TIGHTROPE~Broken dolls of the fallen.   作:信濃 一路

4 / 8
Episode4 追憶 ~ I was longing for that day

  

 作戦開始。海亀の甲羅のような上陸用の追加装備をパージした二体の巨人は島の内地へ向けて移動を開始した。そこに巨人から見れば蟲のような小型の機械が群がり、レーザーを放つ。しかし巨人の光り輝く装甲はそれをそよ風のように無効化する。

 

 ――光の鎧(フェリオンスキン)を纏う鋼の巨人、タクティカルドール。

 

 巨人の構えた巨大なアサルトライフルが火を噴くと、迫り来る虫型の機械群は一瞬にして粉砕され、沈黙した。対人用のビートル種はTDの相手にならない。問題は主敵である中型種以上の巨大デザイアだ。機体のセンサーヘッドを巡らせ周囲を確認して、

 

「摩夜、状況は?」

 

 上陸と同時に戦闘になるのは何時もの事だ。だが今回は残念な追加要素がある。薄暗いコックピットの中で俺は後部座席の少女に状況報告をさせるが、返ってきたのは案の定なモノだった。

 

「えっ、……えっと……周りに小さいのが沢山、あっ、それからおっきな反応が右……ううん、正面――あれ、お箸を持つ方ってどっちだっけ?」

「落ち着け、余計な操作はするなよ……っておい!」

 

 タートルⅠのセンサーヘッド脇の射出管から煙幕弾が発射され、周囲に白煙が立ち込める。誤操作による暴発。突然視界を奪われた背後のタートルⅡが障害物にぶつかる激しい音。続いて僚機の通信からぼやくような声が聞こえた。

 

「え、ボク、変なことしちゃった?」

「ったくお前は敵か? これじゃ猫の手の方がましだぞ」

「……ゴメン」

 

 肩書は新入隊員にして“機関”から出向してきたスペシャリスト。……ただし現在無職(・・)八咫之(やたの)摩夜(まや)は慣れない管制官役にすっかりテンパっていた。これでも階級は大尉殿なのだが。

 

『右方向からリザード三機。正面ギガースが二機接近中。甲虫種多数。どうする、レイト?』

 

 それを見透かしたかのように通信から控えめな声が聞こえた。同時に僚機から地形を含めた状況データが迅速に送られてくる。普段は俺の後ろでオペレーターをしている陽ヶ埼(ひがさき)菜々星(ななせ)からだ。

 

「サンキュー、ナナセ。なら煙に紛れて右方向に路地を曲がった先の漁協の建物跡を利用。誘い込んだところを挟撃して蜥蜴から始末する。鬼の相手はそれからだ。行けるな、リョウ?」

『おうよ。薄ら馬鹿(ギガース)どもは地味に硬いからな。タイマンでチャンバラは御免だ』

 

 打てば鳴る様に威勢の良い台詞が帰って来る。僚機の操縦士を務めるリョウ……都築(つづき)(りょう)。甲虫種を、文字通り蹴散らしながら機体を走らせる。

 

「ごめん、レイト。ボク、役に立ててないね」

「気にすんな。ああ見えてナナセは鷹月の試験小隊からスカウトもあった優秀なオペレーターだ。たとえお前に適性があっても敵わないよ。それよりこっちもガンナーは任せるからな」

「……うん、任せて!」

 

 少し無職ネタで弄り過ぎたか? 気落ちする摩耶をフォローするとあっけなく立ち直る摩耶。その単純さに苦笑しつつ、俺たちは港を出て機体を並走させる。煙幕の範囲から出ると、周囲は島の重要な産業である水産物を扱う加工場が立ち並んでいた場所だった。それが見る影もないほどに破壊されている。

 

『北側も大概だったが、こっちはさらに酷えな。いちいち建物まで更地にしなくてもいいじゃねえか。奴らは侵略というより土建屋でもしてるつもりなのかね?』

 

 都築が軽口らしきものを呟く。だがそこには多分に遣り切れない忌々しさの様なモノが滲んでいるのが俺にはわかっていた。

 

