほど受けた痛みはない、だが同時に神格としての力もまたなくなっていた。それはまるで、誕生の瞬間と同じように。

 そしてそんな彼女を、一人の少女は背後から抱きしめていた。

 

「――」

 

 装甲服越しから少女特有の柔らかさが伝わってくる。視界の端で揺れるのは短めの真っ白な髪。背は、自分より少し少ないくらいだろう。膝立ちの自分を背後から覆いかぶされようにその少女は円夏を包み込んでいる。

 それが誰なのかは、円夏は一瞬で理解した。

 彼女こそが、円夏が求め続けていた相手だったのだから。

 

「お前は……」

 

「はい、初めまして。織斑円夏さん――もう一人の私」

 

「ッ……」

 

「篠ノ之(くるい)と、いいます」

 

 水面越しに、彼女の顔が見えた。自分が千冬とそっくりなように、彼女また、束とよく似た顔立ちで、目だけが兎のように真っ赤だ。身を包むのは質素な白いワンピース。

 何物にも染まらない、無垢な純白。

 何もかもを喰らってしまう自分とは、全くの正反対。

 そう、それが彼女たちの関係性。

 自滅因子。

 織斑千冬と篠ノ之束と同じように。円夏は狂から生み出された癌細胞。永久不変の覇道神を殺すアポトーシス。故にこれまでの行いはある意味ではその運命に従った――、

 

「いいえ、そんなの違いますよね。私が、悪かったんです」

 

 狂は言う。

 

「ごめんなさい、私はもっと早くこうするべきでした。お母さんたちに任せきりじゃなくて、私が貴女を抱きしめるべきだった」

 

「……何を」

 

「そのせいで、貴女の想いが歪んでしまった」

 

「私の、想い……? 私は、他人のものが羨ましくて、奪いたくて……」

 

 織斑円夏は織斑千冬と篠ノ之束から生み出されたクローンだった。

 彼女を創り出したのは国際テロ組織『亡国企業(ファントム・タスク)』。彼らが果たしてどのようにして二人の細胞を手にしたのかは解らない。

 ただ事実として、『亡国企業(ファントム・タスク)』の技術者たちは二人の細胞を保有し、それを使ったのだ。そうなったのは無理もない。世界最強の戦乙女と世界最賢の科学者。その二つの断片を組み合わせ、自分たちに都合のいい存在を生み出そうとした。

 結果的に言えば、それは成功であり、失敗でもあった。

 肉体や精神は千冬がメイン、だが知識や思考では束に匹敵する最初のクローンとして彼女は創り出された。第二回モンド・グロッソの直前のこと。身体に関しても十代半ば程度にまで強制的に引き上げることにも成功した。研究者たちの誤算は、その時点、生体ポットの中で浮かぶだけの状況でさえ、彼女が魂を宿していたことだ。彼女は誕生と同時に千冬と束の記憶を読み取っていた。彼女たちが駆け抜けた終わりのクロニクルを。その眩しさを知り、しかし何も持てない自分に絶望し、世界の全てに焦がれたのだ。

 その嫉妬が、円夏の起源。

 そう思っていた。

 

「――まず感じたのは寂寥」

 

 なのに、彼女はそんなことを言う。

 

「母より繋がれし物語。なんと眩しく美しいことか。私も、こんな人たちと生を駆け抜けたい。閃光となって全てを燃焼したい。あぁ、なのにどうして、私には何もないか。誰もいないのか。寂しい、寂しくてたまらない。抱きしめてくれなくてもいい、愛してくれなくてもいい、ただ一緒にいてほしい――それが、貴女の本当の渇望」

 

「一緒に――」

 

 焦がれるとは――憧れること。 

 奪うのは――欲しいから。

 欲しいのは――寂しかったから。

 

「ぁ、あぁ……」

 

「私は、貴女の悲しさに気づけなかった。だから、その想いは何時しか爛れ、膿んで、歪んでしまった。それが、この世界の法則だから」

 

 寂寥は何時しか嫉妬に変わってしまった。そして、自分がそうであると思いこんだ以上、『ただ自身の思うあるがままに』という法則の第十三天の下に、二柱の覇道神の系譜によって彼女もまた太極へと至った。

 歪んだ祈りのままに。

 狂ってしまった嫉妬は、自滅の運命と共に世界に牙を剥いた。

 

「……ここまで来るのに、沢山の人に迷惑を懸けてきました。一夏さんや鈴さんたちがそう。覇道を喰らう貴女には、私やお母さんでは絶対に勝てない。だから、彼女たちを神格へと導くことで、単体で独立した求道神という存在で、貴女の渇望に亀裂を入れなければならなかった」

 

 覇道を喰らう覇道神。  

 渇望と渇望の鬩ぎ合いを喰らう神。他者の魂をそのまま力とする覇道神に於いて、その魂を奪うという能力は絶対的なアドバンテージだった。覇道神である限り、『焦がれの全竜』を打倒することは不可能だ。

 けれど、そのアドバンテージはそれ自体が単一構造の宇宙である求道神には通じない。彼らには、奪うべき軍勢が存在しないのだから。故に円夏に対しては求道神をぶつけることが必勝法だったのだ。しかし、言う程簡単ではない。そもそも千冬と束の年代記は単純な知識となってそれらの存在を自身から消失させ、八大竜王が一夏たちとの戦いの中で円夏の真実を得たがそれすらもなかったことにした。

 千冬と束が特異点を広げ、蘭と簪が導き、シャルロットが稼いだ時間で本音が軍勢全ての罪を洗い流し、その魂をラウラが冥界を送ることで、彼女を丸裸にして、求道の極地である一夏と鈴の激突と解脱した人間であるセシリアの言葉、観測者となってしまった■の後押しを受けて、ようやくその歪みは修正されたのだ。

 

「本来ならば、私は貴女に殺されるべきなのかもしれない。でも、まだ世界は変わるには早すぎる。よりよい世界を生み出す祈りを持つ人が現れるまで、私はこの座を明け渡すことはできません」

 

 だから、

 

「その時まで共にいましょう。世界が終わるその時まで、この果てなき空の下で、境界線の上に」

 

「――あぁ」

 

 その言葉は。

 その想いは。

 その温もりは。

 

「私が、ずっと欲しかったものだ……」

 

 頬から透明の滴が落ち、彼女は背後から回された腕にしがみ付き、静かに嗚咽を漏らしていく。

 落涙と共に篠ノ之狂は自らの神威を解放した。

 これまでの戦いで傷ついた世界を癒すために。

 もう二度と、こんな悲しいことが起きないように。

 いつの日か、より素晴らしい願いを持つ誰かに世界を繋げる為に。

 

『――流出(Atziluth)――』

 

 ここまで至る全てに祝福を。

 私は全ての狂気を導き包むから。

 この空の下で、貴方達の素晴らしき魂の在り方を見せてください。

 無垢なる穹――狂然洗礼。

 

 

 

遥か彼方に広がる(everlasting)――無限の天空(Infinite Stratos)

 

 

 

 




すんげー久々ですが、その辺の言い訳活動報告にて。

ちなみにタイトルとか変わってします。

まぁこれで終わり。

次が最終話です。

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