TIGHTROPE~Broken dolls of the fallen.   作:信濃 一路

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Episode6 虚影 ~ Illusion Vol.Ⅱ

 

 小さな沢に沿って縫うように小道が続く。記憶では人の手によってそれなりに整備されていたこの道も、一年半に及ぶ放置のせいで早くも獣道の様な様相を呈している。潺の音を搔き消して響く靴の音。身に纏う強化戦闘服(バトルドレス)の補正もあり、俺達は文字通り跳ぶ様に谷間を駆けていた。

 

 ――ゆらり。前方で影が蠢く。鼻を衝く異臭。

 

「く、来るよ!! 迎撃して」

 

悲鳴に近い情けない指示。それを待つまでもなく俺と亮はサブマシンガンを斉射していた。忽ち腐肉をまき散らして沈黙する活動死体(リバーサー)の群れ。頭部に潜むコア寄生体を破壊さえすれば、醜悪な外観の割には脅威ではない……その事を教えてくれた大尉殿は後方に控える菜々星の後ろで縮こまっているのだが。

 

「ちっきしょう……デザイア共が」

 

 ヒトだったモノの残骸から飛び出してきた機械の蜈蚣(パラサイト)を荒々しく踏み躙りながら亮は苦々し気に毒づいた。どうやらこちらに逃れてきた人々は島の漁協関係者……つまり亮の知り合いが多いようだった。そしてあの墓地を作ったゾンビたちはその成れの果て。奴らが何故そのような事をしていたのか? デザイアの意図は分からない。けれどその遺体を冒涜し、操るデザイアのやり口には嫌悪感しか抱かなかった。亮の憤りは俺以上だろう。

 

「リョウちゃん……」そんな彼を菜々星が哀しげに見やっていた。

 

「心配すんなって、ナナセ。活死体だか何だか知らねえが、あんな蜈蚣(むかで)に乗っ取られてるなんて、皆も報われねえよ。解放してやらなきゃな――」

「……うん」

 

 淡々と呟く亮の言葉と、それにコクンと頷く菜々星。そこには決意が込められているように感じられた。俺が意図的に無視している、皐月さんとの再会が最悪なもの(・・・・・)である可能性……現状を見ればその可能性の方が高い……に対する覚悟。果たしてその時、俺は――

 

「……達治さんの子がまだ死んで間もなかったんだろ? なら、遥さんがまだ生きてるかもしれない。急ごうぜ、相棒!」

 

 殊更明るく響く亮の声。空元気であろうと、今は有り難かった。

 

 達治さんとは墓場で遭遇した活動死体の生前の名であり、遥さんはその新妻だった女性だ。埋葬されようとしていた彼らの赤ん坊の遺体が生後数か月という事は、ピラー降着後のこの島で、赤ん坊を生み、暮らすことができる環境があったという事になる。俺達が向かっている石切り場はその候補の一つだ。だが此処までに倒した活動死体の数。山間部で脅威となる甲虫種(ビートル)が殆ど探知されないとはいえ、あれだけの不死者(ゾンビ)の群れを前に身を護れる戦闘力が避難民にあるのだろうか。

 

(そもそも寄生体って何なんだ?)

 

 デザイアは機械の身体を持つ侵略的存在だ。戦闘に特化していると言っていい。人間世界への浸透目的なら模倣義体という高性能な擬態能力を持つ存在が既にある。脆く壊れやすい生身の人間の身体を再利用する必要などないのだ。俺は今日までその存在を知らず、摩夜も対処法以外は殆ど知らなかった。気が進まないものの秘匿回線を用い榊指令経由で機関(カナン)の諸角主任へ問質しても『できればサンプルを持ち帰っていただきたいですねぇ』と例の慇懃無礼な口調で頼まれる始末だ……

 

「さて、着いたぜ。付近にゾンビ共は居ねぇみたいだが――」

 

 亮の言葉に我に返る。沢の脇の切り立った崖。そこに幅高三m程の穴が穿たれていた。良質な建材を得るために大昔から利用されてきた、島の皆からは“石切り場”と称される人口の洞窟。人気がない事から子供の頃の俺達には肝試しの舞台としての記憶が強い。過疎化が進むこの島では家の新築は珍しく、立て直すにしても以前の石材を再利用することが多い。この場所は、既に時代から取り残された遺構となりつつあったのだ。

 慎重に、警戒を怠ることなく洞窟へと侵入する。本来の任務ではないが、事前の潜入訓練は役に立った。殿を亮と菜々星に任せて先頭を歩く。

 

「大丈夫。中もデザイアの気配はないよ」すぐ後ろで摩夜が告げた。

 

 どうやら彼女には“敵”(デザイア)に対するアンテナ(・・・・)のようなものがあるらしい。自分たちがここまで無事に来れたのはその才幹に助けられたのが大きかった。

 

