「――ここまでが私の知っている岸本教授の消息よ。
でも、G.E.H.E.N.A.内部の情報が入手できなくても、あなたたちが入手できる情報だけで二・三歩手前くらいまでは辿り着けるんじゃないかしら?
それとも、百合ヶ丘は既に岸本教授の所在を突き止めているとか?」
咲朱は伊紀の顔を一瞥すると、その形の良い唇に妖艶な笑みを浮かべた。
「……それは私の知るところではありません。
ガーデンからは岸本教授についての情報は何も知らされていません」
人造リリィ計画については、ロザリンデが調査を進めていることを伊紀は知っていた――が、咲朱にその情報を与えるのは控えるべきだと判断した。
咲朱はあくまでも結梨を自分の味方につけたいがために、百合ヶ丘のガーデンとリリィに友好的な態度を取っている――その認識を伊紀は手放さなかった。
万が一、結梨が咲朱の下に参じれば、咲朱は百合ヶ丘に対して以後一切の関わりを断つ可能性すらあると伊紀は考えていた。
少なくとも今のところは、一柳結梨を擁する百合ヶ丘女学院は、白井咲朱にとって利用価値があるガーデンだ。
だからこそ、通常の手段では到底入手できないG.E.H.E.N.A.の機密情報を、こちらに流してくれるのだ。
「今日私が話したことは百合ヶ丘のガーデンに報告して構わないわ。
その上で、あなたたちがどう動くのかを見定めさせてもらうから」
「あなたは高見の見物を決め込むわけですね。
もし私たちが岸本教授の居所を掴んだとして、あなたはどうするつもりですか?」
「別にどうもしないわ。私は岸本教授に用は無いから。
結梨が自分のルーツについて知る手がかりを与えたかったから、岸本教授の話をしたのよ。
単なるG.E.H.E.N.A.のモルモットとしてではなく、一人の人間の理想の結晶として、一柳結梨が生まれたのだという事実を知ってほしくて」
そう言うと、咲朱は表情を和らげて結梨の顔を見た。
「私のために岸本教授の話を?」
「そうよ。同情というと失礼かもしれないけど、自分の過去について分からないことが残り続けるのは、気持ちの悪いことではなくて?」
「それは……うん、そうだと思う」
考え込みつつ咲朱の言葉に頷く結梨を見ながら、伊紀は咲朱の話した内容を頭の中で整理しようとしていた。
岸本教授についてこれ以上知ることが、結梨にとって良いことなのかどうか、伊紀には判断がつきかねた。
岸本教授は親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンに所属していた研究者であり、真偽は未確認ながら、来夢の姉である岸本・マリア・未来の強化実験に関与していた可能性もあるからだ。
彼の本当の人格は、直接本人に会わなければ見極められないだろう。
今は咲朱が提供した岸本教授の情報を百合ヶ丘女学院へ持ち帰り、今後の対応はガーデンと生徒会の判断に委ねるのが最善だと、伊紀は自分の考えに区切りをつけた。
そのような伊紀の心情を知ってか知らずか、咲朱は結梨への言葉を続けた。
「少なくとも岸本教授の件については、知っておく方があなたにとってプラスに作用するはずよ」
「知らないままより知っておく方がいいってこと?」
「そう。この世界には知らない方がいいことも沢山あるわ。
でも、私はあなたがG.E.H.E.N.A.のモルモットとして生まれたのではないことを知ってほしかった。
それを伝えるために、私はあなたを今日この場へ呼んだのよ」
咲朱は一旦言葉を切り、湯呑みに入った熱い茶を一口喉に流し込んでから、改めて結梨に向き直った。
「岸本教授は彼の持つ才能の全てを使って、あなたの遺伝子を設計し、誰よりも優れたリリィとして、新たな上位の人類として、あなたがこの世界に生まれるべく、力の限りを尽くした。
この力があれば、あなたは自らの意志で世界を変えることすらできるかもしれない。
――後はあなたの気持ち次第」
「私の気持ち……私がどうしたいか……?」
結梨が生まれた意味は岸本教授によって与えられたが、それをどう理解し、どう生きていくかを決めるのは、結梨自身に委ねられているのだ。
「そうよ。だから、それを実現するために、私と一緒に『高み』を目指してみる気は――」
「そこまでです、咲朱さん」
咲朱の発言にストップをかけたのは伊紀の言葉だった。
「学外からのスカウトはお断りします。
まして、あなたたちは現状どのガーデンにも所属しないゲリラのような勢力。
今はG.E.H.E.N.A.と無関係でも、状況が変われば利害関係次第で百合ヶ丘と敵対する可能性もあります。
