通路に響き渡った警報音は、その場にいたリリィたちには聞き慣れたものだった。
ヒュージの出現を告げ知らせるその警報に、全員の注意が引きつけられる。
それは倫夜も例外ではなかった。
結梨は後ろから自分の肩を掴もうとした倫夜の動きが一瞬止まった隙に、指令室の扉を思い切って開いた。
その先にあったのは、広い室内を埋め尽くすかのように壁一面に設置された大小数十のモニターと、十に近い数のコンソール、そしてそれらを操作する者が座る同数の椅子だった。
それらの機器は全て電源が入っておらず、指令室の中は温度と湿度を自動的に調整する空調システムの作動音が、わずかに聞こえてくるのみだった。
指令室の薄暗い照明に照らし出されたそれらの設備――それを入口から結梨が視認すると、落ち着きを取り戻した倫夜の声がすぐ後ろから聞こえてきた。
「どう、気は済んだ?あなたのお目当てのものはあったかしら?」
結梨が室内を一瞥した限りでは、自分とロザリンデたちが江ノ島の洞窟で発見した装置と同じものは確認できなかった。
この指令室と狭い洞窟の中では、当然ながら機器の設置条件が大きく異なる。
ケイブ生成装置なるものが、同じ形・同じ大きさの一機種とは限らない。
視界に映る大量の制御機器の中から、どれが自分たちが探しに来たケイブ生成装置なのか、短時間で見分けることは不可能に思われた。
再び背後から倫夜の声が聞こえるとともに、右肩を掴まれる感覚が発生した。
「一見しただけでは、どれが何の機能を果たしているものか、分からないでしょう?
あなたたちは警報を無視して、このまま指令室の捜索を続けるつもり?
出現したヒュージの数と等級次第では、戦死者が出るかもしれないのに」
「あなたがヒュージを出現させたの?
私たちに指令室の捜索をさせないために」
結梨と倫夜から少し離れた所にいた幸恵は、意識を失ったままの葵を抱き起しながら倫夜を睨みつけた。
幸恵の刺さるような視線を後ろから浴びながら、倫夜は平然とそれを否定した。
「いいえ、私にそんなことはできないわ。
今ヒュージが出現しているのは、単なる偶然よ」
その言葉を鵜呑みにする気は幸恵には全く無かったが、ここで自分たちがその真偽を検証する時間的余裕も手段も持ち合わせていないのは明らかだった。
校舎の外では、ルド女のガーデンに駐留しているレギオンが、迎撃のために出動しているだろう。
出現したヒュージの規模が想定を上回っていれば、それらの戦力だけではヒュージを撃退できないかもしれない。
出撃中であろうレギオンのリリィを支援に行かず、指令室の捜索を続ければ、倫夜が言ったように犠牲者が出る可能性は否定できない。
その場合、自分たちはその判断を正しいものとして受け入れることができるだろうか。
自分はともかく、来夢や結梨にその結果を背負わせるのは重すぎる。
そう考えれば、幸恵にとって結論は自明のものだった。
幸恵は前方で倫夜と対峙している結梨に向かって、努めて冷静に呼びかけた。
「指令室の捜索は中断しましょう。
全員で校舎の外に出てヒュージの迎撃に向かうわ」
幸恵の判断を見透かしていたかのように、倫夜は余裕に満ちた表情で勝利宣言するかのように言い放った。
「そう、あなたたちは仲間を見捨てることはできない。
早くここから立ち去って、外で戦っているリリィを助けに行ってあげなさい」
あなたに言われなくとも、と幸恵は倫夜に食って掛かりたい気持ちを抑えて、結梨と来夢に退去を促した。
指令室の中を見ていた結梨は、幸恵の方を振り返って大きく頷いた。
「分かった。誰かの命を犠牲にしてまで、探し物を見つけようとするのは間違ってる。
この指令室以外のどこか別の場所にも、私たちが探しに来たものはあるはずだから、今はみんなを助けに行く」
おそらく指令室を再び捜索することは不可能だろうと、幸恵たちは認識していた。
倫夜に自分たちの企図を知られてしまった以上、指令室は今より格段に厳重なレベルで封鎖されるだろう。
江ノ島での探索時のように、機密を保持するために重要な部品が撤去される可能性も充分にある。
倫夜の存在とヒュージの出現によって、指令室の捜索は失敗に終わったと認めざるを得なかった。
それよりも今、自分たちがすべきことが厳然とある。
「幸恵お姉様、すぐに通路を引き返して外に出ましょう。
葵さんは……」