「ナナセの方は何か感じ取れないか?」

 

 水色の髪が示す様に菜々星は戦後世代でも特別な"カラーズ"と呼ばれる異能力者であり、人の心を感知するテレパスの"異能"(エフェクト)を持っている。

 

「――待って……聞こえる、聞こえるよ。嘆きが、悲しみが伝わって来る」

「遥さんか?」

「私、リョウちゃん程その人のこと知らないから……でも、多分」

「なら急ごう」

 

 歩を早めると奥に微かな明かりが見えた。ナノマシンの暗視モードを切る。暗視ゴーグルを外した菜々星がペンライトを点灯しようとするのを制止。この闇の中で過ごして来た者に光は安息を与えるとは限らない。息を潜め進む。坑道の先、幅十メートル程の掘りぬかれた空間。そこにすすり泣く女性の声が響いていた。黴臭い、据えた臭い。だがそれは生きている者がその場に居る事を如実に示していた。仄かな明かりに目が慣れて来る。フェリオン粒子を用いない古めかしい照明が天井に固定されていた。バッテリーの消費を最低限にして長持ちさせていたのだろう。その光は夜光虫の輝きのように儚かった。

 

「……戻って、来たの?」

 

 掠れた抑揚のない声。生に絶望した諦念が虚ろに響く。視力補正をかけ、暗がりの奥を凝視すると壁に身を擦り付けるかのようにして怯える妙齢の女性の姿があった。声を掛けようとして、しかし……俺は息を呑む。バサバサとなった長い髪、棒のように痩せ細った四肢。逃避行で着のみ着はボロボロとなっており、覘く胸元は老婆のように皺が浮かんでいる。

 

「遥さん、遥さんだろ?」

 

 沈黙する俺に業を煮やしたのか亮が明かりの中へ身を曝した。それを見た女性の無機質な顔に微かに血の気が戻ったような気がした。死人が蘇生したかのように。

 

「リョウ君、なの? どうしてここに……」

「助けに来たんだよ、俺達。学徒兵になって、ようやく此処に……けど、遅くなっちまったな」

 

 絞り出すように言葉を紡ぎながら俯く亮に、俺は背嚢から防寒シーツを取り出して手渡した。亮がそれを遥さんにそっとかけると、彼女の枯れた瞳から大粒の涙が零れ落ちる。それが悪夢を思起す呼び水になったのか、嗚咽は石切り場を満たす激しい泣声となって響き渡った。

 あの日黒い戦術人形に助けられ、脱出できた俺たちに知る由もない、彼女が体験した一年半の地獄。それを吐露するかのように彼女はただ泣き続けた――

 

 

 遥さんが落ち着くまでの間に俺は母艦である“オトヒメ”へ連絡を取り、榊指令と今後の作戦について指示を仰ぐことにした。元々が危険度の高い潜入任務だった。それに加えて民間人の安全の確保と並行して遂行することは不可能に近い。子供じみた故郷への想い。例えそれが生存者発見という奇跡に繋がったのだとしても、任務に支障を来たした責任は隊長である自分にある――

 

「――申し訳ありません、指令」

『一介の学徒兵が気に病むな。上陸中の偵察行動は任務の一環だし、お前たちの帰省(・・)はそれを逸脱してる訳じゃない。上司に怒られるのは大人の役目だ。そうだろ、神崎?』

「はい……それで遥さんの処遇はどうなるのでしょうか?」

『どこで聞きつけたのか、青巒島担当である西部方面軍司令部に報告した途端に機関の研究者(狂信者)共から検疫要請という名の引き渡し命令が入ったよ』

「そんな――」

『っと、心配するな。大丈夫だ。西部方面指令の結城中将は対デザイア主戦派ではあるものの神聖同盟とは距離を置いている……糞親父の同輩だからな。それに主任(・・)が擁護に動いてくれた』

「諸角主任が!?」

『意外だろ? どうも奴さんの腹の内は同盟とは微妙に違うらしい。信用ならない陰険野郎なのは確かだがな。兎も角、彼女の事は心配しなくていい。作戦も中断して帰還してくれ』

「……了解しました」

 

 俺はホッと息を吐いて通信を切った。

 遥さんのような帰還者(リターナー)への機関の干渉を撥ね退けられたのは、この国における神聖同盟の力を考えれば奇跡に近かった。そんな事も深く考えずに、生存者救出という英雄的行動(ヒロイズム)に酔って行動していたのだ。俺達は。榊指令に感謝するしかない。そして一応諸角主任にも。

 

(摩夜に対する言動は典型的な神聖同盟の主義者なんだがな……)

 

