ロザリンデとの話し合いから数日が経った頃、眞悠理は旧館寮の自室で、窓の外を流れる雲を眺めていた。
今は薄暮、日没直後の空はまだ十分に明るい。
夕焼けの赤い空の光が、カーテンを開けた窓から室内を薄明るく照らしていた。
「このガーデンのリリィは皆、あの子に大きすぎる借りを作ってしまったな……」
眞悠理が誰に言うでもない独り言をつぶやいていると、誰かが部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ、入ってください。鍵はかかっていません」
「失礼します」
聞き覚えのある落ち着いた声がドアの向こう側から聞こえ、ゆっくりとドアが開いていく。
ドアの隙間から顔をのぞかせたのは、一年生の伊東閑だった。
彼女は眞悠理と同じシュバルツグレイルのレギオン所属で、かつ眞悠理のルームメイトである剣持乃子のシルトだ。
それに付け加えるなら、閑は一柳梨璃のルームメイトでもある。
「ごきげんよう、眞悠理様。乃子様にお渡しする書類があって、それをお持ちしたのですが、ご不在のようですね」
「ごきげんよう、閑さん。私が預かっておいても構わないけど、せっかくだから乃子さんが戻って来るまで、少し私の話し相手になってくれない?閑さんの都合は大丈夫?」
「はい、喜んでお聞きします」
窓際に置かれている二つの机の椅子に、眞悠理と閑が並んで座る形となった。
眞悠理は窓の外を流れていく夕雲を一瞥した後、おもむろに閑の方を向いて話を始めた。
「確か閑さんは、梨璃さんと同室だったと記憶しているけど」
「はい、そうです」
「梨璃さんの様子はどう?まだひどく落ち込んでる?」
「謹慎処分が明けてしばらくは気の毒なほど消沈していましたが、髪飾りの一件があってからは落ち着いているように見えます」
「髪飾り?」
「はい。梨璃さんが海上で失った髪飾りを楓さんが見つけて、というか正確には楓さんが自分で代品を作って見つけたふりをして、梨璃さんに渡したということがありまして」
「それは何とも回りくどいというか、気を利かせすぎというか、面白いことをする人なのね」
楓が一年生の中で特に優秀なリリィであることは眞悠理も知っていたが、その優秀さが、何かあった時に人並みではない行動として表れるということか、と思った。
「その場にいた者として言わせてもらいますと、策士策に溺れるという感じでした。
楓さんほどの人でも、思わぬ所で見落としをすることがあるのだと、良い教訓になりました。
それで、その時に梨璃さんがみんなの前で大泣きしたんですが、そのことで何かしら気持ちの整理がついたのかもしれません」
「それならひとまずは安心とまでは言えなくとも、極端に深刻な状態は脱したと考えていいと?」
「はい。私が一緒に生活している限りでは、そう感じられます」
それを聞いて眞悠理は内心でほっと胸を撫で下ろした。
実は結梨が18歳になる前に梨璃に逢える方法が一つあることに、眞悠理は気づいていた。
一つの手段として、梨璃が二年生に進級した時に、三つの生徒会長職のいずれかに就けば、彼女は結梨に逢うことができるようになる。
現時点では、百合ヶ丘のリリィで結梨の生存情報が開示されているのは、三人の生徒会長とロスヴァイセのメンバーだけだからだ。
しかしその場合、梨璃は夢結をはじめとする一柳隊のメンバーはもとより、ほとんどのリリィに対して結梨が死んだものとして接しなければならなくなる。
梨璃は毎日のように顔をあわせる夢結や楓たちを欺き続けなければならないのだ。
それはあまりにも残酷なことではないかと眞悠理には思われた。
その状況が梨璃の心に及ぼす悪影響を考えると、その選択肢は採らない方が良いと眞悠理は結論づけた。
「眞悠理様、私からも眞悠理様に一つ質問させていただいてよろしいですか?」
眞悠理がそんな考えを巡らせていると、今度は閑の方から眞悠理に話しかけてきた。
「いいわよ。私が答えられることでよければ」
「私って面倒くさい女ですか?」
眞悠理は閑のその質問に絶句した。
眞悠理はいま自分の隣に座っている少女が伊東閑ではなく、別の誰かの人格が憑依したのではないかと本気で思った。
「閑さんはそんなこと言わない。さっき聞こえたのは空耳もしくはあなたの幻聴」と、頭の中でもう一人の自分が呼びかけてきた気がした。
「閑さん、あなたは何を言って……」
休暇で外出した時に悪い男か女かLGBTにでも引っかかったのか、その挙句の痴情のもつれというやつかもしれない。あるいはまさか亜羅椰か、亜羅椰なのか。
でなければ自分が彼女に何か傷つけるような言動をしてしまったのかと、いささか混乱した頭で眞悠理はありえそうな原因を考えたが、閑の答えはそのいずれとも違っていた。
