蓬莱玉は自分をシエルリントのガーデンに閉じ込めて逃がさないつもりか――結梨は心の中で危ぶんだが、それは杞憂だった。
薄く紅を指した蓬莱玉の唇が笑みを浮かべると、彼女は結梨の心を見透かしたかのような言葉をかけた。
「心配するな。シエルリントの魔女を束ねる立場の私と言えど、一存でお前の身柄を自由に扱えるほどの権限は無い。
それに、もし私が生殺与奪の権を握っていたとしても、お前をここに幽閉したりはしない。
野生の動物を檻の中で飼育したとて、本来の生態は観察できないからな」
「私はゾウやライオンじゃないよ」
野生動物扱いされて不満げな表情を浮かべた結梨に、蓬莱玉は肩をすくめてみせた。
「気を悪くするな。これでも私はお前の敵ではないつもりだ。
私は一柳結梨というリリィを、極めて貴重な研究対象として認識している。
それゆえにお前に死なれたり、リリィとして戦えなくなってもらっては困るのだ」
どうやら蓬莱玉は、ある意味でシエルリントにおける自分の身の安全を保障してくれる人物のようだと、結梨は理解した。
しかしそれは、仲間や味方という意味とは少しばかり異なる文脈に位置するものだった。
蓬莱玉の言葉は、なおも続く。
「私はお前の成長を見届け、記録する者でありたいと考えているが、私はお前の家族でも親友でもない。
だから私に愛や友情のような感情を持つことはするな。
お前の自我と記憶がこの世界に生まれてから、まだ数ヶ月しか経っていない。
それを思えば、家族や親友に抱くような愛情を他者に求めても無理は無い。
だが、お前はお前の家族や親友に対して愛や友情を求めるべきであり、私にそれを求めてはいけない。
私はお前をかけがえのない貴重な研究対象として観察する。
逆に、お前も私の存在を政治的に利用すればいい。
国内の親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンで、シエルリントの蓬莱玉を知らぬ者はいないだろう。
私の名を出せば、未だ無名のリリィである『北河原ゆり』であっても邪険に扱われることは無い。
生徒会長や教導官程度なら、すぐに取り次いでもらうことができるはずだ」
蓬莱玉は自分の存在を一種の顔パスとして使えと結梨に言ったが、結梨の関心は別のところにあった。
「G.E.H.E.N.A.は私に関わらないようにしてるって聞いたけど、それが変わったの?」
「いや、お前に関する情報のプロテクトは解除されていないし、身柄を拘束する類の命令も現時点では出ていない。
今回の件も、御台場女学校の『北河原ゆり』なる詳細不明のリリィが、シエルリントの国定守備範囲に侵入したという態での事情聴取だ。
ただし、お前が一柳結梨であることは、早々にG.E.H.E.N.A.本部の知るところとなるだろう。
そうなれば、一柳結梨の身柄を確保できたと認識したG.E.H.E.N.A.は、これまでの不干渉の方針を転換する可能性がある。
今はその猶予期間というわけだ。
お前はどうする? 逃げるなら今のうちだが。
私はお前の逃走を妨害する気は無いぞ」
「私が逃げても、G.E.H.E.N.A.は私を捕まえようと追いかけてくるんでしょ?」
結梨の脳裏には、梨璃と一緒に百合ヶ丘女学院から脱走した時の記憶が甦っていた。
それを見透かしたかのように、蓬莱玉は結梨の発言を受けて状況を説明する。
「以前のようにG.E.H.E.N.A.が――正確にはG.E.H.E.N.A.の傀儡の政府関係者が、だが――防衛軍の機甲師団を動員して大規模な捜索をすると考えているのか?