 一体何を考えているのか。俺は華那庵(カナン)という同盟の機関から摩夜と共に出向してきた諸角静流(しずる)という男に考えを巡らせた。

 摩夜は興味のない事には無関心な人、と判断している。今回の件も単純な人道的見地から擁護した訳ではないだろう。とはいえ根っからの冷徹な人物では無いのかもしれない。彼から被検体扱いされている筈の摩夜も(苦手にはしているものの)諸角を左程毛嫌いしていない様に思えた。

 

(警戒する必要はある。けど勧善懲悪的な悪役(ヴィラン)なんて、ヒーロー物だけで十分だしな)

 

 纏まらぬ思案に強引にケリを付け、俺はぐるりと洞窟の周囲を見渡してみた。島から人類が駆逐された以外、あの頃と変わらない光景。森と清流が育んだ清涼な空気。

 ここで皆と遊んだ記憶が蘇った。肝試しと同じくらい遊んだのが、当時流行っていた子供向け特撮番組の、所謂ごっこ遊び(・・・・・)だった。亮と俺が怪人役で、攫われる女の子役は菜々星。ヒーロー役はもちろん皐月さんだ。もう中学生になっていた皐月さんだったが、結構ノリ良く付き合ってくれていた気がする。部活や色々な習い事が始まって忙しくなった皐月さんにとって、童心に戻る事が出来る気晴らしだったのかもしれない。

 お化けとかホラーに滅法強い菜々星の上げる緊張感のない悲鳴。それを聞きつけてヒーローらしからぬ鬼の形相で追いかけて来る皐月さん。あの頃のままの沢の小径に、小鳥の囀りと潺の音が響いている。あの向こうから今にも藍緑色(シアン)の髪を靡かせて駆けてきそうだ……

 

(サツキさん……)懐かしい追憶に向けて、俺はポツリとその名を呼んだ。

 

 ――その時。

 

 ――ふわりと微風が頬を撫ぜた。

 

 ――風が木々を揺らし、何匹かの小鳥が谷を縫って飛んで行く。

 

 その先に人影があった。学徒兵のバトルドレスに身を包んだ人影。歩兵仕様の無骨な装甲があってもハッキリ女性と判る曲線。彼女(・・)は飛び去って行く小鳥を目で追った後、こちらを怪訝そうに見つめて小首を傾げる。艶やかな藍緑色の髪がはらりと揺れた――

 

(間違いない……)幼馴染と同じ黄金色の瞳を不躾に凝視し、俺はすぐにでも駆け寄りたい衝動を懸命に抑え込む。清楚さと悪戯っぽさが混ざり合った顔立ちはあの頃のままだった。

 

「……あら、お客様って()だったのね」こちらを認識したのか、女性は歩み寄ってきた。あの冬の日とはは逆に、けれど変わらぬ朗らかな笑みを浮かべて。(でもどうして?)そんな想いは喜悦の前には霧散してしまう。

 

「久しぶりね、零斗君。一年と半年ぶりかしら?」

「サツキさん……ですよね?」

 

 あっけらかんと再会を喜ぶ皐月さんに対して、俺は微動だず出来ずにいた。想いが溢れて止まらない。幼い頃の思い出。あの冬の日の記憶。学徒兵になってからの戦いの日々。知っていた彼女の想いと諦めきれなかった俺の想い――

 

「そうよ。大丈夫、お化けじゃないわ。ちゃんと足は付いているでしょう?」

 

 そんな葛藤を他所に、皐月さんは俺の手を取って自らのスラリとした足へ押し当てて見せた。バトルドレス越しに柔らかな感触が伝わってきて、俺は慌ててその手を振り払う。

 

「揶揄わないでください、俺だって餓鬼じゃないんだから」

 

 憮然と抗議する俺を見て、皐月さんはクスクスと笑う。馬鹿にして……けれどこの奔放さは確かに皐月さんだ。胸に熱いものがこみ上げ、俺は続ける言葉を失ってしまった。

 

「……ゴメン。昔から零斗君て生真面目だから、揶揄いたくなっちゃうのよね」

「酷いな」

 

 頬を熱いものが伝う。それはこの島に捨ててきた筈の物だった。歪む視界。それを彼女に見せたくなくて、俺は顔を伏せる。そんな俺の頭をポンポンと皐月さんの手が撫ぜた。頼りになるお姉さんと思っていた彼女の掌は思いのほか小さく思えた。

 

「やめてよ、恥ずかしい」 

「ううん、止めない。でも大きくなったね、零斗君。もう私の方が背伸びしないといけないなんて。ちょっと悔しいな」

「一年半前の時、もう俺の方が背丈あったですよ」

「そうだっけ?」

 

 惚けた口調で笑う皐月さん。

(そうか、やっぱりあの頃の俺は彼女にとって……)心の中で確定する諦念。でもそれは不思議と晴れやかな気分だった。拭えぬ靄が霧散したかのような。

 