「だって私はいつも理屈っぽいことばかり考えて話して、レギオンでも私が一人で考えたややこしい戦術理論をみんなに押し付けているし、この間も部屋で梨璃さんに、ヒュージとの戦いが終わったら人間同士の争いが起こる、みたいなことを一方的に話して困らせてしまったし、振り返ってみると他にもいろいろあるに違いないと思うんです……」
ああ、そんなことか。それは全部あなたの個性で、何も悪いことじゃない。
あなたより出来の良い戦術を考えられる人はシュバルツグレイルにはいないし、私たちはヒュージとの戦いを終わらせるために命を懸けて日々戦っているのだから、その後のことに思いを馳せるのは至極当然のことだ。
「いいじゃない。あなたの戦術論文の内容に基づいて行なった戦闘で、確実にシュバルツグレイルの実績は積み上げられている。
レギオンの格付けもSSまで上がっているし、何も間違ってなどいないし、問題ないと思う。
梨璃さんのことは、閑さんが話す相手を間違えただけで、その手の話であれば私やロザリンデ様が相手なら一晩中でも語り合えるはずだから」
「そういうものですか。自分がいろいろと拗らせた性格だという自覚はあるのですが、眞悠理様は私のことをそうは感じられないのですか?」
「大丈夫、祀さんや神琳さんのような拗らせ名人に比べたら、あなたの拗らせ度なんて純真無垢な幼な子みたいなものよ」
「それは喜んでもいいことなんでしょうか、何か複雑な気分です」
「もちろんよ。もしあなたがあの二人なみの面倒くささだったら、私はとっくの昔にシュバルツグレイルを抜けている。だから安心して喜んでもらって構わないわ」
「ありがとうございます、眞悠理様。
まだまだ至らない点が数多くあると思いますが、これからもご指導よろしくお願いいたします」
「うん、どちらかと言うと、私は戦術よりも戦略に関心がある性格だから、その意味では閑さんの考えを進める上であまり役に立ててはいないと思っているけれど」
「そんなことはありません。私から見れば、眞悠理様は半分神様みたいな存在です」
「それはいくら何でも持ち上げすぎだわ。
今は何の因果かジーグルーネなんていう堅苦しい役職に就いているけれど、そんな大した人間ではなく、あなたより一つだけ学年が上のただの二年生リリィよ」
「いえ、眞悠理様は、私には無いものをお持ちです。
私は目の前の戦いに勝つための戦術を考えることしか能がありませんが、眞悠理様は百合ヶ丘におけるシュバルツグレイルの政治的立ち位置や、外征レギオンへの昇格スキームまで考えておられるのではないですか?」
「全然考えていないと言えば、それは嘘になるわね」
「そう思っていました。だから絶対にシュバルツグレイルが、私たちが進むべき道を誤らないように導いてください、眞悠理様」
そう言って閑は両手を眞悠理の手に重ねて眞悠理の目を見つめた。
「そうね。私が閑さんの期待外れにならないように、私にできる最善を尽くしてみるわ」
そう眞悠理が答えたとき、部屋の入り口から拍手が突然聞こえた。
眞悠理と閑が驚いてそちらを見ると、聖母のような微笑みをたたえた優しげな女性が、開いたドアの前に立って二人を見ていた。
「はい、二人とも大変良くできました」
「乃子さんは人が悪い。見ていたのなら何か言ってくれてもよかったのに」
眞悠理は落ち着かない様子で、ルームメイトかつ閑のシュッツエンゲルである剣持乃子に文句を言った。
「二人がとてもいい雰囲気だったので、水を差してはいけないと思って」
「そういう誤解を招きかねない表現は控えていただきたいものだわ。
私は夢結さんのように週刊リリィ新聞のネタになりたくはないから」
「閑さん、私なにか変なこと言いました?」
「いえ、何も問題ありません。お気になさらず」
閑は乃子にそう答えた後、眞悠理に小声でひそやかに話しかけた。
「眞悠理様、お姉様はそちら方面のことには全く疎い御方ですので、ご心配なさらずとも大丈夫です」
そう言うと、閑は乃子の方へ歩いて行き、手にした封筒を差し出した。
「お姉様にお渡しする書類があってお部屋に伺ったのですが、ご不在でしたので眞悠理様とお話しさせていただいておりました。
これがその書類です、どうぞお受け取りください」
「ありがとう、閑さん。でもせっかく来てくれたのだから、もう少し三人でお話ししていきましょう。
ぜひ、さっきの話の続きを聞かせてほしいわ。
ちょうどこの上に私と眞悠理さんの屋根裏部屋もあることだし」
「乃子さん、それはちょっと困る……」
困惑する眞悠理をなだめつつ、乃子はドアを静かに閉めた。
日常回をしようとしたら、四苦八苦した挙げ句、後半で閑さんの性格が変わってしまいました。
本来は限界を超えるまで、いや超えても気弱なことは言わない人ではないかと思います。
もう日常回は懲りたので、次回から大人しくストーリー進行します。