2022年7月3日追記
本エピソードは番外編の扱いで進めてきましたが、やはりストーリーの本筋に大きく絡んでいるため、第19話として変更しました。
「今後どう対応するのか、結局あの場では具体的な結論は出ませんでしたね」
「仕方ないわ。いきなり『新しい人類』だなんて言われても、こちらだってどうしていいか面食らってしまうもの」
内田眞悠理とロザリンデ・フリーデグンデ・フォン・オットーの二人は、1メートル四方ほどの木製の机を挟んで椅子に座り、机の上には眞悠理が淹れた紅茶のティーカップが置かれていた。
旧館寮の屋根裏に作られた図書館のような空間――それは眞悠理が中等部時代から清掃と整備を欠かさず続けた結果の産物だった。
部屋の内部は幾つもの間接照明によって薄明るく照らし出されており、壁面に沿って天井近くまで書架が並んでいる。
読書用のささやかであるが充分な面積の机が部屋の中央に置かれ、二人はそこで紅茶を飲みながら、理事長室で昨日行われた会議の内容を振り返っていた。
ルドビコ女学院の指令室手前で、結梨たち一行が遭遇した中原・メアリィ・倫夜によって語られた真実――それはデータベースに保存された資料を基にした倫夜の推測ではあったが、報告を受けた会議の出席者一同を驚かせるに余りある内容だった。
一柳結梨と岸本・ルチア・来夢は、ヒュージの支配する世界でも生存できるよう人工的に進化した、新しい人類のプロトタイプである――唐突に出て来たスケールの大きい話に、出席者の誰もが意表を突かれ、言葉を失った。
ヒュージによって奪われた人類の居住地を奪還し、ヒュージの支配領域を狭めていく――その絶え間ない繰り返しによって、最終的には地球上の全てを人類の支配地域として取り戻し、ヒュージとの戦いに終止符を打つ。
自分たちリリィの果たすべき役割は、それ以上でも以下でもなく、それ自体を自明のこととして考えていた。
だが、その目標が叶わなかった場合、人類はヒュージを絶滅させることができず、地上の大部分をヒュージが支配する環境に適応して生活しなければならなくなるかもしれない。
そのような可能性を想定し、その事態に対応するための能力を持った存在として、結梨と来夢は生み出されたというのだ。
「それが事実であれば、二人のプロジェクトに関わった研究者とやらは、自分を神の代理人とでも考えているとしか思えません」
眞悠理は飲みかけのティーカップを手に持ったまま、苦々しい表情でロザリンデに語りかけた。
一方のロザリンデは、会議で報告された一連の内容を自分なりに咀嚼し、できる限り合理的に考えを進めようとしていた。
「人類を存続させるために、生まれてくる前の時点で決定的な運命を本人に背負わせる――少なくとも平時においては倫理的に許されることではないでしょう。
でも、今は非常時。
目的を達成するための手段が他に無ければ、その研究者はG.E.H.E.N.A.の目的とは別のところで、自分の理想を実現しようとしたのかもしれないわ」
「その人が功名心に駆られたマッドサイエンティストだったのか、それとも人類の未来を案じて使命感でそのような研究に手を染めたのか……今は判断する材料が無い以上、何とも言えませんが」
眞悠理は言葉を切って紅茶を一口だけ喉に流し込むと、静かにティーカップを机の上に戻した。
「できることなら、研究者本人に直接会って問い正したいところです。
しかし、G.E.H.E.N.A.のデータベースに侵入するなど絶対にガーデンが許可しないでしょうし、技術的にも非常に困難でしょう。
個人の特定はほぼ不可能と考えた方が良さそうですね」
「目星なら付いていないことも無いけど」
何気ないロザリンデの一言に、眞悠理は自分の耳を疑った。
「――今、何と言われましたか?」
「結梨ちゃんと来夢さんのプロジェクトに関わった人物を特定する手がかり――それに心当たりがあるかもしれないと言ったのよ」
「本当ですか?ロザリンデ様は私の知らない何がしかの情報をお持ちなのですか?」
「もちろん私だって、ルド女にあるデータベースに侵入して資料を漁ることはできないわ。