「あの後、俺たち、榊中尉……泰吾(たいご)さんに助けられて本土の学校に通うことになったんです。皐月さんと同じ咲良第Ⅱの学徒兵になって、人型戦術兵器(タクティカルドール)のパイロットになって……」

「泰吾さんには感謝しなくちゃね。まだ学徒兵の教官を兼任なさってるおられるのかしら?」

「はい、俺もリョウも、それからナナセもお世話になってます。よく怒られますけどね、主にリョウがやらかして。でも理解のある良い教官です」

「――そう。あの人も変わらないわね」

 

 溜息。届かぬ思いを秘めたそれに俺はかぶりを振って、本来しなければならない質問を彼女に向けた。

 

「島の防衛隊は全滅したって聞きました。皐月さんは今までどうしていたんです? 国防軍の生き残りが……いるんですか?」

 

 カラーズで陽ヶ埼流の後継者と言っても皐月さんは元はただの女子高生だ。俺達と違って学徒兵の訓練を平時のカリキュラムでしか受けてはいない。そんな彼女が侵攻してきたデザイアとの戦いをプロの軍人の助けなしで切り抜けられるとは思えない。

 

「……居ないわ。みんな死んでしまったから」

 

 俺の頭から手を放し、皐月さんはポツリと答えた。先程までとは打って変わった様な、淡々とした口調。

 

「じゃあ、ここで遥さん達と?」

 

 隠れていたのか……そう尋ねようとして、俺は強い違和感を感じた。一年半の隠遁生活で無残にやつれ切った遥さんの姿を思い起こす。それに比べて皐月さんの藍緑色の髪は艶やかに靡き、整った顔立ちは瑞々しい肌を保っている。そしてよく見れば損傷の殆どないバトルドレスの形式は廉価な学徒兵用の物ではなく、正規の軍仕様の物だ。

 

 ――喉が渇く。

 

「遥さん……ああ、あの家族ね。興味(・・)があったから偶に様子を見に来ていたのよ。今日ここに来たのはそれが理由なの。元気だった?」

 

(興味……だって?)同じ立場の相手じゃないのか。違和感がはっきりと形を成してゆく。見たい現実だけを見て、島の現実からから目を背けていた。それを思い知らされる。ここに来るまでに倒したゾンビの群れ。それを見た時に覚悟していたじゃないか。腐り堕ちた醜悪な姿を目の当たりにしたが故に、あの頃のままの姿が非情な可能性を切除していた。

 

「どうしたの、零斗君。怖い顔しちゃって?」

 

 きょとんと尋ねる皐月さんだが、俺の表情から全てを悟ったのか薄く笑った。

 

「だったら透過捜査……してみる?」唇に指を当てながら、彼女は囁く。

 

 透過捜査……スキャニングとは人類社会に浸透して破壊工作をするデザイアの模倣義体を見破る為に不審な相手に対し行われる捜査だ。その性質上の執行対象の意志を無視した強権的なものであるゆえに民間では警察または憲兵が令状を得て初めて行う事が可能となっている。一方で戦場においてはそのような悠長さが通じようもないため、兵士は各隊の判断で執行が可能となっていた。俺の体内の戦闘用ナノマシンにも隊長権限としてその機能がインストールされている――

 

「疑ってるんでしょ、私を」挑発的に顔を寄せる皐月さん(・・・・)

 

「そんな事――」

 

 ない。そう言い切る事が出来なかった。唇を噛みしめてナノマシンのスキャンモードを起動。彼女は口の端に薄く笑みを浮かべ、微かに息を吐いた。寂寥感と諦念。だがそんなヒトらしい感情は次の瞬間には消え失せ、彼女は能面の様な無表情で横っ飛びに跳んだ。

 

 タ――――ン……

 

 彼女の居た場所を、弾丸が貫いていた。優れた体幹で体勢を立て直し、皐月さん(・・・・)はホルスターから軍用拳銃を抜くと不敵に笑った。

 

「やれやれ、幼馴染の感動の再会にいきなり発砲だなんて。まるで狂犬ねぇ」

世界の敵(デザイア)を撃つのに許可が要るの?」

 

 背後の洞窟の方から冷徹な少女の声が聞こえた。振返ると摩夜が軍用拳銃を構え、俺を挟んで皐月さん(・・・・)と相対していた。木漏れ日で萌黄色に染まる真珠色の髪。妖火のように燃える瞳。それは墓地でゾンビと初めて遭遇した時に摩夜が見せた狩人の姿だった、

 

「ま、待ってくれ、摩夜。サツキさんへのスキャンはまだ――」

 