『リョウちゃん……』気づかわし気な陽ヶ埼の声。

 

「レイト、ここって……何かあったの?」

「リョウのお袋さんはここの工場長だったんだ。あの日(・・・)……二年前のクリスマスに降りてきた青巒ピラーから溢れ出たデザイア共が最初の攻撃目標にしたのはここだった。お袋さんはこの島の網元をやってた親父さんと一緒に逃げ惑う島の人々をなんとか纏めて、仲間と船を使って最後まで沖に停泊してた軍の救難船まで送り続けてくれた。……でも、二人は犠牲になってしまって――」

 

「……そう、なんだ」都筑のカラ元気を察してシュンとする摩夜。

 

『おいおい、いきなり辛気臭くなんないでくれよ、摩夜ちゃん。それにナナセもだぜ? 目の前で家族を殺されたお前に比べたら、俺なんて、な。……そろそろ会敵だ。頼むぜ、相棒(レイト)

「……ああ」

 

 岩戸の奥へ俺たちを逃がしてくれた陽ヶ埼の親父さん達。泣きじゃくる水色の髪(カラーズ)の少女を懸命に押さえつけ、暗闇の中で過ごした三日間。その絶望の中差し込んだ一条の光。漆黒の巨人から誰かが降り立ったのを霞む視界が捉えた時、俺の意識はぶつりと途切れた。

 

 ――助けてくれたのが俺たちの指令である(さかき)泰吾(たいご)大尉の隊だったのを知ったのは、咲良に入学して鉄屑小隊(スクラップドールズ)が結成されてからの事だった。

 

「……デザイアなんだね。リョウやナナセを悲しませたのは」

 

 後ろから微かな声が聞こえた。元気さの塊のような摩夜の、らしからぬ声。

 

「そりゃ……直接の原因は奴らだろうさ」

 

 軍の、あいつ(・・・)が来るのが遅かったから……喉まで出掛った言葉を飲み込む。それが八つ当たりでしかないという事を認められる程度には、俺も成長している。お伽噺(ファンタシー)英雄(ヒーロー)なんてこの世界には存在しないのだから。

 

「……レイトの家族も、死んじゃったの?」再び摩夜が尋ねる。

 

家族(・・)、か)胸の奥に蟠る、澱のような感情。俺は秘かに澱息を吐くと、

 

「――どうだかな。所謂行方不明って奴だから」

 

 とだけ答えた。

 

「……? そう、なんだ」

「ま、流石にもう生きてるとは思えないけどな。親父はこの島の数少ない開業医で、あの日も律義に遅くまで診察をやってた。お袋は家に居たんだが、親父を迎えにクリニックまで向かっていた所にピラーが降りてきた――」

 

 丁度急患が居て、その治療で逃げ遅れたのだ。そう伝えると患者だった近所の爺さんは涙ながらに俺に頭を下げた。それでも共に逃げれば助かったのに、持っていくものがあるからと言ってお袋と共に残ったのだ、と。避難した島民に必要な医療品を確保しておこうとしたのだろう。

 まるで絵にかいたような(・・・・・・・・・・・)模範的な医師としての行動。それだから――

 

「やっぱり……しなくちゃいけないよ。デザイアは、この星から……」

 

 物思いに沈んだ俺の耳朶に囁くように昏い摩夜の声が聞こえた。

 

(摩夜?)訝しく思い振り返ろうとした時、

 

『リザードとエンゲージ。攻撃圏内……レーザー、来るよ』

 

 陽ヶ埼の声が微かに上ずった。尾に当たる部分が鎌首を上げ、先端の大出力のレーザー照射孔が赤く光る。砲戦型であるリザード種の主砲に対しては、流石にタクティカルドールの光学装甲も無敵とは言えない。

 

「ナナセ、スモーク射出。リョウ、タートルⅡは右に回り込め」

 