そのような勢力に結梨ちゃんを預けるわけにはいきません」
「……もし私が力ずくで結梨を奪おうとしたら?」
「私の命に代えても阻止します」
伊紀は咲朱の顔を正面から見据えて、迷いなく言い切った。
「伊紀、私は……」
咲朱について行くつもりはないよ、と結梨が言いかけた時、咲朱がその機先を制した。
「冗談よ。私も夢結の時と同じ轍は踏みたくないもの。
それに、あなたを手にかけたりしたら、結梨は永遠に私を許さないでしょうから」
「咲朱はそんなことをする人じゃないと思う。そう信じてる」
「そう言われると、ますます手荒な事ができないように予防線を張られた気分になるわね」
結梨と伊紀の四つの瞳に正面から見つめられた咲朱は、降参の意を示すように両手を軽く上げた。
その様子を横から見ていた琴陽は、苦笑いしながら結梨と伊紀に向けてなだめるように言葉をかける。
「私たちも百合ヶ丘と事を構えるような事態は望みません。
いずれ咲朱様の理想を皆様にも理解してもらえると思いますので、私たちは順を追って少しずつ計画を進めていくことになるでしょう」
その理想とやらを具体的に語ってくれればいいものを、と伊紀は心の中で呟いたが、咲朱はまだ時期尚早と考えているのか、彼女にその意思は無さそうだった。
「私が話したかった事はここまでよ。
岸本教授の居所を探すかどうかはあなたたち次第。
もっとも、彼が今も生きているという保証があるわけではないし、所在を突き止めたとしても面会を拒否するかもしれない。
G.E.H.E.N.A.のデータベースに存在しない情報は、私にも分からないのだから」
「承知しました。情報を提供して下さったことには感謝します。
でも、これで借りを作ったとは思っていません。
くれぐれも私たちがあなたの思い通りに動くとは思わないで下さい」
「もちろん。あなたたちは自分たちの意思で、自分たちが正しいと思うことをすればいい。
私たちは私たちで、それを観測しながら今後の出方を決めさせてもらうわ。
ひとまずはそれで手打ちとしましょう。
――ところで」
咲朱は話題を変えるように伊紀から結梨へと視線を移した。
「結梨は今、御台場女学校に一時的に学籍を移しているのね。
でも、どうやらしばらくG.E.H.E.N.A.による『実験』は、別のガーデンが中心になると思うわよ」
「またG.E.H.E.N.A.がルドビコで『実験』をするの?」
「いいえ、ルドビコは既に実験場としての機能を喪失している。
設備的にも人員的にも、旧体制を復活させるのは不可能よ。
そちらの特務レギオンのお嬢さんなら知っているのではなくて?
最近は御台場よりエレンスゲの周りが騒がしくなってることを」
「そうなの?伊紀」
隣りに座っている伊紀を見て結梨が尋ねると、伊紀は頷いて咲朱の発言を肯定した。
「はい、エレンスゲに近い対ヒュージ研究施設が何者かによって次々に襲撃され、既にかなりの数が破壊されているようです」
「どうしてそんなことをするの?
対ヒュージ研究施設って、ヒュージをやっつけるための方法を考えてる所だよね」
「襲撃の動機や目的はまだ不明です。
襲撃対象が無差別的ではないことから、今のところヒュージによる攻撃の可能性は低いと考えられています。
エレンスゲ内部の関係者による犯行である可能性も考えられますが、だとすればエレンスゲに何のメリットがあるのか……」
「この件についてはエレンスゲでも調査中で、まだG.E.H.E.N.A.に最終的な報告は上がっていないわ。
気になるのなら、あなたたち特務レギオンが出張って調べてみる手もあると思うけれど――」
「それは百合ヶ丘女学院のガーデンが判断することです。
ガーデンの直命が無い限り、特務レギオンが出撃することはありません」
「もし百合ヶ丘がその件に首を突っ込むつもりなら、一つ忠告しておいてあげる。
人型の特型ヒュージに気をつけることね」
「ギガント級のことですか?それなら今までにも人型の個体は何度も確認されているはずですが」
「いいえ、ミドル級あるいはスモール級の個体が六本木エリアで確認されているのよ。
その個体と交戦したレギオンは、エレンスゲ女学園のLGヘルヴォル。
ひょっとしたら、施設を破壊して回っているのは、その人型ヒュージかもしれないわね」
「ヒュージの侵攻は無差別な破壊行動が特徴です。
特定の種類の施設だけを順番に攻撃していくというのは、これまでにない行動パターンです。
知的な行動をとる人型のヒュージ。