 俺は慌てて摩夜を制止する。あの時の冷徹な、デザイアに対する憎悪にも似た酷薄な感情。それを皐月さん(・・・・)に叩きつけられる事に対する畏れ。さっきの銃撃は確実に心臓を狙ったものだった。

 

「その必要はないわ、レイト。アレは貴方の好きだったヒト(・・・・・・・・・・)じゃない。悪趣味な怪物(ドッペルゲンガー)よ」

 

 断定的に摩夜は言うと、呆然とする俺の脇を駆け抜け、皐月さん(・・・・)との距離を一気に詰めた。間髪入れずに銃声。正確な射線が疾駆する摩夜を捉える……が、摩夜は無造作に身体を捻ってそれを回避。続け様に二発銃弾を放つ。左と右。相手の回避を織り込んだ予測射撃。しかし皐月さん(・・・・)はそれを読んだのか軽く頭を傾げただけで死弾を躱した。

 

「怖い怖い。そんなに私を殺したいの? 私が貴女に何をした訳でも無いのに」

「デザイアと戦うのに理由なんていらない。あの子(エルシャ)がお前を敵だと言っている。それにあなたが死ぬとか笑えない冗談ね。壊れる(・・・)の間違いでしょ?」

 

 渓谷に殺意を纏った言葉と銃弾が飛び交う。俺はジリジリと後退しながらかける言葉を失っていた。下手に手出しする事も出来ない。拮抗した状況ではちょっとした外因でどちらかが命を失う事になる。それは兎も角、摩夜のあの頑なな態度。俺は普段の無垢で天真爛漫な彼女から想像も出来ないでいた。

 

(解析はまだか――旧式ソフト(ポンコツ)め、早くしやがれ)

 

 視界の端に表示される処理完了までの時間は九〇秒。模倣義体の疑いさえ晴れれば二人が戦う理由はなくなる――

 

(エルシャって、確かアイツの専用機とやらのAIの名前だったよな。どういうことだ?)

 

 焦りの中、そんな疑問が俺の脳裏を過った。それが摩夜の熾烈なまでのデザイアへの敵意と関係しているのだろうか?

 

「おい、何の銃声だ……って、おいレイト、一体どういう事なんだよ!?」

 

 激しい銃撃の音を聞きつけて洞窟の奥から亮たちが駆けて来る。二人で。安全のため遥さんには奥で待機してもらっているのだろう。そんな二人の瞳が驚愕で見開かれていた。

 

「――お姉ちゃん?」

 

 生き別れた姉の姿を目の当たりにして呆然とする菜々星。それが友人と撃ち合っている。

 

「駄目だよ、マヤちゃん! お願いレイト、二人を止めて!」

 

 悲鳴のような叫び。サーキット持ちの凄い力で揺さぶられる。だが俺は黙って首を振る。皐月さんの現状はリターナーとして楽観視できなかった。兎も角スキャニングの結果が出なくては。それを悟ったのか亮も菜々星も押し黙って二人の撃ち合いを傍観するしかない。

 

 <ソウサケッカヲシュツリョクシマス>

 

 脳内にナノマシンの無機質なメッセージが響く。データを閲覧し、即座に皆へそれを転送。と同時に俺は絶え間なく射撃を続ける少女に向かって叫んだ。

 

「止めろ、摩夜。皐月さんは模倣義体じゃない――」

「でもデザイアでない確証はない……でしょ、レイト?」

 

 互いに弾倉交換(リロード)で銃声が止んだ狭間に冷徹に響く摩夜の言葉。生体反応はある。皐月さんの身体を構成しているのは冷たい機械ではなかった。だがその識別はアンノウン――該当データ無しと表示されている。インストールされた戦術プログラムは彼女が人類種であるという判断は下していなかった。身体的構造はヒトと何ら変わらないというのに。どういうことだ?

 

「味方でないのなら敵だよ。それにみんなも見たでしょ」無造作に再開される銃撃。

 

「そんなのって……」

 

 絶句して立ち尽くす菜々星。俺達は知っている。ヒトの肉体を支配する寄生種(パラサイト)という存在を。未だ未知の存在であるデザイアに楽観は許されない。

 姉との再会という希望に絶望を突き付けられて大きく見開かれた菜々星の金色の瞳が揺れた。

 

「……クソ、悪い冗談だぜ」

 

 舌打ちして亮は愛用のライフルを構える。普段の茶化した表情は消えていた。狙撃兵らしい冷徹な目。その判断は正しい。だが、しかし――

 

「サツキさんを撃つのか、リョウ!?」

「……敵なら撃つさ。でもそうだと決まったわけじゃないんだろ。戦う力を奪えば二人ともクールダウンするんじゃね?」

 

 そう言って片眼を瞑り弱装弾を込め直す亮。こういう時にはタフな奴だ――

 

「やれるのか?」

「本職を嘗めんなって」

 