 返答を待たずに俺は機体を加速させ、隊列を組むリザートの左側面を駆け抜ける。抜刀。立ち込める白い霧。多分に水蒸気を含んだそれはレーザーを僅かに屈折、減衰させる効果を持つ。果たして斉射された光の射線は機体から逸れ、わずかに翳めるに留まった。フレキシビリティに富んだ尾が第二射を放つためにこちらを捉えようと旋回するが、俺は一気に肉薄して高周波ブレードで斬り落としてゆく。

 

「レイト、照準波を確認。ロックオンされた」

 

 意外に冷静な摩夜の声。主兵装を失い回頭を始めたリザート群。両脇にあるロケットランチャーが解放されこちらを狙う。

 

「大丈夫だ」

 

 俺が答えるのと同時に三体のリザートのむき出しになった兵装部が火を噴き、次いで機体全体が爆散する。スモークが晴れると、炎の後ろには鋼の巨人がが両手にアサルトライフルを構え屹立していた。僚機のタートルⅡ。

 

『三機撃墜。どうだい、摩夜ちゃん。俺もなかなかなモンだろ?』

『今撃ったのはわたしだけどね。ギガースが追い付いてきたよ、距離三百』

 

 陽動と狩役。一人で戦うのではなく、連携で堅実に。鉄屑の流儀だ。榊指令が俺たちに叩き込んだ教え――必ず生き残れ――から導き出された戦術。それが落ちこぼれの俺たちを、軍の言い訳のための無茶な出撃ルーチンから守ってきた。佐塚を喪うまでは。

 

「タンク役は俺がやる。タートルⅡは隙を見て後ろから攻撃してくれ」

『了解。無茶はしないでね』

『わりぃな、レイト。隊長のお前にいつも接近戦を任せっきりにして。……佐塚ならお前に合わせられたのに』

「やれることはやれる奴がやればいい……それが俺達だろ。お前の狙撃にはいつも助けられてる」

 

 機体をダッシュさせるとこちらに向かってギガースも突進してくる。近接戦に特化した巨躯が迫る。ギリギリまで引き付けて右サイドステップ。剛腕が俺たちの居た場所を穿ち、砕けた路面が飛び散った。体勢を崩した一体と回頭して射撃体勢に入る一体。その装甲の薄い背面にタートルⅡの銃撃が加えられ爆散するギガース。俺は残る一体に斬撃を加える。数太刀斬り付け戦闘能力を奪った後にコアにブレードを突き入れる――指令程のエースなら装甲ごと両断できるらしいが――中枢を破壊されて残る一体も沈黙した。

 

「やるねレイト。中型デザイアをあっさり撃破するなんて」

「今まで何度もやってきたことだからな。それより回避した後の機体の立て直しが早かったのはお前の修正か?」

 

 いつもならあのまま反撃に転ずるのは俺には出来なかった。人型戦術兵器(タクティカルドール)を操縦士はナノマシンを介した神経接続によって一体化して制御する。だが人型であってもTDの構造は人とは異なる。それが違和感となって機体の動きは操縦士の反応より一拍遅れるのが常だった。複座型の場合は相性の良い熟練のオペレーターなら操縦士の癖を読んで最適な機体制御も雑作なく行うというが、けれど摩夜は俺と組むのは今回初めてのなのだ――

 

「あはっ、気づいてたんだ。レイトの腕なら余計だったかもしれないけど」

 

 少し弾んだ摩夜の肯定の返事。"機関"の特務大尉という肩書にそぐわない無邪気な声音。しかしそれが伊達ではないという事を俺は思い知らされる。つい先刻、あれ程パニックを起こしていたというのに。

 

「……そんな事はないさ」微かに滲む羨望。

 

 後部シートに収まる小柄な少女はサーキットを持つ戦後世代でありながら、"機関"に与えられた処置によりTAの操作に必要な神経接続を行う事が出来る。それはサーキットを持たない(落ちこぼれ)故にTD操縦士になれるという俺の数少ないアイデンティティに少なからぬ傷を与えていた。

 

「ん? どうしたの」

「――いや、何でもない」

 