意識を失ったままの葵を心配そうに見る来夢に、倫夜は本職である校医らしい口調で話しかけた。
「その子はただ眠っているだけよ。
少し刺激を与えてあげれば、意識を回復するでしょう。
――今日はここまでね。
またどこかであなたたちに会えることを楽しみにしているわ」
そう言い残して倫夜は白衣を翻し、指令室の中へと入り、静かに扉を閉じた。
その後ろ姿を見送って、幸恵は抱きかかえた葵の頬を軽く叩いた。
「葵さん、目を覚まして。あなたの力が必要なの」
「……ん」
葵はうっすらと目を開けると、まだぼんやりとした意識で幸恵の顔を視界に収めた。
「……あの女の人は?」
「もういなくなったわ。あなたは不意打ちの目くらましを食らったのよ」
「……すみません、油断しました」
「気にすることは無いわ。
既知のレアスキルでもなく、閃光弾のように物理的な兵器によるものでもない、何か魔法のような技に見えたもの。
初見であれを予測するのは不可能よ」
「今の状況はどうなってるんですか?」
「この警報を聞いての通り、ヒュージが出現したわ。
指令室の捜索は断念して、これからヒュージを迎撃に向かうところ」
「私も行きます。私のトリグラフはどこですか?」
「どうぞ、これが葵さんのCHARMです」
隣りにいた来夢が葵のトリグラフを両手に持って差し出した。
それを受け取った葵は、すぐに立ち上がって周囲を見回す。
姿勢がふらつくようなことも無く、既に意識は明瞭になっていた。
「あれが指令室の扉ね。ここまで来て……」
幸恵は歯噛みする葵の肩に手を置いて、なだめるように言う。
「気持ちは分かるけれど、今はヒュージを倒すのが先よ。
みんな、すぐに通路を引き返して外に出ましょう。
その後、各自散開して戦闘中のリリィを支援に向かうこと」
「了解」
幸恵の指示に三人のリリィは同時に答え、それぞれのCHARMを手に、元来た通路を駆け戻って行った。
グラン・エプレのリリィ、土岐紅巴は一人でスモール級ヒュージの群れに包囲されていた。
ヒュージ出現の警報を聞いて、叶星たちと一緒にルド女のガーデンから市街地へ出撃したが、戦闘中に他の四人のリリィと分断され、孤立した状態で応戦を続けていた。
(完全に包囲されてる……迂闊でした、いつの間にか私とみんなの間にヒュージが入り込んで、気がついた時には私一人でヒュージと戦っている状態になっていて……)
紅巴の視界に叶星たちの姿は見えない。
周囲を取り巻くスモール級は、四方八方から間断無く襲ってくる。
その攻撃を大鎌のような形のシュガールで防御するのがやっとのことで、通信で救援を求める連絡を取る余裕は全く無かった。
(もうこれ以上はかわしきれない……)
既に制服の数ヶ所には、スモール級の攻撃を避けきれなかった裂け目がついている。
紅巴を襲うスモール級の数は増加の一途をたどり、今や数十体のスモール級が紅巴を取り囲んでいる状態だった。
一対一、あるいは数体が相手であれば、通常は支援の役回りを担当する紅巴でも後れを取ることは無かったが、数十体に包囲された状態では多勢に無勢でしかなかった。
(私一人の力では、この場を切り抜けられない……だんだん身体が重くなってきました……)
何十回目かの横からの攻撃を回避した際に、紅巴のステップが乱れて姿勢が大きく傾いた。
間を置かず、次の一撃が後ろから来る気配がした。
この攻撃は回避できない――自分が深手を負うことを悟った紅巴は、間に合わないと分かってはいたが、それでも身体を反転してシュガールを盾にしようとした。
この一撃を受ければ、おそらく自分は戦闘不能になる。その後は――
(……ごめんなさい、土岐はここまでみたいです)
スモール級の蟷螂に似た前脚が、紅巴の背中を袈裟懸けに切り裂こうとした時――竜巻のような一陣の旋風が、紅巴の周りを吹き抜けた。
その強烈な風圧に耐えられず、紅巴の身体は地面に倒れ込み、視界が横向きになった。
(何かが至近距離で爆発した?いえ、火薬の匂いも破片の飛散も無いようです……)
朦朦たる砂塵が宙に舞い上がり、視界は十秒以上に渡って閉ざされた。
やがて視界が回復し、上体を起こして周囲を見渡すと、直前まで自分を包囲していたスモール級の死骸で地面が埋まっているのが見えた。
全ての個体が息絶えて活動を停止しており、それが先程の旋風によってもたらされたことは疑いの無い事実だった。
(この攻撃は……高嶺様のゼノンパラドキサ?)