 皐月さんの動きは早いが、摩夜との戦闘に彼女の意識が向いている今なら、亮の射撃の腕ならば腕を狙って無力化させる事は十分可能だ。

 

「サツキさんの方は俺が何とかする。均衡が破れた時に隙が生まれるはずだ。レイトは摩夜ちゃんを頼んだぜ」

「分かった」

 

 狙撃ポジションへ移動する亮。それを横目でチラ見した後、俺は銃撃を続ける摩夜の動きを目で追った。遮蔽物から遮蔽物へ。身を曝す時間は最小限にしつつ、その短い時間で複数回の射撃を的確に行っている。アクション映画の様な派手さはないが、一部の隙も無い特務大尉としての肩書に相応しい動きだ。

 

(さて、どうする)

 

 一瞬の逡巡、デザイアに対する激しい敵意から聞く耳を持たない状態の摩夜をどうやって止めるか。亮の様な狙撃の才能も経験もない俺にとって出来るのは組み付いて止める事だけだ。だが機関の特殊戦闘訓練を受けた少女をどうやって? 菜々星なら可能かもしれないが、今のあいつは戦える状態じゃない――

 

『撃つぜ、レイト』

 

 通信越しに亮の声。一拍遅れて銃声が響き、甲高い金属音と共に皐月さんの手から軍用拳銃か弾き飛ばされた。刹那呆然とする皐月さん。その隙を摩夜が見逃すはずがなかった。確実な一撃を放とうと銃を構える。

 ――摩夜の足が止まった。意識が集中した故の隙。(今だ――)その瞬間俺は無我夢中で背後から摩夜にしがみ付いていた。

 

「ひゃうん」

 

 何とも間抜けな叫びが聞こえた気がするが、構わず地面に引き倒す。カラーズの身体能力があっても互いにバトルドレスを装着していれば決定的な差にはならない。振り解こうとジタバタ暴れる摩夜だが、やがて観念したのか大人しくなった。

 

「取り敢えず銃を収めろ、摩夜。俺達の任務は偵察だ。デザイアの殲滅じゃない」

「分かった、分かったから――」

 

 そう言って銃を手放す摩夜。スイッチが切れたかのように口調は何時ものモノに戻っていた。憮然とした子犬のような様はとても先の銃撃戦を行っていた当事者には見えない。

 

「そろそろ……手を、離してよ」

 

 ジトとこちらを睨む青い瞳と少し上気した頬。掌の柔らかな感触。俺は咳ばらいをすると可及かつ速やかに摩夜を解放した。

 

『ドサクサに紛れて役得かよ』

『……知らん。それよりサツキさんは?』

 

 綱渡りの後だというのに平常運転の亮に呆れつつ、俺は渓谷の先、皐月さんがいた方向に目をやった。

 

「撃ったのはリョウ君かしら。道場での弓術の稽古はサボりがちだったのに中々の腕ね。ま、降参するわよ。抑々私は戦う心算なんてなかったんだから」

「嘘、ボクを本気で狙ってきたくせに――」

「……先に撃ってきたのは貴女じゃない。発育の割にちょっと頭が不自由な子なのかしら?」

 

 憤懣やるかたない摩夜をあしらいながら、皐月さんはお道化た仕草で両手を挙げて見せた。

 背後でライフルを構える亮の射線に捉えられてホールドアップ、といった感だが、彼女がその気なら銃撃を躱して逃走することも出来るはずだ。それをしないのは彼女に敵意はないという証左だろう。事実、皐月さんは摩夜から攻撃を受けるまで武器を手にすることはなかった。少なくとも敵対的存在ではなかった。

 

「油断しちゃだめだよ、レイト。デザイアは人類の敵なんだから」

 

 傍らで警戒心を露に摩夜が囁く。彼女が言う通り、今の所彼女に敵意はなくとも"X"であることに変わりはない。二十年前に突如として侵攻を開始し、破壊と殺戮の限りを尽くしたデザイアは忌むべき敵だ。確かにそうだが、それでも――

 

「分かってる。でもデザイアっていうのは人類を狩るバーサーカーの筈だ。模倣義体にしたって戦術目的のために人に擬態しているだけで、そこに個の意志なんて存在しない。けれど彼女にはそれがある……さっき話してそう感じたんだ。確かにサツキさん本人を」

「楽観しすぎじゃない?」

「そうかもな。だけど――」

 

(異質な存在をデザイアと決めつけたらお前の嫌いな神聖同盟の連中と変わらないぜ?)……そう言いかけた時、堪え切れず菜々星が皐月さんに向かって駆け出していくのが見えた。

 

「お姉ちゃん!」

「はぁい、菜々星、元気してた? って――」

 