 屈託のない声に俺はかぶりを振る。摩夜に、この仄暗い感情は向けたくはなかった。

 

 ――現状で彼女の性能は保証できます。

 

 機関の研究者だという男、諸角(もろずみ)静流(しずる)の無機的な言葉が蘇る。

 あの男にとって摩夜は研究の成果物でしかないのだろう。機関・華那庵(カナン)のラボで彼女がどんな扱いを受けてきたのか、俺はまるで知らない。だが、諸角に対する摩夜の反応を見る限り決して愉快なものでないのは明らかだった。

 

(こいつに比べたら、俺たちの境遇なんてありきたりなモノなのかもしれないな)

 

 二十年前デザイアの侵攻が始まって以来、世界は戦争の最中にある。自分達だけが悲劇の主人公のように振舞うのは、とんだ思い上がりだ。

 

『これからどうするんだ? 目的の施設までは御山(・・)を迂回して五キロって所だけどよ……』

 

 らしくない歯切れの悪さで都築が尋ねた。御山とは島唯一の神社である陽ヶ埼神社の境内のある小高い丘陵の事だ。

 

『気を使う必要ないよ、リョウちゃん。今回の任務は潜入なんだから余計なリスクは回避すべき』

『けどよ、せっかくここまで来たんだせ。二年前に俺達が助かったのはナナセの親父さんたちのお陰なんだ。礼位は言いに行かせてくれよ』

『けど――』

 

 あの日以来、俺たちが島の此方側に上陸したのは初めてだった。師匠……陽ヶ埼のおじさん達に何も言えてないという心残りは俺にもある。陽ヶ埼を生家に連れて行ってやりたい。

 

「……未知の領域では無駄な危険は避けるべきだ」俺は努めて冷徹に言った。

 

『無駄だって? おい、レイト!』

 

 通信越しに都築の憤りが伝わって来た。同時に微かに陽ヶ埼が諦念の息を吐く。

 

「――だが俺達の部隊(ScrapDolls)に軍が求めているモノはこの島の威力偵察だ。その為に俺たちは現場での裁量権を与えられている。諸角氏の依頼とは別に島の南側の情報をより多く収集する事は無駄とは言えないだろう。それには高所にある神社は打って付けの場所だ」

 

 そんな彼らに俺は一息に言った。ややあって都築の笑い声。

 

『ったく、物は言いようだな。そう言う事なら問題ないだろ、ナナセ?』

『ん……ありがと、ありがとね。リョウちゃん、レイト……』

 

 抑え付けていた生家への想いが陽ヶ埼から零れた。

 

「いいさ。でも、覚悟はしておけよ」

 

 ここの惨状から鑑みて神社が無事であるとは思えなかった。そして神社は陽ヶ埼にとって生家であると同時に、あの惨劇を思い起こさせる諸刃の剣でもあるのだ。家族の死を、彼女(ナナセ)だけは直に目に焼き付けているのだから――

 

『うん、分かってる』

『それじゃ、行くとしますか。それにしても餓鬼の頃から何度も登ったあの坂(・・・)をTDで行く事になるとはなぁ』

「――だな。しかし慣れた土地でもここは戦場としては未知の領域だ。油断はするなよ」

 

 気を引き締める陽ヶ埼の声と呑気な都築の声。警戒速度で俺達は機体の進路を御山へと向ける。

 

「クスッ、やっぱりレイトって優しいね」

 

 後ろから悪戯っぽい声が聞こえた。どうやらこっちの事情を気遣って口を挟まないでいてくれたらしい。微かに気恥ずかしさがこみ上げ、

 

「……大尉殿としては俺たちの勝手な行動変更を咎めなくて……良いのでありますか?」

「もう、そういう言い方止めてって言ってるでしょ」

 

 態と口調を変えた事に憮然とする摩夜。その様子に俺は思わず苦笑してしまう。

 

「悪い。でも榊指令はともかく諸角主任(お前の上司)は黙っちゃいないと思うぞ?」

 