紅巴の予想は的中しなかった。
「レギオンの仲間とはぐれたの?
デュエル戦闘が得意じゃないリリィは、一人にならない方がいいよ」
不意に後ろから声を掛けられ、驚いて紅巴は振り向いた。
そこには、累々たるスモール級の死骸の間に一人のリリィが立っていた。
そのリリィは御台場女学校の制服を身に纏い、長い髪をポニーテールにまとめている。
彼女が両手に握っているトリグラフの刃は、ヒュージの青い体液に濡れていた。
このリリィが、自分の周りにいたヒュージの群れを一瞬で斬り伏せたのか。
「あなたが……攻撃したんですか?」
「うん、そうだよ」
御台場のリリィは事も無げに言った後、紅巴の姿を気遣わしげに見た。
「制服は破れてるところがあるけど、血は出てないみたいだから大丈夫かな……」
そのリリィの顔に紅巴は見覚えがあった。
「あなたは、杉並の公園で負傷して神庭のガーデンに運び込まれた……確か、休暇中の百合ヶ丘のリリィだったと記憶していますが」
「今は御台場のリリィになったの。それ以上は秘密」
「秘密、ですか……さっきの攻撃はレアスキルによるものですよね?
高嶺様のレアスキルによく似ていましたけど……」
「あれは琴陽のレアスキルだから、ゼノンパラドキサ。
琴陽はS級だったから、私のゼノンパラドキサもS級だと思う。
初めて使ったけど、わりとうまくできたみたい。
あの時、私の力を『あんろっく』したって咲朱が言ってたけど、それが関係してるのかな……」
「えっ……? ど、どういうことですか?」
御台場のリリィ――一柳結梨が言っていることの意味を理解できず、紅巴の頭上にはクエスチョンマークが幾つも浮かぶ。
結梨は砂塵にまみれた紅巴の身体を起こして立ち上がらせると、彼女の制服に付いた埃を手で払って微笑んだ。
「このあたりのヒュージは全部やっつけたから、レギオンの仲間を探しに行っても大丈夫だよ。
たぶん、あっちの方にいるんじゃないかな」
紅巴が結梨の指し示した方向を見ると、遥か前方の路上に、ごく小さい人影のようなものが視界に入った。
「あ、あの、ありがとうございました。
もしよければ私のレギオンに合流して一緒に――」
紅巴が振り返った時には、結梨の姿は既に無く、遠くから紅巴を呼ぶ姫歌と灯莉の声が聞こえてくるばかりだった。
ルド女の指令室捜索が中原・メアリィ・倫夜とヒュージの出現によって阻止されたこと、そして倫夜が結梨と来夢の出生に関わっていた研究者の存在について言及したこと。
この二点についての情報は、速やかに御台場と百合ヶ丘の両ガーデンに報告され、結梨と葵はそれぞれが所属するガーデンに帰還するように指示が出た。
報告を受けた鎌倉府の百合ヶ丘女学院では、直ちに生徒会長とLGロスヴァイセの主要メンバーが理事長室に集まり、理事長代行である高松咬月とともに今後の対応を協議する運びになった。