 拒絶するような安っぽい再会の言葉。しかし何かを感じ取ったのか菜々星は迷うことなく皐月さんの胸に飛び込んでいった。泣きじゃくる菜々星。それはかつて俺達がこの島で何度も見た仲の良い姉妹の姿だった。

 

「……不用心だよ、菜々星。私が敵だったらどうするの」

「そんなの関係ない。お姉ちゃんはお姉ちゃんだよ」

「……っ……」

 

 あっけなく崩れてゆく奔放を装う仮面。想いが溢れ、言葉にならない嗚咽を漏らす菜々星の水色の髪を、皐月さんの指がそっと撫ぜる。頬を伝う二筋の光。菜々星をあやす皐月さんの横顔は、胸が締め付けられる程に優しかった。あの頃と何ら変わる事無く。

 

「……もう、これ反則だよ。ボクが悪者みたいじゃないか」

「言うまでもなく聞く耳持たずに暴走したお前が悪いな」

 

 憮然としつつも摩夜の表情は和らいでいた。姉妹であるだけでなく。菜々星はヒトの本質を見抜くテレパスのエフェクトを持っている。菜々星が認めている以上、彼女が皐月さんである事は受け入れるしかない。例え以前の皐月さんとは別の存在であるのだとしても。

 

「心配かけてごめん。ごめんね……」

 

 ややあって紡がれた謝罪の言葉。それは深淵から零れ出たかのような昏い響きがあった。あの雪の日に彼女の身に起きた、決定的な何か。それが秘められている。そんな気がした。

 

「取り敢えず、何とかなったな」

「お前のお陰だ。助かったぜ、リョウ」

 

 戻ってきた亮にそう答えたものの、実の所、問題は詰みあがったままで何ら解決はしていない。戦時の今、皐月さんの立場は避難民である遥さんより深刻だ。榊指令とて庇いきれるものではない。どうすべきか……兎も角、会話が成立するなら本人から事情を聴くしかないだろう。

 

「サツキさん。話してくれませんか、あの後何があったのかを(・・・・・・・・)

 

 意を決して問いかける。

 皐月さんは漸く落ち着いた菜々星から身を離すと、こちらに向き直った。

 

「聞いてどうするの?」

 

 深い溜息。それは彼女自身にもどうする事も出来ない事情があることを想起させた。

 

島の部隊(私たち)がどうなったのか、は知ってるわよね――」

 

 雪の降る聖夜に青巒島に現われたピラー。同時期に出現した血染めの聖樹(ブラッディツリー)群の中では小規模であるとはいえ、デザイアの要塞といえる中型クラス。そこから溢れ出たデザイアの群れ。島の防衛隊は決死の覚悟で防衛を行ったが、人型戦術兵器(タクティカルドール)も配備されていない島嶼防衛隊戦力で出来る事は限られていた。

 住民の避難を支援するための無謀な遅滞戦術。兵士の命を捨て石にする死守命令。絶望的な状況で島民の過半を生還させ、"青巒島の奇跡"と本土のマスコミが美談として賞賛することになる撤退作戦の実情がそれだった。そんな中で一介の学徒兵である皐月さんは――

 

「召集の後、学徒兵を含んだ私たちの隊へ防衛隊指令から下った任務は岬の灯台へ向かって囮となる事だった。遅滞戦術の一環として市街地へ侵攻するデザイアの戦力を分散させるためにね」

「そんな……岬へは一本道しかない。籠る灯台だって堅固な造りじゃないし包囲されたら逃げ場は無いじゃないですか」

「……そうね。でも軍において命令は絶対。本来抗命は許されないわ。けれど私たちの隊長さんは納得できなかった。正規の軍人じゃ無い学徒兵まで道連れににするのをね。だから私たちは途中にある崖下の洞窟に身を隠すよう言われたの。そこで身動きせずに救助を待て……ってね」

 

 俺達は安堵の息を漏らす。中型以上のデザイアは人の隠れる閉所には入れず、小型デザイアの登坂能力は高くない。閉所には奴らの持つ生体感知波も届きにくい。それで助かったのか――しかし皐月さんは首を振って俺達の淡い期待を残酷に否定した。

 

「銃声が消え、軍人さんたちの怒号や悲鳴、そしてデザイアの駆動音が消えて、私たちは島での戦闘が終わったのを知った。助かった……そう皆が思った時、洞窟内の空間が揺らいだの――」

「まさか、ゲートが?」

 

 皐月さんは悲しげに頷いた。

 デザイアの持つ空間転移技術。それを人類は転移ゲートと呼称していた。文字通り空間と空間を一瞬で移動できる手段であり、デザイアはこれによって兵站を無視した戦術を取る事が出来た。圧倒的なアドバンテージではあるもののその使用にはデザイア側にも制約があるらしく、このような戦闘レベルの戦いで使用されることは無い……筈だった。