 一見冷静沈着そうで慇懃無礼にすら見える諸角だが、実の所かなり神経質かつ粘着質である。研究者らしいと言えばそれまでだが、俺はその裏に妄執ともいえる狂気を感じていた。

 

「うーん、小言は嫌だけど大丈夫だと思うよ。あの人、結果にしか興味はないから」

 

 俺の心配をあっけらかんと一蹴する摩夜。確かにあの男ならそうだろう……とはいえ作戦に失敗したなら摩夜には相応のペナルティが加算されるに違いない。それを想うと胃に嫌な痛みが走る。

 

「大丈夫だって。何があってもボクがみんなを守ってあげる」自信満々に請け負う摩夜。

 

(お前の心配をしてるんだけどな)俺は小さく溜息を吐く。

 

 御山に陽ヶ埼神社の赤い鳥居が見える。幼いころから慣れ親しんだそれは、あの日を経ても変わらぬ姿でそこにあった。島の居住地区から離れた陽ヶ埼神社は、それゆえに二年前の惨劇において大規模な破壊を免れたのだろう。デザイアの行動原則は人類の殲滅が第一だからだ。

 あの時俺達は避難する人々で溢れ返る港へ向かわず、家族を心配する陽ヶ埼に付き添って神社へ引き返した。それが奏功し、山上の境内に取り残される形になったものの、デザイアの大攻勢をやり過ごす事が出来たのだ。

 

「あそこが陽ヶ埼神社。……ねえ、ナナセの家族ってどんな人たちだったの?」

 

 山上へ向かう坂を上る最中、何んと無しに摩夜が尋ねた。

 

「ナナセの親父さんはそこの神主を務めていたんだ。それと同時に陽ヶ埼流っていう古武術の継承者で、その道場も開いてた。俺も不肖の弟子ながら通ってたから師匠ってことになるな。全国に弟子を持っていて剣術も柔術も、まさに達人と言える人だった」

 

 ――なにしろ戦前世代だというのにサーキット持ちの娘たちが相手にならない程の腕前だったのだから。俺などはその動きを目に捉える事すらできなかった。

 

「でもお人好しでちょっと不器用な人だったな。陽ヶ埼の家は副業を家訓で禁じられているとかで門人から束脩を取らなかったり。東京で道場を開いている日本屈指の剣術家で政治家の萩野利三は師匠の同門の一人なんだけど、そういう事を一切吹聴することのない人だった」

 

 その萩野氏と指令の関係は昨夜知ったばかりだったが。俺が幼かった頃、指令が疎開の傍ら島へ修行に来ていたのは覚えている。その傍らに居た紺色の髪の女の子が、今にして思えば写真で見た妹の祥子さんだったのだろう――

 

「ふうん……凄い人だったんだね。ナナセが強いのはお父さん譲りって事か。このボクが未だに五本に一本しか取れないなんて」

「いや、一本取れるお前も大概だからな?」

 

 ナナセは戦後世代の中でも優秀なサーキット保有者であるカラーズ(・・・・)であり、大人しい文学少女の様な外見ながら武芸全般スポーツ万能の優等生だ。実の娘という事で目録止まりとなっていたが、本来なら陽ヶ埼流を皆伝まで修めている。その技はもうあの人(・・・)より――

 

 ――ねえ、零斗(れいと)君。キミは、青巒島(この島)が好き?

 

「――それで、ナナセのお母さんは?」

 

 思考の片隅に追いやっていたあの雪の日の光景。呼び覚まされたそれを、すっかり聞きたがりになった摩夜の問が搔き消した。

 

「陽ヶ埼のおばさん……ナナセのお袋さんは、アイツが三つの時に病気で亡くなってる。元々体が弱かったんだ。それに加えて神社の跡取り娘二人がカラーズだった事で受けた謂れのない中傷による心労が重なって――」

「そんな――」

「お前が生まれる少し前……俺たちが餓鬼の頃はまだカラーズへの偏見が酷かったのさ。辺鄙な島だから余計にな。……そんな訳でアイツの母親代わりになったのは四つ年上の姉さん(・・・)だった」