――おそらくは人間、それもリリィをヒュージに変えた個体ではないかと思われます」
「あっさりと言うのね。
さすがに特務のリリィだけあって、G.E.H.E.N.A.の本質をよく理解している。
感情で判断を鈍らせないのは、日頃の訓練が行き届いている証ね」
「……ですが、そうだという直接の証拠があるわけではありません。
まず当該の個体を捕獲して、ガーデンへ移送することを目標とするべきでしょう」
「仮に、生け捕りにできないほどの戦闘能力を持つヒュージだったら、どうするつもり?」
「死なせてしまっては元も子もありません。
もし意思の疎通が可能であれば、そのヒュージと何らかの交渉を試みることも検討するべきかと」
「ヒュージと意思疎通とは、随分危険なことを口にするわね。
百合ヶ丘のガーデンにも、父親がその嫌疑をかけられた強化リリィがいるはずだけど」
「元が人間であれば話は別です。
これまでのヒュージとは全く異なる存在としての対応が必要になるでしょう。
そして、なぜそのようなヒュージが生まれたのかの究明も」
「G.E.H.E.N.A.としては、とても表沙汰にできる事ではないわね。
さて、一体誰がそのヒュージを生み出したのかしらね……」
口元に歪んだ笑みを浮かべる咲朱の顔は、先程までの真摯な表情とは打って変わって、どこか禍々しいものを伊紀に感じさせた。
「結梨ちゃん、変な事を考えてはいけませんよ。
ガーデンの指示が出るまでは、独断でそのヒュージを探したりしないように」
「……うん、分かってる」
先回りして伊紀に釘を刺された結梨は、渋々といった様子で頷いた。
G.E.H.E.N.A.の「実験」に関して、ある程度の情報を得ているリリィであれば、誰しもが他人事ではないと感じるだろう。
まかり間違えば、自分が実験台としてヒュージに変えられていたかもしれないのだから――
「ともかく、まだ証拠が無い段階であれこれ先走って考えを巡らせるのは止めましょう。
――白井咲朱さん、今日はこの場にお招きいただき、ありがとうございました。
私と結梨ちゃんは百合ヶ丘のガーデンに戻って、今後の対応を協議します」
「結梨さんは御台場へ戻らなくていいんですか?」
伊紀は琴陽の問いに、首を横に振って否定した。
「私から百合ヶ丘の理事長代行に事情を話して、御台場へ連絡してもらいます。
岸本教授の件については、当事者である結梨ちゃんに協議の場に同席してもらうべきですから。
では、これで失礼します。結梨ちゃん、行きましょう」
席を立った伊紀に続いて、結梨が咲朱に別れの挨拶をする。
「うん。咲朱、今日は来夢のお父さんのこと教えてくれてありがとう。
またいつか会えるといいね」
「どういたしまして。
あなたとは今後とも良好な関係を築いていきたいから、私の力が必要になった時は遠慮なく連絡してもらって構わないわ」
咲朱と琴陽は門前で結梨と伊紀を見送った後、母屋へ戻るべく歩き始めた。
「咲朱様、ジャガーノートの存在を結梨さんと伊紀さんに話しても良かったのでしょうか?
百合ヶ丘や御台場が介入すれば、事態が複雑になって、エレンスゲの管轄エリア外に影響が及ぶ恐れがあると思うのですが」
「遅かれ早かれ、ジャガーノートの件は彼女たちの耳に入るわ。
それならこちらから先に情報を提供して、先手を打つなり相手の出方を見るなり、戦略を考えて、準備する時間を確保させてあげる方がいいでしょう?」
「おっしゃる通りです。それにしても『彼女』は思い切ったことをしたものですね。
それほどの『実験』に踏み込んでまで、自分の研究を実証したいのでしょうか」
「まったくね。あの元校医、何を考えているのやら……」
咲朱は小さく溜め息をつくと、エレンスゲ女学園のある六本木の方角を見上げた。
その上空には幾つかの積雲がゆっくりと西から東へと流れ、人間の思惑や欲望など存在していないかのような蒼穹が広がっていた。
結梨ちゃんの遺伝子に由来する能力については、ガンダムSEEDにおける(スーパー)コーディネイターの概念を参考にしています。
(この小説では、アニメ第9話で発揮された能力は偶然の産物ではなく、厳密に計算された上でのスペックとする立場を取っているため)
注:筆者はガンダムSEED未視聴です。(スーパー)コーディネイターの内容については、wikipediaなどの記述を参照しました。
また、以前に描写した倫夜先生の主張は、漫画版「風の谷のナウシカ」が元ネタになっています。
二つの主張は必ずしも排他的なものではないと考えているので、当分の間は両論併記的な扱いで進めていく予定です。