 

「そして其処から無数の甲虫種(ビートル)が溢れ出て来た――後はもう戦いになんてならなかった。この島に集められた学徒兵の仲間は練度不足で、何より覚悟が足りていなかった。私を含めて進学の点数稼ぎが目的って子も多かったしね。呆然としたままレーザーに撃たれ、切り刻まれる仲間。洞窟に満ちる焼け焦げた血と肉の匂い。一方的な虐殺を前に、私の要である陽ヶ埼流の矜持もあっけなく砕かれてしまったわ……」

 

 ビートルのセンサーが放つ無数の赤い光点。逃げ場は無く追い詰められて。単体では最弱とされる小型デザイアも、群体としてはしばしば訓練された正規兵の部隊すら蹂躙する脅威だ。阿鼻叫喚の中で皐月さんが味わった恐怖はどれほどのモノだったのだろう。

 

「あの時の私の姿は、ちょっとあなた達には見られたくないわね。最後に覚えているのは焼け付く様な痛み。それがレーザーに貫かれたモノだって分かった時、私は死んでいた――」

 

 自らの決定的な真実を淡々と語り終えて皐月さんはふぅと息を吐いた。本人から語られる死という非現実に俺達は呆然と立ち尽くす。機械の悪魔(デザイア)に蹂躙された島で彼女が生きている筈がない。頭では判っていたことだ。解かっていた筈だった。

 

「それじゃ、お姉ちゃん(・・・・・)は……」

「――そうよ、菜々星。今の私はわたしではないの。大いなる慈悲の元、仮初の生を得た虚影(・・)。かのモノの願いを叶える為のヒトの器」

 

 何かを察した菜々星に向かって皐月さんは芝居がかった抑揚で告げる。ならば目の前の皐月さんは誰なのか。菜々星の表情には疑念も不信も感じられなかった。菜々星は目の前の皐月さんを信じている――それが何を意味するのか。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれサツキさん。それはラノベか何かの設定? それともゲーム……どこかで聞いた事があるんだけど……」

「こんな時にふざけてる場合か。……サツキさん、それは一体どういう事なんですか!?」

 

 場違いな質問をする亮を遮って俺は皐月さんに詰め寄った。絶対に聞かなければならない事。しかし皐月さんは哀しげに微笑むだけだった。

 

「答えてくれ、サツキさん。俺達には知る権利がある……そうだろっ!」

 

 絶対的な壁。ずっと一緒だった俺達を拒むそれに苛立ちを覚え、俺は皐月さんの肩を揺さぶって問質そうとした。と、その時――

 

「――そんな資格は貴様らには無いな」虚空から無機質な声が響いた。「下がれ、雑兵」

 

「――レイト、危ないっっ!!」

 

 次の瞬間、摩夜が鋭く叫び俺を突き飛ばす。俺の居た位置に強烈な衝撃波が走った。まるで不可視の刃の様な。遥か後方の樹々が粉砕され、鈍い音を立てて倒れていった。

 

(硬質化のエフェクトか?)起き上がりつつ攻撃を受けた方向を凝視する。首筋が泡立つ感覚。摩夜が俺を庇うように立つ向こう、皐月さんの目の前に蒼く輝く門が形成されていた。転移ゲート。

 

「レイト!!」亮と菜々星が同時に叫び、こちらに駆け寄ろうとする。

 

「来るなっ!」

 

 俺はそれを制止してゲートを、そこから顕現する何かを凝視した。あの摩夜が微動だにせずに身構えている。それは畏怖すべき存在を感じ取っているからに違いない。ゲートの中からあの恐るべき攻撃を繰り出した揺らぎ。それが次第に形を成し、門の外に歩み出る。

 

「ほう、彼我の力量を弁えるか、雑兵。最低限の武は嗜んでいる様だな。そして白髪の娘。貴様がかの機関(・・・・)の創りし凶鳥……という訳か」

 

 ガチャリ、と重い音を立てる紅の装甲。それは旧世代の強化外骨格とさえ呼べないほど古めかしく、それは伝え聞く古きエウロペの甲冑そのものだった。だが其処彼処にある機械的意匠には高度な技術が伺える。微かに響く駆動音。それは甲冑の起てたものか、それとも――

 

機械仕掛けの騎士(Machinery Knights)……?」

 

 菜々星の呆然とした呟き。それを睥睨する騎士の兜のスリットから赤いセンサーアイの様な光が覗いていた。俺達と騎士、双方を見やって皐月さんは重く溜息を吐く。

 

「ハミルトン卿……」

「……自儘は此処までと致しましょう、公女殿下(・・・・)。お迎えに上がりました」

 

 紅の鎧纏う騎士。彼は恭しく皐月さんに対して膝まづくと臣下のように首を垂れた――――

 

 

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