でも、それとは別に、機密扱いになっているルド女の内部情報に、中原・メアリィ・倫夜が話した内容に関連するものがある――私の狙いが見当違いでなければ」
「ルド女のデータベース以外に、既存の情報の中に手がかりがあるというのですか?」
眞悠理の質問にロザリンデは小さく頷いて肯定の意を示した。
「生徒会長の一人であるあなたなら、情報自体は既にアクセス権限があると思うわ。
特務レギオンの私が直接情報を伝えると機密漏洩になる恐れがあるから、自分で調べてみて」
「分かりました。この後で、私が閲覧できるルド女関連の資料を全て洗い直してみます。
――ところで、本来の目的だったルド女指令室のケイブ生成装置捜索は不首尾に終わっています。
結梨さんはそのことで意気消沈してはいないのですか?」
「いえ、案外そうでもないみたいよ。
神庭女子のリリィ一名が孤立して、スモール級の群れに包囲されていたのを、結梨ちゃんが間一髪で救出したと報告されているわ。
捜索任務を中止して、出撃中のレギオンを支援する判断は間違っていなかったと、納得している様子だったわ」
「結梨さんと直接お話ししたんですか?」
「ええ、電話で少しだけ。
現在のところ、御台場のガーデン周辺では大規模なヒュージの出現は確認されていない。
結梨ちゃんが御台場に学籍を移したことで、おそらくG.E.H.E.N.A.はこれまでの『実験』計画を修正する必要に迫られているんじゃないかしら。
今は計画の内容変更とリスケジュールを進めている最中なのでしょう」
「今の段階でG.E.H.E.N.A.が結梨ちゃんの存在について沈黙を守っていることについては……」
「少なくとも今は結梨ちゃんの存在を世間一般の目にさらすべきではない――G.E.H.E.N.A.も私たちと同じことを考えているのでしょう。
その理由は――」
「第三者的な勢力が結梨さんを横取りしようとするのを、未然に防ぎたい――ですか。
確かにこれ以上事態がややこしくなるのは御免ですからね。
夢結さんのお姉さんが、ちょっかいを出してきたのも比較的最近のことですし」
戸田琴陽を伴って、白井咲朱が自分と結梨の前に現れた時のことを思い出し、ロザリンデは小さく溜め息をついた。
「あの人は敵に回したくないわね。
一柳隊が全員でも抑え込めなかったほどのリリィですもの。
可能性は低いけれど、もし力づくで結梨さんを仲間に引き入れようとしてきたら、おそらく私たちの力では到底太刀打ちできない」
「そうならないことを願います。
私の見方では、彼女はヒュージの存在を前提とした世界において、ヒュージを従える特別なリリィの長として君臨したいのかもしれない――そう考えています。
これは彼女が『ヒュージの姫』という言葉を何度も口にしていたという情報からの推測ですが」
それが実現すれば、一般のリリィを含めたほとんどの人間は、白井咲朱を筆頭とするごく一部の特別なリリィの支配下に置かれることになるかもしれない――いや、その可能性は極めて高いと言わざるを得ないだろう。
「それはそれで願い下げもいいところね。
おそらくG.E.H.E.N.A.もヒュージや強化リリィを利用して、世界を牛耳る存在を目指しているのでしょうけど、いずれにせよ独裁体制の主体がG.E.H.E.N.A.か『ヒュージの姫』かの違いでしかないわ。
そんなろくでもない未来を実現させるわけには――」
ロザリンデの言葉の途中で、少し離れた床下からノックの音が聞こえた。
誰かが階下まで来て、屋根裏への梯子を上って天井をノックしているのだ。
屋根裏部屋は眞悠理の手によって入念に防音処理が施されているため、会話の内容が階下に漏れることは無い。
室外から聞こえるのは壁や床を直接振動させる音――正に今、眞悠理とロザリンデの耳に届いているノックのような音だけだ。
そして旧館寮の屋根裏部屋の存在を知る者は限られているし、そこを訪れる者は更に限られている。
眞悠理はルームメイトの剣持乃子が来たのかと思い、床面の扉の
出入り口となっている床の一部がゆっくりと開き、そこから顔を出したのは乃子のシルトである1年生の伊東閑だった。