だとしたら、それは見当違いだ。
あの時と違って、G.E.H.E.N.A.はお前が生きていることを公にしたくないのだ。
お前を単なるモルモットと見做していた当時とは異なり、超越的な戦闘能力を持つ唯一人の人造リリィについての情報を、第三者に知られたくないからだ。
――『御前』こと白井咲朱の存在が、今も一般のリリィには秘匿されているように」
この点についての認識はG.E.H.E.N.A.だけではなく、百合ヶ丘や御台場といった反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンも同じようだ、と蓬莱玉は最後に付け加えた。
ルドビコ女学院が崩壊に至った真相も、一柳隊が参加した東京圏防衛構想会議の場では語られなかった。
その状況を、結梨は特務レギオンであるLGロスヴァイセに開示された資料で知っていた。
今や自分は機密情報に埋め尽くされた世界で生きていることを、結梨はあらためて自覚せざるを得なかった。
「まったく、常人より優れた力を持つというのも痛し痒しだな。
この私とて、今でこそシエルリントの魔女の元締めたる生徒会長を務めてはいるが、それは外野の干渉を排して知の探究を極めるための手段に過ぎないのだ。
お前も可能であれば、一介のリリィとしてヒュージと戦い抜き、高等部を卒業した後はリリィを引退して自由に生きたいのであろう?」
「うん。私はただ、普通に梨璃と一緒に暮らしたいだけなんだけど……」
「お前の気持ちは私にも理解できる。
だが、英雄や王侯貴族が身分を捨て、市井の民として生きるというのは、そう簡単な話ではないのだ。
人並み外れた力を持つ者は、それに見合うだけの果たすべき義務を背負っている。
例外は無い。お前も、この私も」
こんな話がある、と蓬莱玉は生徒に講義する教導官のような口調で、結梨に語り続けた。
「三国時代の中国で、俗世を離れて隠棲していた諸葛亮の住処を、劉備というつまらぬ男が何度もしつこく訪れた故事は知っているであろう?
結局、彼は劉備の求めに応じ、希代の軍師として後世の歴史に名を残した。
しかし、果たしてそれが真に彼の求める幸福であったかどうか、私は常々疑問に思っている」
「私も梨璃も、一人前のリリィになりたいだけで、有名になったり注目されたいわけじゃないのに」
それは力を持って生まれた者の定めだ、と冷静に蓬莱玉は述べ、
「そう言えば、百合ヶ丘女学院の一柳梨璃はお前の名付け親だったな」
と、梨璃に関心を向けた。
「一柳梨璃か。由比ヶ浜に漂着した繭を最初に発見したのは彼女だった。
一柳結梨の第一接触者である一柳梨璃は、カリスマのレアスキル保持者だった。
そして彼女は、後に司馬燈と鈴木因に続く三人目のラプラス覚醒者となった。
これは実に興味深い事実ではあるが、今は一柳梨璃について考察している時間は無い。
今の私の第一の探究心は、一柳梨璃よりも一柳結梨に向いているのだから」
「蓬莱玉は私の何を知りたいの?」
結梨の質問に、蓬莱玉は待っていたと言わんばかりに身を乗り出して、結梨の目を見つめた。
「まず、お前の持つ能力の源である先天的な資質、次いでそれが発現する契機となる状況だ。
と言っても、どちらもそれなりに推測はついている。
先天的な資質とは、つまり遺伝子の構造に基づく身体的機能の特異性だ。
現在、人造リリィ計画の技術資料は、その核心部分がロストしている状態になっている。
どうやら当時G.E.H.E.N.A.と技術提携していたグランギニョル社の研究者が、その資料を処分あるいは持ち逃げしたようだ」
(岸本教授のことだ……)
その研究者が岸本教授であることを蓬莱玉が知っているのかどうか、結梨はうかがい知ることができない。
だが、ここで自分から岸本教授の名を出せば、彼の身に危険が及ぶかもしれないと結梨は考え、黙って蓬莱玉の話に耳を傾けた。
「複数レアスキルの同時使用、戦闘技術のコピー能力、ヒュージネストのマギを自らのエネルギーとして利用する能力……
これらは全て、最初から人造リリィの性能諸元として、遺伝子の塩基配列に組み込まれたものだったと考えられる。