 

 降りしきる雪の中、駆けてゆく後ろ姿。風に靡く藍緑色(シアン)の長い髪。皐月さん――

 

「ナナセのお姉さんかぁ……きっと素敵な人だったんだろうな」

「ん……まあ、な。島では評判の美人だったし、それにおじさんが生活面ではちょっと頼りない人だったから、小さいころから家事全般を切り盛りしてて、料理も俺のお袋から色々教わったりして得意だった。女子力は(・・・・)相当に高い人だったな」

「何だか曖昧な言い方……」

 

 やや言葉を濁すと、果たして摩夜は不満そうに鼻を鳴らした。俺はクスリと笑うと、

 

「そりゃ、皐月さんは全島の男子から憧れであると同時に畏怖される存在だったからな」

「……え?」

「見た目は清楚な大和撫子。だけど勝気というか控えめに言っても男勝りで、特に子供の頃は頃はカラーズだからと自分達……特にナナセを虐めたりした奴を悉くわからせて(・・・・・)いたものさ。幼馴染の俺やリョウは手下扱い。それでいて面倒見はいいから大人たちの信頼は厚かった。所謂ガキ大将みたいな人だったよ」

 

 奇抜な遊びを思いついては皆を驚かせたり、遊び場が潰されそうになった時は子供たちを代表して大人たちに抗議したり、海岸で綺麗な石を見つけて無邪気に微笑んだり――破天荒なところもあるけど、あの頃から既に俺は彼女に惹かれていたんだと思う。

 そんな皐月さんも本土の高校に入る頃にはすっかり落ち着いていた。咲良第Ⅱに通っていた頃は別の意味で男子生徒に恐れられていたというが……そのきっかけを与えたのは、多分榊指令なのだろう。休暇で島に戻るたびに綺麗になってゆく皐月さんに抱いた想い。叶わぬモノと知りつつ、俺の中でそれは次第に大きくなっていった。

 

 ――それじゃ、行ってくるね。

 

(結局、何も言えなかったけどな)叶わずとも想いを伝えた皐月さんに比べて、俺はなんと弱かったのだろう。そしてあの雪の舞う闇の中に、彼女の姿は永遠に消えた。

 

 島の中央に突き立てられた巨大な柱(ピラー)。あれが全てを変えてしまった。

 

「皐月さん……」女々しく思いつつも、摩夜に気取られぬように呟く。堰を切ったように感情が溢れ出し、頬に熱いものが流れるのを感じた。……何が覚悟しておけだ。情けない。一番辛いはずのナナセより、俺は覚悟なんて出来て無いじゃないか――

 

「泣いているの、レイト?」

 

 三つも年下の癖に、まるで姉のように優しく摩夜が尋ねた。話してもいない俺の気持ちをわかっているかのように。

 

「潮風が目に染みたんだよ」

「……そっか」

 

 密閉されたコックピットにそんなものが入る筈もない。精一杯の強がり。けれど摩夜は沈黙を保ってくれた。

 

 神社の鳥居が間近に迫る。

 

『帰ってきたんだな、俺達』

『……うん。ただいま、お父さん。そしてお姉ちゃん』

 

 通信越しに幼馴染達の湿った声が聞こえた。

 神社の石段前の鳥居の所で俺達は機体を制止させる。この先は徒歩で向かうしかない。参拝する人の車がターンするために設けられた僅かなスペースに、二体の巨人は窮屈そうに蹲った。

 

「各員、警戒を厳にしてくれ。それでは状況開始だ」

 

 そう指示を出し、ハッチを解放。流れ込む懐かしい空気が肺を満たした。バトルドレスに白兵用の追加装甲を装着し、サブマシンガンを手に取って降機する。

 

(いつかこの島を取り戻すんだ。必ず、俺達の手で)

 

 仲間と石段を駆け上がりながら、俺はその誓いを新たにする。あの日喪われたモノはもう戻る事はない。その事実を噛みしめながら――――

 

 

Continue to next Episode □□□

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。