ただし、遺伝子の全構造のどの箇所が、それらの能力を可能にしているのかは全く不明だ。
捕縛騒動の際、百合ヶ丘女学院から政府の査問委員会に、お前の遺伝子情報に関する資料が提出されている。
それを基にG.E.H.E.N.A.の複数のラボで解析が進められているが、今のところ当該の箇所が判明する目処は立っていない」
「そんなに難しいの?」
「そもそもヒュージ幹細胞からヒトの遺伝子のみを抽出して、尚且つ先天的な異常を引き起こさずに、これだけの超越的な能力を持たせたこと自体が奇跡的だ。
これほどの離れ業をやってのけることができる研究者は、世界に何人もいないだろう。
私が入手できる範囲の情報では、個人の特定まではできないが、おおよその察しはつく。
……が、それについては今ここで云々すべきことではないな。
今はお前の力の秘密について、もう少し私の考えを聞いてもらおう」
蓬莱玉はそれまで自分の内に溜め込んでいた思考の内容を開陳する相手を見つけて、興奮を隠しきれない様子だった。
「先程お前が生まれつき持っている能力について述べたが、少なくともレアスキルについてはコピー能力ではなく、お前の遺伝子に最初から全てのレアスキル因子が埋め込まれているのではないかと、私は考えている。
それらのレアスキルは初期状態では封印された状態になっているが、何らかのきっかけでアクティベートされ、解放された状態になる。
これによって各レアスキルを発動するために必要なマギの固有代謝構造が、基底状態から励起状態へ遷移することが可能になる――それが私の仮説だ」
「そう言えば、咲朱は私の力を『あんろっく』したって言ってた……」
結梨の言葉を聞いた蓬莱玉は、驚きと好奇心の感情をその端正な顔に浮かべ、何やら考え込む様子で腕組みをした。
「そうか、お前は『御前』と面識があったのか。
それは最も直接的な契機の一つだ。
お前と同じく、彼女もまた一般のリリィが持ちえない超常の能力を、幾つも隠し持っているようだ。
『御前』は、おそらく彼女なりの考えで、お前の能力解放を前倒ししたのだろう――どうも彼女は何かと事を急ぐ性格のようだからな。
もう少し慎重な方法を取っていたなら、あるいは実の妹を篭絡することもできたかもしれないが……いや、これはまた別の話だな。失礼した」
これから案内したい所がある、と蓬莱玉は言い、結梨にシエルリントの制服に着替えるように指示した。
「御台場の制服のままでは人目を引いてしまうからな。
着替えが終わったら、私の後についてくるがいい。
今後お前が生きる上で、何がしかの手がかりになるものを与えておきたいのだ」
蓬莱玉からシエルリントの黒い標準制服を手渡された結梨は、躊躇することなく、その場で手早く着替えを進めていく。
数分後、二人は生徒会室を出て、人通りの少ない廊下を選んで進んだ。
迷路のように入り組んだ薄暗い廊下を何度も曲がった先に、行く手を遮る堅牢なセキュリティゲートが現れた。
そのゲートこそ、シエルリント女学薗が誇る大図書館「ビブリオテカ」の入口だった。
蓬莱玉が進み出て自身のIDカードをゲートのセンサーに触れさせると、ゲート脇のランプが赤から緑に変わり、自動でゲートが両側にスライドして開かれた。
「ビブリオテカ」は古色蒼然たる大聖堂のような外観とは対照的に、その内部は機能性を極めた閉架式の書架で埋め尽くされた空間が広がっていた。
「反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンのリリィで、この図書館に足を踏み入れたのは、お前が初めてかもしれない。
ここはマギの理論に関しては世界一の蔵書量を有している」
ドーム式の野球場ほどもある広大な空間と、そこに整然と立ち並んでいる千を優に越える数の書架。
それを言葉を失ってぐるりと眺めている結梨の隣りに立って、蓬莱玉はタブレット状の端末を差し出した。
「私の権限で閲覧できる書架はロックを解除している。
書架の開閉制御と文献検索のための端末を渡しておくから、必要な情報は全て頭の中に入れておくといい」